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2013年3月

暗渠ハンター 門前仲町近辺の川跡① 私が牡丹に行く理由

地図を見ていたら急に地名が気になって、行ってみたくなったのです。


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牡丹。

江東区の門前仲町の南のあたり。
今まで何度かその地名を見ていたはずだけど、
突然昔展覧会で見た速水御舟黒い牡丹の絵を思い出してしまいました。
と、この記事を書いた日にテレ東「美の巨人たち」で速水御舟を取り上げていて
ちょっとびっくりしました。

名前が牡丹だからといって牡丹があるとは限らないし、
さらに全然牡丹のシーズンでないのでここで牡丹を見るのは絶望的ですが。

ちなみに牡丹という町名の由来は2つあって、
①江戸時代この地で牡丹の栽培が盛んだったから、
②明治時代、錦糸町付近にあった牡丹園に通う職人さんが多く住んでいたから
と言われています。

■錦糸町にあった牡丹園が親?
ここでちょっと横道に逸れてこの「錦糸町にあった牡丹園」のことに少し触れておきます。
明治から集客力のある観光地として名をはせたこの牡丹園は、
残念ながら関東大震災で焼けてしまったそうです。
名前は「本所四ツ目牡丹園」。
しかし消失を残念がった地元では、
昭和4年、牡丹園跡地近くにに架けられた橋に「牡丹橋」という名をつけました。
現在ではこの牡丹橋もなくなっていますが、
その名はさらに「牡丹橋通り」という道の名として残されています。
親から子へ、子から孫へ、的な感じで。

これ以外にも牡丹園の名前は、意外なところにも残っていました。
シャンプーの普及って昭和40年代なんだそうですね。
「♪ふりむーかなーいーでー♪」なんてやってたのも昭和40年代ですものね。
ではシャンプー以前は何で髪を洗っていたかというと、粘土質でできた「髪洗粉」。
牡丹園跡のそばに住んでいた方の工場で作っていた髪洗粉は
「牡丹園髪洗粉」と名付けられ、
ちょっとしたブランドだったということです。
※「おはなし江東区 川と橋の話」H4 江東区教育委員会より

まあつまり、前章で書いた名前の由来がもし②であるなら、
この江東区牡丹にはたくさんの「牡丹兄弟」がいたことになるわけですね。

■牡丹のまわりにちりばめられたマグネット
江東区の牡丹に話を戻して、周辺の地図を見てみましょう。
※「江東ふるさと文庫④ 古老が語る江東区の町並みと人々の暮らし(上)」S62 江東区教育委員会より

Photo

牡丹は大島川(大横川)のすぐ南のエリアです。

さらに南にも水路があり、こちらは古石場(ふるいしば)川と呼ばれ
昭和63年に埋め立てられて現在は親水公園になっています。
その向こうの町名は古石場。この歴史のありそうな名前もなんだかそそられますねー!
江戸城を築くときの石置場があったのですが、
あるとき近辺に新しく石置場が移されたので、「古石場」。
そこ古石場に川が掘られた年代は不明ですが、
もともとは臨海地帯の波除地・防災スペースとして波除の土手と石垣があったところだそうです。

2

※「江東区の文化財4 門前仲町界隈」(H21 江東区教育委員会)より

牡丹と古石場に挟まれた「古石場川」。
やはりどうしても訪れてみなければなりません。
川の地図辞典」(之潮 菅原健二)を見ると近辺にたくさんの堀跡もあるようですし。

さらに訪れなければならない、私にとってのマグネットがもう一つ。
それは藤倉電線(現在の社名はフジクラ)です。
藤倉電線とは、新宿の文化服装学院がある場所にあった電線製作の会社です。
そこはちょうど玉川上水から代々木川に落とす水で回す水車があり、
1900年前後にそれを動力に使うためにここに工場をつくった会社。
私の記事でも何度か取り上げさせていただき、以来一方的に親近感を抱いているのです。
その藤倉電線は1920(大正9)年に前掲地図の右端、平久橋の向こう側に用地を買収し、
以来本拠地としているのでした。
因みに前出の「江東ふるさと文庫④ 古老が語る江東区の町並みと人々の暮らし(上)」によると、
このエリアでは漁に出る人、木場に働きに行く人、周辺の町工場に勤める人
などが多かったそうですが、
藤倉電線に勤める人が一番暮らし向きがよかったと書かれてありました。
まさにこの地のエリート、この地の民力の根幹!だったのではないでしょうか。
とはいえべつにフジクラ本社を見に行こうとは全然思わないのですが、
なにかもう「牡丹に呼ばれている」感ががぜん高まってきたではありませんか。

