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2012年3月

暗渠ハンター 東長崎付近から葛が谷分水を辿る

新宿区神田川崖線イッキ責めの最終回です。
今回は崖線というわけではないんですが、その延長線上の
「葛が谷分水」と呼ばれる千川上水の分水を扱います。
まあ最上流は確かに人工の用水からの分水なんですが、途中は何箇所か付近の湧水を集めて葛が谷という地域を流れたかつての農業用水です。

Photo

6 葛が谷分水

まずは上流、千川上水のあった千川通りから。
江古田方面から中野通りへ向かう道。
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これが中野通りにぶつかるところで千川上水はかくんと90度左に曲がって北進するのですが、葛が谷上水はこの曲がり角を曲がらすにまっすぐ清戸道という通りを進んで始まります。

そして、かつての牧場・籾山牧場を突っ切ってさらに目白通りを越えていきます。
籾山牧場は、長崎地域に3つあった牧場のうちのひとつ(他は足立牧場、安達牧場とどっちもなぜかアダチ)。大正時代でその役割を終え、昭和の初めに「籾山分譲地」として売り出されました。当時の籾山分譲地のパンフレット表紙には富士山がみえる眺望の良さ、がイラスト入りでアピールされています。(「長崎村物語」96年9月 豊島区郷土資料館 より)
いまはその一角には大きな公園や
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鹿島建設の関連ビルが建っています。
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さて目白通りを越えるとこんな水路になって(左が目白通り、右が葛が谷分水)、
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写真奥の左カーブのあたりが水車跡。名倉水車という水車です。
この分水は冬には通水しなかったらしく、あまり規模も大きな水車ではありません。
大正時代は絹糸を撚るのにこの水車を利用していましたが、昭和に入るころには水車は廃業となってしまったようです(「ふるさとは西落合 三」03年3月 西落合まちづくりの会 より)
別の資料(「ふるさとは西落合」01年3月 西落合まちづくりの会 昭和5年生まれの加藤清氏へのインタビュー)でも、昭和12~3年ごろの情景としてここを「水のない川(溝のようなもの)があった」との記述があります。

ここから目白通りの南側を並行。この建物の右側が水路です。
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少し下ったところで、北からの湧水を合わせます。
それがここ。城田医院があるところ。
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写真奥から湧水の流れがあり、この付近に弁天池という池があったとのことです。
前出の「ふるさとは西落合」01年3月 昭和5年生まれの加藤清氏へのインタビューでは、
…そこに清水の池があって、きれいな水がぼこぼこわいていた。三十センチぐらいの深さ、ものすごくきれいな水で、底が全部見えて、どういうわけか白い砂のようなものが敷いてあったのをおぼえている。入ってはいけないことになっていたが、私たちはこっそり入って遊んだ。
きれいだったんですねえ。それにしても白い砂とは??

もうひとつの前出の資料「ふるさとは西落合 三」03年3月 内の~「セピア色した千川上水分水(昭和30年ごろ)」岡本和代 によると、
…江戸以前から清水が湧き出て池となり、中州には「弁財天」の祠が祀られていた。「雨乞いの儀式」には村中総出で、池の底まで掃除して神事を行った。
とあります。
なるほど、きっと普段は人を入れない禁忌の「神聖な儀式の場」としての存在で、いざ神事となれば池の底まできっちり手入れし、その際のハレの場の演出としてわざわざ白砂を敷いていたのかもしれませんね。

さてこの交差点から、向かいにあるコンビニの横を抜けていきます。いまだ砂利道ですね。
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この先で葛が谷分水本流と合流しまずが、反対の右岸(南側)からもちいさな湧水が合わさっていたようです。この一角がその場所らしいんですが、もうすっかりわからなくなっています。
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葛が谷分水はしばらくまっすぐに続きます。
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これは右岸の家並み。ちょっと下高台に家が並んでいて、葛が谷分水が谷底を流れているのがわかります。
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傍らにあったゴルフ練習場。
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このへんはじくじくと水がわいていたそうです。
ここだけでなくこの流域は多くの箇所に湧水や沼があったと「ふるさとは西落合」での加藤清氏へのインタビューに書かれています。

