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2013年2月

暗渠ハンター 大田区楓谷・こんどは断崖絶壁暗渠

■池尻堀西・馬込支流「3」

前回からの続きです。
今回の記事も、趣としてはこんな感じの「暗渠の愉しみバランスシート」となります。

Photo_3

まずは前回の地形図を再掲します。
(GoogleEarthさん東京地形地図さんありがとうございます)

Photo_2

今回は上地図の「3」という矢印のところ。
前回のするすみ支流群とは谷を異にするところですね。

「2」の場所から「3」へと移動する途中、
尾根道のT字路に井戸(サンタイガー式)がありました。なんか岬に立つ防人みたいな風情で。
Img_0140

このあたりから、これから下る谷を一望できます。
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うっわーすっげえ高低差!とついつい「ですます調」が乱れてしまいます。

さてここ。南馬込3-17に突如金網が見えてきました。
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覗き込んでみると…。
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おわっ。
この先は崖になっていて、その崖を下る一筋の暗渠があるのです。
望遠で奥の方を見てみましょう。
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大谷石で築かれた家の土台の高さを見ても、この谷の深さがわかるかと思います。
ただ、行く先がよくわかりません…。

この写真を撮った足元には、土管も見えています。
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下流をなんとか確認するため、一つ先のブロックに回り込んでみましょう。
ブロックを囲む道は、こんな急階段になっていました。
Img_0148

そりゃそうだよなあ、あんな崖だったんだもんなあ…。

そして。
この階段を下りたところがまさに暗渠の出口だったのです。
Img_0151

右側に見えるお宅と階段とのスキマが暗渠。
半分プライベートな空間っぽかったので、
ちょっと覗き込んで写真を撮るのは自粛いたします。

ここからは、馬込二小の敷地の横を通って下っていく様子。
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うん。道もちょっとヘンな造り。
Img_0154

この先すぐには池尻堀西が流れています。
おそらくそこに合流していたものと思います。
地理的にも時間的にも断片的にこの楓谷を巡ってきましたが、
ようやここへきて全体像を掴みかけたような気がしました。

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暗渠ハンター 大田区楓谷・崖を下る暗渠

前回の「暗渠の愉しみバランスシート」からいうと、今回の記事はこんな内容です。

Photo

では本文、行ってみます

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南馬込に行きました。そう、例の谷あたりに。
街角ねこさん写真家(でいいんでしょうかw)のろっちさんが、
「楓谷」と名付けたところ

猫またぎさんをして「V字谷の聖地」と呼ばしめた馬込の地形ですが、
楓谷はこの猫またぎさんが取り上げたエリアのもうちょっと南の方に位置します。

私もこの近辺は何度か断片的に記事にしました。
環七を両脇から囲む池尻掘りの西
そして池尻堀東の奥から来る大仏支流(仮)。
さらに池尻堀西の奥の奥から来る池尻掘り南馬込1丁目支流(仮)。
その手前のするすみ支流群(仮)。
そんなに家から近いわけじゃないのに、我ながらよく通ったものです。
会社で「住まいは馬込なんです」というひとがなぜか結構いるんですが、もうその一人一人に、「で、何丁目何番地?谷の底のほう?そばに坂はない?」と問い詰めたくなることが多いのですが、ずっと我慢してます。

で、今回はその楓谷エリアで、たぶんあまり知られていない(と思います;;;)暗渠を見てきたので、2回にわけてご報告します。

まずは全体の地形図をどうぞ。(GoogleEarthさん東京地形地図さんありがとうございます)

Photo

■序章代わりの「1」
では地形図の「1」とした矢印。これは、さきにご紹介した「楓谷」の命名者ろっちさんにすでにご紹介されてますので、軽く。
バスが行き来する南馬込1-60-5の尾根道からぽっかりとした暗渠が見えます。
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ここからこの流れに階段で降りていきます。振り返るとこんな景色。
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すでに秘境感満載ですね…。この先はこんなふうに続きます。
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いったん道に出てガードレールに阻まれた後も…。
Img_0094

やはり階段で下ります。この谷のきつい高低差を物語りますね。
Img_0097

その先はいったん右に曲がって、左に曲がり、するすみ支流群(仮)の中心となる支流となって流れていくようです。

■するすみ支流群・南馬込2丁目崖支流(仮) 「2」
次は、今回新たに見つけたするすみ支流(仮)の副支流のひとつ。
それが地形図の矢印「2」。
南馬込2-23から唐突に始まる支流です。
ここ。
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車の間をすり抜けて進んでみましょう。
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進むと、崖です。というか階段です。ものすごい落差を走る暗渠です。
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これは、夏だと入れなかっただろうな…。
なんとか無事に降りていくと、側溝蓋が現れます。
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この大きな草を乗り越えて進むと、なんだか秘密の花園的な暗渠風景が現れます。
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素晴らしい…。
継ぎ目も芸術的なパイプがいくつか続きます。
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その後はやや平穏な風景になり、
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もうすぐ出口。ここで一回振り返っておきましょう。
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出口が鉄板暗渠が二枚。
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いやー、なんとかマウンテン級の崖を下ってきた気がします。
出口の住所は、南馬込2-23。

