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暗渠ハンター 蜆川と梅田入堀 大阪出張みちくさ暗渠

大阪に出張に行ってきました。
日帰りだったんであまり時間がなかったのですが、思ったよりスムーズに仕事が済んだので、仕事場から大阪駅までの地下鉄の一駅はゆっくり歩いてかえることにしました。

大阪における銀座みたいなところ?北新地を抜けていきます。
以前急ぎ足でここを通ったことがあったのですが、そのとき「ここはかつての川跡で…」的な表示板を見たことがあったんです。
その時は先を急いでいたのと、
その道はやや蛇行はしていたもののすっかり飲み屋街になっていたので「これはあまり面白くなさそうかもな」と思ったのとで、
その時はスルーしていました。

ですが今日はせっかく時間があるので、歩いてみようかと。
それに以前見た表示板ももう一度じっくり読みたいし。

というわけで、中之島と呼ばれるあたりからさんぽスタート。
大阪は水の都と言われますが、ほんと街中を幅広い川がどーんと流れています。
神田川も都心を横切ってますが、あの2~3倍の川幅があるんじゃないでしょうか。
いえ、測ってはいませんが…。
都心では日本橋川や古川などで「川の上に高速道路を通す」という構造が見られますが、
それはこちら大阪でも一緒。しかし川幅がとても広いので、東京のように
「まるで川の上空から蓋をするような」状態にはまったくなりません。
川の端っこをお邪魔しまーす、的に、こんな感じになります。
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そんな大きな川、堂島川の渡辺橋、というところから北新地に向かいます。
そのあたりは堂島と呼ばれているエリア。
「島」とつきますが、ここから大阪駅までは陸続きです。しかしこれから向かう北新地に川が流れていたとしたら、ここは島となるわけですね。

北新地のちょっと手前に、明らかに「ヘンなスペースを残した道」発見。
Imgp7087

なにやら記念碑的なものがあったので近づいてみると…。
国産ビール発祥の地、でした。
あれ、国産ビールの発祥といえば横浜ではなかったか?と思ってよくく読んだら、
『日本人が作った』日本のビールの発祥がここだとのこと。
明治4年に渋谷さんという人が犬のマークの「渋谷ビール」を作ったそうです。
川と関連が深くなってきましたね。

Imgp7088

さあ、北新地に入りました。東京の飲み屋街でいえば銀座、らしいす。
確かに銀座6丁目・7丁目の西のほうとちょっと似てる。
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このあたり、はるか古の天保13年(1842)に公認の遊所地となった、と大阪コミュニティ・ツーリズム推進連絡協議会による観光資料「大阪あそ歩」に書かれています。
別の資料では、なんでもそれは「日本発の公許の遊所地」となるんだそうです。古くからの一大歓楽街だったようですね。その点では、銀座というより神楽坂とか赤坂とかのが近い感じがします。

東西を貫くメインストリートを行くと、まずはこんな記念碑。
Imgp7091

転記します。
「わが北新地」 蜆川は近松の描く浄瑠璃に生きている
ここ新地本通りに沿って蜆川(曽根崎川)が流れていた。明治42年(1909)の大火で、この川が埋められるまで、堂島は堂島川とで囲まれたまさに島であった。近松門左衛門が描く浄瑠璃には、北新地がたびたび登場するが、なかでも堂島と曽根崎新地の境域を流れる蜆川は、それに架かる橋とともに重要な作品の舞台となった。「曽根崎心中」では「梅田の橋をかささぎの橋と契りていつまでも」と、「心中天網島」では「その涙が蜆川に流れたら、小春がくんでのみやろうぞ」と名調子でうたわれた。

ここの川の名は、蜆(しじみ)川。またの名を曽根崎川。
説明にある通り、今は陸続きの堂島を「島」たらしめていた川。
大火後のがれきで埋められたのが、明治42年。
関東大震災、東京大空襲などで東京の多くの川が無くなったように、都市の川は大きな災いにあうたびその「亡骸」で埋められていくのですね。

川が埋められる直接の原因となった「キタの大火」このことを調べていたら、こんな「おとらのしっぽ」というwebの中に「キタの大火」という記事を見つけました。(おとらのしっぽさん、直リンクご承諾ありがとうございます。20125.5.29)
大火の様子、消失エリア、そして在りし日の蜆川などが写真で掲載されています。これは貴重ですね。最後の写真も印象的です。

