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2014年1月

暗渠ハンター 高尾駅前の短い散歩で暗渠

特に用事もなく高尾に行ってきました。
高尾山ではなくあくまで高尾、高尾駅。
あとで調べて分かったのですが、
この高尾駅はもとは浅川駅という名前で、
駅周辺には「浅川地下壕」という有名な軍事遺跡があるとのこと。
これとかこれ

まああとで誰かに誘われたら行ってみよう。

実は珍しく風邪などひいてその治りかけの日曜日。
遠出は無理だしでも天気はいいし…。
そうだ、電車でちょっとだけ遠くに行って、
5分くらい外を散歩して帰ってくるくらいならよかろうよ、
と自分にOKを出しつつなんとなく選んだのがこの駅でした。

JRの駅を出てまっすぐ北に向かうと
南浅川という大きな川にぶつかります。

南浅川は、この先で浅川と合流、さらにその先で多摩川と合流していく川。
Img_0002

このさらに北側にはいくつかいい暗渠があるんですが、
今日は省略。

こんな やつとかね。
Img_0006_2

こんなふうに民家に入っていくやつもあるんですけどね。
Img_0012

 

今回取り上げるのは、高尾駅のそばでこの南浅川に合流する
初沢川です。
初沢川は、南浅川が高尾駅を過ぎるちょっと東側で
強引に合流してくる支流。

合流地点すぐにはバスのターミナル。

Img_0034

この奥に伸びている歩道が暗渠部分です。
蓋がそのまま歩道になっています。
ちょっと奥に進んでから振り返ってみるとこんな具合に。
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ターミナルを過ぎると急にしっかりした造作になります。
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ずいぶんな谷を走っているようで、
対岸同士に橋が架けられていたりして。
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はい、これがその橋の裏側。
Img_0038_2

駅に近づくと暗渠区間が終わるので、
谷上に登って初沢川の傍らを遡ります。
川には小さな橋、たぶんプライベート橋が数本架かっています。
Img_0044

さらに駅に近づくと、川沿いを歩けなくなります。
小さな橋の上から上流(高尾駅方向)を望む。
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どうもこの先は家が暗渠蓋として架けられている模様…。

高尾駅前まで戻ってきました。
ここで駅舎北口から正面を見てみましょう。
Img_0057
バスが停まっているいるあたりの道を横切って、
初沢川が流れています。
右が下流で左が上流。

では下流方向。
この、花屋さんの左の建物(町内会館に使われている模様)は、
家に見えますが実際は暗渠蓋なわけです。
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道を挟んで反対側、上流方向には
堂々と欄干が残り、
再び川然としてきます。
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おー流れてる流れてる。
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…やっぱりこっちも川の上に家みたいなものが見えますが…

駅前を過ぎてさらに上流も開渠。
ずいぶんかっちりと整備が進んでいます。
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やはり小さなプライベート橋が数本架かっています。
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体力も限界に近いので、このへんで今日は勘弁してやるか…。

駅では高尾らしく天狗モノを売っていたので
土産に購入。
Img_0055

ここでどさっと地元産の葉人参も売っていたので、
活けてみたらきれいかなあと気分で購入。
パスタケースに突っ込んだらこんなかんじになりました。
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短い時間の外出でしたがずいぶん遠くまできたような感じで満足。
元気になったら今度は高尾山まで登ってみようかなと。

より大きな地図で 高尾 を表示

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暗渠ハンター 彩の国 藤右衛門捕物帳②生まれるものとなくなるもの

ずいぶん間が空いてしまいまいたが、
さいたま市の藤右衛門川の話の続きをいたしましょう。

まずは前回も掲示いたしましたこちらの全体図から。

GoogleEarthさま、東京地形地図さまいつもお世話になります。

Photo

前回は「青の1」をご紹介しましたが、
今回は「青の2」行きます。

藤右衛門川は上流がそれぞれに長い支流で構成されています。まるでエンガ堀みたいですね。

それだけに
「藤右衛門川の源流」というのが特定しずらいです。
どの支流が本来の藤右衛門川かもよくわからんし…。
ですが、私は今回のこの「青の2」の先端を源流と呼びたいと思っています。
それは、数ある支流のなかでここだけが、
「ここから湧いている」と特定できる地点がありそうだからです。

