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2017年11月

暗渠ハンター マナイタ放浪記28 千代に八千代にちよのはし

新小岩駅を北上した、平和橋通りの片隅に。

いつまでもあってくれよと願うばかりの「千代の橋」欄干。
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東京都葛飾区西新小岩5丁目31−8

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暗渠ハンター 西荻暗渠サロン実施報告

11月18日(土)の「トロールの森」参加企画『続・西荻案内所』の傘下で実施した

『西荻暗渠サロン』、大盛況のうちに無事終了いたしました。

おいでくださったみなさま、入りきれなくて入場をあきらめざるを得なかったみなさま、

どうもありがとうございました。

トロールの森事務局の野田さま、西荻案内所の奥秋ご夫妻、昼の連動企画地図カフェを運営された白水さま、そして登壇者はじめこの企画にご協力くださったみなさまにも心からお礼申し上げます。

どうもありがとうございました。

さてざっとプログラムを振り返ってみましょう。

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まず第1部。会場転換の都合で30分ほどスタートがおくれてしまいました。

(申し訳ありませんでした)

18時半からの1番手は、今回物販もされていたミシン刺繍作家の菅原しおんさん。

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独創的な表現手法はもちろん、暗渠、土木、トマソン物件などのモチーフを積極的に取り扱った作品写真には会場から嬌声やため息が。

恥ずかしいから、と自作の覆面でトーク。

2番手は城跡ハンターの樋口薫さん。

暗渠と城跡、という演目で、城でなく城跡の魅力、そして暗渠との共通点などお話してくれました。「暗渠 城跡」で検索するとほぼ間違いなくご自分のブログが最上位でヒットするとのこと。

世界におけるナンバーワンポジションを築かれているわけですね、間違いなく。

3番手うしみてぃさん。

以前から杉並にご縁の深いうしみてぃさんには、杉並の暗渠を中心にお話してもらいました。

暗渠サインの新候補として「コモディイイダ」! 数量的な検証も面白かったですし、結果からいえば十分有力だと思います!

ここで第一部終了。

なんとここまでの3人は全員「本日初トーク」。

そんなふうには全然見えませんでしたね。twitter等での評判もすごくいい!

***

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休憩を挟んだ第二部は、「●●・●●●」という有名な映画を題材に、

各所にマニアが突っ込みを入れて深く解説する、というものです。

ただし、ここでその映画を上映するわけにはいかないので、

場面名が書いてあるテキストのスライド

(一行、数文字のテキストなので、スライド画面としてはほぼ白紙)

をみながらみんなで画面を想像してもらいました。

これで用意したスライドは326枚、すなわち326場面。

上映時間が110分くらいだから、

およそ20秒ごとにシーンがかわるという目まぐるしい映画ですね。

登壇者は、

小金井みわこさん(文房具・マンホールマニア視点)

傭兵鉄子さん(マンホール・鉄道・自衛隊マニア視点)

ジョージさん(近代建築視点)

そしてスライドだけの出演として

スソアキコさん(古墳視点)

これに吉村高山の暗渠視点が加わります。

場面名スライドに合わせて各登壇者が任意のところで挙手し、

用意してきたスライドでマニア的深堀をはじめる、と。

「そんなとこ観てたんかい」

「どこまで深く考察すんだよ」

連発。会場のお客様からもマニアトークがばんばん出てきて、

異常な空間でしたね(いい意味で)。

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この様子は「ハッシュタグ#暗渠サロン」とか「暗渠サロン」「暗渠」などで検索すると、

その一端が垣間見れるかと。

ほんと、企画したこちらが一番楽しめたような気がします。

みなさんありがとうございました。

何度かの休憩時間を使って、喫茶凸さんからの突別メニュー

「●●●のしっぽ」

「自衛隊炊き出しカレー」

を賞味してもらったり、

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デビューを間近に控える

「善福ジゴローとヒマナンデス」(って名前でいいんでしたっけw)

に飛び入りしてもらって西荻暗渠ソングを歌いあげてもらったりと

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休憩する暇のない楽しさ。

結局この第2部は3時間近くやってたのかな。

さいごに私から

「このあらすじスライドは暗渠のようなものです。

みなさんはこの白紙を見つめながら、映画の場面を妄想し、それを愉しんでいた。

それもひとつの暗渠体験なのです」

ともっともらしいことを言わせていただいて締めさせていただきました。

登壇者、会場で発言いただいたみなさんには心から敬意を表します。

***

***

長めの休憩のあとは、すでに時は23時ころ。

「あとは余興の余興みたいなものですから、どうぞ無理のないよう」

と申し上げましたがそれでもたくさんの方が残ってくださいました。

ここからは、吉村高山がこれまでやってきた36個のスライドトークのメニューから、

お好きなものをみなさんに選んでいただいてそれを再演するコーナーです。
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意見は多少割れましたが、多数決で選ばれたのは

