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暗渠ハンター 【追記増補版】谷沢川で出会った「みなみはし」

いわば杉並世田谷大田区縦断、みたいなことを自転車でやっていたときのこと。
環8のちょっと内側でこんな暗渠道に出会いました。
ここは、HONDAさんが「東京の水」で玉川台の支流と書いていたところであり、
庵魚堂さんが「世田谷の川探検隊」で瀬田支流と書いていた、
谷沢川の支流でした。
ここではより古い記述である庵魚堂さんの「瀬田支流」という名を使わせていただきます。

蓋暗渠出現。
Imgp8067

上流は、環8を越えて住宅展示場の」あたりでまた見事な(というか結構楽しい)蓋暗渠となるんですが、今回は割愛。先のお二人のリンク先をご参照ください。
ここでは、ここから谷沢川に合流するまでをご紹介していきます。

年季が入った、縁石付の蓋暗渠。

Imgp8068

十字路や個人宅の車庫にあたるたび、蓋はコンクリで増強されます。
同じような構造は桃園川支流あたりでも見たことがあります。

Imgp8072

なんか不連続の並びが、かえってリズムを強調しますね。
Imgp8070
音符にたとえると、全音符があってそのあと8分音符がタタタタタって並んで、がくんと下がるところが休符、みたいな。
あー蓋の並びをリズムに置き換えるってのも楽しいかもw

またちょっと形状が変わってきました。
Imgp8071

八の字型に片側に広がる橋跡。
Imgp8078

しばらく行くと、暗渠+車道タイプから暗渠単独タイプに変態します。それが玉川台2-20あたり。
Imgp8080
こっから、車道を離れていきます。
Imgp8081

いくつか太い車道を横切ってまっすぐまっすぐ延びるさまは、ちょっと杉並区上荻3丁目・善福寺川の支流蓋暗渠とよく似ています。
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その先はこの斜に構えた車止めでおわり、
Imgp8086

もう合流先は目と鼻の先。高架の下が谷沢川です。
Imgp8087

合流するのはこの橋のところ。
Imgp8088

橋の名前は、と…え!「みなみはし」!
Imgp8089

ふむ。以前ここで書いた、烏山川、というか世田谷線の脇にごろんと放置された親柱に刻まれた名前と同じですね。
この記事中には、2012年の3月に補記として
※2012.3.22補記 「世田谷の河川と用水」(世田谷教育委員会)にあった区内の橋リストに『桜丘3丁目で品川用水にかかる橋』として南橋の記載がありました。現地やこことの関係は未確認です。

とつけ足しました。依然この親柱の出自は確認できていません。
ですがここで図らずも「二つ目の候補」を見つけることができました。
まあ可能性としてはこの桜丘3丁目の南橋であった可能性が高い(より現場同士の距離が近い/すでに桜丘3丁目の南橋は消滅している)でしょうが、
「谷沢川改修のときにこの南橋も架け替えられた」としたら…。ない話では、ないかな。
引き続き調査してみます。

ところでこの瀬田支流。玉川台2-18で横からもう一本さらに支流が来ているような気がします。

その支流の支流の合流点から見た、支流の支流の上流はこんな景色。(すげえややこしい記述になっていますな、これはw)
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この歩道がいかにもな感じです。
遡ると、玉川台中公園と、団地。
Imgp8097

八重桜が道路に散って、きれいでした。
Imgp8095

団地の奥の際は段差があり、この土地はちょっとした谷戸になっているようです。

団地付近から合流点を振り返ると、やはり歩道が気になる…。
Imgp8092_2

ほんの30m程度の支流の支流なんですけどね。

より大きな地図で 谷沢川上流 を表示

以下、2013年2月吉日に追記:
後半の支流の先にある「玉川台中公園と団地」のエリアについて、

毎度ご贔屓いただいいる「墨染桜」さんからご連絡をいただきました。

墨染桜さんはとある資料から独自にこの窪地について考察され、
この支流の先にあった所こそ「村山池」と呼ばれる池の後ではないか、と推論されています。
いつもながら論理的で簡潔、「なるほど!」と思わず膝を叩きたくなる内容でした。
あんまり素晴らしいので、その文面をここに掲載させていただきます。
墨染桜さん、転記にご快諾いただきどうもありがとうございました!

