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2012年6月

暗渠ハンター 練馬の谷一気攻め⑥貫井川の断片、そして暗渠ANGLEの野望

今回の石神井川シリーズも、残すところあとは8.910番の貫井川のみとなりました。
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8 貫井川

貫井川はけっこうな円弧を描いて遠く上井草駅の方まで延びていて(図中8が本流)、かつ支流(9や10)もいくつかあってとたいへん辿り甲斐のある川です。
が、ここも先達がけっこうレポートされてるので今回の私のはいくつかの断片だけさらっとご紹介してこのシリーズのピリオドを打ってしまおうかと。
貫井川の名の由来や歴史的な背景等々は、HONDAさんが「東京の水2009 fragments」で大変解りやすく書かれており、私もこの川の理解の参考にさせて頂きました。

8-1 貫井池の祠
まずは貫井1丁目あたり、貫井中から南に抜けていく支流。図中の10番ですね。
その先には、この川の名前のもとにもなった貫井池、があったそうです。そこは谷戸ラブさんからご紹介いただいたこの資料の地図にも、かつての湧水池のマークが描かれておりました。

そしてその池端には、今でも不思議な祠(?)が残っています。
Imgp7712

どうもすでに廃寺(廃社?)のようになっていて、抜け殻感が高いです。
施錠されて閉ざされているし…。
かといって中の庭(?)は一定程度の間隔で手入れがされているようでもあります。
池の近くだから弁天様でも祀っていたのでしょうか。
それともただの私有地?にしてはこの意匠はなあに?
なんだか「?」の多い文節になってしまいました。
いろいろとググっても結局ここがなんだったのか、わからずじまいでした。

8-2 貫井川の水源付近

さて次は、もうぐいぐいと途中端折って図中の9番も省略して8番、本流の水源付近を見てみましょう。
石神井東小あたりから貫井川上流は南西に向かい、そのまま環八を突っ切り、南が丘中あたりでちょっと蛇行して、また南西にほぼまっすぐに向かって、新青梅街道を一瞬南に渡った後また北側に引き返して水源に至る、というコースを取っています。

より大きな地図で 杉並以北でまとめてみよう を表示

いっぽう古地図で流路を辿ってみると、そこには下久保、田中上久保、向三谷(むげざんや)、下石神井上久保といった「凹み地名」が冠された字名がたくさん記されています。

また改めて現在の流路を見れば、この貫井川もたくさんの学校を掠めて流れているのがよくわかります。先ほどの、祠に向かう支流が別れていたのは ①貫井中。その後西武池袋線を越えて南に行ったところで ②石神井東小。環八を越える手前でワンブロック横ですが ③南が丘小、環八を越えた途端に ④南が丘中。最後は新青梅街道に出る前に ⑤下石神井小と、5つの小中学校を掠めています。ビンゴゲームならリーチ通り越して景品ゲットしてるところです。
まあ川跡沿いには学校が多いのが定番とはいえ、これほどとは。

さて最上流部ですが。HONDAさんのブログでは、
>1960年代の空中写真や1970年代半ばの住宅地図をみると、
>ここまで水路があったことがわかる

としてその場所(駐車場横)の写真を載せられています。2010年の11月の記事。

また同じページで、さらに古い戦前の地図では井草通りの西まで延びているのが確認できる、とされています。

そしてi.sakurai様という方が作られている「東京西北部の中小河川」ページ(いつも大変参考にさせて頂いている、とても詳細なHPです。またまたなんと最近気がついたんですが送電線ルートも姉妹サイトとして作られています!改めてここで敬意を表させていただきます。ご本人様からリンクのご承諾を頂き次第ここでリンクを張らせていただこうと思います)でも、井草通りのあたりの窪みに注目されて書かれています。

話はちょっと戻って、先ほどのHONDAさんの記事にあった写真と同じ場所の写真を、
リバーサイドさんもアップされていました。こちらはその1年後、2011年10月の記事。

まずはここがこの後どうなっているかというと。
(といってもこれは先々月の2012年5月の様子…)
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はい、ほとんど変わってませんw

ここから上流・水源は西に向かってというのが定説のようです。
実際地形図を詳細に見てみても、図のような流路が予想できるでしょう。
(googleさん、東京地形図さん、どうもありがとうございます)

Photo

さてこの駐車場横付近をうろうろして感じたのは、
他に比べてたときの北からの斜面のきつさです。
このあたりでは、比較的(やや、いや少し。いやいやわずかに)急な上り坂。
そしてその上り坂の先には、「こまどり遊園地」という広い緑地スペースがありました。
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これがね、「かつてはここからも水が湧いていた」なんて
思いたくなるようなところなんですよ。
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でも帰宅後いろいろ調べてみましたがそんな文献は一つもなく、
単なる妄想に終わっているんですがw

