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2014年9月

暗渠ハンター 八重山諸島の暗渠とオニササのこと

今回も夏休みローカルシリーズ、ということになるのでしょうね。
社会人人生最長となる休暇を取って(取らされて)、
長い間ずっと行きたかった憧れの地・八重山諸島に行ってきました。
石垣島をベースに竹富島、西表島などに上陸。

今回はそこで見た暗渠をちらっとご紹介し、
後半は石垣で毎朝通った「オニササ」のことに触れたいと思います。

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石垣の繁華街で初めに見た暗渠。

道路がミンサー柄なのが泣かせます。

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ミンサー柄はベージュ地のものと紺地のものと2種類あるところもかわゆい!

Img_3990

この柄の道路に暗渠が絡んでいるさまはほんと絵になります。

Img_3991

ここを遡っていくと暗渠沿いで出会うのは、泡盛「白百合」を作っている池原酒造所。

Img_4375

特定の時期時間帯では、暗渠から泡盛のいい香りが漂ってくる、のでしょうか。

このときは無臭。残念ながら。

さらに上流まで辿ると、「道の真ん中井戸」なども見られます。

Img_4388昔はこんなだったのかな。

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※「八重山写真帖ー20世紀のわだちー 下巻」石垣市総務部市史編集室 H13年 より

この暗渠に並行するように石垣の繁華街には何本かの暗渠が走ります。

地元飲み屋のおかみさんにちょっとだけお話を伺うと、
これらは「川でなく排水路」であったとのこと。

暗渠化の時代等詳細は寡聞にしてわからず。

Img_4606

お次は市内からずずっと離れて島の反対側の米原ビーチあたり。
砂浜に流れ込む川の最下流がかっこよかった…。

Img_4071

わかります?

流れてきた川が河口近くで砂浜に吸い込まれ伏流となるのがまさにこの地点。

この先の砂浜にはもう川の跡さえありません。

そしてこれは石垣島から船で10分程度の竹富島。

この島、ほぼ一周したのですが川にはお目にかかりませんでした。

そんな島で目を見張ったのがこれ。市街地(?)にあった水路。

Img_4330

まあいちおう暗渠と言ってよかろうw

オマケ的な写真ですが、竹富にあった給水塔。

Img_4347

廃墟みたいにも見えるし、バリバリ現役のようにも見えます。

さて暗渠話はここまでで以下は毎朝買いに行って食べた朝ごはん、オニササについてのお話。

以前FBにもちょっと違った切り口でのっけました。

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石垣市の繁華街からちょっと外れたところにある知念商会。

町のよろず屋さんみたいな店。

Img_4631

入口近くの店のイチオシスペースがオニササ売場。

のりたまやゆかり等がまぶされたおにぎりが4種類くらい(160円)、そしてササミフライやコロッケやとんかつ、ハンバーグなどの「具」が20種類ほど(1100円前後)。

