カテゴリー「2060 ・・・用水・上水など水路系」の記事

暗渠ハンター マナイタ放浪記 7

たいへん珍しい、肉球型のおしくらマンホール。
東葛西1-33。
Img_3638

| | コメント (0) | トラックバック (0)

暗渠ハンター マナイタ放浪記 6

今回は葛西のあたり。江戸川区です。
長島川の暗渠周辺です。
長島川は江戸期から、漁業ターミナル、
農作物運搬、灌漑とマルチに活躍してたらしいですが、
昭和30年代半ばに汚くなって暗渠化されたとのこと。
西葛西のほうでは「葛西親水四季の道」にお化粧されてます。
(『川の地図辞典』菅原健二・之潮より)
その長島川の支流暗渠をふたつ。
まずこちら。
東葛西2-29の香取神社内からの流れ。
Img_3594_3
神社の境内に回り込んでみましょう。
Img_3610
いい蓋暗渠です。
Img_3606

★2017.3.13追記
コメントでゆさんが教えてくださったとおり、去年はこの神社の横の建物が取り壊しになってなんだか見通しがよくなってたみたいです。(掲載の写真は全て2015年12月12日撮影)
ちょうど、この神社内の富士塚の上から水路や建物を撮影した写真もあったので、
ご参考までアップしておきます。
正面の大きな木の向こう側の白っぽい建物がそれです。右隣の茶色い建物も同時に取り壊しとなったそうです。
Img_3613

*
そしてそのすぐ東、東葛西1-45 下今井香取神社横の流れ。
Img_3617
ちかんに間違われないよう気を付けて探索。
反対側から。
Img_3619
その先は…。
Img_3621
こんなご近所で「香取神社」どうし。
下今井香取神社を掃き掃除するおじさんに尋ねてみたら、
「わからんね」
とのことでした。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

暗渠ハンター マナイタ放浪記 5

今回は結構有名物件かも。

五分一橋。
の親柱です。
Img_3423
小松川境川の支流に掛かっていたようですね。
場所はこのへん。やはり「砂漠の宝石」らしく、
前触れなく突然現れます。
Photo
交差点名にもなっているし、
昔このあたりは「五分一」とう地名だった模様。
(「東京時層地図 明治のおわり」より転記)
Img_3666
そういや郷里栃木県旧石橋町の隣町、上三川町にも「五分一」って場所があったな…。
由来は・・・諸説あるそうです。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

暗渠ハンター マナイタ放浪記 4

今回はここ。江戸川区松島3-25、いきなり現れた蓋暗渠です。
Img_3396
Img_3397_2
Img_3398
あまりにいきなり。前後の痕跡なし、ここだけ。
潜水艦の息継ぎみたいにしてぽっと浮かんできた暗渠。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

暗渠ハンター マナイタ放浪記 3

さてシリーズ3回目です。
ほんと、東京西部みたいに谷や尾根がはっきりしてれば
暗渠の見当もあらかたつくのですが、
東京東部の起伏の少ない地形では殆ど予想不能・・・。
かつての主要用水ならしっかり古地図にも載っていますが、
そんなメジャーな用水は、
行政の熱心なお仕事のおかげで親水公園に変えられてしまっています。
(これは加工度が高すぎて萌えない)
だからこそおもしろい、東京東部の暗渠探索。
何度か「砂漠の宝さがし」なんて呼んできましたが、
定理や常識の通じない別の惑星で探検に出ているようなかんじ、
とも言えるような気がします(言い過ぎ)。
手掛かりになるのは、「道の曲がり方」くらいですかねえ。
そんな、アツい今日の物件が、こちら。
江戸川区、東小松川1-12のブロックです。
Photo
小松川境川親水公園からワンブロック離れたところ。
首都高速7号小松川線のすぐ北です。
ここで出会った2つの物件。
まずこちら。
Img_3470_2
家の敷地にある堂々としたスキマ。
追っていくと、溝渠発見。
Img_3473_2
この先儚く消えてしまいます。
(さすがに入っていけなかった)
そして同じブロック、違う地点。
開渠が道端に出現。
Img_3480_2
見事。どきんとしました。
この二つは、繋がっているのかどうかも謎のまま。

| | コメント (4) | トラックバック (0)

暗渠ハンター マナイタ放浪記 2

東京の低地、暗渠砂漠に眠る宝石を紹介するシリーズ。

今日はこちら。
短い区間のコンクリ蓋暗渠。
でもほんとに暗渠なんだか自信が持てません。
前後に全く痕跡がないので。
しかし流路的に言えば、ここは千住堀の真上。
そうなのかもね。
Img_5047

| | コメント (0) | トラックバック (0)

