暗渠ハンター 「はじめての暗散歩」こぼれ話3
『はじめての暗渠散歩』のこぼれ話、第3回めは
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最初の出会いはこのころ。
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多少横道に逸れますが、この本を作る最初の会議はたしか2016年のクリスマスを過ぎたころだったでしょうか。
11月の『西荻ドブエンナーレ』で編集の井口さんに声をかけてもらい、
まあとりあえずは4人集まって方向を話し合いましょう、的な。
指定の喫茶店が満席だったので、
「いつも空いてる、絶対座れる」と三土さんが推した近くのそばやで
ビール飲みつつ話しましたっけ。
んで、「全国で売るのだからやはり大都市の暗渠は押さえておきたい」
ということで大阪もどこかね、と。
髙山がやらせてもらうことになり、猫間川と迷った末に
こちら蜆川(曾根崎川)を書くことにしたのです。
いやね、猫間川は資料も少ないし、その分現地に何度も行かねばならないかも、
だったら結構資料がありそうな蜆川にすっか、
って日和ったんですよね。
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そんで、今年の1月くらいから徐々に都内の図書館とかで資料を集め始め、
千代崎川をあらかた書き終えた2月くらいから本腰入れました。
まずはネットと東京都立中央図書館、国会図書館で資料探し。
もちろん地元でしか手に入らないような資料もあるんですが、
「何という名前の文献にどんなことが載っているか」
だけを調べておいて、一回の大阪取材で済むように計画を立てました。
さすがにこの川は、北新地周辺だけですが一度じっくり現地調査した経験もあるので、書こうと思えばすぐに書けます。
でもなるべくここでも、少し我慢して手広く情報に当たりました。
そうだ、まずは年明けに「曽根崎心中」を理解するところから始めたんだった。
正月明けに原文と現代語訳が載ってる文庫本を買って読んでたのです。
冒頭のブログに薄っぺらな記事を書いたころから、
この川を本当に理解するには「曽根崎心中」を読まねばな、と思っていたし、
もしかしたらその内容と絡めて場所を解説し、
この章ではなく【文学と暗渠】に入れるような記事になるかもなー、
とさえ思っていたのでした。
だから、結構「曽根崎心中」はこまやかに読みました。
いちいち橋の名前とか蜆川の描写のしかたをチェックしてたりして
ねちねち読んでいました。
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資料を集めていて、明治時代の「キタの大火」を理解したころですかねえ、すこし考えが変わってきたのは。
蜆川はこの大厄災の後始末のために埋められてしまうんです。
その時、どんな気持ちだったろうなあ、いやだって思ったろうなあ。
でも街のためならもしかしたら、彗星帝国に向かっていった宇宙戦艦ヤマトみたいな、どこか諦念というか達観というかが含まれた、落ち着いた気持ちだったのかもなあ。
なんて、ぼんやり。
そんな状態で一泊二日の大阪取材に出かけます。
GWのはじめての頃だったかな。
図書館回っての資料集めもせねば、なので結構慌ただしいスケジュールでした。
行きの早朝の新幹線ででも、とにかくこの原稿の原型でも作っておかなきゃ、と思って
パソコン持ち込んでキーを叩いていたんですが、
多摩川を過ぎたあたりで、急に頭の中で化学反応が起きたのです。
(漫画家の生藤先生は「ストーリーがどん、って降りてくる」って言ってたけど、
私の場合はこういうアイデアの断片がぽつ、って降って湧くかんじなんですよね。
シャワー浴びてるときとか歩いてる時が多いです。あ、時間帯は朝が多いな)
…暗渠化のきっかけもいろいろあるけど、
「臭いものに蓋」みたいな「負(陰)の要素の排除」と、
より豊かな社会の実現、みたいな「正(陽)の要素の付加」と二つの側面があるよなあ、
ってアイデアがふっと浮かんで、
そしたら蜆川ってどうだ?
それと関係ないところで、それを超越したようなところでまさに「成仏」したんじゃないかな、って。「祈るように自ら埋められていった」んじゃないかなって。
そこまで考えたらもうそわそわしてきて、その考えを一刻も早く文字にしたくてたまらず、
さらにキーを叩くスピードも上がっていったのです。
そうか、蜆川が厄災を受け入れて暗渠になったのって、「街のホメオスタシス」が発動したからなんだ。
東京でも、関東大震災や東京大空襲っていう厄災があって、
それを鎮めるために祈るような気持ちでなくなっていったであろう川もすぐに思い浮かんできます。
そう、銀座のある、中央区の川たちです。
ここでも「キタと銀座を結ぶ」伏線が自然にぴん、と張られました。
そんなかんじで、行きの新幹線で粗削りながらできあがった骨格が、
この作品となりました。
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朝からさんざ歩き回り、
たまたまこの日「東京スリバチ学会」のみなさんが大阪に遠征にきてるってんで
二次会にご挨拶にいき、
さらにその後夜の暗渠も観たかったのでさらに深夜まで歩き回って宿到着。
急に決めた日程でホテルも取りづらかったので、
思い切って西成区の1泊1800円の宿に泊まったのです。
この体験は結構貴重だったなあ…。
(宿泊部屋のほぼ全図)
換気扇の音がものすごくうるさかったせいもあって、くたびれてるのに5時前起床。
昨日の続きの原稿が書きたくてうずうずしていたのかもしれません。
その後数時間書きつづけ、一気に仕上げました。
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日が高くなってからは図書館めぐりです。
間接的に取った資料の元を確認したり補強資料を探したり。
そうそう、まさにここでの資料コピー中に
「6月放送のEテレ『ふるカフェ系ハルさんの休日』土浦の回に、ハルさんのメル友として3回目の出演頼めないか」って電話を頂いたんでした。
「いま大阪で取材中なんです」って言ったらプロデューサさん大笑いしてたっけ。
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