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暗渠ハンター 「暗渠本」アウトテイクその2!田柄川下流の3支流

『地形を楽しむ東京「暗渠」散歩』本田創編・著 洋泉社 11/26発売!

発売記念プロモーションの第二弾として、担当させていただいた「田柄川・田柄用水」で字数の都合上書けなかったところを今回も取り上げてみます!

前回書いた通り、本書記事は
田柄川の上流のほうはざくっとカットして練馬区田柄近辺を中心に構成しましたが、
その下流にもいくつかの支流があります。
本書で取り上げた練馬区田柄近辺の支流は、刻まれた谷からググッと本流に注ぐストロングタイプの支流なのですが、
今回取り上げるアウトテイク支流はどちらかというと宅地開発に伴って水路が整備されたような見え方の、ちょっと線の細い支流たち。
もちろん谷を伝って流れてきますが、痕跡も少なく地味…。
ですが、そのぶん探す・推理する楽しみのある支流たちではないかと思います。
ではまず地形図からご覧ください。
いつもながらGoogleEarthさん・東京地形地図さん、どうもありがとうございます。

3

支流に番号を振りました。
 は平和台駅の北、北町都営住宅を流れる「北町都営住宅支流(仮)」。
 は、練馬区平和台のまんなかを流れていくから「平和台支流(仮)」。
 はこれまた練馬区氷川台を突っ切っていくから「氷川台支流(仮)」
とここでは呼ばせていただきます。

1 北町都営住宅支流(仮)

実は今回割愛しますが、このすぐ上流に注ぐ短い支流があるんですが、将来的にそちらを「北町支流」と呼びたいので、そちらと区別できるようにちょっと長いけどここを「北町都営住宅支流」と呼ぶことにしました。

地下鉄有楽町線平和台駅の上、環八の「平和台駅前」交差点から北西にほんのわずか歩いたところからこの川の痕跡は現れます。
駐輪場の合間に残る「無用の用地」。奥に向かって流れていきます。
Img_5872

地形図を見るとこの撮影位置の背後にも浅い谷が続いているようですが、どうもここより上流にはそれっぽい痕跡が見つけられませんでした。

さてこの無用の用地のその先は。
もはや暗渠サイン(暗渠アプリケーション)としての地位を確立しつつある、この仮称の元にもなっている都営住宅の中を、数本の流れになって通っていたのではないかと思うのです。
Img_5875

そして都営住宅を越える頃にはその隣の道に移動。
Img_5876

さらに北町6-25あたりからもう一本横の道にスライドして、
Img_5882

「北町西小学校東」、という倒錯した名前の交差点の向こうで
陸上自衛隊練馬駐屯地の西側に沿って田柄川緑道まで続いていきます。
この駐屯地沿いのどこかで啓志線(グラントハイツまで続いていた廃線)と交わっていたはずなんですが、痕跡は見つからず。

2 平和台支流(仮)
次の支流は、上流が二股に分かれており、
どちらも地下鉄有楽町線の上を通る幹線道路からはっきりした痕跡を辿ることができます。

ひとつは、開進第一小のすぐ北、平和台3-30あたりのここ。
Img_0503

そしてもうひとつは平和台の駅入り口真ん前、
平和台4-25にあるここ。(暗渠上から平和台駅入り口をみたところ)
Img_0525

これら二本は平和台4-4あたりで合流して北進していきます。
Img_5899

ここいらへんは大変暗渠色が薄いところで、ちょっと辿るのに苦労します。

が、突然物陰に私を誘ってはこんな暗渠路地姿をこっそり見せてくれるところがたまりません!
いわばツンデレ支流ですな。

Img_5905

Img_5907

逆さに「水路敷」の文字が見えます。
ちなみに奥のエンジの建物の隣にはクリーニング屋さんがありました。

平和台2-36で、西の都営住宅を抜けてくる流れと合わさって、
その後環八と川越街道を横切り、
自衛隊駐屯地の今後は東端を掠めて
田柄川緑道へと合流していきます。
Img_5934

3 氷川台支流(仮)

こちらは、合流点から上流を遡ってみましょう。
仲町小学校をの中を通って合流するもの、
そして仲町小のちょっと北へ分岐して合流するものと二本あったようです。
二つの合流点は車止めがあるので比較的わかりやすいですが、
Img_5942

その先はほぼ痕跡がありません。
そこでgooの古地図(昭和38年)を引用。
Goo

まん中の赤いポインタ上が仲町小です。
ポインタの左にはしご式開渠が確認できます。
そしてポインタ右下に続いていますね…。
この先(下)が上流となっています。

確かに現地でもここが谷底。
ですがこの谷も氷川台2-11で白く大きな壁を持つ敷地にぶち当たってしまい
先を追うことができません。
Img_5962

この白い壁の敷地は東京少年鑑別所、いわゆる「練カン」。
ここを通過して、流れは氷川台4丁目に入っていきます。
鑑別所内には入れないので何とも言えませんが、
この中に谷頭があるのではないかと思います。
その先上流では古くから非常に区画が整備された住宅街で、
おそらくその排水路確保のために上流へと人工的に延びてきたのではないかと思うのであります。

