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暗渠ハンター 目黒区中根2丁目湧水疑惑を追え!Act.1

自転車でフィールドワークに行くときは、
特に環6や環7・環8に沿うように
板橋・練馬~大田・世田谷を南北に動くことが多いような気がします。私。

だからと言って環7とかの大きな道を使うと結構起伏が激しく、
くたくたになっての帰り道なんか、ちょっとツラいんだ
そんなときは上手に川を使うとラクができますね。
特に呑川、目黒川などなど。
この日もそうでした。目黒大田方面から北上するのに呑川沿いを選んだのです。

とはいえ、いつもの川沿いの道を単に走るだけでは面白くないので、
一本裏、もう一本裏とついつい体力を浪費してしまうのが常。
それでも新たな発見があったりするからやめられません。

東横線都立大前の駅も近いあたりの裏道の裏道で、
突然視界に入ってきたこれに「どきん!」としてあわてて自転車から降りました。
Img_0127 

ビルとコインパーキングの間に現れました一筋の輝ける水面…。
見た瞬間私の口から思わず出てきた独り言は、
「ナンダコレ!」です。

まず水量がある。雨水の時だけ流れができる排水溝ではなさそうです。
また、どぶにしては水がきれいすぎます。
おそらく家庭排水やなんかがここに入ってきているとは思えないほど、
この水及び溝の側面底面がきれいです。
しかし、こんなところに湧水があるという情報は寡聞にして存じませぬ。
…でも湧水だったらいいなあ。

Img_0128

パーキング敷地の奥まで行って、上流を確認してみましょう。
ここが普通に見ることができる最上流端。
Img_0131

このさらに上流は、マンションの敷地となるため写真は控えますが同じような状態で
敷地の端を貫いているのが見えました。

さて、そこで地図登場。
GoogleEarthさん東京地形地図さん、どうもありがとうございます。

Photo

丸で囲ったブロックの、矢印の先がこの湧水疑惑の現場です。
なるほど、急峻な崖とはいえないまでも
西から南にかけて台地が延びておりその台地上から緩やかに
呑川に向かって傾斜ができています。
うん!アリ!!この地形なら湧水の可能性はないとはいえないでしょう。

では再び現場付近の様子を追ってみましょう。
現場のlotusさん!

…はい、こちら現場です。
湧水疑惑を掛けられた容疑渠は、こちらのマンションの建物裏側を抜けて
東横線方面に伸びているものと思われます。

Img_0135

しかしこのブロック、目黒区中根2-15-24なのですが、
このブロックを東横線側に回り込んだところではすでに痕跡はありません。
閑静な住宅街でにわかに起こったこの湧水疑惑ですが、
周囲にお住まいと思われる通行人の方々の関心はあまり高くないものと思われます。
以上現場からでした。スタジオにお返しします。

…はい、危険の多い現場から命がけの中継、ありがとうございました。
何か動きがあれば再び中継を挟みながらレポートを続けてまいりましょう。

ふう。小芝居はやめて元に戻りましょうかw

というわけで、湧水疑惑はお手上げ状態。

そこで。
いったん家に帰って速攻ネットで買ったのがこれ。
柴田化学の「水のチェック隊シリーズ 川の水」。

これを使って、後日再訪してみます。
雨水の影響を避けるため、数日間雨が降らないときを狙って。
結構はほぼ2カ月後、2013年7月27日の午後となりました。
うん、相変わらずの美しさ。

Img_0037

試薬と使って、数種類の簡単な検査ができるのがこのキット。
Img_0032

Img_0035

さて、結果は…。

PHはほとんど中性。これは清冽な湧水とほとんど変わりません。
その他はこう。
1

ブルーの数値が、「文句なくきれい!」という数字。
緑の数値は、「ダメだこりゃ」という数字。その間に現場の計測結果を書いてみました。

ちょっとこれでは直感的にわかりずらいので、
「汚れている」数値を100とした時に現場がどの程度の「汚れ具合」なのかを
グラフにしてみたものが以下。

2

こうしてみると、
アンモニウム亜硝酸は文句なく「合格」ですね。
一方リン酸はちょっとだけ多め。このリン酸は、排水や肥料などに含まれる成分です。
もっとも厄介そうなのが、CODです。
これはちょっと多すぎる…。水中に有機物がいて、それによる汚染を示す数値です。

でもまあ、目視で確認する限り水源からは100m以上下流で測定をしています。
なおかつその間開渠でマンションの裏やこのコインパーキング横といった
「多分に都市的な環境」を経てきていることを考えると、
そりゃなんか汚れるでしょ、
と考えることもできますね。

むしろアンモニウムと亜硝酸の「とっても低い数値」がこの都会の真ん中で得られるということは、
少なくとも
かなりの確率で湧水」と考えていいような気がします。

あえてここで宣言しましょう。
目黒区中根2丁目に、『かなりの確率で湧水的な流れ』が存在している!

