暗渠ハンター オチのない内川支流の話。
「大田区の文化財 第25集『地図で見る大田区』(2)」
という資料を眺めていたら、こんなものを見つけました。
そう、真ん中に流れる川(オレンジ色)は、内川。
明治19年測量、というこの地図には、
西から内川に合流する支流が二本くっきりと描かれています!
赤い丸のところ。
以前内川をたどっていて偶然見つけたのは
もうちょっと上(北)のほうに位置する暗渠でしたが、
このあたりに暗渠なんてあったっけな…。
でもこんなに堂々と書かれているんだから、痕跡がないならないでいいや、行ってみよう!
と鼻息も荒く出かけていきました。
大正9年の測量時にすでに消えているんですけどね。
まあ地形図でもね、こんなくっきり谷があるし、
なにか面白いことが待っているかもしれないし。
(東京地形地図さん毎度引用させていただいてます、ありがとうございます。)
一応東京都の下水道台帳をみるとこの川筋には合流式の下水道管が通っているので、まあ暗渠と呼んで差し支えはないかと思うんです。
以下、便宜上それぞれの住所から、南側を西馬込2丁目支流、
北側を西馬込1丁目支流と仮に呼ぶことにして話を進めてまいります。
■ 西馬込2丁目支流
2丁目支流は、南馬込5-27あたりで内川に合流します。
ちょうど都営地下鉄西馬込から延びてくる商店街の谷のところ。
一見なんの変哲もない商店街。
このあともなんの変哲もありません。
ただ、両脇を見るとぐぐっと下がった谷地形であることは間違いない。
国道1号線・第二京浜とまじわるところには、
文化堂というスーパーがあるのですが、
何かの資料で「ここに昔湧水があった」と書かれていましたので、
その湧水はこの西馬込2丁目支流にあわさって
内川へと流れ込んでいたのだと思います。
今日はテンションが低いまま終わってしまうかも知れません。
いまから覚悟しておいてください。
大阪の人と飲んでるときにオチのない話をして怒られたことがありませんか?
そんな感じ。
でもこれ、絶対ダミーです。
でもこの公園の端っこが急にがくんと低くなっていて、
おそらく谷頭部はこのへんなのだと思います。
その谷頭の上のほう、西馬込2-9の界隈にはちょっとした路地が。
特定はできませんが、配水路などがあったような風情です。
よくわからないまま、谷はほんとにここで終わります。
新幹線(横須賀線)の切り通しのところ。
ちょと線路を覗いてみましょう。
うわーほんと深いなー。
と、ほとんど痕跡が見つからないまま線路沿いに北に進んで、
次の西馬込1丁目支流の谷頭部に移ってみましょう。
■ 西馬込1丁目支流
谷底には階段で下っていきますよ。
谷頭部から下流を見ると、こう。
いいですね、いい谷です。
あ、川と無関係だけどなんだかかわいらしいガードレールがありました。
地形だけを頼りに想像すると、
この西馬込1-26のブロックの中を斜めに進むようです。
かなり怪しい場所ですがやはり決め手がありません。
この時は冬だったので枯れていますが、
公園内には水のモニュメント的なもの。
まあ冒頭の明治19年の水路はここを通っていたと考えて間違いないでしょう。
うわ、谷に向かう斜面は農耕地!大田区らしくない場所ですねー。
まああとはやはり退屈な寝物語のように進んで、
内川の合流点を迎えることになります。
どうですか今回のこのオチのない感じ…。
今回の地図はこれです。
より大きな地図で 内川と不入斗新井宿村用水など を表示
■おまけ
ここで終わるものほんとにアレなので、
当日に見つけた蓋暗渠を一つご紹介します。
以前、「池尻堀 大仏支流」として
西大井5丁目あたりの谷のことを書きました。
その時は、
大仏支流が新幹線(横須賀線)の高架を越えた所の蓋暗渠について触れましたが、
実は高架を越える前のところにも
見事な蓋暗渠があることにこの日気がつきました。
蓋の素材が変わりまして、高架の土台と家の間に消えていきます。
この家の裏側を通っています。
「止まれ」の標識のところはもう大仏支流。
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