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2013年7月

暗渠ハンター 前野川のほんとの源流…前野川追録1

「板橋湧水跡めぐり」は終わりましたが、まだまだ板橋に夢中。
今回は、前野川のいくつかの源流をとりあげていきます。
まずは前野川について。
板橋の前野を貫いて流れ、すぐに出井川に合流するのが前野川。
出井川は新河岸川に合流し、さらに荒川に合流していきます。
前野川自体は以前この記事でご紹介していましたが、
このところ例の「いたばしの河川」(板橋区教育委員会)を読みといていて、
その源流についていくつか追加せねばならないことが出てきてしまいました。

今回は、若木1丁目の源流について。

いちばん遠いところにある源流を川の「ほんとの源流」とするならば、
前野川のそれはここでしょう。
若木1-6から始まる暗渠道。
Img_0103
一般道から階段で降りる形でこの暗渠が始まります。
Img_0105

しかしこの段差。
こういう場合は、
①ここが谷頭で最上流であった。
②さらに上流に谷が続いていたが、階段上道路を造成する時に盛土して谷を分断した

のどちらかでしょう。
実は、「いたばしの河川」でもページによってそれぞれの裏付け記述が見られます。

に近い記述は「出井川」の章に、出井川に合流する最大の支流・前野川に触れた箇所にありました。
「水源は二方に求められ、ひとつは中台側で、若木1-5番の崖下に発し」
とあります。
若木1-5とはこの暗渠の始まりよりワンブロック下流にあります。
この記述を真とするなら、この階段下の1-6はおそらく
水源より上の宅地化開発に伴って「上流に排水路を拡張した」痕跡と思われます。こんなかんじの
ですからドンズバでとは言っていないものの、の亜種と言えましょう。

いっぽうを匂わす記述は、「無名の川」の章にあります。
「名無川の水源」とはいえ前後の記述や地形からいって
この前野川源流のことを指しているのは明白なのですが、
「若木1-8荒井さんの低地から流れ出て…」という記箇所があります。
若木1-8というのはまさにこの暗渠のワンブロック上流側。
その1-8をウロウロしてみましたが、何の手掛かりも見つかりません。
クリーニング屋さんがあったくらいです。
Img_0099

暗渠のはじまりの階段上にあった和菓子屋「みげつ堂」さんで

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柏餅など買って店先で食べつつご主人に聞き込みをしましたが、
階段下の道がある時期までどぶであったこと以外は
不明のままでした。
(柏餅美味でした。実は偶然この日は端午の節句の日)

結局正解はかわからないままです(苦笑)。
しかしこれ以上の「上流さがし」はあきらめて、
ここを下っていくことにしましょう。

しばらく典型的な暗渠路地が続きます。
Img_0109

おお!ここは川筋が今も残っていますね。
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見事な景色です。
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この辺りが、上述で触れた「若木1-5」です。
この左右の小さな段差から水が湧いていた、のでしょう。

またさらにこのワンブロック下流(若木1-4)についても
いたばしの河川」で言及している箇所がありました。
「戦後まで巾1m、深さ30cmぐらいの川で、石橋がかけられその下に農家の野菜洗場があった。」
そうです。このあたりかな。
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たしかにこのブロック周辺には、路地から「水の気配」のようなものが感じられます。
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この先、住所は中台に入って第二亀の湯という銭湯のそばを掠めながら、
暗渠は続きます。
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緑の壁の暗渠。
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これから先は、この記事で辿った「知っていた前野川」へと続いていくことになります。

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暗渠ハンター<脱構築版> 広島の橋跡。

【前口上】
かつて取り上げた場所や、書こうと思って放っておいたと場所も、語り口やスタイル次第でリサイクルできるのでは? と思ったわけでもないですが、他所で「暗渠なんて殆ど興味ない人たちに向けて暗渠や川跡のことを書いてみたらどんな反応が来るか」という実験のために書いた文章を、暗渠ハンターの夏休み特別企画として、不連続で載せていくのがこの<脱構築版>です。

