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2012年11月

暗渠ハンター 「暗渠本」アウトテイクその3!エンガ堀電線工場のなぞ

おかげさまでいよいよ本日発売となりました、
『地形を楽しむ東京「暗渠」散歩』本田創編・著 洋泉社。

告知をリツイートしてくださるお仲間の皆様、
そしていつも当ブログをご覧いただいている皆様に、改めて感謝申し上げます。

発売記念プロモーションの第3弾として、今回も担当させていただいたパートの中で字数の都合上書けなかったところを取り上げます。

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「エンガ堀」のパートにおいて、
字数の関係上取り上げられなかったトピックのひとつに「電線問題」がありました。

本書で書いた「除」の支流(江古田駅北側から始まって小竹向原駅近くのゴルフ練習場あたりで他の支流と合流するやつ)の合流地点近辺にあったのが、この車止め。
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なんですかこのケバケバしさ…。
こんなんここで初めて見ましたし、他のどこででも出会ったことがありませんでした。

もしかしたら、役所による設置でなく私設の車止め…なのかも。
隣にあるデカイ敷地の横エリアだけこうなってるし、そもそもこの敷地は何…?

そう思ってまわりこんでこの敷地の主を確認すると。
品川電線株式会社
Img_2543

さっきの車止めが昔懐かしの「電線マン」に見えてきました♪
この電線っぽさ(←いつの間にかそう断定してる)は、やっぱり私設なんだと思いますw

…ん?ところで、電線…?。
そういえば、玉川用水が西新宿、文化服装学院のところで代々木川に分水していたところにもかつて電線会社がありました。
その名は、藤倉電線
コーポレートHPによると、もともと掛っていた水車を利用して電線づくりを1888(明治21)年に開始した、とあります。

しかし水車を使っての脱穀とかそういう農業系の業務はわかります。
農業でなくても、同じく玉川上水の余水吐のあたりの鉛筆工場とか、戦時中各所にあった火薬工場とか、えーとその「すり潰す&練る練る」系もなんとかわかる。(←ほんとにわかってるのか?)
でも電線ですからねえ…。
どうやったら水車と電線とが繋がるんだろう?とはかねてから思っていた疑問。

とググってみたら、「水車と電線」問題はあのTV番組でも取り上げられていました。
京都の津田電線という会社の社長さんが、「がっちりマンデー」に出演されていたんですね。日曜の朝もはよから「電線を延ばすとは」といったマニアックなお話を展開されています。

水車で産業!といえば「挽く・捏ねる」しか想像できませんでしたが、
水車で出る「熱」を使うんですね電線は!

代々木川の藤倉電線が水車のあった場所で事業を始めたわけはわかりましたが、
こちらの品川電線はどうなんでしょう?
いつごろからこの場所で工場を操業していたかはわかりませんが、
少なくとも「創業」は1937(昭和12)年とのことなので藤倉電線とはずいぶん時代が違っています。

果たして、藤倉電線同様この品川電線も、
「水車を使って(つまり川の流れを使って)電線を作っていた」会社なのでしょうか!?
以下、これについて考察(妄想)を進めてみましょう。

まず実際に水車がここにあったのかどうか?
東京時層地図を見てみると、昭和戦前期(昭和3~11年)の付近地図には品川電線のことも、水車のこともなんの記載もなく(そりゃそうです創業前ですから)、
Img_0077

戦後の高度成長期の地図にいきなり「品川電線工場」と現れます。
Img_0076

うーん、これでは
「品川電線はエンガ堀に架かる水車を利用してこの地で創業された」
かどうかはわかりませんね…。
地図に記号として描かれていないだけで、水車は存在したのかも知れません。

いっぽう、「近代日本の伸銅業: 水車から生まれた金属加工」(産業新聞社)
という本をざっと斜め読みすると、こんなことが書いてありました。
●明治時代から水車による伸銅産業は盛んに行われ、第一次大戦後電線の需要が飛躍的に伸びた。
●伸銅産業で水車を動力とする方式は明治後期、大正期がピークであった。
●大正から昭和にかけて、(地域的に例外はあれど)動力源は水車から電気へと変わっていった。

つまり、品川電線がこの地で創業した時期は、
すでに「水車動力から電気動力へ」と世の中(というか伸銅業界)が大きくシフトチェンジされた時期。
ですので、品川電線創業時にはおそらく動力は水車でなく電気であったと考える方がよさそうです。

