暗渠ハンター 方南町と南台を貫くはしご式開渠のこと
まさかこんな都心にはしご式開渠が‼?
とあまりにびっくりしたので
興奮冷めやらぬうちにアップしておきます。
ちょうど杉並区と中野区の区境になってるところですね。
帰宅してからググってみたら、猫またぎさんでなくHONDAさんが2009年に記事にされていました。
この写真と見比べると、手前のわずかな「蓋暗渠」部分の長さと素材が変わったようですね。
ちなみに撮影位置である道路から神田川までの距離はわずか。高低の関係や道の曲がり具合などからから言っても
この開渠はこの道路とともに蛇行し神田川へと注いでいた模様です。
便宜上ここを「神田川 方南南台区界支流(仮)」としておくことにします。
開渠の端にパイプが這わされています。
接続の状況からみておそらく雨水管でしょう。
普段の雨水はこのパイプの中の「密閉空間」を通って排水され、
それで賄えないくらい大量に雨が降る「非常時」にこの開渠に水をあふれさせて流す、という構造なのではないでしょうか。
ブロックの中を割り込むようにずんずん奥へと続きます。
が、このへんで追跡の限界。
続きが見られるところまで「コの字ウォーク」で凌ぎましょう。
途中この住設工事会社的な敷地の資材置き場で
一端が垣間見れます。
どうやら車の後ろの小屋は水路上に建っている模様です。
つまりこの開渠が一時的に「小屋蓋暗渠」となる区間です。
ここを越えると再びはしご式開渠で
家々のスキマを縫っていきます。
ブロックの反対側まで来ました。
水路はこの駐車場を奥から区境と共に貫いてくるはずです。
さてこの先は、と。
歩道に加工されたと思しき痕跡を辿って上流をを探ります。
この区営住宅の沿って南に回り込みさらに南の台地に登りかけるあたりで痕跡は途絶えます。
このあたりは南と東の二方の台地に囲まれる
窪地になっていますね。
この辺から水が湧いていたと考えてもよさそうです。
それにしても、ここは新宿から直線距離で僅か3.5㎞の場所。
こんな都心ではしご式開渠が残っているとは驚きました。
ぱっと思いつく中では東松原のはしご式開渠ですが、
ここは新宿から5㎞、渋谷にも4.5㎞ですからねえ。
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コメント
この暗渠近く(旧八島町)30年前の住人です。
幼稚園児の頃、この暗渠の上を平均台のようにしてよく遊んだものです。
ここを取り上げていらっしゃる方のサイトへも書き込みをしたことがあるのですが、
写真にある資材置き場を過ぎたところの駐車場は、キャベツ畑だったんです。
春になると菜の花が咲いて、モンシロチョウが乱舞していました。
幼稚園児のころ、ここに青虫を取りに行った記憶もあります。
その農業用水に、この水路を使っていたのではないかと思います。
この暗渠の行き止まりあたりはちょっとした商店街がありまして、
銭湯、お菓子屋、本屋、肉屋、魚屋、八百屋、パン屋、練り物屋、薬局、氷屋、クリーニング屋などが
軒を連ねており、まるで「三丁目の夕日」の舞台のようでした。
今は根絶やしになってしまったようです。
余談ついでながら、この暗渠の近くに神田川が流れていますが、
ここはその頃、「俺たちの旅」というドラマのロケ地でした。
今のようにしっかりとした護岸がなされていない上に、
川沿いに簡易のガードレールしかなく、
落ちたら死んでしまうのではないかと本当に恐怖でした。
以上は1974、5年のことです。
キャベツ畑はバブル期前夜の、確か1985年頃になくなって駐車場になったはずです。
懐かしさのあまり多弁となりましてすみません。
投稿: スレパーシ | 2022年5月 8日 (日) 21時17分