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広島は三角州の街だ。
市中には7本の大きな川が流れているが、かつてはこれらに加え広島城を囲む堀が張り巡らされていたという。
そして1912年・大正初期にこれらの堀が埋め立てられ、市電が整備されることになる。
堀が下水道に転用されたつまり暗渠化したかどうかは広島市の下水道台帳を見ればわかるはずだが、たまたま今私のPCからアクセスできずに詳細は不明。
もし下水道に転用されているとしたら、幹線道路となって市電やクルマが行き交う現状から察するにかなりの深さで頑丈に管が通されているに違いあるまい
また転用されていないとしても、車止めを多用して路地化・緑道化する東京都下水道局の考え方と大きく方向を異にしていることに、大変興味を惹かれる。
写真は中区。西堂川という堀に掛けられていた鷹野橋の橋跡。
出張ついでに早朝の小一時間散歩しただけだが、川の痕跡はこれ以外殆ど見つけることはできなかった。
しかし小さな慰霊碑をはじめとしたかなしい出来事の痕跡には街中のあちこちで出会うことができる。
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暗渠ハンター 板橋湧水跡めぐり 5

「いたばしの河川」(板橋区教育委員会)で取り上げている
無名の川や湧水の断片を訪れるシリーズです。
たぶん今回で最後になるかなと。

突然ですが、
同僚から、ここ半年くらいに出版された「文藝」(河出書房新社)を
数冊もらいました。
載っていたのは芥川賞候補(だった、かな。この記事が世に出る頃には…)「砂漠ダンス」山下澄人とか「想像ラジオ」いとうせいこうとか。
読み応えありましたね、どちらも。
特に「砂漠ダンス」はその構造が新しいなあと思いました。
クラウドによって実現する「集合知」みたいな何かを感じる構造。
そこで語られる自意識と疎外感、みたいな。

それでね、「文藝」ってくらいですから、毎号何本かの小説が載ってるわけです。
で、これ結構目次が面白いんですよ。もくじ。
作家の名前たタイトルの前に、こんな小見出しが載ってるんです。

出張に出ていたはずの妻が、愛人と泊まったホテルで急死。夫と幼い息子に残された妻の“形見”とは?
伊藤たかみ 冷蔵庫の奥の形見

娘たちを「違う世界」へ連れて行ってくれる魔法、それは…待望の中篇!
松田青子 英子の森

「わたあめのような富におぼれて育った」五十代・独身姉妹の共同生活?
青山七恵 風

男は今日、東京へ来た…師からの命を実行するために
大石圭 鮫

この小見出しがね、いいなあと…なんか、こう修辞法的に。
中には、タイトルだけでは魅かれなくても
これでちょっと読んでみたくなるようなリードもあります。

こういうのを川や暗渠に付けるとしたらどんなかなあ…。

すっぴん娘がメイクを覚え、着飾り踊らされた果てに流れ着く先は…
「桃園川」 
とかね。

俺は用水?自然河川?自らを問い続け張り裂ける青年期を送った男の壮絶人生。

これは…「烏山川」。

都会のエリートコースを歩んだ仮面の下の奔放人生と、産み落とした子どもたちの織りなすストーリー。

これは「三田用水」。

今回のシリーズに小見出し付けるとしたら何だろうなあ…。

湧水。幻の滴たちが紡ぎだす不思議な旋律にいたばしの街が踊る…。
とかかな。
意味のないマクラが長すぎました。本題に入るとします。

5 中台あたり

より大きな地図で 出井川周辺 を表示

中台3丁目にある日大豊山(ぶざん、と読むそうです)女子高。
ここの下にある広い谷間というか窪地は長久保と呼ばれていたそうで、
一帯が湿地だったそうです。
Img_0053

そうでしょうね、谷底から周りを見ると、
切り立った崖に囲まれているスリバチ地形。
豊山高校の東の坂道ではこんな要塞状態です。
Img_0052

そして高校西側にはこんな崖下の流れも。
Img_0055

ぐるっとこのスリバチを一回りしてみます。
スリバチの西側高台には、中台延命寺というお寺があります(ふつうのおうちの寺なのでちょっとわかりづらいですよ)が、
そこにかつてあったらしい池からたくさんの水がこの窪地に落ちていたそうです。
延命寺からのスリバチビュー。
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まるで滝のようだったんでしょうね。ちなみに奥が豊山高です。

そこからさらにぐるっとスリバチ北側に移動。
高台崖上には中台公園という公園があるのですが、
その崖下も延命寺下と同じように水量が多かったと書かれています。
その崖下がここ。
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ちいさな祠がありました。

この窪地に集まった水はこの道を北に流れていきます。
(下流から上流をみたところ)
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この道の東は急峻な崖。
西は大規模に開発されたマンション。
首都高5号線にぶつかる前、東の崖下にこんな池がありました。
Img_0080