これらのことから、品川電線の創業にあたっては
以下の二通りの仮説を立てることができます。

仮説1 
古い地図に水車の記述もないんだし、水車とは関係なく品川電線はたまたまこの地で創業した。

仮説2 
もともと小規模な・またはプライベートな、地図にも載らない水車がこの地にあった。そこで細々と水車を使って伸銅していたが、経営拡大のために昭和12年に思い切って品川電線を創業し、それを機に動力も電化された。

どうも真実をこれ以上追求するには、品川電線さんに取材するしかなさそうです。
もしこの真相究明が原稿執筆段階で解っていたなら
どこかで触れようと思っていたのですがそれも能わず…。
ばっさりカットとなったわけですw

まあ私的には、仮説2が当たってくれてると嬉しいのですが(笑)…。
なにかわかったら、また当ブログにてレポートいたします!

以上、エンガ堀の「電線問題」のお話でした。

より大きな地図で エンガ堀 を表示

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暗渠ハンター 「暗渠本」アウトテイクその2!田柄川下流の3支流

『地形を楽しむ東京「暗渠」散歩』本田創編・著 洋泉社 11/26発売!

発売記念プロモーションの第二弾として、担当させていただいた「田柄川・田柄用水」で字数の都合上書けなかったところを今回も取り上げてみます!

前回書いた通り、本書記事は
田柄川の上流のほうはざくっとカットして練馬区田柄近辺を中心に構成しましたが、
その下流にもいくつかの支流があります。
本書で取り上げた練馬区田柄近辺の支流は、刻まれた谷からググッと本流に注ぐストロングタイプの支流なのですが、
今回取り上げるアウトテイク支流はどちらかというと宅地開発に伴って水路が整備されたような見え方の、ちょっと線の細い支流たち。
もちろん谷を伝って流れてきますが、痕跡も少なく地味…。
ですが、そのぶん探す・推理する楽しみのある支流たちではないかと思います。
ではまず地形図からご覧ください。
いつもながらGoogleEarthさん・東京地形地図さん、どうもありがとうございます。

3

支流に番号を振りました。
 は平和台駅の北、北町都営住宅を流れる「北町都営住宅支流(仮)」。
 は、練馬区平和台のまんなかを流れていくから「平和台支流(仮)」。
 はこれまた練馬区氷川台を突っ切っていくから「氷川台支流(仮)」
とここでは呼ばせていただきます。

1 北町都営住宅支流(仮)

実は今回割愛しますが、このすぐ上流に注ぐ短い支流があるんですが、将来的にそちらを「北町支流」と呼びたいので、そちらと区別できるようにちょっと長いけどここを「北町都営住宅支流」と呼ぶことにしました。

地下鉄有楽町線平和台駅の上、環八の「平和台駅前」交差点から北西にほんのわずか歩いたところからこの川の痕跡は現れます。
駐輪場の合間に残る「無用の用地」。奥に向かって流れていきます。
Img_5872

地形図を見るとこの撮影位置の背後にも浅い谷が続いているようですが、どうもここより上流にはそれっぽい痕跡が見つけられませんでした。

さてこの無用の用地のその先は。
もはや暗渠サイン(暗渠アプリケーション)としての地位を確立しつつある、この仮称の元にもなっている都営住宅の中を、数本の流れになって通っていたのではないかと思うのです。
Img_5875

そして都営住宅を越える頃にはその隣の道に移動。
Img_5876

さらに北町6-25あたりからもう一本横の道にスライドして、
Img_5882

「北町西小学校東」、という倒錯した名前の交差点の向こうで
陸上自衛隊練馬駐屯地の西側に沿って田柄川緑道まで続いていきます。
この駐屯地沿いのどこかで啓志線(グラントハイツまで続いていた廃線)と交わっていたはずなんですが、痕跡は見つからず。

