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暗渠ハンター 「暗渠本」アウトテイクその4 エンガ堀のまわりで

『地形を楽しむ東京「暗渠」散歩』本田創編・著 洋泉社
発売記念プロモーションの第4弾として、担当させていただいた川で字数の都合上書けなかったところを今回も取り上げます。

1 「減」の支流のその先
「エンガ堀」の項目では、「減」の支流の水源地点として
環7「武蔵野病院前」交差点のちょい南、
某焼肉チェーン店(安楽亭です)付近の窪みであろうと書きました。
何度か通ってみて、
まあ地形図で見ても現地で高低差を確認しても、おそらくここよりは遡れないだろうなと思ったからです。
さらに手元の古い地図をいくつか見ても、この窪みまで水流が描かれていたものが一つだけ見つかりました。ここ以上遡れる地図は手元にはありません。

ところが。
ある日環7を走るバスに乗っていて、環7からこんな道が続いているのを見つけてしまいました。
環7の反対側から見たところ。
Img_3081

あやしいですよねえ…。
水源と思しき窪みから、
ちょっとだけ南下したところに南から(つまり江古田駅方面から)入ってくるかんじ。
地形図を確認すると、うっすらとした谷が続いています。
Photo

GoogleEarthさん東京地形地図さん、いつもありがとうございます。

そんな「含み」を込めて、186ページの「②」という写真のキャプションを書きました。

とはいうものの、暗渠なのかどうかはかなり「微妙」です…。
現地のこの奥に入ってみると、いわゆる暗渠路地っぽいのはさっきのブロックだけ。

Img_3084

周辺は昭和な住宅地ですし、この道はその住宅地をまっすぐに進んでいます。
もしかすると住宅地として区割りしたときに作った生活排水路だったのでは?その排水が、、安楽亭周辺の窪みに一旦集まって、ここでいう「減」の支流に合わさっていた、という可能性もあるでしょう。

というわけで、確定するには証拠が乏しかったので本書では「ほったらかし」にいたしましたw

実はこれに似たパターンは「除」の支流(品川電線を掠めて江古田駅の北側まで伸びる支流)の先っちょにもありました。
この支流のさきっちょは江古田駅前の錦華学園の東角で、
錦華学園の南側、自転車置き場の方からくる流れと、
錦華学園の北側、浅間神社裏からくる流れとの二つの水源が合わさって流れていきます。

その後者、浅間神社裏には
湧水による池があって、これが水源となっていたようですが、
実はこの池のさらに上流方向、西側に向かう道は地形図を見ると
やはりうっすら浅い谷が確認できます。
Photo_2

谷の途中には銭湯(浅間湯)もありますし、この谷が排水路となっていたことは確実でしょうね。
しかしこれも、「宅地化に伴って本来水源の上流に伸びていった後付けの排水路」と想定し、今回187ページの地図には記載しませんでした。

2 「乗」の支流に合わさる5つ目の支流?
上で少し触れてしまいましたが、
本書でエンガ堀の水路を記載した地図は、
181ページの「石神井川水系の全体図」と、
187ページの「その中のエンガ堀だけの図」
の2枚があります。
後者の「エンガ堀」単独版は私の手によるものですが、
前者は本書のリーダー本田さんによるもの。

細かく見比べると前者の地図には、
「乗」の支流と本書で呼んだ、
千川通りの練馬区旭丘1-4と豊島区南長崎6-10の間から始まる支流に、
途中西の能満寺方面から合流する短い支流の支流が描かれています。

私は本の見本版が手元に送られてくるまで他のページに載る内容は確認できなかったので、
見本版で初めてこの支流の支流を見てちょっと蒼くなりましたw

ここも、地形的には浅い谷。
Photo_3

一応原稿を書く段階でもここには行ってみたのですが、決定打が得られず
「これは無いな」と思ってスルーしていました。
でも本田さんが書いてるからなあ…w
「いやまてもしかしたら何か見過ごしているかも…」と
先日改めてここに行ってまいりましたーw

本文で「エンガ堀の一大名所」としてイチ推しだったこの副支流
千川上水の分流を受けた練馬区旭丘と豊島区南長崎の境から流れてくる支流が合わさるところに、この支流の支流かも知れない谷も合わさってきます。
その地点からこの谷の上流方向を眺めるとこんな風景。
Img_6791

では遡ってみましょう。
関係ないですが途中能満寺の入り口では紅葉が大変綺麗…。
Img_6793

入り口付近にはいくつかの石仏や石碑が置かれていたので、
何か手がかりになるものはないかと探してはみたものの見当たらず。
さらに先に進みます。
だんだんと、この道よりも左側に続く住宅地のほうが少し低い、
つまり道と谷底が一致していないような気もしてきました。

唯一もしや、と思える物件はこれ。
突然現れる歩道と車道を区分けるガード。
Img_6796

この歩道側に暗渠がある、と思えなくもありません。
その先、東電の変電所を掠め、谷を遡って右折すると旭丘小学校へ。(写真右)
Img_6802

確かにこの辺から谷が始まっているのが体感できます。

しかし、
やっぱり決定的な証拠が掴めず、
果たして流れはあったのかどうか、いまだわからずじまい、
という結論になるのでしたw

【2013.1.6補記】HONDAさんからのオラクルツイート。
Noumannji

ありました、能満寺前の道の南側に沿ってはしご式開渠が写っておりました!!
HONDAさん、教えてくださってどうもありがとうございました!
さすがだなあ…。
エンガ堀の地図は、増刷になったときに追記させていただきます;;;

