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2012年12月

暗渠ハンター<脱構築版> Far east man。

【前口上】
かつて取り上げた場所(や、書こうと思って放っておいたと場所)も、語り口やスタイル次第でリサイクルできるのでは? と思ったわけでもないですが、他所で「暗渠なんて殆ど興味ない人たちに向けて暗渠や川跡のことを書いてみたらどんな反応が来るか」という実験のために書いた文章を、暗渠ハンターの年末年始特別企画として、不連続で載せていくことにします。

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「Far east man」という曲を初めて聞いたのは1981年、その春リリースの大村憲司のソロアルバム「春がいっぱい」で。
ゆったりしたテンポにのっかって気怠い響きのコードが繰り出される渋い歌だ。
YMOのサポートメンバーとしての大村さんに興味があって買ったアルバムだったので、はじめは他の曲に埋もれて気にも留めなかった。けれどアルバムを聴きこむほどにじんわりと好きになる、そんなタイプの曲がこれだった。以来ずっと私の中でのフェイバリット・ミュージックの一つだ。

この原曲が、ジョージ・ハリスン(元ビートルズだった人)とロン・ウッド(ローリングストーンズに途中から入った人)の共作によるものだと知ったのはその数年後。
その原曲は1974年、二人のそれぞれのソロアルバムにおいて異なるバージョンで発表されている。
ジョージは「DARK HORSE」、ロンは「I'VE GOT MY OWN ALBUM TO DO」。
これらのアレンジや音色の違いなど聴き比べるとより一層深い趣を感じることができる。
私的には、ジョージ版は、
どこか「哀しみややるせなさがしぼり出てくるような感じ」がするし、ロン版は
なにか「心を開け放った後に微かに残っているやるせなさが見えてくる感じ」がして、
同じ心の機微を歌うんだけどそれに対するアプローチのベクトルが対照的に思える。

【聴き比べはこちらで】
大村憲司版 
ジョージ版 
ロン版 

一説には、スタジオで「Far east man」と書かれているTシャツをロンが着ているのをジョージが見て、そのコトバを素材にその場のノリで曲を作ったとも言われている。
それにしても「Far east man」って何なんだろう。
「極東の男」・・・。

とはいえ歌詞をざっと眺める限り、この曲に歌われている男の居場所が「極東」である必要はなさそうにも思えてくる。
そもそも「Far east」とは、日本だけではなくサハリン、韓国・中国あたりまでを大雑把に指す言葉であろうが、いったい二人はこの「極東」に何を込めて歌い上げているのだろうか。

さて、取っ掛かりになり易そうなのであえて日本の1974年前後の時代をまずは振り返ってみる。
1973年は、円=ドルがようやく固定相場から自由相場に移った頃。
日本の海外渡航者は2011年で約1700万人(法務省入国管理局「日本人出国者数」より)となっているが、
1973年に遡ればこの年はわずか230万人。
しかしこの230万という数字は前年比で164%と爆発的な伸びを示した結果であり、まさに当時は日本の本格的な「海外進出」黎明期であったといえる。
これを海外からの視点で言えば、1972年までは海外で見かけることができる日本人は今と比べ大変に少なく、日本人や日本文化などほとんどベールに隠れていた(あるいは興味の対象にもなり得なかった)時期だったといえよう。
(ちなみにYMOが「欧米に蔓延した、誤解された東洋」のイメージを逆手にとって海外進出を果たしたのは、この5年後の1979年のことである)

まあ多少乱暴だが日本でそうなんだから周辺の「極東」も大差はないであろう。
そんな時代にイギリス人の二人が歌い上げる「極東の男」とは、
世界の端っこにいて殆ど何の接点もないけど、でも確実に同じ地球の上で今も暮らしている、そして心のどこかできっと(潜在的に)繋がっている「見ず知らずの知合い」(矛盾してるけど)
といった程度の意味だったのかも知れない。
「彼方に棲む、まだ見ぬ友」の暗喩。
ジョージはすでにインドやパキスタンを通して「東洋の思想」に十分触れていたであろうから、「極東」という言葉にはやはりそこはかとない連帯感が込められているとも推測することができる。

前置きが長くなってしまったが、その上で本日ご紹介する水路はこの一枚。
私にとっての「Far east」riverのひとつ。

実際には「east」でもなんでもなくって、
その上「まだ見ぬ」わけではなくて既に見ているのだが、
今は私にとって「はるか彼方」になってしまった「心の極東」にある水路だ。

Imgp7662

よう、相変わらず元気で水を湛えているかい? またいつか会おう。

元記事はこちら

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もしかしたら、今回が2012年最後の更新になるかもしれません。
「彼方に、あるいは足元に棲む、まだ見ぬ川」たち、来年もよろしくお願いいたします。
そして、ご愛読者いただいているみなさま。いつもありがとうございます。
よいお年をお迎えください。

