では牡丹やら古石場やらの現地をご紹介してまいります。
のっけから横道にそれますが(結果的にはこれが以降の伏線にもなっちゃうんですが)。
現地には東京メトロ木場駅からアプローチ。
その途中、大横川東支川の川跡(H4・1992年埋立)に架かる、
首都高速9号深川線高架の橋裏が見えたので思わず萌写。
はい、本筋に戻ります。
今回のエリアはこちら。
より大きな地図で 油堀川と八幡堀 を表示
エリアの中心となるのが「古石場川」です。
もちろん人工の堀。
この川の北が牡丹、南が古石場という住所になっています。
古石場川は現在埋め立てられ、
大部分が親水公園となり地元の憩いの場に。
平久(へいきゅう)川に接続する古石場川の東の端っこは、こんな様子です。
琴平橋という橋の上から撮影しました。
奥の土手の向こう・さらに1ブロック先に平久川が開渠で流れています。
この、川の右側はカミソリ堤防みたいに急峻ですが、
その上に手すりがあるように堤防の上に歩道があります。
ここを奥に入っていくと、
親水公園として整備される前の、
おそらくかつての古石場川の堤防と思しきものが
粗っぽい雰囲気で残っています。
この左下のコンクリ構造物。
このあたりから南にくいっと入っていくちいさな支川(支堀?)があったのですが、
その跡のものであろう堤防も、
隣接のマンション敷地沿いに残されていました。
そして対岸には、堤防をケーキみたいにさくっと切り分けて作った
個人宅の入り口。
なんだか堤防がカステラとかスポンジとか
そういう美味そうなものに見えてきます。
私は腹がへっているのかもしれません。
まずはさきほどのマンション脇に入って行った小さな支川を追っておきましょう。
冒頭の地図ではオレンジ色の、
十手の短いほうみたいにくいっと曲がってるやつです。
マンション奥から南に続くのですが、
そこのブロックはすでに暗渠のあの字もない住宅地となっています。
南下した支川はほどなく西に直角に曲がり、
少しだけ古石場川と並行して伸びて終点をむかえます。
こんな感じで。
(東京時層地図「明治のおわり」より転記)
下の写真では、奥から手前に続く道がこの支川です。
時層地図上の青い丸は、ちょうど写真中央右の街路樹のところになりますね。
ここまでは何とも痕跡のないのっぺらぼう暗渠なのですが、
ここから続く反対側では、不自然に広い道が現れます。
それ、回れ、右。
この支川は、程なく古石場図書館の手前で終了。
ちなみにこの古石場図書館近辺にはかつて金比羅神社があったとのこと。
金比羅さんといえば海運の守り神ですよね。それもそのはず、この近辺はかつて漁師町として栄えたところでもありました。
では古石場川の本流に戻りましょう。
琴平橋から、平久川の反対側(西のほう)に向かって撮りました。この川においては上流とか下流とかいう概念は消えますね。
ちなみにこの「琴平」は近くにあった「金比羅」とリンクしてつけられた名前です。
前回の導入編みたいなところでも書きましたが、このあたりは江戸時代に
波除けの土手があったところ。
その土手は越中島から南砂まで続く大規模なものであったそうです。
明治に入ってからこの土手はさらに現在の越中島川まで南下させるのですが、
その時に掘られたのがこの古石場川。
そしてその川も、昭和63(1988)年に埋め立てられました。
しかし防災機能という点では今もその使命をしっかり受け継いでいて、
北側の大横川が非常高水位となるとこの古石場川は貯水池代わりになり、
貯まった水は東側の平久川に汲みだす、
という「大横・古石場・平久」3つの川による水害対策リレーションが整備されています。
※「おはなし江東区 川と橋の話」H4 江東区教育委員会 より
古石場川を進んでいくと、ちょっとだけ変な形のスペースがあります。
なんか両岸が平行でなくてちょっと出っ張ったところ。
ここはかつて、三角形の川の「溜まり」のような場所でした。
(東京時層地図「明治のおわり」より転記)
この公園、さすが古石場だけあって石推しです。
また、親水公園には以前の橋が残され、公園を跨いで架けられています。
これこそがこの公園の見どころでしょう。
これは小津橋。
そう、あの小津安二郎さんの小津です。
おうちがこのあたりにあったばjかりでなく、近辺に映画のロケ地もたくさんありますね。もしかしたらこのあたりは小津ファンの聖地なのかもしれません。
古石場文化センターでも小津映画に絡めたオリジナルの周辺マップが置いてありましたし。
まあそれはさておき、小津ファンも泣いて喜ぶであろう、小津橋の橋裏写真がこちら。
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いい色です。青ともグレーともいえない、特定不可能な微妙な色。
こういう色を出そうと思って作られていない(であろう)ところがなんともたまりません。
ビバ無作為作品。
さて公園の周囲は、よく見るとしっかり護岸です。
ああなんかうれしい!
なんだか水面に浮かんで川を巡っているような気分で悦に入ってるのは
この暖かい陽気につられてこの公園を散歩しているたくさんの人の中でも
私ぐらいかも知れませんが。
すこし進むと、船着場のようなものがみてきました。
そういえば以前会社に、
誰からも「チャック!」とか「チャックさん」と呼ばれるおじさん(純日本人顔)がいました。
なんでそんな欧米風の愛称で呼ばれてるんですかと先輩に聞いたら、
「船着さんって名前なんだよ。だから着=チャックだろ」と教えてくれました。
チャックさん今も元気かなあ…。
マジで船着場、または荷捌所のようなところのようです。
ある時期の地図を見ると、このあたりから南の越中島川に
垂直に延びる短い堀が掘られていた時期がありました。
ちなみにこちらが越中島川。
バリバリ現役の運河ですね。
古石場川に戻って、雀橋です。
はい、そのスズメちゃんの橋裏ですよー!
あ、こういう言い方はよくないな、やめよう。
橋裏のことを書くとついつい感情が先走ってしまいます。
改めまして、雀橋の橋裏です。
これまた澄んだ静かな湖のようなブルー。
構造に整然と並んで見られる幾何学模様が、
なんだかロシア構成主義の絵画を思わせます。
…なんか今日は橋裏特集みたいになってきちゃったな…。
そして次はちどり幼稚園と対岸の公園を結ぶ橋。
公式名は不明。
橋裏はちょっと意外な構造でした。交互ナナメトラス。
色も鮮やかです。適度に。
この橋をくぐると、90度カーブ。
そしてその先には…。牡丹園です!いよいよ牡丹!
牡丹という地名の由来と共になんと359株の牡丹植えてるよと書かれています。へえー。
ま、
当然まだ咲いてませんけどね。
最後に架けられているのが、古石場橋。
なんか本命キタ!的な。
はい、橋裏はこちら。
コンクリートを筋交いに鉄筋が補強しているふうです。
横から見るともっさりしたグレーなのに、裏側は意表を突くさわやかペイルブルー。
去年岩手の岩泉で見てきた地底湖を思い出しました。
そしてこの番屋みたいなところで、向こう側の大横川と接続します。
さて以下はおまけ。
牡丹という地名にみんなが愛着を持ってそれを強調したがるからか、
あるいはその地名に惹かれた私が意識し過ぎているのか、
どちらかわかりませんがなんだか牡丹を歩いてるときは
やたら「牡丹○○○」の町名冠が目につきました。
ふつうの町ってこんなに町名冠の店多かったっけ…。
※記事では部分的に「江東区の川(堀)・道・乗り物の変遷と人々」(H22 江東区教育委員会)も参考にさせていただきました。
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