しかしこの北側の斜面からも結構な雨水が
この駐車場横の水路に集まっていたということだけはいえそうですね。

というわけで断続的なこの石神井川支流シリーズ、今回でおしまいです。

それと、シリーズの最後くらいANGLE作ってみようかということで以下です。
貫井川の支流を除く本流のみ。
暗渠アプリケーション(暗渠サイン)は特に学校についてプロットしました。
練馬区独特の暗渠アプリケーションとしてブルーの「水路敷」表示がありますが、
これは一般道と交差するときに車止めと共に頻出します。
あまりに多いのでここではざっくり横に注釈程度に示します。
ご紹介できませんでしたが、この他の暗渠アプリケーションでは
下石神井小の下流に栄湯という銭湯や、さらにその下流に喜楽沼という釣堀跡、
ぐっと下流、目白通りを越えた辺りには御嶽神社や貫井弁財天などが確認できます。
Angle

…最近ANGLEについて考えるのは、これ自体がソフトとして「情報の入れ物」にならないかなあ、ということ。
(自分でプログラミングとかできたら作るんだけどなあ…)
たとえばこんな仕様のソフト。

・川筋を表す点線のどこかをクリックすると、そこで撮った写真と簡単なキャプションがポップアップする。もちろん川筋だけでなく暗渠アプリケーション(暗渠サイン)も。
・マトリクスの上にタグがついていて、タグには支流のANGLEが納められている。支流を重ねて表示することもできる。
・そんなふうにあたかもひとつの川のANGLE(つまり川と周辺の情報)が「一枚のカード」みたいに収納できて、任意にまとめたり、並べて比較したりできる。「カード」を串刺しにして検索なんかもできる(エクセルのワークシートみたいなイメージ)。
・縦軸は伸縮が自在で、他の川と比べ易くなっている。

とかとか。
そうすると、もうブログという器ではなくて「川跡の標本」ソフト、といったカタチになりますね。やろうと思えば多くの人で協同作業もできるようになるでしょう。

あーこれ実現させたいなあ。誰か作る技術をお持ちではあるまいか…。
10年がかりくらいで自分でイチから勉強してみようか…。

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暗渠ハンター 芳川、馬込川、天竜川とそれらに包まれた町のこと。

静岡県浜松市の東のはしっこにある名もない暗渠とその周辺の短いお話を。

浜松駅から東海道線を一つ東京方面に戻ったところに、その名も天竜川駅という駅があります。
天竜川といえば、諏訪湖から流れ出る長さ日本9位の大河川。
新幹線から撮ってみました。
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天竜川駅は文字通りこの天竜川に近いところにあるんのですが、
駅の反対側には馬込川・芳川(ほうがわ)といった小河川も流れています。

実はこの馬込川も芳川も、元々は天竜川と同じ流れ。
静岡県に入った天竜川から散開して流れるこれらの川が運ぶ水は、一帯の稲作に大きく貢献してきました。
しかし芳川はwikiによると現在、
「天竜川の治水が進むにしたがって本流から締め出された」状態であるとのこと。
一方の馬込川は辛うじて、天竜川を水源とする浜名用水を通じて流れる水を共にしているようです。
そしてそれぞれ海に注ぐ河口も天竜川とは別々。
まあそれでも広い意味では天竜川駅付近の水はすべて「天竜川の一部」であるともいえます。

そんな町にあった水路(所々暗渠)がこれ。
篠ヶ瀬(ささがせ)、という水の匂いも香しい字名です。
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この一帯では、天竜川という「先祖」から分かれた馬込川、芳川、それにこれらの川の間を縦横に結ぶ無数のこのような水路たち、暗渠たちが
いまもそれぞれの使命を持って「先祖の命を受け継いで生きて」います。

・・・・・
ここいらへんは、基本的に、ずーっと平野。
大きなビルもなく見通しのいい視界のはるか彼方には、小さく山並みが見えます。
日本アルプスかな。
すでに田んぼは殆どありませんが、一昔前までは田植えが終わったこの季節、やさしくカエルの声が響いていたことでしょう。
大きな幹線道路(東海道・国道152号線)も近いから車の騒音もほどほどありますが、
決して「喧騒」というほどの音量ではありません。
今でも耳を澄ませば遠く山の方からカエルたちの声が聴こえてくるかも。
そのロードサイドに目をやれば、林立する中古車屋やコンビニなどの派手な看板が適度にケバく、
この町は日本の第3次産業の発展から決して取り残されてはいないのだ、と主張しています。

私の生まれ育った北関東の小さな町にすこし似ているような気がして、
初めて訪れた場所でしたが、ここに住む人たちの時間の流れや暮らしぶりがちょっとだけ共有できたように思いました。