これらが、私が牡丹に行く理由。
ではいよいよ次回から牡丹周辺の川跡をご紹介していきますね。

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暗渠ハンター 中山道における小さな主張。

前回の記事、蓮根川を辿ったあとは、
お隣の出井川を新河岸川の河口から遡って帰ってきました。

より大きな地図で 出井川周辺 を表示

河口から続く緑道を通って中山道を渡ろうとしたその時、
目に飛び込んできたのが、これ。

Img_7737

ん!?

一見ガードレールみたいに見えるけど、
これは立派な橋跡です!
近寄ってみると、橋の銘までありました。
Img_7730

Img_7732

昭和40年9月に架けられた、「しんこぶくろばし」(新小袋橋)。

帰宅してから
「文化財シリーズ第81週 いたばしの地名」(板橋区教育委員会)
をめくってみると、この出井川最下流あたりの旧地名が「小袋」。

本文には以下のように書かれています。
「小字峡下の小区画の土地で、志村の台地下にあります。台地下に沿って、至る所から清水が湧き出て、この内のいくつかが低地に集まる湿地でした。この東隣にも志村屋敷と呼ばれる湿地があります」

なるほどここもじゅくじゅくの土地だったのですね。
だいたい「袋」という字が付いている時点でもうアレですよね。

地形も確認してみましょう。
google earthさん、東京地形地図さんいつもありがとうございます。

Photo

矢印の先が新小袋橋。
全体にこのあたりは低地です。
袋状の「くいこみ」地形はイマイチ確認しづらいですね。
(それにしても右下・志村の台地の屹立っぷりったらないですね)
もっとアップで。

Photo_2

うーんなるほど。っていうかあーこんな感じね、っていうか。
微妙な高低差は確かにたくさんありそうです。
まあ「小」袋だからこれでいいのか…。

新子袋橋に話は戻ります。
同じ形状の橋を、中山道の両側でみることができます。
Img_7736

ほんとに、この交通量の多い中山道の傍らに、よく残っていてくれたものです。
いったい中山道を走るドライバーのうちどれだけの人が気にかけるかな…。

少なくとも私には、
この小さな「川の主張」が確かに聴こえてきました。
神々しいほどに。
Img_7738

あーありがたや。

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暗渠ハンター 蓮根川③ 銀色の蓮根川。

蓮根川の3回目。
前回に引き続き地図を掲載しますので、全体像把握にお役立てください。

より大きな地図で 出井川周辺 を表示

赤パッケを過ぎて、かつて中台たんぼと呼ばれた肥沃なところにやってきました。

志村坂下小学校でいったん流路が消えますが、すぐに復活。
都営三田線の高架にぽっかりと川跡の空き地。
蓮根川に架かる都営三田線の高架の橋裏も楽しめます。
Img_7672

よく見ると「むつみ橋児童遊園」という名前が付いています。
むつみ橋。
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児童遊園とはいうものの、
柵で仕切られたコンクリ張りの「なんだかわからない」スペース。
Img_7674

ここで何か遊びをせよ、というのも
なんだか区内児童に向けられた創作能力プログラムの一環なのかも。

創作能力開発装置としての児童遊園は、
道路に分断されながらもつづいていきます。
川筋はおおきくカーブ。
Img_7676

カーブの終わりに、ちょっと変わったものが残っています。
Img_7680_2

目盛があって、そんでハンドルをジョイントするようなところがあって…。
Img_7681

水門?水位計?
何に使っていたのかわかりません…。
しかし今も使われているような風情ではないので、
やはり蓮根川が開渠だったころのものなのでは…。

之潮「川の地図辞典」(菅原健二 著)によれば蓮根川の暗渠化は1978~1883年。
それまで、昭和以降の急速な工業地化で地下水が工業用水として汲みあげられ、周辺は地盤沈下が起きていたそうです。
大雨で増水すると、合流先である新河岸川から水が逆流してきて洪水が起こっていたそうですが、汲み上げ規制と排水機所の建設によって洪水を克服してきた歴史がありました。
ここからは想像ですが、たぶんその洪水防止のための管理設備なんでしょうな。