2 平和台支流(仮)
次の支流は、上流が二股に分かれており、
どちらも地下鉄有楽町線の上を通る幹線道路からはっきりした痕跡を辿ることができます。

ひとつは、開進第一小のすぐ北、平和台3-30あたりのここ。
Img_0503

そしてもうひとつは平和台の駅入り口真ん前、
平和台4-25にあるここ。(暗渠上から平和台駅入り口をみたところ)
Img_0525

これら二本は平和台4-4あたりで合流して北進していきます。
Img_5899

ここいらへんは大変暗渠色が薄いところで、ちょっと辿るのに苦労します。

が、突然物陰に私を誘ってはこんな暗渠路地姿をこっそり見せてくれるところがたまりません!
いわばツンデレ支流ですな。

Img_5905

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逆さに「水路敷」の文字が見えます。
ちなみに奥のエンジの建物の隣にはクリーニング屋さんがありました。

平和台2-36で、西の都営住宅を抜けてくる流れと合わさって、
その後環八と川越街道を横切り、
自衛隊駐屯地の今後は東端を掠めて
田柄川緑道へと合流していきます。
Img_5934

3 氷川台支流(仮)

こちらは、合流点から上流を遡ってみましょう。
仲町小学校をの中を通って合流するもの、
そして仲町小のちょっと北へ分岐して合流するものと二本あったようです。
二つの合流点は車止めがあるので比較的わかりやすいですが、
Img_5942

その先はほぼ痕跡がありません。
そこでgooの古地図(昭和38年)を引用。
Goo

まん中の赤いポインタ上が仲町小です。
ポインタの左にはしご式開渠が確認できます。
そしてポインタ右下に続いていますね…。
この先(下)が上流となっています。

確かに現地でもここが谷底。
ですがこの谷も氷川台2-11で白く大きな壁を持つ敷地にぶち当たってしまい
先を追うことができません。
Img_5962

この白い壁の敷地は東京少年鑑別所、いわゆる「練カン」。
ここを通過して、流れは氷川台4丁目に入っていきます。
鑑別所内には入れないので何とも言えませんが、
この中に谷頭があるのではないかと思います。
その先上流では古くから非常に区画が整備された住宅街で、
おそらくその排水路確保のために上流へと人工的に延びてきたのではないかと思うのであります。

先ほどの平和台もこの氷川台も、
昭和初期から住宅街として区画整理が行われてきた「台」地ですし。
(記事末の地図でも、道が「平和台1丁目交差点」と「氷川台駐在所前」交差点の二つを中心とした幾何学模様になっているのがわかるかと思います)

さてこの支流はその幾何学模様にそって回り込み、
氷川台4丁目の住宅区画を何本かに分かれて駆け上がっていきます。
一番太い支流道はここですが、
Img_5976

その北側の支流のほうが面白い!
細い道に無数のマンホールが続いています。
Img_5980

Img_0501

これら支流の上流端は、
地下鉄有楽町線の上を通る道に辿りつくまえに
痕跡を絶ってしまいます。
そのミッシングポイントは、
古くからの区画整理エリア(goo古地図)の端っこと重なります。

さて、以上3本の「線の細い」アウトテイク支流をご紹介しました。
では、田柄川のハイライト部分は『地形を楽しむ東京「暗渠」散歩』でどうぞ!

より大きな地図で 練馬暗渠巡りの旅 を表示


■それと、ここで『地形を楽しむ 東京「暗渠」散歩』の執筆陣をご紹介します。

■まず、「編・著」である主宰の本田さん。小学校のころから東京の暗渠を巡るひと。先日、中二のときの夏休みの自由研究で書いたという「神田川」というレポートを読ませていただいたんですが、その出来の素晴らしさに頭がクラクラしました…。
東京の水 2009 fragments 
そして本田さんの次に執筆ボリュームが多いのは、「世田谷の川探検隊」として世田谷区内をはじめ都内各所の暗渠アルキをずっとされてきた、「庵魚堂」さんこと福田さん。独特の視点と語り口が印象的で、たくさんの示唆に富むブログを書かれています。
世田谷の川探検隊 
次は、ニフティ「デイリーポータルZ」でおなじみのライター、三土さん。地図好きな方ですが、その他多方面で面白い記事を書かれています。この方の好奇心の幅広さに、好奇心をおぼえますw
デイリーポータルZ 
三土フォリオ
 
さらに、軍艦島伝道師として、そして廃墟マニアとして名高い黒沢さん。本業は音楽や映像やwebや…いろんなメディアを使って様々なコンテンツを世に送り出す「オープロジェクト」を主宰されています。
廃墟徒然草
 
