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2012年9月

暗渠ハンター 江古田の3つの流れ②弁天分水と豊玉中川(仮)

前回の続き、残り2本行ってみましょう!

2 弁天分水
前回掲示の地形図の「2」の流れをご紹介します。
前記事の濯川を辿って江古田川(中新井川)への合流口まで行ったときに、近くにこんな別の合流口を見てしまったので(見えづらいけどかなり奥ーのほうのやつです)
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ついついここも辿ってみたくなったというわけです。

最下流の合流口を載せたあとでなんですが、上流から巡っていくことにします。

最上流は、やはりこれ。千川上水からの分水で、この一連の流れは「千川上水 弁天分水」と呼ばれています。
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豊玉2小の敷地に入り、中新井公園の横に出てきたところでは、下水道工事中。
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普通の下水道ではなく、大雨に備えた大きな貯水管を作っているようです。
直径2m以上の管をここから江古田川付近(豊玉中1丁目交差点あたり)まで、環7を真ん中にしたS字型に貯水管を埋めて行く工事で、なかなかに大規模。

その後は普通の道となりますが、左右への蛇行が水路の歴史を物語ります。
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環7手前の団地にあった脇道。
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一見暗渠のようでうすが、たぶん違うだろうなあ。

そして環7を越えます。
水路跡から仰ぐ環7陸橋の橋裏。
造形がどこかガンダムっぽい。
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環7を越えると今度は豊玉2中の敷地を通り、目白通りを渡ります。
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その目白通りに架かる歩道橋の名は…。
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その歩道橋のたもとにこんな橋のような構造物が残っています。(画像右下のコンクリ)
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さて、何だろう…。これは地元の方のお話でも聞かない限りわかりませんね。

目白通りを越えてまもなく、左岸にこんもりとした林が。
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これが市杵島(いちきしま)神社。

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市杵島神社は仏教の弁天様と習合されたそうで、手元の昭和30年代以前の地図ではここに「市杵島」の文字はなくすべて「弁天祠」という表記になっています。
そしてそのすべての地図にあるのが、祠を囲むようにして水を湛える池。
千川上水に接続する前はその池を作る湧水からの流れでしたが、湧水が枯れた後千川上水からの補水で上流ができてこの「弁天分水」となったようです。
もちろん、この「弁天分水」の名前の由来もここから。

一説によればこの市杵島神社境内に橋の遺構も残っているそうですが、事前にその情報を得られなかった私は華麗にスルー。
この、鳥居の左側の「脚」の裏側にかすかに映る親柱てきなモノがそれか!? わかりません…。

その後も道路ではほとんど暗渠感が見られずに、
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江古田川にゴール、冒頭の合流口にて合流となります。

3 豊玉中川(仮)
さてもう一本、一番西側からこの江古田川湾曲頂点部に合流するのが前回地形図中の「3」番です。
用水等から分水を受けていない単独の川。
あちこち資料を探しましたが川の名前が見当たらなかったので、豊玉中を袈裟がけに通過しているその流路からここでは「豊玉中川」と仮に呼ぶことにします。

合流点はここ。豊中橋のたもとです。
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さっそく橋のむこうには車止め。
合流点のすぐそばからこんな暗渠然としているのは今回3本中ここだけですね。
しばらくまっすぐに続きます。
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実はこのまっすぐな暗渠から上流は2筋。
そうちの一本は豊玉中一丁目交差点を北上していくもの。お、冒頭の貯水管が合流するところですね。今回は水源をほぼ特定できるこちらの流れを「本流」とし、もう一本を「支流」と便宜的にしました。

交差点をさら北上すると、こんな、歩道が不自然な動きをする場所があります。
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右の歩道が途中でなくなっちゃってますね。
そう、もうご想像の通り、その歩道は暗渠で、その暗渠は道の左側に折れて行くのです。
じゃん。
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なかなかの荒れっぷりで好感が持てます。
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このあたりで確信したのですが、実は私の持ち歩き地図にはこの先、環7を越えた所に「湧水あり」の書き込みがしてあります。残念ながら出典は失念。
地図上でこの暗渠をすすっと延ばしていったらその湧水地点に見事ぶちあたります。
なるほど、この湧水が作った川だったのか…。