去年の4月に北品川・うなぎのねどこでやった「『暗渠マニアック!』的千葉埼玉対決!」でした。

吉村が千葉側、髙山が埼玉側に分かれて、

蓋暗渠対決とか人物対決とか、ジャンルごとにそれぞれのすばらしさをアピールするもの。

やっぱもう過去のトークなので、

「吉村がこう来ると思ったのでこんな戦術でスライドを作った」

とか、過去の戦いを振り返る感想戦のように

お互い割と冷静な振り返りトークになりましたね。

…ちなみに。ここにいた方でもしかして、

「高山のスライドはやたら文字が多いな」

と感じた方がいらしたかもしれません。

じつはこの時、私の母親が危篤状態、いつ逝ってもおかしくない状態でして。

万が一私が会場に来れないときのために、

「エンターボタンだけだれかが押してくれればスライドが成立するように」

という対策だったのです。

母はこの6日後に旅立ちましたが、

「この日はしっかりお勤めしてこい」とのことか、当日無事にトークすることができました。

***

***

このトークが終わったのが24時を回ったあたり。

これなんとなくみんなで撤収作業、となり、

無事に「西荻暗渠サロン」の閉幕となりました。

はあー。快い疲れ。

みなさま、ほんとうにありがとうございました。

続・西荻案内所」は23日まで続きます。


今後とも、『はじめての暗渠散歩』、『暗渠マニアック!』をよろしくお願いいたします。

相方吉村も、ほんとうによく頑張ってくれました。

さいごになりましたが、改めて礼を言います。ありがとう、おつかれさま。

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暗渠ハンター 「はじめての暗散歩」こぼれ話8(最終回)

はじめての暗渠散歩』こぼれ話の、おそらく最終回。

(もう前回で自分の作品についてはひととおり書いちゃったから)

 

最後は、いろいろ周辺のお話をつれづれと。

 

まずタイトルですが、これがなかなか決まらなかったですね。

コラムとして収録されている、吉村の「渋谷川ホッピーマラソン」。

この時久々に4人集まるので、この日に飲みながら考えようって。

まあいろいろアイデアは出て最終的にはこの『はじめての暗渠』に落ち着きましたが、

・ゼロからはじめる暗渠

・いまさら聞けない暗渠

とかも冗談交じりで出ましたな。ほとんど「新書」のノリで。

「世の中9割が暗渠」とか「なぜできる人は暗渠に行くのか」とかも頭をかすめましたが、それは黙ってました。

 

そして表紙。

これはもう、満場一致でさくらいようへいさんに描き下ろしてもらおう、ということに。

4人とも、さくらいさんの暗渠イラストが大好きでしたし、何しろ今回はタイトル通り「暗渠好きのすそ野を広げたい」という意図の下での本なので、やわらかいさくらいさんの絵の世界がぴったりであろう、と。

2016年の『西荻ドブエンナーレ』はじめ、「街の魅力再発見装置としての暗渠」に意欲的に関わってくださっている西荻窪の街ですが、我々「暗渠マニアックス」と西荻の街を最初につなげてもらうきっかけも、実はさくらいさんのイラストだったんですよねえ。

どんなイラストを仕上げてくださるか楽しみに待っていたのですが、果たして、ああ、あそこの暗渠がモデルか!とニヤリ。

すてきなイラストを描いてくださってありがとうございます。

 

帯文。

これも、我々4人と編集さんでいろいろと意見交換をさせてもらっての結果です。

これまたみんな大好き、泉麻人さん。

まさか泉さんが書いてくださるとは…。

本の内容を伝えるとすぐに快諾くださったとのことでした。

思春期のころから好きで読んでいた作家さんに著作に絡んでいただくとは、なんと嬉しく誇らしい…。どうもありがとうございます。

 