では、「暗渠ハンター」本日のゲスト、墨染桜さんよろしくお願いしまーす!
…以下墨染桜さんからの文面を転記…)

昔の用賀村地図(『ふるさと世田谷を語る 用賀・上用賀・中町(野良田)』p.14)と、
付近の現在の地図を添付ファイルでお送しります。

※lotus注:この資料『ふるさと世田谷を語る 用賀・上用賀・中町(野良田)』世田谷区総務部文化課文化行政係 編集 は小さな画像で転記いたしますので、雰囲気だけご覧ください。

_

さて、用賀村地図をみるとわかる通り、
実はlotusさんが発見した「玉川台2-18で横から」入る水路は、
昔の地図の村山池の場所と一致するわけではありません。
あの水路は、昔の用賀村と瀬田村のちょうど境界線上にあります。
したがって、地図が正確に明治期の様子を描いているとすれば、
村山池は村境にはないので、あの水路は村山池ではないことになります。

けれども、あの地図はそれほど正確なものではありません。
一番わかりやすいのは、
矢沢川西側では大山街道以北の一帯がずっと水田になっている点です。
実際には、大山街道沿いは少し高くなっていて、畑ならともかく、
水田だったとは考えられません。
また、地図の村境は、
現在の玉川台と瀬田の境界線を誤認している可能性もあります。
これらの点を考えると、村山池の場所の手がかりとしては、
金田屋池や大山街道との相対的な位置関係が確実なものだと思われます。

具体的には、
①金田屋池と大山街道の間にあって、
②主に東-西方向に走っている

という2点です。

実は、からいうと、現在の地表面をみる限り、
あの水路が村山池の唯一の候補になります。
金田屋池は瀬田支流の一部を溜池的に使っていたものだと考えられるますが、
旧瀬田支流の現暗渠と大山街道の間には、他に水路らしきものはないので。

となると問題はです。
はあの水路が北西-南東方向に走ることとは食い違いますが、
これも玉川台中公園が池の一部だったとすれば解決します。
実際に、Lotusさんもブログで指摘されている通り、
玉川台中公園と都営アパート2号棟の敷地の一帯、
ちょうど三角形の区域(=現在の地図でオレンジ線で囲んだ部分)は
周囲の道路より少し低くなっています。
三角形の一つの辺はあの水路で、北西-南東方向に走っていますが、
三角形の別の辺、公園の北側の境界線はほぼ東北東-西南西方向に走っています。
ですので、こちらの辺が地図で強調されたとすれば、の条件もクリアできます。

さらに補強材料として、
用賀村の谷沢川の西側には三つ溜池があったのですが(これはどの史料でも一致します)、
そのうち、中丸池と金田屋池は「耕地整理で…埋め立て」、
村山池は「その後に埋め立てられた」という証言があります。(前掲p.127)。
この「耕地整理」は玉川全円耕地整理のことだと思われますが、とすれば、
村山池だけが耕地整理の区域外にあり、
その後もしばらく残っていたと推測されます。
用賀村の谷沢川西側での全円耕地整理の南限は、
元瀬田支流にあたる、あの暗渠がある道路です。
ですので、Lotusさんが見つけたあの水路が村山池だとすると、
位置だけでなく、現在でも地表面にかなり明瞭に水路か池の形状を残していることとも合致します。

というわけで、全てがぴったり説明できるわけではありませんが、
あの水路と公園が村山池の全部または一部だったと推測するそれなりの根拠はありそうです。
また、仮に村山池ではなかったとしても、
あそこは用賀村と瀬田村の村境なので、そこに水路や池、
つまり浅いながらも「谷戸」があったことはかなり確かだと思います。
浅い小川が村境になることは多いので。

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2051 ・・・多摩川水系」カテゴリの記事

コメント

lotusさん、こんばんは。 追加情報です!
墨染桜さんの挙げられた「用賀村絵図」の、もとになっている絵図がネット上にあります。
http://www.youga.net/02/map/map1.html
粗くて少し見づらいのですが、肝心の場所は水田が書かれており、これはとっても村山池らしき池の感じが出てますね。
現在の団地と公園の形とうり二つです。道との関係も、実際の感覚にしっくりきます。
しかし、この絵図自体が何で、精細なものがどこで見られるのか不明です。調査中!