道のまんなかにも車止め。
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この形の車止めがたくさん見られます。
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そしてここで環7にぶつかります。数段の階段。
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私の地図では環7を越えた所すぐに湧水マークがあります。
ですが、マークを付けた場所は民家が立ち並びどうも湧水があった場所には見えません。
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うーん。
同ブロック内をうろつくと、数10m離れた環7沿いの公園、「環七とよきた緑地」。
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たぶんここなのではないか。湧水地は。

たいして広い公園ではありません。それにこの環7のすぐ横に作るのも、あまり意味が見出せません。たぶんもともと湿地で、湧水が枯れた後もこのように「遊んでる土地」として緑地にでもしておくか、という経緯を辿ってきたのではないかと思います。
…以前からここを通るたび、位置付けがあいまいな公園だなあと思ってきたものでした。
この不自然さはきっと何かあると思います。
(書いてて思いましたが、「不自然な」ところに湧水という元来の「自然」が押し込められてる、っていうことになりますね。ちょっと興味深し)
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そう思うと、未だ残る土の湿気でなんだか草木も育ちがいいように見えてきますw

途中で別れたもう一本の川、豊玉中川の支流ですが、
こちらは途中までしか追えませんでした。
しかし私のミッシングポイントを延長するとこの公園に突きあたります。
もしかしたらこの湧水は二手に流れを分けてこの豊玉中のたんぼを潤していたのかも、知れませんね。
だとするとかなり水量のある立派な湧水だった、のかも知れません…。
引き続き調べてみましょう。

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暗渠ハンター 江古田の3つの流れ①羽沢支流の上流端と濯川のこと

今回から数回に分けてこのエリアのお話を。
ということで早速地形図登場です。
google earthさん・東京地形地図さん、いつもありがとうございます。

Photo

江古田川が環7の内側でもわんと北に湾曲するあたり。
ここの頂点部分に流れ込む江古田川の支流を3つご紹介ていきます。
これらについては、
「オバQの頭のてっぺんにある3本の毛のような」という比喩で押し通そうと一瞬思ったのですが無理があるのでボツとしました。

今日はその一回目。

0 石神井川・羽沢支流のはしっこ

本来ならまずは上の地形図の「1」ってところから話が始まるのが筋でしょうが、
あえてちょっと違う話から入らせてください。
「1」の濯川から千川上水を挟んだ反対(北)側のことです。
地形図上では緑色の矢印。
この、北に流れて石神井川に合流する支流については以前記事にしたことがあります
その後、この記事で支流のスタートに挙げた地点からもさらに上流があり、千川上水と接続されている水路があることを知って現場に赴き、じつはそのついでで今回の3つの支流を見てきた、というのがほんとうのいきさつだったもので…。
というわけで本題に入る前にこの話。
上の記事で羽沢支流の起点としていたのはここです。写真奥の路面に練馬区「水路敷」のブルー表示が見えますね。
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この反対側を向くと、こう。確かに谷頭はこっちに浅く伸びています。
Img_3590

その先は千川通りと西武新宿線に架かる環7の陸橋にぶつかります。
陸橋の東側に所にこんな場所を見つけました。
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このクルマの奥は西武新宿線が横切っています。おそらくここが、千川 上水と羽沢支流を結ぶ水路だったのでは(正確な資料がないのであくまで想像)。

線路をまたいだ反対側はこうなっていて、
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すぐに千川通りにぶつかります。

さてさてでは本編に入りましょう。

1 濯川

まずは、読み方から。洗濯の濯ってふつう訓読みで使われているときはひらがなになってるからあまりなじみがありませんね。
濯は「すすぐ」と読みます。すなわちこの川、「すすぎがわ」。
洗濯するということは、洗って・すすぐことなんですよねえ。