大きな地図で見る

水路や暗渠は、そこに住むひとの心の襞を、そしてたくさんの人生を包み込んでいる。
なんて思ったり。

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暗渠ハンター 暗渠に咲く初夏の花たち

拙いこのブログも、気がつけばこれで499エントリー目でした。
いちおうこのブログの大きなコンセプトは
「東京Peeling」
ということになっていて、ふだん見慣れた東京のフィールドにかぶさったレイヤーを、一皮ぴりりっと剥いてみよう、的なものなんですが、まあそうポジショニングする以前に、書き散らかした音楽の話とか大衆酒場の話とか日記めいたものとか数エントリーも混ざってますんで、厳密に「東京Peeling」としては400くらいのエントリーになると思います。
…しかも「東京peeling」と大風呂敷を広げた割にはその殆どが「暗渠ハンター」というサブタイトルなっており、もういいかげんブログタイトルも「暗渠ハンター」にしたほうがSEO対策上とかよくね?みたいな雰囲気も漂ってはいるのですが…。ちなみに取り上げた暗渠・川跡・川についての一覧はこちらです。

最近は、暗渠上に作られた緑道などだとあまりに「あからさま」すぎていまひとつテンションが上がらないのですが(ぜいたく言ってますね 笑)、暗渠歩きを始めた当時は、そんな緑道を見つけて辿るのさえ「新しい地図のレイヤーが頭の中に出来上がる」ようで楽しかったのを想い出します。
なにはともあれ、ここまで続けてこれたのはひとえに読んで下さる方々、コメントをくださる皆々様、いつもたくさんのお教えを頂戴する暗渠の友の皆様のおかげです。
ほんとうにどうもありがとうございます。

そんな節目的な今回は、ちょっとだけ趣向を変えて
「暗渠を辿りながらそこに咲く季節の花にスポットを当てる」
といったオトメ切り口でいってみます。
(いつだったか@aquira07さんも「暗渠植物図鑑みたいなの面白そう」的なツイートをされてましたよね、たしか)
季節の花といってもすでに1か月も前の初夏的な季節になっちゃうんですけどね(取材日は2012年5月13日)。そこんとこごめんなさい。

辿った暗渠は初夏の善福寺川・堀ノ内支流。
梅雨入りはるか前の気持ちのいい朝のことでした。

まずはナガミヒナゲシ。大好きな花です。
桜の花が終わり葉桜が茂るころには街角至る所に群生して咲き始めます。

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外来種ですが、いまではすっかり東京の路地に馴染んでしまいましたね。
縦に据え付けられた車止めの足元に咲いていました。
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そしてここには…。
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写真左はしの、小さな小さな黄色い花。

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オニタビラコ

咲き終わるとタンポポみたいな綿毛になります。

そしてこの支流と言えば、おそらく岸辺の人が手入れをされているのでしょう、クリスマスローズが延々と続く美しい名所があります。和名は「雪起こし」っていうんだって初めて知りました。
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さあ暗渠では超メジャーな存在、ドクダミも。
白い小さな花が咲くのはちょうど今頃ですね。

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そして大・アブラナ群生地帯。
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空き地によくこれだけ咲きましたなー。
しっかりお手入れしてるのかもしれませんね。

そしてハハコグサ
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これもよく目にしますが、春の七草のゴギョウのことですね。
七草粥にするくらいですから、成長具合によってはもちろん食えます。

水道道路を越えたところには、ハルジオン
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ヒメジョオンと間違えやすいですね。名前もね。
ハルジョオンとかヒメジオンとかもどっちかわかんなくなることありますよね。
まずは咲く時期が違うらしいです。ハルが先で、ハルが咲き終わるころヒメが来るそうです。
また、ハルはピンク色が混じりやすいけど、ヒメは全て真っ白なんですって。
葉っぱの付き方も見分けるポイントとのこと。
小さいころはビンボウグサなんて呼んでたりしましたが、明らかに混同してたなあ。

ムラサキカタバミ(オキザリス)はつぼみでした。

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ミツバみたいなクローバーみたいな葉っぱ。これも繁殖力がすごい「雑草」らしいです。
まあ暗渠にひっそりと、放っとかれつつも花を咲かすくらいですから、
暗渠沿いに見られる草花たちは押しなべて繁殖力レベルが高いのかもしれませんね。

そしてヒメツルソバ
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この金平糖みたいなのは、たぶん一年中見られるかな。
群生してるとかわいいっす。
2006年にヒメツルソバのことを書いた記事があったっけ。
タイトルを「東京Peeling!」にする前です。後日、当初記事に暗渠のことを加筆して、その時「世田谷の川探検隊」さんにリンクを張らせていただきました。

そしてこれは…
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うーむ。
これだけはわかんない…。
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ニワゼキショウにも似てるんですがね…。
花びらがもうちょっと丸っこいですもんね。
どなたかご存知の方がいらしたら、ぜひ教えてくださいませ。

