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暗渠ハンター ひるねこBOOKSさんでの「猫と暗渠」抄録3

谷中の「ひるねこBOOKS」さんでの「猫と暗渠」トーク、
ここでの高山ぶんについて、エッセンスをご紹介するシリーズ3回目です。
さて3つの暗渠で猫を探していてなんとなくわかったことがあります。
経験上、「暗渠には猫が多い」のは事実だと思います。確かに多い。
ですが、ひとくちに「暗渠には猫が多い」といっても、やっぱりそれでも
「いることが多い暗渠」と
「さっぱりいない暗渠」があるんだということ。
(あたりまえなんですが、改めてわかりました)
そしてその「いることが多い暗渠」とは、
暗渠のなかでも「よどみの場」であることが多いということ。
3つの暗渠では、たいてい人や車が普通に通る場所には猫はいません。あたりまえだけど。
そういう、とうとうと水が流れそうな場所ではなくて、
傍らの植え込みや公園、横の袋小路の塀の上とかとか、
「流れないところ」「よどむところ」「気の溜まるところ」に、猫がいるんですよね。
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まっすぐ流れるところでなく、ゆっくり渦を巻いて流れる「よどみ」にこそ、猫がいる。
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「よどみ」は、命が生まれる場所です。
我々の命を生んだ銀河系。それは我々が観測できる最も大きな「よどみ」でしょう。
そこに、猫がいる。
大いなる命の根源としての「猫のいる暗渠」。
いっぽう、
昔から猫は、我々の物語に、実に様々な姿で登場してきます。
眠り猫。招き猫。そして化け猫。
我々の暮らす日常に、様々な異形となってよきに悪しきに入り込んでくる。
入り込んで、我々に異界の存在を示唆し続けています。
私の知る限りでは、犬はそんな「異界の使い」として物語に登場することは稀です。
だから、猫のいる暗渠は特別な存在であり装置なのです。
異界の・生と死の境界としての「猫のいる暗渠」。
実は、「猫のいる暗渠」とは、特別な暗渠なのです。
そんな場所を、畏れと敬いを込めて
『ニャン渠』と呼ぶことにしましょう。
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さあ、今日は暗渠のなかでもひときわ神聖な畏敬すべき場所、『ニャン渠』誕生の瞬間です!
この記念すべき日のこの会を、
第1回『ニャン渠サミット』としましょうではありませんか。
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そしてこの記念すべき日に集ったみなさんを、勝手に
『ニャン渠大使』に任命します!パチパチパチ!!!
と、会場内が興奮のるつぼと化したところで私のパートは終え、
後半の吉村深掘りトークにバトンタッチしたのでした。
ご参加くださった『ニャン渠大使』のみなさん、
ほんとうにありがとうございました。
その後、大使活動は順調ですか?
以上、ひるねこBOOKSさんでの「猫と暗渠」抄録を終わります。
【ご参考】当日参加者に配られた『ニャン渠大使任命証』(みほん)
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本年もご愛顧ありがとうございました。
みなさまよいお年をお迎えください。

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暗渠ハンター 暗タクはじめましたPart2

もっと簡単にできる「乾式」もあります。
その時に使うのは、これ。
「釣鐘墨」。
(これ、もしかしたらクレヨンとかでも代用できるかも、というのが初めてやった後の正直な感想ですが)
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これを、ここで試してみました。
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横浜市神奈川区の「滝の川」に掛かっていた平川橋。
東横線の白楽駅付近ですね。
この川については「ここはもう猫またぎが書いている」の箴言どおりw、
こんなかんじの仕上がりに。
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この時は専用の紙を持ってなかったので、
A4のコピー用紙の裏側を使ってしかも二枚張り合わせ。
張るときちょっと曲がっちゃったかも。
これは「文字の凹み」を写し取るパターンでしたね。
もいっこやってみました。
その下流、支流の合流する地点。
JR東神奈川駅のスケート場あたりに架かる境橋。
こちらは昭和2年に復興庁によって架けられた橋だそうです。
年季が入っていい銘板ですね。
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こちらは「文字のでっぱり」を写し取るパターン。
こっちのほうがはっきり出て、
乾式には適してるかも。
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いずれにしても必要装備は、
・釣鐘墨(もしくはそれに代わるもの)
・紙(たぶんなんでも大丈夫)
・マスキングテープ(おさえとく用に)
そんだけ。
湿式は「7つ道具」だったけど、こちらは3点セットで済む手軽さがいいです。
しかし、ご覧の通りやっぱり精密に写し取るなら、
やっぱし湿式なのかなあ。

