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暗渠ハンター 彩の国 藤右衛門捕物帳②生まれるものとなくなるもの

ずいぶん間が空いてしまいまいたが、
さいたま市の藤右衛門川の話の続きをいたしましょう。

まずは前回も掲示いたしましたこちらの全体図から。

GoogleEarthさま、東京地形地図さまいつもお世話になります。

Photo

前回は「青の1」をご紹介しましたが、
今回は「青の2」行きます。

藤右衛門川は上流がそれぞれに長い支流で構成されています。まるでエンガ堀みたいですね。

それだけに
「藤右衛門川の源流」というのが特定しずらいです。
どの支流が本来の藤右衛門川かもよくわからんし…。
ですが、私は今回のこの「青の2」の先端を源流と呼びたいと思っています。
それは、数ある支流のなかでここだけが、
「ここから湧いている」と特定できる地点がありそうだからです。

行く前に、簡単にググってみました。
すると、こんなサイトを発見。

大谷場東小学校の教育用サイトのようです。

ここでは、結論付けてはいないものの、
どうやら藤右衛門川のどこかの支流の先っちょには、
この写真のような湧水ポイントがあるようです…。

さらに、尊敬すべき「東京西北部の中小河川」サイトにも
ここの源流の自然っぷりについて言及されています。

これはすごいじゃないですか!
というわけで割と胸をわくわくさせつつここを遡上したわけです。

どんなことになっているのか…。
それでは、行ってみましょう。

「青の1」の起点同様、道祖土小学校から枝分かれする暗渠をたどります。
Img_0032


煉瓦色の蓋。この先かくっと曲がりますが、
Img_0033


この曲がるところでは支流が合流しています。
Img_0034


しかも開渠で。
この支流はとても短いので冒頭の地形図には載せませんでした。
が、ちょっとだけご紹介します。
合流地点からワンブロック遡ったところ。
囲まれる開渠。
Img_0037


なんかこれ見ててクリストを思い出しました。

大地に刻まれる現代アートとしての、金網で梱包された開渠。
みたいな…。

このクリスト開渠はすぐにここで暗渠となり、
この先は住宅の密集するブロックに入って行ってドロン(死語)。
開渠に水が流れていたところを見ると、
このブロックで湧いているのか知らん…。

さてさて今回の「本流」に戻りましょう。

先ほどの煉瓦色の蓋暗渠の先には、
かなりアガる風景が目に飛び込んできます。


Img_0035


見てください!川の工事中だぞもしかしたら暗渠化真っ最中だぞ‼
工事のおじさんにお断りしてまじまじと撮らせていただきました。
Img_0040

Img_0041 Img_0042

ちょっと離れたところにいたおじさんに
「これから蓋をするんですか?」と尋ねてみると、
「はい…」と言って頷いてらっしゃいました。

しかしおじさんの表情がなんとも何やら曖昧な表情だったのが気になる…。
もしかしたら私の質問を聞き取れず(私、滑舌悪いです)適当に返事しとくか、
という表情にも見えるし、
「あー、ご近所の『里山環境保全派』の人が来ちゃったよー、
川に蓋掛けるなんて答えちゃうと『自然のままにして‼』とか抗議されるんじゃないかなー」
的な不安をにじませた表情にも見えます…。

ここがこのままはしご式開渠となるのか、
それとも蓋がかけられて暗渠となるのかは
私にとってはきちんと白黒つけねばならない大問題なんだけどなー…。

まあおじさんの返事通り、
これまで開渠だったところをまさに暗渠化していると理解しましょう。
ここは、生まれる寸前の暗渠である、と。

工事看板はこんな。
Img_0043
そっか、「排水路」と呼ばれているんか君は。
ふむふむ。請負金額まで書いてあるんですね。
この工事で8300万円強。安いのか高いのかわったくわかりませんw

こちらは左岸のちょっと小高い丘から
工事区間を見渡したもの。
Img_0044
まるでレールを敷く工事をしているみたいです。

その先は、ちょっと古めのはしご式開渠。
Img_0046

この辺も改修すんのかなあ…。
なかなか味わいの深い開渠が残っているのですが…。

それはそうと、このへんにあるはずのアレがないぞアレが?
1

(「マピオン」から転記)