それから、暗渠を歩きながらくいもののことも考える、「桃園川マスター」のnamaさん。暗渠だけでなく、消えゆくものなどを取り上げ深い考察で綴るブログは独特の味わいがあります。偶然namaさんとはちょうど同じ時期に暗渠の魅力に取りつかれたので、互いに「同期」と呼んでいますw
暗渠さんぽ
 
そして不肖・私の計6名で書かせていただいております!
あ、私が一番書いた分量が少ないですw

全編「暗渠」を軸に書いてますが、散歩好きの方、地形図好きの方、東京の風土記的なものに興味がある方、歴史好きな方などなど各方面のみなさまにきっと満足していただける内容かと思います。

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暗渠ハンター 「暗渠本」アウトテイク!田柄川の水源

そろそろ『地形を楽しむ東京「暗渠」散歩本田創編・著 洋泉社(ブログの左枠中程をご参照ください)の発売も近くなってまいりましたので、
プロモーションというわけではないですが(いや正直言うとそうなんですが)、ちょっとそれ絡みのお話を。
この本の中で、私は「エンガ堀」と「田柄川」のページを担当させていただきました。
まあ本編は本で読んでいただくとして、何回かに分けてそれらの「アウトテイク版」を書いていくことにします。

田柄川は、田柄用水として田無に端を発し、(←”田”で頭韻を踏んでいるみたいですな)
富士街道をずずっと下ってきて
西武池袋線・石神井公園駅あたりから北上し、
三原台・土支田あたりの谷をうねうねと通って、
光が丘近辺に来るころには本来の自然河川とくっつけられてて、
さらに光が丘を越えて田柄を通るころには
田柄川・田柄用水と二本に分かれて一帯を潤していた、
という、自然河川と人工用水でパッチワークみたいに構成された川です。
ANGLEで田柄川・田柄用水の全貌とを表すとこうなります。フクザツ。

 ※因みに今回は、流れを表す縦のバーの色を、人工用水は赤、自然河川は青としました。
ただし上下で真ん中辺の笹目通りあたりは、土支田付近の湧水を合わせていたり用水開削以前は雨の降ったときだけ流れる枯れ川だったという説もあるので赤でも青でもなく赤青マダラ、が正確なのかも知れません。

 ※現れる暗渠アプリケーション(暗渠サイン)はオレンジの丸で示しました。

Angle

『地形を楽しむ東京「暗渠」散歩』では田柄辺り土支田あたりからを環八を越えるあたり、つまり縦軸の下半分を中心にご紹介しているので、
田無の水源付近から上半分はズバッとカットしています。
ここではカットした上半分を今回取り上げてみましょう。
また、原稿では田柄周辺で北からやってくる二本の支流のことも取り上げましたが、その下流で合流する南からの数本の支流については触れませんでした。それも、回を変えてご紹介していきます。

田柄用水は、玉川上水から分水された田無用水のさらに分水。
その分水地点は田無駅のそばにあります。

奥に続いているレンガ敷きのところが田無用水。
そこの真ん中に車止め的な丸太的なものが建っていて、ここが田柄用水の起点となっています。
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レンガ敷きから、蓋暗渠に。
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なんとも素敵なはじまりです。ここからしばらく蓋暗渠が続くので、
蓋暗渠ファンには断然お勧めしたいコースです。
途中新青梅街道、所沢街道などでかい道が複雑に交錯するところでは一瞬川筋がわからなくなりますが、北原町に入ってしまえばまた蓋暗渠が出現するので、ここまでくればもう迷うことはないでしょう。

蓋暗渠上の「止まれ」。
車止めはポールや柵みたいに具体的だけど、人止めは抽象的です。
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さすが用水、畑に囲まれた開放的な場所を涼しい顔で進んでいきます。カーブなんかでたまに工法切り替わっているところも面白い。
…きっと杉並区だったたここも同じ蓋素材を使って美しく仕上げるんだろうなあ…。
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しかしここはここで、周りが開放的な分なんだか「パースペクティブ」とか「見晴らし」といったような普段暗渠に居る時は考えないような言葉が、
自然に頭に浮かんできてしまいます。
みてくださいこの奥行きとヌケを!
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お、縁石付のバージョンも出現です。
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保谷町5丁目入ってから蓋暗渠はこのように何度か変態するのですが、
その後はもっと面白いことになります。

