カテゴリー「2021 ・・・目黒川水系」の記事

暗渠ハンター 『散歩の達人』で「谷さんぽ」

お知らせです。

8/21に発売になった『散歩の達人』9月号(目黒・五反田・白金)。
Sanntatu
暗渠マニアック!チームとして吉村・髙山で取材協力をさせて頂いた件が、
「暗渠マニアと行く、谷さんぽ」
という記事になって掲載されました。
(カラー3ページ)
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当日は、ライターの古澤誠一郎さん、
カメラの小野広幸さん、
交通新聞社の編集担当佐藤七海さんと、
暗渠マニアック!チームで合計5人。
出発前に若干『暗渠とは…』ってお話しをしてから、
五反田の北に伸びる篠之谷、上之谷、ちょっと西にずれて清水久保、鳥久保と、
2時間ちょっとのコースをいっしょにお散歩。
始終みなさん楽しそうで、ほんとに散歩を愉しんでらっしゃいました。
それでいてしっかりと付近の見どころや当日の楽しい雰囲気まで記事にされて、
「真剣に愉しみながら、それを魅力的なコンテンツにまとめる」という
プロのワザを目の当たりにすることに。
こういう、散歩と真正面から向き合っているスタッフがこの雑誌を支えているんだなあ、
なんてちょっと感動です。
ぜひ、ご覧になってみてください。

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暗渠ハンター 田中山のふもとで

20171発目です。

 

2014年の3月に、こんな記事を書きました。

暗渠ハンター 田中山いまむかし

昭和半ばに付近にお住まいだったリバーサイドさんから証言を頂いたりして、

「そこにもう水はなかった」的な方向に傾いていましたが、

去年、現場付近でこんな物件を見つけてしまいました。

正確には、同行の相方が見つけたんですけどね。

道路にいきなり橋跡、です。

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このへんから、排水路が始まって前出の流れへとつながっていったのではないかなあ。

もちろん、昭和初期以前、の時代のことでしょうけれど。

 

*

 

去年はイベントなどの稼動が多かったので、毎日が目まぐるしく過ぎていきました。

今年はもう少しじっくり腰を据えて取材したり考えたり書いたり、していきたいなあと思っています。

みなさま、どうぞ本年もよろしくお願い申し上げます。

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暗渠ハンター 住んでた履歴が薄れてく。羽根木支流丘のうえした。

大学生時代の4年間は、ずっと京王井の頭線・新代田の駅の近くの

田中荘というアパートで暮らしておりました。

今だからわかるけど、ここは北沢川羽根木支流を眼下に望む丘の上です。

となりに田中さんという老夫婦がおおきな一軒家を構えて住んでおり、

それが大家さん。

お子さんのいないご夫婦で、

毎月家賃を持っていくと、ご夫婦に両腕をつかまれて茶の間に連れ込まれ(これは比喩です)、

お茶とお菓子、時にはパンなど口にぎゅうぎゅう詰め込まれながら(比喩です)、

1、2時間たっぷりと茶飲み話を聞いてきたものです。

この時間は、おいしいお菓子が食べられるから、嫌いじゃなかったんですよ。

毎回長時間を覚悟して、誘われるままおうちに上り込んでおりました。

おっとりした旦那さんと、年の割におきゃんなしゃべり方をする奥さん。

お二人ともずっとこのあたりで育ったようで、

よく「渋谷はほんとに谷の底でねえ」

「人は谷底に集まる習性があるんだねえ」

なんていいながら、戦前戦後の渋谷の話をしてくれました。

大学を出て引っ越してからも、

近くに寄る用事ができれば、やっぱり気になって、

特に田中さんにご挨拶するでもなく(2時間の拘束が待ってるような警戒心もあって)、

ちらとアパートの存在だけ確かめてはすこしほっとして帰ったものでした。

なんなんでしょうね、この安心感は。

昔の自分が確かにそこにいた証拠を確認、みたいなものかな。

大学卒業後の数年後に通りかかっって覗いてみたら、

躯体はそのままに外壁リフォームしてたときがあったなあ。

たぶん風呂付に改装したのでしょう。湯沸器が外付けされていました。

そのとき、「田中荘」から「メゾン田中」かなんかに呼び名が変わってたんだよなあ。

なんだかくすっと笑ってしまった覚えがあります。無理すんなよー、みたいな。

そして。この2月の末のこと。2年ぶりくらいにまた近所に行く用事があったので、

いつものようにメゾン田中に足を向けてみました。

何度か道を左右に曲がり、最後の細い路地を折れてメゾン田中方面を見てみると…。

更地。

えー・・・・・・・・。

建物は跡形もなくなってて、その代り更地の駐車場がひろがっていたのです。

田中さんちの場所も、見慣れた建物が新しくかわいらしい家に建て替えられていて、

表札には違う苗字が書かれていました。

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行き場を失った私は、しばらく更地の上の自分の部屋があったところに佇んだ後、