まあその、この水質調査キットも実は買ったばっかりで
そんなに経験値もないのでアレですが。
今後この水質キットを使ってデータを貯めていくようにします。
ほんとの結論は、その後で!
どうぞご注目くださいませ。

…では現場のlotusさん。次は中根のおいしいもの情報を…

より大きな地図で 呑川奥沢支流 を表示

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2042 ・・・呑川水系(それ以外)」カテゴリの記事

コメント

暗渠を写真に収める怪しいヒトから、暗渠付近の水を採取して分析して写真に収めるもっと怪しいヒトに進化しましたねw
これ、一人でやってるのがすごい勇気ww

投稿: nama | 2013年8月29日 (木) 16時12分

lotus62さん
なんかおかしなこと始めましたねえw

この水路は、示山橋さんが報告されている場所ですね。
http://d.hatena.ne.jp/hikada/20111016/1318774379
何となくですが、示山橋さんの言う通り、中根公園あたりが水源としては有力なのかなあ、という気がしています。

投稿: 猫またぎ | 2013年8月30日 (金) 10時03分

お久しぶりです。
中高生の自由研究みたいな調査がとっても面白かったです!
意外と湧水のCCDが高いですね… 開渠の底にあったごみとか泥のせいでしょうか、気になります。

あと、昭和初期の地図を見たのですが、この湧水がある場所は比較的緩やかな傾斜の竹林でした。
竹林の湧水ってなんだか絵になるような気がします。
また、あの湧水の源流のあるマンションの中はどうなっているのか通るたびにワクワクしています。

Act.1ということは続編もあるんですか?
楽しみです!!

投稿: hikada | 2013年8月31日 (土) 13時30分

>namaさん
怪しまれないように今度から白衣を着ていようかと考えていますw

>猫またぎさん
ほんとだ!示山橋さんのこのサイトは私も拝見していたはず…。すっかり忘れてしまっていました…。
思い出せてくださってありがとうございます!
そうですね、水源候補としては中根公園もあるかも。地形図を見ていて思ったのですが、中根2-17-21ねむの木公園やその上の立源寺あたりも怪しいですね。

>hikadaさん
すみません、以前猫またぎさんご指摘の記事を拝見した板にも関わらず…。
ずいぶん前からここをご存知だったのですね。
竹林だったとは、おっしゃるとおりさぞ粋な景色だったのでしょうねえ。いいことを教えていただきました。
Act.2は、いまのところ未定ですw 少しずつ資料を漁っていくなどして、わかったことを付け加えていきたいと思っております。

投稿: lotus62 | 2013年9月 1日 (日) 10時51分

ややや。これを白昼の路上で執り行うとは。
lotus62さんがどのように怪しまれずに水を採取し、銀色に光るパッケージを開封し、白い粉を振ったのかが気になって仕方ありません。
よかったら「怪しまれずに開渠のサンプル水を採取するテク」をぜひ教えてください。私は「ワークマンで薄緑の作業着と白いヘルメットを買って着て行く」のがいいのではと思っていましたが、白い付け髭をして白衣で向かうのもいいですね!
それにしてもこのスペース、魅力的ですね。きれいな水を張って、側溝プールとして水遊びしたり、シュノーケリングしたりできたらいいのにな、と思いました。

投稿: 大石俊六 | 2013年9月 3日 (火) 03時41分

俊六さん、今回は特にお待ちしておりました!
実は水質に興味を持ったのは俊六さんのブログがきっかけです。ドブ関連のお話にはよくBODのこととか出てくるじゃないですか、アレです。
お導き、感謝申し上げますw

話は変わって暗渠の現地でのいでたちですが、私は「バインダー」が最強の「怪しまれない小道具」なのではないかとかねがね思っています。なんか物見遊山感が薄れ、「なんらかの目的意識を持って調査してる。しかも社会的な使命も帯びながら」的な感じがしませんか?これに適当なネームホルダーを首からかけていれば完ぺきではないかと。
まあ秋にはこれに白衣をプラスしてみるとさらにテッパンのコーデになるかもしれませんw

