前回、この地形図の下の「呑川 東玉川支流」をご紹介しましたが、
今回はこの上の「奥沢支流の谷」を。
いつもながらgoogle earthさん&「東京地形地図」さん、
どうもありがとうございます。
さて、東玉川支流を登り切ってまた呑川に戻り上流を行くと、
またまた大きめの合流口が見えました。
やはりここから西の方面に行く支流の谷の始まりです。
前後してしまいまいたが、
この谷を縫う川、ここから奥沢付近まで遡ることになるので、
この支流を「呑川 奥沢支流」と呼ぶことにします。
合流口を素直にトレースして遡っていこうとすると、
こんな道になります。
うーん、これでいいのか若干の不安が残りますね・・・。
でも大丈夫。
ほら、歩道が暗渠っぽくなってきました。
ちょっと行くと奥沢公園。
まっすぐの暗渠っぽい部分がここで消えますが、
たぶんここは右折でしょう。もうカンだけどw
たぶんこの道でよさげです。
あ、足元には「おしくらマンホール」が!
なんか保護色みたいに道路に馴染んでいますが、
これは互いの外郭が交わっている「真性」ではないですか!!!
奥沢1-19-15にありました。
こんな暗渠道が続き、奥沢中学校の横を通り
突き当りをかくんと左に曲がります。
ずんずん進んでいくと、奥沢1-30の角から左前に見えてくるのは・・・
じゃーん!!!!
金網フェンスに囲まれた、蓋暗渠!!!!!
これまでの道から90度左にひん曲がります。
これだけでもびっくりしたのですが、
この先10数m先でまた90度、こんどは右に曲がるのです。
それがなんと…開渠だー!!!
このまっすぐっぷり!見事すぎます。
どこまでも永遠に続いていくかのようです。
マジしばらく見とれました・・・。
こんなところにこんな立派な開渠があったなんて!!!
ああーありがたいありがたい。自由が丘なんてもうすぐそこですよ、
そんなところによく残っていたもんだ;;;。
さきの蓋暗渠はこの写真の右のやつ。
これが私の足元でかくんと曲がって見事な
直線はしご式開渠となっているわけです。
このまっすぐっぷりもすごいなあ。
住民のみなさん毎日こんなの見てるんだなあ。
かなーりうらやましいです。
このはしご式開渠は、奥沢3-22までまっすぐ続きます。
ここが開渠終点。
この先は、微妙に蓋がされているんだか
あいてるんだかというマージナルな感じになります。
でもやっぱりまっすぐな「開渠感」は続きます。
なんか、川跡感が露わではないですか。
その先、3-20と24の間で残念ながらこの「まっすぐ感」は終わります。
さっきの続きの3-20の方面はこれ。
そしてその反対側3-24は、こう。
これをまたまっすぐ追いかけていきますと。
自由が丘~奥沢~雪が谷大塚を結ぶ自由通りにぶち当たります。
正面は行き止まり。城南信用金庫の敷地に入ってしまいます。
その入り口はこんなふうになっています。
集金から帰ったと思しき銀行員さんがいらしたので、
「ここ、入ってもいいですか?」と尋ねてみましたが、
「いや、私にはなんとも・・・」というお答えだったので
すっぱりあきらめました。
数時間前に雷王さん(数回前の「立会川プリンセス支流」参照)から頂いた金言を胸に、節度を持って・・・w
(いえいえ、普段でもちゃんと節度は持ってますからねww)
と、ここで今来た道を振り返ると、
なんと対面には「テント工場」が!!!
![Imgp8371 Imgp8371](http://lotus62.cocolog-nifty.com/blog/images/2011/01/12/imgp8371.jpg)
俊六さんがおっしゃっていた、
「暗渠沿いにはテント工場が多い」説を裏付けるものなのか!!??
さてさて、城南信用金庫の裏手にまわって見ましたが、
あいにく流路は見当たりません。
(この日は流路上にクルマが停まっていたのでわかりませんでしたが、
後日Google ストリートビューでみたら延長線上に流路跡あり)
さらに道の反対側にもそれと思しきものが見当たらなかったので、
付近探索。
一つとなりのブロックにあったのは、
松の湯という銭湯。
うん、この前の道が流路だったのかもしれないなあ・・・。
じつはこの日辿れたのはこのあたりまででした。
まあ地形図であとから見ても、このへんが限界でしょう・・・。
ちなみにこの付近にあった、道端の堂々とした井戸。
井戸に手を振られながら(というふうに見えたw)、
もと来た道を戻ってはしご式開渠を再び鑑賞し、
呑川に戻ります。
さて、後日手元の資料をあたってみました。
「関東中世水田の研究」(高島緑雄)という冊子によると、
・1877年の地図ではこのあたりに「下沼部村溜井」というのがあって、
それが奥沢を経由して呑川に向かっている。
・この溜井は目蒲線田園調布駅の
北150mあたりの線路敷き下に埋没している。
としています。谷の存在と経路からいって、
ここで言っている呑川に向かう水路は、おそらく今日のこれ、
だと思われます。
しかしこの溜井の存在がどうにも????ですね・・・。
確かに田園調布の北に窪みはあるんですが、
これ呑川につながるにはひとつ尾根を越えなきゃなりませんよねえ・・・。
この資料、すっごく読み応えあっていい資料なんですが、
ということでちょっとここだけは私が読み違えかもしれませんが
腑に落ちずにおります・・・。
また、この支流の関連webをググってみたら、
やっぱり庵魚堂さんが世田谷の川探検隊にて、
詳しく触れられておりました。
私が追った上流に加えて実はもう一本、
この支流の上流の流れがあったそうです…。
わかんなかった…w。
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