ふらふらとすぐ西の崖を降り、

谷底に流れる北沢川羽根木支流の入口へ。

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そしてこの暗渠の闇に紛れ込む。

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もう私がここ(メゾン田中)に来る理由がなくなっちゃったんだなあ。

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喪失感を暗渠に癒してもらおうと、いつもよりゆっくりゆっくり歩きました。

怪しまれない程度に。

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出口の「おしくらマンホール」は健在だったのでちょっと安心。

その後暗渠からは外れましたが、田中さんのことを考えながら家まで長い道のりを歩いて帰りました。

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暗渠ハンター なんで護岸は大谷石なんだろう。

暗渠に残る護岸の跡。コンクリート構造物も多いですが、
大谷石の護岸もよく見ますね。
私は栃木の出身なので、特産品である大谷石の味方です。
はい、大谷石の採石場にも何度も行っております。

でも、なんで護岸に大谷石なのでしょう。
軽くて加工しやすいのがメリットである大谷石は、
違う見方をすれば「穴だらけですっかすかの脆い石」ということでしょう。
それをなんでまた護岸になど使っていたのでしょうか。
こんなサイトもあります。
水に触れ続けることで大谷石はこんなに劣化するよ、って。

いっぽう採石場のある宇都宮のサイトにはこんな風にも書いてある。
「用途」欄に堂々と護岸と書いてあり、また
このその下のほうには、水処理、公害物質処理の役割もあるよ、と。

むーん。昔からこんな研究結果があったのかははなはだ疑問ですが、
経験値的にその効果をしていたのかもしれない…。
多少脆くても安いしなんだか水質にはいいかも、なんて。

結局答えは見つけられないのですが、
最近見た素敵な「大谷石の護岸」遺構を二つほどご紹介しましょう。

ひとつはこちら。
藍染川古河庭園支流(仮)。namaさん記事はこちら
この春、桜の散る頃に見に行ってきました。

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敷地の間にかろうじて残った片側の護岸。

もうひとつはこちら。
蛇崩川弦巻住宅支流(仮)。
こちらは、谷戸ラブさんのブログで「傍流支流」と書かれているところ。
ここは行ったことがなかったので、先日行ってきました。
(けっこう蛇崩川には行ったのだけど、こんな支流があったとはなー…)
こちらも敷地の間にかろうじて片側の護岸が残ってる。

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なんだか、両者どこか似ているような気がしますね。

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暗渠ハンター 北沢川のほとりの暗渠サイン

どうにも公私ともに忙しい日が続いておりまして、
今回もひとことだけの更新といたします。

先日久びさに北沢川と甲州街道がまじわるあたり、
住所でいうと上北沢5の8と9の間を通りかかりました。
ここから南に延びて上北沢小を抜け、
京王線を超えて松沢病院の横を抜ける暗渠は、
ほんとうに暗渠初心者のころになんにもわからずに通ってドキドキしてたなあ、
なんて懐かしの場所jなのです。

機会がなくって記事にしませんでしたが、その時
松沢病院の東側ではこんな暗渠工事がされていました。

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当時は「もしかしてここが暗渠で、いま工事してるとこ?」
なんてふわっとした気持ちでおりましたが、
間違いなく北沢川暗渠工事ですよねこれ。
5年半の時を超えてなぜか今公開。なんでやねん。

で、話戻しますと、そういうなつかしの場所の近くに行ったわけです。
改めて驚きました。この甲州街道の北側の暗渠上流入口には、
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向かって左側に京王バスのどでかいターミナルが。
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右側にはテントやさんが
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ありました、というお話。

両方とも暗渠指数はそう高くはないですが、立派な暗渠サインではないですか。
バスターミナルはうすうすわかってはいたんですが、
テントやさんのほうはぜんぜん気づかなかったですよ。

そうそう、3月29日に行われるカルカルの地図ナイトでは、
暗渠者数名で面白いことをやる予定。
発表できるようになり次第アップしますから、
どうぞその日はあけておいてくださいね!

