カテゴリー「2055 ・・・神田川水系」の記事

暗渠ハンター 「ハルさんの休日」に出演しました。ヘンタイ役で。

「マナイタ放浪記」の間に挟んで、一件ご報告を。
Eテレの人気番組で「ふるカフェ系ハルさんの休日」って番組がありまして。
主人公である古民家カフェマニアのブロガー、真田ハル(渡部豪太)さんが、
全国のふるカフェを訪ね歩くドラマです。
ドラマなんですが、本職の役者さんは渡部さんだけ。
Img_4291
あとは地元のみなさんががんばって演じる、という異色のドラマですw
4月26日夜、桃園川沿いのみなさんご存知「モモガルテン」さんがこの番組に取り上げられ、
私も「桃園川暗渠を見つめるヘンタイ暗渠マニア」役で出演させていただきました。
Img_4292
まあ素人なりに演技してるんですけどね、その大根っぷりを笑っていただければと。
「顔出しNG」の『暗渠マニアック!』共著者吉村も、
台本ができる過程の桃園川情報提供で思いっきり協力させていただいております。
私たちの大好きな桃園川がこんな形で取り上げられて、とてもうれしいです。
あ、お見逃しの方は、日曜18:30から再放送があると思いますので、
どうぞご笑覧くださいましー。
こちらは「ハルさんのブログ」。
Img_4294

この回は、先日向田邦子賞を見事受賞された矢島弘一さんの脚本でした。
執筆にあたり、私と吉村にも取材をしていただきまして。
それがね、東銀座のファミレスで、わずか1時間弱くらいだったんですが、
見事我々暗渠マニアの本質をつかんでくださってのこの役柄だったのです。
すごい観察眼だなあ、なんて思ってたらこの、
脚本界の芥川賞みたいな賞の受賞ですよ・・・。
なんだかこっちまでうれしくなってしまいました。

・・・ところで。
5月17日は木場のふるカフェですねー。
木場も、たくさん暗渠のあるところですよね。
福富川には水門が残っていたり…。
もしかしたらここでも、
ハルさんがこの暗渠マニアの「ヤバい人」にバッタリ再会ってしまったりとか、
したりしたら面白いんですけどね…。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

暗渠ハンター 仙川なかほどみぎひだり

仙川の中流域、京王線と交差する付近。
本流の右左(東西)に1本ずつあげ堀のような支流がありまして。
ここはどちらもきっちりと蓋暗渠が残っていたりして
(左岸のやつは開渠や鉄橋まであります)

なかなかいい暗渠景色なのです。
最近別調査をしていて通りかかり見つけたものなのですが、
数年前すでに本田創さんがブログに書かれていました。

こちら右岸の記事

まあこの記事以上にもう書くことはないのですが、 私が心奪われたのはここ。
木の成長(もう止まってると思うけど)とともに盛り上がる蓋暗渠。
植物の生命力と人類の知恵との拮抗…。新たな景観…。

Img_5208

そして左岸の支流に関する本田さんの記事

この下流にも短い支流があったので、そこをご紹介しましょう。
最上流はここのようです。

Img_5173
川からの引き込み口的な。 このあとは住宅を縫うように。

Img_5188
でも閉ざされています。

暗渠区間は短く、すぐに開渠。

Img_5178

ここは絶景。途中で廃墟のように終わる蓋暗渠。

Img_5194    
最後はまた暗渠になって、仙川へ。

Img_5195

…2015マイベスト暗渠とか下野市の暗渠とか、
積み残しがいろいろありますがゆっくりやっていきますね。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

暗渠ハンター 暗タクはじめました。

前回「下野市の下谷田遊歩道を深堀します」と予告しておきながら、諸般の事情でちょっとちがう話を挟みます。

「暗タク(暗渠拓本)」のお話です。
先日、西荻窪トロールの森で行った展示「西荻暗渠博物館」の打ち上げを敢行いたしました。
そこでの余興として、マンホール蓋や地形模型の「拓本をとってあそぼう!」ってのがありまして。
手ほどきは、トロールの森事務局代表であり杉並区文化財保護ボランティアの野田栄一さん。
そこで我々は拓本の基礎を教えていただき、いくつかの拓本道具もわけていただきました。
これ暗渠でもやってみたいよねーなんて盛り上がっていたのですが、
さっそくその翌々日、実際に暗渠拓本「暗タク」を試みてきたので、
ここにご報告しますね。
まず道具。
厳選したこれらを「暗タク七つ道具」としてみなさまにご提案しましょう。
Img_3860_2