先ほどの平和台もこの氷川台も、
昭和初期から住宅街として区画整理が行われてきた「台」地ですし。
(記事末の地図でも、道が「平和台1丁目交差点」と「氷川台駐在所前」交差点の二つを中心とした幾何学模様になっているのがわかるかと思います)

さてこの支流はその幾何学模様にそって回り込み、
氷川台4丁目の住宅区画を何本かに分かれて駆け上がっていきます。
一番太い支流道はここですが、
Img_5976

その北側の支流のほうが面白い!
細い道に無数のマンホールが続いています。
Img_5980

Img_0501

これら支流の上流端は、
地下鉄有楽町線の上を通る道に辿りつくまえに
痕跡を絶ってしまいます。
そのミッシングポイントは、
古くからの区画整理エリア(goo古地図)の端っこと重なります。

さて、以上3本の「線の細い」アウトテイク支流をご紹介しました。
では、田柄川のハイライト部分は『地形を楽しむ東京「暗渠」散歩』でどうぞ!

より大きな地図で 練馬暗渠巡りの旅 を表示


■それと、ここで『地形を楽しむ 東京「暗渠」散歩』の執筆陣をご紹介します。

■まず、「編・著」である主宰の本田さん。小学校のころから東京の暗渠を巡るひと。先日、中二のときの夏休みの自由研究で書いたという「神田川」というレポートを読ませていただいたんですが、その出来の素晴らしさに頭がクラクラしました…。
東京の水 2009 fragments 
そして本田さんの次に執筆ボリュームが多いのは、「世田谷の川探検隊」として世田谷区内をはじめ都内各所の暗渠アルキをずっとされてきた、「庵魚堂」さんこと福田さん。独特の視点と語り口が印象的で、たくさんの示唆に富むブログを書かれています。
世田谷の川探検隊 
次は、ニフティ「デイリーポータルZ」でおなじみのライター、三土さん。地図好きな方ですが、その他多方面で面白い記事を書かれています。この方の好奇心の幅広さに、好奇心をおぼえますw
デイリーポータルZ 
三土フォリオ
 
さらに、軍艦島伝道師として、そして廃墟マニアとして名高い黒沢さん。本業は音楽や映像やwebや…いろんなメディアを使って様々なコンテンツを世に送り出す「オープロジェクト」を主宰されています。
廃墟徒然草
 
それから、暗渠を歩きながらくいもののことも考える、「桃園川マスター」のnamaさん。暗渠だけでなく、消えゆくものなどを取り上げ深い考察で綴るブログは独特の味わいがあります。偶然namaさんとはちょうど同じ時期に暗渠の魅力に取りつかれたので、互いに「同期」と呼んでいますw
暗渠さんぽ
 
そして不肖・私の計6名で書かせていただいております!
あ、私が一番書いた分量が少ないですw

全編「暗渠」を軸に書いてますが、散歩好きの方、地形図好きの方、東京の風土記的なものに興味がある方、歴史好きな方などなど各方面のみなさまにきっと満足していただける内容かと思います。

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暗渠ハンター 「暗渠本」アウトテイク!田柄川の水源

そろそろ『地形を楽しむ東京「暗渠」散歩本田創編・著 洋泉社(ブログの左枠中程をご参照ください)の発売も近くなってまいりましたので、
プロモーションというわけではないですが(いや正直言うとそうなんですが)、ちょっとそれ絡みのお話を。
この本の中で、私は「エンガ堀」と「田柄川」のページを担当させていただきました。
まあ本編は本で読んでいただくとして、何回かに分けてそれらの「アウトテイク版」を書いていくことにします。

田柄川は、田柄用水として田無に端を発し、(←”田”で頭韻を踏んでいるみたいですな)
富士街道をずずっと下ってきて
西武池袋線・石神井公園駅あたりから北上し、
三原台・土支田あたりの谷をうねうねと通って、
光が丘近辺に来るころには本来の自然河川とくっつけられてて、
さらに光が丘を越えて田柄を通るころには
田柄川・田柄用水と二本に分かれて一帯を潤していた、
という、自然河川と人工用水でパッチワークみたいに構成された川です。
ANGLEで田柄川・田柄用水の全貌とを表すとこうなります。フクザツ。

 ※因みに今回は、流れを表す縦のバーの色を、人工用水は赤、自然河川は青としました。
ただし上下で真ん中辺の笹目通りあたりは、土支田付近の湧水を合わせていたり用水開削以前は雨の降ったときだけ流れる枯れ川だったという説もあるので赤でも青でもなく赤青マダラ、が正確なのかも知れません。