すこし先に行くと、この車道から水路が逸れる箇所が現れます。
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当然この道に入ります。
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一気に暗渠らしくなりました。そしてその先は新青梅街道。
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新青梅街道を越えるところには石橋があったらしいのですが、もう跡かたもありません。
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その先はまた車止めのある暗渠。
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暗渠上の物置も、あったあった!
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ですが味のある暗渠区間はあまり長くはありません。
以降ほとんどはこんなまっすぐな道に紛れてしまいます。
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このあたりにはこんな表示板が数か所に設置されてあり、これによると大正14年から昭和11年にかけて耕地整理がされたとのこと。
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なんどかかくっとまがって、妙正寺川までもう少しのところ、目白大学のあたりでくねくねっとなってきます。
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目白大学の敷地は山の上。ここを避けるように葛が谷分水は妙正寺川へと向かいます。
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さあもう合流まであと少し。
奥の車止めのところでゴール。
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合流地点にはどんぴしゃで足元に四角い合流口が開いていました。
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下落合付近の崖線を中心にしたシリーズはここまで。
いやー東長崎とか初めて足を踏み入れましたよw

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暗渠ハンター となりあうマリア様と不動さま

新宿区神田川崖線イッキ責めの3回目です。
今回は聖母病院の谷と、筆が続けばその西の不動谷まで目指します。
地形図はこちらを参照ください。

4 聖母病院の谷

聖母病院は昭和の初めにこの地にできた病院。
これの歴史なんかにも若干触れておこうと思ったんですが、
前回ご紹介した落合道人さんのブログにとっても詳しく書かれているのを拝見して、
断念しましたw
どうぞ落合道人さんのページをご覧になってください。
落合道人さん、毎回どうもありがとうございます。

地形図で見るとこの谷は逆三角にスプーンで掬ったようにぽこっと窪みができています。西半分は病院建設の時に削ったもののようですが、東半分はもともと諏訪谷と呼ばれる谷だったようです。その諏訪谷に関するこんな記述があります。

「おちあい見聞録」(コミュニティおちあいあれこれ)より
…聖母病院の東側は、諏訪谷と言って、その谷に湧水が流れ落ちていた。その下に10m四方ぐらいのコンクリート造りの溜池があった。近所の農家の野菜の洗い場であった。夏、子供たちの水遊び場でもあり、湧き水なので水温が低く、唇を紫色にして、震えながら泳いだ。
ふふふ、紫色の唇。私も子供のころを思い出しました。そういやここんとこしばらく唇を紫色にして寒がっている人って、見たことないなあ…。

また前回も引用させていただいた「新宿あちあい-歩く・見る・知る-」(新宿あちあい-歩く・見る・知る-編集委員会)から長谷川真之丞さんの寄稿にも洗い場の記述が出てきます。
…聖母坂を目白通りに向かって上ると右手裏(現在のコンビニストアと調剤薬局)に「洗い場」(現在でも少しですが清水が湧いている)といってコンクリート造りのしっぱな貯水池があって、そこには冷たくて美味しい清水が音を立てて湧いて洗い場に注いでおり、バケツにあっという間にいっぱいになりました。
この資料には、コンクリート製の洗い場のイラストも載っておりそこには昭和10年ごろ、と書かれています。また別なページにはこの谷の出口の方にあった徳川男爵家の静観園という庭やそのそばにあった釣堀のこと、その他この一帯にあった沼のことにもちょっとだけ触れている箇所があります。本当に水の豊かな土地だったようです。

さてではいよいよ現地の様子を。
まずは坂の上からの眺め。
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信号の向こうがどーんと落ち込んでいるのが解りますでしょうか。
この通りが聖母坂です。
ちょっと裏手、東の諏訪谷のほうに入ってみましょう。
谷の上の細道から谷底の道を眺めます。
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谷底の、二階建ての家より高いところにある道。