さて、そんなこんなで善福寺川に着いちゃいました。
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もうちょっと善福寺川沿いのあげ堀暗渠を歩いて、
持ってきた朝ごはんを川沿いで食べるとしますかね。

お、おしべの黄色にパンチがありますね。オオムラサキツユクサです。
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花びらが3枚、ってなんか中途半端な気がする…。オオムラサキツユクサさんにはスマンが。

あげ堀の車止めを越えてもう少し。
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アカバナユウゲショウ
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これも前からけっこう好きなんです。いかにも野草、って感じが。
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さて、そろそろ川沿いの芝生を見つけて、朝ごはんっす。

より大きな地図で 杉並以北でまとめてみよう を表示

記事数も切りのいいところなんですが、たまたま「東京Peeling!」として立ち上げてから、だいたい丸3年。
みなさまどうぞ今後とも、よろしくおつきあいのほどお願い申し上げます。

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暗渠ハンター 練馬の谷一気攻め⑤練馬白山神社支流から向山ヶ谷戸支流まで

石神井川シリーズを着々とこなすぞ!というわけで、今回は地形図の5のところからその先進めるだけいきます。

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5 練馬白山神社支流

やはりHONDAさん猫またぎさんがすでに書かれているところ。
前回の豊島弁財天支流と対比させて「練馬白山神社支流」とHONDAさんが名付けたことに猫またぎさんが「うまい!」と膝を打った、というのが印象的でした。全然土地勘なかったのでよくわからなかったんですが…w

私は、この日、以前から地図を見て気になっていた
「中村橋のすぐ北に、がくんと急に始まる谷!」(上の地形図の7)をメインディッシュとして
いただきに行ったんですが、ちょっと時間もあったのでその左右の谷にも行ってみようかなあと軽い気持ちで行ったのでした。それがまずここ。

中村橋駅から練馬駅に西武線の高架下を向かっていたら、やはり急に北に向かって谷が開けてきたのです。
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ってか高架の南はそんな低くなってないから、まさにこの辺が谷頭ですよ。
(実は記事を書いた後に、谷戸ラブさんからこんな資料を紹介いただきました。この中の地図では、この谷頭をさらに南下し西武新宿線と千川通りつまり千川上水跡の間に「湧泉・湧水(旧)」の印が付けられていました!)

谷に入っていこうとする場所に、こんな、ひときわ高くて真ん丸に茂る木があります。
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ここでHONDAさんの記事を想い出しました。これだ!見覚えがある!!
(でもこの時点ではこの木が白山神社支流の記事に出てきたとは理解していない…なにしろこれらの記事を読んでる頃は、練馬は私にとって「暗黒の大陸」だったから…)

この木の下の太い道の一本西に、崖下に隠れるように暗渠路地が始まっています。これが今回の練馬白山神社支流。
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危うく見落としてこの木の下にある太い道(ここが結構窪んでるんです)を暗渠と信じて下ってしまうところでした。

そのあとの暗渠はまあこうして続いていくわけです。
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途中、この支流の仮名のいわれである白山神社があり。
(撮影時点ではこの「練馬白山神社支流」という仮称を思い出していないのですが、そんな私にもよほどインパクトがあったんでしょうこの鳥居は)
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お墓の崖下なんかも通るわけです。
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おそらくこのあたりでは、すぐ東にももう一本別れて水路が並走しかつての田んぼを潤していたのではないかと思います。
そして西早宮橋付近で石神井川に合流、と。
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6 豊島園に落ちていく二つの谷
次は、その西の谷。
特に支流の跡が見当たらなかったんですが、流れがないわけがない、と目論んでいる短い谷をまとめて二つ。

ひとつは、豊島園線のすぐ西です。
ここは向山庭園と呼ばれる庭園があります。
立派な池がある庭園で、一般公開もしていたのですが
震災後は改築の必要が出てきてしまったらしく、以来ずっと閉園・工事中だそうです。
私が行った時も工事中。ですがフェンスの合間から池を見ることができました。
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この池のさらに上流、南側にもうっすら谷筋が伺えます。
が、住宅で埋まっており川跡は確認できませんでした。

そしてさらにもうひとつ西側の短い谷。
ここは後日入手した「練馬区文化財マップ」にも水路のしるしが短く書かれていたので、間違いなく水がある…。
しかし私が行ったときは見つけられませんでした。

谷のはじまり付近には、「向山ヶ谷戸緑地」という公園。
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この公園の西側と東側(<こっちがこれから取り上げようとしているほう)に谷があるのですが、どうも主に西側の大きな谷のことを向山ヶ谷戸とよぶようです。
ちなみに「向山」とは「こうやま」と読みます。
地元の方は「う」を省いて「こやま」とも読むらしいですね。
この緑地の東側も、こんなふうに思いっきり谷底地形が見られるんですが、
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それでも流れは見つかりませんでした。
一番低いところはわりと宅地になっていて覗けないんですよ、ここも。
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残念ですが暗渠なしで谷地形だけをご紹介しました。