水遊びにシュノーケリングw 溝に半身で挟まって身動き取れなくなってる自分を想像しましたw

投稿: lotus62 | 2013年9月 3日 (火) 13時00分

バインダーですか!思い付きませんでした。すごくいいアイテムです!社会的使命、感じます。
早速調達してきます。ネームホルダーも。あーなんかウキウキしますねー。lotus62さん、ありがとうございます。
BODはドブ探索には非常に便利なんですが、自分で測定できないというのがいつも心に引っかかっていて、私も柴田化学のCODキットを買ったんです。これはもう秋の柴田化学フェア!ですね。
あ、今思い出しましたけど、自分で測定しようと思ったのは、以前lotus62さんとnamaさんが水の電気伝導度を測った話をされていたのがきっかけです。

投稿: 大石俊六 | 2013年9月 3日 (火) 21時31分

今、柴田化学がアツいw
今後の測定結果が楽しみですね。!
以前の、杉並の宅地内井戸調査の件ですね(憶えていていただいて恐縮です)。
そうだったんですかー…。なんか思わぬところで物事が繋がっていて、びっくりするやらうれしいやらw

投稿: lotus62 | 2013年9月 4日 (水) 12時10分

吞川の件ですが、実は吞川本流はNTTビルの方にあって、今の吞川は、支流もしくは付け替えです。
こちらに昭和元年の古地図があります。
http://www.meguro-library.jp/data/oldmap/map2/

この地図を見ると、吞川は緑が丘駅東側から北上していくとこまでは同じですが、現在の中根小学校を越えたところで西側へ折れ、現在の中根公園北側の道に流れています。

中根公園西側は丘ですので、中根公園からそのまま道沿いに北上すると、NTTの自由ヶ丘ビルになり、ちょうど現在の都立大学駅南端、支流との合流地点付近で現在の流れに繋がるイメージです。

投稿: hoboking | 2014年9月 2日 (火) 04時07分

hobokingさま、コメントどうもありがとうございます。お返事が遅くなってしまいまして申し訳ございませんでした。しばらくPCが触れない環境におりました。
いただいたきりで何もリプできなかったこと、お詫び申し上げます。

さっそく教えていただいた地図をまじまじと眺め、手持ちの地図もまたじろじろと眺めてみました。
NTT側が崖になっているのは
「呑川は今のNTTビルの奥のほうを流れていた」
ということだったのですね‼なるほどこれでこの地形についても合点がいきました。
貴重な情報をどうもありがとうございます。

さらに今回記事の流れを湧水だと仮定すると、
右岸が崖ですから、
・かつては川のすぐ横(右岸)の崖下に湧水があって付け替え前の呑川に注いでいた。
付け替え後はすいぶん川が東に移動してしまったので、
・現在はその湧水からの水路も東に延ばさねばならなくなり、その「延ばし水路」がこの記事の水路である。
ということですね。

貴重な情報をどうもありがとうございました‼
どうぞ今後ともよろしくお願いいたします。

投稿: lotus2 | 2014年9月 6日 (土) 11時25分

当時の測量精度をどの程度に見積もるべきかというのはありますが、運が良いことに奥沢の海軍村絡みか、現大井町線敷設のためか、現緑が丘一体の区画整理後の地図であるため、現在の地図とかなりのスケール合致ができるのがこの地図の嬉しいところですね。

当方でPhotoshopにて地図画像を重ねたところ、地図上の吞川位置が正しければ、現暗渠とされてるNTTビル東側(道沿い)ではなく、NTTビル(建物)の西側、崖の際に本流があったようです。

現在の地図上のその場所は丘の中腹に若干かかっているので、これは想像になりますが、農業用水としての吞川本流は、この地点(時点)では若干高台側を意図的に通し、現在の吞川のここより若干低い農地に水を供給していたのではないでしょうか。そう考えれば、現在の吞川部には排水用支流が存在していたとしてもおかしくありません。

吞川は現緑が丘駅の北側で合流する形で、東工大敷地内の池を経由し、大岡山保育園の東側の道沿いに支流がありました。これは現在の柿の木坂支流となっていたようで、当時の柿の木坂支流への分岐は、本田病院付近から東光寺側へ西へ折れ、氷川神社境内参道を横断し、駒沢支流の流れに接続していた(駒沢支流は吞川本流とは接続していなかった)ようです。