谷底に通じる道を下りていきましょう。
これはその降りっぱなで、来た道を振り返って撮ったもの。
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谷底の路地はしっとりした雰囲気でした。
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たぶん件の洗い場とは、ここなんではないかと思います。
エッジの効いた崖と、ぽっかり空いた駐車場。
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湧水の名残までは確認できませんでしたが。

すぐ近所にはアートっぽい染物屋さんもありました。
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もうすこし下ると、たぶん洗い場と妙正寺川を結んでいたんだろうと思われる暗渠指数の高い道も見ることができます。
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ちょっと残念ながら確証はないんですが…。

この先でさっきの聖母坂の通りに出ていきます。
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聖母坂の左右には大きな病院や近代的な関連施設が並び、昔の沼や釣堀を想像するのも難しいです。谷一帯ではさっきの洗い場付近が、辛うじて昔の姿を偲ぶことができるエリアでした。

5 不動谷

つぎは、さらに西に移動して不動谷に。環7の西にある谷頭(一級スリバチ)に発し、環7を越えて東南に流れていく川があったようです。まあ便宜上これは「妙正寺川不動谷支流(仮)」と呼ばせていただきます。

「おちあい見聞録」(コミュニティおちあいあれこれ)によると、
…一番奥は中落合3-17付近にあった。~中略~谷へ下りていくと、小道があった。この小道を下りると、小さい池があり、その辺に弁天様(今は移動し、厳島神社という)があり、その付近にこんこんと水が湧いていて、農家の方はここで大根やごぼうを洗って出荷していた。夏には子供のよい水遊び場だった。この水は小川となって、その谷の西側斜面の杉林の下を流れて、不動園という箱根土地(株)の庭園に入り、庭園内の湧水も加わり、季節には水蓮の花が咲く池になっていた。
おお。水蓮まで。
ところでこの箱根土地は結構川の歴史を調べていると出くわす会社です。井の頭線池ノ上の南、北沢川溝が谷支流の付近にも箱根土地による清風園という分譲地がありました。鍋島松濤公園一帯も確か箱根土地によって一度買収されているはず。西武グループで有名な堤さんの会社ですね。桃園川の源流とされる天沼弁天池といい、川を調べているといろんなところで堤さんに出くわします。あ、そういえば「堤防」の「堤」ですね…。関係ないかw

では現地に飛んでみましょう。

まずは、もともと谷頭にあった弁天様。谷のすぐ南に厳島神社として移動されていました。
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ちいさな境内には、シンボリックに池も造られています。
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そして谷頭にまわります。この写真の右裏が谷頭です。
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谷頭から下流を望みます。
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まさに谷のはじまり。

一級スリバチはこのすぐ奥に出現します。
まずは今降りてきた道を振り返ります。
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そして正面は階段。
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右側も、階段。
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左側も階段です。
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古い地図の記載によると、おそらくこのスリバチからの南側の高台を含む一帯が不動園、のようです。
おそらくこのスリバチが洗い場で、ここに南斜面からも湧水が流れ込んでいたのだと思います。

そして、スリバチの少し下流、環7の手前にも池があったようです。ここらへんのはず。
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もう防火水槽の標識以外、水の匂いはしてきませんね。

さあ山手通りを渡って下流を辿りましょう。
山手通りのすぐ東側の川跡は、はじまりがすでに住宅となっているようでよくわかりません。
この行き止まりの道の奥から暗渠らしい道が確認できます。
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ちなみにこれは暗渠ではありませんが、近辺の路地はいい雰囲気です。
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下流に向かって辿ります。
いったん広い道になりますが、
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その先で再び(元)水路が現れてきます。
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その先はまた暗渠らしく細く細く。
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あ、パイプが壁に埋まってたw
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まもなく新目白通りにぶつかります。
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いま通ってきた暗渠を新目白通りから見たところ。
あたりまえですが、ずいぶんと高低差がありますね。
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通りを渡った先には藍染やさんが。
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ここから妙正寺川はすぐそこ。
でも、付近には暗渠サインともいえるタクシー会社の駐車場があったり、
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思わぬ方向に伸びる暗渠があったりで、
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流路が特定できません。
もしかするとこの合流地点付近は複数の用水路が錯綜していたのかもしれません。