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暗渠ハンター 下谷田川(仮)格闘記 予告編

『暗渠マニアック!』では第7章で、下野市の「下谷田遊歩道」という短い暗渠を取り上げました。

そこでは、私の調査不足のせいで、
ほとんどその上流と下流がわからずじまい…。
しかしここのところ、現地調査に改めて行く機会があったり、
親身になってご協力いただける方が現れたりと、
いろいろと明らかになってきたことがありました。

最近私事でなかなかブログを書く時間が取れないのですが、
ここで少しずつそのことを書いていこうかと思います。
で、今日はその宣言だけをしようかとw
(有言実行で自分を追い込む作戦!)
********
そんな調査過程で、1976年の旧石橋町の住宅地図を手に入れました。
いや実はね、話は横に逸れるんですが、最近ふわっと思い出したんです。
川とはあんまり関係ないんですが、ちいさなこの町、石橋にも
銭湯とか宴会場とか一緒になった「ヘルスセンター」的な場所が、
昭和40年代にあったような…。
確証はなかったのですが、幼いころの記憶の片隅に、
ヘルスセンターっていう看板と、「ここは何のお店なんだろう」ってうっすら思っていたような記憶が。
それが、この地図で確認できました。
その名も「おかめセンター」。
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「石橋ヘルスセンター」って名前かとおもってたんだけどな。
たぶん正確には「おかめヘルスセンター」だったはず。
中はどんなだったのかなあ…。
幼い私は、入ったことがあったのかな?なかったのかな?
このブログでこの小さな町のことを書いても、
誰も面白くないかなあと思っていたのですが、
こんなふうに記憶の断片が明らかになってきたら、
なんだかだんだん書く気が盛り上がってきてしまって。
少しづつ、続けて書いてみようと思います!
次回からね。

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暗渠ハンター 大袋駅を囲む大袋を見にいく。その3

*
たまたまこの大袋・せんげん台近辺のことを書いて予約投稿としていましたら、
9/9、9/10の台風18号による大雨があり、この近辺でもたいへんな災害に見舞われてしまいました。
そんな状況でこの記事を公開するのは不謹慎なとも思いましたが、
ここでの「日常」をお伝えし、かつ住民の皆様が一刻も早く普段通りの暮らしに戻れるよう
私なりのエールのつもりで、予定通り公開させていただくことにします。
住民の皆様には、心からお見舞い申し上げます。
*

「ふくろ」上流端はおそらくここ。
周囲より凹んだ溝を刻む道が
元荒川と交わる地点に、小さな水門がありました。
下流のポンプ場があった水門と比べるとすっごく地味です。
きっと須賀用水の取水口はもっと格段に規模がでかいことでしょう
(googleSVで確認する限り、取水口である永代橋はもう水門どころか堰ができとります)。
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これに繋がる道がこの写真の奥のカーブの先。
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地形や道路を見る限りおそらく
「ふくろ」はこの先大袋小学校の東をかすめて北へと向かうのでしょうが、
私はこの後の予定もあるので大袋駅、
つまり「ふくろ」のまんなかへんへと向かうことにしました。