手元地図にも載ってなかったし、柵に囲まれて近づけないので
まるで「秘密の池」みたいな雰囲気です。

ほどなく首都高5号池袋線にぶち当たって東にいき、
西向きにやってくる出井川と合流します。

一連の、スリバチに集まってここを流れ出井川にそそぐ川を、
「出井川 豊山女子高支流(仮)」とでも呼ぶことにしましょう。

マクラでの小見出しとは全く違う内容になりましたが、
板橋湧水跡めぐりシリーズはいちおうこれでおしまい、
にしようかな。

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暗渠ハンター 板橋湧水跡めぐり 4

「いたばしの河川」(板橋区教育委員会)
「無名の川」で取り上げている川や湧水の断片を訪れるシリーズですが、
今回以降は「無名の川」の章&他の章にとりあげられている、
限りなく無名に近い湧水や池をご紹介していきます。

今回は板橋区四葉あたりなんですが、
ここに行く前に品川区にある二葉ってとこに行っていましてね。偶然。
現地に行って四葉という住所表示を見たときは軽いデジャヴ感覚を味わいました。

より大きな地図で 成増・赤塚 を表示

4 四葉あたり

4-① 四葉2丁目の種井
これも「いたばしの河川」(板橋区教育委員会)からのネタです。
四葉2-4には、かつて暖かい湧水があったそうです(珍しいですよね?)。
そこに種もみを浸す種池「種井」があったとのこと。
そこは今…
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はい、跡形もありません…。ほんとにここにあったんかいな…。
台地のいわば頂上付近なので、
ここに水が湧くともちょっと考えづらい場所でした。

しかしというか果たしてというか。
帰宅してからざざっと調べていると、
別な資料「郷土 板橋の坂道」(いたばし まち博友の会)によれば
種井の住所は四葉2-21とありました。
写真は撮り損ねましたが、こちらの地形は谷戸とまではいかなくても
少なくとも「台地のてっぺん」ではありません。
うん。こちらの説が正しいのではないかと思います。

さてこの四葉2丁目に広がる台地。
この下、北東に広がる低地が高島平で、かつての徳丸田んぼです。
そこにつながる坂の途中にはいくつか湧水が見られたようで、
(おそらく)現在の紅梅小あたりには釣堀もあったということです。

4-② ザコヤツと呼ばれた谷
四葉2-27辺りには「まるやま幼稚園」という
ぱっとみただけでも「筋金入り」だとわかる自然派幼稚園があります。
ここの地形は一見の価値あり。

正面からみた幼稚園。まあここでもじゅうぶん「わんぱく」情緒は感じるんですが…。
Img_0031

ぐるっと裏手に回ってみると…。
Img_0058

こんな!がりっと抉れた谷底に建っているのです。
素晴らしい…。
ここは谷底地形を生かして立てられた凸凹幼稚園だったのです。
私もこんな幼稚園に通いたかった!

おそらくこの辺りが、
「ザコヤツ(漢字ではおそらく雑魚谷)」と呼ばれていたところだと推測します。
「いたばしの河川」に湧水の記述こそないのですが、
「大雨の時は薄いが激しい流れとなり降ったであろうが、荒川の洪水のとき等は(このヤツの)坂下まで氾濫し、子どもたちは雑魚を撮ったといわれる」
と書かれています。

このまるやま幼稚園がある一角は、
幼稚園の敷地をやや外れても
道路の横にいきなり深いお堀のような窪地が現れたりと
Img_0038

大変興味深い地形が残っています。
まるで「四葉渓谷」。

4-③ 四葉池
最後は、せっかく近所でもあるので、
「無名の川」の項ではないけど「いたばしの河川」に出てきた四葉池のことを。
四葉池と言っても、上池、下池と二つの池があったそうです。

上池はこのあたり。
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奥の坂を下ったあたりで、まあ地形からいうと「4‐② ザコヤツ」から坂を一段下ったあたりでしょう。
ここにはザコヤツ方面からの水と、「4‐① 種井」方面の水が合流するエリア。
その溜まりとして上池があったようです。
上の写真の奥には河島さんという建材会社があるのですが(「いたばしの河川」によると大正10年頃当地に移転)、こちらの屋号は「上池」であるとのこと。