その先は、固い土のうえに砂が捲かれた「なんでもない土地」として
暗渠が続いています。
だれからも放っておかれ、期待もされない場所。
なんだか砂が銀色に輝いて、水面のようにも見えます。
Img_7682

ほら。なんだか砂の表面の模様が波のようにも見えてきます。
Img_7683

こんな銀色の砂の水面地帯が結構続きます。
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遊具も全く見当たりません。
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まさに庵魚堂さんが言う「『遊び場』=土地が遊んでるところ」と同じ意味で、
じゅうぶんに遊び場。

暗渠の真ん中だけちょっと飛び出たコンクリで加工されたところも数か所。
この土地の使い勝手をさらに悪くするようにしてるとしか見えません 笑。
Img_7691

さらにその先も砂でできた銀色の水面が続きますが、
Img_7694

たまに現れるコンクリ加工地帯にはちょっとした違和感が…。
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その後芝浦工業大学高校の敷地に入り、敷地内で直角にまがって出てきます。

Img_7697

(出てくる下流から芝浦大高を振り返ったところ。まさかこの敷地を通ってるとは…)

その後も銀色の川は続きます。
Img_7698_2

しかし銀の水面も高島通りまで。
これを越えると、若干活用方針が変わりますね。
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遊具が出現するようになり、新宿の和泉川暗渠上にいるのとたぶん同じ豚さんが…。
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中山道にぶつかるところにあったのがこの表示。
はんのき児童遊園。
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遊園名から「橋」が取れましたね。
しかしそれよりも表示板手前のドボク系資材または
下水関連施設の一部のようなものが気になります…。

中山道を越えるとあとはほどなく新河岸川へと合流するのですが、
その短い区間はわざわざ「蓮根川緑道」と名付けられて整備されています。
…こうなるともう面白くないんだよなあ…。
Img_7707

その先、大きな水門にぶつかったところが合流地点。
Img_7709

その向こうには新河岸川です。
Img_7717

それでですね、このさいごの蓮根川緑道の左岸には、とっても大きな「地図ではなんんも表示もなく、フェンスに囲まれたでかい土地」があるんですよ。

蓮根川が突き当たった水門から、川沿いに左に曲がる道があり、
歩行者と自転車のためだけの橋がかけられています。
その入口にはこんな表示が。
Img_7708

ここは東京都下水道局が持っている土地で、その一部を板橋区が一時借用いてるんだよ、とのこと。
うーん、これは惹かれる…。
この道を進んでみなければなりません。架けられた橋に向かって上り坂になっていますし、これを上る途中で下水道局がもっているという謎の空白スペースを確かめねば!
はたして坂の上からは見渡し放題。
Img_7710
しかし、単なる荒地でした。

ひとつだけ見えたこの構造物が気になります。
Img_7711 11
何なんだろう…この方墳みたいな、スーパーゼビウスみたいなこれ…。
もしかしたら将来的に水再生センターを作るつもりなのかもしれないですね。

結局わからないままでしたが、ここで蓮根川はおしまい。

最後に3回にわたった蓮根川の流路をANGLEで振り返ってみます。
Angle

やっぱ見どころあるいは蓮根川ならではのユニークセリングポイントは、
一番上の上流部の谷の入り組みようと、
今回取り上げたまんなか下のあたりの銀色の砂の川、
あたりですかねえ。

ちなみに今回のシリーズでは、直接引用はしませんでしたがこんな資料にもお世話になりました。
「みずみどり」いたばし水と緑の会事務局
まことにありがとうございました。感謝申し上げます。

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暗渠ハンター 蓮根川② じゅくじゅく下る蓮根川。

前回スタートした蓮根川のお話、今日はその続きです。
記事のご参考に、もう一度地図を掲載しときましょうね。

より大きな地図で 出井川周辺 を表示

一番遠い水源はきっと若木2‐27あたり。
時層地図を頼りに、描かれた本流の延長線上を遡りましたが、
もしかしたらもっと先(急な上り坂)にも流れがあったのかも知れません。
猫またぎさんはもうちょっと上のほうまで確認されたようです。