ところがこっちもかなり面白い。
「ふくろ」中央部でも、あちこちに暗渠が走っているのです。
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これ、いいカーブ。
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なんかこんな感じですね。
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もう駅までの道がたのしくて仕方ありませんでした。
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なんかこの辺りは足立区の江北あたりに似てる感じがしました。

お、また出た。鉄板でつじつまを合わせる蓋暗渠カーブユニット。このあたりのお家芸なのかも。
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駅前まで続いてる。
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おそらくこれが線路を越えて、「その2」冒頭でご紹介した暗渠の交差点まで伸びているのかもしれません。

*
「ふくろ」現地リポートはここまで。

この日、この後の用事は大袋駅からさらに北、東武動物公園駅から少しあるいた公園「新しい村」で。
ここで、水没祭という激しくわたし好みの名前の催しがあり、
そこで演劇が上演されるのを観に行くのです。

ひょんなことからTwitter上で知り合った劇作家。高野竜さん@takanoryu のプロデュースする、屋外劇。
この日の演目は知る人ぞ知る(らしい)、唐十郎の「秘密の花園」。
舞台は水上です。
解放された舞台。もちろん観劇無料。

この公園にある池に、わずか3畳ほど。
丸太を繋いで筏のようにした狭い舞台。
ここを中心として、時には池に落ちたり飛び込んだりして話が進んでいくわけです。
装置からして、尋常な設定じゃない。

ストーリーは、普通に現実的なふうに話が進んでいくわけじゃなくて、
こう、荒馬に乗ったような展開で、
その不条理から垣間見る非日常の心象風景を見せつけられるような、
役者による演劇という祈祷によって日常の裂け目を作り出すような、
そんな劇。アングラ。
そうか!アングラ。「アンダーグラウンド」じゃん!
暗渠的な存在の演劇なのか。だから私は観に来たのか!?

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観終わった後でじーんとくるおもしろさ。
当日の様子はこちらでどうぞ。

…この高野さんとは「藤右衛門川」への興味で接点ができました。
暗渠が繋いでくれた縁。
最近藤右衛門川を舞台にした戯曲「一輪の書」を完成され、
(暗渠戯曲ですよ!)
来年5月には、府中の是政にある「豆茶房でこ」というカフェで上演されるとのこと。
暗渠好きはぜひ見に行かれたし。

以上、おおきな「ふくろ」と水没祭、埼玉は越谷あたりのお話でした。

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暗渠ハンター 大袋駅を囲む大袋を見にいく。その2

*
たまたまこの大袋・せんげん台近辺のことを書いて予約投稿としていましたら、
9/9、9/10の台風18号による大雨があり、この近辺でもたいへんな災害に見舞われてしまいました。
そんな状況でこの記事を公開するのは不謹慎なとも思いましたが、
ここでの「日常」をお伝えし、かつ住民の皆様が一刻も早く普段通りの暮らしに戻れるよう
私なりのエールのつもりで、予定通り公開させていただくことにします。
住民の皆様には、心からお見舞い申し上げます。
*

では、追いかけていた大きな「ふくろ」が王子コンテナー埼玉工場の敷地に入ってからを追いましょう。

工場敷地はもちろん低い所に設けられています。
写真の奥、左右に「ふくろ」が流れています。
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また、この「ふくろ」の外側(高い所)にも数本、
いわば同心円状に水路が作られているようです。
おそらく供給用と悪水抜き、という感じで。

「ふくろ」が工場の敷地から出てきてからは、しばらく住宅地を抜ける開渠となります。

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ずばっと省略して、国道4号線の高架をくぐった先は蓋暗渠。

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この先が見どころです。
そう。暗渠の交差点。
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大袋駅前から繋がる蓋暗渠と見事に直行。
写真奥が駅ですね。
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ここ、陸上競技のハードル、または
なんか幾何学的な現代芸術みたいでかっこいいなあ。