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暗渠ハンター 「暗渠本」アウトテイクその3!エンガ堀電線工場のなぞ

おかげさまでいよいよ本日発売となりました、
『地形を楽しむ東京「暗渠」散歩』本田創編・著 洋泉社。

告知をリツイートしてくださるお仲間の皆様、
そしていつも当ブログをご覧いただいている皆様に、改めて感謝申し上げます。

発売記念プロモーションの第3弾として、今回も担当させていただいたパートの中で字数の都合上書けなかったところを取り上げます。

↓amazonへはこちら↓

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「エンガ堀」のパートにおいて、
字数の関係上取り上げられなかったトピックのひとつに「電線問題」がありました。

本書で書いた「除」の支流(江古田駅北側から始まって小竹向原駅近くのゴルフ練習場あたりで他の支流と合流するやつ)の合流地点近辺にあったのが、この車止め。
Img_2540

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なんですかこのケバケバしさ…。
こんなんここで初めて見ましたし、他のどこででも出会ったことがありませんでした。

もしかしたら、役所による設置でなく私設の車止め…なのかも。
隣にあるデカイ敷地の横エリアだけこうなってるし、そもそもこの敷地は何…?

そう思ってまわりこんでこの敷地の主を確認すると。
品川電線株式会社
Img_2543

さっきの車止めが昔懐かしの「電線マン」に見えてきました♪
この電線っぽさ(←いつの間にかそう断定してる)は、やっぱり私設なんだと思いますw

…ん?ところで、電線…?。
そういえば、玉川用水が西新宿、文化服装学院のところで代々木川に分水していたところにもかつて電線会社がありました。
その名は、藤倉電線
コーポレートHPによると、もともと掛っていた水車を利用して電線づくりを1888(明治21)年に開始した、とあります。

しかし水車を使っての脱穀とかそういう農業系の業務はわかります。
農業でなくても、同じく玉川上水の余水吐のあたりの鉛筆工場とか、戦時中各所にあった火薬工場とか、えーとその「すり潰す&練る練る」系もなんとかわかる。(←ほんとにわかってるのか?)
でも電線ですからねえ…。
どうやったら水車と電線とが繋がるんだろう?とはかねてから思っていた疑問。

とググってみたら、「水車と電線」問題はあのTV番組でも取り上げられていました。
京都の津田電線という会社の社長さんが、「がっちりマンデー」に出演されていたんですね。日曜の朝もはよから「電線を延ばすとは」といったマニアックなお話を展開されています。

水車で産業!といえば「挽く・捏ねる」しか想像できませんでしたが、
水車で出る「熱」を使うんですね電線は!

代々木川の藤倉電線が水車のあった場所で事業を始めたわけはわかりましたが、
こちらの品川電線はどうなんでしょう?
いつごろからこの場所で工場を操業していたかはわかりませんが、
少なくとも「創業」は1937(昭和12)年とのことなので藤倉電線とはずいぶん時代が違っています。

果たして、藤倉電線同様この品川電線も、
「水車を使って(つまり川の流れを使って)電線を作っていた」会社なのでしょうか!?
以下、これについて考察(妄想)を進めてみましょう。

まず実際に水車がここにあったのかどうか?
東京時層地図を見てみると、昭和戦前期(昭和3~11年)の付近地図には品川電線のことも、水車のこともなんの記載もなく(そりゃそうです創業前ですから)、
Img_0077

戦後の高度成長期の地図にいきなり「品川電線工場」と現れます。
Img_0076

うーん、これでは
「品川電線はエンガ堀に架かる水車を利用してこの地で創業された」
かどうかはわかりませんね…。
地図に記号として描かれていないだけで、水車は存在したのかも知れません。

いっぽう、「近代日本の伸銅業: 水車から生まれた金属加工」(産業新聞社)
という本をざっと斜め読みすると、こんなことが書いてありました。
●明治時代から水車による伸銅産業は盛んに行われ、第一次大戦後電線の需要が飛躍的に伸びた。
●伸銅産業で水車を動力とする方式は明治後期、大正期がピークであった。
●大正から昭和にかけて、(地域的に例外はあれど)動力源は水車から電気へと変わっていった。

つまり、品川電線がこの地で創業した時期は、
すでに「水車動力から電気動力へ」と世の中(というか伸銅業界)が大きくシフトチェンジされた時期。
ですので、品川電線創業時にはおそらく動力は水車でなく電気であったと考える方がよさそうです。

これらのことから、品川電線の創業にあたっては
以下の二通りの仮説を立てることができます。

仮説1 
古い地図に水車の記述もないんだし、水車とは関係なく品川電線はたまたまこの地で創業した。

仮説2 
もともと小規模な・またはプライベートな、地図にも載らない水車がこの地にあった。そこで細々と水車を使って伸銅していたが、経営拡大のために昭和12年に思い切って品川電線を創業し、それを機に動力も電化された。

どうも真実をこれ以上追求するには、品川電線さんに取材するしかなさそうです。
もしこの真相究明が原稿執筆段階で解っていたなら
どこかで触れようと思っていたのですがそれも能わず…。
ばっさりカットとなったわけですw

まあ私的には、仮説2が当たってくれてると嬉しいのですが(笑)…。
なにかわかったら、また当ブログにてレポートいたします!

