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2013年6月

暗渠ハンター 板橋湧水跡めぐり 2

前回に引き続いて、
「いたばしの河川」(板橋区教育委員会)の「無名の川」で取り上げている川や湧水の断片を訪れていきましょう。今回は「上板橋」エリアです。

地図中の赤いラインが今回の「無名の川」。

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2 上板橋あたり

2‐① 子育て地蔵脇

これです。
Img_0188

上板橋駅から南下すること5分ほど。
商店街の一本裏の道に唐突に現れます。
それこそ、どこからきてどこに行くのかわからないような。
これについて「いたばしの河川」ではこう書いています。
『子育地蔵付近を源として五本欅の西側を通り、田柄川に流れ込むどぶ川』。
ちなみに五本欅というのは川越街道沿いにある、文字通り欅の大木が5本残っている場所の通称です。
このあたりの地形はわりとまっさらで谷頭らしいものも見当たらないんですが…。
詳しい状況を地形図で確認してみましょう。
東京地形地図さん、いつもありがとうございます。

Photo

オレンジの円がこの子育地蔵横の水路があるエリア。矢印がこの水路です。
確かに、うっすら凹んでいますね。
なるほどー。
まあ湧水がなかったとしても、このあたりの水をさわーっと集めていたに違いありません。
再び「いたばしの河川」をみると
『古老の記憶でもこの川は早くから下水として用いられていたようで、この川の水を何かに用いたという話は聞くことができなかった』
と記述されています。
もっぱら排水路として機能していたようですね。

では反対側(出口)のビジュアルもどうぞ。
Img_0190

2-② 茂呂山下

こちらは田柄川でなく石神井川の支流ですね。
いや支流というよりおそらく石神井川の水を一旦揚げて周囲に回した
「揚げ堀」的な用水路だと思います。
この流れは石神井川の右岸、
小茂根5丁目の大山高校あたりを石神井川と共に取り囲むようなルートを取っています。
この流れのさらに南に聳えるのが茂呂山。
茂呂山遺跡として板橋では大変有名な歴史物件。…だと思います。

下流から辿って行きます。台橋のあたりが石神井川との合流ポイント。
しかしあまり流れの痕跡が残っていない道が続きます。
Img_0005

でも大丈夫。ここに「東京時層地図」にはしっかりと水路が描かれています。
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やっと出てきました、車止め。形而上暗渠からの脱出です。
Img_0010
左横にある、いかにも「水路へと降りていくような階段」が
暗渠の現実感をさらに高めてくれますね。

車止めをするりと抜けて中に入っていきますと…。
ナガミヒナゲシの花。ここを訪れたのは風薫る5月の半ばのことでした。
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なーんて花など愛でているうちにこの暗渠道はすぐ終わってしまいます。
ああ、もう出口ですよ。
Img_0016_2

このあとはまた形而上の暗渠となって湿気味橋あたりの「取水点」まで。
それにしても「湿気味(しっけみ)」。味わい深い名前だなあ。
湿気味橋の下にはおおきな合流口が空いていました。
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では、次回は志村地区まで飛んでいきます。

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暗渠ハンター 板橋湧水跡めぐり 1

しばらく板橋の小さな川のことを書こうかなと思います。
当然もう枯れてしまっていて、痕跡さえ残っていないことが多い小川、または湧水のこと。
以前「暗渠ANGLE」と名付けて
暗渠の状態を加工度別に分類する試みをしましたが、
これでいうと最も右。所によっては「レベル5」以上。
加工度が高いのを通り越して痕跡すらないというものも
多く扱うことになろうと思うのですが、
そんな状態でも愛でられるならもうそれは究極の形而上暗渠趣味と言えるのかも知れません。
なんだか形而上というと、
前頭葉が高度に発達した人類にしかできないような
エラい感が溢れてくるから不思議です。
まあ形而上でなくとも暗渠を暗渠として愛でる生き物は人間くらいしかいないでしょうが…。
これからの一連のトピックはたいへん哲学的になるかもしれませんが、
哲学度に比例して写真が地味になることは覚悟してください。
っていうか書き手の私が覚悟せねばならないのでしょうね。

