カテゴリー「2060 ・・・用水・上水など水路系」の記事

暗渠ハンター 「はじめての暗散歩」こぼれ話2

というわけで(前回参照)、今回は『はじめての暗渠散歩』収録の

「豊かさが流れてきた川 千代崎川」
の創作時のことを。
そもそもこの川を取り上げようと思ったのは、横浜の郷土史家・河北さんの一言がきっかけ。
横浜ではどの暗渠が好きですかときいたらすぐさま「千代崎川」と答えられた。
私にとって最初の千代崎川参考文献である
『本牧・北方・根岸』(長沢博幸2014)
も河北さんから譲っていただいたものでした。
ってかこの時はですね、河北さんとはなんと25年ぶりの再会をした時だったのでした。
実はお互いの前の職場がいっしょで、数年かぶってたんですよね。
互いに何やってるか全然しらなかったのですが、2016年のある日人づてにFBで再会し、
互いに「えーいまそんなことやってるの!?」って。
そんで、去年の秋に杉並区立郷土博物館でやった『荻窪暗渠展』を見に来てくださったのでした。
そこから、そんじゃあ横浜の代表選手として千代崎川と向き合ってみるかなあ、と取り組みを始めたものです。
最初に取材で現地に行ったのは2016年の大みそかでした。
それまでも情報は集めていたのですが、
やはり一度行って自分で感じるまでは、資料も基本的には「素通り」でした。
支流ふくめて最初から最後まで辿り、
ようやくここでスタートラインに立ったような感じになります。
そこでたくさん写真を撮りため、
まあその合間にtwitterなんかで取材とわからない程度に呟いたりもするのですが、
途中でこの写真をアップしたときに
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「お母さまの実家が写っている」と、
親しくさせていただいている知り合いからのリプが。
ここは「上台公設市場」という市場があったところで、
この裏を千代崎川が流れていたのです。
それが、本文にも登場する中田カヨさまの息子さんである、
ミュージシャンのまさぼうさん。
なんという偶然。
さっそくお願いをして、お母さまにお話しを聞かせていただくことになりました。
実際は年明けの1月にお宅までお邪魔し、
たっぷりと当時の川や街のようす、中田さんの思い出など聞かせて頂いたのです。
そのお話も、じつはしばらく熟成が要りました。
そこからまた現地取材をやり直したり、
街の他の方のお話を伺ったり、
周囲の地域図書館を回ったり…。
これは最後まで書こうとは思ってなかったのですが
(当時ちょっとつらい時期で、蓋をしてしまいたい思い出なのですw)、
90年代の初めに、何度も根岸の米軍キャンプの中に遊びに行ったことがあったので、
結局この経験も伏線に使うことになりました。
軸を「アメリカ」に置くことにしたからです。
さらに、他の川の取材で聞いていた「川をさらって鉄くずひろい」の話とかを絡ませようと思って朝鮮戦争特需のことを調べたり、
ゴールドラッシュのこと調べたりとか…。
千代崎川のこと以外にもかなり手広くリサーチしました。
それらを一本の糸をよるようにして出来上がったのが、この作品だったのです。

本文でも触れましたが、
この川は中田カヨさんには特別な川だったようです。
それはそうでしょうね、小さい頃から思春期、そしてご結婚される頃まで共に過ごしてきた身近な川です。
さらにそれが戦後動乱期や高度経済成長期にも重なって、
さぞいろいろな思いをこの川の水面に映してきたことでしょう。
そんな中田さんの大切な川を扱うのですから、
私も最大限の敬意をもって書いたつもりです。
見本誌ができてすぐに、この本を版元から中田さんの元にもお送りしました。
まさぼうさんのお話によると、とても喜んで読んでくださったとのことでした。
そんな経緯で、この「豊かさが流れてきた川 千代崎川」は、
中田カヨさんの物語であり、
そんなお母さまを見て育ってきたまさぼうさんの物語であり、
さらに、図らずもつらい時期の思い出にも触れたことで、私自身の物語ともなったのでした。
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暗渠ハンター マナイタ放浪記27 立石おなじみ大道橋

今回は有名物件ですね。

立石に残る「大道橋」。
立石の再開発も迫っているようですが、
この街の昭和を味わえるのも時間の問題ですね…。
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赤いところです。
Daidohbashi