まえがきにも触れておきましょう。

読者が最初に触れることになるであろう書き出しの一文は、

何の迷いもなく出てきたものでした。

そしてタモリさんや桑田佳祐さんの話にも触れながら

その他たくさんの有名人…みたいに書きましたが、

・アニメ監督の大地丙太郎さん

・たけし軍団のグレート義太夫さん

・ビジュアル系バンドA9 のギタリスト ヒロトさん

などが当時の頭の中にありましたね。

そして最後は「四重奏」で〆ましたけど、

いま考えてみたら「4人のオムニバスアルバム」みたいな言い方でもよかったかもしんないなあ、って(笑)。

まあ数年後にもう一度評価してみましょうかね。

 

あとがき代わりの謝辞には、

やはり書ききれない方々もたくさんいるのです。

私事で挙げれば、

・千代崎川に注目するきっかけを頂いた河北直治さん

・千代崎川取材に快く応じてくださった中田カヨさん

・そのきっかけをつくってくださった中田征毅さん

・市場橋の昔のことを教えてくださった本郷町満寿屋のおじいちゃん

・阿佐ヶ谷の川の「磁石男」のことを教えてくださった大提燈米店のだんなさん

・根岸住宅地区での記憶を補ってくれたSusan Lynn Tildenさん

・同じくそれをサポートしてくださった石黒陽子さん

・千代崎川にかかってた水門のことを教えてくれた山元町のおばちゃん

・不審者に優しい言葉をかけてくれた大平町のじいちゃん

・藤右衛門川のほとりでご一緒してきた高野竜さん

・道祖土小学校に招いてくださった増田校長

に、今回も大変お世話になりました。

そしてこれまでの恩人

・『暗渠マニアック!』で我々を導いてくださった山田智子さん

・目黒区「川の資料室」で私の暗渠リテラシーを高めてくださった新津紅さん

にも、改めてこの場でもお礼申し上げます。

みなさま、ほんとうにありがとうございました。

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暗渠ハンター 「はじめての暗散歩」こぼれ話7

はじめての暗渠散歩』こぼれ話7回目は、

「暗渠サインを見逃すな!」

です。


これも、初出は
MIZBERING

連載の2回目で繰り出したネタです。

もうこの話は、私の暗渠話の核というか根っこというか、

もう定番中の定番ですね。

暗渠マニアック!』でもしっかり1章取りましたし。

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そろそろ飽きてきた方もいらっしゃるかもしれない・・・。

でもまあ、YMOでいうところの「東風」とか「TECHNOPOLIS」みたいな、

いつでも出てくる安定感、みたいな受け止めをしていただけるとありがたいです。

この「発見」は、私の暗渠ライフの原点でもあるので、

たぶん今後も事あるごとにご紹介していくことになるのでは…。

 

そういえば、暗渠サインに関しては、

「猫は暗渠サインにしないのか」

「ビールケースは」

「粗大ごみは」

「植木鉢は」

といったご意見も多々いただいておりますが、

これは11/4に神楽坂モノガタリにて行われた

『猫×暗渠 猫でめぐる暗渠』のたかやまパートで

しっかりと否定し、あらたな定義と分類を提唱させていただきました。

これについては改めて、どこかでご披露いたします。

ひとつだけヒントを申し上げれば

まずは

・ここで使われる「sign」とは、『まえぶれ』という意味で使っているという前提であること

・その上で、「暗渠の存在をまえぶれとして示すもの」かどうかの吟味が必要であること

・それが、「ここは昔川だった」ことと、『だから・なぜならば 関係』が成立するものであるかどうか、ということを軸に話を展開させていきました。

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ロラン・バルト風に言うと

暗渠がある風景に対して

・徴候→暗渠サイン

・象徴→猫やビールケース

・記号→「暗渠」というコトバ

みたいな。違うか。もう少し考えます。

ま、これからもこういうフレームワーク、どんどん開発していきますからね!

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暗渠ハンター 「はじめての暗散歩」こぼれ話6

はじめての暗渠散歩』こぼれ話6は、

「車止め、集めて、比べて、分けてみた」

です。

 

これは今回のための書き下ろし。

ただし、この「車止め分類チャート」だけは

20169月から約2か月間、杉並区立郷土博物館で実施した

荻窪暗渠展

の展示パネルとして作ったものがベースになっています。

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いつかこのチャートについてあれころ解説してみたいなあと思っていたところ、

この本の話をいただいたのでようやく書き進めたものでした。

 

