カテゴリー「2031 ・・・立会川・内川水系」の記事

暗渠ハンター オチのない内川支流の話。

「大田区の文化財 第25集『地図で見る大田区』(2)」
という資料を眺めていたら、こんなものを見つけました。
そう、真ん中に流れる川(オレンジ色)は、内川。

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明治19年測量、というこの地図には、
西から内川に合流する支流が二本くっきりと描かれています!
赤い丸のところ。

以前内川をたどっていて偶然見つけたのは
もうちょっと上(北)のほうに位置する暗渠でしたが、
このあたりに暗渠なんてあったっけな…。

でもこんなに堂々と書かれているんだから、痕跡がないならないでいいや、行ってみよう!
と鼻息も荒く出かけていきました。
大正9年の測量時にすでに消えているんですけどね。

まあ地形図でもね、こんなくっきり谷があるし、
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なにか面白いことが待っているかもしれないし。
(東京地形地図さん毎度引用させていただいてます、ありがとうございます。)

一応東京都の下水道台帳をみるとこの川筋には合流式の下水道管が通っているので、まあ暗渠と呼んで差し支えはないかと思うんです。

以下、便宜上それぞれの住所から、南側を西馬込2丁目支流、
北側を西馬込1丁目支流と仮に呼ぶことにして話を進めてまいります。

■ 西馬込2丁目支流

2丁目支流は、南馬込5-27あたりで内川に合流します。
ちょうど都営地下鉄西馬込から延びてくる商店街の谷のところ。
一見なんの変哲もない商店街。
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このあともなんの変哲もありません。
ただ、両脇を見るとぐぐっと下がった谷地形であることは間違いない。
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国道1号線・第二京浜とまじわるところには、
文化堂というスーパーがあるのですが、
何かの資料で「ここに昔湧水があった」と書かれていましたので、
その湧水はこの西馬込2丁目支流にあわさって
内川へと流れ込んでいたのだと思います。

第二京浜を越えても川らしい跡が浮き上がってきません。
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今日はテンションが低いまま終わってしまうかも知れません。
いまから覚悟しておいてください。
大阪の人と飲んでるときにオチのない話をして怒られたことがありませんか?
そんな感じ。

道端に公園。
お。
なんか川っぽいもの発見!
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でもこれ、絶対ダミーです。
でもこの公園の端っこが急にがくんと低くなっていて、
おそらく谷頭部はこのへんなのだと思います。
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その谷頭の上のほう、西馬込2-9の界隈にはちょっとした路地が。
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特定はできませんが、配水路などがあったような風情です。

よくわからないまま、谷はほんとにここで終わります。
新幹線(横須賀線)の切り通しのところ。
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ちょと線路を覗いてみましょう。
Img_0061
うわーほんと深いなー。
と、ほとんど痕跡が見つからないまま線路沿いに北に進んで、
次の西馬込1丁目支流の谷頭部に移ってみましょう。

■ 西馬込1丁目支流

この切り通しの尾根を北に進むと、谷が現れてきます。
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谷底には階段で下っていきますよ。
谷頭部から下流を見ると、こう。
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いいですね、いい谷です。

あ、川と無関係だけどなんだかかわいらしいガードレールがありました。
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地形だけを頼りに想像すると、
この西馬込1-26のブロックの中を斜めに進むようです。
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かなり怪しい場所ですがやはり決め手がありません。

次の1-27のブロックには公園。
ここが谷底です。
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この時は冬だったので枯れていますが、
公園内には水のモニュメント的なもの。
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まあ冒頭の明治19年の水路はここを通っていたと考えて間違いないでしょう。

その先も変哲のない谷底道を進んでいきます。
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うわ、谷に向かう斜面は農耕地!大田区らしくない場所ですねー。

まああとはやはり退屈な寝物語のように進んで、
内川の合流点を迎えることになります。

どうですか今回のこのオチのない感じ…。

今回の地図はこれです。

より大きな地図で 内川と不入斗新井宿村用水など を表示

■おまけ
ここで終わるものほんとにアレなので、
当日に見つけた蓋暗渠を一つご紹介します。
以前、「池尻堀 大仏支流」として
西大井5丁目あたりの谷のことを書きました。
その時は、
大仏支流が新幹線(横須賀線)の高架を越えた所の蓋暗渠について触れましたが、
実は高架を越える前のところにも
見事な蓋暗渠があることにこの日気がつきました。

短いけど、立派なやつです。
見てくださいこれ。
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奥の家のわきから始まって、
こんな風に足元を抜けていきます。
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蓋の素材が変わりまして、高架の土台と家の間に消えていきます。
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この家の裏側を通っています。

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「止まれ」の標識のところはもう大仏支流。

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暗渠ハンター 大田区楓谷・こんどは断崖絶壁暗渠

■池尻堀西・馬込支流「3」

前回からの続きです。
今回の記事も、趣としてはこんな感じの「暗渠の愉しみバランスシート」となります。

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まずは前回の地形図を再掲します。
(GoogleEarthさん東京地形地図さんありがとうございます)

