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2016年4月

暗渠ハンター 下谷田川(仮)、岸辺の丘に桜散る。

私的「春の暗渠まつり」も今日ですべて片付いたことだし、
私がリアルでお世話になっている方々や、
古くからお付き合いくださっている方にもこのブログを読んで頂いているので、
ここでご報告します。
数年前「雀宮」という町のことをちらと書いた頃から病に伏していた郷里の母が、
先日他界しました。
ずいぶん長い間臥せっていたので、
ここまでよくがんばりました、おつかれさま。といった気持ちで送ってきました。
体に入っていたチューブからも解放されて、ようやくせいせいとした思いでいることでしょう。
近親者だけでの弔いでしたので、
生前お世話になりながらもお知らせできなかった皆さまには、
お詫びするとともに、
これまでの御恩に心から御礼申しあげます。
どうもありがとうございました。
*
さて、『暗渠マニアック!』でも触れた下野市(旧石橋町)の暗渠のことは、
母に取材しながら書いたこの記事がベースになっています。
因果なもので、亡くなる時に母が入院していたのは
この暗渠・下谷田川(仮)を見下ろす岸辺の病院でした。
(写真は2015年秋の下谷田遊歩道)
Img_3276
病院の門には大きな桜がたくさん植えられており、
その日はちょうど満開を過ぎた桜が散り始めていた頃だったのです。
もう数日だろうから来れるときには来たほうがいいよ、と実家から連絡を受け、
休みになった土曜日に東京から駆けつけました。
しかし、病室に着いた時には、呼吸するのをやめた直後だったようです。
ほんの数分前。
それはたぶん、私が速足で病院の門をくぐろうとした頃でしょう。
そのとき、わずかな風が吹いて
下谷田川(仮)に向かってたくさんの花びらが舞い散るさまを
きれいだなあ、なんてぼんやり考えていました。
もしかしたらそれは、旅立ちを知らせる徴だったのかもしれません。
*
おかげさまでこの春、3月~4月にかけてはほぼ毎週のように
暗渠関連のお話をあちこちでさせていただきました。
ですが、ちょうど母の具合もこのころ悪化してきたので、
さすがにどこかのイベントでは穴を開けてしまうかもな…と、
宇宙戦艦ヤマトの真田さん(「こんなこともあろうかと」のヒト)になったつもりで
共著吉村にあらかじめバックアップを準備してもらったり、
「あとはenterキーを押すだけ」のスライドを作っておいたりと
万が一の時に備えていました。
しかし。
奇跡的に1つも穴を開けずにこの「春の暗渠まつり」を乗り切ることができました。
また絶妙なタイミングで息を引き取ってくれたものです。憎いほど。
きっと
「多くの方との約束の上に成立しているこの仕事は、
おまえでなければできないのだから、
誰にもご迷惑をかけることなくしっかり勤め上げて来い」
というメッセージだったのではないかと思っています。
おかげで、他界した翌日に東京であった昼・夜2つのイベントも、
そして翌週のイベントも、一連の葬儀の合間を縫って
しっかりお役目を果たさせていただきました。
もちろん実家を守る兄夫婦はじめ周りの方々の理解と協力があってのことですが。
ご心配いただいた皆様には、この場を借りまして改めて御礼申し上げます。
ありがとうございました。
暗渠に理解のある母、を持ってよかったと思っています。

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暗渠ハンター 住んでた履歴が薄れてく。羽根木支流丘のうえした。

大学生時代の4年間は、ずっと京王井の頭線・新代田の駅の近くの

田中荘というアパートで暮らしておりました。

今だからわかるけど、ここは北沢川羽根木支流を眼下に望む丘の上です。

となりに田中さんという老夫婦がおおきな一軒家を構えて住んでおり、

それが大家さん。

お子さんのいないご夫婦で、

毎月家賃を持っていくと、ご夫婦に両腕をつかまれて茶の間に連れ込まれ(これは比喩です)、

お茶とお菓子、時にはパンなど口にぎゅうぎゅう詰め込まれながら(比喩です)、

1、2時間たっぷりと茶飲み話を聞いてきたものです。

この時間は、おいしいお菓子が食べられるから、嫌いじゃなかったんですよ。

毎回長時間を覚悟して、誘われるままおうちに上り込んでおりました。

おっとりした旦那さんと、年の割におきゃんなしゃべり方をする奥さん。

お二人ともずっとこのあたりで育ったようで、

よく「渋谷はほんとに谷の底でねえ」

「人は谷底に集まる習性があるんだねえ」

なんていいながら、戦前戦後の渋谷の話をしてくれました。

大学を出て引っ越してからも、

近くに寄る用事ができれば、やっぱり気になって、

特に田中さんにご挨拶するでもなく(2時間の拘束が待ってるような警戒心もあって)、

ちらとアパートの存在だけ確かめてはすこしほっとして帰ったものでした。

なんなんでしょうね、この安心感は。

昔の自分が確かにそこにいた証拠を確認、みたいなものかな。

大学卒業後の数年後に通りかかっって覗いてみたら、

躯体はそのままに外壁リフォームしてたときがあったなあ。

たぶん風呂付に改装したのでしょう。湯沸器が外付けされていました。

そのとき、「田中荘」から「メゾン田中」かなんかに呼び名が変わってたんだよなあ。

なんだかくすっと笑ってしまった覚えがあります。無理すんなよー、みたいな。

そして。この2月の末のこと。2年ぶりくらいにまた近所に行く用事があったので、

いつものようにメゾン田中に足を向けてみました。

何度か道を左右に曲がり、最後の細い路地を折れてメゾン田中方面を見てみると…。

更地。

えー・・・・・・・・。

建物は跡形もなくなってて、その代り更地の駐車場がひろがっていたのです。

田中さんちの場所も、見慣れた建物が新しくかわいらしい家に建て替えられていて、

表札には違う苗字が書かれていました。

Img_0520

行き場を失った私は、しばらく更地の上の自分の部屋があったところに佇んだ後、

ふらふらとすぐ西の崖を降り、

谷底に流れる北沢川羽根木支流の入口へ。

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そしてこの暗渠の闇に紛れ込む。

Img_0525

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もう私がここ(メゾン田中)に来る理由がなくなっちゃったんだなあ。

Img_0533

喪失感を暗渠に癒してもらおうと、いつもよりゆっくりゆっくり歩きました。

怪しまれない程度に。

Img_0535

出口の「おしくらマンホール」は健在だったのでちょっと安心。

その後暗渠からは外れましたが、田中さんのことを考えながら家まで長い道のりを歩いて帰りました。

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「メシ通」に<暗渠飲み>が取り上げられました。

twitterを通じて数年前に知り合った、フードライターの白央篤司さん。
去年のほっこりベストセラー・「にっぽんのおにぎり」などを書かれている気鋭の物書きさんです。
白央さんは、リクルートさんがやってるグルメ情報ページ「メシ通」のライター陣の一人でもあります。
このたび、私たち『暗渠マニアック!』著者コンビの「暗渠飲み」というジャンル(?)について白央さんに取材していただき、たのしげ・おいしげな記事にしてくださいましたー。
実は取材自体は、去年の秋だったんですけどね。
とても楽しい取材だったなあ…。ビール美味かったし。
お時間のある時にでも読んでみてくださいね!
なんとまあ恥ずかしげもなく、このlotus62も数点の写真で面をさらしております;;;。

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