迷いは多いのですが、今は素直に一番大きな通りの下に下水として付け替えれれているようです。
その証拠となる合流口です。
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そして、合流後の妙正寺川。
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さていよいよ次回でこのシリーズの最終回、千川上水の分水を受けて葛が谷を流れ妙正寺に注ぐ水路をご紹介します。

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暗渠ハンター おとめ山。自然と人工、となりあわせの水。

新宿区神田川崖線イッキ責めの2回目です。
前回は1として血洗いの池、2として林泉園を取り上げました。
次は、おとめ山公園、おとめ山の谷戸を扱っていきます。

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3 おとめ山の谷戸

ずっと「乙女山」かと思っていました。ありがちですが。
ですがほんとうは「御留山」。
江戸時代将軍家の御狩場で、ほかのひとは入っちゃダメ!の立入禁止だったからこういう名前だったそうです。
明治期には前回の相馬邸となり、戦後一時期荒れて昭和44年に区立公園となったところ。
今回のほんとうの目的地はここでしたw
というのも、「東京湧水せせらぎ散歩」(丸善 髙村弘毅)に載っていたのをみていて、ずっと行ってみたかったところだったので。
少々引用させていただきます。
…公園は道路を挟んで東西にあり、湧水があるのは西区画の一番奥。崖下の石の間から湧き出し、細い水路を下って池に流れている。ここではホタルの養殖が行われ、毎年観賞会が催されている。

ふえー。楽しみです。
まずは東側の池から。
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前回の地図に記した通り、ここは林泉園で湧いた水が旧相馬邸と旧近衛邸の間の谷を通って来る池です。
公園内谷頭の、さらに上に続く谷にある団地(写真奥)は公園の拡張のためにすでに閉鎖されている模様。
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そしてそそくさと西区画の池へ。
西区画の下流には、ホタルの養殖場。清流を利用してここでホタルを育てているようです。
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そっから谷に沿って流れが続いています。
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すげえ、まるで田舎の谷。川崎の生田緑地を思い起こさせるような自然っぷり。
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こんなふうに流れをせきとめてできるような小さな池があるんですが、目を見張るような光景はその上流に。
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まるでミニ渓流です。
数10m上流に向かうだけで、岩の間からとよとよと湧く湧水が確認できます。
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ちょっとこれは感動もの。新宿区ですからね、山手線の外側とはいえ。

公園の奥までいくとカパッとアイスクリームをえぐったような谷頭があり、その下から水がこんこんと湧いているのが確認できます。
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写真ではなかなか伝えきれないんですが、これはかなり感動の風景。
もっと早くに来てみればよかった。

地形図には示しませんでしたが、すぐ西となり(と行っても5分くらい歩きますが)には野鳥の森公園の池も。
これはあまり資料がないのですが、やはり私邸の池を区の公園にしたような感じです。地図によっては載ってないし、「野鳥の森」というにはちょっと無理がある感じの…w
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同じ崖線の上にできた小さな池。
そしてこれらの池は、神田川に合わさる直前の妙正寺川に注いでいたようです。
※2012.3.25追記:リバーサイドさんからコメント頂いた通り、合流する川は妙正寺川か神田川かは微妙ですね。本来の流れ体系から言えば、合わさるのは「妙正寺川と合流したばかりの神田川」です。しかしいま神田川の分水路として『妙正寺川的な川』が神田川と並行して北に暗渠で流れ、おとめ山の水はおそらくそこに流れ込んでいます。
ですのでやっぱりざっくりいう時は「妙正寺川に合流」というより「(大局的にみた)神田川に合流」としたほうがよさそうですね。リバーサイドさん、ご指摘どうもありがとうございました!