すぐにまた開渠となって住宅街。
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はしご式の梁が突っ張り棒みたいなやつになってますね。
後から改修したみたい。
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北中学校のあたりで外周の水路と合流し、蓋暗渠に。
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このあたりの地名は「下間久里」といいます。

ああ。この先は好きな風景。
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そしてせんげん台駅付近でもう一度東武線を越えて
元荒川に近づいていきます。
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その先はまた整備された親水緑道。

とうぜんですが、水の流れは上流(これから向かうところ)→下流です。
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このあたりでも接続は複雑で
特に「ふくろ」の内部に繋がる支流がたくさん見られます。
「ふくろ」内側は田圃だらけだったんだろうなあ。
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さらに進むと衝撃的な事実を示す物証が。
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なんと。この「ふくろ」親水道路は、
間久里川、という名前がついていました。
名前があったこと自体に驚いてしまったのです。
間久里かあ。そう。先に下間久里という地名が出てきましたよね。
国道四号線(日光街道)とこの「ふくろ」が交わる点、
つまり最もひと目に触れられる地点での名前が冠されていました。

さらに間久里川の起点に注目。
元荒川の上流から取水する用水、須賀用水からの接続となっていますね。
これは地形でみた「ふくろ」とは違う人工的な軌跡を描いていることから、
後付けの水路でしょう。
「ふくろ」の起点よりずいぶんと上流から取水をしているようです。
とはいえ、この「ふくろ」の構造をレントゲンで見るようで大変興味深い看板でした。
情報量多し。

この先上流は、ここまでの道程とは違って
開発途上の土地が多かったです。
それだけに縦横にたくさんの水路がみられる豊穣な土地でした。

中でもベストショットはこれかな。
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規格品のコンクリ蓋に、台形の鉄板蓋を合わせてカーブを切っています。

ここは大袋中学校のすぐそば地点です。
大袋中学校はもう元荒川まですぐそこ。
地形的には、すでに「ふくろ」の外周です。

次回は最後に、「ふくろ」の外周地点と、
大袋駅までの帰り道に出会った、
「ふくろの中の暗渠」をご紹介します。

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暗渠ハンター 大袋駅を囲む大袋を見にいく。その1

久々に「暗渠に行った話」を書こうと思います。
それもいきなり埼玉の、越谷とかそっちのお話です。

私の実家は栃木にあるのですが、
いつも行き来はJR宇都宮線を使っています。
ある日きまぐれに
JR久喜駅で東武線に乗り換えて帰京してみました。
まあ景色はJR線とそう変わりはないのですが、
ひとつ印象に残りすぎるくらい残ったものが…。
「大袋」という駅があったのです。
袋といえば「水に囲まれた土地」を意味する地名です。
それに「大」までついてるとは…。
ドキドキしてきます。
大袋駅を通過したときは単に平坦な土地にしか見えなかったのですが、
その場で「東京地形地図」を立ち上げてみたらまあびっくり!

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わかります?
左下は元荒川という開渠の川。
そこから発する、
たんこぶみたいにびよーんってなってる隠された道が見えますね?

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そこで即座に、
・このたんこぶみたいなのは、元荒川の蛇行の跡である。
・それに囲まれているから、この土地の名は「大袋」。
と気が付きました。
東京地形地図さん、毎回どうもありがとうございます。

そしてこれは後日木土地理院のサイトで「地理院地図 電子国土web」で確認した画像。

Web

しっかり「川跡」(青のヨコシマ)として載っていたのです。
さあ、あとは現地調査だ!
ってことで、さっそく行ってみることにしました。

*
暑い夏の日。
だったのですが、隣の北越谷駅で降りて歩いてこの「ふくろ」に近づくことにしました。
さすが元荒川の沿岸部、たくさんの暗渠道がありました。
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ひーこら歩いて着いたのが、ここ。
「ふくろ」下流の、元荒川との合流点です。
元荒川の河原から陸(左岸)を見たところ。
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水門があり、その向こうは「外野合ポンプ場」がありました。
やはり先に地形図でみたとおり「ふくろ」はうっすら低いので、
いまだに暗渠となって水を流しているのでしょうか。