Photo_2

今回は上地図の「3」という矢印のところ。
前回のするすみ支流群とは谷を異にするところですね。

「2」の場所から「3」へと移動する途中、
尾根道のT字路に井戸(サンタイガー式)がありました。なんか岬に立つ防人みたいな風情で。
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このあたりから、これから下る谷を一望できます。
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うっわーすっげえ高低差!とついつい「ですます調」が乱れてしまいます。

さてここ。南馬込3-17に突如金網が見えてきました。
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覗き込んでみると…。
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おわっ。
この先は崖になっていて、その崖を下る一筋の暗渠があるのです。
望遠で奥の方を見てみましょう。
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大谷石で築かれた家の土台の高さを見ても、この谷の深さがわかるかと思います。
ただ、行く先がよくわかりません…。

この写真を撮った足元には、土管も見えています。
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下流をなんとか確認するため、一つ先のブロックに回り込んでみましょう。
ブロックを囲む道は、こんな急階段になっていました。
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そりゃそうだよなあ、あんな崖だったんだもんなあ…。

そして。
この階段を下りたところがまさに暗渠の出口だったのです。
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右側に見えるお宅と階段とのスキマが暗渠。
半分プライベートな空間っぽかったので、
ちょっと覗き込んで写真を撮るのは自粛いたします。

ここからは、馬込二小の敷地の横を通って下っていく様子。
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うん。道もちょっとヘンな造り。
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この先すぐには池尻堀西が流れています。
おそらくそこに合流していたものと思います。
地理的にも時間的にも断片的にこの楓谷を巡ってきましたが、
ようやここへきて全体像を掴みかけたような気がしました。

より大きな地図で 池尻掘・六郷用水北堀・内川 を表示

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暗渠ハンター 大田区楓谷・崖を下る暗渠

前回の「暗渠の愉しみバランスシート」からいうと、今回の記事はこんな内容です。

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では本文、行ってみます

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南馬込に行きました。そう、例の谷あたりに。
街角ねこさん写真家(でいいんでしょうかw)のろっちさんが、
「楓谷」と名付けたところ

猫またぎさんをして「V字谷の聖地」と呼ばしめた馬込の地形ですが、
楓谷はこの猫またぎさんが取り上げたエリアのもうちょっと南の方に位置します。

私もこの近辺は何度か断片的に記事にしました。
環七を両脇から囲む池尻掘りの西
そして池尻堀東の奥から来る大仏支流(仮)。
さらに池尻堀西の奥の奥から来る池尻掘り南馬込1丁目支流(仮)。
その手前のするすみ支流群(仮)。
そんなに家から近いわけじゃないのに、我ながらよく通ったものです。
会社で「住まいは馬込なんです」というひとがなぜか結構いるんですが、もうその一人一人に、「で、何丁目何番地?谷の底のほう?そばに坂はない?」と問い詰めたくなることが多いのですが、ずっと我慢してます。

で、今回はその楓谷エリアで、たぶんあまり知られていない(と思います;;;)暗渠を見てきたので、2回にわけてご報告します。

まずは全体の地形図をどうぞ。(GoogleEarthさん東京地形地図さんありがとうございます)

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■序章代わりの「1」
では地形図の「1」とした矢印。これは、さきにご紹介した「楓谷」の命名者ろっちさんにすでにご紹介されてますので、軽く。
バスが行き来する南馬込1-60-5の尾根道からぽっかりとした暗渠が見えます。
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ここからこの流れに階段で降りていきます。振り返るとこんな景色。
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すでに秘境感満載ですね…。この先はこんなふうに続きます。
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いったん道に出てガードレールに阻まれた後も…。
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やはり階段で下ります。この谷のきつい高低差を物語りますね。
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その先はいったん右に曲がって、左に曲がり、するすみ支流群(仮)の中心となる支流となって流れていくようです。

■するすみ支流群・南馬込2丁目崖支流(仮) 「2」
次は、今回新たに見つけたするすみ支流(仮)の副支流のひとつ。
それが地形図の矢印「2」。
南馬込2-23から唐突に始まる支流です。
ここ。
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車の間をすり抜けて進んでみましょう。
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進むと、崖です。というか階段です。ものすごい落差を走る暗渠です。
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これは、夏だと入れなかっただろうな…。
なんとか無事に降りていくと、側溝蓋が現れます。
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この大きな草を乗り越えて進むと、なんだか秘密の花園的な暗渠風景が現れます。
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素晴らしい…。
継ぎ目も芸術的なパイプがいくつか続きます。
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その後はやや平穏な風景になり、
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もうすぐ出口。ここで一回振り返っておきましょう。
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出口が鉄板暗渠が二枚。
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いやー、なんとかマウンテン級の崖を下ってきた気がします。
出口の住所は、南馬込2-23。

このあとはこんな舗道に擬態して続くようです。
右に左に回り込んで、これまたするすみ支流の中心の流れに合流。
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あたりまえですが、「つながった感」が爽快です。
次回は、もうひとつ南の谷の暗渠を。

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暗渠ハンター 南馬込の谷の、ミッシングリンク「池尻堀 南馬込1丁目支流(仮)」