 ※現れる暗渠アプリケーション(暗渠サイン)はオレンジの丸で示しました。

Angle

『地形を楽しむ東京「暗渠」散歩』では田柄辺り土支田あたりからを環八を越えるあたり、つまり縦軸の下半分を中心にご紹介しているので、
田無の水源付近から上半分はズバッとカットしています。
ここではカットした上半分を今回取り上げてみましょう。
また、原稿では田柄周辺で北からやってくる二本の支流のことも取り上げましたが、その下流で合流する南からの数本の支流については触れませんでした。それも、回を変えてご紹介していきます。

田柄用水は、玉川上水から分水された田無用水のさらに分水。
その分水地点は田無駅のそばにあります。

奥に続いているレンガ敷きのところが田無用水。
そこの真ん中に車止め的な丸太的なものが建っていて、ここが田柄用水の起点となっています。
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レンガ敷きから、蓋暗渠に。
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なんとも素敵なはじまりです。ここからしばらく蓋暗渠が続くので、
蓋暗渠ファンには断然お勧めしたいコースです。
途中新青梅街道、所沢街道などでかい道が複雑に交錯するところでは一瞬川筋がわからなくなりますが、北原町に入ってしまえばまた蓋暗渠が出現するので、ここまでくればもう迷うことはないでしょう。

蓋暗渠上の「止まれ」。
車止めはポールや柵みたいに具体的だけど、人止めは抽象的です。
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さすが用水、畑に囲まれた開放的な場所を涼しい顔で進んでいきます。カーブなんかでたまに工法切り替わっているところも面白い。
…きっと杉並区だったたここも同じ蓋素材を使って美しく仕上げるんだろうなあ…。
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しかしここはここで、周りが開放的な分なんだか「パースペクティブ」とか「見晴らし」といったような普段暗渠に居る時は考えないような言葉が、
自然に頭に浮かんできてしまいます。
みてくださいこの奥行きとヌケを!
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お、縁石付のバージョンも出現です。
Img_4839

保谷町5丁目入ってから蓋暗渠はこのように何度か変態するのですが、
その後はもっと面白いことになります。

こんなふうに、蓋暗渠のまま車道より「一段」高くなるんですねえ。
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なんだか車道の脇に設置された「動く歩道」みたいに!
なんと未来的!! …動かないけど。
この「動く歩道みたいな動かない歩道」が、結構長い区間続きます。
途中の、「蓋掛け後の建った住宅の事情」で消滅してしまっている箇所があるものとてもおもしろい!
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暗渠上に売場スペースを拡大している意欲的な小売店。
これを見て松庵川を思い出しました。
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蓋暗渠上に自販機も。
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ちょうどこの時はキバナコスモスの真っ盛り。
これだけ蓋暗渠が長く続くと、いろんな種類の付加価値が加わった蓋暗渠が見られますね。
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横断歩道を挟んで90度曲がるアクロバティックな蓋暗渠。
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けっこうぐにゃぐにゃというか、かくかくというか、方向を変えて保谷のあちこちを潤してきた田柄用水ですが、ここでおおむね南に進路を変えた後は富士街道にぶつかり、富士街道とともに石神井公園駅まで道路と同化してまっすぐ続くことになります。
その続きはwebで、じゃなかった新刊『地形を楽しむ東京「暗渠」散歩』で!

おっとそうだ、富士街道とともにまっすぐ続く田柄用水ですが、
その間の見どころを二つほど。

ひとつは、新青梅街道と交差する「富士町交差点」近辺。
ここで田柄用水は小さく北に「凸」状に進みます。
何かを避けるためだったのでしょうね。
新青梅街道沿いのマンションの裏手に、一瞬だけ
「動く歩道みたいな動かない歩道」
が出現します!
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それと、富士街道をまっすぐ行った練馬区石神井台8丁目にある
「けやき憩いの森」。
今は空堀ですけど、ここでは田柄用水のかつての姿を見ることができます。
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個人的には田柄川はこのあと・富士街道を外れてから
もっともっと面白くなるなあと思っています。
特に田柄4丁目あたりで北からくる支流とかもう最高…。
というわけで、もう一度言っちゃいますが
その続きは新刊『地形を楽しむ東京「暗渠」散歩』で!