こんなふうに、蓋暗渠のまま車道より「一段」高くなるんですねえ。
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なんだか車道の脇に設置された「動く歩道」みたいに!
なんと未来的!! …動かないけど。
この「動く歩道みたいな動かない歩道」が、結構長い区間続きます。
途中の、「蓋掛け後の建った住宅の事情」で消滅してしまっている箇所があるものとてもおもしろい!
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暗渠上に売場スペースを拡大している意欲的な小売店。
これを見て松庵川を思い出しました。
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蓋暗渠上に自販機も。
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ちょうどこの時はキバナコスモスの真っ盛り。
これだけ蓋暗渠が長く続くと、いろんな種類の付加価値が加わった蓋暗渠が見られますね。
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横断歩道を挟んで90度曲がるアクロバティックな蓋暗渠。
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けっこうぐにゃぐにゃというか、かくかくというか、方向を変えて保谷のあちこちを潤してきた田柄用水ですが、ここでおおむね南に進路を変えた後は富士街道にぶつかり、富士街道とともに石神井公園駅まで道路と同化してまっすぐ続くことになります。
その続きはwebで、じゃなかった新刊『地形を楽しむ東京「暗渠」散歩』で!

おっとそうだ、富士街道とともにまっすぐ続く田柄用水ですが、
その間の見どころを二つほど。

ひとつは、新青梅街道と交差する「富士町交差点」近辺。
ここで田柄用水は小さく北に「凸」状に進みます。
何かを避けるためだったのでしょうね。
新青梅街道沿いのマンションの裏手に、一瞬だけ
「動く歩道みたいな動かない歩道」
が出現します!
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それと、富士街道をまっすぐ行った練馬区石神井台8丁目にある
「けやき憩いの森」。
今は空堀ですけど、ここでは田柄用水のかつての姿を見ることができます。
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個人的には田柄川はこのあと・富士街道を外れてから
もっともっと面白くなるなあと思っています。
特に田柄4丁目あたりで北からくる支流とかもう最高…。
というわけで、もう一度言っちゃいますが
その続きは新刊『地形を楽しむ東京「暗渠」散歩』で!

どうぞよろしくお願いいたします。

より大きな地図で 田柄川 を表示

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暗渠ハンター 免許の書き換えが楽しくなる試験場裏の暗渠

何年かに一回免許の書き換えがあるわけですが、東京にお住まいの方だと都庁、鮫洲、府中と三つも(三つしかw?)選択肢があるわけですな。
私は三つとも行ったことがあります。
※2012.11.12訂正:イレギュラーな書き換えしか行ってなかった私の理解が足りなかったけど、模範的なドライバーはもっと近くの警察署でできるんですね…。私の認識不足でした。

京王線や中央線沿線にでも住んでない限りは、ちょっとどうしても府中って遠いですよねえ…(私がそう思っているだけかも知れないけど)。京王多磨霊園で降りて、バスに揺られて…。なのでここしばらくの数回は、都庁でまたは鮫洲で済ませていました。
尤も10年前に免停をいただいた時にはもう府中1択で講習に行かされましたが…。

しかし府中に限らず免許の書き換えに集まってくる人たちを見てるのってちょっと面白いですね。たまたま誕生月が一緒だから(近いから)というだけで、居住エリアや通勤エリアも違う、行く店やなんかの嗜好も違う、いろんなタイプの人が半強制的に一か所に集まってくるわけです。そこが面白いなあと。

ま、とはいえ府中の運転免許試験場はそれなりに「気合いを入れて重い腰をぐっと上げて」行くところでした。

しかし。

そのそばに手ごろな暗渠があるとしたら、どうですか奥さん。
近くて便利な都庁を振ってでも、府中に行ってみたくなりませんか?
というわけで今回は、あえて府中で免許を書き変えたくなるような物件をご紹介します。
連れが「ここの食堂が面白そうだから、免許更新を府中でしたい!」というので一緒に府中にいってきました。
待ち時間を1時間ほど持余した私は、「近くにおもしろそうな暗渠でもあるといいな」と軽い気持ちで散策に…。

そもそも府中試験場の北側には、野川が流れています。野川もたくさんの自然が残されている気持ちのいい場所なのですが、そこに絡む小金井用水の末端などをご紹介していきます。