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暗渠ハンター 羅漢寺川・かんじる川アウトテイク

今週もどうにも記事を書いてる時間がないのもあって、

先週水辺を愛する人のためのサイト「MIZBERING」にアップされた
暗渠連載記事「水のない水辺から~暗渠の愉しみ方 第4回 羅漢寺川・かんじる川
で引っ張らせていただきます;;;
記事に載せられなかったアウトテイク写真をいくつか。
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まずはこれですよ、「碑文谷ベーカリー」の
たまごパン。
羅漢寺川本流の始点近くにある昭和なパン屋さん。
パンだけでなくて、弁当も豊富です。
その弁当がまたいいんだー、ちいさなタッパーにね、
ごはんとおかずがぎゅうぎゅうにつめてあんの。
よくタクシーの運転手とか近所のおじいちゃんとか買ってるのを見ます。
パンは「おかずパン」とサンドイッチが豊富。
いずれもビールに合うかんじの。
午前中に行ってください、すぐに売りれます!
あとはこれかなー。
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支流のひとつ入谷川が本流に合流する手前の
セブンイレブン横に「保存」されてる物件。
橋跡か・・・?と思って興奮したんですが、
どうも庚申塔的な、宗教の匂いのするものです。
何なんだろう…。
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それと、一応湧水ポイントおよび目黒不動の湧水では
柴田化学の簡易水質調査キットを使って水質をチェック。

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以前測定した1年前と変わらず美しい数値でした。
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あとは、花の話題を。
これは法面の擁壁にある、たぶんランタナ。
冬に入る前ですが、
このほかにもつつましくも美しい花がいくつかの場所で咲いていました。
暗渠で見る花は、ひときわ美しいと思います。
表紙、というか本編記事ページのトップで使った
白と紫色の花がひときわ素敵でした。
名前知らないんだよな・・・。
もしご存知の方いらしたらぜひ教えてください!
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暗渠ハンター MIZBERINGに「羅漢寺川・かんじる川」を書きました。

9月から始まったMIZBERINGでの暗渠連載記事、「水のない水辺から」。

3回目となる11月は、「東京『暗渠』散歩」の本田創さんの番で
和泉川が題材
あの「はっぴいえんど」の「ゆでめん」現場を突き止めた話などあって
とても興味深い記事でした。
なんと松本隆さんもこの記事を読まれたとツイッターでおっしゃっていたり。

以降ひきつづき、具体的な「水のない川」を取り上げていきます。

で、この12月は、ちょっと順番の変更があり私が
羅漢寺川を取り上げて書かせていただきました。
タイトルは「羅漢寺川・かんじる川」。
今回は、目下本業でへろへろなので、今回はその雑感みたいなことを。

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いつもこの駄ブログで書きなぐるときは殆ど推敲もせずに
ダダ漏れ状態で文章を綴っていきます。
だから制作従事時間=PCに向かってキーを打ってる時間なのですが、
当ブログ以外で書かせていただくときは、
こう見えて結構ねちねちと推敲を重ねてるんですよね。
(その結果が良いほうに表れているかどうかはまた別の話ねw)

たとえば今回のMIZBERING原稿は、
休日1日でまずざっと全体を書き、
その後通勤電車で読み返しては手直しを繰り返し、
それ以外でも断続的にぼんやりとああでもないこうでもないと考え続け
都合10日間くらいはねちねちやりました。
たった3000~4000字の原稿にですよw 
時間かけすぎなんとちゃうかと。
ほかの人のスピードはわかんないけど。
そう、ちゃんとした記事仕事だと、
とたんに従事時間が長くなるんですよねー。
キーを打つ時間:推敲時間 はだいたい1:5くらいかな…。
外向けだと「これでだいじょぶかなー…」って
こわごわねちねちやるんだけど、
うち向けだと強気。というか無頓着…。筆的内弁慶。

そんなことの果て、今回アップした原稿と第1稿比べると
もうほとんど別物です。

今回は、川自体も短いし、連載初回では
「暗渠の3つの魅力」とか挙げてみたりしてたので、
今回はいつもの
<上流から、あるいは下流から川の流れに沿って順番に説明をしていく>
という書き方でない風にしようと思っていました。
できるだけ新しいフォーマットで書いてみようと。

第1稿ではその方針には沿っているんですが、
まあなんというか事務的というか。
タイトルも決めずに。
書きあがったものは、単に羅漢寺川の特徴をつらつらと挙げていく
平板で総花的な「レポート」です。
この第1稿の頃は、自分の力量に落胆・失望し、
書くことがそんなに楽しくない状態。
まんじりともしないかんじ。