これらが横幅15尺ほどのショーケースにずらりと並んでいるのです。

Img_4046

客は銘々にまずビニール袋を手にし、好みのおにぎりと具を選んでそこにin

ショーケース脇にはソース、しょうゆ、ケチャップ、マヨ等どこの家にでもあるような調味料が置かれているのでそれを好きなだけ袋にじょばじょばと注入してレジでお会計。

もともとは具がササミだけだったので「おにぎり+ササミ」で「オニササ」といいます。

Img_4634

毎朝ホテルで自転車を借り5分ほど漕いでここに通い、いろんなところに持ち出して食べました。

これを袋の上からぐしゃぐしゃに揉んで握っていじくり倒し、袋に顔を突っ込んで直に食らいます。

Img_4190

朝の抜けるような空の下で頬張るオニササは、声を上げるほど格別に美味いのです。

オリオンビールがあったのもおいしい感じに勢いをつけています。

島での朝飯全てをこれに捧げいろんな組み合わせで試してみました。

シソ巻ササミカツにのりたまおにぎり、マヨネーズ入りハンバーグにおかかおにぎり、

白身フライにジューシイという混ぜご飯、などなど。

共通する「コツ」として「多種の調味料を躊躇せずにどばどばぶっこみ、具が千切れ米が潰れるほどに袋を揉んだほうが美味い」ということがわかりました。

もちろんその行為も見てくれも、決して「上品」と言えた代物ではありません。

むしろその食べ方まで含めて「どうしようもなく下衆」です。

ふりかけ、ソース、しょうゆ等々複数の調味料をごちゃまぜにするという禁断の味。

徹底的にぐにゅぐにゅされ色も形もよくわからなくなったものを袋から直食いするという快感。

Img_4048


…実は小学校低学年のころに歳の離れた従兄から

「お前はぶっ散らかす食い方だな」

と叱咤にも近い口調で言われたことがあって、それからというもの、
たとえ家族の前であっても「美しく食べる」ことに腐心してきました。

お皿の上のものをどんな順番で食べたら美しいか。
どうしたらごはんを白く輝かせたまま凛々しく食べ終えるか。
どれだけ魚の身を極限まで摂り骨だけを美しく残せるか。
残った骨や皮やレモンをどうやってきれいに皿上に寄せて箸を置くか等々、
独自に努力してきたつもりだし、
もちろん食事全体のマナーにも結構気を使ってきました。
いつも他者の目を意識し「何を食べても常に上品たらん」と
鎧のようなものを着けながらモノを食べてきたような気がします。

そんな私が石垣島で出会った「オニササ」は、
重い鎧を脱ぎ捨てて
本能のまま・触覚と視覚と味覚の求めるままに食べ物と戯れるひと時を作ってくれたのです。

大袈裟ですがw

なんかこれってちょっと私が暗渠と対峙するときの気持ちを
少しだけ重なる部分があるような気がします。
またあまりないような気もします。
もう少し考えてみます。

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暗渠ハンター 神戸の鯉川こんな川 ③

「夏休みローカル特集」、
神戸は鯉川の3回目です。
前回は鯉川の上流の一つ、追谷川をさかのぼりましたが、
今回はもう一方の上流、これは城ヶ口川と記載されていますね。(こちら資料の3ページ目、資料の表記ではP8)
手元の地図を見て、それらしい開渠が描かれているあたり、
追谷川の300mほど西に向かって探索です。
見ることができた最上流がここ。
Imgp0310
なんかこう、護岸や川底が洒落てますよね。
観光地仕様というか。
しかしここは神戸のいわゆる観光エリアでは全然なくって
むしろ住宅地。
なんか神戸のおしゃれ底力を見たような気がします。
ここから下流を振り返り、底力を確認。
Imgp0311
道がない渓谷に入っていきます。
Imgp0313
反対側は資材置き場。この塀の左側が暗渠部分。
Imgp0315
その証拠に…
こちら上の写真の撮影ポイントで回れ右して撮った写真。
Imgp0316
ほら、足元(左下にあるのは)
Imgp0317
「河川」マンホールです。
穴からフラッシュをたいて内部を撮影してみました。
Imgp0318
少しだけ白汚さんに近づけた気がする…
ここから大きな道を越えて正面金網に。
Imgp0319_2
金網の先から開渠です。
Imgp0320
この先は谷地を使ったグラウンドとなっており、
そのはしっこを開渠&暗渠で流れています。
Imgp0321
城ノ口川とちょっと離れた坂道を通って大きなコの字を書くコの字ウォーク。
こちらにも支流的なものがありました。
Imgp0323
なかなかの味わい。住所は山本通4-12。
Imgp0324
さてもう城ヶ口川との合流地点だけど…。
えっっ‼
Imgp0330
これが城ノ口川です…。
いちいちかっこよくない?
流路こんなですよ。
Imgp0332
恐るべし神戸の造形センス。
中を覗き込むとこんな。
Imgp0334
しばし鑑賞してしまいました。
こっから先はこんな。
Imgp0335
手前の四角いマンホールの表記は「雨水」。
ここで先ほどの支流と合流するようです。
このあと私はこの道を選んで下りましたが、
Imgp0339
坂の勾配にしたがって流れは数本あったと見受けました。
Imgp0340
ここも流れがあったんではないかな。
この先の大きな道を越えてさらに下流で鯉川に合流するのか、
あるいはこの通りを左(写真の奥)まで行って
合流するか、それは現場で確認はできませんでした。
宿題としますかね。
Imgp0343
以上、3回にわたって神戸の鯉川の上っ面だけを
ざくざくっとご紹介いたしました。
やはり造形がちがうものです。
特に開渠では東京では全く見られない意匠
(意図してるかどうかわからないのでそれを意匠と呼んでいいかどうかもわかりませんが)
の開渠ばかりでした。