北新地の通りを西に進むと、南北の大幹線・四ツ橋筋と交差します。
北新地の通りに並行する一本南(つまり歩いてきたほうからいうと、一本手前)の道と四ツ橋筋の交差点にはこんなものが無造作に建てられています。
Imgp7062

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元 桜橋。
側面にあるテキストには、
「明治42年7月31日 北区大火にて消失す 昭和48年10月15日 安原」
とあります。この碑がここにあることを考えると、蜆川は北新地の通りを流れていた、というよりも、北新地の通りとこの「一本手前」の通りの間、二つ道に挟まれたブロックを流れていたのかもしれません。
北新地にあった別の碑には地図も載っていましたが、ちょっとこの地図から川幅を想定するのは難しいですね…。
Imgp7092

なんとなく四ツ橋筋を渡って、この蜆川の西に向かう姿を追っていきます。
四ツ橋筋を渡るともう一気にふっつーの街。
Imgp7098
土地の起伏を見ていくと、やはりこちらもこれら二本の道(上写真と下写真)に挟まれたブロックが元の川跡のようです。
Imgp7099

これを進むとやがて阪神高速11号池田線の高架にぶつかります。
Imgp7102
高架の下は、駐車場スペースになっているようですね。
東京の高架下のように、「よくわからないスペース」もあります。
Imgp7103

その先には…思わず声をあげてしまいました。
Imgp7104
橋跡です。この高架下は、暗渠だったのです。

橋の名は「出入橋」。
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太い古木にも似て、とてもどっしりした頑丈そうな橋。欄干も立派です。
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うわー、なんかすごいもん見ちゃったな…。
立派すぎて、しかもそれが「本来の目的に使われないまま」きっちり残っているその違和感に圧倒されます。

これが元・川面。当然川は埋めれれていますが。
Imgp7106

橋の外側に、水道管でも渡してあったのでしょうか。管を下から受けるような金属の受け手が手持無沙汰な様子で残されています。
元川面から、上に架かる高架の橋裏(<ステキ)を眺めたところ。
Imgp7111

高架下は駐車場・駐輪場に利用されているのですが、
その遊休地活用スペースとこの出入橋のほんの少しの間だけ、
埋めた土がむき出しの場所が残っています。
Imgp7110

なんだかこれが川に見えてきました。

ここから10mほど高架伝いに(つまり川伝いに)北上すると、幹線道路が交差する大きな十字路。
Imgp7117_2

ここは、「志んでいりばし」だそうです!
Imgp7116
なるほど交差点の名前も「新出入橋東」。

Imgp7118

さて、これらが架かっていたのはどんな川だったのでしょう。
帰京してからネットで調べているうちに見つけたのが、このカオスさんの「混沌写真」というブログです。
出入橋のもっともっと美しい写真や、近辺の古地図を掲載されています。

その地図を見ると、ここにあったのは「梅田入堀」という人工開削の堀。
またの名を堂島掘割。

この川の成り立ちについては、ここに架かる高架の持ち主(?)財団法人 阪神高速道路管理技術センターさんのwebに詳細がありました。
これによると、堀の開削は明治11年。
なんと、明治7年に開業した大阪駅に物資を水運するために掘られたものでした。
さらに昭和3年、輸送力増強のため川幅も拡げられ橋も架け替えたとのこと。
そしてモーターリゼーションの嵐とともに、高速道路開通の昭和42年には堀は埋められていたようです。
このときいくつもの橋が撤去されましたが、出入橋は「いろいろ工事が面倒だったから」残されたとのこと。奇跡的なのかも。

さて冒頭の「蜆川」がこの梅田入堀に出入橋近くで合流していたわけですが、蜆川の埋め立ては明治42年でした。両者の関係をちょっと年表風に整理すると、
もともと:蜆川が東西に流れていた。
明治7年【1874】:蜆川に直行するように梅田入堀が開削された。
          (おそらく最初の出入橋もこのとき架けられた)
明治42年【1909】:蜆川埋め立て・消滅。
昭和3年【1928】:梅田入堀の幅員拡張。(今の出入橋が架けられた)
昭和42年【1967】:梅田入堀埋め立て・消滅。

というわけですね。

新出入橋の北側には、親水公園的な何かも。
Imgp7120

しかし当日は知るよしもなかったけど、ここが駅まで繋がる水運路だったとはなあ…。

そろそろ帰らなくちゃ。ということで、ここから大阪駅に向かいます。
大阪駅(梅田駅)周辺はたいへん地下街が発達していて、結構駅から離れた所でも地下街入口があったりします。ほんとはもっと街の景色が見ていたかったけど、小雨が降ってきたのでやむなく近くの入口から地下街へ。
Imgp7123