さーて川道がうまく見つかるかなー、一番低いのがここだし、この植え込みのある歩道が怪しいなー。
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なーんて十数メートル進んだら、いきなり開渠が現れたので拍子抜けです。
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再生水か何かでしょう。親水空間として整備されていました。

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このあとずっとこんなふうに開渠が続きます。
ここで合点がいかなかったことがひとつ。
流れが逆…」

先ほどのポンプ場は、元荒川の上流から別れた「ふくろ」が再び元荒川に合流するポイントです。
すなわち「ふくろ」の下流。
言うまでもなく水は上流から下流に流れるのが当たり前ですよね。
ですがここでは、下流から上流に向かって流れているのです…。
なぜだ?
再生水のフェイク開渠だから?
それにしてもなんでわざわざ逆に…地上と地下とで水を循環させている?

わかりません。暑さのせいもあってちょっと頭が混乱しそう…。
持って行った、「半分水を入れて昨夜から冷凍庫に寝かせておいたペットボトルに今朝泡盛を入れたもの」をひとくちごくりと飲んでも
口から出るのは「うまい」という自分に言い聞かせるような小声だけです。

冷たい泡盛とともにこの疑問を携えながら、先へと進むことにします。
無駄に文学風の言い回しをすることもやめることにします。

横から何本も支流が合流してきます。
やはり肥沃で田んぼもたくさんあったのでしょうね。
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親水空間は東武線に近づくにつれ消え、
こんなコンクリ蓋暗渠が登場します。
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いよいよ線路ぎわ。
線路手前では一瞬開渠に。
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じつはここ、あちこちから集まってくる何本もの暗渠の合流点となっていて、
線路際は、タコ足コンセントにコードが絡みつくような
蓋暗渠の混線状態となっています。ちょっと珍しい風景かも。
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線路を越えると「王子コンテナー埼玉工場」の横を幅広コンクリ蓋で続きます。
線路を越えた地点でもやはり他の暗渠と交錯してました。
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そしてこの幅広コンクリ蓋暗渠の「ふくろ」は
しばらく行くとくいっと左に曲がって工場内を突っ切ってしまうのです。
この塀の真ん中のところから敷地の中に。
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「ふくろ」の湾曲部分ですよね。
こちら塀から敷地内に入った「ふくろ」の姿。
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へえー。(ダジャレではありません)

しかし、曲がらずにまっすぐ続くコンクリ蓋もあるのです。

どこにつながっているのだろうとまずはこれを追いかけてみましょう。
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少し行けば、まるで桃園川みたいなレンガ敷きの暗渠に。
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そして間もなく他の川と合わさって開渠となります。
相変わらず流れる方向は同じ。
ここまできて地図を改めて見たときに、
先ほどからの「なんで逆流?」の答えがわかりました。

この川は、丘を越えて「ふくろ」の東となりの新方川の水系の用水路につながっています。
つまり、「ふくろ」の少なくともこの下流部分は、
農地整備または都市整備の一環としてある時期に
この新方川水系に水を逃がす(水を回す)水路として
本来とは逆の傾斜をつけられた水路として「変身」した、というわけでしょう。
その意味ではサイボーグ川。
「ふくろ」内側の低地に頻繁に起こったであろう洪水対策であったのかもしれません。