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暗渠ハンター マナイタ放浪記26 希望的親柱

これ、川跡沿いだし、

親柱の痕跡ではないかなー。
わかんないなあ。
希望的観測による、希望的存在としての、親柱。
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この赤いところです。
Oyabashira

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暗渠ハンター マナイタ放浪記25 四つ木の開渠

四つ木と立石の間くらいですね。

古い地図(昭和40年代後半)を見ていたら川が描かれていたので訪れてみました。
描かれていた川は痕跡がなかったけど、
そこに流れ込む支流でしょうか、
ひっそりと開渠が残っておりました。
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この赤いところ。
Kaikyo

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暗渠ハンター マナイタ放浪記24 堀切蓋銀座

堀切菖蒲園駅といえば。

暗渠マニアはここを想像して頭がいっぱいになってしまうことでしょう。

そう、駅の北に延びる蓋暗渠地帯ですね。

これも西井堀。

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コンクリ蓋あり、

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ベニヤ蓋あり、
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おうち蓋あり。
まあいろんな蓋が狭いエリアにぎゅっと集まっています。
堀切蓋銀座、こう呼ばせてください。

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暗渠暗渠ハンター マナイタ放浪記23 遠くで歌声が聴こえる

遠い昔の歌声が聞こえるような。

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唐桶一橋。
そして唐桶橋。
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碑はのこっていませんが、唐桶二橋もあったそうです。
西井堀から西亀有小学校のあたりで分かれ、
お花茶屋駅の北側を通って千間堀に合流している「西井堀分流」。
「かつしかの橋」(葛飾区教育委員会)より。

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暗渠ハンター マナイタ放浪記22 水路の黙示録

ここが暗渠とは、きっと誰にもわかるまい。

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この看板を見ぬ限りは。

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暗渠ハンター マナイタ放浪記21 勘助さんの妖艶っぷり

マナイタ放浪記シリーズのなかでも、今回はもっともマナイタらしからぬ場所、となるかもしれない…。

立石駅も近い、奥戸街道。中川を東にわたるすぐ手前。
立石郵便局とモスバーガーの中間あたり。

ふと気づくと、谷があるんですよ!階段の下。

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当然自然の谷ではなく、中川にかかる橋に向かって奥戸街道が盛り土してあって、そのためにできた高低差であると思われます。

その谷の下には、まるで東京城西エリアにでもあるかのような暗渠風景が。

「かつしかの橋」(葛飾区教育委員会)によると、「勘助用水」という名前のようです。

勘助さん、すっごく妖艶。

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どうです!
マナイタっぽくないでしょうw
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まるで目黒区か世田谷区か板橋区か練馬区か
新宿区か渋谷区か港区か豊島区か文京区か、
ってかんじですね。
勘助さんに苗字があるとしたら、目黒勘勘助?世田谷勘助?板橋…(以下略)。
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ここを抜けて、ふつうのぺたんこ暗渠に戻ります。
ちなみに写真の右に写ってるのは、
巨大なナメクジとかではなくて「木」です。
ブロック塀が木に合わせてくり抜かれている…。
 
ここも異界っぽいですね。

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暗渠ハンター マナイタ放浪記20 金町ひょろっと支流

金町用水。

そこに流れ込む名もない(たぶん)支流。金町4-10-19。

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この日はたくさん歩いたので、
このまま金町駅に近づいてのんじゃえ!

ってことで、もつ焼きブウちゃん太助もつ焼き松ちゃんと、
目くるめくようなはしご酒。

そんでね、太助の奥の壁面には、こんな地域地図がありまして。
とてもでっかいです。

谷口榮さんが作られたようです。
お店の方が「榮ちゃんがね」って言ってて、御歳も近いご様子。
いい店でした!

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暗渠ハンターマナイタ放浪記19 新金線を渡る蓋

新金線のことを記事にしたのも2011年だったか…

時が経つのははやいもので。

ってんで今回は、北堀(「かつしかの橋」より)が新金線と交差するところに現れる、
蓋暗渠。

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向こう側も確認したいのですが、踏切がなくって遠回り。

「コの字ウォーク」ならぬ「Ωウォーク」ですね。

でもその甲斐あって、猫さんとちょっと遊ぶことができました。

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線路の反対側に。
ここもきっちり蓋暗渠。いい眺め。
 
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