…おかげさまで暗渠本も売れ行きが好調のようです…
出版社の方のお話では、三省堂神保町本店では発売以来ノンフィクション部門でずっと10位前後をキープしているとのこと。渋いw
こちらも、改めて感謝申し上げます。

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暗渠ハンター<脱構築版> 内と外を隔てる青い道

【前口上】
かつて取り上げた場所(や、書こうと思って放っておいたと場所)も、語り口やスタイル次第でリサイクルできるのでは? と思ったわけでもないですが、他所で「暗渠なんて殆ど興味ない人たちに向けて暗渠や川跡のことを書いてみたらどんな反応が来るか」という実験のために書いた文章を、暗渠ハンターの年末年始特別企画として、不連続で載せていくことにします。

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 内があれば、外もある。そう、横浜の話だ。
関内と関外は、新吉田川という川によって隔てられていた。

その川は昭和48年に埋め立てられ現在は横浜市営地下鉄となり、水に替わって電車が行き交っている。
またその名残は地上からも、阪東橋という駅名や横浜橋という商店街に観ることができる。
 写真は、新吉田川の敷地を利用して造成された大通り公園と、さらにその上の空間を利用して作られた首都高神奈川3号狩場線の阪東橋出口に通じる高架。

Img_7091

 もともと横浜は川と運河の街だ。さらに遡れば現在の低地の多くは海。これを新田として埋め立て残ったところが川となり、港が栄えてからは物流円滑化のために運河を掘って船を通した。

 横浜市営地下鉄は2本あり、それらはブルーライン、グリーンラインと愛称がつけられている。
ここを通るほうは、ブルーライン。
かつての水路をイメージしてブルーと名付けられた、かどうかは定かではない。

元記事は、…これからw

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暗渠ハンター<脱構築版> 見えない蓋の掛かる水路

【前口上】
かつて取り上げた場所(や、書こうと思って放っておいたと場所)も、語り口やスタイル次第でリサイクルできるのでは? と思ったわけでもないですが、他所で「暗渠なんて殆ど興味ない人たちに向けて暗渠や川跡のことを書いてみたらどんな反応が来るか」という実験のために書いた文章を、暗渠ハンターの年末年始特別企画として、不連続で載せていくことにします。

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 つらい思い出ばかりの街だから、これまで近寄るのを避けてきたけれど、暗渠となれば話は別だ。
 谷戸川は環八・成城警察署付近を水源として、千歳船橋・祖師ヶ谷大蔵両駅の間を南下し、世田谷通りを越えて砧公園の中を堂々と通り抜け、世田谷区岡本の岡本静嘉堂緑地で丸子川と合流する川。周辺から流れ込む何本かの支流では、多彩な暗渠が楽しめる。
 いっぽう谷戸川本流は、世田谷区の真ん中を通り抜ける小河川だというのに全長の2/3程度が開渠となっている(写真)。しかし住宅の裏をひっそりと流れていく谷戸川の佇まいは、まるで見えない蓋が掛けられているような物哀しさがある。

Photo

 昔私が住んでいた場所はこの川のすぐそば、円谷プロの旧本社あたり。住んでいた頃はこの川の存在すら気に掛けることはなかった。その頃この川を知っていたら、ふらっと川面を見に来ていたかもしれない。その時の自分は、この川面を見て何を感じたことだろうか。

 谷戸川を砧公園に入るまで追った後、昔住んでいたマンションはどうなっているかなと小さな好奇心が沸いてはきたものの、敢えて寄らずに帰路につく。

元記事はこちら

『地形を楽しむ東京「暗渠」散歩』、好評発売中。

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暗渠ハンター 「暗渠本」アウトテイクその4 エンガ堀のまわりで

『地形を楽しむ東京「暗渠」散歩』本田創編・著 洋泉社
発売記念プロモーションの第4弾として、担当させていただいた川で字数の都合上書けなかったところを今回も取り上げます。

1 「減」の支流のその先
「エンガ堀」の項目では、「減」の支流の水源地点として
環7「武蔵野病院前」交差点のちょい南、
某焼肉チェーン店(安楽亭です)付近の窪みであろうと書きました。
何度か通ってみて、
まあ地形図で見ても現地で高低差を確認しても、おそらくここよりは遡れないだろうなと思ったからです。
さらに手元の古い地図をいくつか見ても、この窪みまで水流が描かれていたものが一つだけ見つかりました。ここ以上遡れる地図は手元にはありません。