ちょっと横を見てみると、住宅の間にこんな水路跡が横から合わさります。
Img_7586

このへんから川下を見ると、こう。
よし、こっから下っていきます。
Img_7589

ちなみに上写真の真ん中にあるタワーみたいなのは、
「歩道橋を渡る自転車のためのエレベーター」です。
蓮根川はそのエレベーターの右側をするっと通っていた模様。
その先にはこんな暗渠道も出現します。
Img_7592

とはいえ、歩道橋の足元周辺もいくつか怪しいところがあります。
Img_7591

この下流にも暗渠路地的なものがあり、
流路のまわりにはいくつもじゅくじゅくな場所があったのかも知れません。

その後環八わきからちょっとだけ東に川筋は移動し、
上谷津方面にカーブ。
そっからこの赤い暗渠道が始まります。ちょっと高くなっている旧若葉小の下あたり。
Img_7621

ただしこの赤道暗渠の西側もちょっとした暗渠路地的エリア。
Img_7613

前回リンクを張らせていただいた谷戸ラブさんが取り上げている蓋暗渠はこのへんなのかなー。
舗装が新しいし…。

さて赤道暗渠が終わるころ、今度は環八の反対側に流路が移動します。
環八西側は、草の繁った空き地になっているのですが、流れはここに入っていくようです。
Img_7641

なんと!
その草の繁った空き地の中に水面が見えました。
Img_7643

空き地のはらっぱに見えましたが、ここは一面の湿地のようです。
前回地形図で触れた「山崎または後田」がこのあたり。
ここも未だに一大じゅくじゅく地帯になっているわけだ!いや、わけです。

その湿地の中にも、下流へと向かうひとすじの流路がありました。
開渠になってる、ってことでいいのかな…。
(2013.3.13追記。いやいや、いくないです。
ここは乾いているときもあり、むしろ水が見られたのがラッキーではないかと
猫またぎさんからコメントいただきました。
下水道台帳を確認してもここは暗渠上でもないので、
単なる湿地でしょう。昔は川の一部だったかもしれませんが。
それにしても今時23区内に「単なる湿地」が残っていることが奇跡的ですね。)
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湿地の下流側は駐車場。おそらく湿地から駐車場にはここを抜けてやってくるのでしょう。(下流から上流を眺む。奥がさっきの湿地ね)
Img_7649

このすぐ下流で、環八から左に外れて細い暗渠道となります。
Img_7650

なかなかのウラブレ感。
Img_7651

そして赤バッケの下に出てきます。若木三丁目交差点あたり。
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ここは環八の陸橋と首都高5号池袋線の高架がダブルで架かる場所…。
橋裏ファンの皆様お待たせしました。これが蓮根川から見上げるダブル橋裏!
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ここを越えるとまた暗渠道が始まります。
Img_7659

この階段を降りて振り返ったところがまたあんまりいい眺めなんで、
ちょっとしつこいですがもう一枚。
蓮根川に架かる首都高速の橋裏を眺む。
Img_7663 

おお、横にはnamaさんが唱えていた暗渠サインの一つ、
ゴルフ練習場があるではありませんか。
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この後、道の左側から右側に流路は移動。
緑道っぽく整備されていますが、護岸で一段高くなっていて
川であることを隠しきれないよ、キミ。
Img_7664

そのうち段差は消え、本気で緑道化。
Img_7666

緑道というか、板橋区はこれを「遊園」と呼んでいますね。
「相盛橋児童遊園」。

Img_7670

粋なことにかつての橋の名前を冠してくれています。
(この先も、むつみ橋遊園、なんてのもあります)

流路は志村坂下小学校の敷地で一旦消えるのですが、
長くなったので(というより私の時間がなくなったので)、
次回とさせていただきます!

