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暗渠ハンター 板橋湧水跡めぐり 4

「いたばしの河川」(板橋区教育委員会)
「無名の川」で取り上げている川や湧水の断片を訪れるシリーズですが、
今回以降は「無名の川」の章&他の章にとりあげられている、
限りなく無名に近い湧水や池をご紹介していきます。

今回は板橋区四葉あたりなんですが、
ここに行く前に品川区にある二葉ってとこに行っていましてね。偶然。
現地に行って四葉という住所表示を見たときは軽いデジャヴ感覚を味わいました。

より大きな地図で 成増・赤塚 を表示

4 四葉あたり

4-① 四葉2丁目の種井
これも「いたばしの河川」(板橋区教育委員会)からのネタです。
四葉2-4には、かつて暖かい湧水があったそうです(珍しいですよね?)。
そこに種もみを浸す種池「種井」があったとのこと。
そこは今…
Img_0027

はい、跡形もありません…。ほんとにここにあったんかいな…。
台地のいわば頂上付近なので、
ここに水が湧くともちょっと考えづらい場所でした。

しかしというか果たしてというか。
帰宅してからざざっと調べていると、
別な資料「郷土 板橋の坂道」(いたばし まち博友の会)によれば
種井の住所は四葉2-21とありました。
写真は撮り損ねましたが、こちらの地形は谷戸とまではいかなくても
少なくとも「台地のてっぺん」ではありません。
うん。こちらの説が正しいのではないかと思います。

さてこの四葉2丁目に広がる台地。
この下、北東に広がる低地が高島平で、かつての徳丸田んぼです。
そこにつながる坂の途中にはいくつか湧水が見られたようで、
(おそらく)現在の紅梅小あたりには釣堀もあったということです。

4-② ザコヤツと呼ばれた谷
四葉2-27辺りには「まるやま幼稚園」という
ぱっとみただけでも「筋金入り」だとわかる自然派幼稚園があります。
ここの地形は一見の価値あり。

正面からみた幼稚園。まあここでもじゅうぶん「わんぱく」情緒は感じるんですが…。
Img_0031

ぐるっと裏手に回ってみると…。
Img_0058

こんな!がりっと抉れた谷底に建っているのです。
素晴らしい…。
ここは谷底地形を生かして立てられた凸凹幼稚園だったのです。
私もこんな幼稚園に通いたかった!

おそらくこの辺りが、
「ザコヤツ(漢字ではおそらく雑魚谷)」と呼ばれていたところだと推測します。
「いたばしの河川」に湧水の記述こそないのですが、
「大雨の時は薄いが激しい流れとなり降ったであろうが、荒川の洪水のとき等は(このヤツの)坂下まで氾濫し、子どもたちは雑魚を撮ったといわれる」
と書かれています。

このまるやま幼稚園がある一角は、
幼稚園の敷地をやや外れても
道路の横にいきなり深いお堀のような窪地が現れたりと
Img_0038

大変興味深い地形が残っています。
まるで「四葉渓谷」。

4-③ 四葉池
最後は、せっかく近所でもあるので、
「無名の川」の項ではないけど「いたばしの河川」に出てきた四葉池のことを。
四葉池と言っても、上池、下池と二つの池があったそうです。

上池はこのあたり。
Img_0070

奥の坂を下ったあたりで、まあ地形からいうと「4‐② ザコヤツ」から坂を一段下ったあたりでしょう。
ここにはザコヤツ方面からの水と、「4‐① 種井」方面の水が合流するエリア。
その溜まりとして上池があったようです。
上の写真の奥には河島さんという建材会社があるのですが(「いたばしの河川」によると大正10年頃当地に移転)、こちらの屋号は「上池」であるとのこと。

話は逸れますが「屋号」って不思議な習慣ですよねえ…。ちなみに私の実家も商売をしてるのですが、店の屋号は「小松屋」。もちろん名字とは全然関係ありません…。

ここ自体に湧水があったわけではなく、井戸からの水と上の谷から集まってくる水があわさってここに溜まっていたようです。

そして下池。
Img_0040

もうここはほとんど徳丸田んぼの低地です。
一部は公園になっていますが、どまんなかは幹線道路と高速道路の高架で
跡かたもなくなっています。
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東京時層地図」でみるとこのあたりですね。
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まあ在りし日の下池の水面から見た高架道路の橋裏でもご覧いただいて〆としますか。
Img_0046 46

この下池はなんだかこう、薄幸というか…。「いたばしの河川」にこんな記述があります。

「下池は中ほどに島があり、(中略)池は各所から水が湧いていたが泥深く、マコモなども茂り、フナ、ナマズ、ウナギなどがいてざるや四つ手網などを使って捕った。

(中略)昭和3~4年に池さらいしたとき、弁天様らしい石仏が出て、赤い祠を作って祀ったが、それも今はどこに行ったかわからない。そのあと町会で鯉を飼ったが管理する人もなく、2年くらいで終わってしまった。また、昭和7年頃青年団の手で、池の東北辺の端に一部に杉を植えたが、それもいつの間にか消滅してしまった。

洗い場は昭和9~10年頃、農道に沿った北側の底も縁もコンクリートで固めて造り、そこでせり、みつば、大根などの野菜を洗ったりまた馬や牛も洗うなどして昭和41年区画整理事業が始まるまで利用していた。なお、この洗い場ができた時費用を出し合った四葉の人々の名を刻んで記念碑を建てたというが、その碑の行方も今は知ることができない」

すっかり「失われた池」になってしまった四葉池。すこし暗渠の抱える哀しさと似たところがあってどうにも惹かれてしまいます。

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