右から、
①拓本用紙
…書道用の半紙でもOKらしいんですが、たぶん取りたい物件が大きくて入らないんじゃないかと思って大きめの本格派のを買いました。

②新聞紙
…取りたての拓本は濡れています。それを、新聞紙に大事に挟んで持ち帰ります。
③ブラシ
…物件に掛かっている砂や小石をのぞくため。柔らかく掃いて拓本の準備をします。100均で買いました。
④霧吹き
…物件に紙をあてたあとはまず湿らせます。その時に使う霧吹き。まあ家庭用洗剤の空き容器とかでもいいんですけどね。私は東急ハンズでワンランク上のラグジュアリーでプレミアムなやつを買いました。しかし所詮霧吹きです。数百円。
⑤タンポ
…市販品もありますが、私は野田さんに分けていただいた材料で手作り。野外で拓本を展開する場合は、最低限大1個、小1個あればこと足りると思います。
⑥マスキングテープ
…これは重宝しました。なくてはならない。野外だと風で紙が乱れます。そこで予めこれで紙を物件に固定しておきます。ちなみに写真のやつは地図センターで出してる地図記号マスキングテープです‼
⑦墨
…拓本用の墨があります。これがなかなか売ってない。新宿で買おうとハンズに行ったら扱いが無くて、世界堂で買いました。

これを持って、最初に選んだ物件はもちろんあそこ‼
初台川(宇田川初台支流)のじ上流の、
階段に埋め込まれた「田端橋」遺構です。

準備風景。
Img_3843_4
こうなりました。

Img_3862
次は下流に移動して、「初台橋」の銘板。
Img_3845

Img_3864
ね。
最後は、桃園川の「三味線橋」。
Img_3849

Img_3863
欄干の波模様もやっっちゃった。

Img_3865

帰ってきて、乾かしながら部屋に敷き詰めて一杯飲んでるんですけど、
これがなかないいきもち。
暗渠飲みをしてるみたいですよ。
次は蓋暗渠でやってみて、いろんな場所の違いを見てみようかな。
そんで、床いっぱいに敷きつめて、そこでまた一杯…。
ああ…。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

暗渠ハンター 西荻の南北の車止めを比べる展示、でした。

さて、前回に続きまして今回も、終了した展示のご報告。
11月3日~23日まで、西荻窪の街を挙げてのアートイベント「トロールの森」の
一プログラムとして参加したのが、「西荻北暗渠博物館」と題した展示です。
名義は、『暗渠マニアック!』共著の吉村に加え、
唯一無二の下水道フォトグラファー白汚零さんとの3人トリオで。
物販も豊富に取り揃え、タスカフェというお洒落cafeのスペースを存分に使わせていただきました。
おいでくださったみなさま、ほんとうにどうもありがとうございました。
こちらもたぶんもう皆様の目に触れることはないかと思いますのでw
出品したパネルのいくつかをご紹介しておきますね。
こちらも全体の企画やタイトルは吉村の制作です。
展示場所が西荻の北口のカフェだったので、
西荻北口をフォーカスしよう、または西荻の「南と北」という分類を意識しよう、
という趣旨での組み立てです。
博物館だけに、いろんなコーナーを取りそろえたのですが、
私はその一角として
「西荻の、南北の車止めを比較してみる」というコーナーを作りました。
題して「西荻、南北『車止め』対決!」です。
以下一部のパネルを使ってご紹介し、ましょう。
まずはこれ。

1

そしてここから南北比較です。
まずは北側。
2
強引ですが「北側の車止めはスマート」として、
6か所の車止めを挙げました。
4
5
そしてこんどは南側。
こちらは「無骨」をキーワードにしてやはり6か所ご紹介。
3
10
11
こんなふうにして。
で、せっかくなので、お好きな方を投票してもらう形式に。
これが投票用紙と結果です。
20151123_114132543_ios
「無骨な南側」の圧勝w
作った私が南側のファンだったので、
自然と写真やキャプションにチカラ入ったのかも…。
ご協力、ありがとうございました!!!