話を続けましょう。
いたばし暗渠者のバイブル・板橋区教育委員会による「いたばしの河川」を読んでいると、
「無名の川」という項目がでてきます。
それは、石神井川や田柄川、蓮根川、出井川、千川上水などの支流ではあるんだけど支流とも呼べないほどの小さな流れや水源となっていた湧水跡について書かれたパート。

さあ、ここに描かれたいくつかのポイントを、つぎつぎと現場検証していくという
哲学的な旅のはじまりです。
だいじょうぶ、ちゃんと哲学的でない見た目のいい暗渠や谷も出てきますから。

1 赤塚あたり

1‐① 赤塚小学校脇
ずっと前に、この水源から続く暗渠を書いたことがありました
当時は確証はなかったけれど、この谷の始まりにはやはり湧水があったようです。
記事を書いた時点での谷頭付近の写真がこれ。
Photo

上のリンク先でも付近の暗渠路地について触れていますが、
やはり「いたばしの河川」によるとこのあたりは湧水の多い場所だったようです。これらが集まった流れは
『沢ガニが生棲し、農家では大根など野菜を洗うのに利用していた』
とのこと。
ところでここを一級スリバチたらしめているのは、
谷をぶった切るように赤塚5丁目の9と10の間に盛土して作られた
「つるし坂」という名の坂の仕業。
「いたばしの地名」(板橋区教育委員会)によると、「つる」は「水流」、「し」は接尾語で、
『雨の時は大いに水の流れる坂』という意味だとのこと。
盛土も下水道設備ができてからのものなんでしょうね。でないと水の出口がなくなっちゃいます。
この流れは植物園の下を通って板橋区郷土資料館前の溜池につながっています。

1‐② 清涼寺下

同じく溜池につながる支流をなしていたと思われる川の水源。

清涼寺というなんか冷たくておいしそうなお寺さんがあるのは赤塚4‐8。
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ちょうど谷頭に建っているようで、正面入り口と裏側との高さにちょっとした差が。
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この段差の下のほうで湧いていたようです。
ここは『出口谷』とよばれ、「いたばしの河川」によれば、
寺の下の流れ』、と古老に呼ばれているとのこと。

もちろん今となってはその痕跡はなく、
ここを起点として浅い谷だけがその香りを残しています。
Img_0086

・・・形而上の暗渠・・
ちょっと谷に沿って下ってみましょう。
この流れも赤塚の溜池に続いているはずです。
Img_0090

おわ、すっげえ絶壁になってきよりましたなあ。
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この先、赤塚4‐19あたりで劇的な変化が。
流れは道を外れてこのブロックに入ってくるようです。
Img_0104_3

写真奥がこれまで辿ってきた上流。それが真ん中の家の左側(崖下)を廻って
Img_0102

この暗渠路地を抜けていきます。
Img_0100

さあ、今回のハイライト。
アプローチは階段で。
Img_0101

階段、振り返ってみましょう。
Img_0099_2
いい味わいの路地です。
まだ先が続きますね。
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さらに奥に。
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途中でまた道から外れます。下の写真の奥で道は曲がりますが川跡はまっすぐ。
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その後、無事に赤塚の溜池がある公園の敷地に入って、この蓋暗渠になり溜池にそそぐ、と。
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暗渠ハンター 笄川でみつけたもの。3

「歩く渋谷川入門」の著者・梶山公子様らと
渋谷川の支流である笄川を半日歩いた時の再発見物件ネタの3回目。
さいごです。

1回目で取り上げた青山橋からちょっと下流。
ずっとずっと以前、こんな記事
たくさんの種類の暗渠が見られる「暗渠大図鑑」としてとりあげたことがあるエリア。
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梶山様によるとここも再開発が迫っているとのこと。
もうこの辺りを見てあるけるのはわずかな期間かもしれません。
ここ一帯は外苑西通りに沿った流れともう一本西の流れに挟まれた
水の多いところだったようです。
路地のあちこちを巡り、
古地図をみながら細かく流れを検証していたその時。
以前の記事でも写真で紹介させていただいた、
この白い舗装が施されている暗渠。
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なんですが、よくよく見ると…。
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あうあ!蓋暗渠部分が露出しているではないですか!
もともと蓋で塞ぎその後白いコンクリで表面を舗装した、といった風情ですね。
これも気付かなかった!
幸い、さきの再開発エリアからはちょいと離れているので
すぐに消滅はしないと思いますが、
この造作からいっていつまでこの状態が見られることやらわかりませんねえ。