より大きな地図で 神戸の地下河川 を表示

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暗渠ハンター 「MIZBERING」で連載スタート。

今回はおしらせを中心に。

MIZBERINGというサイトをご存知でしょうか。

という趣旨で、
日本全国で起こりつつある「水辺コンシャスな活動」を
緩やかに支援し連携を図る、
といったことをやってらっしゃるところです。
(上はかなり私自身による意訳をしています、間違っていたらごめんなさい)
アドバイザーには憧れの陣内秀信先生なんかも名を連ねていらしたり。

で、そのサイトにて

という月イチの連載をさせていただくことになりました。
1

いやーなんかリアル水辺の話題満載の、
水しぶきがきらきらと迸ってるようなサイトに
こんな薄暗くてじめっと苔むす暗渠話なんて載せてしまってもいいのかしらと
最初は戸惑いました。
それを承知で拾ってくださった編集サイドの
度量の大きさ・懐の深さについてはもうただただ深く敬意を表すばかりです。

すでに掲載から5日間が過ぎようとしているのですが、
このMIZBERINGというサイト自体大変多くの方々に読まれているようで
おかげさまで今までにない手ごたえを実感しております。

もともとは、MIZBERING企画会議の場で
この運営に参加されている渋谷リバースさまが、

「『水のない水辺』である暗渠、ってよくないすか」

と素晴らしい発言をしてくださったことがきっかけになったと伺っています。
この場をお借りして、改めて渋谷リバースさまに感謝申し上げます。

たまたま渋谷リバースさまとは過去に面識があったので、
私にその具現化を持ちかけてくださいました。

その時点では単発記事か連載かは決まっていなかったのですが、
「水のない水辺としての暗渠」というコンセプトに
私もものすごく刺激され、
やりたいこと・言いたいことがもくもくと頭に湧き上がってきてしまったのです。
さらに、私だけではなくいろんな視点で深めていけるともっと楽しいかな、と
これまでも一緒にものを書いたことがある暗渠仲間数人にお声がけしてみました。
そしてみんなに構想をご理解いただきながら
さらにお互いのアイデアをじっくり出し合って連載としての骨格を決めたものです。

(この会議はある夜の「やまじ」で行われました。まさに水辺で生まれた企画であるのですw)

というわけで、今後は毎月10日前後に1年間。

第2回までは私が「水のない水辺の愉しみ方」を概論でお伝えし、以降は
本田創さん
吉村生さん
と交代で具体的な場所を取り上げて「水のない水辺」の愛で方を
ご紹介して参ります。

どうぞ、お楽しみに!

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暗渠ハンター 谷端川 南長崎支流(仮)を再検証。

「暗渠ハンター 神戸の鯉川こんな川」を連載中ですが、
早くもマンネリ臭がしてきたので(自分でも飽きてきたw)
最終回に行く前に1回だけ違うトピックを挟むことにしました。

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南長崎から谷端川に流れ込んでくる支流暗渠のことを書きました。

これについて、2014年6月に「南 長崎さま」とおっしゃる方
(記事中で「南長崎支流の水源」とした池の目の前で育たれた方です)から
貴重なコメントを頂きました。
要約すると、以下。

①「水源」の池は、周りの数件と合わせて公園となった時に人工で作られたものである。

②西武池袋線付近(南長崎3-42付近)は水はけの悪い(水が溜まる)ところだった。

③南長崎花咲公園の前にあるタバコ店の脇から西武池袋線の方角に向かって伸びている細い暗渠がある。これが南長崎支流(仮)に繋がっていたのではないか。

頂いたこの証言と、再度の現調の結果を踏まえ、
記事を検証していくのが今回の目的です。
なお投稿者である「南 長崎さま」のことは
この後出てくる「南長崎」という地名と混同しやすいので、
便宜上以下「南さま」と呼ばせていただきます。どうぞご了承ください。

さてまず①について。
私は元記事では
①-A 私の手元資料「<調査ノート>豊島区の湧き水をたずねて」横山恵美(豊島区郷土資料館研究紀要「生活と文化」第11号2001年12月)を見て南長崎公園付近に湧水と小川があった」という記述を見てここを「南長崎支流(仮)」の上流端と特定する。
①-B たまたま公園内に池があったので、そこではないかと想像する。
と書きました。