行く前に、簡単にググってみました。
すると、こんなサイトを発見。

大谷場東小学校の教育用サイトのようです。

ここでは、結論付けてはいないものの、
どうやら藤右衛門川のどこかの支流の先っちょには、
この写真のような湧水ポイントがあるようです…。

さらに、尊敬すべき「東京西北部の中小河川」サイトにも
ここの源流の自然っぷりについて言及されています。

これはすごいじゃないですか!
というわけで割と胸をわくわくさせつつここを遡上したわけです。

どんなことになっているのか…。
それでは、行ってみましょう。

「青の1」の起点同様、道祖土小学校から枝分かれする暗渠をたどります。
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煉瓦色の蓋。この先かくっと曲がりますが、
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この曲がるところでは支流が合流しています。
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しかも開渠で。
この支流はとても短いので冒頭の地形図には載せませんでした。
が、ちょっとだけご紹介します。
合流地点からワンブロック遡ったところ。
囲まれる開渠。
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なんかこれ見ててクリストを思い出しました。

大地に刻まれる現代アートとしての、金網で梱包された開渠。
みたいな…。

このクリスト開渠はすぐにここで暗渠となり、
この先は住宅の密集するブロックに入って行ってドロン(死語)。
開渠に水が流れていたところを見ると、
このブロックで湧いているのか知らん…。

さてさて今回の「本流」に戻りましょう。

先ほどの煉瓦色の蓋暗渠の先には、
かなりアガる風景が目に飛び込んできます。


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見てください!川の工事中だぞもしかしたら暗渠化真っ最中だぞ‼
工事のおじさんにお断りしてまじまじと撮らせていただきました。
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Img_0041 Img_0042

ちょっと離れたところにいたおじさんに
「これから蓋をするんですか?」と尋ねてみると、
「はい…」と言って頷いてらっしゃいました。

しかしおじさんの表情がなんとも何やら曖昧な表情だったのが気になる…。
もしかしたら私の質問を聞き取れず(私、滑舌悪いです)適当に返事しとくか、
という表情にも見えるし、
「あー、ご近所の『里山環境保全派』の人が来ちゃったよー、
川に蓋掛けるなんて答えちゃうと『自然のままにして‼』とか抗議されるんじゃないかなー」
的な不安をにじませた表情にも見えます…。

ここがこのままはしご式開渠となるのか、
それとも蓋がかけられて暗渠となるのかは
私にとってはきちんと白黒つけねばならない大問題なんだけどなー…。

まあおじさんの返事通り、
これまで開渠だったところをまさに暗渠化していると理解しましょう。
ここは、生まれる寸前の暗渠である、と。

工事看板はこんな。
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そっか、「排水路」と呼ばれているんか君は。
ふむふむ。請負金額まで書いてあるんですね。
この工事で8300万円強。安いのか高いのかわったくわかりませんw

こちらは左岸のちょっと小高い丘から
工事区間を見渡したもの。
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まるでレールを敷く工事をしているみたいです。

その先は、ちょっと古めのはしご式開渠。
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この辺も改修すんのかなあ…。
なかなか味わいの深い開渠が残っているのですが…。

それはそうと、このへんにあるはずのアレがないぞアレが?
1

(「マピオン」から転記)

この図の中央付近。四角いでっかい池がありますよね、3つも。
これ、釣堀なんです。
道祖土園、という名前らしいんですが、全く見当たりません。

ん…この釣り情報のHPには
「10月1日(金) さいたま市の道祖土園の3号池が埋め立てられました。」
とありますね。
10月1日が金曜なのは2010年、当日から遡ること3年。
3年間情報が更新されていなくて、
しかもその時の情報は「一つの池を埋める」という事業縮小に関すること。
こうなると、今はもう残ってない可能性も一気に浮上してきます。

そう思った瞬間、
目の前に見えていた「宅地の造成かなあ」くらいにしか思っていなかった
「重機を使って何やら作業をしている」風景の意味が解りました。
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まさに、今釣堀池をう・め・て・い・る。
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うわあ…。
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さっきはこれから生まれる暗渠をみたばかりだというのに
今私は池の最期に立ち会っている…。
道祖土園はもちろん行ったこともないけど、
だからこの地に馴染みなんてまるでないけど、
この殴られたような哀しみは何なのでしょう。
言葉になりません。

