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2013年10月

暗渠ハンター 競馬場が蓋となる暗渠もしくは競馬場を貫く川のこと ②

藤右衛門川の暗渠がとうとう浦和競馬場に入っていくところまで来ました。
写真は競馬場に入る手前のところ。
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突き当りのフェンスの向こうが競馬場です。
そのフェンスの手前で、藤右衛門川が開渠になっていました。
どばっと。
Img_0070

この無骨な鉄骨(って言い方なんかヘンだな)。
ドボクマニアまで引っ張り込むような勇ましい姿の開渠ですね。

んー、このフェンスの向こうが見てみたい!
などと思ってへばりついてはスキマから
中を覗き込みヤキモキしていたのですが、
正面に回り込んだらなんと。
競馬がない日は公園として解放されてるんだって。
Img_0077_2 

なーんだw

というわけであれば、堂々と中に入って
藤右衛門川を拝ませていただこうではないですか。
すわ。

競馬コース(って言い方でいいんでしょうか)を越えて
真ん中を貫通する川に向かいます。
Img_0078
なんかこれ自体川みたいですね。

到着!これが浦和競馬場を貫いて流れる川、藤右衛門川です。
Img_0083

こちらは、先ほどやきもき覗いていたフェンス方面。
川の上にコースが設けられています。
いや、コースが暗渠の蓋となっています。
Img_0082

コース下には外でみた無骨な鉄骨が組まれ、
頑丈な造りになっていますね。
そうか、駆け抜ける馬の重量に耐えるためにあの鉄骨だったのですね。
納得。

では、下ってまいりましょう。
メインスタンドと川の間に、地図にもあった沼が見えます。
Img_0084

ここまできてやっと気付きましたが、
改めて中から競馬場を見渡すと、
この沼を中心とした巨大なスリバチ地形のように思えてきます。
Img_0091_4
まあ正確には「広い川原敷きの両岸を使って競馬場を作った」
だけなんですけどね。

スタンドの逆サイド、つまり対岸はこんなかんじ。
Img_0095

さらに、スタンドに登って対岸を眺めるとこんなかんじ。
Img_0117_2

さらに下りましょう。
Img_0098

こんなふうに川を眺めていると、
ここが競馬場だということをしばし忘れてしまいます。

お、隣の沼方面とのジョイント部分。
Img_0101

そこにはこんな表示板がありました。
Img_0100
なるほど、この沼は洪水時の調整池となっていたわけです。
普段は競馬場、非常時には防災施設になるわけですね。

その横には丸眼鏡みたいなフタも。
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ざざっと下流にきまして、
競馬場を貫いたのちはまた場外へと。
Img_0106
さようならー。
いちいち景色が雄大だなー。

競馬が開催されていないので、
ギャンブルめし(参考サイト)はあきらめていたのですが、
WINS場外馬券売り場はやっていたため
とある一角の店だけは営業中!
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やった!
というわけでモツ煮と焼き鳥と酒!で休憩。
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来てよかった。浦和競馬場。
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こんどは藤右衛門川の上流の谷を攻めに、
近いうちにまた浦和に来ることにします。

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暗渠ハンター 競馬場が蓋となる暗渠もしくは競馬場を貫く川のこと ①

地図をじろじろ眺めてたら、気になって仕方がない場所がありました。
浦和競馬場。
浦和または南浦和の東にあるその競馬場は、
なんと川に串刺しにされているのです。

より大きな地図で 浦和 を表示

なんだこれ!
しかも川の横には細長い沼!?
かつての目黒競馬場にも谷(羅漢寺川の支流)があったようですが、
いったいコースをどう作っていたのか気になっていました。
それを想像するいい手掛かりにもなるしな、
これは一回見ておかなきゃな、としばらく温めていたのですが、
つい先日やっと行ってまいりました。
まだ記事にしようと思って手をつけていない「順番待ち」の暗渠があるのですが、
今回はそれらを一気に追い越して緊急記事化!
(さして急ぐ理由もないのですけどね…)

この日はWINSの場外馬券場が開いているので送迎バスもあるようですが、
アプローチは徒歩で。
競馬場の上(北)のほうにきっと上流をなす暗渠があるはずですから。

…しかし競馬場の体系ってよく知らないんですが、
・WINSで馬券を売る中央競馬会という全国組織があるらしい。
・それとは別に地方だけもしくは地方同士のネットワークでやってる組織があるらしい。
のは知っています。
wikiによると浦和競馬場は1947年に地方自治体主催では最初に開催された地方競馬であるとのこと。
だけどWINSも併設されているそうです。これって珍しいんではないだろうか(あくまで想像)

まあとにかく浦和駅からてくてくと歩き始めたわけです。
駅から東に少し歩くと、こんな激しい高低差。
Img_0028

いやーこのへんって関東平野だし、ほとんど平らなんかと思ってましたわー。
これはわくわくしてしまいます。
誤解してすまぬすまぬと心でつぶやいてこの谷底へ。
手元地図の道路の流れからいって、
この谷が競馬場まで繋がっていると思われます。