| | コメント (0) | トラックバック (0)

暗渠ハンター 阿佐ヶ谷の蓋を愛でる展示、でした。

11月の5日~8日までの短い期間でしたが、
『暗渠マニアック!』共著の吉村と共に
ぶらっとりー阿佐ヶ谷というところで
「阿佐ヶ谷暗渠迷路」と題したパネル展を開催いたしました。
おいでくださった皆様、どうもありがとうございました。
既に展示は終了いたしまして、
もう皆様の眼に触れることはないかと思いますのでw
この場で出品したパネルからいくつかご紹介しておきますね。
全体の企画、タイトルは吉村の制作です。
展示場所が阿佐ヶ谷だったので、
というか阿佐ヶ谷の街全体でやっているアートイベントの一つとして
展示場所をお借りしたので、
阿佐ヶ谷の暗渠の魅力をご紹介するという主旨でした。
そこで、スペースを半分ずつ吉村とシェアして私が作ったのは、
「阿佐ヶ谷の暗渠でも特に蓋暗渠に着目してご紹介する」コーナーです。
こんな3枚のパネルを導入に使いました。
2
3
4
そして、各「名所」の写真をこんなふうに
キャプション付きで並べていく体裁です。
8
9
12
こういう、展示という形式は初めてでした。
それなりに製作費もかかってしまうのですが、
自分の考えや写真をこんな「かたち」にするってのもなかなか楽しい経験でした。
改めまして、観にいていただいたみなさま、
ご協力くださいましたみなさまに、お礼申し上げます。
どうもありがとうございました。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

暗渠ハンター なんで護岸は大谷石なんだろう。

暗渠に残る護岸の跡。コンクリート構造物も多いですが、
大谷石の護岸もよく見ますね。
私は栃木の出身なので、特産品である大谷石の味方です。
はい、大谷石の採石場にも何度も行っております。

でも、なんで護岸に大谷石なのでしょう。
軽くて加工しやすいのがメリットである大谷石は、
違う見方をすれば「穴だらけですっかすかの脆い石」ということでしょう。
それをなんでまた護岸になど使っていたのでしょうか。
こんなサイトもあります。
水に触れ続けることで大谷石はこんなに劣化するよ、って。

いっぽう採石場のある宇都宮のサイトにはこんな風にも書いてある。
「用途」欄に堂々と護岸と書いてあり、また
このその下のほうには、水処理、公害物質処理の役割もあるよ、と。

むーん。昔からこんな研究結果があったのかははなはだ疑問ですが、
経験値的にその効果をしていたのかもしれない…。
多少脆くても安いしなんだか水質にはいいかも、なんて。

結局答えは見つけられないのですが、
最近見た素敵な「大谷石の護岸」遺構を二つほどご紹介しましょう。

ひとつはこちら。
藍染川古河庭園支流(仮)。namaさん記事はこちら
この春、桜の散る頃に見に行ってきました。

Img_9065

敷地の間にかろうじて残った片側の護岸。

もうひとつはこちら。
蛇崩川弦巻住宅支流(仮)。
こちらは、谷戸ラブさんのブログで「傍流支流」と書かれているところ。
ここは行ったことがなかったので、先日行ってきました。
(けっこう蛇崩川には行ったのだけど、こんな支流があったとはなー…)
こちらも敷地の間にかろうじて片側の護岸が残ってる。

Img_9409

なんだか、両者どこか似ているような気がしますね。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

暗渠ハンター たまには違うアプローチ

以前、杉並区の区境を歩いていて、思わぬところで開渠を見つけました

いつもは「●●の暗渠を見に行く」とか、
「このエリアが妖しそうなのでそこで暗渠を探しに行く」とかいう動機で
出かけていくのですが、
この日は相方が「区境を歩くぞ」というのにのっかった、
という普段と違うアプローチであったわけです。
そこで斬新(当社比)な暗渠を見つけることができた、と。
まさかここに!みたいな。