府中試験場から野川方面になんとなく進んでいくとこれに出会います。

前野町二丁目遊歩道。
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どうやら南西のほうから来る流れで、水源も北から来る小金井用水とは別の模様。ググってみると、この流れを小金井用水ではなく「小金井野水」と呼んでいる方もいらっしゃるようです。

これは、ほぼ垂直に野川に並走するような暗渠に接続されています。
その接続されるほうを流れを追っていきます。
こちら下流方向。
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こちら上流方向。
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まずは上流方向に進んでみることにします。

お。太めの道路の向こうに趣のある暗渠が続いているでなはありませんか。
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前原町2丁目11。バス停の名前も「遊歩道入口」ですね。
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その先の遊歩道は、半分舗装、半分未舗装の変な道。
どっちかが水路、だったんでしょうね。
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しかしすぐ全舗装の道に。しかし道はくねくね。
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すぐに野川に合流します。
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向こう岸の橋の下に合流口が見えますね。
あれは小金井用水の暗渠です。
今来た暗渠とこの先の小金井用水は、
「川の地図辞典 多摩東部編」(菅原健二・之潮)で見るとあたかも野川を何らかの方法で越えて跨いでいるように見えるんですが、
どうやら別の流れのようですね。

というか。今辿ってきた暗渠はたぶん野川の蛇行の跡、なのだろうと現地を歩いていて感じました。
さすがに野川をまたいだりしてたら、仙川の「山王窪の築樋」みたいに有名になってるはずですもんねえ。

さてこの合流口の先をちょっとだけ辿ってみました。

合流口のそばにはこんな土地があり、ここを抜けていくようです。
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その先は自動車教習所の敷地の横を抜けていきます。
写真の奥のカーブの外側。
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反対側に周りこむと、こんなはしご式開渠になってました。
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さきの合流口そばの土地にはこんな風に繋がっていきます。
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鉄板がワイルド。
この上流は、滄浪泉園方面を経てハケ上につながっていきます。

さてそんなに時間もないから戻ろうっと。
最初の前野町二丁目遊歩道との合流点に戻ってみます。
わりとダイナミックな暗渠道が続きます。
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かなり右岸左岸の高低差があって、谷気分。
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おー、橋跡か!
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その先はかなり適当な舗装に。でもこれがいい。
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そのあと小学校の裏を通って武蔵野公園脇で野川に合流。
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いい公園ですねここ。なんにもなくって広くって。
合流口がまたかっこよかった。
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対岸から見た合流口ですが、なんだかちょっとサイボーグチックでいいですね。

ちなみにこの先の対岸(左岸)は大規模な調整池。
この下が、その調整池なんですが、それもかなりサイボーグっぽいですね…。こんな自然っぽい風景なのに、下は調整池…。
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さて、一時間ほどの散歩を終えてもう一度府中試験場に戻ります。

用事を終えて、ちょうど昼時だったので地下一階の食堂に。
府中試験場のもうひとつの愉しみは、ここですね!
予想通りの「ボロ食堂」(いい意味でw)。
さすが連れの目に狂いはない…。
こいう「ボロ食堂」(いい意味で)はとても好きで、
実際美味かろうが不味かろうが入りたくなってしまいます。
うすうす予想はしていましたが、やっぱりビールはおいてませんでした。
残念、っつかそりゃそうだなと。

入口には「今日のおすすめ定食」として「チャーハン定食」が掲げてありました。
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チャーハンと漬物と汁物で構成されている「定食」。
これって定食っつーか…。

これもツボでしたが、オーソドックスにカレーライスを注文。
期待以上に美味かった…。普通以上に美味かった。
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さあどうです。免許の書き換えには、府中。お勧めします。

今回の記事作成にあたっては、とても詳しく
「小金井用水」や「前原二丁目緑道」を取り上げていらっしゃる
imakenpressさんのサイト
そして
リバーサイドさんのサイトを参考にさせて頂きました。
どうもありがとうございました。

より大きな地図で 府中あたり を表示

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暗渠ハンター 江古田川と千川上水の接点いろいろ。

これまで江古田川(中新井川)とその支流のことをいくつか書いてきましたが、それらをいったん【千川上水と江古田川】という観点でまとめてみようかと。

こちら周辺地形図。GoogleEarthさん、東京地形図さんいつもありがとうございます。
Photo

左から行きましょう。
まずは
【中村分水】味噌maxさんがこのあたりを詳しくレポートしてますが、私自身ではまだ当ブログで触れたことはないので、あとで上図の丸い点線部分について少々述べます。申し訳程度に述べます。

