暗渠ハンター<脱構築版> 池上の楼閣・歌舞伎町と弁天様
【前口上】
かつて取り上げた場所も、語り口やスタイル次第でリサイクルできるのでは? と思ったわけでもないですが、他所で「暗渠なんて殆ど興味ない人たちに向けて暗渠や川跡のことを書いてみたらどんな反応が来るか」という実験のために書いた文章を、暗渠ハンターの夏休み特別企画として、不連続で載せていくことにします。
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水商売が多いのと関係があるかどうかは不明だが、
もともと水と縁の深い街であることには違いない。
大久保2丁目から北上し神田川に流れ込む「馬尿川」、
富久町あたりからたくさんの支流を集めて飯田橋へと向かう「紅葉川」、
新宿西口から湧いて歌舞伎町1丁目と2丁目の境を流れ早稲田から神田川に落ちる「蟹川」と、
この近辺にいくつかの川とそのはじまりがかたまっている。
そして歌舞伎町は、歓楽街となる前は一面の沼であった。
明治期、新宿西...口に「淀橋浄水場」が建設されたが、
その時に掘った大量の土砂によってこの大沼が埋められ、
学校などが建てられたという。
そこは戦後いったんは焼け野原になり、
その後鈴木喜兵衛という人(初代歌舞伎町町会長)が綿密な計画のもとに造ったのが、
「歌舞伎町」だ。
街に滞留と回遊を生み出すためT字路を多用し、
また将来大手資本によって容易に再開発されないように故意に土地割りを細かくする、
などの作戦を盛り込んで。
そのあとの繁栄ぶりはみなさんご存知の通り。
そんな歌舞伎町にも一ヵ所だけ、かつての沼を偲ばせる痕跡が残っている。
コマ劇場跡にもほど近い風俗店・カラオケ屋に囲まれた小さな公園。
ここに弁天様が祀られているのだ。
弁天(弁財天)様はインドでは河の神。
日本でも弁天様が祀られているところはほとんどが湖沼や湧水池など水絡みである。
一帯にあった大沼の唯一の「埋め残し」がここだったのだ。
公園の端っこには小さなフェイク池が造られているが、私が見る限りいつも水はない。
この日も、乾いた池の底を少しでも満たそうとするかのように、無造作に捨てられた空き缶からわずかに発泡酒の残りが滴っていた。
元記事はこちら。
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