妙正寺川と神田川の合流点といえば、namaさんが昔その夜景を書かれていましたが

その昼間の景色がこれ。
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まさにサイボーグ。
人によってコントロールされた川。
さっき自然のままの谷頭からの湧水を見たすぐ後にこれって結構衝撃的です。
どっちがいいとかわるいとかじゃなくって。
水に対する憧れとか畏れとか、いろんな気持ちに行ったりきたりさせられる場所ですね。

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暗渠ハンター 林泉園にあった幻の池と血洗いの池。

数回にわたって、新宿区神田川崖線イッキ責めというのを書いていこうかと思います。
こんなやつ。

Photo_3

厳密にいうと1の血洗いの池は豊島区なんですけどね、ギリで。
さらに厳密にいうと、下落合よか西は神田川というより妙正寺川なんですけどね。

この一帯は神田川沿いでも特に厳しい勾配を持った崖地帯。
どうも東京の川は川の南側よりも北側の方が急峻な崖になっていますが、
その理由に関しては地殻変動説や「北側の岸は日が当たるので霜柱が融けて地盤がぐじゅぐじゅになって浸食されやすい」説など、諸説ある模様。詳しくは貝塚爽平氏「東京の自然史」に載っていますのでご参照のほど。

こんな素敵な崖なんだから、支流をなす暗渠があるに違いない。
暗渠がなくても湧水や池なんかが見られるだけで幸せだろう、と出かけて行ったわけです。
結論から言うと、暗渠が見つからなかったところもあります。
それじゃ「暗渠ハンター」というタイトルはどうなんだ、
という向きもありましょうが、まあここは大目に見てくださいw

まず今回は1の血洗いの池と2の林泉園を取り上げます。

1 血洗いの池

血洗いの池とは恐ろしそうな名前ですが、
ここは学習院大の構内にある池。wikiによると
「元は湧水でできた用水池で、江戸時代には灌漑に使われており、水門・水路があった。」とのことです。
名前の由来は、いろんなところに
「堀部安兵衛が仇討で血が付いちゃった刀を洗った」とありますが、これもwikiによると学習院で伝わる後付けのお話だそうです。

構内を入り池までの道は、まるで山の中。
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敷地の南端がぽこっとスリバチ状になっていて、
そこに水を湛えています。
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池は想像以上に大きくて、静か。
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敷地の外はもうすぐそこが神田川です。
ここから流れ出しているのかな。
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この先神田川方面には流れの痕跡はありませんでした。
ぐるっと池の周りを巡ってみます。

あ、思わぬところに猫がいた!
ということで、下の写真のどこかに猫が写っています。
さて、どこでしょうw!? 答えはさいごに。
(ってやるつもりで撮ったんですが、見返してみるとこりゃわかんないっすよね、小さすぎてw)
Imgp5519

この辺りが地形的にも造り的にも湧水源っぽいですが、
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確証は得られませんでした。
いくつかの資料をあたっても「元湧水」という表現が多く、
すでに枯れてしまっているのかもしれません…。

このスリバチの上の方には、のり巻きみたいな土管。
ここから池に水が落とされているようです。
生活排水なわけがないですよね…。たぶん学内の雨水が集められているのではないかと思います。
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またまたwikiりますが、こんなことが書かれていました。
「血洗いの池」は魚類やザリガニ・水生昆虫・水生植物等を保護するため自然のままに任せていたが、湧水の枯渇と雨水泥水流入等による水質汚濁や、護岸の崩れ等による周辺環境の悪化を改善するため、2001年に池の浚渫・護岸の整備・水質浄化装置の設置・植栽改善・電灯設置・木製八つ橋の架橋など整備工事が行われた。(以上引用)

なるほど、やはりすでに湧水ではなくなっているのですね…。

2 林泉園

さてここからは、山手線の外側に移動。
林泉園の池跡に向かいます。
ここは、血洗いの池に行く道すがら東京時層地図をみていて偶然付近に見つけたものです。
そしてどうやら今でも、水はなくともその跡がぽこんと窪んで残っているようなのです。
そこが昔「林泉園」と呼ばれていたことは、後になって知りました。
そうそう、家に帰ってここを調べていたら
どうも東京スリバチ学会さんのFWでも訪れていたようですね。
「一級スリバチ(四方が高所に囲まれる窪地)」として取り上げられていました。

それは目白通りの尾根筋から神田川・妙正寺川の作る谷に向かう斜面にあります。
そこに、目白通り側からアプローチ。
ここが、林泉園を囲むへりの道。
Imgp5526_2