以上、エンガ堀の「電線問題」のお話でした。

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暗渠ハンター 「暗渠本」アウトテイクその2!田柄川下流の3支流

『地形を楽しむ東京「暗渠」散歩』本田創編・著 洋泉社 11/26発売!

発売記念プロモーションの第二弾として、担当させていただいた「田柄川・田柄用水」で字数の都合上書けなかったところを今回も取り上げてみます!

前回書いた通り、本書記事は
田柄川の上流のほうはざくっとカットして練馬区田柄近辺を中心に構成しましたが、
その下流にもいくつかの支流があります。
本書で取り上げた練馬区田柄近辺の支流は、刻まれた谷からググッと本流に注ぐストロングタイプの支流なのですが、
今回取り上げるアウトテイク支流はどちらかというと宅地開発に伴って水路が整備されたような見え方の、ちょっと線の細い支流たち。
もちろん谷を伝って流れてきますが、痕跡も少なく地味…。
ですが、そのぶん探す・推理する楽しみのある支流たちではないかと思います。
ではまず地形図からご覧ください。
いつもながらGoogleEarthさん・東京地形地図さん、どうもありがとうございます。

3

支流に番号を振りました。
 は平和台駅の北、北町都営住宅を流れる「北町都営住宅支流(仮)」。
 は、練馬区平和台のまんなかを流れていくから「平和台支流(仮)」。
 はこれまた練馬区氷川台を突っ切っていくから「氷川台支流(仮)」
とここでは呼ばせていただきます。

1 北町都営住宅支流(仮)

実は今回割愛しますが、このすぐ上流に注ぐ短い支流があるんですが、将来的にそちらを「北町支流」と呼びたいので、そちらと区別できるようにちょっと長いけどここを「北町都営住宅支流」と呼ぶことにしました。

地下鉄有楽町線平和台駅の上、環八の「平和台駅前」交差点から北西にほんのわずか歩いたところからこの川の痕跡は現れます。
駐輪場の合間に残る「無用の用地」。奥に向かって流れていきます。
Img_5872

地形図を見るとこの撮影位置の背後にも浅い谷が続いているようですが、どうもここより上流にはそれっぽい痕跡が見つけられませんでした。

さてこの無用の用地のその先は。
もはや暗渠サイン(暗渠アプリケーション)としての地位を確立しつつある、この仮称の元にもなっている都営住宅の中を、数本の流れになって通っていたのではないかと思うのです。
Img_5875

そして都営住宅を越える頃にはその隣の道に移動。
Img_5876

さらに北町6-25あたりからもう一本横の道にスライドして、
Img_5882

「北町西小学校東」、という倒錯した名前の交差点の向こうで
陸上自衛隊練馬駐屯地の西側に沿って田柄川緑道まで続いていきます。
この駐屯地沿いのどこかで啓志線(グラントハイツまで続いていた廃線)と交わっていたはずなんですが、痕跡は見つからず。

2 平和台支流(仮)
次の支流は、上流が二股に分かれており、
どちらも地下鉄有楽町線の上を通る幹線道路からはっきりした痕跡を辿ることができます。

ひとつは、開進第一小のすぐ北、平和台3-30あたりのここ。
Img_0503

そしてもうひとつは平和台の駅入り口真ん前、
平和台4-25にあるここ。(暗渠上から平和台駅入り口をみたところ)
Img_0525

これら二本は平和台4-4あたりで合流して北進していきます。
Img_5899

ここいらへんは大変暗渠色が薄いところで、ちょっと辿るのに苦労します。

が、突然物陰に私を誘ってはこんな暗渠路地姿をこっそり見せてくれるところがたまりません!
いわばツンデレ支流ですな。

Img_5905

Img_5907

逆さに「水路敷」の文字が見えます。
ちなみに奥のエンジの建物の隣にはクリーニング屋さんがありました。

平和台2-36で、西の都営住宅を抜けてくる流れと合わさって、
その後環八と川越街道を横切り、
自衛隊駐屯地の今後は東端を掠めて
田柄川緑道へと合流していきます。
Img_5934

3 氷川台支流(仮)

こちらは、合流点から上流を遡ってみましょう。
仲町小学校をの中を通って合流するもの、
そして仲町小のちょっと北へ分岐して合流するものと二本あったようです。
二つの合流点は車止めがあるので比較的わかりやすいですが、
Img_5942

その先はほぼ痕跡がありません。
そこでgooの古地図(昭和38年)を引用。
Goo

まん中の赤いポインタ上が仲町小です。
ポインタの左にはしご式開渠が確認できます。
そしてポインタ右下に続いていますね…。
この先(下)が上流となっています。

確かに現地でもここが谷底。
ですがこの谷も氷川台2-11で白く大きな壁を持つ敷地にぶち当たってしまい
先を追うことができません。
Img_5962

この白い壁の敷地は東京少年鑑別所、いわゆる「練カン」。
ここを通過して、流れは氷川台4丁目に入っていきます。
鑑別所内には入れないので何とも言えませんが、
この中に谷頭があるのではないかと思います。
その先上流では古くから非常に区画が整備された住宅街で、
おそらくその排水路確保のために上流へと人工的に延びてきたのではないかと思うのであります。