しばらくぼおっとしていましたが、
そのうちなぜか頭に浮かんできたのは
小学校のころにどこかの本で見た「星の一生」イメージでした。
こんなかんじの

宇宙は広い。生まれてくる星もあれば死んでいく星もある…。
それを繰り返して途方もない時間が流れてきたのだ…。
なんてことを思い出して正気に戻りました。

在りし日の道祖土園の姿は、ここここで見ることができます。

上流、水源を目指しましょう。
先ほどのマピオン地図を見ると、
釣堀と同じブロック・釣堀の右上で
流れが始まっているのがわかります。
釣堀の横を開渠が走っています。
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相変わらず横をがっちりと「梱包」され上流へと続きます

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最上流は、この下の写真の原っぱの中にあるようです。
Img_0056
先ほどからの「梱包」金網が左端から中央まで続き、
途切れているのがわかります。
右の駐車場は小さな崖上にあり、さらにその向こうは幹線道路が走る尾根道です。
もはや目前の叢に水源があることは火を見るより明らか。
いざ。
草を分け入って進みます。

ここだ!…ってえ?ここ?
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コンクリでカチカチに固められています。
ドンツキ以外にも横にいくつか穴があって、
あちこから水が染み出しています。
ここら一帯の土地から水が湧いていることは間違いありません。

金網のせいで直接水に触れないのも悔しい(水質調査ができないから)ですが、
何よりもこの「余計な整備」がなんとも悔しい。
冒頭ご紹介した、
尊敬すべき「東京西北部の中小河川」サイトに載っていた
野趣あふれる水源の姿はもう失われてしまいました。
来るのが遅かった…。

こちらで農作業をされていたおばあ様にも少々お話を伺いましたが、
確かに数年前まではこの護岸はなく、このへんあちこちから
水が湧いていたのよ、とのこと。

きっとこの護岸ができたことで、このおばあ様たちにも
何かいろいろなご利益があったんでしょうねえ。

上の写真の「最上流」の穴の向こうは、こんな風景です。
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真ん中に少しだけ道のようなものが見えますね。
大雨など降れば、この道に水が集まって川のようになるかも知れません。
せめて今度はその流れでも見に来るかな。

農作業の手を休めてお話くださったおばあ様と別れるときに言ったお礼は、
なんだか自分でも必要以上に丁重だなあと感じながら、次の支流に向かいます。

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暗渠ハンター 元旦にいく足立区の入谷県境用水(仮)

埼玉の藤右衛門川の途中ではありますが、
ちょっとまた違う話題を。

元旦の朝。
さて午前中に軽く2014年一本目をやっときたいんだけど、
新年だしなあ、これまでの常識に囚われない新しいエリアもいいしなあ、
どこにすっかなあ
と地図を眺めていると。

川口市(旧鳩ヶ谷市)と東京都足立区の県境に目が釘付けに。

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(マピオンから転載。感謝します)

うわーすげえ。これは境界的に面白そう!
それに、北に毛長川、南に新芝川があり
これらを結んでいるようにも見えるので、
もしかしたあここは暗渠なのかも知れない…。
まあそうでなくても十分楽しそうだから行ってみようかな。
なんか年の初めの運試しみたいな意味も含めて。

というわけで、ふらっと出かけてみました。
(いや、距離的には決して「ふらっと」なところではないんですが、
ま、正月だし)

まずはこのあたりから。(青い点が当時の現在地)

20140101_103544

地図上のベージュの道、鳩ヶ谷街道から東はほとんど
川の痕跡はありません。
しかしまあこのあたりって、工業地帯というか
小さな工場や倉庫がたくさんあるところで、
元旦なんてほとんど人がいません。
だれーにもすれ違いませんよ…。

さて!
鳩ヶ谷街道を西に渡ったところからエキサイティングな風景が待っています。
26と19という番地のあたりですね。いかにもヘンな形ではないですか。

鳩ヶ谷街道西からの県境では、こんなガードレールが出現。

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お、これは暗渠っぽい…暗渠だといいなあ。
その先、県境が小さく曲がる軌道とともに現れたのがこれ。
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間違いありませんね。ロックオン。

地図ではここ。
20140101_104238

この県境のギザギザは果して水路が関係していたようです。
あーここにきてよかった。

この先はこうなって、
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さらに県境の上をこんな川跡っぽい歩道が続きます。

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さーこっからさらに北西に向かってかくかく地帯に突入!