さて、謎が一つ解けたところで、
湾曲後の「ふくろ」を再び追いかけていきましょう。

続きは、次回。

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暗渠マニアック!ここが見どころ読みどころ⑤

『暗渠マニアック!』の最終章・第7章では、
「新たな観光資源としての暗渠探訪」として、
吉村と私各々で、あちこちの暗渠について短く取り上げています。
その最後で、「台北」について書きました。
本文にも書いた通り、
深夜着→翌日1日フリー→翌々日昼発
という短さではありましたが、
寝る間も惜しんで歩き回り、屋台と暗渠まみれになって帰ってきました。
肉体的には全然休めてないけど(むしろ苦しいw)、
心のリフレッシュというミッションは完遂。
そんな台北紀行のことが書きたかったのですが、
字数が限られているため暗渠よりも
屋台と、そこで出会ったメニュー「下水湯」にフォーカスして〆る、
という構成になってしまいましたね。
そこで載せられなかった暗渠の写真をここで数点ご紹介していこうと思います。
*
まずはこれ。
着いたその夜の深夜、さっそく屋台へと繰り出しました。
これは街中の側溝。
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こういうのがね、あちこちあるんですよ。
それと、この植え込みも暗渠。
錦西街65巷、っていうあたりでしたね。
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もう路上を観察してるだけで愉しい。
テクスチャをしっとり濡らす雨も効果的。
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これは暗渠でなくて水餃子です。
深夜の。
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そして翌朝。東のほうの山のふもと、
「松山」というあたりの暗渠を探しに。
このあたりは事前にgoogleSVでおおまかに「ありそうだなあ」と確認をしておきました。
さっそく現れたのがこれ。
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この付近はみごたえがありました。
急峻な山を開渠で下ってきた水がこの付近で暗渠へと潜り込み、
繁華街へと流れていくのです。
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そしてここは市の上水道の水源地でもあります。
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そんな、山からの水が暗渠となって地下を流れる道のひとつが、
この虎林街というマーケット。暗渠市場。
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基隆河という大河に合流する手前はこんなかんじ。
これでも昼間です。
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さて同じ基隆河のちょっと上流。
奥が基隆河合流口の水門。
そう、写真を撮っているこの足元は暗渠で、
そこにちょっとしたステージが設けられています。
暗渠舞台。
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こちらは士林夜市付近、イス型の車止め。
(っつか椅子)
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ここに限らず、屋台立ち並ぶ市は、暗渠の宝庫です。
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いいでしょう、これ。
台北の醍醐味は路地にあり。
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ここはもしかしてはしご式開渠の跡でしょうか。
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そして翌日、飛び立つ直前。
名残惜しみながら桃園空港周辺を歩きまして、
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突貫旅行から帰ってきたのでした。
こんなことも含めて、改めて『暗渠マニアック!』を味わっていただければと思います。
フェイスブックの『暗渠マニアックス!特設ページ』はこちら

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暗渠ハンター 弁天池と白子川の初夏

早起きして朝の練馬区、白子川に行ってきました。

最初にご紹介するのはこの暗渠。

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白子川とM東大泉弁天池公園を結ぶ短いまっすぐな暗渠道です。
この先にあるのが、その名の通りの弁天池。
ちなみに写真の右手の方に白子川本流が並走していますが、
その間には大規模な都営住宅の敷地が広がっています。

暗渠を辿って公園に入ると見えてくるのがこれ。

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えー、弁天池ってこれかよ‼
と焦り嘆くことなかれ。
ちゃんと奥には池があります。
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周りが高台で、ここだけすぽっと丸くくり抜かれたような地形。
高さこそ全然違うんだけど、出井の泉公園を思い出してしまいました。

この公園については、
資料『みどりと水の練馬』練馬区土木部緑地公園課 1989年
からいくつか引用します。

・この弁天池、以前は当時の旧小字地名「久保」にちなんで久保の池と呼ばれていた。
・北西隅に木造の祠があって、中に石造りの蛇体弁天が祀られている。
・西の崖上は戦前に朝霞の被服廟などに関連した軍人の住む「将校住宅」として開発された。
・池は現在地下水を汲み上げて水位を保持。
・昔は自然の湧水で、今より規模も大きく、祠も池の縁にあって、その脇に杉の大木が池の上を覆うように枝を張っていたといわれている。
・一帯にアシが生え木が茂り、ヨシキリやカイツブリ、カモ、クイナなどの水鳥が群れていた。
・北側の低地は都営住宅。この一帯は以前水田で、池の北西から白子川の水を引き、その水路が池にも入っていた。
・その水の取り入れ口に堰があり、「御園の堰」と呼んでいた。
・池の水は東に向かい白子川に注いでいた。