で、今度は「荒玉水道を歩く」という発案に乗っかってあるいてきたんですが、
そこでも思わぬ収穫を得ることができました。

それが今回のお話。

神田川にほど近い小さな公園。
こんな、「つい撮りたくなる」ものがあったので
ちょっと立ち止まって撮影。
Img_8323

こじんまりしてるけど桜もトイレもあっていい公園だねなんて言いながら
荒玉水道に戻ろうとすると、
公園の反対側にこんな道がぽっかりと。
Img_8324


…短いふた暗渠でした!
荒玉水道を歩いてみよう、なんて思わなかったら
出会えなかったろうなあ。ここ。

Img_8325


奥に進むと左に直角に曲がる。
Img_8326



続く。
Img_8327



続く。
Img_8328

行き止まりを前にして終わる。
Img_8329

私からは以上です。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

暗渠ハンター 方南町と南台を貫くはしご式開渠のこと

まさかこんな都心にはしご式開渠が‼?
とあまりにびっくりしたので
興奮冷めやらぬうちにアップしておきます。
ちょうど杉並区と中野区の区境になってるところですね。

帰宅してからググってみたら、猫またぎさんでなくHONDAさんが2009年に記事にされていました。

この写真と見比べると、手前のわずかな「蓋暗渠」部分の長さと素材が変わったようですね。

Img_8019

ちなみに撮影位置である道路から神田川までの距離はわずか。高低の関係や道の曲がり具合などからから言っても
この開渠はこの道路とともに蛇行し神田川へと注いでいた模様です。
便宜上ここを「神田川 方南南台区界支流(仮)」としておくことにします。

では奥に進んでみましょう。
Img_8022

開渠の端にパイプが這わされています。
接続の状況からみておそらく雨水管でしょう。
普段の雨水はこのパイプの中の「密閉空間」を通って排水され、
それで賄えないくらい大量に雨が降る「非常時」にこの開渠に水をあふれさせて流す、という構造なのではないでしょうか。

さらに奥へ。
光の加減でなんだか神々しさまで出てきました。
Img_8026_7

ブロックの中を割り込むようにずんずん奥へと続きます。
が、このへんで追跡の限界。
Img_8028_3

続きが見られるところまで「コの字ウォーク」で凌ぎましょう。
途中この住設工事会社的な敷地の資材置き場で
一端が垣間見れます。
Img_8036

どうやら車の後ろの小屋は水路上に建っている模様です。
つまりこの開渠が一時的に「小屋蓋暗渠」となる区間です。
ここを越えると再びはしご式開渠で
家々のスキマを縫っていきます。

ブロックの反対側まで来ました。
水路はこの駐車場を奥から区境と共に貫いてくるはずです。
Img_8041

駐車場の奥はここ。
Img_8039

幅の狭い塀の向こうの水路は暗渠となっています。
Img_8040_2

さてこの先は、と。
歩道に加工されたと思しき痕跡を辿って上流をを探ります。
Img_8042

む。区営住宅。
Img_8044

この区営住宅の沿って南に回り込みさらに南の台地に登りかけるあたりで痕跡は途絶えます。
Img_8045

このあたりは南と東の二方の台地に囲まれる
窪地になっていますね。
この辺から水が湧いていたと考えてもよさそうです。

それにしても、ここは新宿から直線距離で僅か3.5㎞の場所。
こんな都心ではしご式開渠が残っているとは驚きました。
ぱっと思いつく中では東松原のはしご式開渠ですが、
ここは新宿から5㎞、渋谷にも4.5㎞ですからねえ。

| | コメント (1) | トラックバック (0)

暗渠ハンター 浜田山で見つけた木とミゾの話・神田川 浜田山支流(仮)

もうずいぶん前のことです。
神田川のむつみ橋(杉並区浜田山1-1)あたりを通った時に、
あ!と思ったことがありました。



こんなモノがあったので。



Img_5242



ダークダックスみたいにハスに立ってる車止め。

私の背中方面がむつみ橋です。



ダークの向こう側からもう一枚。



Img_6213





暗渠は撮影地点の足元を通っています。



この日、上流はどこだろうとうろうろしてみましたが、
どうも見失ってしまいました。
うーん、あげ堀かなんかかな、と
困った時の『あげ堀』扱い」で自分をごまかし、他の目的地へと急ぎました。