前回「練馬にある石神井川の谷イッキ攻め」的なシリーズをはじめたばっかりですが、このシリーズは息長く不定期連載ということにさせていただいて、今日は全く違うエリアのお話をさせていただきます。

以前、南馬込1丁目にある短い暗渠をご紹介しました。
この記事で「この谷B」と書いてあるところです。
「この谷B」を出た水の行く先については、ろっちさんの記事でも取り上げられていましたが、まあずっと気になっていたわけなんです。

先日、またまた断片的ではありますが、その水の行く先について手掛かりを見つけたのでご報告。

まずは概況を掴んでいただくために地形図を。

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左上から右下にかけて、環7がざばっと通っています。
そして右上から左下へ鉄道・横須賀線と東海道新幹線が通っています。
以前「この谷B」として見つけた暗渠は水色のところ。
この先どんなふうに谷底(つまりこの「楓谷(ろっちさん命名)」の真ん中の方)に向かって行くのかなあと思っていたところ、今回、オレンジ色の暗渠を見つけました。
これはすなわち以前の水色の暗渠の「行く先」だと思われます。
水色とオレンジ色を結ぶと、桃色のような流れが推測できるなあ、
というワケなんです。

ではさっそくその現場を。
南馬込1-14-5。
ここ、環7沿いなんですよ。
環7の歩道から、こんな風景が見えるんです。
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怪しい金網。
覗き込んでみると。
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立派なはしご式開渠です。
まさか、環7からこんなあからさまな川跡が見られるとは思っていませんでした。

”小学○年生”的な雑誌に
「あなたのすぐ近くに、四次元への見えない入り口がある!」
みたいな特集がよくあったような気がしますが、そんな見出しを思い出して軽く興奮してしまいますw
轟轟と車の行き交う何車線もある幹線道路から、
異世界への入り口が駐車場と民家の間の小さなスペースに残っていたわけです。

駐車場に足を踏み入れ、行く先(上流)を観察します。
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ちょっと底が浅いですが、はしご式開渠が続きます。
そして駐車場の敷地を回り込むように折れ曲がります。駐車場スペースの背後は小さな崖なので、その崖下を回り込む、といった方が正しいでしょう。
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崖下を伝う流れには蓋がされてしまいます。
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しかし流路は明確。
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駐車場スペースから、民家の狭間へと続きます。
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では上流を、コの字ウォークで追っていきましょう。

民家の狭間からこんな風に出てきます。
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出てくるとすぐカクンと折れ曲がります。
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折れ曲がった先は、蓋とそれを覆うアスファルトが怪しい感じで融合していますね。
ここから先は流路の痕跡が一旦消えます。
しかしさらに厳しい崖下となっているので、崖を回り込むように続いているであろうことは想像がつきます。

その回り込んだ先は、いったん横須賀線・東海道新幹線の線路に分断されますが、
(下の写真の奥が横須賀線・東海道新幹線)
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その線路の向こう側にも暗渠を見つけることができます。
馬込1丁目9。
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ちょっとわかりすらいですが、左側が普通の道、右側が暗渠です。
この短い暗渠を出ると、こんな道に。

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この道の右にある緑のガードレールに護られた歩道が暗渠の続きと思われます。
この歩道が、「以前の水色の暗渠」に繋がっているだろうことは、たぶん地形図からも明らか。
ミッシングリンクをすべて埋めることはできませんでしたが、
おそらくこれらの断片をつなぎ合わせてひとつの流れと考えることができると思います。

そしてこの環7の先は、池尻堀(や池尻大仏支流するすみ支流群など周辺の流れ)と合流し、内川、あるいは六郷用水へと下っていくのでしょう。

というわけで、「この谷B」でみつけた名もない暗渠から続く一連の流れがなんとなく確認できたので、これらをここでは仮に「池尻堀 南馬込1丁目支流」と名付けてみることにします。

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暗渠ハンター 貉窪をこえて洗足で「弁天橋」をみた。

以前、洗足池に流れ込む何本かの上流を探しに行ったんですが,、そのひとつとして大井町線北千束駅そばを掠めて環七に延びる「貉窪」を散策しました。

で。しばらくたってから、ドブ川研究家(?)の俊六さんのブログにレィルウェイライフさんという方が、
「洗足駅のそばに池と橋があって、その谷筋は洗足池につながってるかもしれない…」というコメントをされているのを見て、これはいつか行かねば!確かめねば!と思っていました。
今回は、その貉窪と洗足駅そばの池とそれに繋がる川筋について、レポートします。

まずは前回の貉窪の谷頭を探しましょう。
環七に西から東にぶつかるのはここ。
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環七は盛土されたような高台を通っていますが、この流れはその下にぶつかり低いまま。
高台・環七から貉窪の低い支流を見下ろします。

この低い流れが、環七の内側のどこにつながっているのかどうか・・・。
古地図をみると、貉窪の続きの谷頭がちょっとだけ環七内側に張り出しています。
それを探してみました。
地形から言って、ここのようです。
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昭和大学歯科病院の横。ここ。

ではここで、地形を確認しましょう。
いつものように、google earthさんと東京地形図さんに感謝しつつ。
Photo_4

先の写真の環七内側のところは、上の図貉窪楕円形の右上の端っこです。

で、レィルウェイライフさんが指摘されていたのは地形図中の「厳島神社」近辺のこと。
どうもここは、環七内側から新たに始まる谷の途中にあり、
そのまま立会川方面に流れていくようですね。
つまり地形図で谷を辿っていくと、さっきの貉窪とはちょっと別の谷筋のようです。
おそらく環七の尾根(厳密には現環七と微妙に左右にズレがありますが)がもともと分水嶺になっていたのか…。

さてそれでは、この新たな東に流れる谷の谷頭を探してみよう!