この流れはもともとは千川上水からの分水として
江古田川までの間の田畑を潤していた流れでしたが、
その上流部分が
大正22年にこの地に開かれた武蔵学園(旧武蔵高等学校)の敷地内に取り込まれ、
大正25年には大掛かりな改修工事を行って現在のような形になり、
そのときに「濯川」という名前がつけられたそうです。

武蔵学園記念室のページには、学園(大学)と濯川の関わりについてとても丁寧に写真を交えながら書かれていますので、ぜひこちらをご覧ください。
途中からの湧水もあったようで、80年代の資料には「図書館下からの湧水も水源とした」という記述(建築文化496号・1988年2月号 「武蔵学園濯川蘇生計画」~思想とデザイン 東京大学名誉教授 内田祥哉)も見られますが、現在はわかりません。

さて学内の濯川の現状はこんな感じです。
目で見える最上流部はこんなものが。
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八角井戸という古来の作り方をした井戸の枠(木製)が埋められているそうです。
そしてその井戸枠の外側に「濯川と命名したひみつ」が書かれているとのこと。
その内容は…。先の武蔵学園記念室のページをご参照ください…。
そこからさながら緑地公園にでも来たかというような風情の水路が続きます。
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北大のサクシュコトニ川なんかはともかくとして、
都内で学内を堂々と川(開渠)が通っている、って他にどこがありますかね…。
短いですが東大駒場キャンパス、くらいしか思いつきません。

しかし程なく下流ではちょっと工業的な外観になります。ミニミニカミソリ堤防!?
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突き当りに水門がありその先は暗渠に。
そしてこの写真のどこかを通って大学敷地の南東側に出ることになります。
出たところには北新井公園。公園全体が窪地になっています。
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この公園を抜けたころからはっきりした暗渠が見られます。
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さあ進んでいきましょうほぼまっすぐに。
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途中目白通りを越えてもなお続きます。公園から下流はこのように断続的に車止めが見られます。
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お。途中橋跡のようなものが!
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江古田川に近づいてきました。おそらく氾濫原であったろう近辺には団地が並びます。
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突き当りが江古田川ですね、
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北江古田橋のところで合流となりますが、合流地点には雨水吐の穴が。
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あれ、ちょっとだけ上流にも似たような穴が・・・ってことで隣にも流れがありそうなので辿ってみて、あとで調べたらそれが「弁天分水」と呼ばれる千川上水の分水だったとわかりました。
ということで「2」に続きます。

この近辺ではダイナミックに川跡の景観が変わらないので
以降今回シリーズではつけませんが、この濯川だけは
「ANGLE」を作成してみました。

1

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暗渠ハンター 品川用水、流れの果てにある遺構。

品川用水の末端の末端のお話を。

1 プロローグ

世田谷の川探検隊さんが「東京ぶらり暗渠探検」の中で『中小河川の「母」』と呼んだ品川用水。

グランドマザーである玉川上水から三鷹で分水されたこの「おっかさん」は、世田谷・目黒のたくさんの川に水を落としながら品川の村まで水を運んでいたわけですが、その末端の何本かは目黒川に注いでいました。

主なもののひとつは、武蔵小山の地蔵辻から別れて大崎駅を抜け、ほぼ居木橋のたもとで注ぐもの。地蔵辻から目黒川合流点までは、「桐ケ谷川(仮称)」、「西五反田川(仮称)」、「大崎川(仮称)」などに分岐してそれぞれのコースで目黒川に辿りついています。

地蔵辻で別れるもう一本は、平塚橋をくぐって戸越公園を掠め、下神明あたりを北に進んで居木橋の下流で目黒川に注いでいるもの。
この後者の川筋は、まあ西品川あたりまではなんとか辿れるんですが、その後JR東京総合車両センター(以下「車両センター」)というデカいブラックボックスに入ってしまい、その後よくわからなくなってしまいます。

ところで、この車両センターの立地はちょっと面白いところで、
東:東海道本線(京浜東北線)
西:りんかい線
南:東急大井町線
北:東海道新幹線(横須賀線)