7 向山ヶ谷戸支流
さて、このあたりはあんまりニュースがないからサクサク行きます。
中村橋駅から北に行って大きな道路・目白通りを越えたところでいきなり階段下から始まる暗渠。この支流の名前はHONDAさんの記事に習いました。
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地形図を見ると、目白通りの南側にもうっすら谷が広がっているようですが、
新しい道路が目白通りから中村橋駅方向にすこーんと造成されているので
その痕跡は見当たりません。

ではこの階段を下りて下流へと旅立つことにしましょう。
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湿り気の多い道。
それにしても深く狭い谷です。
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こんな湿っぽい谷が続き、かなりミストサウナな空気。
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それはそうと、
暗渠に咲くこの花の、産毛みたいなのが気になります。
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脇の道からこの谷に降りる階段。なんか必要以上に堂々としてるw
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ふつうの道との並走区間です。間にある突起物は、護岸、っていっていいんでしょうか。
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この手の煉瓦敷き暗渠路地は、たいがい洒落すぎてて好きなタイプではないんですが、
ここは程よくすすけた感じでなかなか味わい深いです。
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石神井川に近づくと送電線の鉄塔が多くなります。
これは「豊島園線」のNo11。
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で、ですね、ツイットでも何度か申し上げたんですが、この手の鉄塔にはこんな看板があるんですよ、アラートを発するオウム君。
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これって、電気抵抗の「Ω(オーム)」と引っかけてあるんじゃないかなあと思うんですが如何でしょうw?

石神井川手前でこの煉瓦敷きの道(実は貫井川)に垂直に合流。
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ここにはなぜか道端にへんな動物が生息しています。
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どうしても写真を撮らずにいれない不思議な引力があります;;;。

そしてその後すぐにそばを流れる石神井川に合流、となります。
今回はここまで!

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暗渠ハンター 北耕地川の梅木小支流

練馬の石神井川の谷のシリーズ途中ですが、またまた違うトピックです。

以前、石神井川から分水して赤羽方面の田んぼを潤した北耕地川(稲付川)のことを書きました。
ここで多くの方からコメントをいただいてたくさんのことを教えていただきました。(みなさま、どうもありがとうございました)
今回はその中でも特にかわ探しやさんからの情報、
「梅木(うめのき)小学校を貫いてやってくる支流」について、先日現地で見てきましたのでそれを
「北耕地川 梅木小支流(仮)」
と呼ぶことにしてレポートさせていただきます。

西が丘2丁目。梅木小から北耕地川に注ぐ支流はここを流れています。
スタートは梅木小の裏(?)、というか小学校敷地の西側。
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この門の近辺がやや凹んでいます。
ここ一帯は以前も書きましたが広大な軍の兵器庫があった土地。
その中を流れていたはずです。
アタマの中で少し想像してみます…

この門の向かいからさっそく暗渠路地が始まっています。
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しっかり区画整理された住宅の合間を縫って、この後かくかくと上流に進んでいくことになります。
広い道路に出ても、歩道の不自然さが際立つので迷うことはありません。
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下の写真の左側、かくんと曲がるのが川跡のようです。
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この道を登っていくと、またすぐ右に暗渠路地が。
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たまに見かける、まんなかに凹みのある水路。
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地面の苔もなかなか美しいです。
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この幅、この形状のままかくんと90度左に。
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程なくまた太い道路に出て
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右に曲がって左に曲がって(つまりジグザグに進んで)、
また右に現れる暗渠路地。
Img_0332

傍らのおうちも味があり、路地に風格を与えております。
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この暗渠路地も。まっすぐ行くとかくんと左に折れ曲がって車道に出る、
という同じパターンを繰り返します。
その暗渠路地の角には○と□の「真性おしくらマンホール」がありました。
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このあとは広い道に出て、赤羽商業高校まであと1ブロック、というところに辿りつきます。
冒頭ご紹介したかわ探しやさんによると、この辺りの旧町名が「出井頭」。そしてこの支流は西が丘1-45あたりまで辿れるようですが、今回はここまで。

近所に来たついでにまた上十条5-47あたりの湧水地点を見に行きました。相変わらず湧いてる湧いてる。
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より大きな地図で 杉並以北でまとめてみよう を表示