先ほどの平和台もこの氷川台も、
昭和初期から住宅街として区画整理が行われてきた「台」地ですし。
(記事末の地図でも、道が「平和台1丁目交差点」と「氷川台駐在所前」交差点の二つを中心とした幾何学模様になっているのがわかるかと思います)

さてこの支流はその幾何学模様にそって回り込み、
氷川台4丁目の住宅区画を何本かに分かれて駆け上がっていきます。
一番太い支流道はここですが、
Img_5976

その北側の支流のほうが面白い!
細い道に無数のマンホールが続いています。
Img_5980

Img_0501

これら支流の上流端は、
地下鉄有楽町線の上を通る道に辿りつくまえに
痕跡を絶ってしまいます。
そのミッシングポイントは、
古くからの区画整理エリア(goo古地図)の端っこと重なります。

さて、以上3本の「線の細い」アウトテイク支流をご紹介しました。
では、田柄川のハイライト部分は『地形を楽しむ東京「暗渠」散歩』でどうぞ!

より大きな地図で 練馬暗渠巡りの旅 を表示


■それと、ここで『地形を楽しむ 東京「暗渠」散歩』の執筆陣をご紹介します。

■まず、「編・著」である主宰の本田さん。小学校のころから東京の暗渠を巡るひと。先日、中二のときの夏休みの自由研究で書いたという「神田川」というレポートを読ませていただいたんですが、その出来の素晴らしさに頭がクラクラしました…。
東京の水 2009 fragments 
そして本田さんの次に執筆ボリュームが多いのは、「世田谷の川探検隊」として世田谷区内をはじめ都内各所の暗渠アルキをずっとされてきた、「庵魚堂」さんこと福田さん。独特の視点と語り口が印象的で、たくさんの示唆に富むブログを書かれています。
世田谷の川探検隊 
次は、ニフティ「デイリーポータルZ」でおなじみのライター、三土さん。地図好きな方ですが、その他多方面で面白い記事を書かれています。この方の好奇心の幅広さに、好奇心をおぼえますw
デイリーポータルZ 
三土フォリオ
 
さらに、軍艦島伝道師として、そして廃墟マニアとして名高い黒沢さん。本業は音楽や映像やwebや…いろんなメディアを使って様々なコンテンツを世に送り出す「オープロジェクト」を主宰されています。
廃墟徒然草
 
それから、暗渠を歩きながらくいもののことも考える、「桃園川マスター」のnamaさん。暗渠だけでなく、消えゆくものなどを取り上げ深い考察で綴るブログは独特の味わいがあります。偶然namaさんとはちょうど同じ時期に暗渠の魅力に取りつかれたので、互いに「同期」と呼んでいますw
暗渠さんぽ
 
そして不肖・私の計6名で書かせていただいております!
あ、私が一番書いた分量が少ないですw

全編「暗渠」を軸に書いてますが、散歩好きの方、地形図好きの方、東京の風土記的なものに興味がある方、歴史好きな方などなど各方面のみなさまにきっと満足していただける内容かと思います。

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暗渠ハンター 「暗渠本」アウトテイク!田柄川の水源

そろそろ『地形を楽しむ東京「暗渠」散歩本田創編・著 洋泉社(ブログの左枠中程をご参照ください)の発売も近くなってまいりましたので、
プロモーションというわけではないですが(いや正直言うとそうなんですが)、ちょっとそれ絡みのお話を。
この本の中で、私は「エンガ堀」と「田柄川」のページを担当させていただきました。
まあ本編は本で読んでいただくとして、何回かに分けてそれらの「アウトテイク版」を書いていくことにします。

田柄川は、田柄用水として田無に端を発し、(←”田”で頭韻を踏んでいるみたいですな)
富士街道をずずっと下ってきて
西武池袋線・石神井公園駅あたりから北上し、
三原台・土支田あたりの谷をうねうねと通って、
光が丘近辺に来るころには本来の自然河川とくっつけられてて、
さらに光が丘を越えて田柄を通るころには
田柄川・田柄用水と二本に分かれて一帯を潤していた、
という、自然河川と人工用水でパッチワークみたいに構成された川です。
ANGLEで田柄川・田柄用水の全貌とを表すとこうなります。フクザツ。

 ※因みに今回は、流れを表す縦のバーの色を、人工用水は赤、自然河川は青としました。
ただし上下で真ん中辺の笹目通りあたりは、土支田付近の湧水を合わせていたり用水開削以前は雨の降ったときだけ流れる枯れ川だったという説もあるので赤でも青でもなく赤青マダラ、が正確なのかも知れません。

 ※現れる暗渠アプリケーション(暗渠サイン)はオレンジの丸で示しました。

Angle

『地形を楽しむ東京「暗渠」散歩』では田柄辺り土支田あたりからを環八を越えるあたり、つまり縦軸の下半分を中心にご紹介しているので、
田無の水源付近から上半分はズバッとカットしています。
ここではカットした上半分を今回取り上げてみましょう。
また、原稿では田柄周辺で北からやってくる二本の支流のことも取り上げましたが、その下流で合流する南からの数本の支流については触れませんでした。それも、回を変えてご紹介していきます。