やはりこれを語るには、私の本職のことにも触れねばなるまいと

「ポジショニングマップ」による分類と、いかにそれが私のからだに染み付いてしまったか、

というエピソードを入れました。

ほんと、30年前にマーケティング職に就いて以来、

この二次元マトリクスで世界を捉えるくせがついてしまっているんです。

もしかしてこういうフレームワークって構造主義の流れから出てきてるのでしょうかね。

わかんないけど。

だとしたら思い当たる節があります。

高校生の頃から栗本慎一郎が大好きだったんですよ。

彼はよく二項対立で論を構えてたし自分でも「二項対立が得意」ってどこかに書いてました。

ポジショニングマップも「二項対立と二項対立の組み合わせ」ですもんね。

その頃に病の素地が形作られたのかもしれない…。

まあ分類の話でしたね。

およそ『暗渠マニアック!』で展開した私の担当分もそうですし、

私が「暗渠七つ道具」と呼んでいる独自フレームワークの中の

暗渠ANGLE

暗渠サインランキングチャート

などのやつも、

ほぼすべて出発点は「分類」ですもんねー。

おまけにさっそくここでも自分の作品を「分類」しちゃってますしね。

…だって、楽しいんだもん、分類。

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…でも、こんな記事を愉しんでくださるかたってほんとにいるのかな、

という不安ももちろん抱えながら書いております…正直いうと。

 

さいごには車止めの値段についても触れました。

ほんとに買った方がいらっしゃれば、ぜひ手元に置いた感想などもお寄せいただければと思います。

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暗渠ハンター 「はじめての暗散歩」こぼれ話5

はじめての暗渠散歩』こぼれ話の第4回ですね。

今日は

「かんじる川・羅漢寺川」

いきましょうか。

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巻末にもあるとおり、これはもともとMIZBERING での「水のない水辺から」連載時のひとつとして、2014年に書いたものが原型です。

MIZBERING連載時は、web媒体ですので字数や写真の制限がありません。

それこそ好きなだけ書いて貼ってしていたものを、

概ね4000字程度にそぎ落として写真も厳選しての仕上げを施しました。

 

この作品は、暗渠の説明がほとんどですね。

ただ、説明が単調にならないよう「リア充」や「妖婦」などの伏線を張って

「暗渠との向き合い方の多様さ」をお伝えしたい、

という意図で書いたものでした。

 

もともと、私の大好きな暗渠なんですよ、ここ。

私が暗渠の道に入ったのは世田谷区と目黒区と渋谷区が交わるところ近辺に住んでいた頃なので、

わりとそのころから「ホームグラウンド感」もありましたし。

 

途中で出てくる「苔香園」。「港区にその名を冠したビルがある」と初出の稿から書いています。

201710月、つまりこの本が発売となる間際になって、偶然そのビルに縁ができたお話にもふれておきましょう。

急にある会社に用件ができ、ぜひお会いしたい、とwebにあったメールアドレスに初めて連絡を入れました。

ほどなく「当社に来て頂けるならば」と快諾の返信のシグネチャに書かれていたのがこのビル名だったのです。

これには驚きました。ってか二度見して口にも出しちゃいました。

当日の商談の終りに、先方の社長さんに

「ここの大家さんにお会いしたことはありませんか」

とお聞きしたのは言うまでもありません。

…その結果は、またどこかでw…

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暗渠ハンター 「はじめての暗散歩」こぼれ話4

はじめての暗渠散歩』こぼれ話5は、

「暗渠がつなぐ彼岸の縁」

です。

副題にもあるとおり、さいたま市をながれる藤右衛門川を扱ったもの。

こちらも初出はMIZBERING 、連載の最終回を飾らせてもらいました。



初出のあとの大きな変化と言えば、

2016年の11月に、劇作家の高野さんとのコラボレーション・イベントができたこと、ですね。これは本文にも書いた通りです。

高野さんの劇(藤右衛門川を舞台とした『一輪の書』)を松庵川暗渠沿いの銭湯・天狗湯で上演できたこと、

その後の「地形解説トーク」を俳優さんたちとできたこと、

これはたいへんエキサイティングでした。

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高い天井から漏れてくる光。

開店を前に浴槽に注がれ続けるお湯のせせらぎ(っていうんかな?)。

ステージ(脱衣所)から時折下がり、浴室で吐かれる役者さんの台詞のエコー。

あんな芝居、たぶんもう観られないだろうな、と思います。

 