ところが。
ある日環7を走るバスに乗っていて、環7からこんな道が続いているのを見つけてしまいました。
環7の反対側から見たところ。
Img_3081

あやしいですよねえ…。
水源と思しき窪みから、
ちょっとだけ南下したところに南から(つまり江古田駅方面から)入ってくるかんじ。
地形図を確認すると、うっすらとした谷が続いています。
Photo

GoogleEarthさん東京地形地図さん、いつもありがとうございます。

そんな「含み」を込めて、186ページの「②」という写真のキャプションを書きました。

とはいうものの、暗渠なのかどうかはかなり「微妙」です…。
現地のこの奥に入ってみると、いわゆる暗渠路地っぽいのはさっきのブロックだけ。

Img_3084

周辺は昭和な住宅地ですし、この道はその住宅地をまっすぐに進んでいます。
もしかすると住宅地として区割りしたときに作った生活排水路だったのでは?その排水が、、安楽亭周辺の窪みに一旦集まって、ここでいう「減」の支流に合わさっていた、という可能性もあるでしょう。

というわけで、確定するには証拠が乏しかったので本書では「ほったらかし」にいたしましたw

実はこれに似たパターンは「除」の支流(品川電線を掠めて江古田駅の北側まで伸びる支流)の先っちょにもありました。
この支流のさきっちょは江古田駅前の錦華学園の東角で、
錦華学園の南側、自転車置き場の方からくる流れと、
錦華学園の北側、浅間神社裏からくる流れとの二つの水源が合わさって流れていきます。

その後者、浅間神社裏には
湧水による池があって、これが水源となっていたようですが、
実はこの池のさらに上流方向、西側に向かう道は地形図を見ると
やはりうっすら浅い谷が確認できます。
Photo_2

谷の途中には銭湯(浅間湯)もありますし、この谷が排水路となっていたことは確実でしょうね。
しかしこれも、「宅地化に伴って本来水源の上流に伸びていった後付けの排水路」と想定し、今回187ページの地図には記載しませんでした。

2 「乗」の支流に合わさる5つ目の支流?
上で少し触れてしまいましたが、
本書でエンガ堀の水路を記載した地図は、
181ページの「石神井川水系の全体図」と、
187ページの「その中のエンガ堀だけの図」
の2枚があります。
後者の「エンガ堀」単独版は私の手によるものですが、
前者は本書のリーダー本田さんによるもの。

細かく見比べると前者の地図には、
「乗」の支流と本書で呼んだ、
千川通りの練馬区旭丘1-4と豊島区南長崎6-10の間から始まる支流に、
途中西の能満寺方面から合流する短い支流の支流が描かれています。

私は本の見本版が手元に送られてくるまで他のページに載る内容は確認できなかったので、
見本版で初めてこの支流の支流を見てちょっと蒼くなりましたw

ここも、地形的には浅い谷。
Photo_3

一応原稿を書く段階でもここには行ってみたのですが、決定打が得られず
「これは無いな」と思ってスルーしていました。
でも本田さんが書いてるからなあ…w
「いやまてもしかしたら何か見過ごしているかも…」と
先日改めてここに行ってまいりましたーw

本文で「エンガ堀の一大名所」としてイチ推しだったこの副支流
千川上水の分流を受けた練馬区旭丘と豊島区南長崎の境から流れてくる支流が合わさるところに、この支流の支流かも知れない谷も合わさってきます。
その地点からこの谷の上流方向を眺めるとこんな風景。
Img_6791

では遡ってみましょう。
関係ないですが途中能満寺の入り口では紅葉が大変綺麗…。
Img_6793

入り口付近にはいくつかの石仏や石碑が置かれていたので、
何か手がかりになるものはないかと探してはみたものの見当たらず。
さらに先に進みます。
だんだんと、この道よりも左側に続く住宅地のほうが少し低い、
つまり道と谷底が一致していないような気もしてきました。

唯一もしや、と思える物件はこれ。
突然現れる歩道と車道を区分けるガード。
Img_6796

この歩道側に暗渠がある、と思えなくもありません。
その先、東電の変電所を掠め、谷を遡って右折すると旭丘小学校へ。(写真右)
Img_6802

確かにこの辺から谷が始まっているのが体感できます。

しかし、
やっぱり決定的な証拠が掴めず、
果たして流れはあったのかどうか、いまだわからずじまい、
という結論になるのでしたw

【2013.1.6補記】HONDAさんからのオラクルツイート。
Noumannji

ありました、能満寺前の道の南側に沿ってはしご式開渠が写っておりました!!
HONDAさん、教えてくださってどうもありがとうございました!
さすがだなあ…。
エンガ堀の地図は、増刷になったときに追記させていただきます;;;

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