田柄用水は、玉川上水から分水された田無用水のさらに分水。
その分水地点は田無駅のそばにあります。

奥に続いているレンガ敷きのところが田無用水。
そこの真ん中に車止め的な丸太的なものが建っていて、ここが田柄用水の起点となっています。
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レンガ敷きから、蓋暗渠に。
Img_4820

なんとも素敵なはじまりです。ここからしばらく蓋暗渠が続くので、
蓋暗渠ファンには断然お勧めしたいコースです。
途中新青梅街道、所沢街道などでかい道が複雑に交錯するところでは一瞬川筋がわからなくなりますが、北原町に入ってしまえばまた蓋暗渠が出現するので、ここまでくればもう迷うことはないでしょう。

蓋暗渠上の「止まれ」。
車止めはポールや柵みたいに具体的だけど、人止めは抽象的です。
Img_4829

さすが用水、畑に囲まれた開放的な場所を涼しい顔で進んでいきます。カーブなんかでたまに工法切り替わっているところも面白い。
…きっと杉並区だったたここも同じ蓋素材を使って美しく仕上げるんだろうなあ…。
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しかしここはここで、周りが開放的な分なんだか「パースペクティブ」とか「見晴らし」といったような普段暗渠に居る時は考えないような言葉が、
自然に頭に浮かんできてしまいます。
みてくださいこの奥行きとヌケを!
Img_4834

お、縁石付のバージョンも出現です。
Img_4839

保谷町5丁目入ってから蓋暗渠はこのように何度か変態するのですが、
その後はもっと面白いことになります。

こんなふうに、蓋暗渠のまま車道より「一段」高くなるんですねえ。
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なんだか車道の脇に設置された「動く歩道」みたいに!
なんと未来的!! …動かないけど。
この「動く歩道みたいな動かない歩道」が、結構長い区間続きます。
途中の、「蓋掛け後の建った住宅の事情」で消滅してしまっている箇所があるものとてもおもしろい!
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暗渠上に売場スペースを拡大している意欲的な小売店。
これを見て松庵川を思い出しました。
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蓋暗渠上に自販機も。
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ちょうどこの時はキバナコスモスの真っ盛り。
これだけ蓋暗渠が長く続くと、いろんな種類の付加価値が加わった蓋暗渠が見られますね。
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横断歩道を挟んで90度曲がるアクロバティックな蓋暗渠。
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けっこうぐにゃぐにゃというか、かくかくというか、方向を変えて保谷のあちこちを潤してきた田柄用水ですが、ここでおおむね南に進路を変えた後は富士街道にぶつかり、富士街道とともに石神井公園駅まで道路と同化してまっすぐ続くことになります。
その続きはwebで、じゃなかった新刊『地形を楽しむ東京「暗渠」散歩』で!

おっとそうだ、富士街道とともにまっすぐ続く田柄用水ですが、
その間の見どころを二つほど。

ひとつは、新青梅街道と交差する「富士町交差点」近辺。
ここで田柄用水は小さく北に「凸」状に進みます。
何かを避けるためだったのでしょうね。
新青梅街道沿いのマンションの裏手に、一瞬だけ
「動く歩道みたいな動かない歩道」
が出現します!
Img_4900

それと、富士街道をまっすぐ行った練馬区石神井台8丁目にある
「けやき憩いの森」。
今は空堀ですけど、ここでは田柄用水のかつての姿を見ることができます。
Img_4916

Img_4910

個人的には田柄川はこのあと・富士街道を外れてから
もっともっと面白くなるなあと思っています。
特に田柄4丁目あたりで北からくる支流とかもう最高…。
というわけで、もう一度言っちゃいますが
その続きは新刊『地形を楽しむ東京「暗渠」散歩』で!

どうぞよろしくお願いいたします。

より大きな地図で 田柄川 を表示

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徒に、「ネットワーク」という切り口で自分の萌え要素をみてみた

最近はフィールドワークばっかりだったので、たまにはリクツっぽいこともおもいつくまま書いてみたりしてみます。
今日は画像ナシで文字ばかりっすw

1 復習:このブログの主旨
この「東京Peeling!」なるブログの主旨は、シンプルに言うと
●ふつうに生活している東京という街も、実はいろんなレイヤーが掛かっている。
(よく見える例→幹線道路や鉄道網などのレイヤー、よく見えない例→昔の川跡や昔の町並みなどのレイヤー)
●その「よく見えないレイヤー」をぴりぴりとピーリングしてみよう!
●そしたら、思いもかけないレイヤーがあったりして、いろんな「東京」が見えてきてすっごくおもしろい!!