この説の根拠は、以下のURLにある文化2年(1805年)の地図が(正確なスケールの地図ではありませんが)そのようになっているからです。
http://www.meguro-library.jp/data/oldmap/map7/

この文化2年の地図は(信憑性はさておき)いろいろと面白く、吞川が石川台の大音寺付近で分岐していたことや、吞川本流が宮前小付近で日の字の「州」状になっていたこと、九品仏川が吞川に接続していない(!)ことなどが描かれています。これだと、矢沢川がかつて九品仏川の支流だったと言うよりも、九品仏川が逆川経由で矢沢川に合流し、等々力渓谷に流れていたことになります(笑)自由が丘熊野神社東側の湧水(現メガネドラッグ付近)も九品仏川の源流・・・のように描かれていますね。

目黒区南部は、湧水に恵まれていた反面、九品仏付近の水はけの悪さは異様で、九品仏川上流を吞川に接続させ逆流させることで排水し土地改良させていったのではないでしょうか?

また立会川の碑文谷弁天池上流は、脇池の水2つで止まっていること、弁天池下流は2手に分かれ、西側はどうも現碑文谷のゴルフ場付近を経由して、碑文谷八幡川に流れていたこと、清水池の上流も品川上水までは達せず、2つの湧水があったらしいことなどが(正確さは?ですが)わかります。

投稿: hoboking | 2014年9月 8日 (月) 18時39分

hobokingさま
>東側(道沿い)ではなく、NTTビル(建物)の西側、崖の際に本流があったようです
なるほど!
>現在の地図上のその場所は丘の中腹に(中略)現在の吞川部には排水用支流が存在していたとしてもおかしくありません。
なるほどはるほど!!
都立大周辺の呑川の経緯は複雑で、それだけに深めていくのはたいへん面白そうですね。
教えていただいた地図もすごく見応えがあります。
(プリントアウトしてじろじろ眺めたいです)
のちほど現地の地図と照らし合わせてじっくり観察させていただきます!

九品仏・尾山台エリアについてもほんとうに研究しがいのあるエリアですよね。
(といいながら私もまだまだ手つかずではありますが)
以前この記事(http://lotus62.cocolog-nifty.com/blog/2011/10/post-2d83.html)にsumizome-sakuraさんはじめいろいろな方々がコメントを寄せてご教示くださり、その謎に一歩近づけたような気になっていましたがやはりまだまだですねー;;;。

投稿: lotus62 | 2014年9月 9日 (火) 11時06分

地質学的には、本来、矢沢川・逆川・九品仏川は繋がっていたことは確かなのですが、もし1800年頃には九品仏川が吞川と合流していなかったとすると、矢沢川と逆川・九品仏川・吞川の境に放水路としての等々力渓谷が開削されたため、水量が減って吞川まで流れていくことが出来なくなり、自由が丘熊野神社付近の湧水を水源として、九品仏川は等々力渓谷側へ緩慢に逆流していたのではないかなとか。

廃城になった奥沢城に浄真寺が開山したのが1678年で、六郷用水(丸子川)の整備が1597-1725年ですので、僕は、等々力渓谷の開削はその後(江戸時代)であったため、丸子川の下を流れるように立体交差させられたのではないかと考えています。

で、文化2年(1805年)の地図のオリジナルが、国会図書館にあり、ウェブ上でも公開されていて、調べてみると思いの外ちゃんとしたスケール(測量)のようです。
http://www.digital.archives.go.jp/gallery/view/detail/detailArchives/0000000316

しかも状態の良い画像で、書き込んである文字も判読できますので、こちらの地図をご利用下さい。

投稿: hoboking | 2014年9月11日 (木) 09時20分

hobokingさま
なるほど、時系列で追っていくと面白いことが見えてきますね!
一度自分でもこのへん整理してみなければ。

「等々力渓谷の開削はその後(江戸時代)であったため」
ということは、「人工開削説」のお立場なのですね!
私は実はまだまだこのエリアの研究が足らず、
人工なのか自然開削なのか自説さえもたない(持てない)状態です;;;

ご教示の地図も興味深いですねー。
嬉しい宿題がたくさん増えてわくわくします。
私も読み解きにチャレンジしてみます!

投稿: lotus62 | 2014年9月12日 (金) 09時23分

>ということは、「人工開削説」のお立場なのですね!