とのこと。昔はもっと大きかったんですね。
それでも、今も写真のように近所の方々の憩いの場になっているのが素敵。みんな釣りしてるんですよね。

引用の冒頭にあった弁天様がこちら。

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なんだか隅っこに追いやれてる感じの・・・。
あるいは静かな所にそっと大事に置かれている感じの。
近所にこんな池があるってなんだかいいなあ。

さてついでに、
白子川のここから下流にあるいくつかの湧水も取り上げていきましょうかね。
っていうか、本当は「早朝に湧水を見ながらピクニックしよう!」
という目的でやってきたので、
実はこの弁天池こそが行程的にはオマケだったのです。
実際当日一番最後にやってきたのここですから。

早朝にバスを使ってやってきた第一目的地はここ。
清水山憩いの森。
入口にはじみーでしたが、敷地に入ると、急に切り立った斜面を降りることになります。
これは期待できるかんじ‼

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湧水口‼湧いてる!
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澄んだきれいな水。
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悔やまれるのは、愛用していた柴田化学の水質調査キット
が手元にないことです。
出かける前にちらと見たら、試薬の使用期限がずいぶん前に余裕で切れていたので持ってきませんでした。
買い直さなくっちゃなあ・・・。

まあともかくも。こんなきれいな湧水を眺めながら、
傍らにあったベンチで持ってきたピクニックセット
(っつってもパスタとサラダが詰まったジャー、フォーク、ブラ製ワイングラスだけですが)を広げて
あさめしをいただくわけです。
徒歩3分程度の、下車したバス停「土支田二丁目」そばには
コンビニもあるので
ドリンクは持ってこなくてもこちらで調達可能。

湧水はこんなふうに敷地内を下っていきます。
前出の資料では、湧水が白子川(公園のすぐ隣)に注ぐ間に
水車が設けられていた、
と書かれているので、よほど水量があったのでしょう。かつては。

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私的には、「この水路を跨ぐ木の根っこ」がツボでした。
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で、ゆっくりあさめしを食べたあとは、
せっかくだからとわずかに下流のもうちひとつの湧水池
稲荷山憩いの森に。
こちらは、確かに湧水なんだけど、
うーん、そんなにきれいではなかったかなー。
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むしろこの付近の、花咲くあげ堀跡がきれいでした。
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このあと上流にさかのぼり、
冒頭の弁天池、
やはり湧水で有名な八の釜の森緑地へと向かったわけです。
途中の白子川もエキサイティングでした。
何羽もの子鴨を引き連れて泳ぐ鴨が見られたり、
水面を軽やかに泳ぐ長ーいヘビが見られたりと。
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しかし待っていたのは悲しいニュース。
なんと、八の釜の森緑地は外環道建設のため
ごっそりと潰されてしまっていました・・・。
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残念ですね。
物理的な喪失と
どのレベルの行政単位で決めたのかわからないけど
決定に至る思考プロセスが。
とても残念。

これも含めて、
貴重なものを見ることができた休日の午前中でした。

<参考文献>『みどりと水の練馬』練馬区土木部公園緑地課 1989年

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暗渠ハンター 今年の花見は下向きで。

実は最近は公私ともにちょっとした節目でして。

仕事では年度の変わり目でちょっと大きな変化がありまして
いろいろとばたついております。
また公私の私の方ではある大物に取り組んでいて、
なかなかブログの更新がおぼつかなくなっております。

しかし。小ネタでも、告知でも、続けることがだいじ!と自分に言い聞かせつつ。

そんなわけで、今年は花見もできませんでした。
ちょうど東京が満開の時って、お天気悪かったですしね。

ですが、咲いてる桜を見上げるのでなく、
下を見て地面の花びらを味わう花見、というのも乙なもんです。
散った桜を見ながら酒飲んできました。
駒込の妙義神社にて。

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ここは霜降商店街のすぐ近く、
すなわち藍染川のすぐ近くの丘の上です。

もちろん霜降商店街でたくさんおいしそうなもの買い込んでいきましたよ!