と四方を鉄道に囲まれた、ある意味(決して不便とかの意味ではなく)陸の孤島的な場所でもあります。
そこに車両基地がまるまる入っており、その他品川区役所や公園、病院、もちろん住宅もあります。また北側の広町1丁目という地番は第一三共製薬をはじめとした大小の工場が集まるミニ工業団地となっています。
商業施設と言えば四季劇場「夏」くらいしかないから、まあほとんど一般の方がぶらりと訪れる場所ではないでしょう。

話を戻しますと、その「品川用水・最後のブラックボックス!」である車両センター、なんと一般公開してるというではないですか!
というわけで、はすはすしながら向かってみたわけです。

2 催しいっぱいの「夏休みフェア」(ほとんどスルーしたけど)

夏休みの最後を飾る的な日程のせいもあるのでしょうが、
ものすごい人です。
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(因みに写真がなんか昭和の銀塩写真みたいになってますが、これはカメラの設定を間違えてたためです)
当日はもちろん猛暑。にもかかわらずこの人出。
ところでこの入場者の整理役には何人かの少年が携わっていまして、近所の小学校からのボランティアかなんかなのかなあと思っていたら、彼らが着ている服に「鉄道少年団」なる誇らしげな刺繍のワッペンが。
??? と思って帰ってから調べてみると、そういう組織があったんですね!ボーイスカウトみたいな感じか…。知らなかった。今の今まで知らなかった。
全国各地にあって、いろいろ活動も盛んなようです。ちなみにこれは水戸の鉄道少年団のweb。
しかし「鉄道を通し、公衆道徳の教育・指導 」とかすごいな。
鉄道ってやっぱ特別ななんかがあるんだなあ…。国家や民族や共同体のなにかを背負ってるみたいな。興味深いです。

とにかくいろんな催しがあって、催しがない場所でもこんな具合ですからもうほんと激混みなわけで。
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鉄分があまり高くない私としては、むしろこれとか
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こんな風景に反応してしまいます。
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あ、でも学食&社食といった類にはかなり食いつくたちなので、この日の「社食解放」はかなり楽しみでした。
おそらく今日は絞り込まれた一部のメニューだけなのでしょうが、特設の食券売場で券を買って給仕口に並びます。
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食べたのはカツカレー。
食堂内の椅子は当然満員だったので、外で。
まさか食堂横の売店でビール売ってるとは思わなかったし、この暑さの中での一杯なのでテンションあがります!
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食堂棟には、こんなポスターが貼ってありました。さすが鉄道会社、きちんとしてる!
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でも
「ヒゲのそり残しに注意する」
「こまめな洗濯を心がける」
…などなど書かれていることをしない人がいるから、
こういうポスターができるんだよなあ(笑)。

ずいぶん横道にそれましたが、品川用水跡はどこだどこだと向かてみます。
結論から言うと、明確な川跡はありません。
まあ期待は初めからしないで行きましたが。

ブラックボックスに入る前の品川用水の軌跡(西品川1-7)から言って、この建物あたりを流れていたはず。地下は防火水槽になっております。
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ちなみにこの群衆のみなさんは車両センターから望むりんかい線の通過車両を撮影せんと待ち構えている模様。

そして敷地内に入ってからはこの植生のあたりを通過したんだろうなと予想します。
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その延長線上には、思わせぶりな建物も。
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まあ、敷地内での主な成果は正直言ってこれくらい。
でも、「はっきりと残っているわけではない」と確かめられただけでも大きな収穫でした。
JRさんに感謝。

さてせっかくここまで来たし、車両センター出てからってどうなってるんだろうなあとこの先を見に行くことにいたしました。暑かったけど…。

3 まさかの痕跡と三嶽橋合流口

この先の広町1丁目にいくには、一旦大井町駅まで出て大きく回り込まねばなりません。
猛暑の日には堪えます。
途中あった毒島氷室さんでかき氷補給。
150円なんですが、これがふんわりしてやわらかい溶け味の氷で美味いことこの上なし!近くまでいったら絶対食べたほうがいい!
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広町1丁目は、工業団地としては小さめですが、思った以上に工業団地してました。休日だからひっそりしてますが、すれ違ったり追い越されたりの数台の車は商業車とトラックのみ。