そうだ、実は私が藤右衛門川に通いはじめたころからMIZBERINGの初出の頃って、

実はわりと頻繁に実家である栃木に宇都宮線で通っていたんですよね。

年老いた母が施設や病院で臥せっていたので、まあ見舞いのようなもので。

2016年の4月に寿命を全うしたのですが、

やはりその後は宇都宮線を使う事もがくっと減ったので、

往復の途中にある藤右衛門川の横顔もあまり見なくなってしまいました。

今考えると、見舞いの行き帰りに感じるいろんな気持ちと、

藤右衛門川を眺めるときの気持ちって、

いつの間にか私のこころのなかに細いリンクが張られていたような気がします。

 

 

さて内容はと言えば、

前半でこの暗渠の魅力について解説しています。

その後、「川は分かつものでもあるけれど、異世界が出会う場でもある」、

という見立てからのエピソードを二つご紹介する、という建付け。

結構ご好評を博してきたMIZBERINGの最終回でもあったので、

なんかこう未来につながる明るい希望、みたいなトーンにしたかったんでしょうねえ。

 

そんなわけで、この本でもなんとなくしんがりの収録になってしまいましたね。

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暗渠ハンター 「はじめての暗散歩」こぼれ話3

『はじめての暗渠散歩』のこぼれ話、第3回めは

「しみじみと、蜆川」
いきましょうかね。
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まずは、こんな場所。
大阪は梅田のちょっと南、今の北新地の真ん中を流れる川です。
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最初の出会いはこのころ
知り合ってずいぶん経つんですね。2012年かあ。
会社の出張で通りかかったのがなれそめです。

多少横道に逸れますが、この本を作る最初の会議はたしか2016年のクリスマスを過ぎたころだったでしょうか。

11月の『西荻ドブエンナーレ』で編集の井口さんに声をかけてもらい、

まあとりあえずは4人集まって方向を話し合いましょう、的な。

指定の喫茶店が満席だったので、

「いつも空いてる、絶対座れる」と三土さんが推した近くのそばやで

ビール飲みつつ話しましたっけ。

んで、「全国で売るのだからやはり大都市の暗渠は押さえておきたい」

ということで大阪もどこかね、と。

髙山がやらせてもらうことになり、猫間川と迷った末に

こちら蜆川(曾根崎川)を書くことにしたのです。

いやね、猫間川は資料も少ないし、その分現地に何度も行かねばならないかも、

だったら結構資料がありそうな蜆川にすっか、

って日和ったんですよね。

 

そんで、今年の1月くらいから徐々に都内の図書館とかで資料を集め始め、

千代崎川をあらかた書き終えた2月くらいから本腰入れました。

まずはネットと東京都立中央図書館、国会図書館で資料探し。

もちろん地元でしか手に入らないような資料もあるんですが、

「何という名前の文献にどんなことが載っているか」

だけを調べておいて、一回の大阪取材で済むように計画を立てました。

さすがにこの川は、北新地周辺だけですが一度じっくり現地調査した経験もあるので、書こうと思えばすぐに書けます。

でもなるべくここでも、少し我慢して手広く情報に当たりました。

そうだ、まずは年明けに「曽根崎心中」を理解するところから始めたんだった。

正月明けに原文と現代語訳が載ってる文庫本を買って読んでたのです。

冒頭のブログに薄っぺらな記事を書いたころから、

この川を本当に理解するには「曽根崎心中」を読まねばな、と思っていたし、

もしかしたらその内容と絡めて場所を解説し、

この章ではなく【文学と暗渠】に入れるような記事になるかもなー、

とさえ思っていたのでした。

だから、結構「曽根崎心中」はこまやかに読みました。

いちいち橋の名前とか蜆川の描写のしかたをチェックしてたりして

ねちねち読んでいました。

 

資料を集めていて、明治時代の「キタの大火」を理解したころですかねえ、すこし考えが変わってきたのは。

蜆川はこの大厄災の後始末のために埋められてしまうんです。

その時、どんな気持ちだったろうなあ、いやだって思ったろうなあ。

でも街のためならもしかしたら、彗星帝国に向かっていった宇宙戦艦ヤマトみたいな、どこか諦念というか達観というかが含まれた、落ち着いた気持ちだったのかもなあ。

なんて、ぼんやり。

 