あ、あとは全然関係ないどうでもいい話を。
先日デジカメを買い換えまして。(記事の素材としてはすでに数回前からひっそりと掲載しています)。デジカメに1万円以上使ったことがない人生だった(ヤフオクで買ったり型遅れ品買ったりしてたんす)のですが、今回は奮発!!! キヤノンPowershot S100というコンデジを買いました!またヤフオクで競り落としたんですがw
…え?今回の写真みてもまえとそんなに違いがない?いえね、私も実は今そう思ってるんですよw

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暗渠ハンター 田柄。暗渠の銀河系と、そこを抜けていく彗星みたいな廃線。

殆ど馴染みのないところに突如として出かけてみました。
先日練馬区の図書館でコピーしてきた「練馬区文化財マップ」に記された水路たちを目指して。それがたまたま田柄川の近くでした。
ほんとこの辺練馬区あたりって土地勘がなくって、頭の中は「安土桃山時代の世界地図」みたいな状態だったんです。脳内参考イメージ

ですがたくさん収獲がありました。
現在は石神井川の支流についてシリーズの途中ですが、
その間を縫りつつ並行してこの練馬区の暗渠も不定期シリーズでご紹介していこうかと思います。<それってもう「シリーズ」って言わなくていい気がする。

田柄川、田柄用水、似たような名前が二つありますが、いったいどっちがほんとの名前なんだかという疑問をお持ちの方もいらっしゃると思います。これはどっちも「アリ」。元々光が丘あたりから流れ出ていたのが田柄川。明治初期、その上流部に農業用水として田無用水から分水してこれに接続したのが田柄用水。
どっからどこまでかざっくり言うと、その田無から光が丘あたりまでが田柄用水、光が丘以降の下流は自然河川の田柄川と人工の田柄用水がしばらく並行して進み、練馬区の東端あたりで二つが合流し以降は田柄川、と呼ぶかんじです。
こんなことを調べていたら、練馬区がすっごい丁寧にこれらのことを解説してくれているページを見つけましたので、リンクを張っておきます。
これ読むとすべてがわかる!練馬区さん、これすごくいいページです。ありがとうございます。あとでこれを要約してみようとは思いますが。

田柄川も田柄用水も周辺の水田にしこたま水を送っていたようで、現在でも周囲には夥しい暗渠(水路敷)を見ることができます。私は現地で「まるで暗渠の銀河系みたいだなあ」と思っておりましたが、
谷戸ラブさんがご自身のブログでこの状態を「田柄無限暗渠」と呼んでらっしゃいました。これナイスネーミング!
まさに暗渠が無限に…。特に用水路然としたまっすぐ&カクカク水路はほんとにたくさんあります。
猫またぎさんもこの近辺の支流暗渠をたくさんご紹介されていました。

ほんとにもう、見飽きちゃうほどあるんです。その意味では大田区の六郷用水周辺にちょっと似ています。私も実際に見飽きてしまったので(贅沢発言ごめんなさい…w)、なるべく「まっすぐでない」暗渠を狙って訪ね歩いておりました。そのひとつがこれからご紹介するもの。

田柄4丁目に天祖神社がありまして。
リバーサイドさんも田柄川の記事で天祖神社あたりのことを書いてらっしゃいますね。
そこには水神様なども祀られているのですが、そのような事情を全く知らなかった私は当然スルー、天祖神社の東、田柄2丁目16あたりから始まる水路に直行です。
実はここはさきの谷戸ラブさんが「人生暗渠」と題してすでに取り上げられていたところでした。
土地勘ゼロの私はそこにコメントまでさせて頂いているのですが、この暗渠のことは全く記憶が飛んでいました;;;。っていうか谷戸ラブさんの記事、面白すぎて暗渠そのもの以上に楽しんでしまってたからかもしれませんw

その人生暗渠のハイライト部分(人生におけるモテ期みたいな感じ?)がここから始まります。
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入っていくのも躊躇されるような雰囲気なんですが、奥に控える蓋暗渠をチラ見してしまった私は、もう花に呼ばれる蝶、はちみつに吸い寄せられる熊、峰不二子を目のまえにした    ルパン状態です。
自転車だったんですけどね、この時。乗り込みましたよ。
まあはじめは、よしよし。
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だんだん険しくなってきます。
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でも余裕ぶっこいて紫陽花なんかもマクロで撮ってみたり。
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しかしその先は…
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谷戸ラブさんの撮ったこの暗渠の写真が殆ど手ブレ状態だった理由がいまではよーく解ります。
枯葉の下がなぜか湿っていて、そこを踏むたびに大量の蚊(だと思う)がぶわっと煙のように下から舞い上がってきます。
そういう探検趣味のあるかたには自信をもってお勧めするエリアです。

それに、足元の蓋も「いつ崩れるんだ」と不安になる箇所もあります。
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ここに自転車を押して乗り込むとさらにその種のスリルが味わえます。