このあとはこんな舗道に擬態して続くようです。
右に左に回り込んで、これまたするすみ支流の中心の流れに合流。
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あたりまえですが、「つながった感」が爽快です。
次回は、もうひとつ南の谷の暗渠を。

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暗渠ハンター ヘリクツ編 「暗渠の愉しみ」3原則。

ちょっと今回は思い立って理論編(というかヘリクツ編ですw)を。
文体もいつもと変えてお送りします。
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「暗渠」っていったい何が楽しいの?というご質問を時折いただくことがある。
愉しみ方は人それぞれだし、萌えポイントなども微妙に細分化されているのだと思うが、概していうと3つにに集約できるのではないかと思う。

それを、暗渠者をして暗渠界を成立せしむる『暗渠3大愉楽』と呼んで以下のように整理してみた。

3_2 

少々説明を加えよう。

1 【隠れていたネットワークが見えてくる愉しさ】
特に東京は谷が多い。谷があれば大抵水が流れている(いた)。これを辿ると、普段見慣れた地図上でののつながり(たいては鉄道や道路等の「交通網」)以外の「水路網」が浮き上がってくる。
さらに江戸時代から開削されてきた「用水・上水」があるが、こちらは遠くへ遠くへと水を運ばねばならぬため台地上の尾根を通している。
「尾根を通る用水」と、尾根を谷頭にして始まり谷を流れていく「自然河川」とを重ねてみると、地形と表裏一体となって、動脈と静脈の関係のように東京じゅうに張り巡らされている「大・水路網」の一大パノラマが見えてくる。
これを現地調査を踏まえながら一つひとつ頭の中で繋げていく作業が、まるでパズルを説くように愉しいのだ。

2 【隠れていた歴史が見えてくる愉しさ】
「愉しみ1」が3次元的な要素だとすればこちらは4次元的。
川がなくなってしまった(暗渠化されてしまった)経緯を調べていくと、その土地固有の歴史にぶち当たる。さらにそれは大きな東京史・日本近代史という大きなトレンドに左右されていることがわかってくる。今立っている土地の履歴が明らかになる過程で、地図を見るだけでは感じられなかった愛着もわいてこよう。それが自分に縁のある土地ならなおさらだ。
これまた時間のパズルを解いていくような愉しみがある。

3【見過ごしていた「かけら」がみえてくる愉しさ】
現地に行ってみると、たいてい橋の遺構や護岸、車止め、銭湯等々数々の「暗渠サイン」と出会うことができる。普段見過ごしていたオブジェクトが、「愉しみ1」「愉しみ2」と照合することで大きな意味を帯びてくる。
その失われた川が残した「かけら」を見つけることにも、愉しみがある。

当然、この3つのバランスは一人ひとり、あるいはその時その時で違っているであろうが、それぞれこの3点が作る平面上にプロットできるのではと思っている。
例えばこんな感じに。

Photo

ちなみに私は、
元々暗渠の佇まいにどこか共感を覚え、
その後暗渠を巡るたびに目に入ってくる暗渠サインが気になって、
その後で目前に広がってきた水路のネットワークに萌え、
気が向けばその経緯や歴史を調べたりする、
という暗渠性向なので、
こんなグラデーションの状態なのかも知れない。

Photo_2

みなさんは、どう?



★2014.9.27追記

今回の内容は、若干アップデートした上で次のサイトに寄稿いたしました。

どうぞご参照ください。

MIZBERING 「水のない水辺から」

マトグロッソ「スリバチに誘われて」エピソード23 これぞディープ東京、暗渠散歩のススメ

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暗渠ハンター 横浜、野毛山あたり。その2

前回は野毛山とその中腹に唐突に姿を現す暗渠をご紹介しました。
今回は、野毛山の北西方面に延びる暗渠のことを。

桜木町から16号線をちょっと北に歩くと紅葉坂という交差点があります。
そこから左に見える高台、紅葉ヶ丘に通じているのが紅葉坂。
高級マンションや結婚式場が並ぶハイソエリア(←個人の感想)を通過して登っていくと、坂のてっぺんで大小の道と交差する六叉路にぶつかります。
その六叉路を紅葉坂からまっすぐに越えて細めの道に入っていく下りの道。
そこに不意に暗渠道が現れるのでした。
Img_7026
写真は下流方向。
上流に暗渠は確認できません。よし、これを下ってみよう。
この辺の地形はこんな感じです。
(横浜時層地図より転記・加工)