通路が広い!
ここを歩いていたときは、「まるで地下に流れる川跡みたいだなー」なんて思っていたのですが、大阪駅に物資を水運で運んでいた梅田入堀の事実がわかった今では、もしかするとほんとに川跡を地下街に利用したのかも知れない、なんて思いますw

地下街も大阪駅に近いところになると結構古くてレトロな雰囲気。
こんな飲み屋街も地下街にあったりします。
Imgp7131

30分だけ寄って行こうw
やっぱり土地のもん食べないと。
Imgp7125
どて焼きです。
天井も古いなあ。浅草の銀座線改札付近にある地下飲食街を思わせます。
Imgp7126
カウンターで空席ひとつをはさんだ隣にいたオバチャンから
これうまいで食うてみや、と貝の酒蒸しをいくつか頂きましたw
美味かった&何度も勧められてたくさん食べた  ので、
こちらも何かお礼をと思ってまぐろユッケ注文。
Imgp7127

オバチャンと、お連れの息子さん(といっても50歳くらい)におすそわけです。

暗渠とうまいもんと人情wに触れて、大阪出張満喫。
この横丁も早々に切り上げて、新大阪へ。
駅構内にあった串カツ「だるま」のテイクアウトをアテに、帰りの新幹線では一人宴会開催。
Imgp7132

より大きな地図で 大阪の暗渠 を表示

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コメント

川跡を利用した地下街、南のほうの確か「クリスタ長堀」がそうだったかと思います。
ちょっとバブリーな感じの地下街で。

10年以上前ですが大阪で一時期働いていましたので、大変懐かしく拝読しました。
橋がつく地名だらけですよね。

投稿: 谷戸ラブ | 2012年5月11日 (金) 20時49分

谷戸ラブさん
へえー!です。川跡地下街ってやっぱあるんですね。「バブリー」というのも面白そうです。今度行く時があったら見に行ってみます!
大阪で働いてらしたことがあったんですかー。
確かに地名は橋ばっかりですよね、さすが水の都。
東京のような高低差があまりないような印象があり、あまり川跡に期待はしていなかったんですが、
それでも運河やなんかがたくさんあってそれぞれに歴史があって、
今回初めて大阪の川跡の奥深さがわかったような気になりました。

投稿: lotus62 | 2012年5月13日 (日) 17時57分

 はじめまして。
 先日は当「おとらのしっぽ」においでいただきありがとうございました。
気がつくのが遅くなってしまい申し訳ありませんでした。

 こちらのブログを楽しく拝見させていただきました。
悪い意味はまったくありませんが、世の中にはいろんな趣味の方がいら
っしゃるんだなあと感心しました^^ 

 遅ればせながらリンクはどうぞご自由になさってください。

 最近は、わたしもHPではなくブログにとりとめもないことを書いております。
キタの大火も、改めて書き込もうかと思っております。機会があればまた、
お越しください。

投稿: おとらのしっぽ | 2012年5月28日 (月) 22時31分

おとらのしっぽさん
ああ!どうもありがとうございます。早速記事にリンクを張らせていただきました。
ほんと、貴重なお写真が掲載されていたのでここに来られる方にもご紹介したかったんです。どうもありがとうございます。
ブログもちょくちょく拝見させていただきます。どうぞ今後ともよろしくお願いいたします。

投稿: lotus62 | 2012年5月29日 (火) 09時29分

ニャン渠大使の猫間道です。この前、DECOチョコのお店に行った時、お店の前の道の地下街「クリスタ長堀」を通って帰りました。そういえば、長堀川を埋めたところの地下街だから、暗渠地下街になるのですね!身近過ぎて何も考えず通り過ぎてしまいました(^^;  それと東京での高速道路と川の景色がなんか変だ、大阪と違う、、、と思っていたのは、川幅の問題なのですね。川に蓋をしたような高架柱をル・コルビュジエ風だ、と思ったのはちょっとおしゃれだったかも。 川や暗渠を意識して大阪の街も歩かなければいけませんね。 主任になったというのにこんなことではいけないと反省です。

投稿: 猫間道 | 2017年11月15日 (水) 21時49分

猫間道さん、先日はどうもありがとうございました。そしてご昇進おめでとうございます。
暗渠という視点をもつと、ほんとうに身の回りが新しく見えますね。反省なんかしなくて大丈夫ですよw
それと、「ル・コルビュジエ風」にはわらいましたw

投稿: lotus62 | 2017年11月17日 (金) 19時57分

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