環七から内側をじろじろ見ながらあるくと、一目瞭然で「ヤバい」感じの路地が見えます。
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ここを入っていきましょう。路地の出口はこんな。
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うーん、ワケありげです。たぶんここからドブのような流れが始まっていたのでは。
その先は、住宅ブロックを無視してわずかな高低差をおうことになります。
じつはここはそんなふうに住宅ブロックの真ん中を目黒区と品川区の区界が走るちょっとかわったところなのでした。
この写真。
Imgp5375

敷地の両側に、左は目黒区洗足二丁目27、右は品川区小山七丁目16の住居表示が見えますね。
水路があったとすれば、さっきの路地からこの区境を走って厳島神社横まで続いているのでは、と思います。

この区間の資料はほとんど持っていないのですが、
一部先日発売されたばかりの
凹凸を楽しむ 東京「スリバチ」地形散歩」にちょうど載っていたので参考にさせていただきました。

住宅の合間を抜けてきた区界(おそらく川跡)は、洗足駅そばの五叉路に出ます。
下写真の、左の幅広の建物の右端、そこが区境。
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この五叉路を下っていくと、
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この先で目黒線の洗足と西小山の間にでるのですが、その直前に目をぱちくりするような光景に出あいます。
この道に右から交わってくる道があるのですが、そっちを何気に見てみると。
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橋跡!
これかー。
親柱には「べんてんばし」の名が。昭和39年1月竣工とも刻まれています。
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道路上も、あきらかに橋の名残を物語っています。
これは決してフェイク橋ではないでしょう。

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もちろんこの橋の隣に、件の厳島神社の弁天池があるわけなんです。
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これ入口。

鳥居をくぐればすぐに池。
こんな住宅地のまんなかでは意外なほど大きな面積。
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立派な橋もあります。
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さっきの公道上の橋はこの奥です。
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古地図を見ると、この池のと隣あうもう一つの池が、この橋の向こうにあったようです。
おそらくその池どうしは小さな水路で繋がっていて、その水路を跨いでいた橋なんですね。
ちなみに橋の向こうは駐車場と小規模なアパート。残念ながら池など見る影もなし・・・

その後は目黒線を越え、目黒線の北側を並行して西小山まで。
ここも目黒区と品川区の区境ですね。
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西小山駅付近になると、道というより住宅の裏を掠めて立会川まで向かったようです。
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この裏側すぐが、立会川。
この立会川緑道についてはつい最近リバーサイドさんが書かれていました。

さーけっこう今日は頑張ったからおひる休憩。
西小山の駅前商店街にあるからあげチェーン店「縁」にてごはん。
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いや、ほかに昼間から飲める店なかったんでw
ビールやトリスハイボールを少々、ナンコツのピリ辛揚げ少々、鶏肉からあげ少々をいただいたんですが、結構盛りがあるんでナンコツは食べきれず、お持ち帰りをさせていただく羽目に。
でも美味かったっす!

店を出たら、「あ、いた!」みたいな、飼い猫を隣の商店街で見つけたような変な感覚で蓋暗渠発見。
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追っていくと、一度かくんと曲がったものの銭湯「平和湯」に行きつきました。

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なるほど、排水溝でしたか。

ということで、くだんの池と谷筋は、貉窪から洗足池に流れる川筋とは別物、
立会川に注ぐ支流でした。
まあ便宜上これは「立会川 厳島支流」と名付けておくことにしますね。

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暗渠ハンター 立会川・碑文谷池上流で妄想落ち水探し

立会川の3つの主水源のうち、
前回は清水池から品川用水に遡上するラインを探してみました。
今回は、もうひとつの主水源である碑文谷池を起点にして
おんなじようなことをしてみました。

池から遡る前に、ちょっと池自体のお話も。
名前自体も、碑文谷池とか碑文谷公園の弁天池とかどうも通称は二つあるようです。
また目黒区のHPでは、
前回の清水池とは「兄弟池」という位置づけだとしていますね。
江戸の鷹狩の時代に野鴨がたくさんいた、とか
その後水田灌漑に活用されまた池の中の島に弁天様が祀られてるとか、
紆余曲折あって今は池を中心とした公園として整備されているからとか。
結構いい感じのテイストで取り上げられてますね。

で、ここでは「碑文谷池」としていますが、
同じ目黒区のHPでもこちらでは「弁天池」になってます。
ま、どちらでもいいんですが、ここでは「碑文谷池」でいきましょう。
弁天池だと他にもたくさんあるし。