そして近くには、かなり見応えのある暗渠、
藍染川古河庭園支流(namaさんブログ「暗渠さんぽ」より)もあります。

ここの護岸や川幅など、異界感すごいですよねえ。

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暗渠ハンター 率川、って読めるひとー!?

というわけで前回の奈良出張の続きです。
朝の菩提川を見て気合入れた後、
しっかりと納品の儀式を滞りなく済ませ、
昼前にはお役御免となりました。
各所に業務完了報告とわしもうあとは好きに過ごして帰るけんね宣言をし、
一番近くの川跡を歩こうかと。
んで選んだのが、偶然にも今朝見てきた菩提川の上流でした。
水源までは行く元気も時間もなかったので
ここからスタート。
猿沢池です。
奈良に足を踏み入れるのは30年以上ぶりなのですが、
暗渠しか行こうとしない自分にちょっと誇らしいやら呆れるやら。
ここが今回で一番「奈良らしい」風景でした。
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このへんは菩提川でなく率川、というらしいです。
読めますか率川って。
りつかわ ではないですよ。

…答えは「いざかわ」。難読過ぎる・・・。
猿沢池以降の率川は暗渠で市内を抜けていくのですが、夜に暗渠酒に再訪したい雰囲気。
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ところで率川の見どころは何か所かの橋跡だと思うんです。
その代表格がこれ。
下るうちこの景色が目に入った時は腰が抜けそうになりました。

美しすぎる橋跡フィールド。
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4か所に親柱がしっかり残っているのです。
「率川橋」って書いてある!
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ちがった角度からもどうぞ。
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その先。カーブにはお地蔵様。

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さらにその先も橋跡ポイント。
どこに痕跡があるか、わかります?
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ここも4か所に親柱。長幸橋。
裏側には明治41年と刻まれているのが確認できます。
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こちらの銘は「いざかは」。
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もう少し進むとまた。一本だけ残る親柱、柳橋。
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すげえなあ。

こちらは現役。しかも川でなく暗渠にかけられてる。

暗渠に架ける橋。
♪Like a bridge over invisible water ♪

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ここは両側に染物工場「喜多染織」があるところ。
ちなみに右側は女子社員寮でした。

その先は欄干‼
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このたもとには慰霊碑があります。
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ここは三条池という池があったよ、
農業用水に使ってたけど昭和54年に宅地として再開発されたよ、
でもそんな人間本位の開発ですまん、萬物の霊を慰めるよ、
というものです。
ちょっとぐっときます。

その先は自動車整備工場の敷地を貫通。
ここが、前回でちらとご紹介したぐにゃっとした町境。
つまりこの先は、
今朝早くに歩いたところになるわけです。
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またこの敷地からの出口にもやもやナゾ物件があるのですが、
それは個人の敷地っぽいので写真は控えましょう。
でも誰かと共有したい・・・w

まあそんなんで、私の奈良仕事は終了。
このあと京都で新幹線に乗り替えるんですが、
ちょっとまだ時間もあったので、
「駅前のバスターミナルに行って、
そのとき一番早く出発するバスに乗って遠くまで行ってみる」
ゲームをしてみました。
結局銀閣寺あたりまで行き、
ロコ向けの蕎麦屋を見つけてゆっくりとビールを飲んでから
新幹線に乗り込みました。
ふぅー。つらかったw

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