これ、実際に等々力渓谷に行くと、付近の他の浸食谷の「谷」の雰囲気と違って、ここの部分だけ「断崖」なんですよねぇ・・・

で、国土地理院の治水地形分類図初版で該当地域を見ると判りますが、等々力渓谷の部分は浸食谷として台地が削れていった痕跡がないんです。
http://portal.cyberjapan.jp/site/mapuse4/#zoom=16&lat=35.60442&lon=139.64303&layers=BTTTFT

しかも、矢沢川の世田谷区中町2丁目付近から、崖(流れを固定するために削った?)が等々力渓谷まで続きます。
そして、多摩川側では、矢沢川によって浸食された形跡が皆無で、「ああ、六郷用水(丸子川)は台地の縁に通してったんだな」と判る地形です。

いずれにしても等々力渓谷は、奥沢城が廃城となった1600年頃迄には存在しておらず、江戸期にできたことが判っています。

文化2年(1805年)の地図で等々力付近を見ると、矢沢川・逆川・九品仏川が繋がった状態で、等々力渓谷側で多摩川に合流していて、前述のように九品仏川は吞川に接続されていないように描かれています。

もし谷頭浸食で流れが変わったのだとすると、江戸期の出来事であれば水の利権的には村の大問題ですし、当然逆川はすぐに干上がるはずです。

そうなっていないところを見ると、谷沢川と逆川-九品仏川から、等々力渓谷側への放水は、人為的に制御され最適化されていたのだと考えられます。

従って、逆川の逆流が終了し、谷沢川との接続が立たれたのは、九品仏川下流を吞川に再接続する河川工事が行われたからではないか、と。

また、等々力渓谷人口開削説を支持するのは、治水地形図的に見て、この位置で多摩川側に放水して土地改良を行うと、生まれる耕作地面積が最大になるということです。
地形図的には、尾山台付近の方が谷頭浸食が起きやすい地形ですし、もし放水路を作るなら容易ですが、尾山台付近だと九品仏川支流合流後で、その地点より上流は湿地のままです。

等々力渓谷付近で放水すれば、その地点から緑が丘付近まで一帯の土地改良ができる上に、九品仏川支流や自由が丘付近などの湧水があるので、谷沢川の水がなくても用水には困らないという判断だったのではないかと、想像しています(笑)

大体、治水工事は、それが成された後に利権を獲得する組織が資金提出をしますから、その中心に九品仏川流域の寺領を持つ九品仏浄真寺がいたと考えれば、辻褄は合うのかなと(笑)


ところで、碑衾町の1917年(大正6)の陸軍測量の正確な地図を見つけました!
これは緑が丘地区などの区画整理前の地図としては決定版のようで、こちらのエントリーの謎が解ける内容ですので、是非一度ご覧下さい^^

http://www.timr.or.jp/library/docs/mrl0911-OY-1-54.pdf

投稿: hoboking | 2014年9月14日 (日) 14時31分

あと1920年(大正9)の東京近郊(現23区周辺)の地図のURLも貼っておきます。

http://www.timr.or.jp/library/docs/mrl0911-OY-1-20.pdf

投稿: hoboking | 2014年9月14日 (日) 16時55分

hobokingさま
なるほど、特に
>この位置で多摩川側に放水して土地改良を行うと、生まれる耕作地面積が最大になるということです
については「‼」とおもいました。
なるほどなあ…。


>奥沢城が廃城となった1600年頃迄には存在しておらず、江戸期にできたことが判っています
そうですか。なんだかマスコミ的にはというか世間的には
「23区内に渓谷!?こんな都心に大自然を感じられる場所があってすごい‼」みたいな常識を作りたがっているのでしょうかねえ、
いずれにしても私自身でももう少しきちんとしたお返事ができるように、
研究を深めてみることにします。どうもありがとうございます。
なんだか凡庸を絵にかいたような拙ブログにあって、とても奥の深い話題とご考察をいただき、感激です。

投稿: lotus62 | 2014年9月15日 (月) 10時47分

初めまして。私も暗渠・湧水マニアなのですが、街中で湧水を見つけたりすると、
金の鉱脈でも見つけたような気分になりますね。これは一般人(笑)にはわからない喜びでしょう。

投稿: 桂馬 | 2017年2月13日 (月) 22時32分

桂馬さん、l初めまして。
おこしくださって、そしてコメントまで頂戴いたしまして、どうもありがとうございます。
まさに「金の鉱脈」ですね、しばらく立ち尽くして天を仰ぎ、小声で「あぅ」とかつぶやいたり(笑)。

どうぞ今後とも、よろしくお願いいたします!

投稿: lotus62 | 2017年2月14日 (火) 09時23分

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