そんな状態で一泊二日の大阪取材に出かけます。

GWのはじめての頃だったかな。

図書館回っての資料集めもせねば、なので結構慌ただしいスケジュールでした。

行きの早朝の新幹線ででも、とにかくこの原稿の原型でも作っておかなきゃ、と思って

パソコン持ち込んでキーを叩いていたんですが、

多摩川を過ぎたあたりで、急に頭の中で化学反応が起きたのです。

(漫画家の生藤先生は「ストーリーがどん、って降りてくる」って言ってたけど、

私の場合はこういうアイデアの断片がぽつ、って降って湧くかんじなんですよね。

シャワー浴びてるときとか歩いてる時が多いです。あ、時間帯は朝が多いな)

 

…暗渠化のきっかけもいろいろあるけど、

「臭いものに蓋」みたいな「負(陰)の要素の排除」と、

より豊かな社会の実現、みたいな「正(陽)の要素の付加」と二つの側面があるよなあ、

ってアイデアがふっと浮かんで、

そしたら蜆川ってどうだ?

それと関係ないところで、それを超越したようなところでまさに「成仏」したんじゃないかな、って。「祈るように自ら埋められていった」んじゃないかなって。

そこまで考えたらもうそわそわしてきて、その考えを一刻も早く文字にしたくてたまらず、

さらにキーを叩くスピードも上がっていったのです。

そうか、蜆川が厄災を受け入れて暗渠になったのって、「街のホメオスタシス」が発動したからなんだ。


東京でも、関東大震災や東京大空襲っていう厄災があって、

それを鎮めるために祈るような気持ちでなくなっていったであろう川もすぐに思い浮かんできます。

そう、銀座のある、中央区の川たちです。

ここでも「キタと銀座を結ぶ」伏線が自然にぴん、と張られました。

そんなかんじで、行きの新幹線で粗削りながらできあがった骨格が、

この作品となりました。

 

朝からさんざ歩き回り、

たまたまこの日「東京スリバチ学会」のみなさんが大阪に遠征にきてるってんで

二次会にご挨拶にいき、

さらにその後夜の暗渠も観たかったのでさらに深夜まで歩き回って宿到着。

急に決めた日程でホテルも取りづらかったので、

思い切って西成区の11800円の宿に泊まったのです。

この体験は結構貴重だったなあ…。

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(宿泊部屋のほぼ全図)

換気扇の音がものすごくうるさかったせいもあって、くたびれてるのに5時前起床。

昨日の続きの原稿が書きたくてうずうずしていたのかもしれません。

その後数時間書きつづけ、一気に仕上げました。

 