谷底には、果たして川跡のような歩道が待っておりました。
Img_0030

そうそう時間もなかったし、早く競馬場に行きたかったので
今回は上流方面は追いません。
早く競馬場に行きたいから、か…。
ふっ。気がつけばこんな大人になっちまったぜ…。

暗渠風の歩道はここでぷつっと終わります。
どうやら学校の敷地に入るのでしょう。
埼玉時層地図もいつか発売希望。

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学校の周囲は高地に取り囲まれているようです。
すなわち学校のあるところがぽこんと低い。
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学校はもともと湿地のようなところに造られたのではないでしょうか。
ここ、さいたま市立仲本小学校の○○周年史とかあればぜひ読んでみたいですね。
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学校から下流は、高低差を頼りに歩いていきます。
まわりから比べるとこの道が低いんだけどなあ。
大丈夫かいな。
Img_0038

と思っていたら道の横にいきなりこんな石碑が。
Img_0040

ああ、神の啓示だ、オラクルだ。
暗渠サインなんてレベルではないですねこれは。
この石碑(裏面)によると、この川の名は「日の出川」。
明治時代からこの上流の本太、前地という地域を潤す農業用水であったが、
宅地化による洪水被害に悩まされ昭和33年に改修促進会が発足、
やっとの思いで暗渠が完成したのは昭和55年だったとのこと。
たくさんの方々が苦労されたそうです。

この日の出川にはいくつかの支流も合流してきます。
こんなのとか。
Img_0047

こんなのとか。
Img_0049

ほどなく典型的な緑道タイプの暗渠道となります。
このあたりは、その名も「太田窪」!
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これは立派な川だったんだろうなと思っていたら、
またまた石碑登場。
Img_0055

川は「藤右衛門川」と名前がかわります。
というか、この藤右衛門川にさっきの日の出川という支流が合流した、
というのが正しいようです。

石碑には、
通称谷田川とも言われたこと、
この水系には天王川という川もあること、
この川はやがて芝川という川に灌ぐこと、
やはり日の出川と同時期に改修機運が高まり、暗渠化されたこと

などが書かれていました。

地図からすると、この緑道がまっすぐ浦和競馬場に突っ込んでいく感じ。
よし、王手。

競馬場に着くまでの間も、支流開渠が集まってきます。
Img_0066

さて、競馬場では驚愕の風景が待っているのですが、
今回はここまで。

ところで、地図を見る以外
ここへはなんの下調べもせず気持ちの赴くまま来てしまったのですが、
あとで地形を見ると大変なことになっていました。
こんな。
Photo_2
Google earthさん・東京地形地図さん毎度ありがとうございます。

矢印が浦和競馬場です。
そして黄色の丸が最初に紹介した日の出川。
それが左上からナナメに下る藤右衛門川に合流してるわけですが、
日の出川の周囲や藤右衛門川の上流、
さらに藤右衛門川の東側含めてこのへん
「谷・だ・ら・け」
ではないですか!
すげえー浦和。
冒頭でも申し上げましたが、
誤解してすまぬすまぬと改めて懺悔します。
けっこういいかも。

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暗渠ハンター 六義園の水のゆくえ

駒込駅近くの六義園。
ここには、練馬・板橋を抜けて王子へと向かう千川上水から
掘割」で取水してここに引いてきた、という池があります。

掘割からはほぼ巣鴨地蔵通り商店街を通って巣鴨駅あたりから
六義園の池に通水されていたそうですが、
実は駅から六義園までは今ではまっ平らで
さらにデカい住宅がすぱんすぱんと立ち並び
とても水路跡を探せるような状況ではありません。
Img_0105
まあここも謎ではあるのですが難易度が高すぎます。
中学生が
いきなりオイラーの等式「eiπ+1=0」(iπは乗数)が使ってある
大学生向けの数学問題を見ちゃったようなかんじで。

もうすこし手が届きそうな謎としては、
「ではこの六義園の池の水は、どこに排出されていたのか」
です。
今でこそ下水管にということなのでしょうが、
六義園が完成した1702(元禄15)年当時はどっか見えるところに
排水していたはずです。

そこで地形図を眺めてみましょう。
Googlearthさん、東京地形地図さん、いつもありがとうございます。

Photo

黄色い楕円の上の方にあるアナボコが六義園の池。
まわりは真っ平らで「抜け道」はなさそうですね…。
右(東)には藍染川の谷がありますが、
こっちに流れ込んでいたならば谷の手前の崖のところに
もうちょっと凹みが残っていていいはず。

いっぽう下の方つまり南の方の地形にご注目。
しばらく起伏の無い台地がつづいたあと、
谷頭が現れ谷を形成しております。
これは「鶏声ヶ窪」と呼ばれる場所で、
後程お話しますが東洋大学辺りから白山を通って
指ヶ谷という谷を流れ
やがて小石川に合流する川跡があるところです。