どうぞよろしくお願いいたします。

より大きな地図で 田柄川 を表示

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暗渠ハンター 「失われた川の魂」としての暗渠

先日、田原光泰さん著の『「春の小川」はなぜ消えたか 渋谷川にみる都市河川の歴史』(之潮)
を読みました。
これは面白かった。

著者の方は白根記念渋谷区郷土博物館の学芸員さん。
さすが、深い見識と郷土愛にも満ちてます。

特に前半の、渋谷川上流の状況を江戸以降の
都市開発の歴史と重ねて説明してる章が読み応えがありました。
田原さんは、
川や水路が余儀なく変化させられるその要因を
農地から宅地への用途変更に伴う
・周辺の道路整備
・排水路整備
という観点から説明されています。

暗渠を歩いていてよく、
湧水ポイント(川の水源)よりさらに上に
(人工の用水や上水と接続するわけでもないのに)
水路跡が見られるところがありますが
これは公共下水道が未整備だったころの、
宅地開発に伴う排水路整備の仕業だったりするのよ、とか
なるほどーと思いました。

それと、明治以降の都市づくりでけっこう水路は付け替えられていて、
必ずしも昔の自然河川の跡がそのまま暗渠になっているわけではない、
ということを改めて認識させられました。

いや、うすうすわかってはいたのですが、
「暗渠ハンター(中級)」を自ら名乗る私としては、
ときどき水路を辿りながら
①「(暗渠になってなくても)水路跡を追うこと」
に萌えなのか、
②「(水路跡には関係なく)とにかく暗渠を追うこと」
に萌えなのか、よくわからなくなることが多いのです。
いや、基本的にはどっちも萌えなので、
あえて明解に区分する必要もなかったからそのままにして
放っておいたのですがw
しかしせっかくだから一旦自分の中で整理してみました。

「暗渠ハンター」という肩書きwからすると
②が主ミッションのようですが、
仮に①のような状況であっても(つまり地下に実際の暗渠がなかったとしても)
そこには「土地の履歴としての川」があるはずだし、
それは「形而上の暗渠」なのだと思うんです。
違う言葉でいえば、川跡にいつまでも残っている川の魂、みたいな。

がらんとした真っ暗な地下の管をごうごうと、
あるいは静かに流れていく暗渠にもなぜか惹かれますし、
実際にそんな管なんかなくても、
どの川跡にもたぶん「流れの記憶」(=形而上の暗渠)
のようなものがあると思うんです。それにも強く惹かれます。

だから「暗渠ハンター」は①だって追うのだ。
っていうか①のほうがより基本的なミッションなんだろうな。

その他にも興味深いこと満載の、とてもいい本でした。

Book 春の小川はなぜ消えたか 渋谷川にみる都市河川の歴史 (フィールド・スタディ文庫6)

著者:田原光泰
販売元:之潮
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赤瀬川原平さんの「千利休~無言の前衛」

茶道、というものを誤解していました。この本を読むまでは。
【読む前の茶道観】
・形式ばってる。いちいちしぐさをがんじがらめに決めてそれをまねして・・・形式を追求して何になるのか?
・そんな形式を作った利休という人は、なんか堅苦しい人なのではないか?
【読んでからの茶道観】
・茶道で一番大切なのは「もてなしの心」というコンセプトである。
極論すれば形式はどうでもいいが、
そのコンセプトに身をもって到達するためのプロセスとしてさまざまの「形式やきまりごと」がある。
・自分の考える「粋」を権力に抗ってでも大切にし、その粋の味わい方の方法論を体系化したのが利休である。

こんなふうに、それまでの私の偏見に満ちた茶道観を一気にぶち壊してくれました。

この本の著者・赤瀬川原平という人は、
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%B5%A4%E7%80%AC%E5%B7%9D%E5%8E%9F%E5%B9%B3
こんな人。
「トマソン」や「路上観察日記」関連のこの人のエッセイが好きなのですが、
その延長線上で何の気なしに買って読んだのがこの本でした。
赤瀬川さん、80年代後半の映画「利休」の脚本を書いています。
(監督:勅使河原宏 衣裳:和田ミエ のこの映画も相当面白かったです!)
その制作過程で赤瀬川さんが得た利休に対する知見を
「利休こそ、古の『前衛芸術家』である」という視点で軽やかに書き綴った名著!
実際利休がどんな人だったかは別にしても
その利休を(あるいは茶道の世界を)捉える赤瀬川さんはほんとに鋭いなあ。

この本のおかげで、
「茶道は日本が誇るべき”思いやりの文化”」であり、
「茶道はありふれた風景から「粋」を見つけ出す装置」なのだなあ、と思った次第です。

ちなみに、この本を読んだ80年代終わり~90年初頭ころは、
よく野郎ども大勢でその辺の海や川でテント張って焚き火して、
という椎名誠さんの「東日本何でもケトばす会」の真似事をして遊んでいました。
この本で茶道に目覚めた私は
そこに緋毛氈(赤いブランケット)と茶道具を持っていって
焚き火宴会の翌朝寝起きに茶を立てて(野点?w)野郎どもに飲ませ、
侘び寂びを強要したりしたものですw。

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