日が高くなってからは図書館めぐりです。

間接的に取った資料の元を確認したり補強資料を探したり。

そうそう、まさにここでの資料コピー中に

6月放送のEテレ『ふるカフェ系ハルさんの休日』土浦の回に、ハルさんのメル友として3回目の出演頼めないか」って電話を頂いたんでした。

「いま大阪で取材中なんです」って言ったらプロデューサさん大笑いしてたっけ。

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暗渠ハンター 「はじめての暗散歩」こぼれ話2

というわけで(前回参照)、今回は『はじめての暗渠散歩』収録の

「豊かさが流れてきた川 千代崎川」
の創作時のことをお話します。
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(写真は横浜市中区本郷町・上台公設市場跡地 ここに市電が走っていて
ベージュの建物の裏側に流れていたのが千代崎川)
そもそもこの川を取り上げようと思ったのは、横浜の郷土史家・河北さんの一言がきっかけ。
横浜ではどの暗渠が好きですかときいたら、すぐさま「千代崎川」と答えられた。
私にとって最初の千代崎川参考文献である
『本牧・北方・根岸』(長沢博幸2014)
も河北さんから譲っていただいたものでした。
そういえばこの、河北さんとお話した時はですね、なんと25年ぶりの再会だったのでした。
実はお互いの前の職場がいっしょで、数年かぶってたんですよね。
その職場を辞めた後は、互いに何やってるか全然しらなかったのですが、2016年のある日人づてにFBで再会し、
「えーいまそんなことやってるの!?」って。お互いに。
そんで、去年の秋に杉並区立郷土博物館でやった『荻窪暗渠展』を見に来てくださったのでした。
まあそんなきっかけで、そんじゃあ横浜の代表選手として千代崎川と向き合ってみるかなあ、と取り組みを始めたものです。
最初に現地に取材に行ったのは2016年の大みそかでした。
それまでも地味に情報は集めていたのですが、
やはり一度行って自分で感じるまでは、資料も基本的には「頭の中を素通り」です。
支流ふくめて最初から最後まで辿り、
ようやくここでスタートラインに立ったような感じになります。
そこでたくさん写真を撮りため、
まあその合間にtwitterなんかで、取材とわからない程度に呟いたりもするのですが、
途中でこの写真(上に掲載)をアップしたときに
「お母さまの実家が写っている!」と、
親しくさせていただいている知り合いからのリプが。
ここは「上台公設市場」という市場があったところで、
この裏を千代崎川が流れていたのです。
それが、本文にも登場する中田カヨさまの息子さんである、
ミュージシャンのまさぼうさん。
なんという偶然。
さっそくお願いをして、お母さまにお話しを聞かせていただくことになりました。
実際は年明けの1月にお宅までお邪魔し、
たっぷりと当時の川や街のようす、中田さんの思い出など聞かせて頂いたのです。
そのお話も、じつはしばら私の中で昇華するまでく熟成期間が要りました。
そこからまた現地取材をやり直したり、
街の他の方のお話を伺ったり、
周囲の地域図書館を回ったり…。
これは最後まで書こうとは思ってなかったのですが、
90年代の初めに、何度も根岸の米軍キャンプの中に遊びに行ったことがあったので、
結局この経験も伏線に使うことになりました。
(当時ちょっとつらい時期で、蓋をしてしまいたい思い出なのですw)
軸を「アメリカ」に置くことにしたからです。
さらに、他の川の取材で聞いていた「川をさらって鉄くずひろい」の話とかを絡ませようと思って朝鮮戦争特需のことを調べたり、
ゴールドラッシュのこと調べたりとか…。
千代崎川のこと以外にもかなり手広くリサーチしました。
それらを一本の糸をよるようにして出来上がったのが、この作品だったのです。

本文でも触れましたが、
この川は中田カヨさんには特別な川だったようです。
それはそうでしょうね、小さい頃から思春期、そしてご結婚される頃まで共に過ごしてきた身近な川です。
さらにそれが戦後動乱期や高度経済成長期にも重なって、
さぞいろいろな思いをこの川の水面に映してきたことでしょう。
そんな中田さんの大切な川を扱うのですから、
私も最大限の敬意をもって書いたつもりです。
見本誌ができてすぐに、この本を版元から中田さんの元にもお送りしました。
まさぼうさんのお話によると、とても喜んで読んでくださったとのことでした。
そんな経緯で、この「豊かさが流れてきた川 千代崎川」は、
中田カヨさんの物語であり、
そんなお母さまを見て育ってきたまさぼうさんの物語であり、
さらに、図らずもつらい時期の思い出にも触れたことで、私自身の物語ともなったのでした。
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暗渠ハンター 「はじめての暗散歩」こぼれ話1

文禄堂新高円寺駅前店さんでの新刊発売記念トークイベント

「水のない水辺をあるくとみえてくる話」も無事終了。
おいで下さったみなさま、お気にかけてくださったみなさま、
どうもありがとうございました。
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さて、あそこではわずか10分間の持ち時間でしたので、
この新刊『はじめての暗渠散歩』についてお話できなかったこともたくさんあります。
ですので、ここで不定期にあれこれ裏話や作品への思い、エピソードなど断続的に書いていきますね。
まずはトークショーでもお話した、今回の私の収録作品の分類について。
こんなスライドでお話しました。
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タテに軸を設け、6つの収録作品の内容について分類したものです。
(すでに『分類という病』が始まってますが ←本文参照)
上に行けば行くほど「対象物に関しての説明がメインです。
暗渠サインや車止めなど、暗渠に関して分析し、解説や説明をする内容。
いわば前著『暗渠マニアック!』で「横軸担当」として私が受け持っていた役割ですね。
下のほうは、ほとんど暗渠の説明ナシ。
ひとつの暗渠を軸にした物語です。もちろん創作でなく、ドキュメンタリーに近いのかな。
今回は蜆川と千代崎川の話がこれにあたります。
二つとも、今回のちくま文庫収録のために書きしたものです。
この二編は、ちょっとこれまでのたかやま節とは違った味わいになっています。
自分でも、書いていて「違う芸風ができた」ような達成感がありました。
もちろんこれまでも、「あるひとつの川について書く」ことはありました。
東京「暗渠」散歩』収録の作品とかとか。
ですが、今回のはなんかこう「突き破った」ような思いでした。
今振り返れば、書くプロセスからしてちょっと違っていたかもしれません。
今回のこの2編は、書き始める前に、これまでにないくらい徹底的に調べました。
ですが、結局作品に直接出てくるのは調べたことの1割くらいですかね。
9割「無駄になった」わけですが、結果的にこのプロセスが、
私にとっての「書き方イノベーション」をもたらしてくれたようです
資料をたくさん集めて、広ーいテーブルが資料でいっぱいになる(というイメージね)。
それを近寄ったり離れたりして何度も眺めているうちに、
だんだんとテーブルを縦に貫くようなストーリーが浮かんでくるような感じでした。
そっからは完成まで勢いがつきます。
もちろん文の成型には時間がかかりますが、もう書きたくてたまらない感じで思いがつんのめりながら書き続ける感じなのです。
先日『猫でめぐる暗渠』トークイベントでご一緒した猫漫画家の生藤由美先生は、
「いつもストーリーはどんって上から降ってくる」っておっしゃってたけど、
(もうひとりの登壇者・まちかど猫写真家のろっちさんも「わかる!」って言ってらしたです)
私は全然「降ってこない」w
たくさん雨が降って(たくさん資料を頭の中に染み込ませて)、
タイムラグをもってどこかのハケから水がちょろちょろ湧き出すような
(ようやくアイデアが少しずつ出てくる)かんじ。でしょうか。
前置きが長くなりましたが、まずは次回で、
そんな思いで書いた「千代崎川」の話、
「豊かさが流れてきた川 千代崎川」
の創作エピソードを書こうかと思います。