そのうろうろしたときにやたら印象に残ったのがこの木でした。
Img_6203



道の真ん中にでん、と生えている木。
何か特別な歴史を語っているような、いないような。
あるいは何か昔の秘密を知っているような。いないような。





そして約2年の時が流れるわけです。
浜田山付近を、なんも考えずに歩いていた時、
(いや実際は何か考えていましたよ)
家と家の間に川跡らしきものがあることに突然気づきました。



Img_1532



なんだこれ!
(いやそう思った時にはもう川跡だろうとは思いましたよ)



浜田山1-28-21です。
さっそく東京時層地図を立ち上げてチェックしてみましたが
川の記載はナシ。
ただし地形図をチェックするとうっすら浅い谷があるこがわかりました。



よっしゃ、上流下流を探してみよう!
果たして、延長線上にはこんな川跡を見つけることができました。
Img_1535





Img_1538





Img_1539




こんなところに流れがあったのかあ…。



ちなみに後日詳細な地形を調べてみるとこんな。



Photo



GoogleEarth様&東京地形地図様のお力をお借りしています。
楕円の中の浅い谷がここでした。



しかしまさかこうして川(ミゾ??w)がしっかり残っているなんて!
さてこいつはどこに流れていくんだろうと
辿って行くと…。
Img_1541



数年前に出会ったあの木に出くわしました。
Img_1543



そういうことか。やっとつながった。



便宜上「神田川 浜田山支流(仮)」と名付けておくことにします。







より大きな地図で 神田川西永福付近の短い暗渠 を表示





| | コメント (0) | トラックバック (0)

暗渠ハンター 谷端川 南長崎支流(仮)を再検証。

「暗渠ハンター 神戸の鯉川こんな川」を連載中ですが、
早くもマンネリ臭がしてきたので(自分でも飽きてきたw)
最終回に行く前に1回だけ違うトピックを挟むことにしました。

****************************************************************
南長崎から谷端川に流れ込んでくる支流暗渠のことを書きました。

これについて、2014年6月に「南 長崎さま」とおっしゃる方
(記事中で「南長崎支流の水源」とした池の目の前で育たれた方です)から
貴重なコメントを頂きました。
要約すると、以下。

①「水源」の池は、周りの数件と合わせて公園となった時に人工で作られたものである。

②西武池袋線付近(南長崎3-42付近)は水はけの悪い(水が溜まる)ところだった。

③南長崎花咲公園の前にあるタバコ店の脇から西武池袋線の方角に向かって伸びている細い暗渠がある。これが南長崎支流(仮)に繋がっていたのではないか。

頂いたこの証言と、再度の現調の結果を踏まえ、
記事を検証していくのが今回の目的です。
なお投稿者である「南 長崎さま」のことは
この後出てくる「南長崎」という地名と混同しやすいので、
便宜上以下「南さま」と呼ばせていただきます。どうぞご了承ください。

さてまず①について。
私は元記事では
①-A 私の手元資料「<調査ノート>豊島区の湧き水をたずねて」横山恵美(豊島区郷土資料館研究紀要「生活と文化」第11号2001年12月)を見て南長崎公園付近に湧水と小川があった」という記述を見てここを「南長崎支流(仮)」の上流端と特定する。
①-B たまたま公園内に池があったので、そこではないかと想像する。
と書きました。

南さまの証言によると、①-Bは私のとんだ勘違いw
ということになりますね。取り消させていただきます!
失礼いたしました。

①-Aはちょっと詳しく整理しましょう。
前出の資料「<調査ノート>豊島区の湧き水をたずねて」横山恵美 を
引用させていただきますと(紀要P60)

「南長崎3-30、37(lotus注:37が南長崎公園です)間に湧き出た水は、南長崎2-24付近で西武池袋線にでて線路沿いに流れ、椎名町駅前のストア付近で谷端川に注いでいた(佐藤鈴代氏提供)。明治44(1911)年の武蔵野鉄道開通前の地図にこの小川が描かれている。また足立慶孝氏(1916年生)によれば、昭和10年代まで線路沿いに湿地(原っぱ)が続いていたという。」