まだ暗渠道にはまらないはるか昔、
東急東横線に毎日乗っていた時期は
電車の高架からこの池をほぼ毎日見ていたものです。
そのころは「なんて池かなあ」
「近所に住んでる同僚に聞いても池のこと知らなかったし、マイナーなんだろな」
「でもたまにボートで遊んでる人いるなあ」
くらいのぼんやり度でしか注意を傾けていませんでしたね…。
まあ基本的にそんなに華やかな池ではないわけです。
Imgp2171

水源とされる池ですが、
どうも昔の地図をちらちら見たりしてると
この上流方向にもたまに水路が見えたりしてるし。
しかもそれを延長していくと品川用水にぶち当たるし。

しかしまあ結論から言うと
品川用水とはここでジョイントしていた!的な
エキサイティングな展開にはなりません;;;
あ、そんながっかりしないでくださいよw

どうやら碑文谷池からは2系統の水路で
品川用水につながっていたのではないかと思っています。
ひとつは池から西に向かっていくやつと、
もうひとつは北に向かっていくやつ。

まず西方面からいきましょうか。
公園の西側にこんな入り口があって、
Imgp2180

そこからこう歩道を通って上流が辿れます。
Imgp2181

なんとこの歩道の右側(つまり左岸)には、プール!
日大水泳部の寮と温水プールがありました。
なるほど。

この歩道を上流に辿ると
寮の敷地に沿って、こんなふうにかくんと曲がります。
Imgp2186

そして敷地の端まで行く途中、左方面に
いよいよな暗渠道が見えてきます。
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おお。細い路地に車止めのアプリケーションが付けられた、
ストロングタイプの暗渠ですね。

ちなみにこの暗渠は「目黒区文化財マップ」にも記載されているもの。
さ、奥に踏み入ってみましょう。
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途中にはこんな横扉も。
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一応閉まるようになってるけど、
これってどんな時に閉めるんだろう?

そして出口。
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なんか漫才のコンビみたいな2基の車止めが置かれています。
Imgp2190

そしてこの車止めが面する道路は、
碑文谷6丁目と下馬6丁目の町境、
つまりは目黒区と世田谷区の区界でもあります。
それがこの道。
Imgp2191

もうすぐ品川用水なんですが、
残念ながら水路の痕跡が見つかりません。
この先の地図上の水路は私が妄想で書き込みました。
(といっても到達しないんですけど;;;;)

さて強引に話を変えて、
つぎはもう一本の、碑文谷池から北上して
駒沢通り(品川用水)に向かうルートです。
こちらはもう全く暗渠道は見つかりません。
東京時層地図で途中まで確認できたルート周辺を歩いてみます。

公園の北の入り口には、
たしかに周りからぐっと低くなっている場所があります。
しかし片方は
①一番低くなっているところから北上する、普通の道
②低くなる途中の所から北上する、割と暗渠っぽ道
の二つがあって、
これらどちらが地図に描かれた本来の水路か特定できませんでした。

①は地形的には○なんだけど、こんな道。
Imgp2197

でも②はこんな道なんです。
Imgp2195

さらに奥に進むと
Imgp2196

これですから…。

この先は何本かそれっぽい道があり、
やはり灌漑用に何本も用水路となっていたのか、
それとも住宅区画が公共下水完備前に割り当てられて
その「どぶ」として機能していたのかわかりませんが、
一筋縄でいかない感じです。
とりあえず地図には「予想」のような意味で線を書き込みましたが…。
こんな変に歩道が広い道や
Imgp2199