南さまの証言によると、①-Bは私のとんだ勘違いw
ということになりますね。取り消させていただきます!
失礼いたしました。

①-Aはちょっと詳しく整理しましょう。
前出の資料「<調査ノート>豊島区の湧き水をたずねて」横山恵美 を
引用させていただきますと(紀要P60)

「南長崎3-30、37(lotus注:37が南長崎公園です)間に湧き出た水は、南長崎2-24付近で西武池袋線にでて線路沿いに流れ、椎名町駅前のストア付近で谷端川に注いでいた(佐藤鈴代氏提供)。明治44(1911)年の武蔵野鉄道開通前の地図にこの小川が描かれている。また足立慶孝氏(1916年生)によれば、昭和10年代まで線路沿いに湿地(原っぱ)が続いていたという。」

と書かれています。
少なくとも明治末期までは南さまのご生家近くから水が湧き川が流れていたと書かれているわけですが、
南さまのお子様時代にはすでにこの川ごと水の気配がなくなっていたのかもしれませんね。
南さま、のちほどぜひお子様時代であったころの年代も教えていただけるとありがたいです。(こっそりで結構ですw)

それ以上の結論は、やんわりと先送りしましょう。

次は②。
先の引用の後半と全く一致しますね!
しかし
南さん仰るように3-42あたりまでも続いているとは
これまで私は全く想像できませんでした。
現地に行ってみると確かに一帯が低くなっていることがわかります。
なるほどなあ。ここまで広がっていたのかと感慨もひとしお。

そして③。
まずは現場検証です。

ここが南長崎花咲公園。
Img_2511
回れ右してそれらしいものを探ると…。
あった‼
Img_2512
これは細いぞ。
おそらくこの暗渠道を最初に自転車で通ったのは
私だと思います。
Img_2513_3
ちなみに左手のおうちではたくさんカエルを育ててらっしゃる
ようで、
ここ(@kaeruland)でいろいろご発言もされています。

自転車のハンドルも通らない難所を過ぎると
(というか過ぎても)こう。
Img_2514
紫陽花がきれいだったので余裕ぶっこいて
カラダを反転させながら写真撮ってみました。
Img_2516
まだ先は細く長く続くのであった。
Img_2518
かなりツラい状況ですがもうあとには引けません。
Img_2519
それでも余裕ぶっこいて振り返って&しゃがんで1枚。
平常心…。不動心…。
このあたりかなり好きな風情です。
Img_2522
やっと広い道キタよ。
Img_2523
この区画は新規造成されている模様。
まだ先が細くつづいています。
Img_2525
ここが出口。
振り返ってみましょう。
Img_2528
電柱のところが暗渠道の出口ですが、
左(東)に向かって道が拡張しています。
南さまは「ここで曲がって東に流れが向かったのでは」
と推測されていましたが、
まさにその通りだと思います。

東に曲がった先は、道に紛れて解らなくなってしまいます。
Img_2530
ですが、わずかな土地の傾きかおそらくすぐに北(西武池袋線方面)に曲がり、
ここ。②でご指摘の場所に集まってくるようですね。
Img_2536

私も南さまが仰った説に賛成です。
南さまお見事!

そうなるとの暗渠の水源は何だ、ということになるのですが、
それがわかりません。
ただ、暗渠の始まりのところは
東西に清戸道という交易上重要な古道が走っています。
殆ど尾根伝いに。
ある程度家や商店が集まっていたはず。
その生活排水を流す「どぶ」だったのではないかなあ、
というのが私の推測です。

より大きな地図で 杉並以北でまとめてみよう を表示




********************
さてここからは余談。
現場検証をしていて自分の過去記事を思い出しました。
それがこれ。
この記事のさいごに地図を掲載しており、
そこには「湧水」として
東長崎駅前のとしま昭和病院横から始まる暗渠を図示しています。
その始点から下流(南方向)を眺めに行きました。

ちなみにこれも先の資料
「<調査ノート>豊島区の湧き水をたずねて」横山恵美(豊島区郷土資料館研究紀要「生活と文化」第11号2001年12月)
を参考にしています。

Img_2563
ここも細い。
Img_2566
ずっと細い。
Img_2569
清戸道を通り越しても細く続きます。
Img_2571

ここで興味深いのは、
先ほどのの暗渠は清戸道から北に流れていて
あたかもこの古道が分水嶺になっていたかのように思えますが、
数百m離れただけのここでは清戸道が低くなっており
反対方向に水が流れていた、
ということです。
世が世ならどっちかが「逆川」とか言われててもいい感じの。
うーん、面白い!