Photo

鹿の角のように入り組んでいる谷。
たくさんの流れがあったのかも知れません。
あとから大局的に考えると、前回見つけた暗渠と繋がってる可能性大、ですね。
さきほど紅葉ヶ丘のてっぺんを交差していた大きな通りを越えて、
戸部駅のあたりで帷子川の亜流である石崎川、もしくは現在の京浜東北線下を流れていたサクラ川へと向かう(たぶんこっち)支流のようでした。
いずれにしても戸部駅の周辺を流れていたようなので、
ここでは仮に「戸部川」と呼ぶことにしましょう。
戸部川(仮)は住宅街の谷底を縫うように流れていったようです。
流域には、アジアンタムみたいなシダ系植物を湛えた石垣の横を抜けていきます。
Img_7033

沿岸の家も、東京の暗渠沿いで見るような、
ちょっと入口をひと嵩上げるような作り。
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ここから先は、痕跡も見つけられず
もう想像というより妄想かも知れません。
低いほう、そして暗渠のにおいのするほうを辿っていきます。
ここは右ですね、たぶん。
Img_7039

やがて妙照寺というお寺の高台の下をすりぬけます。
そこで妙照寺脇から入ってくるもう一つの支流をあわせている模様。ちょっと安心しました。
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このあたりでタイムアップ。
確証はまだ見つけられていませんが、
先の地形図の、
鹿の角のようなたくさんの支流を集めて大きな谷底を走った川があるならば、
たぶんここだと思います。

この2回は、どちらかというと確証もない独りよがりな記事になってしまいました。
でもなんか、あえてそんな記事を覚書のように書きたくなることもあり…。
東京の川のこともまだまだよくわかっていませんが、
いつか神奈川まで足を広げたときに、
ああ駆け出しのころこあんな妄想もしたよなあ、なんて思えればいいかなと
拙い思いを公開することにします。
え?いつもそうだろって? www

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暗渠ハンター 横浜、野毛山あたり。その1

江戸や東京のことは
都度都度可能な範囲で調べるようにはしているので
ほんのすこしだけ知っていることがありますが、
横浜についてはほとんど知りません。
そんな浅はかさをものともせず(東京のことだってかなり浅はかだしw)、
断片的にですが横浜のことを短く2回に分けて書こうと思います。
地形・地質・歴史・風俗と深く調べた作品ももちろん交響曲のようで素晴らしい味わいがありますが、
浅はかに頼りなく奏でる素人ギター一本でも、
それなりに楽しいことだって見つけることができるのではないか…。
まあせめてお見苦しくない範囲で奏で続けてみようかなと。

なんて廻りくどくて都合のいい理屈はともかく、
その1回目は、野毛山のてっぺんの水道施設とその中腹の暗渠のことなど。

より大きな地図で 野毛 を表示

横浜は桜木町の南西、最寄りの駅は日ノ出町になるんでしょうか。
横浜の市街地を一望する市民憩いの地(推測)である小さな山が野毛山です。
Img_7075
そのてっぺんにあるのが「野毛山公園」。
そこには、「野毛山配水池」という水道施設があります。

Img_7070

江戸末期の開国・明治からの近代化に伴って人口が増加した横浜は、
ずいぶん上水には苦労してきたようです。
埋め立て地も多かったし、井戸から出てくる水は飲めたものでもなかったでしょう。
おいしい水の確保は市を挙げての大問題だったはずで、
何度かその実現に向けたトライアルを行っています。

1 明治元年、多摩川の水を引こうとしたけどうまくいかなかった。

2 明治6年、民間水道会社によって多摩川から木樋で市内に給水。しかし経営難に陥り県に事業引き渡し。木樋がもろかったようで、県は補修に大わらわ。

3 明治20年、英国人技師パーマーの指揮で、日本初の鉄管水道、横浜水道完成。津久井湖か引いた水をこの野毛山で浄水し、市内中心部に水がいきわたる。

こんなかんじで、ずいぶん苦労したようです。
さらにこのあと野毛山に作った浄水場は大正12年の関東大震災の被害にあって壊滅。
大正15年にこの山に配水池として水道施設を再建し、今にいたるとのこと。
(これら横浜の水道の歴史は、こちらのwebを参考にさせていただきました。感謝いたします)

いま、配水池施設は山のてっぺんでみることができます。このぽこんとしたやつ。
(配水池自体は地下にあるそうです)
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現在もここから、西区全体&中区・南区の一部に水を送っているとのこと。
東京でいえばかつての新宿・淀橋的な位置付けなんでしょうね。

野毛山を北西に下っていくと、美しいV字谷が現れます。

Img_7069 

その下りの中腹にこんな暗渠が直交していました。

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反対側はこう。
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奥を覗きこみましたが住宅のスキマに埋もれるように続いて見えなくなってしまいます。
Img_7066

野毛山も小さいとはいえ山は山。
中腹やふもとにはそれなりに水も湧いたことでしょう。
そんな水を集めて流れる小川だったのかも知れません。
もちろんそうでなく、単なる宅地化に伴う排水路だったのかも、知れません。

次回はこの続き、
ちょっと北に移動して紅葉ヶ丘の裏側あたりから始まる暗渠道のお話を。

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