さて、このへんが怪しいはずと目星をつけたところは。
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ここです。この砂利のままの道が流路。

入ってみると、砂利の間にわずかに護岸のようなものが確認できます。感激!遺構の少ない品川用水にあって、この流末間近まで来てやっとこんなものに出会えるとは…。
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上の写真は、この道に入ってから入口すなわち下流方向を振り返ったところです。すなわちこの護岸跡は左岸。

わかりずらい写真ですが、右岸もわずかな痕跡が残っていました。
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道のまんなかには雨水孔的なものも見られます。
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やがてこの道は行き止り。産廃工場の裏手に突きあたります。
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このブロックのすぐ向こうは車両センター。だいたいの流路がさっきまでのところと一致しました。

ではこの先目黒川まではどうなってるのか…。

入ってきた砂利道の反対側は、第一三共の工場敷地内。
しかし流路の延長線上には建物はなく、運動場的に使われているようです。
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反対側に回り込むと、もう第一三共敷地からは細い道一本隔てて目黒川。近くに架かっていた三嶽橋という橋で目黒川対岸に出て追ってきた流路付近を眺めてみると…。
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おお!見事な合流口が開いていました。
やっぱりここだったのね、とうれしくなります。

念のためこの合流口の上に立ち、第一三共敷地を覗いてみますと
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おおお、見事に予想流路上は空洞になっているではありませんか!

ちなみにこの写真すぐ左にはお稲荷様が祀られています。
なんだか、第一三共さんも品川用水を大事にしてくれていたような気がしてきますね(やむにやまれぬ事情でこういう建て方をしたのかもしれませんが…)。

車両センター潜入、がメインの目的でしたが、こんな工場エリアがこんな場所にあったこと、そこに品川用水が流れ、いまも遺構が残っていることに深く感動した一日でありました。

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暗渠ハンター 桜台と早宮。石神井川の二つの小さな支流暗渠。

春先に図書館で手に入れた練馬区の古い白地図(水路入り)。
これで私の練馬区暗渠ライフに勢いがついて今に至るのですが、
そんな中での小さな断片をお送りしましょう。

練馬区桜台6丁目、石神井川沿いにある高稲荷神社付近の暗渠と、
その対岸の暗渠をご紹介します。
この二本、右岸にあるものを高稲荷支流、左岸は後述しますが知久医院というお医者さんのすぐ横を通ってるから、知久医院支流、とここでは仮に呼ぶことにします。

Photo

google earthさん、東京地形図さん、いつもありがとうございます。

1 高稲荷支流

新大橋という橋のたもとに廣徳寺という寺があるのですが、
その東から水路の痕跡が追えます。
っとその前に。
廣徳寺の西側の塀は、こんな、はっとする作りになっています。
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一瞬、水路?しかも段々水路?? かと心ときめかせてしまいますが、
どうやら単なる意匠(なのか…?)のようですね。

このお寺の東側の住宅地の奥。
さきの地形図を見ても判る通り、川の氾濫原と高台とのキワを流れています。
この右側の住宅地の奥がそれ。
Img_0441

キワに進む道は5本ほどありますが、全て行き止まりでヨコの連絡がありません。一本一本行き止まりまで行ってキワを確認するコの字ウォーク(むしろ今回はヨの字ウォークに近いか)で進みます。

これがキワにあった水路。
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水は流れていないようですね。
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その他のキワは、水路が見えなかったりひとんちの駐車場の奥だったり。まああまり積極的に覗き込むことは慎んだ方がいいような感じでした。
5本目は公園のとなり。突き当りには水路の上部を埋めたようなものがあり、これが公園に続いています。
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この公園の上の高台(下の写真の右手)が、高稲荷神社。
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練馬区HPによると
この高稲荷神社の下、つまりこの公園は昔大きな沼だったそうです。

この公園のさらに東は、農地。的なところ。
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公園と同じくらい(もしくはそれ以上)に低いので、こっちまで沼が拡がっていたのかもしれません。

2 知久医院支流

次は対岸。こちらは早宮1丁目。
地形から言って、農業用水だったのだと思います。
それはそうと、「早宮」って、なんか少女漫画家の苗字みたいじゃありませんか(これは個人の感想です)?

