暗渠ハンター 江古田の3つの流れ②弁天分水と豊玉中川(仮)
前回の続き、残り2本行ってみましょう!
2 弁天分水
前回掲示の地形図の「2」の流れをご紹介します。
前記事の濯川を辿って江古田川(中新井川)への合流口まで行ったときに、近くにこんな別の合流口を見てしまったので(見えづらいけどかなり奥ーのほうのやつです)
ついついここも辿ってみたくなったというわけです。
最下流の合流口を載せたあとでなんですが、上流から巡っていくことにします。
最上流は、やはりこれ。千川上水からの分水で、この一連の流れは「千川上水 弁天分水」と呼ばれています。
豊玉2小の敷地に入り、中新井公園の横に出てきたところでは、下水道工事中。
普通の下水道ではなく、大雨に備えた大きな貯水管を作っているようです。
直径2m以上の管をここから江古田川付近(豊玉中1丁目交差点あたり)まで、環7を真ん中にしたS字型に貯水管を埋めて行く工事で、なかなかに大規模。
その後は普通の道となりますが、左右への蛇行が水路の歴史を物語ります。
一見暗渠のようでうすが、たぶん違うだろうなあ。
そして環7を越えます。
水路跡から仰ぐ環7陸橋の橋裏。
造形がどこかガンダムっぽい。
環7を越えると今度は豊玉2中の敷地を通り、目白通りを渡ります。
その歩道橋のたもとにこんな橋のような構造物が残っています。(画像右下のコンクリ)
さて、何だろう…。これは地元の方のお話でも聞かない限りわかりませんね。
これが市杵島(いちきしま)神社。
市杵島神社は仏教の弁天様と習合されたそうで、手元の昭和30年代以前の地図ではここに「市杵島」の文字はなくすべて「弁天祠」という表記になっています。
そしてそのすべての地図にあるのが、祠を囲むようにして水を湛える池。
千川上水に接続する前はその池を作る湧水からの流れでしたが、湧水が枯れた後千川上水からの補水で上流ができてこの「弁天分水」となったようです。
もちろん、この「弁天分水」の名前の由来もここから。
一説によればこの市杵島神社境内に橋の遺構も残っているそうですが、事前にその情報を得られなかった私は華麗にスルー。
この、鳥居の左側の「脚」の裏側にかすかに映る親柱てきなモノがそれか!? わかりません…。
江古田川にゴール、冒頭の合流口にて合流となります。
3 豊玉中川(仮)
さてもう一本、一番西側からこの江古田川湾曲頂点部に合流するのが前回地形図中の「3」番です。
用水等から分水を受けていない単独の川。
あちこち資料を探しましたが川の名前が見当たらなかったので、豊玉中を袈裟がけに通過しているその流路からここでは「豊玉中川」と仮に呼ぶことにします。
さっそく橋のむこうには車止め。
合流点のすぐそばからこんな暗渠然としているのは今回3本中ここだけですね。
しばらくまっすぐに続きます。
実はこのまっすぐな暗渠から上流は2筋。
そうちの一本は豊玉中一丁目交差点を北上していくもの。お、冒頭の貯水管が合流するところですね。今回は水源をほぼ特定できるこちらの流れを「本流」とし、もう一本を「支流」と便宜的にしました。
交差点をさら北上すると、こんな、歩道が不自然な動きをする場所があります。
右の歩道が途中でなくなっちゃってますね。
そう、もうご想像の通り、その歩道は暗渠で、その暗渠は道の左側に折れて行くのです。
じゃん。
このあたりで確信したのですが、実は私の持ち歩き地図にはこの先、環7を越えた所に「湧水あり」の書き込みがしてあります。残念ながら出典は失念。
地図上でこの暗渠をすすっと延ばしていったらその湧水地点に見事ぶちあたります。
なるほど、この湧水が作った川だったのか…。
私の地図では環7を越えた所すぐに湧水マークがあります。
ですが、マークを付けた場所は民家が立ち並びどうも湧水があった場所には見えません。
うーん。
同ブロック内をうろつくと、数10m離れた環7沿いの公園、「環七とよきた緑地」。
たぶんここなのではないか。湧水地は。
たいして広い公園ではありません。それにこの環7のすぐ横に作るのも、あまり意味が見出せません。たぶんもともと湿地で、湧水が枯れた後もこのように「遊んでる土地」として緑地にでもしておくか、という経緯を辿ってきたのではないかと思います。
…以前からここを通るたび、位置付けがあいまいな公園だなあと思ってきたものでした。
この不自然さはきっと何かあると思います。
(書いてて思いましたが、「不自然な」ところに湧水という元来の「自然」が押し込められてる、っていうことになりますね。ちょっと興味深し)
そう思うと、未だ残る土の湿気でなんだか草木も育ちがいいように見えてきますw
途中で別れたもう一本の川、豊玉中川の支流ですが、
こちらは途中までしか追えませんでした。
しかし私のミッシングポイントを延長するとこの公園に突きあたります。
もしかしたらこの湧水は二手に流れを分けてこの豊玉中のたんぼを潤していたのかも、知れませんね。
だとするとかなり水量のある立派な湧水だった、のかも知れません…。
引き続き調べてみましょう。
より大きな地図で 石神井川周辺 を表示
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