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暗渠ハンター およぎ場、遊泉園の光と影。

板橋区中板橋。
地名に先駆けてできたのが東武東上線・中板橋駅であり、
その駅名を関してこの地名ができました。
駅の開業は昭和8(1933)年7月

さらにこの駅は、もともとはある施設へのアクセスのためにできた駅。
それが遊泉園、というプールですね。
今回の参考文献「いたばしの地名」(板橋区教育委員会)では、
プールではなく「およぎ場」と記載されているのが興味深いです。
当時はそう呼んだのかしらん。
それはともかく、およぎ場の大きさは縦50m、横25mという大きなものだったようです。
板橋区のHPには貴重な当時の写真が載っていました。
賑わってますねー!

地図ではここ。

Photo

※写真は「東京時層地図」の昭和戦前期(昭和3-11年)から転記。

ちなみに「東京時層地図」の明治の終わり(明治39-42年)地図ではまだ遊泉園は記載されていません。

Photo_2

この遊泉園のはじまりについては、
先ほどの資料「いたばしの地名」wikiの記述を比べてみると、
若干の違いがあって興味深いです。
両者から要旨を引用させていただきますと、以下のようになります。

「いたばしの地名」説>説→
・昭和4、5年頃、中板橋30番あたりに川の湾曲部に遊水地があった。
・これを、夏だけ地元の人(地主さん?)が臨時のおよぎ場として提供した。
・大人気だったので、町の有志連が出資金を持ち寄って「遊泉園」としてオープンさせた。
・利用者は下板橋か上板橋から炎天下をとぼとぼと歩いてきた。
・その後地元有志が東武と掛け合って、夏だけの臨時駅をオープンしてもらった。

wiki>説→
・大正15年、東武鉄道が中板橋仮停留所を設置、夏期のみ営業を行った。
・翌年以降も板橋遊泉園入場客の便宜を図るため、1932年まで毎年夏期に仮停留所が開設される。
・1927年(昭和2年)板橋遊泉園が開設される。

wikiの書き方だと、すでに大正15年には遊泉園の前身があったことになり、
さらに(おそらく法人として)遊泉園が「遊泉園」になったのは昭和2年、としていますね。
※ちなみに「いたばしの河川」(板橋区教育委員会)でも「遊泉園の開業は昭和2年」という記述が見られます。

一方中板橋駅の開設については、どちらも昭和8(1933)年としています。

この両者の歴史記述の違いは、
遊泉園利用者の行動の違いに直結するのでそれを想像するとこれまた興味深いです。

<「いたばしの地名」説に則ると>→
・中板橋駅ができるまでの4、5シーズンくらいは、遊泉園利用者は炎天下に上板橋もしくは下板橋から汗だくで歩いてやってきた。
(現在の両隣駅、ときわ台駅は昭和10年の開業ですが、大山駅は昭和6年の夏の終わりに開業。すなわち中板橋駅開業までの昭和7年の夏は、遊泉園利用者はきっと大山駅からやや汗だくで歩いてきたのでしょうね

wiki説に則ると>→
・遊泉園開業当初から、夏季だけでもそば(のちの中板橋駅)に電車が停まった。
(ので、何キロも歩いて汗だくになることはなかったでしょうね)

まあ後者のほうがスマートでしょうが、
もしかしたら前者のほうが
「遊泉園で涼しいひとときを!」という提供価値が
相対的に高まったかも知れませんねー。

両者の比較はここまで。

次は中板橋という駅名について。
いたばしの地名」には以下のようなことが書かれています。
・そして昭和8(1933)年の中板橋駅開設にあたって、
(たぶん東武が、誘致した地元有志に対して)駅名の即答を求め、
「下板橋と上板橋の中間なので中板橋にします」となった。

しかしこの「即答を求めた」エピソードには謎が残ります。
遊泉園という集客装置は東武にとっても重要だったはず。
なのに、なぜその名を冠しなかったのでしょうか。
地元有志も、地元資本の対立関係などがあって単純に
「遊泉園にだけデカイ顔させるかいな」という思いもあったのかも知れませんね。
これは想像ですが。

それにしても、もしこの駅が「遊泉園」という駅名だったら、
今も「板橋区遊泉園5番」とか「遊泉園30番2号」とかいう地名が残されていたかもしれないし、
「遊泉園駅前ふれあい商店街」や「メゾンド遊泉園」「遊泉園ハイツ」
なんていう集合住宅が残っていたかも知れませんね。
それはそれでちょっと楽しかったかも。

今回最後の話題は、遊泉園のさいごについて。
そんな遊泉園でしたが、昭和12年頃(正確な年は不明)には閉鎖されてしまいます。
もしかしたら、中板橋駅名を決める昭和8年くらいには
すでに遊泉園の勢いは下降していたという可能性もありますね。
石神井川の水を導いた遊泉園は、
石神井川の水質にその運命を握られていたともいえます。
谷戸ラブさんのブログでは
「近辺に移転した数軒の牧場の排水によって水質が低下した」と記されています。

さらに。
ちなみにとしまえんのプールは昭和4(1929)年に開業。
二子玉川園のプールは大正14(1925)年開業。
プール設置の時期は不明ですが向ヶ丘遊園は昭和2(1927)年開業。
昭和初期は、大資本によるレジャー施設開設ラッシュ時。
この大競争に巻き込まれ、敗れ去っていったのが遊泉園だったのかも知れません。

さてその遊泉園の痕跡があるかとかの地を訪れてみたのですが…。

という現地でのお話は、次回をお楽しみに!

今回記事の参考年表です。

Photo_2

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2056 ・・・石神井川水系」カテゴリの記事

コメント

時層地図で見ると、四角いプール本体?を巡るように水路?に囲まれているのですね~!
こんにちの流れるプールのようにも見えますね。導水路でしょうか・・・?
現在の川底が深く掘られた石神井川からは、水を引いていたという姿を実感として想像するのが難しいです。。
痕跡楽しみにしております。

投稿: 谷戸ラブ | 2013年4月30日 (火) 09時18分

メガネをかけずに読んでしまったので、「およぎ湯」と空目しました。
空目したまま、「およぎ湯!およぎ湯!おもしろい名前~~!川の水を温め直してたのかな?」などとワクワクしながら読んでしまいました!

およぎ場のその後。次回の記事たのしみにしてまーす!

投稿: nama | 2013年4月30日 (火) 16時39分

谷戸ラブさん
確かに流れるプール状ですねw
コースでせっせと泳いでいる人の脇で流されるままにちゃっらちゃら遊んでる人がいるかと思うとその対比が可笑しいですw それはそうと、今地図を見て気づきましたが遊泉園の入り口は西側の一ヵ所だったようですねー。
たしかに今の水面を考えるとここにプールって意外ですよね。

namaさん
およぎ「湯」ェww 楽しい誤解をしてくれたもんですw
私はむしろその響きから、「およぎ場」と杉並名物「遊び場」を勝手に頭の中で結び付けておもしろがってましたー。

あ、それとお二人、次回の「痕跡」には全く期待なさらないでくださいね…

投稿: lotus62 | 2013年4月30日 (火) 17時12分

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