始まりは、知久医院という地域密着型(たぶん)医療施設の横。
にゅ、っと急に顔を出します。
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しかも未舗装、土が被さる暗渠です。
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進んでいくと、真ん中は幅狭のコンクリ蓋暗渠!
その横を土が覆っているではありませんか。
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所々蓋の端っこが割れていたりして風情があります。
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これは意外な、貴重物件ですね。少々興奮しました。
進んでいくと段差を越える階段が出現します
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雑草もなくこぎれいですが、どうやら除草したばかりのようです。
普段はきっと草深く入るのさえためらうような、孤高の状態なのかも知れません。
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未舗装はワンブロックのみ。
次のブロックはアスファルトで続きます。
Img_0474

緩いカーブを曲がって車止めがあり、このブロック終了。
Img_0478

次のブロックでは、崖下を縫っていきます。
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そしてこの階段で暗渠は終了。
Img_0483

右の金網部分を通って直行する道に突き当たります。
階段の上から振り返ってみましょう、
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一瞬この道は盛土なのかなとも思いましたが、
周囲は同じような低い場所も見当たりません。
氾濫原の低地に面した高地のどこからか湧いた水が集まってできた流れがあったのかも、知れませんね。

【後日追記】実はこの記事を書いて予約投稿にしたあと、もう一度付近を再訪しました。
そしたら、この知久医院支流には上流・下流共に続きがありました。
おそらく石神井川のあげ堀として、川の北側の崖のキワを巧妙に這わせて流していたようです。下流はなんと氷川台駅を越えて湿気味橋付近まで続いていました。

こちら、上流の崖際を流れる水路。

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そして先も取り上げた、知久医院横未舗装暗渠。
すでに草ぼうぼうです。

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そして氷川台駅近く。

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さらに、石神井川合流付近。このまま続いて石神井川にぶち当たりますが、その少し下流に湿気味橋があります。

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修正後の地図は下記をご覧ください。

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暗渠ハンター 蛸の手まで行かなくても至る所蛸の手状態。

さて9月になった瞬間に、<脱構築版>でなくて久々の本編うぷです。

お暑うございますね。
社会人になって数年の頃の夏。仕事である会社に電話したんです。
担当の方でなく、他の知らない方が電話を取ってくれました。
「もしもし。○○株式会社のlotusと申します。いつもお世話になっております」と切り出したら、
「どうもお世話さまです。いやー、お暑うございますー。」
と、ビジネス電話では想定外なことを返されたことがありました。
次に繰り出すべく用意していたこちらの「△△さんいらっしゃいますか?」という紋きり文句にうまく繋げなくなってしまってあわあわした憶えはあるんですが、実際この後何と答えたかは憶えていません。

それ以来こういう状況に遭遇したことはないんですが、
今の私ならなんて返すだろう。
「そうですねー、もう早く帰っちゃいたい気分ですねー」とお互い心和む程度に膨らますこともできるし、
「そうですねー。△△さんいらっしゃいますか?」
と目的まっしぐらに何も厭わずスルーできるような気もする。