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暗渠ハンター 新刊刊行のおしらせ・詳報

新刊のお知らせです。

ちくま文庫からの暗渠本
『はじめての暗渠散歩―水のない水辺をあるく』(821円)
が発売になります。書店に並ぶのは11月10日頃でしょう。

20171105追記:新刊発売記念の著者トークショーが急きょ決定!
高円寺駅前の文禄堂さんにて!1時間だけど濃いぃトークしますよ!

かつてMIZBERINGで連載した4人
(ついこの前『東京暗渠学』を出した本田創さん・
デイリーポータルZのエースライター三土たつおさん・
吉村&髙山)の競作形式で、裏コンセプトは暗渠話の四重奏、あるいはオムニバス。
ひとつひとつのお話が、4人それぞれの個性あふれた短編集のような作りです。
初心者も入りやすいはずですし、もちろんこの面子ですからマニアにとってもお愉しみいただけます。



✳︎

 23個のトピックのうち、私は6つを書きました。
(うち3つがMIZBERINGでの初出記事を大幅にリメイクしたものです)

 『暗渠マニアック!』でおなじみの
「横軸・俯瞰スタイル」のトピックももちろんありますが、
今回は横軸・ナナメ軸など新たなスタイルで暗渠を捉えてみました。
 特に、横軸(俯瞰)系では
『車止め、集めて比べて分けてみた』で、
去年杉並区郷土博物館で展示した「荻窪暗渠展」での車止め分類マトリクスについて、
「分類という病」を軸に解説しています。

 また縦軸(深掘り)系では、
『豊かさが流れてきた川、千代崎川』で、
暗渠マニアのキーボーディスト中田征毅さんのお母様はじめ
古くから近所にお住まいの古老などへの取材をもとに、
私の米軍住宅地区での想い出を軸に小さな歴史妄想を試みました。

 今回は新ジャンル・ナナメ軸(俯瞰と深掘りミックス)系にもトライ。
『しみじみと、蜆川』では、
史実や浄瑠璃を紐解きながら、暗渠化される動機を分類し、
人や地理や存在の哀しみを歌い上げてみました(←理屈っぽい演歌みたいですね)。

 このように、私自身でも今回は「バリエーション」を意識して書き進めましたが、
これに加えて書き手が4人、ですからね。
それぞれの個性がはじけて、まさに四重奏。
「暗渠扱ってるのになんだかカラフル!」な印象の本になっているのではないか、
とゲラを読んで実感したものです。
また今回の帯文は、泉麻人さんが快諾してくださいました。
表紙はご存知、暗渠画伯のさくらいようへいさん。

 素晴らしいチームで書き進めることができました。
自信を持ってお勧めいたします!
もちろんamazonほかネットでも買えますが(まだ「予約」ですが)、
ほんとうはご自身のお気に入りの本屋さんで買っていただきたいのでリンクはナシで…。

どうぞよろしくお願いいたします!
※なお、これからいくつか仕込み中の「発売記念特典」や「トークショー」もツイッターやフェイスブックで発信してまいります。どうぞご注目ください。
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