この絵図から書き起こした図が同じサイトに載っています。
http://www.youga.net/02/map/map2.html
これは、墨染さんが送った追記の記事中のものにそっくりですが、よく見ると少し違います。こっちの方が、もとの絵図をかなり忠実に書いています。
村山池あたりの水田の感じなどは記事中のものよりも正確です。これは『世田谷区民族調査第9次報告 用賀』(世田谷区教育委員会)に掲載されている図で、記事中の『ふるさと世田谷を~』に載っているのは、これに加筆しているようです。
でも村山池のあたりの書き起こしはややおかしくて、推定村山池の位置の水田がヒョウタンみたいな形に書かれています。

ところで、上の明治初期らしい用賀村絵図をよく見ているといろいろと味わい深いのですが、他にもいくつか興味深い点があります。
天神池から、今の暗渠とはちょっと違う水路がはっきりと描かれていたり。その水路が水を運んだ先の田には今、城南信用金庫がありますが、
古い道の形に影響していて、どうして重要な田だったのかとか興味があって妄想しているところです。

『世田谷区民族調査第9次報告 用賀』はうちにありますので、今度お見せします^^

投稿: misaki810 | 2013年2月 5日 (火) 01時21分

うぉう!  misaki810さん、追加情報ありがとうございます。
こんなサイトもあるんですねー。
明治初期らしいとおっしゃる地図も、書き起こし図版も興味深く拝見しました。
(谷沢川の源流探索なんかもあるんですねw)
たしかに瓢箪型の村山池(推定)が…。

しかし楽しいですねえ、ちょっとずつ違いのある資料を突き合わして探るこの工程は…。
実は谷沢川は、本流は辿ったのですが天神池からの支流は未踏なんです。
一連の情報を伺って、もう行きたくてたまらなくなってますw
『世田谷区民族調査第9次報告 用賀』もとてもたのしみです。
どうもありがとうございました!!

投稿: lotus62 | 2013年2月 5日 (火) 12時43分

はじめまして、千歳村大字船橋在住の散歩好きじじいです。暗渠探検楽しく拝見し、散歩計画の参考にさせていただいています。
コメントの中に出てくる明治初期らしいという「用賀村絵図」は、江戸時代のものです。区立郷土資料館に収められている飯田家文書のなかの、代官あて文書の控えです。年記は、文久三年(1806)、今から200年以上も前の用賀の地図です。
面白いのは、現在用賀神社に合祀されている「下の稲荷」と思われる赤い樹木のアイコンが記されていることです。ただアイコンだけで何の表記もないのですが、現在の地図に照らしてみると、そこは駐車場になっていました。用賀三丁目17番です。
なぞの三つの溜池、追加情報がありましたらお教えください。

投稿: 多気山 | 2014年7月20日 (日) 21時33分

多気山さま
(もしや宇都宮にご縁がおありでしょうか?)
ご教示ありがとうございます。
「赤い樹木のアイコン」、何を示すんでしょうね。。気になります。
それでですね、この用賀近辺、飯田家の歴史を含む史実についてなのですが、
コメントもいただいている墨染桜さん&misaki810さんがものすごくお詳しくまた
大胆かつ説得力のある仮説をお持ちなのです。
先日それをついにご本人から現地ツアー付で授かる機会があったのですが、
まあそれはそれは一遍の映画を見ているような素敵な体験でした。
墨染桜さん&misaki810さんの御説でもあり
またここでご紹介するには多少の差しさわりもあるのでアレですが…。

投稿: lotus62 | 2014年7月21日 (月) 08時54分

コメントありがとうございます。

「世田谷区神社台帳」に、合祀以前の神社の概要が出ています。その中に、当該の稲荷神社の情報が、方角のない略図とともに載っています。略図の境内の形が、推定している駐車場の土地と酷似しているのです。駐車場の場所は、絵図に記された赤い樹木の位置あたりです。台帳に記載されている旧地番は、用賀村下西原231番地です。お気づきのことがありましたら、お教えください。

実は、定年まで宇都宮で仕事をしていました。いま、故郷の東京にもどって、居住地を中心に、散歩を楽しんでいる次第です。

これからも、ご教示よろしく、

投稿: 多気山 | 2014年7月21日 (月) 12時01分

多気山さま
宇都宮にいらしたのですね。私はその隣のちいさな町で18まで育ちました。私自身は行ったことはないのですが、
よく親や親戚たちは「 多気山に行ってくる云々」の話をしておりました。
「世田谷区神社台帳」、川や橋についての資料はよくあたるのですが、普手に取ったことのない資料でした。不勉強で申し訳ありません。むしろ 多気山さまから教えていただくことの方が多そうですw
この稲荷神社だけが曖昧な記載になっている、ということですね。

私がレクチャーを受けた墨染桜さん&misaki810さんだったら、何か「用賀史」との関連で興味深い視点をお持ちかもしれません…。後ほど機会を見つけて伺ってみますね。

投稿: lotus62 | 2014年7月23日 (水) 12時49分

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