まあそれでもがんばろうかね、と推敲段階では、
まず章ごとのタイトルをつけてみることから始めました。
これも最初はそっけなかったんですが、
何度も変えていくうちに心にも「遊び」がでてきて、
今度はそのタイトルに合わせて本文を変えて、
さらに一貫性を保つため他の章タイトルも変えて、
またその本文を直して。
なんとなくこの段階あたりにくると、
平板だった「羅漢寺川レポート」の中でも、
何がこの川のおもしろさなのか・自分は何処に魅力を感じてるのか
がぼんやりと浮き上がってくるんですね。
推敲もすごく楽しくなってきます。
もう「羅漢寺川ラブ」状態です。
羅漢寺川と一緒に遊んでいるような感じ。
こうなってようやく気に入った大タイトルが浮かびました。
そんでまた大タイトルに合わせて全体の一貫性を保つために
少しずつ細部に手を入れて…
という具合にできたのが、今回の
「羅漢寺川・かんじる川」なのでした。

内容としてはたいしたこと言ってないんですけど、、
「こいつ楽しそうに書いてるな」だけでも伝わればとてもうれしいです。

んでは本文はこちらから、どうぞ。

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暗渠ハンター 宇田川湯のまわりで。

今回もちょっともろもろ準備のため、いつもより手を抜きます(笑)。

その準備のひとつはこれ。
さいきん暗渠に興味をもたれた方にはまさにドンピシャな2時間になることと思います。
また「水」をテーマに構成するその他の時間のご担当者も珠玉の人選かと。
どうぞよろしくお願いいたします。
では今回更新分をどうぞ

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 世田谷区羽根木にある宇田川湯。学生時代の4年間ずっと世話になった、
まるで特徴のないふつうの銭湯だ。

 目黒川の支流の北沢川、そのさらに支流の通称「だいだらぼっち川」は、
下北沢の街を南から西に回り込み守山小学校のあたりまでさかのぼることができる。
 ある日地形図をじろじろ眺めていたら、その守山小のすぐそばで分かれ
環七を西に越えて羽根木方面に抜ける浅い谷が目に入る。
さっそく、何か流れの痕跡でもあるのではと小さな期待を込めて現地を丹念に歩く。
が、川の痕跡はまるで無し。
暗渠のない谷を縦横に探り歩き、最後の谷頭に建っていたのが「宇田川湯」だった。

 …この銭湯に通っていた頃考えていた「未来」は、何も実現していない。
それは未来を思い描く力が私に足りなかったからだと思う。
それが証拠にいま私がいる「未来」は、当時思い描いていた未来より
はるかにしあわせ、だからです。

 宇田川湯に湧き上がってくる湧水が、浅い谷を下って環七を渡り
だいだらぼっち川に合流し、下北沢から池尻大橋中目黒、北品川をかすめて
東京湾へと流れていく。
そんな想像をしながら、すぐ近くにあるはずの当時のアパートを訪ねてみよう。

(これは2014.6.29に筆者facebookアカウントにてニュースフィードに掲載した記事と同じものです)

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暗渠ハンター こんな暗渠がすき。

目黒川の支流の北沢川、さらにその支流の森厳寺川の上流。
ずっと前にこんな記事を書きましたが、そのさらに上流の辺りですね。
先達の方々も大勢取り上げてらっしゃる比較的メジャーな川なんだ、と思います。

その森厳寺川。
東北沢の横を抜け井の頭通りを突っ切って、
北沢中学校を貫通したところにあるのがこの暗渠。

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このほったらかされ感がたまらなくいい。

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なんでしょうね、先日web文芸誌・マトグロッソさんにも書かせていただきましたが
私は暗渠の佇まいが孕むその場の雰囲気が大好きなんです。
このほったらかされ感、あるいは誰からも気に掛けれれていない感が、
私の「心の暗渠」にびびっと響いてくるんですよね…。

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暗渠ハンター 目黒区中根2丁目湧水疑惑を追え!Act.2

いつになるか自分でもわからなかった
「目黒区中根2丁目湧水疑惑を追え!」の続編ですが、
意外と早く書くことになりました。
前々回でも活躍した柴田化学の水質調査キットを持って、
比較対象とする地点の調査に乗り出しましたよー。

つまり、あらかじめ「湧水」だとわかっている・言われている地点の水質と比べてみることで、
このまえの中根2丁目の湧水の真偽性を確認しようかと。

で、今回選んだのはまずここ。
泉岳寺から歩いてすぐの成覚寺。以前namaさんがレポートしてたところ。
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平日の昼休みだったので、境内出店するお弁当屋さん(たぶんお寺とは無関係)の
長い行列ができていました。
(本文に関係ないけど、私にとっては今日はやっと取れた夏休み!
頭の中では「♪8月も終わり近くに取れたー短い休みから帰ってきたらー♪」
ピチカート・ファイブの曲が流れておりました。
さらに関係なくなるけど、カラオケでピチカートの初期の曲揃えてるところ少ないんだよなあ…)