写真左手ががくんと窪んでいます。
その窪み・スリバチの底に降りてみたいのですが、
そこには集合住宅が建っており中に入るのはいささか憚られます。
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どこか降りる道はないかとへりの道を通って谷頭方面を目指します。
おお!あった!!
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見事な落差の階段がスリバチの底まで延びてます。
降りてみましょう。

底には短い道があり、すぐ向こう側にあるヘリにクランク状に繋がっています。
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ちょっと暗渠の匂いのする道の造りですね。
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これが向こう(南)側の階段。
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登ったところでも、暗渠的な香りのする道がありました。

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というわけで来た時と反対側のへりに出ましたが、谷頭であるさらに奥の方に向かいます。
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お、だんだん底との段差が縮んできました。

どうやらこの原っぱというか駐車場というか曖昧なところが谷頭地点のようです。
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なんか意外とあっさりしてるなーという印象。

しかしさらにその奥には、これまた暗渠指数の高めな路地が続いていました。
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迷わず入ってみます。
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果たしてここを林泉園に注ぐ源流が流れていたのかどうか…微妙です。
すぐに大きな道に出てしまいます。
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さてここで。
いったい林泉園とは何なのでしょう?
帰りに寄った新宿区の中央図書館で資料を漁ると、いくつか林泉園に関わる記述を見つけることができました。

まずは「新宿あちあい-歩く・見る・知る-」(新宿あちあい-歩く・見る・知る-編集委員会)から長谷川真之丞さんの寄稿より。
…近衛邸と相馬邸(lotus注:おとめ山公園を含土地はかつて相馬さんという方の、そしてその北から目白通りまでのところは近衛さんという方のおうちでした)の間には、谷間になった低い土地に相馬邸の一部と言われている林泉園があり、立派な庭園で清水が湧いてうっそうと緑に囲まれた池に流れ込んで、そこには子供たちが入ることができました。皆で遊びに行って大きな蜂の巣を見つけ棒で突いて蜂に追われ刺されて痛い目にあい、水で冷やし泣き泣き家に帰り、学校を一日休んだことがあり今でも忘れられません。又、テニスコートなど二箇所ありこの時代はお金持ちの偉い人がゴルフやテニスをするものと小さい時から思っていたのでやはりお金持ちの屋敷だったのかなーと思いました。

林泉園は湧水のある庭園だった、付近にはテニスコートもあったというわけですね。

「私たちの下落合」(落合の昔を語る集い 下落合二丁目の高田蔦枝さんの記述)から。
…川の一番上流は(lotus注:おとめ山公園の池に注ぐ川のこと)、北側の道路の下に大きな土管が埋まっていて、その先は道路の北側にある林泉園の谷に繋がっていました。~中略~さらに昭和26~27年には、我が家に接する相馬さんの谷が埋められたのです。地下鉄丸の内線の工事が始まり、それを掘るときに出た土で埋めることになったのでした。~中略~相馬さんの谷の上流にある林泉園の谷も解放されて、やがて家やアパートが建ち、戦前の下落合の谷や森はすっかり姿を消してしまいました。

林泉園とおとめ山公園の池は土管で繋がっていた、とのことです。その後付近の谷を埋めて再開発がおこなわれ、昭和20年代後半には林泉園も宅地として造成され切り売りされて言ったようです。

また「落合の歴史」からはこんな記述が。
…下落合の中でも当時特級地は目白駅近くの丸山林泉園一帯であろう。~中略~武家屋敷、築地塀を囲らせた相馬邸、その前が電力王の松永邸、周辺には東京電灯の二階建社宅がズラリと並んで建っていた。樹木鬱蒼と繁り、昼なお暗しというにふさわしい一角、全く閑静な地区で、近衛家の別邸、元外相の故有田邸、その他有名会社の社長級が軒を並べていた。
なるほど。野趣あふれる中にも格調の高い高級住宅地だったようですね。

webでも調べてみましたが、
林泉園だけでなくこの辺り一帯のことがとても詳しく書かれてあるブログを発見。
落合道人さんという方の落合一帯を扱うブログで、林泉園のこともイラスト入りで構成されています。
ここは秀逸!そのほかのページもすごくおもしろい!!
落合さんリンクの快諾、どうもありがとうございました!