こんなかつての何かの構造物なんかが
Imgp2201

点在するエリアなんです。
まあ言ってみれば、
明らかな線につながってはいないけど、
それらしい証拠が点在するミステリアスなエリアなんですね。

なんか終わり方が昔の「川口浩探検隊」みたいでちょっと
アレなんですけど(笑)。

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暗渠ハンター 立会川・清水池のさらに上流があった!?②

立会川の3つの主水源のうち、
前回に引き続いて清水池周辺の話題を続けます。
主旨や手法は前回通りです。

もういちど、清水池から。
清水池の北西の端っこには、こんな水門のようなものがあります。
Imgp2140

おそらく鷹番方面から流れ込む合流口がここ、
ということなんだと思います。今回はここから
上流を辿れるだけ辿っていきます。

公園の北西の門から出て、
この南北に走る道に水路があったそうです。
Imgp2142

おお、そういえばこの歩道をガードする柵は
目黒区・世田谷区・大田区あたりでは
よく暗渠の入り口なんかにも立ちはだかっている気がしますね。
Imgp2144

目黒本町2-19のところで角を左に曲がり、
Imgp2145

程なく行くと右手に暗渠道が見えてきます。
Imgp2146

この暗渠道は2ブロックを貫きます。
こちらが2ブロックめの入り口。
Imgp2148

新しい建物に囲まれスマートないでたちですが、
アスファルトにはたくさんのマンホールが
埋め込まれています。
Imgp2149

この区間を過ぎると目黒通りにぶつかります。
通り沿いの7-11のすぐ横を貫通しています。
下はそれを振り返ってみたところ。
Imgp2150

そしこの続き、目黒通りの向こう側は…。
Imgp2151

正面の道が川跡です。
緩く蛇行しながら北上します。
Imgp2152

ですがこの道の先は…。
Imgp2154

鷹番小学校の敷地に入ってしまい、追えなくなりました。
Imgp2155

様子からすると、敷地の端っこをぐるっと
水路が通っているような感じなので、
回り込んで見てみます。

あったあった、ありました。
Imgp2156

歩道がちょっと奥まって、
そこがゴミ集積所になっています。
ここから出現する歩道になって、写真左に進んでいるようです。
Imgp2157

その後すぐに西に曲がります。
写真の奥に左に曲がる道が見えますね、これこれ。
砂利道として続いていきます。
Imgp2158

砂利道の出口付近にあった車止め。
Imgp2159 
これは新しいタイプですねー。
高さの違うポールがチェーンで結ばれています。
高さと言いナナメってるポールといい塞いでいる道幅といい、
「全てが中途半端」に統一されています。
これは、目立たないけどかなり
味わいの深い車止めなのではないでしょうか!?

これ以降の上流は流路を特定するのが難しくなります。
この右に走る歩道も怪しいし、
Imgp2161

この道も怪しいですね。
Imgp2162

こんな道もあって迷ってしまいます。
Imgp2164

※前々回の記事でhikadaさんからコメントを頂きましたが、
「大田区の文化財 第24集 地図で見る大田区(1)」には3つ上の写真の道が道が水路として
描かれているとのことでした。hikadaさんどうもありがとうございました。
私自身も昭和30年代の地図を確認しましたが、この写真の道に水路が描かれておりました。

でも。鷹番2-17のこれだけは
決定打ではないでしょうか。
Imgp2165

この真ん中の鉄柵の向こうには
細長い遊休地。
ほぼこれまでの水路の延長線上にあります。
そしてその反対側上流方向はこれ。
Imgp2166

ですがやはりこの界隈には
暗渠路地のようなものがたくさん走っていて、
ここら一帯農耕地だったころの用水路の名残が
たくさんあるのかもしれません。
地図には一本だけ流路を書きましたが、
網の目状に用水路があった、
と考えることもできそうだ、というのが
現地を回った感想です。

この辺りにはこんなお宅もしっかり残っていたりして、
思った以上にいい感じのレトロ具合の残る街でした。
Imgp2170

ほんとは、
「この水路が東急線を越えて品川用水まで繋がっている」
という仮説のもとに探索をしたのですが、
品川用水どころか東横線を越えるラインも
見つけることができませんでした。
でもこの距離、この水路方向ですからね、
「かつて繋がっていた」とも十分考えられますね。
はい、証拠はないんですよ、ないんですw

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次回は、もうひとつの立会川水源、
碑文谷公園の弁天池(碑文谷池)でも
同じように「さらに上流」を探してみます!

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暗渠ハンター 立会川・清水池のさらに上流があった!?①

立会川の3つの主水源のうち、
前回に引き続いて清水池周辺の話題を続けます。
このシリーズは清水池の周りの短い暗渠を取り上げ続けるので、
「ANGLE」を使った考察はしばらくお休み。

実は、水源と言われている清水池のさらに上流には、
付近を走る品川用水からの取水路と思われる水路が
大きく二つ確認できます。

一つは今回で取り上げる東の水路(清水池上流東水路と名付けます)、
もうひとつは次回を予定している、
鷹番を貫く西の水路(清水池上流西水路と名付けます)。

元々は、「目黒区文化財マップ」に切れ切れに載っていた暗渠を参考にしました。
これらを周辺含めて辿りながら、そして「東京時層地図」を見ながら
「一つの水路」として考察していく方法を今回はとっています。

ではまず東の水路、
目黒区中央町1-10での品川用水との接点から
清水池に向かう流路をご紹介していきます。
品川用水の、目黒通りに下る手前からこんな暗渠が始まっています。
Imgp2128

ちなみに、この背後にも暗渠が伸びていて、
つまり品川用水からはこれから辿る清水池方面と、
反対側の目黒区防災センター方面の二つの落水が
この地点で行われていたことになります。
その防災センター方面の暗渠というのは、
この奥に続くやつ。
Imgp0688