難所がたくさんあって、飽きることがないです。
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やっと出口が見えてきました。這う這うの体、ってこの時の私のような状態のことなんだろうな。
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蓋暗渠はふつうの道を越えてさらに上流に続いています。
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もうこうなったら当然。入っていきます。
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しかし前方はこんな状態。
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さすがに、もう勘弁してやるか(ほっと胸をなでおろしながら)。

この先は住宅ブロックに紛れて一度流路は消えてしまいます。
ですが2ブロック先のクリーニング屋さん(!)横になんと開渠として復活。
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お店の右側です。ちょっと寄って写真を撮りましょう。
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さらに奥をズーム!
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この上流は、一気に加工度高く歩道となって田柄交番前という交差点を北上。
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そしてかくんと西に進路を変えます。
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駐車場の周りをかこうように流れます。この「隠しても隠しきれないかんじ」に萌えます。
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ぐるっと半周ほど回転するように進み、ふつうの道を交差。
その先は、ゴミバケツが谷戸ラブさんのご覧になったのと同じように並んでいました。
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それにしてもいつもきちんと統率のとれたゴミ箱です。
ジェットストリームアタック、的な。

奥にせっかく蓋暗渠が続いているのですが、ちょっとこの先も進行は無理でしょう…。
代わりにすぐそばで咲いていたスミレでもご覧ください。
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この先上流は、同じブロックから二つの流れが確認できます。
ひとつは田柄4-31-17、民家入口に通じる路地。
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もうひとつは田柄4-32、神勇酒店の裏側。こちらは立派な蓋暗渠のまんま!
自販機の壁に隠れていますが、奥深くまで繋がっています。
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上流方向はこれ。

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自販機のところで蓋暗渠終了。
これ以上上流は、UR都市機構むつみ台団地の敷地となってしまい、追うことができません…。
団地の向こうは白子川に繋がる百々向川の源流にほど近いです。この団地がほぼ分水嶺になっているんですね。

まあここは便宜上「田柄川 田柄交番支流(仮)」とでも呼んでおきましょう。

ところで。後日東京時層地図を眺めていたら、戦前の地図にはなくて戦後の高度成長期の地図にだけひょこっと現れる鉄道が東西に描かれているではありませんか…!
しかもほぼ光が丘~上板橋間を田柄川に寄り添いながら走っているではありませんか!!
なんすかコレ?ある日突然現れてある日忽然となくなった、そんな印象の鉄道です。地図には「東武貨物」と書かれています。

これは、戦後米軍に接収され米軍居住区(グラントハイツ。グラン「ド」かとさっきまで思い込んでたけどw)となったところに物資を運ぶために突貫作業で作られた鉄道だったそうです。名前は「東武啓志線」。名前の由来もこの廃線自体も大変興味深いのですが、詳しくはぜひwikiやこちら「鉄道ホビダス」内での記事をご参照ください。特に鉄道ホビダスの記事は面白いです!

なるほど。啓志線。まるで彗星です。
暗渠の銀河にパッと現れたかと思ったら、パッといなくなっちゃいました。

後日彗星のかけらを拾いに、また田柄川をうろついてみることにします。流れ星みえるかも。

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暗渠ハンター 練馬の谷一気攻め④豊島弁財天支流とその先の思考実験

またまた石神井川、環7と環8の間くらいのエリアで南から注ぐ支流のシリーズ(毎回長いな前口上)です。
今回はこの地形図の4と書かれたところ。
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4 豊島弁財天支流

ここはその特異な始まり方で一部の暗渠ファンから珍重されてやまない場所(だと思う)。
HONDAさん、猫またぎさん、Weekend Outdoorsさんといった、私lotusが懇意にさせて頂いている方々もすでにレポートを書かれてらっしゃいます。

今回はこの支流を下流からざっと辿っていき、「さらにその上」についてわかっていることとわかってないけど仮説めいたことをご紹介していきます。

まずは石神井川沿いにある練馬総合運動場、ここを南側に越えたところから流路が把握できます。この辺はまあ上の方々のブログにも詳しいのでざくっと省略。

このへんから始めましょう。
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なんだかもう暗渠上に自転車とか数台置かれていて、
なんだこの暗渠モノに対する拒否感は!?という風情の地点。

なんでかっていうと、その先は行き止まりだからなんですね。
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この行き止まりの崖上に「豊島弁財天」の社が鎮座しているわけです。

人通りも少ないのでしょう、苔が見事です。
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ほんとに行き止まり、というわけでもなくて、小さな脇道があり、これは細い支流になっている模様。
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その先は緩い坂を上って西へ続いていました。