お寺の奥さまにごあいさつをして、裏手の崖の湧水を測定させていただきます。
奥様に感謝。

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この樋から崖の湧水が流れてきます。
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先のnamaさんブログ時代とはずいぶん変わってしまいました…。
奥さまのお話では、最近まためっきり水量が減ったとのこと。
確かに、湧水のたまりの水槽(使い古しの風呂桶やシンク)の水は、
残念ながら以前よりバスクリン色になってしまっているようです。

調査はここの「第一たまり」的なところの水を使用。
こんなふうに。
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結果は、もうすこしあとでまとめてご紹介します。

実は、近所でもう一か所測定を実施しました。
以前当ブログで「目黒川 上大崎猫顔支流(仮)」
(ふざけた名前だなあwこれを機会に上大崎支流と改名しようっと…)のさらに支流として
ご紹介した一本の湧水的な流れ。

これもついでに測定してきました。
もともと、中根2丁目のように「湧水みたいだけどほんとかどうかわかんない」位置付けでのトライアルでしたが、
ちょうどお隣に家を構える御宅の奥さまがいらしたのでたずねてみたところ、
間違いなく湧水、とのこと。御宅の裏の崖から湧いてこの側溝を流れているそうです。
この湧水は、昔はお宅の前にあった川(ここでいう上大崎支流)に合流して下流(五反田方面)にながれていたんですって。
因みに、さらに100mほど下流では(西からの、もう一本の上大崎支流と合流するあたり)には
米屋さんがあるのですが、そこには水車があったというお話も聞かせていただきました。
こちらの奥さまにも感謝。

さて第二調査現場はここ。
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見てください、この清冽な流れ。塀伝いに奥の崖から細流が続いています。
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ここから取水して、こんなぐあいに。
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では今回2か所および過去の中根2丁目の結果をまとめます。
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●今回は「ph」も測定。
成覚寺は8.5、上大崎は6.5となっています。7が中性ですから、
成覚寺はややアルカリ性、上大崎はやや酸性といえます。
両地点は地図上ではこんな位置にあります。
(google earthさん・東京地形地図さんどうもありがとうございます)
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右上が成覚寺、左下が上大崎。
両者でこんなphが違うのがおもしろいですね。

●続いて「亜硝酸」、機材の都合のため成覚寺では測定していません。
上大崎での数値は中根よりも小さい0.02。
一般的に「きれい」な数字とされている、優等生的な結果となりました。

●次は「COD」。
中根ではこれが大きく出てしまい、
一気に「湧水じゃねんじゃね?」疑惑の元となってしまった項目です。
上大崎では0.0。素晴らしい。文句なしです。
一方成覚寺では6.0。「きれい」の基準2.0を大きく上回り、中根の数字に近い「怪しい数値」となっていますね。
でも成覚寺、まちがいなく湧水ですから!

●お次、「アンモニウム」です。どちらも0.00。これまた文句なし。
ちなみに中根でも同様に0.00でした。

●最後は「リン酸」。
成覚寺は0.0でしたが、上大崎では0.5となりました。
これは中根よりも大きな数字ですね…。
でもここも、れっきとした湧水ですから!!
(「これ大豆ですから!」って田中麗奈が言うSOYJOYのCM、結構好きでした)

さあ、数値だけだと直感的にわかりずらいので、前回にならって
「汚れている」とされる数値を100として、それぞれの結果を%表示にしてみましょう。

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なるほどねえ…。

今回の「れっきとした湧水」と比べてみると、
中根2丁目の数字はそんなに「湧水とは間違ってもいえまい!」
というものではないことがわかります。
イケるじゃん、中根2丁目!

中根2丁目も「湧水である」とした場合、現時点で言えるのは、
①亜硝酸・アンモニウムはどこも極小値を示している。
②COD、リン酸は場所によってバラつきがある。

ことですね。

今後も測定をしていきますが、見どころとしては
①の低さは、湧水の必要条件となるのかもしれんな。
②はどのみちバラつきそうだ。どのくらいばらつくか楽しみだぜ。

ということでした。

ということで、Act.2での結論。
Act.1では「かなりの確率で湧水的な流れが存在している!」としましたが、
さらに確実性が上がって
『中根2丁目に流れているのはおそらく湧水ですわ』と言わせていただきます。

※参考ですがこんなデータ、おもしろそうです:港区による利水関連の調査レポート

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