ということで続けております。
もちろん今後もこういう主旨で続けていくわけですが、
たまに初対面の方に聞かれるとすごく回りくどい説明しかできないのです;;;

「どんなブログ?」 えっと、暗渠とか中心にして、みなれた東京を一皮むくっつう・・・
「なんで暗渠なんですか?」 うーんと、なんか人間のもつ両義的な心の片方のメタファーっつか、誰も心の中に暗渠をもっているんだなあって・・・

ダメだこんな説明では・・・w
ってことで、まあたまにぼんやり「自分のやってることってなんなんだろう」って考えることがあります。いや、ほんとにぼんやりと。

で、このまえ通勤途中の地下鉄でふと考えたのが、以下の「かくれネットワーク」というキーワード。
つぎのパラグラフではそのことを。

2 最近かんがえたこと:自分の「萌え要素」を「かくれネットワーク」で捉えなおしてみる   (ここから脳内BGMは「ニューロニアン・ネットワーク」by H.Hosonoで執筆w)

もちろん幹線道路も地下鉄なんかもネットワーク、といえますよね。
もともと私は地図が大好きなので、これらネットワークを知る・把握するのが大好きでした。これは誰もがよく見えるネットワーク。

で、このネットワークというキーワードを使って
「東京Peeling!」で扱っているものたちを捉えなおしてみたら
どんなことがいえるかな・・・
と自分のアタマの中を整理してみます。

川も川跡も上水や用水路もネットワークです。
暗渠を辿ったり、その起点である湧水をみて歩くのもすごくたのしいです。
だんだん使われなくなって旅客路線として使われるようになった貨物専用線の存在を知ったときには、すごくわくわくしました。
このネットワークは、よく目を凝らしたりフィールドワークしてみないと見えてこない、「かくれネットワーク」。
銭湯やクリーニング屋さんやバスの操車場などがこのかくれネットワーク上に並んでいる様が見えてきたときには、そうれはもう興奮したものです。(今でも興奮しますがw)
また貨物線は引込み線を通して工業地帯を結んでいます。
この貨物線のさきっちょにある工場も、
実はこのかくれネットワークでつながっていました。
私は橋の裏側も好きなのですが、
橋というまさに分断された岸同士をネットワークする重要な存在でありながら、
実はその裏側にはそれぞれの個性溢れる顔がある、という点がお気に入りのポイントなのかも知れません。
まあ強引ですが、これも「ネットワークのその裏側」ってことでかくれネットワークの範疇に混ぜちゃえw

また、ネットワークでつながっているのにそのネットワークという線がいつの間にか消え去り、点としてだけ残されている、
つまり「かつてあったネットワークを偲ばせる証拠」のようなものにも心惹かれます。
それがセピアがかったその存在を熱く主張する大衆食堂や大衆酒場であり、
昭和期の団地であり、
廃線や一部の廃墟であったりするのかも知れません。
なくなったネットワークの痕跡といういか。

そうか、自分の抱いている興味範囲やここでしている「ピーリング」とは、
東京を包むかくれたネットワークの平面を一枚一枚はがして
その存在や残滓を味わうことだったんだな、と改めて思った次第です。
そしてそのピーリングに適する手段が、
きままにする散歩だったり
自転車にのってほっつきあるくことだったりするのでしょう。

・・・これでもまだ「上手にひとに説明」できないなあ・・・
むしろさらにややこしくなったかw

まあ、そんな気持ちでこれからもがしがしピーリングしてまいります。
どうぞ今後ともよろしくお願いいたします、
と別に何かの節目でもないのに思ってみたりしましたw

3 おまけ:職業的な興味と「かくれネットワーク」
さてここからは、ちょっと普段拙ブログを読んでいただいている方々にはあまり馴染みのないこと(つまりさらに独りよがり=読み手のみなさんのニーズを無視してしまう身勝手な内容)になってしまうかも知れませんが。
自分の備忘録的に書かせていただくことをお許しください。
なのでもちろん、以下は読み飛ばしていただいても構いませんw

私は社会人になって以来ずっとコミュニケーションビジネスに携わってきました。
人にものをよりよく伝えるというミッションの仕事です。
数年前までは、「マスメディア」という確固たるネットワークが存在・君臨していたので、
あまりネットワークそのものを考える機会もありませんでした。
ところが
このところマスメディアというネットワークが「万全ではない」といわれてきています。
事実、マスメディア以外の情報ネットワークで伝わる情報の量・質は
数年前と比べ物にならないくらい膨大になってきていますし、
その反面マスメディアに出す広告の量や出来高(広告売上)もどんどん減ってきています。
つまり、これまで私たちのビジネスは
「すでに存在しているネットワークインフラを使って、どんな情報を流通させればいいかだけを考える」
ということでやってきましたが、
今は
「どんな情報を流せばいいかを考えるのはもちろんだが、
それを<どんなネットワークを使って流すか>にもっと頭を使う」
もしくは
「流すネットワーク自体を考える、新たに作り上げる」
のが重要な仕事になってきているということです。
おっと、新たに作り上げるというのはちょっと傲慢な言い方でした・・・。
私たちがネットワークを新たに作るなんておこがましいのです。
昨今の情報インフラの発達やライフスタイルの変化によって
もういろんなところに、たくさんの「かくれネットワーク」ができています、
それを探して・見つけだして利用させていただく、
というほうが正しい。

このようことは、
これまでのコミュニケーションビジネスの経験があればあるほど難しいことです。

こんな状態を、コミュニケーションビジネスの行き詰まり、と考える人もいれば、
新しいコミュニケーションビジネスの始まりと考える人もいます。
私はもちろん後者ですし、
それにひとかたならぬやりがいと可能性を感じています。
(つまり、今後の私自身の職業的に宿命的なキーワードも「かくれネットワーク」である、ということです)

   (ここから脳内BGMは「くちびるネットワーク」by R.Sakamoto に変わるw)

普段趣味にしている暗渠や橋裏や工場などのことを
「かくれネットワーク」として捉えなおしてみたら、
たんなる自分の興味で衝動的にはじめたブログが、
今残っているまたは生れつつある・消えつつある「かくれネットワーク」を意識する、
という職業上のある種の訓練になっているのかなあ、
なんて前向きに思ってみたり・・・。

さて、このブログが私の職業に生かされる日が来るのか?(<こないと思うw)
まあハナからそんなことは考えてもいませんがw

明日はふつうに暗渠ハンター。ご紹介するのは天王洲と高浜橋です!