一連の再発見ネタはこれで終了です。
最後はオマケ。

笄川が六本木通りと交差する手前に、
「青柳」という古い和菓子屋さんがあります。
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梶山様がご主人に事前にアポを取ってくださっていて、
この日は一行で御主人から昔の笄川の様子をレクチャーしていただきました。

ご主人のご厚意に感謝です。
青柳さんは、オリジナルの和菓子もたくさんラインナップ。
こちらは「イブモンタン」。
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…名前の由来をお聞きすると、
枯葉がモチーフだから、とのこと。
笄川に架かる六本木通りの橋裏を眺めつついただきます。
おいしかったですよ。
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暗渠ハンター 笄川でみつけたもの。2

「歩く渋谷川入門」の著者・梶山公子様らと
渋谷川の支流である笄川を半日歩いた時の再発見物件ネタを、
前回に引き続きご紹介します。

今回は根津美術館からの流れを。
根津美術館といえば、「燕子花(かきつばた)」で有名ですね。
尾形光琳の、あの金色の屏風に描かれているカキツバタの群生の絵。
たしか万国博覧会のときの記念切手の絵柄に採用されていたような記憶があります。

訪れたときはちょうど庭園にもカキツバタが咲き始めた時期でした。
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1941年に開館したこの美術館。
広い敷地には谷頭と大きな池を抱える都心のパワースポット(←これわざと言ってるんですからね、この言葉を揶揄してるんですからね、念のためw)の一つでもあります。
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池を見ると、いつも「どこから湧いて、どこに落ちていくのか」
を探ってみたくなります。
この池は広いので、数か所から水が入り込んできているようでしたし、
あきらかに「お!ここでじくじくと湧いている!」というポイントもありました(嬉)。
Img_0088

さて今回の再発見ネタは二つあるのですが、
そのひとつはこの根津美術館の池のさらに上流にあった池跡を見てきたことです。
根津美術館の入り口は、
前回の青山橋から骨董通りを結ぶ道(そう、Blue Note東京がある道)が通っていますが、
その道と根津美術館の池を結ぶあたりが「がり」っと道路ふちから絶壁になっているんですね。こんな。
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崖下に降りて「東京時層地図・関東地震直前(大正5-10年)」を立ち上げてみます。
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画面の青いピンが現在地。
右上にある細長い池が根津美術館の池。
その同じ谷沿いを伝ってちょっと左に行ったところにあるのが、
すでに消滅してしまった池。
同じく「東京時層地図」の「昭和戦前期(昭和3-11年)」ではすでに
この池は地図から消えていますので、
大正の終わりから昭和の初めに無くなったと。
もしかしたら関東大震災のガレキで埋められたという可能性もないではないですね。

現地はすでに何事なかったように普通に住宅。
下の写真、道路の右側一帯が元・池です。
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…え?「再発見!」というには地味すぎますかw?
気にせず行きましょう。次は見た目も派手ですし…。

次の再発見ネタは、根津美術館の池の出口にありました。
池から水が出ていくのは、ここです。
美術館敷地の東の端。門のあたりです。
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ここから、こんな道を通って笄川に向かうものだとずっと思っていました。
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しかし。この道の左横はぐぐっと抉られて小さな崖が続いています。
こんな。
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崖はしばらく道沿いに続きます。
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…不覚だったなー。以前カケダシの頃にここ通っているんですが、
気が付きませんでした…。
おそらくこの崖の下を流れていたんでしょうねえ…。

どうです、派手でしょう?
なんでこんなん気が付かなかったんだと、
私のマヌケさを「再発見」する結果になりました…。

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