さて自分で振ったマクラですが、そんな話と全く関係なく暗渠の話に移ることにします。

今回は六郷用水も末端に近い、京急線の六郷土手(おおまさにその名の通り!)や雑色あたりをご紹介していきます。
もうね、この辺はですね、「こっちが上流であっちが下流」とか、「ここの流れがこういってああいって」とかっていうのはもう殆ど意味がないというか…。
もちろん非常にこだわって、研究している方はいらっしゃるでしょうし、そういう方から見たらわたしなんぞはかなりの不届き者となることでしょう…。
しかし一見さんにはもう時間と空間が溶けてなくなってしまうような所でして、クラインの壺みたいというかバターになったちびくろサンポの虎状態というか…。
田柄川田柄4丁目あたりも至る所暗渠だらけでしたが、あそこはまだそこはかとなく方形のグリッドが感じられるでしょう?ここはそのようなグリッド感が弱い点で、かなり攪乱されてしまうような感覚があります。

そんな素敵なところですからたくさん見どころはあるんですが、今回は要所要所をかいつまんでご報告。

暗渠に向かう前に、東海道本線の橋裏を眺めましょう。
ここは同じ色でも全くテクスチャの違う橋裏が並んで見られるある意味名所。
東海道線その1
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そしてちょっと離れてその2
Imgp9464

ね、ちょと面白いでしょ?

というわけでようやく暗渠に。
まずは西六郷4-9と10の間。熊野神社横から始まって、
まっすぐ南北に高畑小まで続く暗渠。
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まあここは序の口です。まだまだ沢山タマは控えています。

次は西六郷2-43と44の境。こんな暗渠路地が始まります。
Imgp9516_2

これを追っていくと、どうやら白山神社の前を通って
東海道本線を東に越えて行くようです。
越えた先はマンションの前の敷地をワイルドに流れて行きます。
Imgp9536

そのあとまっすぐ続いて、雑色駅近くの米屋さんの横。
Imgp9545

じつはこの米屋さんの横を貫いているようです。
裏側に廻ると…。この物置みたいなのの下が怪しいですね。
Imgp9551

さらにその裏のマンションの敷地を抜け、
線路(京急線)の手前で線路に沿って南に曲がり、
マンション敷地を外れ、ここで京急線を渡る、と。
Imgp9570

その先はお約束のくさぼうぼうの「なんでもない土地」を抜けて
Imgp9568

国道15号線・第一京浜にこんな姿でぶちあたります。
Imgp9564

これは作業着屋さんの横。
Imgp9566

へえーえ、こんなところに出てきたか。
っつかこんな大通りの隣に堂々と存在してたのか!

このあとは仲六郷1-39あたりに移動。
このあたりも野趣あふれる暗渠が見られますが、それは今回スルーしましょう。
(最近こういう間というか休符をあえて差し込むことを憶えました)

その先では整備された六郷用水跡の緑道が現れます。
Imgp9603

ここをまっすぐこえて東海道線を越えると、JR東日本蒲田電車区。
電車区の周囲には明らかに異彩を放つスペースが見られます。
Imgp9621_3

あやしいよねここ。なんかありそうだよね。

それもそのはず。ここが名高い「六郷用水・蛸の手」。
矢口渡方面から流れてきた六郷用水が、この地で3分割されほうぼうに流れて行くところ。

付近にあった説明板です。
Imgp9625

ここからの分水の様子。(左が北、上が東でちょっと見ずらいですね)
Imgp9626

そしてこの先が蛸の手。たぶん。
Imgp9627

上流も整備された緑道。イマイチ面白みに欠けますね。
Imgp9629

ここいらへんは大田区も六郷用水イチ押しで、あちこちで六郷用水がアピールされています。
Imgp9639

わかりやすくていいけど、もっとほったらかしでもいいなあ。
探す楽しみがなくなっちゃうから。

その先にはさらに詳しい六郷用水マップも。
(その一部がこの写真)
Imgp9649

探す楽しみが…とか思いつつも、もう相当くたびれてたのでこの地図を参考に
武蔵新田まで辿ってみましたんですが…ね。くねくねと。
Imgp9654  54

今回は語らなかったところが多かったですが、途中で見た暗渠マップはこちら。
あ、この日は大鳥居あたりからぐるぐるっと歩いてみました。
蛸の手に行かなくてもぜんぶ蛸です、この辺りは。
さすが六郷用水の末端。地図にも書ききれません。

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