暗渠ハンター マナイタ放浪記 1

この前からはじめた東京低地のシリーズ。
最初なので口上を書いて、そのあわりににまあ一例として、
今後とり扱っていくような「砂漠で見つけた宝石」の写真を載せておきました。
で、たまたまその数日後に暗渠仲間に会った際に
「あの場所はどこやねん」(実際は標準語です)と聞かれたもので、
第1回はこの場所のことからはじめましょうか。
これ。
Img_5023
反対側かラ見た写真がこれ。
Img_5022
住所は、足立区六町4-5と六町1-12の間くらい。
わずか数メートルだけ突如として姿を現す、幅の広い蓋暗渠です。
この南北にも妖しそうな暗渠路地があるので、
まあここに出現するのも「さもありなん」的な感じはするのですが、
『川の地図辞典 江戸・東京23区編』(之潮)
によるとここは、竹の塚堀から別れて綾瀬川に水を通した
吉右衛門堀という水路のようです。
それでも、ここだけ特別な場所。
砂漠の宝石です。
ちなみにここからちょっと南下した西加平1丁目は、
大規模開発中。
Img_5027
なにか新しいものが、地面をずたずたにしています。
この写真が1年前の1月11日。
いまどうなっているかなあ。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

暗渠ハンター マナイタ放浪記 第0話

東京の暗渠は、やっぱり山手線より西側の、凸凹地形の上のほうが断然おもしろい。

長い間ずっとそう思っていました。

 

でも、ほんとうにそうなのでしょうか。

ほんとうにそうならそうでもいいのですが、

そう結論付けるのは、

東京の城東エリア平坦マナイタ地域を、

ちゃんとこの目この足で確かめてからでないとフェアではないな、と思い、

2015年の後半から、時間ができるごとにちょくちょくこつこつと

江戸川区、葛飾区、足立区、墨田区、江東区あたりを確かめ歩いています。

 

さてさて、数年かけて歩き回っている感想を先に申し上げますと・・・。

やっぱり西の、高低差のあるエリアのほうが愉しいです。

(笑。ごめんなさい)

かねてから私は、暗渠の3つの愉しみとして

①つながり(とぎれとぎれの川の痕跡が頭の中で繋がると、パズルを解いたときみたいな嬉しさがある)

②うつろい(川の歴史を、街の移り変わりと重ね合わせて奥行きを見る愉しさがある)

③そのもの(川の痕跡や暗渠そのものが見ていて愉しい)

と申し上げていますが、

まあ歩いているまさにその時、ライブでは①と②の愉しさがあるわけです。

 

いっぽう、このマナイタエリアの暗渠というのは、

殆どが人工の排水路や農業用水であったもの。

しかも、多くが緑道になっていたり、親水公園として新たに水が流されているところがとても多いです。

(あとで親水公園の出現数をカウントしてみようと思います)

 

だから、ほとんど流路がバレバレです。主な水路は、少し古い地図にしっかり載っちゃっているし。

つまり推し量ってつなげる①の愉しみが、西側凸凹エリアに比べて少ないのです。

西側の場合は地形や家並み、暗渠サインなどを頼りに

脳内に新たな川の地図を作っていく愉楽の作業が存在するのですが、それが希薄なんですね…。

それと、そもそも親水公園や緑道といった「暗渠ANGLE」でいうところのレベル4

つまり加工度最大級の暗渠というのは私はあまり萌えないのですよね。

あ、これは個人の感想・趣味嗜好の問題ですが。

なので、総論としては「おもしろくない」。

歩いていても、まるで砂漠を歩いているようです。

 

 

ですが、さんざ歩いてみて分かったのは、

だからこそのおもしろさ・愉しさがたしかにあるんだ、

ということでした。

マナイタエリアには、緑道や親水公園のルートに全く乗っていないのに、

突如として現れる「お宝」が存在しているのです。

先に述べたように、人工の水路が殆どですし、

「マナイタ」というくらいですから高低差はほとんどありません。

それらは何の予告もなしに「そこにいて、私を待って」いるのです。

そう、それはまるで、「砂漠で宝石を見つけた」ような愉しさなのです

(砂漠を歩いたこともないし道で宝石を見つけたこともないけど)。

そして宝石を見つけるためには、何の痕跡もない広い広いマナイタを

、修行のように歩き倒さねばならないのです。

 

これから断続的に、そんなエリアでの宝石との出会いを、

何回かにわたって書いていこうと思います。

 