と書かれています。
少なくとも明治末期までは南さまのご生家近くから水が湧き川が流れていたと書かれているわけですが、
南さまのお子様時代にはすでにこの川ごと水の気配がなくなっていたのかもしれませんね。
南さま、のちほどぜひお子様時代であったころの年代も教えていただけるとありがたいです。(こっそりで結構ですw)

それ以上の結論は、やんわりと先送りしましょう。

次は②。
先の引用の後半と全く一致しますね!
しかし
南さん仰るように3-42あたりまでも続いているとは
これまで私は全く想像できませんでした。
現地に行ってみると確かに一帯が低くなっていることがわかります。
なるほどなあ。ここまで広がっていたのかと感慨もひとしお。

そして③。
まずは現場検証です。

ここが南長崎花咲公園。
Img_2511
回れ右してそれらしいものを探ると…。
あった‼
Img_2512
これは細いぞ。
おそらくこの暗渠道を最初に自転車で通ったのは
私だと思います。
Img_2513_3
ちなみに左手のおうちではたくさんカエルを育ててらっしゃる
ようで、
ここ(@kaeruland)でいろいろご発言もされています。

自転車のハンドルも通らない難所を過ぎると
(というか過ぎても)こう。
Img_2514
紫陽花がきれいだったので余裕ぶっこいて
カラダを反転させながら写真撮ってみました。
Img_2516
まだ先は細く長く続くのであった。
Img_2518
かなりツラい状況ですがもうあとには引けません。
Img_2519
それでも余裕ぶっこいて振り返って&しゃがんで1枚。
平常心…。不動心…。
このあたりかなり好きな風情です。
Img_2522
やっと広い道キタよ。
Img_2523
この区画は新規造成されている模様。
まだ先が細くつづいています。
Img_2525
ここが出口。
振り返ってみましょう。
Img_2528
電柱のところが暗渠道の出口ですが、
左(東)に向かって道が拡張しています。
南さまは「ここで曲がって東に流れが向かったのでは」
と推測されていましたが、
まさにその通りだと思います。

東に曲がった先は、道に紛れて解らなくなってしまいます。
Img_2530
ですが、わずかな土地の傾きかおそらくすぐに北(西武池袋線方面)に曲がり、
ここ。②でご指摘の場所に集まってくるようですね。
Img_2536

私も南さまが仰った説に賛成です。
南さまお見事!

そうなるとの暗渠の水源は何だ、ということになるのですが、
それがわかりません。
ただ、暗渠の始まりのところは
東西に清戸道という交易上重要な古道が走っています。
殆ど尾根伝いに。
ある程度家や商店が集まっていたはず。
その生活排水を流す「どぶ」だったのではないかなあ、
というのが私の推測です。

より大きな地図で 杉並以北でまとめてみよう を表示




********************
さてここからは余談。
現場検証をしていて自分の過去記事を思い出しました。
それがこれ。
この記事のさいごに地図を掲載しており、
そこには「湧水」として
東長崎駅前のとしま昭和病院横から始まる暗渠を図示しています。
その始点から下流(南方向)を眺めに行きました。

ちなみにこれも先の資料
「<調査ノート>豊島区の湧き水をたずねて」横山恵美(豊島区郷土資料館研究紀要「生活と文化」第11号2001年12月)
を参考にしています。

Img_2563
ここも細い。
Img_2566
ずっと細い。
Img_2569
清戸道を通り越しても細く続きます。
Img_2571

ここで興味深いのは、
先ほどのの暗渠は清戸道から北に流れていて
あたかもこの古道が分水嶺になっていたかのように思えますが、
数百m離れただけのここでは清戸道が低くなっており
反対方向に水が流れていた、
ということです。
世が世ならどっちかが「逆川」とか言われててもいい感じの。
うーん、面白い!

今回の記事はすべて南さまのコメントがきっかけで
書かれたものです。
改めて、南 長崎さまに感謝申し上げます!


より大きな地図で 杉並以北でまとめてみよう を表示

| | コメント (15) | トラックバック (0)

より以前の記事一覧