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暗渠ハンター 蓮根川① 蓮根川の湧くところ。

蓮根川に行ってレンコンが食いたい。
とこのまえ相方に言われて、しまった食べておけばよかったと思っても後の祭りだったのです。
もう2カ月ほど前になりますが、蓮根(はすね)川に行ってきました。

まずは地図から。オレンジ色のラインが蓮根川です。

より大きな地図で 出井川周辺 を表示

板橋区の若木あたりから始まって、
相生町、坂下、蓮根あたりを通っていきます。
川の名前に冠される「蓮根」の町ですが、決してレンコンが由来ではなく
大字の上蓮沼と根葉(ねっぱ)が明治33年に合併して
「蓮根(はすね)」となったそうです。
…根葉、というベジタボーな字名も気になりますね…。

暗渠を見ていく前に、もう少し地理をご紹介しておきます。
まずはこちらが地形図。
Google earthさん&東京地形地図さん、毎回引用させていただきます。
どうもありがとうございます。

Photo

図の下の方の東武線の台地から北(新河岸川方面)に向かって
がっばがばと谷がありますが、
その一つがこの蓮根川(赤い矢印)となります。
これだけでもうエキサイティング。

こんどは一部昔の名前入りでどうぞ。
以下は「いたばしの地名」(板橋区地名調査団・板橋区教育委員会)を参考にさせていただきました。

Photo_2

川の起点は明確に一つではないようです。
起点付近は非常に入り組んだ急峻な谷が複数ありまして、
どこから水が湧いてもおかしくないような状況です。

さらに少し下流に「ひなた山」と呼ばれる台地がありますが、
この裾にはいくつもの湧水があったといいます。

またひなた山との間にある「上谷津」というところ(元若葉小あたり)、
ここには湿地が広がっていて沼もあったといいますから、
おそらくこの上谷津の谷頭からも水が湧いていたのではないでしょうか。

下流の低地は「中台たんぼ」と呼ばれていたところ。
深く狭い谷を抜けて、蓮根川が流れ込む広々とした低地ですね。
もちろん蓮根川の水も流れ込んでくるのですが、
深い湿地帯でここ自体でも水が湧いていたようです。

今たどった谷を振り返って見て、谷の入口西側にあるのが「赤バッケ」。
名前の通り、崖(ハケ、パッケ)下に関東ローム層が露出していたんですと。

先ほどの上谷津あたりからこの谷の出口あたりまでの
細長い低地にも田んぼが並んでいて、
このあたりは「山崎」または「後田」と呼ばれていました。

ちなみに以上各所では、
たくさんの湧水を集めて勢いよく谷を下って流れる蓮根川のことを
「ドンドン川」と呼んでいたそうです。

さてそれではいざ現地に!
起点付近、若木の谷を歩いてみます。
いやー急峻な崖にたくさんの路地や坂道があって、とても面白いです。
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Img_7544

現地では、
こりゃ暗渠仲間の猫またぎさんが来たらきっと喜ぶだろうなと思ってたんですが、
さすがもうすでに来ていて記事にされていました。
そればかりか谷戸ラブさんも。名所なんですね…。

ここまでの前置きが長くなってしまったので、
水源から川を辿るのは次回にして、
今回はこの水源付近の谷の景観をご紹介することに専念しようと思います。

崖下と崖上は何本かの道(坂と階段)が通じていますが、
殆どが細い路地のようなところ。
こんなふうです。左側の手すりの向こうは当然のように崖です。
排水パイプ、存在感ありすぎですね。
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おおー、ここはなんとも心もとない階段で崖下路地に接続していますね。
Img_7548

ところどころこんなふうに小さな公園も点在しています。
まあ公園というにはあまりにタイニイ(べつに「谷」に掛けているシャレではなく)なスペースなんですがね。
まるで坂の途中の休憩所、みたいな。
Img_7551

実はこのエリアにはもともと崖にびっしり家が建っていたのですが、
これは防災対策上よくないんじゃないの、と行政が移転を促進し、
その跡地を公園にしたためこのような状況になっているのだそうです。

ずいぶん登ってきました。いい眺めです。
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こういう家の土台にははっとしますね。
暗渠に見られる護岸によく似ています。
Img_7554

なかなかドボク的にも見どころが多いんじゃないでしょうか。
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法面工法のうちのひとつ(たぶん)。
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赤い壁や赤い塀には、なんだか反応してしまうんですよねー…。
Img_7572

細かな敷地をカスケード状に結ぶ公園。
エリア内ではここが一番「大きい」んではないでしょうか。
Img_7576

さて、そんでは次回はいよいよ本題である蓮根川へ!

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