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暗渠ハンター 「暗渠本」アウトテイクその3!エンガ堀電線工場のなぞ

おかげさまでいよいよ本日発売となりました、
『地形を楽しむ東京「暗渠」散歩』本田創編・著 洋泉社。

告知をリツイートしてくださるお仲間の皆様、
そしていつも当ブログをご覧いただいている皆様に、改めて感謝申し上げます。

発売記念プロモーションの第3弾として、今回も担当させていただいたパートの中で字数の都合上書けなかったところを取り上げます。

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「エンガ堀」のパートにおいて、
字数の関係上取り上げられなかったトピックのひとつに「電線問題」がありました。

本書で書いた「除」の支流(江古田駅北側から始まって小竹向原駅近くのゴルフ練習場あたりで他の支流と合流するやつ)の合流地点近辺にあったのが、この車止め。
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なんですかこのケバケバしさ…。
こんなんここで初めて見ましたし、他のどこででも出会ったことがありませんでした。

もしかしたら、役所による設置でなく私設の車止め…なのかも。
隣にあるデカイ敷地の横エリアだけこうなってるし、そもそもこの敷地は何…?

そう思ってまわりこんでこの敷地の主を確認すると。
品川電線株式会社
Img_2543

さっきの車止めが昔懐かしの「電線マン」に見えてきました♪
この電線っぽさ(←いつの間にかそう断定してる)は、やっぱり私設なんだと思いますw

…ん?ところで、電線…?。
そういえば、玉川用水が西新宿、文化服装学院のところで代々木川に分水していたところにもかつて電線会社がありました。
その名は、藤倉電線
コーポレートHPによると、もともと掛っていた水車を利用して電線づくりを1888(明治21)年に開始した、とあります。

しかし水車を使っての脱穀とかそういう農業系の業務はわかります。
農業でなくても、同じく玉川上水の余水吐のあたりの鉛筆工場とか、戦時中各所にあった火薬工場とか、えーとその「すり潰す&練る練る」系もなんとかわかる。(←ほんとにわかってるのか?)
でも電線ですからねえ…。
どうやったら水車と電線とが繋がるんだろう?とはかねてから思っていた疑問。

とググってみたら、「水車と電線」問題はあのTV番組でも取り上げられていました。
京都の津田電線という会社の社長さんが、「がっちりマンデー」に出演されていたんですね。日曜の朝もはよから「電線を延ばすとは」といったマニアックなお話を展開されています。

水車で産業!といえば「挽く・捏ねる」しか想像できませんでしたが、
水車で出る「熱」を使うんですね電線は!

代々木川の藤倉電線が水車のあった場所で事業を始めたわけはわかりましたが、
こちらの品川電線はどうなんでしょう?
いつごろからこの場所で工場を操業していたかはわかりませんが、
少なくとも「創業」は1937(昭和12)年とのことなので藤倉電線とはずいぶん時代が違っています。

果たして、藤倉電線同様この品川電線も、
「水車を使って(つまり川の流れを使って)電線を作っていた」会社なのでしょうか!?
以下、これについて考察(妄想)を進めてみましょう。

まず実際に水車がここにあったのかどうか?
東京時層地図を見てみると、昭和戦前期(昭和3~11年)の付近地図には品川電線のことも、水車のこともなんの記載もなく(そりゃそうです創業前ですから)、
Img_0077

戦後の高度成長期の地図にいきなり「品川電線工場」と現れます。
Img_0076

うーん、これでは
「品川電線はエンガ堀に架かる水車を利用してこの地で創業された」
かどうかはわかりませんね…。
地図に記号として描かれていないだけで、水車は存在したのかも知れません。

いっぽう、「近代日本の伸銅業: 水車から生まれた金属加工」(産業新聞社)
という本をざっと斜め読みすると、こんなことが書いてありました。
●明治時代から水車による伸銅産業は盛んに行われ、第一次大戦後電線の需要が飛躍的に伸びた。
●伸銅産業で水車を動力とする方式は明治後期、大正期がピークであった。
●大正から昭和にかけて、(地域的に例外はあれど)動力源は水車から電気へと変わっていった。

つまり、品川電線がこの地で創業した時期は、
すでに「水車動力から電気動力へ」と世の中(というか伸銅業界)が大きくシフトチェンジされた時期。
ですので、品川電線創業時にはおそらく動力は水車でなく電気であったと考える方がよさそうです。

これらのことから、品川電線の創業にあたっては
以下の二通りの仮説を立てることができます。

仮説1 
古い地図に水車の記述もないんだし、水車とは関係なく品川電線はたまたまこの地で創業した。

仮説2 
もともと小規模な・またはプライベートな、地図にも載らない水車がこの地にあった。そこで細々と水車を使って伸銅していたが、経営拡大のために昭和12年に思い切って品川電線を創業し、それを機に動力も電化された。

どうも真実をこれ以上追求するには、品川電線さんに取材するしかなさそうです。
もしこの真相究明が原稿執筆段階で解っていたなら
どこかで触れようと思っていたのですがそれも能わず…。
ばっさりカットとなったわけですw

まあ私的には、仮説2が当たってくれてると嬉しいのですが(笑)…。
なにかわかったら、また当ブログにてレポートいたします!

以上、エンガ堀の「電線問題」のお話でした。

より大きな地図で エンガ堀 を表示

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コメント

発売おめでとうございます。読むの楽しみです!

で、この電線問題。
ぬぉー。熱ですか。熱とは考え及びませんでした。これは深いです。ドブ川を探求する観点からいうと、排熱先としての川もありうるかもしれないからです。
さらに品川電線という名前も興味深いです。品川といえば目黒川沿いにできた東京の初めての工業地帯。でもこの工場、最初から江古田なんですね。それがちょっと謎ですね。ヒントのいっぱい詰まった記事、ありがとうございました!

投稿: 大石俊六 | 2012年11月29日 (木) 19時39分

俊六さん、どうもありがとうございます。
知的好奇心のカタマリみたいな俊六さんに反応していただけると、すごく嬉しいですw

あ、そっか、書いてる時は気づきませんでしたが排熱先としての川…。
その可能性は大いにありますね!
それと、品川という名前は確かになぞです。なんでこの地で品川なんでしょうね…。
私自身でも今回の記事は未解明のことが多くて(←ハンパな内容ですみません;;;;)、
今後もこれらを気にしながら地味に調べていこうと思っております。

投稿: lotus62 | 2012年11月30日 (金) 09時10分

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