今回はこれは追わずに、清水池方面に向かいましょう。

緑道チックに整備されたこの暗渠を通ると
Imgp0687

すぐに目黒通りに出ます。
Imgp0686

そして目黒通りを越えると、
またこんな風に続いています。
Imgp2130

ちなみにこの川筋のところは
目黒通りがこんなに凹んでいるので一目瞭然。
(写真奥の窪み)
Imgp2129

この暗渠はまっすぐ続いていて、
おそらく住宅区画整理で付け替えされた用水路、
なのだと思われます。
Imgp2132

ここを通って曲がったあとは、殆ど道に紛れてしまいます。
Imgp2135

もう清水池の北側、池まで至近距離。
どうもこの辺りは西水路につながる水路含めて若干水路は錯綜しています。

清水池の隣のブロックにて、
また暗渠空気全開の道が姿を現します。
Imgp2138

目黒区本町2-14。

そしてこのような広すぎる歩道を経て
(まるで2車線道路のセンターラインみたいですね)
Imgp2139

清水池につながっていきます。
ちなみにこの水路は、次回ご紹介する西水路とも東西に繋げているようです。

清水池まで来ました。

Imgp2140

と、まあこんな具合に、
水源である湧水・清水池より上流で品川用水からの水を受けていたんですね。

ちなみにここで見られる状況は、
<上水からの落ち水を引いて灌漑用水量を確保する>
という現象と、
『「春の小川」はなぜ消えたか』田原光泰著(之潮)の中の
P54 「宅地の中に埋没する川」で言及している
<宅地化に伴い水源の上流に水路が毛細血管のように出来上がる>
という現象のミックス版なのではないかと思いました。


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暗渠ハンター 立会川・清水池「下」支流

立会川の主な水源は、3つに大別でき、西から東へ順番に挙げると
①碑文谷八幡付近
②碑文谷公園弁天池(碑文谷池)
③清水池公園清水池
となります。

このうち、最近この辺りを改めて探索してみて、
・②の弁天池からさらに上流にある暗渠
・③の清水池からさらに上流にある暗渠
・③から流れ出る立会川本流の傍流暗渠
などを見つけてきたので、
何回かに分けて書き進めて行こうと思います。
まず今回は、最後に挙げた
「③から流れ出る立会川本流の傍流暗渠」のお話、いってみましょう。

清水池(それと、今後触れる弁天池・別名碑文谷池)については、
とっても詳しくわかりやすく説明する目黒区のページを見つけてしまったので、
これをご参照ください。

清水池は古くから湧水を湛える名勝地。
Imgp1985

ここから立会川(のひとつ)が流れ出していくのですが、
清水池の南に、それに寄り添うように流れる一つの水路がありました。

位置からすると、
もしかしたら清水池からあふれ出すもう一本の水路だったのかもしれません。
(たぶんそう解釈した方が自然でしょう)
ではまずは地図を。この緑色のラインです。

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立会川の主ルート(紫線)はこちらなんですが、
Imgp1990

これを下っていくとある一つ目の大きなカーブ。
Imgp2018

ここに、左手の後方から鋭角に合流してくる水路があるのです。
それがこれ。
左が本流、右というか正面が今回取り上げる傍流です。
Imgp2019

まあ清水池の下(南)あたりから始まってるから、
これを「立会川清水池下支流」と仮に名づけることにします。

この清水池下支流にちょっとだけ入って、
合流後の本流方面を眺めたのがこの写真。
合流点付近には点々をマンホールが連なっています。
Imgp2017

ではここから上流に向かって入って行ってみましょう。

未舗装です。
Imgp2016

草の生え方からいって、
交通量はたいへんに低そうな道ですねこれは。

その原因は、やはり「狭いから」でしょうね。
Imgp2015

ですがある意味見事な暗渠です。
このワイルドさは桃園川たかはら支流(リンク先はnamaさんの「暗渠さんぽ」)
の一部にちょっと通じるものがあります。
Imgp2014

これですから。この連続ですから。
Imgp2013

盛夏だし、もう見たことない羽虫とかが
いつ出てきてもおかしくない雰囲気ですが、
私の好奇心がそれに勝るのだw
Imgp2010

化石のようになったマンホール。
Imgp2009

見た瞬間、ジョージ秋山の「デロリンマン」に出てきたオロカメン
を思い出してしましました。

もうどうにでもなれ、という気持ちになってさらに突進。
Imgp2006

もうこれ以上は進めない、ここは入っていきない、
という旅の極北がここでした。
Imgp2004_2

冬にまた来てみようかな…。

反対側上流にぐるっとまわりこんでみましょう。

続きがあった!ここですね。
Imgp1995

お決まりの「ゴミ捨て場」となっているようです。
フェンスの向こうを確認してみましょう。
Imgp1996

ほおー。これがさっきのところまで続いてるんですね。

反対側はどうかな。
このおうちのこの奥に続いている模様です。
Imgp1997

奥をアップで覗き込みます。
Imgp1998

なるほど。
ちょっと高い所に函渠が作られているような感じです。

さらにこの先にコの字ウォークで向かいますが、
もうこれ以上追うことはできませんでした。

ここからは想像ですが、
たぶんブロック反対側のここに出てきて、
Imgp2000

私の後ろのマンション敷地を通ると
もう清水池のまんなかへんに出っくわします。

以上が、清水池下支流(仮)の全貌でした。
久々に荒々しい暗渠を見つけて、
ちょっとエキサイト。

もうすこし、清水池の周りをご紹介していきますね。

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暗渠ハンター 馬込山王・楓谷を歩く

前回は大田区馬込付近の、池尻堀につながると思われる
「大仏支流」を追いました。
さて、せっかくここまで来たので、
大田区名物(?)の「馬込山王・楓谷」(ろっちさん命名)
北のほうの谷を横切って帰ろうと思います。
ほんとこの楓谷は見どころがいっぱいで、
足腰も鍛えられますw

