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2014年4月

暗渠ハンター 彩の国 藤右衛門捕物帳⑦蹴球気分で北浦和まで

さて隔回で書いているさいたま市の藤右衛門川、
今回は「緑(天王川)の4」。

なんかですね、この藤右衛門川の連載は昨年から始めてるんですけど、
正直自分ではそろそろくたびれてきちゃった感アリアリなんですよね。
(読まれてる方々はもっとそうかもしれませんがw)

これに限らず、やっぱ現調行ってすぐのほうが
記憶も鮮明だし書きながらも興奮するものですし…。
なんかあとは適当に端折っちゃって終わりにしちゃおうかなーなんて。
要するに中だるみ中なわけです。

しかしそんなところに、
猫またぎさんがこの藤右衛門川の兄弟支流「明花落」のことを書き始められたり、
大石俊六さんがこんな記事のコメント
「大きなスケールで見ると、利根川と荒川に挟まれた埼玉というのは巨大な『沼地』といえるのではないか」
的な大胆かつ新鮮な視座を提示してくださったので、
俄然やる気になってきました。
言いすぎました、もとい。
すこしやる気になってきました。

はりきって行ってみましょう!

Photo

緑の4」。こちらはながーい支流で遠く北浦和駅のすぐそばまで伸びています。
その前に、上の地形図には載せませんでしたが
ちょっと下流の短い支流から行ってみましょう。

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この短い支流は、
元町2丁目というところを通っているから
「元町2丁目支流(仮)」と呼びます。

元町2丁目支流は大きな鉄塔(大宮線9)の下で合流してくるので
見つけやすいです。
Img_0194

これ。
Img_0193
鉄柵で囲まれているので反対側に回ってみましょう。
Img_0196

でた、防災倉庫。

道を横切って鉄柵暗渠が続きます。
Img_0198
コの字ウォークで追跡。
資材置き場と化しています。
Img_0199

道の反対が最後の痕跡。
Img_0200

このあとは推測でしかありませんが、
さらに南の丘上の鳥居のあたりまで行ってないこともないようなあるような・・・。
Img_0203
(奥に石の鳥居が見えますでしょうか)

ここまで。では本編の「緑の4」に行ってみましょう。

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それは元町3丁目20で西から合流します。
Img_0218
すぐその先に緑道「元町緑道」の入口が。
Img_0220

おお、緑道だからといってなめてはいけません。
なんか護岸っぽいものも残っています。
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それにしてもサッカー推しですね。
Img_0223

この「まつふじ」も気になります。
Img_0224
中華そばから日本そばうどんまで扱っている度量の深さが、
何者であってもやさしく懐に受け止めてくれそうです。
時間があって腹が減っていたらぜひ寄りたかった。

その先にはこんな支流もあったんですが、
今回はスルー。
あとはきっと猫またぎさんが・・・

Img_0225

どこまで行ってもサッカー。
Img_0231
変わり映えしないのでショートカット、
ここが緑道の終わり。
Img_0232
もう北浦和駅はすぐそこ。
ここから急に登り勾配がきつくなって、
その台地上に駅があります。
Img_0234

現調していたときは、たぶんこれは
「北浦和駅で降りて駒場運動場にサッカーの応援に行く人のための緑道」
であり、
サッカーの試合のまえ・うしろで気分をアゲつつみなさん通っているんだろうな、と思っていたのですが、
あとで地図をじっくり見てみると別に駒場まで近いわけでも何でもないし。
純粋に「サッカー推しの緑道」だったのですね。

まあなにしろ、車止めに描かれたサッカーボールを
追いかけるような気分で歩いてきました。ドリブルドリブル。
こちらは「元町緑道ドリブル支流(仮)」と呼ぶことにしましょう。

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暗渠ハンター 恵比寿のチラ見せ暗渠、「伊達町川(仮)」 

ふろっぐねすとさんという、尊敬すべき暗渠の先人がいらっしゃいまして。
その方が書かれたブログ「ぶろっぐねすと」を拝見していたら、
恵比寿ガーデンプレイスの東にある谷の記事に目を奪われました。