こうなってました!

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(暗渠は右奥へ)

ここからも、地図の県境どおりに暗渠が動いていきます。
嬉しいことに。

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そしていったん太い道にでてすぐに西に折れていきます。
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今日ここにきたのはほとんど気まぐれだけど、
なんと神々しいw

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その先は東京でもよく見るような暗渠道。
あ、ここ東京だったか。
もしかしたら最南端の暗渠かも!
わかんないけど。
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そんな期待にわくわくしながら前進。
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ちょっと太い道に出てその対岸をつき抜けて
このプロパンガスの棚の下を通っていきます。
まさにこれも県境のまんま!
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うんうん奥まで続いてる!
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そしてこのトラックの足元に出てきます。
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そして一般道に少しだけでたあとは、
この川口鳩ヶ谷衛生センターの敷地へと入ってしまいます

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上の写真は。下の地図の緑色の矢印から見たところ。

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次は赤い矢印から敷地を見たところなのですが…。
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なんだかほぼ県境の通りに道が造成してあるきがしますね。
川口市の持ち物だからか、県境を越えて建物を建てるのを
遠慮しているようです。

この敷地から抜けると、こんな土地になって
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右にある建物をぐるっとまわりこんで

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新芝川へと注いでいきます。
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あー、当たりでした、この新春県境暗渠。
とても満足感があります。
おそらく田園地帯であったこのあたりで、
毛長川と新芝川の水を通す用水路だったのだと思います。
まあ仮にここを「入谷県境用水(仮)」と名付けておくことにします。

じつはここから南下したところに、
もうひとつガジガジした県境がありまして。

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二匹めのドジョウを狙って歩いて行ってみたものの…
どうやらここは暗渠は張り巡らされてはいませんでした。
まあところどころにはありましたけどね。
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このへんは鹿浜、というところらしいです。
ウマ年の元旦に鹿浜に行って馬鹿をみた、
という見事なオチにむしろ自分では満足(笑)。

それよりも面白かったのは、
当初の入谷からこの鹿浜に向かって歩いた新芝川のすぐ横。
川に沿ってこんな蓋暗渠が続いていました。
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完全にガードレールで閉じられているところが面白い!
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ここはかろうじて「東京時層地図」の範囲内。
(「昭和戦前期」より)
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あったあった、
新芝川の横に寄り添うようにあった小さな流れがこの蓋暗渠のようです。

また、鹿浜に向かうには加賀というあたりで新芝川から
首都高速川口線の高架下に移動するのですが、
この高架下も川だった模様。
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最後に「馬鹿」をみたことにも満足しつつ、
この後はバスで赤羽に移動。
ツイッターとFBでいくつか実況していたら、
浦和に住む高校時代の旧友Hが食いついてくれて、
元旦に暇を持て余す二人で一献傾けることに。
この旧友は城跡好きで、
共通しているのは土地の地形と歴史に興味があること。
同じ地形でも、暗渠目線で見たときと
城跡目線で見た時と解釈が違うのが興味深し。

また、飲んでるとき彼がぽろりと言った
「オマエがいうように暗渠が人の心のメタファーだとすると、
湧水は人から溢れ出る想いみたいだよね」
といった言葉が忘れられません。

より大きな地図で 足立区入谷 を表示

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2014年。賀詞とともに御贈りする干支暗渠。

謹んで初春のおよろこびを申し上げます。
どうぞ本年もよろしくおつきあいのほどお願いいたします。

年賀状の流通も年々減少傾向、と言われていますが、
私、年賀状作るの、結構楽しんでやってます。
とはいえものすごくクリエイティビティを発揮するわけでもなく、
ここ数年はなんだかパズルを解くようなつもりで作ってます。