立ち寄ったのは、この地形図の
「この谷A」「この谷B」。

2

まずは「この谷A」に環七からつまり下流からアプローチ。

実はここは、この記事を書いた時に猫またぎさんから
「その裏にすごいとこあるよ」と教えていただいて、
立ちよらなかったことを激しく後悔したスポットでもありました。

「不自然に広い歩道」くらいしか暗渠サインは見当たりませんが、
この道は十分谷底感が味わえます。
Imgp9584

まっすぐ登っていくと、萬福寺というお寺が小高い丘に建てられています。
Imgp9587

入り口には「するすみ」の像が。
え?するすみって何だって?
Imgp9589

漢字では「磨墨」。

平家物語の「宇治川の先陣」に出てくる名馬の名前です。
いやー、高校の教科書で出会って以来このストーリーは
全く忘れてしまっていたのですが、この馬の名前「するすみ」ばかりが
妙に頭に残っていて、たまに思い出して「するすみ」と口に出したりしていましたw
なんか口に出してみたい日本語、じゃありません?「するすみ」。
ちなみに以前インターンではるばる会社に来たドイツ人は、
「デンシレンジ(電子レンジ)」という言葉が面白いといって、
自分で口に出しては笑っていましたっけ…。
確かに韻を踏んでて面白いような気もする。

あ、でその「宇治川の先陣」ってのは、
鎌倉幕府ができるちょっと前のお話で、源義経側にいる二人のオトコ、
するすみに乗った梶山某といけづきという馬に乗った佐々木某が、
合戦の途中で
「どっちが先に宇治川を渡って『やあやあわれこそは…』って
名乗りを上げるか」と張り合う短いエピソードです。
見事「馬に乗っての一番乗り」はするすみでなくいけづきになるのですが、
そのあと徒歩(かち)で渡ったのが大串某。
この大串某があまりにもちゃっかりしてたため敵味方ともにウケた、
というお話。

横道にそれましたが、
そのするすみの持ち主である梶山某縁のお寺だそうです。するすみ。

さてこのお寺の丘を挟んだ反対・北側にももう一つの谷筋があります。
もうこの辺は先のろっちさんの記事に詳しいので要点だけ。
これが北側の崖。
Imgp9596

この奥には、「飛び出しすぎるマンホール」(ろっちさん命名)。
トンデモない物件ですw
ロールケーキを思い出して、
食べたくなりました。
Imgp9597

この先は鉄板暗渠や開渠やコンクリ暗渠と目まぐるしく変態して
流路が続きます。

Imgp9598

Imgp9606

Imgp9611

Imgp9617

そしてさらに北にはこれに並行する開渠(南馬込1-41)や、
Imgp9602

その下流で垂直に交わる暗渠が二つ。
Imgp9612

Imgp9616

(このタイプの蓋、実物は初めて見ました!珍種ですね)

これらの暗渠は、環七手前で暗渠らしさが消えてしまいますが、
おそらく冒頭のするすみのお寺前の流れと
お寺の丘の突端で合流して
前回の大仏支流同様、池尻堀と合流していくものと思います。

まあ便宜上これらを「するすみ支流群」とでもここでは呼んでおきます。
あくまでもするすみw

んで次は「この谷B」へ。
ここは、もともと六郷用水関連の地図で知りました。
短く小さく、暗渠の記号が書かれていたのです。
どこから出てどこへ行く流れかもわからずに、
それだけを手掛かりに訪れてみました。
しかし家に帰って細かな地形図に照らし合わせてみると、
この楓谷につながる小さな谷頭だったことがわかりました。
(現地にいるときは、「きっとすぐそばだから内川に注ぐのかなあ」
なんて考えていました)

するすみ支流群から蛇坂という坂を横切ってて、
南馬込1-32にたどり着きます。
そこかた唐突に始まる暗渠がこれ。
Imgp9623

もうすこし中をのぞいてみましょう。
Imgp9624

がっちり閉ざされた空間。
もはや誰からもありがたがられていない場所。
それどころか誰も見向きもしない場所。

1-32のブロックの反対側に出て覗いてみます。
Imgp9626

この暗渠はさらに北側の1-31に続くのですが、
そこからは傾斜ががくんと急になり
谷底に落ちていくような感じになります。
Imgp9627

そして谷底はマンションややや古めの住宅になっています。
Imgp9628

なんでこんな急な傾斜になるんだろう…。
水があったとしたらそれこそ滝のように流れ落ちていたはずです。
これもあとで調べてみたいですね。

追えるのはここまで。
その先は新幹線&横須賀線の線路にぶち当たります。
地形からするとこの線路を越えて環七の通る谷筋に合流、
結局は谷頭から見て環七沿いにぐるっと
時計回りの半円を描いて池尻堀へと合流する、
そんな推測ができそうです。

今回の「ミッシングリンク」は、
いつかまた現地で検証してみたいと思います!

より大きな地図で 池尻掘・六郷用水北堀・内川 を表示

※2011.7.18追記:大田区の小学校史の記事に、「環7内側・山王近辺の谷からの流れも内川の源流のひとつ」である旨の記述を見つけ、池尻堀も内川水系として扱うことにいたしました。

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