このすぐ南を流れる「三田用水 白金村分水」は辿ったことがありますが、
そこに隣接する、というか流れ込むこの谷は全く死角だったのです。

もうずいぶん前にこの記事を拝見して
「行きたい行きたい」状態になっていたのですが、
先日やっとその欲望を満たして参りました。
ふっろっぐねすとさんの完全なる「後追い記事」になるのですが、
この谷の景観、けっこう素晴らしいので
その感動を書き遺しておきたいを渡しも筆をとる(キーを叩く)ことにいたします。

まずはその谷頭から。
Img_0035

恵比寿3ー30あたり。
ガーデンプレイスの敷地の隣のブロックからうっすらと谷が始まっています。
しかしほんとにうっすらなので谷頭から見つけて辿るのはかなり難しいですね。
私は谷の途中でこの川筋に辿り着き、上流に向かいました。

Img_0036

ここから東へと谷が伸びて行きます。
ですがそう少し下流までは
ブロックのまん中を谷筋が通っているので谷底を歩くことはできません。
谷筋を何度か垂直に横断しながら、
あみだくじを辿るように下流に向かって探索していきます。

ところで。
この近辺恵比寿3丁目の旧町名は「伊達町」。
宇和島藩の大名であった伊達家の下屋敷があったことに由来します。
伊達と言ったら仙台藩だろう、と私も思っていたのですが、
伊達正宗の子秀宗が宇和島の地を授かって治めていたそうです。その後近代・明治後期以降は竹久夢二など新進気鋭の美術家たちが集まり住み、「美術家村」としても有名。

だそうで。(「恵比寿新聞」より)

これからご紹介する谷の流れも、多くの近代美術家たちが眺め愛でていたに違いありません。
仮に「伊達町川(仮)」と呼んでおきましょう。

見所が現れるのは3-24以降ですね。
Img_0041

遠くに階段。湿った気がたゆとう路地。
Img_0042

 

この谷底には輸入車多し。まあそうだよな、恵比寿だもの。
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ようやく谷底と道がリンクする3-18。
Img_0045

マンホールが多くなってきたうに思えるのは
贔屓目でしょうか。

しかし谷底はまたすぐ住宅敷地に入ってしまいます。
名残惜しきことこの上なし。
Img_0046

谷の上に上がって谷底を未練たっぷりに振り返るの図。
Img_0048
谷の両岸は階段道ですね。

さて谷底の行く先はいずこに。
次のブロックで太い道にぶつかります。
この写真の右のほうに続きを探りに行きますと・・・。
Img_0049

あった。
Img_0050
場所はここ。
Img_0052
首都高速2号目黒線のすぐ手前。

ちなみに下は「東京時層地図」による「関東地震直前」地図。
Img_0051
「伊達跡」が四角いグリッドで残っています。
いまこの中を通ってきました。
今いる青い点は「伊達跡」と「伊達前」の境目のようですね。
この「伊達跡」「伊達前」、「昭和戦前期」の地図では
併せて「伊達町」という表記になっています。

 
もういちど谷底を見ましょう。
Img_0053
見事です。
私が立っている道路を造成するときにかなり盛土したのでしょう、
谷底を見下ろすようなビューポイント。

「川があったかもしれない谷底」が
川の跡である「暗渠」となって現れる瞬間ですね。

(ぶろっぐねすとさんはここから上流を振り返ったところに見える
「怪しいトタン張りのスペース」をブログに取り上げてらっしゃいましたが、
もうそこはすでになくなってしまったようです)

すばらしい暗渠景観なのですが、暗渠を「公式」に眺められるのはここだけ。
この後は住宅ブロック内に埋もれてしまいます。
ほれこんなふうに。
写真の先が谷底であり暗渠ですが、この先は個人宅。
Img_0058

途中にある駐車場に潜り込んで暗渠を確認することはできなくはないのですが、
所有者にお断りして許可を得なければいけませんね。

まあこの辺りは谷底のまわりも結構見どころはあります。
こんな家とか。
Img_0061
こんな道とか。
Img_0055

首都高2号目黒線にぶつかるのはこのあたり。
Img_0063

この建設中のマンションの横、このあたりに流末が来ているのでは。
Img_0062

首都高目黒線を越えればすぐに「三田用水 白金村分水」に合流。
合流ポイント、きっとこのあたりが怪しいですな。
Img_0065

以上。
ほんの一瞬しか見られなかったけど、そして古い地図にも載っていないけど
たしかにこれは暗渠、でした。
ふろっぐねすとさんに感謝申し上げます。

より大きな地図で 三田用水白金村分水 を表示

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暗渠ハンター 彩の国 藤右衛門捕物帳⑥浦高裏まで追っかけろ!