なんでかっていうと、
自分なりに作ったフォーマットというか「きまり」の中で、如何に干支っぽくするか、
というシバリ決めて作ってるからなんだと思うんです。

私の年賀状ってのはだいたいフォーマットが決まっておりまして、
・身の回りにあるものを使って
・実際のハガキ大の紙に干支っぽく構成する。
・それを写真に撮って、ほぼ原寸大で印刷する。
というふうなものなんです。ここ数年はずっとこんな。

例えばこれ。
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寅年の年賀状ですね。
チョコボールを買ってきて、黄色と黒のボールだけ取り出して、ハガキ大の紙の上に並べました。

それからこんな。
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丑年ですね。紙の上に海苔をちぎってちりばめてみました。

一昨年辰年は、ゴーヤを切って並べて抽象的な龍にして…。
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まあそれぞれ完成度はともかく…w

さて今年、2014年午年は、こんな絵柄にしました。
いつにも増してわかりづらいけどw
苦労したんです。「こたえ」が思いつかずに。

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セロリを輪切りにして馬蹄に見立て、
その足跡をレイアウト。
いやほんと今年は苦労しました。
これ届いた人はほんとわかりづらいだろうなあと思った挙句、
ハガキの隅にQRコードを付けてここに誘導し、
ちょっとだけ説明をさせていただこうと。
さらにそんな経路でいらしてくれた方々にも、
私の暗渠趣味などを少しでもご理解頂こうと。
そんな意図もあったわけです。

というわけで、長い前フリでしたが、
改めまして。あけましておめでとうございます。
QRコードから飛んできていただいた皆様におかれましては、
よりいっそう感謝申し上げます。


************************

私は数年前から東京にかつてあった川の跡や、
それが転用された暗渠(あんきょ)を見つけて追うのが大好きで、それが昂じてこんなブログを書いております。
早いもので、スタートして4年半が過ぎようとしております。
いったい暗渠のどこがおもしろいの?と思われる方は、
ぜひ去年寄稿させていただいたこちらをご参照ください。

さてさて賀詞とともに本年最初にお送りする暗渠は、
ウマ繋がりでやはりここしかないかなと。
杉並区・馬橋稲荷神社の横を抜ける蓋暗渠。

Img_0006




馬橋稲荷神社の公式HPによると、
明治40年に
当時馬橋村に点在せる社祠、御嶽神社、白山神社、天神社、水神社、を
同村中央にある稲荷神社に合祀する。
当時は五社神社と呼ばれた事もあった

そうです。
今の呼び名に変わったのは、昭和40年
住居標示の改正によって、馬橋の地名がなくなり、
梅里、高円寺、阿佐谷となる。『馬橋』の地名を惜しみ、
後世に伝えようと、神社名を改め馬橋稲荷神社と改称

したとのこと。

Img_0025



もともと馬橋と呼ばれた土地にあったのですが、
その名が消えゆくのを惜しんで神社の名に冠し、
形而上的に馬橋という概念を、そして
具体としては馬橋稲荷神社を残した、と。
(このエピソードもどことなく「暗渠的」だといえますね)

そんな神社の傍らに、
かつての馬橋の原っぱを横切って流れる
小さな川がありました。
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それがこの蓋暗渠。
下流すぐに桃園川に合流します。

上流は「ギー」というエキセントリックな名前の美容室を抜けて
その先の公園まで追うことができます。

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前出の馬橋稲荷神社の公式HPには、
馬橋という名の謂れも掲載されています。
諸説あるが、以下の説が有力であろう、と。

阿佐ケ谷南2丁目の馬橋稲荷神社裏手の桃園川の湿地帯を、
軍勢が通ったとき、馬を橋代わりにして渡ったので、
馬橋の地名が生まれた

この理由として
・文明11年(1479年)に杉並区・中野区近辺で
太田道灌と豊島氏の間 で激しい合戦があったこと。
・当時、合戦の戦法で馬を橋代わりに湿地をを渡ることがあったこと
・馬橋村中央部「桃園川流域」はかなりの湿地であったこと。
そんな状況下なので、
馬の背を橋代わりにしたことは充分うなずけます」としています。

なるほど。
この暗渠、蓋を外してみたら、
まだ馬の蹄の後がたくさん残っているかも、知れません。

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経年変化も著しいでしょうから、
もしかしたらセロリの輪切りみたいな不細工な形になって。


本年も、どうぞよろしくお願いいたします。

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