今回の記事はすべて南さまのコメントがきっかけで
書かれたものです。
改めて、南 長崎さまに感謝申し上げます!


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暗渠ハンター 神戸の鯉川こんな川②

では「夏休みローカル特集」、
神戸は鯉川の2回目行ってみましょう。

前回のヘンな構造の鉄骨開渠の上流を見ていきます。
ぐっと幅が狭く・底も浅くなってこんなふうに登っていきます。
Imgp0253

いま無意識に「登る」という言葉をつかってしまいましたが、
神戸の川は「短くて落差が激しい」のが特徴です。
海から上流を目指して歩き出すと、
このへんからかなりの勾配になり
文字通り「上る」というより「登る」状態。

お。多くの暗渠者が身悶えして喜ぶ「切り返し」ですね。
ちなみに剣道でも切り返しという稽古があり、
それは稽古の本丸である苦しい苦しい「掛かり稽古」につながる
恐ろしい序章でもあるのですが、こことは全く関係ありません。
Imgp0256

あ、なんかハト用の風呂桶みたいなかわいい構造物。
Imgp0259
公共金魚鉢とかなのかな。

さらにちょっとまた違った切り返しを経て柵のある開渠となります。
Imgp0260

坂の傾斜が大きくなり、渠も深くなってきました。
Imgp0261

あ。トマソン物件です。どこにも出られないドア。
Imgp0262

この先さらに切り返しが現れますが、
もう珍しくなくなっちゃったんでばっさり割愛。

この開渠はここから近づけなくなり、
崖(盛土してある幹線道路)に遮られてしまいます。
Imgp0267

しかしまだまだ先がある、と。
崖上の道路から今の谷を見下ろすと、こう。
Imgp0275

振り返ると道路の向こう側にはこれ。
Imgp0271
やった、続いてる!

これらの間の道路面にはこんなマンホールがあって
私を心強く鼓舞してくれました。
Imgp0274

この先はもう殆ど「山登り」です。
そうだな、東京近郊で言えば田園都市線の川崎市や横浜市的な高低差ですね。

これが道路を越えてくる暗渠。
Imgp0277

その続きが下の写真の左側(上流→下流方向)。
深い谷です。
こんなドラマティックな風景を日常に呑込んでなお、オバサンは水撒きしています。
Imgp0279

上流方向ははしご式開渠となって続きますが、
Imgp0281
伴走する道はこんな状況。
Imgp0283

実は昨夜もここまでは下流から追いかけてきたのですが、
この奥に写る草の茂みまで来て恐ろしくてあきらめた、
のでありました。
だってこんなだったんですよ昨夜は。こりゃ怖気づきますよね。
Imgp0132

それに比べりゃなんだこんなもん。
服にたくさん蜘蛛の巣付いたが無事通過。
しかし川は右に大きくカーブし見得なくなってしまいます。
しゃあない、Cの字ウォーク。しかもかなり高低差のあるCの字。
マンションの敷地の合間からやっと見えた景色がこれ。
Imgp0288
さらに上を目指し、
こーんなトンネルがある山の上のヘアピンカーブから流れに近づきます。
Imgp0308

見えた。
流れの途中に調整池のような空間ができていました。
Imgp0300

ここに建っていた碑。
(バックの、はるか下方に拡がる神戸の街にも注目願います)

Imgp0297
「追谷川 沈砂池」
「竣工平成5年3月 兵庫県神戸市」
と刻まれています。
そう、鯉川の上流は二手に分かれ、そのひとつは「追谷川」と呼ばれています。
この一帯が追谷という地名ですね。
そしてこれは沈砂池でしたか。

さらに上流は、「追谷霊園」という墓地を抜けて繋がります。
こちら追谷霊園の入口にあった地図。
しっかり流れが書かれています。
Imgp0301
そしてその流れ。
Imgp0304

ここからさらに滝のように上がって続きますが、
この墓地以上は近づく道がなさそうだったので追跡はここまで。
Imgp0306

次回は鯉川の最終回で、もう一つの水源からの流れを追います。

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