ではこの行き止まりの先・崖上に回り込んでみましょう。
一本東は「弁天通り商店街」。ここを使ってコの字ウォークで進みます。

崖上の「豊島弁財天」は以外なところに入り口がありました。
家の間の細い路地に看板が掛かっています。
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ここ入っていいんかいな、何かのトラップじゃないんかなと一瞬怯みましたが、ここではたとHONDAさんと猫またぎさんの以前の記事を想い出しました。あああれかと。
(2012年は私、「杉並以北エリアの暗渠・じぶん事化キャンペーン」展開中ですw)

よし、このだれかんちの玄関に続くような路地に足を踏み入れてみます。

まあやっぱり踏み入れたところで躊躇する気持ちは変わりませんが…。
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でも奥はとても神社然としております。
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暗渠が出現する崖下を覗き込んでみました。
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おお、崖裏とはいえ意外と日当たりがいいんですね。
弁財天というからには、水量の多寡はともかくやはりここに何等かの水源または溜池があったのでしょう。そしてこの崖を伝うように下の暗渠に落ちて行ったのでしょう。滝のように落ちていたとすれば、この落差ですから間違いなく一帯の名所として名を水音と共に轟かせていたはずですし。

さてではこの水はここで湧いていたのか、もっと上流があったのか。

まずは、このあとある資料を入手し、もう一度現地に再度確認に行ったのですが、
この弁財天のもっと上流方向に水路があった模様です。
(練馬区文化財マップに、練馬駅付近からまっすぐ北上する水路表示が確認できます)
それがこの道。
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下の地図をご参照ください。

より大きな地図で 杉並以北でまとめてみよう を表示

「文化財マップ」による水路表記は赤いライン、
駅前にある練馬一丁目公園の横を掠めて直進し、都営団地手前で途切れてしまいます。これと今回の豊島弁財天支流(緑色)はこの地図上では交わっていません。

一方、この地図を手に入れる前、初回訪問時ですね、地形を頼りにこの先をうろうろと探ってみた結果は…。
まずはですね、こんなかわいい猫さんにお会いしました。
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中学生くらいのイメージの子猫ですね。
数分メロメロになってしまいましたが気を取り直して調査再開。
豊島弁財天支流は概ね南北に流れますが、弁財天の延長線上にうっすらと低いところが続いているように見えます。
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またそれに直交するように東西方向の水路跡らしきものもみつかります。
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そしてうっすら谷のついた先は、練馬駅前にある練馬一丁目公園でした。
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初回訪問時は、この公園が水源だったのではないかと思っていたのです。

しかし前述のようにこの横に、さらに南からの別の水路が続いていたという資料がある。
そして練馬駅のすぐ南側の尾根には千川上水が流れていました。

これら総合して以下のように推測します。
※2012.6.4追記※が、アップした後にもいろいろ調べてみましたが、戦後までこの練馬駅北口には大日本紡績→鐘淵紡績と紡績工場がありこの練馬駅からまっすぐ北上する水路はその横を通っていることになります。つまりこの工場の排水を流していた可能性も大きいことが解りました。また、このあたりに田んぼはまさしく弁財天の崖以北にしかなかったようです。
ですので初期の仮説(青文字)に対しての修正仮説を朱文字で併記しておきます。

①練馬駅南から千川上水から水を引き入れる水路があった。
※いや、千川上水とは関係がないかもしれない。

②それは人工のものであるから、駅を越えてまっすぐまっすぐ北上し、現在都営団地のある田んぼ(<さらに推測)を潤していた。
※どうも潤してはいなかったようだ。だってその先の団地にも昔田んぼはなさそうだから。

③この水路は、ちょっと凹む練馬一丁目公園から傍流に水を分けていた。ただし、一丁目公園に湧水があったかどうかは不明。
※分けていなかったと思う。だってこの水路は工場排水の可能性があるから、そんなことしたら大問題。

④この傍流は豊島弁財天にもつながっていた。ただし、弁財天に湧水があったかどうかは不明。
※たぶんつながっていなかった。谷戸と田んぼはまさに弁財天の崖下から始まっており、この崖上または崖下から水が湧いていたんではないかと思う。

⑤これら2本の流れは、途中で東西に接続されていた。おそらく数か所。
※どうでしょう、これも可能性はほとんどないでしょう。

⑥崖下の行き止まりの手前にあった小さな支流は、都営団地付近の田んぼから高低差を伝って流れてくる悪水吐のようなものであった。
※これも怪しいな。

手元にある要素をぜんぶくっつけようとすると、あくまで仮説としてこんなことも考えられます。
もちろん今の私のうすっぺらい状況では、まさに推測の域を出ないんですけどね。
※ってことであっさり仮説は全滅ですね。ふぅー。

今回はここまで。
あ、そうそう、前回書き忘れた周辺情報。
桜台支流の始まりのあたり・練馬区桜台4丁目21-1に「1コイン釣堀」なんてニューウェイヴ釣堀がありましたよ!
水槽が二階にあるみたい。
時間があれば寄ってみたかったっす。
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