この図の中央付近。四角いでっかい池がありますよね、3つも。
これ、釣堀なんです。
道祖土園、という名前らしいんですが、全く見当たりません。

ん…この釣り情報のHPには
「10月1日(金) さいたま市の道祖土園の3号池が埋め立てられました。」
とありますね。
10月1日が金曜なのは2010年、当日から遡ること3年。
3年間情報が更新されていなくて、
しかもその時の情報は「一つの池を埋める」という事業縮小に関すること。
こうなると、今はもう残ってない可能性も一気に浮上してきます。

そう思った瞬間、
目の前に見えていた「宅地の造成かなあ」くらいにしか思っていなかった
「重機を使って何やら作業をしている」風景の意味が解りました。
Img_0068

まさに、今釣堀池をう・め・て・い・る。
Img_0069

うわあ…。
Img_0052


さっきはこれから生まれる暗渠をみたばかりだというのに
今私は池の最期に立ち会っている…。
道祖土園はもちろん行ったこともないけど、
だからこの地に馴染みなんてまるでないけど、
この殴られたような哀しみは何なのでしょう。
言葉になりません。

しばらくぼおっとしていましたが、
そのうちなぜか頭に浮かんできたのは
小学校のころにどこかの本で見た「星の一生」イメージでした。
こんなかんじの

宇宙は広い。生まれてくる星もあれば死んでいく星もある…。
それを繰り返して途方もない時間が流れてきたのだ…。
なんてことを思い出して正気に戻りました。

在りし日の道祖土園の姿は、ここここで見ることができます。

上流、水源を目指しましょう。
先ほどのマピオン地図を見ると、
釣堀と同じブロック・釣堀の右上で
流れが始まっているのがわかります。
釣堀の横を開渠が走っています。
Img_0051

相変わらず横をがっちりと「梱包」され上流へと続きます

Img_0054


最上流は、この下の写真の原っぱの中にあるようです。
Img_0056
先ほどからの「梱包」金網が左端から中央まで続き、
途切れているのがわかります。
右の駐車場は小さな崖上にあり、さらにその向こうは幹線道路が走る尾根道です。
もはや目前の叢に水源があることは火を見るより明らか。
いざ。
草を分け入って進みます。

ここだ!…ってえ?ここ?
Img_0061

コンクリでカチカチに固められています。
ドンツキ以外にも横にいくつか穴があって、
あちこから水が染み出しています。
ここら一帯の土地から水が湧いていることは間違いありません。

金網のせいで直接水に触れないのも悔しい(水質調査ができないから)ですが、
何よりもこの「余計な整備」がなんとも悔しい。
冒頭ご紹介した、
尊敬すべき「東京西北部の中小河川」サイトに載っていた
野趣あふれる水源の姿はもう失われてしまいました。
来るのが遅かった…。

こちらで農作業をされていたおばあ様にも少々お話を伺いましたが、
確かに数年前まではこの護岸はなく、このへんあちこちから
水が湧いていたのよ、とのこと。

きっとこの護岸ができたことで、このおばあ様たちにも
何かいろいろなご利益があったんでしょうねえ。

上の写真の「最上流」の穴の向こうは、こんな風景です。
Img_0059

真ん中に少しだけ道のようなものが見えますね。
大雨など降れば、この道に水が集まって川のようになるかも知れません。
せめて今度はその流れでも見に来るかな。

農作業の手を休めてお話くださったおばあ様と別れるときに言ったお礼は、
なんだか自分でも必要以上に丁重だなあと感じながら、次の支流に向かいます。

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2070 ・・・その他水系」カテゴリの記事

コメント

道祖土の辺り、地名からして興味が湧いてきます。駅から遠そうでなかなか足が向いていませんでした・・

拝見していて引き込まれるお写真の数々。排水路、の工事名や真新しい白い暗渠工事工材の無機質さ。
工事の方への声掛けから生まれる心模様の推測、凄く面白いです!