何年も前に、

この城東地域を丸一日歩き倒して案内してくださった『東京マナイタ学会』会長の深沢さんに敬意を表し、

シリーズ名は「暗渠ハンター マナイタ放浪記」とすることにします。

 

写真は、この後ご紹介する「砂漠で見つけた宝石」の例。

Img_5023

| | コメント (0) | トラックバック (0)

暗渠ハンター 金町で出会った小岩用水の支流の支流

ようやくひと心地ついたので、
ゆっくりと元のペースに戻っていきたいと思います。
・・・元のペースってどんなだっけw
まあ気張らずに自然体でいくかと。

改めて、この秋に私たちの催しにご参加くださった皆様、
ご協力いただいた皆様、応援してくださった皆様に、
心からお礼申し上げます。どうもありがとうございました。

ようやく時間ができた日に、
ふらりと亀有&金町に行ってきました。
いえね、ちょっとまえの東京の地図をいただいて、そこにこれらの街の水路が
ばっちり載っていたので。

ひさしぶりに、自分のためだけに暗渠を見つけて歩きました。
しあわせ。
その中でも、地図にも載っていなくて、
自分の勘だけで偶然見つけた暗渠&開渠がこちら。

地図の感じからあたりをつけて、行ってみてこういうのがあると、
やっぱ嬉しいですよね。
Img_2741

この下流は、間接的に小岩用水につながっているようです。



この反対側が、これ。
Img_27421

奥、上流へと開渠(ってかもう水も流れないようで単なる溝かも)が繋がっています。
ここが「橋」部分。
Img_2743


開渠が土で埋められてる、って感じです。
こうなると、さらに上流が気になりますよね。
地図をたよりに回り込んでみます。

あったあった。
Img_2744



これね。
ちょっと奥に入ってみましょう。
狭い護岸が残っていて、固く土で埋められています。
Img_2746


突き当り。
斬新なかたちの車止め、っていうかなんていうか。
Img_2747

やっぱ暗渠っていいなあ。

特にこの開渠部分が、「無視され、いつの間にか消された感」があっていいです。
ちょっともの哀しいかんじで。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

暗渠ハンター 代官堀のテント屋さん。

ずっと以前、猫またぎさんが「江東区では唯一の蓋暗渠かも」と書いていたここ

私も今更ながら行ってまいりました。
始まりが衝撃的でしたね。
砂町銀座商店街のすぐそばからこんなふうに始まります。
Img_5514
よくみるとこれ、
はしご式開渠がそのまま埋められたようで、
梁がばりばり残ってます。
ここは「川の地図辞典 江戸・東京/23区編 」(之潮)によると、『代官堀』。
少し引用します。
『境入船川とも呼ばれた。小名木川から久右衛門新田と治兵衛新田の間で分かれ南へ通じていた』
とのこと。
続きを追って北上すると…。
Img_5516
こう続いて、その先はお待ちかねの…
Img_5517
蓋暗渠キタ‼
この先を辿ろうとしてふと横を見ると、
Img_5522
テント屋さん発見。
しかもなんかもう少しで再開発が始まっちゃう雰囲気だったので、
思い切って戸を叩き、ご主人さまにお話を伺ってきました。
(ご主人さま、ご協力ありがとうございました)
川との関係をメインに聴きましたが、残念ながら川とは関係なしw‼
昭和のはじめに、もともと近所の丸八通りで先代が開業し、
それで店名も「丸八テント」。
戦後にこの地、明治通りにうつって来たそうです。
(ちなみに、丸八通り沿いは当時結構ため池が多かったので、
水との関係はもしかしたらあったかも、と往生際悪く考えています)
水を使いそうな帆布作りからビジネスを始めた、とかでは全然なくって、
突如としてテント屋さんを始めたとのこと。
ご主人はもう70を越えるお歳だし、跡継ぎもいないので、
この6月に取り壊して再開発されるのを機会に廃業されるとのことでした。
長い間、お疲れさまでした。
代官堀のことも伺ったのですが、
残念ながら水があったころのことはご記憶なし。
戦後にはすでに埋められていたと思う、とのこと。
確かに、「東京時層地図」でも昭和のはじめには代官堀が消えています。
でもこちらから問いかける前にご主人は
「代官堀」という名前を使ってらっしゃいました。
ちゃんと川の遺伝子が残っているんだなあ、地域の方に。
「暗渠サイン」のひとつである「テント屋さん」、
今回のケースでは「シロ」でしたが、
ここのところ集計しているデータでは、
「クロ」と言わざるを得ない結果となっています。
近い将来、どこかでそれを公表いたしますね。
 

| | コメント (4) | トラックバック (0)

より以前の記事一覧