不定期連載の藤右衛門川シリーズ。

Photo

google earthさんと東京地形地図さんのお力で作図させていただいております。

緑の支流「天王川」に移りまして今日は
緑の3」の支流のお話。

より大きな地図で 浦和 を表示

その前に、冒頭地形図には載せませんでしたが
「緑の3」の手前の小さな支流から。
天王川上の緑道にこんな開渠が接続しています。
領家1-6あたり。
Img_0140
閉鎖された開渠。先回りしてもなお閉ざされて続きます。
Img_0142

橋跡、と言っていいのでしょうか。
Img_0143_2

しかし開渠も同ブロックでおしまい。
ここがその終点です。
Img_0144

赤鉄板や木の杭のようなものが架けられ
静かに伸びていきます。
この先領家1-8では加工度が上がり、
どうやら歩道の下に・・・。
便宜上これは「領家1丁目支流(仮)」と呼んでおきます。

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さてそのすぐ近く、領家1-7のブロックから
より長くはきりと伸びる支流があります。
これが「緑の3」。
ここは浦和高校を抜けてその先まで辿れるので、
浦和高校支流(仮)」と呼びましょう。
天王川が太い道路と交差するところにある肉屋さん。
(下の写真右に見切れているオレンジ色のファサード)
Img_0149

この肉屋さんの前を通ってすぐに隠れていく支流を発見。
Img_0151
これです!
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おお、細いところに入っていく入っていく。
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蓋暗渠が続いています、ひっそりと。
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その後いったん表舞台に出て蓋暗渠が続きます。

Img_0156_5

がしかし正面の選挙ポスターの向こう側へ。
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裏側に回ってみましょ
領家1-14のブロックをこんな風に貫いています。
Img_0160

ちょっと奥まで入ってみようかな。
ここで限界・・・。
Img_0161

回れ右してこの先を追いましょう。
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緑の金網が見えると安心しますね。
まだ続いているぞ、と。

領家2丁目に入り2-5。
ここに出てきます。
Img_0164
ここからが面白い展開。
上の写真左に見切れている紅白のガードレール。
浦和高校支流(仮)暗渠はここでかくっと曲がって
このガードレールに沿って流れていました。
見てくださいこれ‼
Img_0165
川だったことの名残と思われる、
橋のような家へのアプローチ。
Img_0166_3

その先には植物園。
Img_0167

ここでまたかくっと曲がって
浦和高校に向かって真っすぐ北上します。
Img_0169

おー‼道路の左側から右側に
見事な切り返しです。
Img_0170
さらにこの切り返し地点では東からの短い支流も合流という贅沢さ。
Img_0171

この短い支流はまっすぐ行って、ちょっと小高い大地に上がるところで途切れます。
そっちは省略、浦和高校を目指しましょう。
さきほどの暗渠はこんなふうに浦和高校敷地に吸い込まれていきます。
うーん、これは捕り逃すパターンか…?
Img_0172

高校の東側の道路を探索に行くと、
こんな怪しく取り繕ったような歩道が現れました。
先に進んで南方向へ振り返ったところなので、
浦和高校は写真の右方向にあります。
Img_0173

そしてこの歩道の端には・・・。
こやつ、現れたな・・・ふっふっふ。
Img_0174

この先あまりにプライベートな空間だったので、
ちょうど玄関先にいらしたこの御宅の方にお断りして
入らせていただきました。
Img_0179
この先突き当りで90度左に曲がって続いています。
Img_0176
このあたりは20年前まで一面畑だった、
とはこの御宅の方のお話。
暗渠化された時代に関しては不明です。

さてこの暗渠を先回りして追っていきます。
あった!
Img_0182

しかし残念ながらこの捕り物もここまで。
行方はここで途絶えます。

まあここまで終えたら満足です。すぐそこは分水嶺となる大きな通り。
終了として、次行ってみよう。

一枚だけおまけです。
浦和高校までまっすぐ向かう途中の「切り返し」地点に
流れ込んでくる支流について触れましたが、
その上流の風景をワンカット。
暗渠上の利用にはお決まりの防災倉庫とゴミ捨て場。
Img_0186
川に蓋をすることで公共スペースを確保する、
という構造は東京の主要暗渠とおなじですね。

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