そこで仮説。下図青い矢印のように、
「六義園の池の排水は、鶏声ヶ窪の川の最上流に繋がっている」
のではないか、と。

Photo_2

今回はその仮説を検証する短い旅となるわけです。
ふう、やっと前書きが終わった…。

六義園からの出口そのものはどこだか分りませんが、
不忍通りを越えた所でそれらしいところが現れます。
昭和小学校と東洋文庫ミュージアムの間のこのスペース。
Img_0107

ね、これ怪しいですよね。
ずいぶんまえからこのまんま変わらないし。
近寄ってみましょう。
Img_0111

まさに土地が遊んでいる「遊び場」(庵魚堂さん解釈)。
ところがこのスペースは写真の奥で終わっていて、
その向こうは小学校の校庭になってしまいます。

ただし、ここは鶏声ヶ窪の谷頭から北に延長線を延ばした
どんぴしゃの場所なので、証拠物件として認定してもいいかと思います。

ここから下流に探索を続けましょう。
ブロック裏側の道に回ってみると、
あったあった、道路に凹みがあらわれていて、浅い谷を作っています。
よっしゃ。

Img_0113

その谷から下流を見た風景は…。
Img_0116

これ?これなの?
「細路地×n個のマンホール≒暗渠」
という暗渠公式が瞬時に頭に浮かんできます。
奥へ踏み込んでみましょう。

しかしそこは、「なんかへんな路地」ではありますが
すっかり暗渠臭さが無くなってしまいます。

しかしのしかし。周辺になんと小さな橋跡が。

Img_0120
江岸寺というお寺さんの入り口です。

寺社仏閣の入り口でこのような橋を見ることがありますが
ほんとうの川に架かる橋の場合(北耕地川・日曜寺の橋など)もあるし
結界のためか周りに人工の堀を作ってそこに架けるケースもあるので
決して決定的証拠とはいえないんですけどね。

ここも六義園からの流れに架かっていた橋、
とは言い切れませんが、
まあ断片的な事実としてこの橋跡をおさえておきましょう。

ここから下流は、谷底に道がなくなります。
道沿いにずらっとお寺さんが並んでいるのですが、
ことごとく谷底はお寺の敷地内となっているのです。
はてさてここに流れがあったなら、
お寺の中を貫くというのも不自然なので
お寺のまわりとかくかくと巡りながら
下流へと流れていったのではないか、
と思うのですが証拠は何もありません。

本駒込1-7あたりから、ようやく谷底と道が一致してきます。
Img_0151
あとはこの道沿いを探りながら下ることに。

「東京時層地図」を注意深く見ながら歩きます。
あ、ここに池があった模様。
Img_0157

池跡は「長谷川百貨店」という雑貨屋さん、いや、
百貨屋さんでした。
Img_0158

人情も取り扱ってるようです。
Img_0159

その先も湿った感じの道が続きます。
先程の池からの排水はどこかにあったはずだし、
この谷底地形からいってもここが川跡を考えてよござんしょう。
Img_0160
この道、まっすぐ行くと東洋大学の正門付近にぶち当たります。
Img_0164

東洋大学の敷地の向こう側からは、
分かり易い暗渠道が始まります。
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Img_0173

ここから下流は、いろんな方が取り上げてらっしゃるので
先達にお譲りしましょう。

というわけで、
六義園の池の水は鶏声ヶ窪を越えて小石川へ…
という仮説のもとに捜索してきました。

最初はそれっぽいサインも掴んだのですが、
途中本駒込2-18~20のお寺さんでは殆ど不明、
ただし本駒込1-27や28あたりから何となくこれでいいかもと思いつつ
最後は見事鶏声ヶ窪につながった、
という結果でありました。

より大きな地図で 文京あたり を表示

※2014.5.26追記:「新たな資料を発掘」!
コメント欄の通り、
北条光年さまから六義園の池の排水について貴重なご意見や史料の提示を頂戴しました。
私も家になる資料を漁っていたらこんなものが出てきましたので、
ここにアップしつつ本日付のコメント欄でも補足させていただきます。

以下の通り、六義園から南に下る水路を「消失水路」としてプロットしてある資料を見つけました。

「H6年 文京区景観整備調査報告書」より転記

6h

Photo_2 

※2014.6.24さらに追記:北条光年さまの研究成果!
北条光年さまより、たくさんのコメントをいただきました。
北条さまが独自にあちこちで得てきた情報を、たくさん。
さきごろそれらをまとめあげた仮説をわかりやすくご自身でコメントいただいています。
記事本編よりよっぽど北条さまのコメントのほうが
貴重だったりするくらいw興味深いものですので、
ぜひ当記事のコメント欄もあわせてご覧くださいませ。

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