話は逸れますが「屋号」って不思議な習慣ですよねえ…。ちなみに私の実家も商売をしてるのですが、店の屋号は「小松屋」。もちろん名字とは全然関係ありません…。

ここ自体に湧水があったわけではなく、井戸からの水と上の谷から集まってくる水があわさってここに溜まっていたようです。

そして下池。
Img_0040

もうここはほとんど徳丸田んぼの低地です。
一部は公園になっていますが、どまんなかは幹線道路と高速道路の高架で
跡かたもなくなっています。
Img_0043

東京時層地図」でみるとこのあたりですね。
Img_0042

まあ在りし日の下池の水面から見た高架道路の橋裏でもご覧いただいて〆としますか。
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この下池はなんだかこう、薄幸というか…。「いたばしの河川」にこんな記述があります。

「下池は中ほどに島があり、(中略)池は各所から水が湧いていたが泥深く、マコモなども茂り、フナ、ナマズ、ウナギなどがいてざるや四つ手網などを使って捕った。

(中略)昭和3~4年に池さらいしたとき、弁天様らしい石仏が出て、赤い祠を作って祀ったが、それも今はどこに行ったかわからない。そのあと町会で鯉を飼ったが管理する人もなく、2年くらいで終わってしまった。また、昭和7年頃青年団の手で、池の東北辺の端に一部に杉を植えたが、それもいつの間にか消滅してしまった。

洗い場は昭和9~10年頃、農道に沿った北側の底も縁もコンクリートで固めて造り、そこでせり、みつば、大根などの野菜を洗ったりまた馬や牛も洗うなどして昭和41年区画整理事業が始まるまで利用していた。なお、この洗い場ができた時費用を出し合った四葉の人々の名を刻んで記念碑を建てたというが、その碑の行方も今は知ることができない」

すっかり「失われた池」になってしまった四葉池。すこし暗渠の抱える哀しさと似たところがあってどうにも惹かれてしまいます。

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暗渠ハンター 板橋湧水跡めぐり 3

「いたばしの河川」(板橋区教育委員会)の「無名の川」で取り上げている川や湧水の断片を訪れるシリーズ。今回は…

より大きな地図で 出井川周辺 を表示

3 徳丸・西台あたり

3‐① 徳丸小付近のツルマイ池

「いたばしの河川」によると、
徳丸小学校辺りは以前窪地であったとのことです。
徳丸小近辺の今の陰影地図はこちら。(「東京時層地図」より)

3_2 

まんなかへんが徳丸小。のっぺりしています。
同じ地域を「東京時層地図」の「昭和戦前期(昭和3-11年)で見てみると…。

2

ほんとだ!
今はのっぺりしていますが、確かに谷戸がありました。
それも等高線の密度からいって結構急な谷ですね。
この谷、「高度成長期前夜(昭和30-35年」にはすっかり消えてしまっています。

1

ははあ…。
再び「いたばしの河川」の記述を見ると
都のゴミ捨て場となり埋没してその後は西徳第一公園となっている
と書かれています。

激変ですね。
この様子は、goo地図の航空写真でも確認することができます。
こちら昭和22年の航空写真。

S22

まん中、下から上に細い谷戸が延びているのがわかるかと思います。
これが昭和38年になるとこう。

S38

造成されたばかりなのでしょう。谷戸が消えてのっぺりになりました。

「郷土 板橋の坂道」(いたばし町博友の会 H10年)の中でもこの谷について触れたところがあり、
「この谷は昭和7年から同35年にかけて埋められてしまい、現在上は徳丸小学校の一部や西徳公園になっている」
と記されています。ちなみに同書ではこの谷の出口に残る坂を
「急坂」あるいは「登り坂」と呼んでおります。
(逆の意味で個性的な坂名ですねw)

さてサブタイトルにある「ツルマイ池」があった西徳第一公園がここです。
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公園の中にはプールも。

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かつてのツルマイ池とは全く関係がないでしょうが、
誰が意図したかこの土地の履歴を今に伝える徴のような気がします。

3‐② 京徳観音堂の下の谷
先程ツルマイ池の話では「西徳第一公園」が出てきましたが、
今度は「西徳第二公園」。この公園の北東側、京徳観音堂の丘との間に
深い谷筋が走っています。
こちらが、第二公園側のさらに高いところから谷を見下ろしたところ。
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そしてこちらが京徳観音堂から谷を見下ろしたところ。
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急峻!この角度と高さは、大田区洗足流れの下流にある子安八幡神社の階段にちょっと似ています。

そして下の写真は谷頭方面。
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谷頭はこの奥、圓福寺の辺りとなりますが
「ではこの谷のどこに湧水があったのか」はイマイチわかりません…。

この谷もすぐに前谷津川の暗渠へと繋がっていきます。

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