釣堀、かなり大きかったんですね。お写真を見ると背後は戸建住宅地として造成されているようですし、ここも同様に転用されるのでしょうか。悶々と響く思いを暫くの間抱いてしまいそうな光景ですね。


投稿: 谷戸ラブ | 2014年1月20日 (月) 09時26分

谷戸ラブさま、コメントどうもありがとうございます。

ここらへんは都合3回出張してるのですが、さすがに学習し3回目はレンタサイクルを調達しました(武蔵浦和駅で借りたので遠かったけどw)
自然な水源こそ見られませんでしたが、工事中の暗渠といい埋め立て中の池といい、
良いタイミングで行けたんではないかと思っています。
池の埋め立ては暗渠者にとってはある意味グロテスクな光景です。
けれど、それもしっかり見て受けて立たないとな、とへんな義務感だか使命感だかなんだかそんな気持ちになっていることに、後から気がつきましたw

遠くの、競馬場を見に行って出会った名も知らぬ川でしたが、
なんだか今では不思議な愛着が湧いてしまっていますw
いいヤツですんで、いつかぜひ訪れてみてください。

投稿: lotus62 | 2014年1月20日 (月) 12時02分

おお、この記事、お待ちしてました!
「暗渠化真っ最中」の場所は、私が訪問したのはlotus62さんより少し後だったようですが(2013/12/14)、暗渠ではなくて開渠が完成していましたw
後でTwitterに写真上げときます。

池の場所も、池の痕跡がほとんどなく、住宅地造成中となっていました。

投稿: 猫またぎ | 2014年1月20日 (月) 13時10分

猫またぎさん、コメントありがとうございます。
(待ってましたと言って頂けると、たいへんに嬉しいです!)

【当ブログをご覧のみなさま】
…私が行ったのが2013/11/2。そのひと月とちょっと後にはこんなになっちゃうんですねえ、という写真を猫またぎさんがツイートされました。
猫またぎさんにご快諾頂いたので、こちらでもご紹介させて頂きます。(猫またぎさん、ありがとうございました)


暗渠化(?)の工事後。
https://twitter.com/ankyonekomatagi/status/425128443072626688/photo/1
やっぱり暗渠じゃなくって開渠だったw
「蓋するんですか?」みたいな質問にはたぶん普段から接しないでしょうし、想定外だったのでしょう。またはよほど私の滑舌がひどかったのでしょうw

釣堀の池跡。
https://twitter.com/ankyonekomatagi/status/425128835319754752/photo/1
もう名残さえありません。全く。
都内の池も、こんなふうに無くなっていったんだなと思うと感慨深し。

猫またぎさんには当記事に「写真も使っていいですよ」と仰っていただいたので、後程補記として写真を掲載させて頂きます。

投稿: lotus62 | 2014年1月20日 (月) 19時32分

こんにちは、はじめまして。
自分の故郷のことを調べていてこの過去ログにたどり着きました。

自分はこの道祖土の出身の者です。
道祖土小学校が母校で
しかも、この源流地点のすぐそばに住んでいました。
貴方のような「マニア」(褒め言葉です)の方が調査公開してくれるおかげで
地元民では日常として見過ごしてしまった風景を
別の視点から再確認でき、とても嬉しく思います。
あの小川が道祖土小まで続いていて
別の川と合流していたのは知っていましたが
それがやがて「藤右衛門川」という名前の川になることや、
その藤右衛門川で浦和名物のうなぎが捕れたこと(wikipediaより)は
今初めて知りました。

道祖土という地名は難読としてしばしば話題になり
道祖神や賽の神を思わせる字面もロマンをかき立てられるのですが
地元に住んでいた頃も特に言い伝えなど聞いたことがなく
とても小さな神社はありますが
信仰心の篤い場所でもありませんでした。
文献などにも特に記録は残っていないようで、残念です。
30数年前にはすでに道祖土のほとんどは住宅地になっていましたし
地域の結びつきも強くはなかったので
もう調べようがないかも知れません。

水源地の周辺は住宅の多い道祖土の中でも緑が見られる場所で
悪い言い方ですが「田舎くさい」ところでした。
私が幼い(1980年頃)時分には
「第二産業道路」と呼ばれる東側の幹線道路はまだ整備されておらず
その沿道の商業施設もなく
季節ごとにチョウやバッタやカブトムシ、トンボ等が虫籠一杯に捕まえられ
件の川では、ザリガニ釣りを楽しめました。
小川は小学生でもまたげるほど幅が狭く、
低学年でもさして危険の感じられないものだったと記憶しています。
すぐ下流の釣り堀付近から先は底が深くなってしまい
また、やがてコンクリートで囲われてしまったために子供が遊ぶには不適でしたが、
水源付近は長い間自然の状態でおかれていたのは
「東京西北部の中小河川」さんで紹介されているとおりです。
湧き水が流れとなったものが畑の中から忽然と現れる、
その姿をずっと見て育ったものだから、「そういうもの」と思っていましたが
今思えば貴重な光景だったのですね。