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暗渠と「コンシューマ・インサイト」

インサイトというコトバもずいぶん昔に比べると一般的になってきましたね。マーケティングや広告・コミュニケーション業界以外で使われることも多くなってきたのでご存知の方も多いかも。

市場の成熟化・メディアの多様化などから「大衆から分衆へ」とか「個のマーケティング」なんてここ15年くらい言われているわけですが、もはや定量的・表面的に生活者を捉えていてはお客様をわくわくさせることができんぞ!っつことで、広告業界の人たちは今躍起になって「コンシューマ・インサイト」なるものを探して・それを真ん中において商品開発やコミュニケーション構造を作り挙げようとしているのです。
ここでいう「コンシューマ・インサイト」とは、自分でもよくわかっていない(普段しっかり自覚していない)深層の「心のスイッチ」みたいなものです。
たとえば、「アジエンス」や「TSUBAKI」とかのシャンプーがヒットしましたが、あれは長らく金髪・欧米女性を美の権化みたいにしてきたけど、やっと「実は日本女性も美しい」「自分らしい美しさをそれぞれが持っている」という思いが現代女性の心の奥の奥になんとなーく芽生えてきたのを鋭いアンテナで捉えて(インサイトして)、商品化しキャンペーンを張った、みたいな。その結果ご存知のとおりバカ売れです。

前置きが長くなりましたが、私にとって「暗渠をさがす・辿る」のと「コンシューマ・インサイト」(以下「インサイト」)を探るのはちょっと似ているのかな、と思っているのです。

まずわかり易い暗渠とインサイトの共通点は、それが「ふだん覆われていて、見えない」ものだということ。だからすごく探したり追跡するのが難しいし、見つけるとすごくうれしくなります。
そして、暗渠は地形図や地図、各種資料と現地の地形を読んで仮説を立てて辿っていきますが、インサイトはいろんなツールを使って感情の起伏を捉え、仮説を重ね時には行動の追跡などまでして掘り当てていきます。
また、暗渠や川筋を特定できるとすごくすっきりします。いつもの見慣れた街が一皮剥けて(ピーリングされて)、新しい街の風景が立ち現れます。街は新しいレイヤーを纏って、もう一度周辺の構造(銭湯・バス操車場・団地・学校等々)が全体性を以って再構築されるからです。
インサイトも見つけるとすごくすっきりします。知らなかった心のスイッチ、知らなかった自分・知らなかった嗜好が見えてくるからです。そしてそれにアプローチするための、あるべき新しいコミュニケーション構造がすっと見えてきます。

私の暗渠に対する興味は、この「暗渠とインサイト」の類似性が発端となったわけでは全然ないのですが、暗渠を追いかけているうちになんとなく似てるな・・・なんて思い始めました。

・・・ってこじつけすぎでしょうかねw。 ワーカホリックなもんでww

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菊正宗の350周年コミュニケーション

今日はPeelingとはちょっと関係ないけど、コミュニケーション・広告絡みのお話。

「菊正宗」ってお酒はみなさんご存知かと思いますが、なんと今年で創業350周年を迎えます。350年ですよ!江戸時代・徳川4代将軍の時代に灘で酒造りを始めたとのこと。すごい!

「甘口の酒が多いとお嘆きの貴兄に」というCMの台詞のとおり辛口にこだわり、350周年を期して「真・辛口宣言」を打ち出しています。肴の味を生かすお酒の味らしいです。(これ、いいポジショニングだと思います。個人的にはいわゆる高級日本酒って主張が強すぎてあんまり楽しめません・・・。家では私もいつもキクマサ♪)

さて、9月10日は日比谷パテオにて350周年の記念事業発表会がありまして、私も行って参りました。

Imgp2439

目玉は2つ。一つは、この日比谷パテオにて今後1ヵ月にわたりこんなイベントをやります。 「街蔵」。写真のバックに写ってる建物ですね。

夕方からですが、試飲(有料、だけど格安!)もできます。もともと菊正宗は灘に菊正宗記念館というミュージアムを持っているそうですが、その「東京出張版」が期間限定でできるような感じ。これも見ごたえありそうですね。

もうひとつは、これまでずっと流してきたCMソングを、これから1年間だけはあのジェロがカバーするとのことで、この日ジェロさんも登場、生でCMソングを披露してくれました。

歌うまっ!超うまっ!!! って当然かw。

Imgp2436

このCMソングはずっと西田佐知子さんという方(関口宏さんの奥さんなんですと)が歌ってきたもので、きっと誰もが知ってるメロディ。中村八大さんと永六輔さんの往年のゴールデンコンビによる作だそうです。今月発売されるジェロさんのニューアルバム「カバーズ2」にも収録されたり、西田さんバージョンとジェロさんバージョンのスペシャルシングルCDを菊正宗のキャンペーンでプレゼントしたり。プロモーションの伏線をいくつか用意しているようです。