そして
【中新井村分水】。つまり江古田川(中新井川)本体ですね。これだけで一本書いたことはないけど、おりおり江古田川については触れてますし、なによりもとてもメジャーな川なのでいろいろな方がブログなどで書かれてますね。

お次は
【豊玉水車分水】。これは断片しか辿れていません。もちろん記事にもしてません…。が、これまたあとで申し訳程度に触れてみますね。

そんで
【弁天分水】。これはこちらをご参照ください。

よくわからないのが
【中新井村分水(北新井分)】。これ、3つ前の分水と同じ名前で、(北新井分)とかって小分類で区分けしてありますね・・・。何かの間違いかと思ったのですが、複数の文献に同じ名前「中新井分水」って出てるのでそうなのかな、と。自分の中ではこちらは「濯川の分水」ということにしてます。
今回は江古田川しばりなので触れませんが、この至近距離には、北に向かって新桜台付近を通り石神井川に注ぐ分水もあります。

最後は
【江古田分水】。不備で地形図からはみ出てしまいましたが、詳しくはこちらを。

こんなにたくさんの分水が、短い区間でバンバン江古田川方面に下って行ったのですね。
千川上水の水量が心配になります…。これだけの水を賄うって相当すごい。

ちなみに千川上水に関しては練馬区さんは、こんなコンパクトだけど要点網羅しまくりのよい資料が公開されています。
さて以上でこれまであまりブログで触れなかった箇所については若干の補記をしておこうと思います。

:::::::::::::::::::::::::::::::::::::::

まずは真ん中辺にある
【豊玉水車分水】からいきましょうかね。
「千川上水と江古田を潤した分水 江古田分水の周辺」という資料からの抜き書きメモが手元にありまして(残念ながら著者表記が見つかりません)、そこでは
・豊玉北5-17から始まる。
・千川上水は道筋橋から道の北側に。こちらはそのまま通りの南側を流れ、豊玉上2-27にあった水車を回す。
・その後南に曲がり、豊玉中3丁目あたりで練馬郵便局南側にあった池からの流れと合わせ、中新井川に注ぐ。

とあります。

なるほどー。
以前、この流れのエリアで断片的な暗渠を見つけ、あまりに断片過ぎて途方にくれたことがありました。この資料を改めて読めば、この分水のかけらだったのだとわかります。
それがここ。豊玉北4-10です。(記事末の地図参照)
Img_5180

ここだけ、水路敷表示がぽっかりあって不思議だなあと思っていたところ。
また北北東にゆるくカーブする環7から外れてまっすぐ北上し練馬駅に向かう大きな道があるのですが、これを挟んで反対の西側にも暗渠らしい道があるのですが、この資料からこの暗渠の成り立ちもわかりました。
練馬郵便局南側にあった池からの流れがこれで、この分水に合流していたようです。
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この付近豊玉中3-23周辺にはさらに入り組んだ暗渠路地も確認できます。
Img_5193

そんで次は、冒頭の
【中村分水】。
中村北3丁目の交差点付近から南下し、中村垢離取(こりとり)不動尊の前を斜めに横切って、何度かかくかくと曲がって次第に江古田川に近づいていきます。
なかなかこの暗渠も、わかりやすい暗渠路地になったり道路の歩道に擬態したりと追跡しがいのある暗渠。
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この分水には一本南から別の流れが合流してきます。その位置付けや行方が分からずにずっともやもやしていたのですが最近やっとすっきりしてきました。
この奥から始まる暗渠。
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奥には田中稲荷神社。
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この流れは二つまえの写真のところから直角に東に曲がって中村中学校にぶつかってから北上しこの分水に合流していきます。
その中村中にぶつかるところにあった、何か。…なんだろう…。
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さらにこのへんの流路事情をわかりずらくしているのは、中村南1-16周辺です。
ここいらの住宅地には怪しい暗渠風の道がたくさんありますが、
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江古田川への合流前にはこのあたりの田圃にあちこちと水を回していたようです。

以上、補記おしまい。

より大きな地図で 千川上水中村分水とその付近 を表示

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