大雨が降っても川から水が溢れるようなことはなかったように思いますが
「この辺りは水が出るから家は建てられない」と親が言っていました。
水源地が囲われてしまったのは、周辺が宅地として整備され始めたことが
関係しているのかも知れません。
周辺よりも低い場所なうえ、釣り堀と畑しかなかったので
見通しがよく、土や草の臭いを含んだ風が吹く気持ちのいい場所でした。
地主さんの代替わりで近辺の宅地化が一気に進んでいるようなので
数年後にはまた違った風景になってしまうことでしょう。
幼少時に親しんだ人間としては寂しいですが
かつての姿を記憶の中に大切に留め置きたいと思います。
ご紹介頂き、ありがとうございました。

投稿: 道祖土っ子 | 2015年1月30日 (金) 19時31分

道祖土っ子さま
ご丁寧なコメントを頂き、感激しております。
ほんと、ブログをやっていてそして浦和に行ってみてよかったなあと、
この数日(コメントのお返事ができませんでしたが)
喜びをかみしめておりました。

道祖土のご出身でしかもこの水源のそばでらしたとは…。
この川でたくさんの思い出を作ってこられた方に読んで頂けたとは、
感無量です。
釣堀の件の証言やお父様のお言葉も私には大変貴重な情報です。
読んでいるだけでますで「土や草のにおい」が薫ってくるようです。
ほんとうによくぞ読んでくださいました。
どうぞ今後ともよろしくお願いいたします。

投稿: lotus62 | 2015年2月 1日 (日) 17時03分

お返事ありがとうございました。
しばらく出張で忙しくしていたため、お返事できませんでした。
藤右衛門川の青のルートはすべて、 私が子供の頃に駆け回ったエリアです。
開渠だった昔は「ドブ川」としか認識していなかった河川がひもとかれてゆくのを
まるで自分のルーツを探る旅のように読ませて頂きました。
いつかこの記事を頼りに、実際に巡ってみたいと思います。

投稿: 道祖土っ子 | 2015年2月 5日 (木) 17時13分

道祖土っ子さま
実際にめぐられたときは、ぜひご感想など教えてください。
意義深い旅になることをおいのりしています。

投稿: lotus62 | 2015年2月 5日 (木) 18時12分

こんばんは

調べ物をしていて、懐かしい「道祖土」の地名にひかれて、参上いたしました。
道祖土小から裏道を北へぐにゃぐにゃ道を7、8分歩きますと北宿通りへ出ます。
そこに3棟の市営住宅があり、昭和47年ごろから15,6年住みました。
この記事はどこもよく存じており、とても懐かしいです。

調べ物というのは、浦和のおおざっぱに申して調宮神社周辺(かなり広い範囲と思われます)に

「釣り堀 娯楽園」

というのがあったらしいのですが、それがどこなのか、ということです。
咲いた漫歩さんという方のブログに奉納碑の画像があります。
http://blog.goo.ne.jp/manpoarukuhito/e/b5cceaded45dc700cb5cd12e93e32e67

もし、何かご存じでしたら、この御サイトコメント欄にご返信いただければ幸いです。
懐かしい記事、ありがとうございました。

投稿: izukun | 2016年11月18日 (金) 21時45分

izukunさま
この数か月てんやわんやな日々を送っておりましたもので、頂いたコメントに気付かずにおりました。
せっかくおいでくださって、コメントまで書いてくださったizukunさまには大変に失礼をいたしました。
まずは、心からお詫び申し上げます。すみませんでした。
残念ながら、お探しの「娯楽園」については存じ上げません。
お力になれず申し訳ないです。

この近辺にお住まいだったとのこと。
思い出をお振り返りになる機会が提供できたとすれば、とてもうれしいです。
以前のコメントで道祖土っこさまという方も教えてくださったとおり、
このあたりはとても素敵な場所だったようですね。
昔のことを全く知らない私にとってはたいへんありがたい情報です。
どうぞ今後ともよろしくお願いいたします。
「娯楽園」に関することも、解明できるといいですね!

投稿: lotus62 | 2016年12月10日 (土) 13時53分

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