さっそく発表会翌日の今日、結構マスコミ記事にも取り上げてもらっていますね。

ここで菊正宗がやろうとしている「クロスメディア」構造は、「真・辛口宣言」というコンセプトもと、従来のマス広告に加えて、web、PRイベント、プロモーションを組み合わせたコミュニケーション展開。これの核としてCMソングとこの「街蔵」というコンテンツ(であり装置)を配置しています。

ところで広告業界では「メディアミックス」から「クロスメディア」へ、と盛んに言われていますが、この「クロスメディア」という定義も未だ曖昧。私自身は、「クロスメディア」とは「生活者自身が進んで人に宣伝してくれるような仕掛け」だと考えていますが・・・。

さてこのコミュニケーションはどうなるかな・・・。

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オニタビラコの綿毛とクロスメディア

Imgp0547 先日通勤途中の道端に咲いていました。調べてみましたが、たぶんこれは「オニタビラコ(鬼田平子)」。花は5ミリくらいの小振りで、咲き終わるとタンポポみたいに綿毛になります。この綿毛が種を運んで繁殖していくわけですよね、当然。はっぱの形もタンポポによく似ています。

さて唐突に話は変って、広告業界ではいろいろな定義のある「クロスメディア」ですが。定義はこの際どうでもいいですが(ほんとはよくないですがw)、クロスメディアという方法を使って目指すゴールって、結局「お客様や生活者自身に宣伝してもらうこと」なのではないかな、と最近よく考えます。もちろんこういう状態になるためには生活者自身が宣伝活動をするためのメディア(=PCやモバイル)がやっぱり絡まざるを得ないことが多いと思うし。
そう考えると、僕らが設計していくべき今後のコミュニケーションの枠組みというのは、「どうやって『綿毛』みたいなのを作っていくか」「それで、どうやって『綿毛』を思ったところに飛ばすか」という比喩ができるのかなあ、なんて。
綿毛が無事恵まれた土地(生活者)に着地すれば、どんどん増殖していく、と。

オニタビラコは春から結構長く咲くそうなので、たまには項垂れつつ歩いて見つけてみてください。

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「借景」とコミュニケーション戦略

勤め先には社内用のブログってのがありまして。社内では「広報委員会」ってのも組織してるので、率先して私も連載書き込みしてるんですが、その連載のテーマは「毎週、花屋さんから役員受付のカウンターに届けられる花を撮影して、それにまつわるコミュニケーション関係のネタをだらだらと書き連ねる」というものなのです。結構週イチって大変だけど、筆の訓練みたいにして書き続けています。

今日書いたものは、こんな感じ↓。たまには転載しちまおう。
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今週の役員受付はバラやらアンスリウムやらムギやらが飾られていますが、なんだか結構季節感に欠けるので、今日は道端で撮った梅の写真を。旬ですし。
Nec_0061
大きな公園ばかりでなく、この時期は住宅街をちょっと散歩するだけでもあちこちで梅の花が楽しめます。梅以外にはミモザや沈丁花なんかが綺麗な時期ですね。

こんなふうに散歩途中に見事な花があればよく写真に撮ってしまうんですが、個人的にはこのような 散歩&他人の家の植物の撮影 を「借景ハンティング」(略してシャケハン)と呼んで正当化しています。春からはいよいよシャケハンの本格シーズンです。梅・ミモザのあとは桜、花水木、百日紅、金木犀、モミジなどというラインナップで初冬まで楽しめます♪
それにしても「借景」とは便利なコトバですね。全然自慢できることじゃないんだけどなんかそれでも「本人的には工夫してる」みたいな感じで。本来は「背景の山や川、森などを上手く要素として取り込んで庭の景観を作る」という立派な造園用語ですが。たぶん。


「借景」といえば、無理やりですが我々が日頃コミュニケーションプランを練るときも大切ですよね。借景する要素は、国民的なイベント催事だったり季節歳時だったり、あるいは特定のニーズだったり空気だったり、他の流行現象だとか噂話やニュースなどなど・・・。

ブレイクするコミュニケーションを構築しようと思うとき、これらの「借景」をたくさん見つけて、丁寧に伏線をはりめぐらすことがとても重要です。この「借景」要素を見つけたり、時には自分たちで仕込んだりすることをこれまで以上に広い概念で捉えることが「戦略的なパブリック・リレーション」なんじゃないかなあ、なんて特に最近考えます。「借景」に目を効かせて、ますますプロフェッショナルなアウトプットを心がけたいものです。

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こんな本書きました。

このブログの存在は殆ど仕事仲間とか知り合いに自分から教えてはいないので、

あまり自分の仕事のことは書かなかったのですが。これだけ載せちゃおうかな、と。

(書名からは検索掛からないように、慎重にw)

514k2buh8y4lこんな本を書きました(共著)。

広告のことに興味のある方、これから広告業界を目指すかたにはお役に立てるかと。

よろしかったら、どうぞ。結構楽しい本になっていると自負しております。

なお、すでに広告業界にいらっしゃる方には、こんな辞典風の本もご用意しております。

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絵でみる広告ビジネスと業界のしくみ (絵でみるシリーズ) 図解ビジネス実務事典 広告 (図解ビジネス実務事典-読んで使える引いてわかる-)

どうぞよろしくお願い申し上げます。

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