さて、先ほど引用した記述にもある通り、
この林泉園の池の流れは坂を下ったところにある「おとめ山公園」の池に繋がっています。
もういちど現場の話に戻って、その「繋がり」を探してみます。
当然すでに流れは見ないのですが、林泉園から下流の方向にこんな道が横切っています。
Imgp5544

この道のまんなかへん、窪んでいるところがあり、流れはそこを左右に横切っていたようです。
その窪みに立って左右を確認。
上流方向はこれ。
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すぐに行き止まりになってしまう道なのですが、その不自然さが十分に怪しい。

そして下流方向は。
Imgp5546

この真ん中左寄りのあたりが怪しいです。
道はありませんが、当然この先をまっすぐ伸ばしていくとおとめ山公園の池にぶち当たります。
ここに先の引用の「大きな土管」が埋まっていたのでしょうか。
そして付近は丸ノ内線の工事で出た土で埋められたのでしょうか…。
この先をコの字ウォークで辿ってみましょう。
やや窪んだところに団地。暗渠サインの一つですね。
Imgp5550

取り壊しにかかっているようで廃墟然としています。
掲げられた表示によると、この跡は隣接するおとめ山公園の拡張地になるようです。

さてこの先はいよいよおとめ山公園。
次回でご紹介します!

あ、そうそう、猫クイズの正解はこちらw

Photo_4

アップで。

2

ではでは。

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暗渠ハンター 田園調布に湧く「せせらぎ公園支流」とその他のこと

ちょっとだけ、田園調布の周辺の暗渠を。
これも、『凹凸を楽しむ 東京「スリバチ」地形散歩 』を読んでいて、「あ、ここも行っとかなきゃ」的に出かけて行ったところです。
地形的にはこんなかんじ。
google earth様、東京地形図様、いつもありがとうございます。

Photo 

ここ田園調布付近で展開する主な作戦は、
・宝来公園下の谷をチェック
・田園調布せせらぎ公園の湧水の具合を見る
・そっから田園コロシアム跡を通ってまた駅に登っていく川跡(「せせらぎ公園支流:仮」)をたどる
以上3つ。

まずは作戦その1、宝来公園下の谷。
ここはさらっといきましょうかね。
前出『凹凸を楽しむ 東京「スリバチ」地形散歩 』の地図には川跡として書かれているのですが、その他手持ちの資料にはここの川に関して書かれたものを持っていません。
なにか現地で川跡だったという手掛かりでも見つかればな、と思って訪ねたわけです。

谷の起点はここ。
玉川浄水場でした。
Imgp5296

ここから深い谷が刻まれて、いわゆる「田園調布の街」の外周を抉るように多摩川へと向かっていきます。

きょろきょろしながら歩いていくと、確かにソレっぽい風景はありますが、決定打はなかなか見つかりません。
Imgp5298

そうこうしてるうちに随分谷を下りてきて、宝来公園の池まで来てしまいました。
Imgp5308

田園調布の崖下にある池です。
まあ普通に考えても、この池の排水はこの谷を通って多摩川に向かうはずです。

あ、カモも寒そう。
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顔を自分のダウンに突っ込んで寝ているようです。

池を過ぎるとますます谷は深くなります。
見てくださいこの崖っぷり。
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道は大きく蛇行しています。

Imgp5312

が、浄水場と池と崖と蛇行道以外大した手掛かりも見つけられないまま東急東横線多摩川駅に着いてしまいましたw

この駅前で、東急東横線の反対側を流れてくる川跡と合流します。
こっちの川は、いくつかの資料で確認したことがありますし。有名な湧水もあります。

ということで作戦その2 田園調布せせらぎ公園にある湧水を見に行きましょう。

駅からスグだし緑も多いしで、なかなか小さいお子さん連れのお出かけスポットとしては人気があるようです。(ただしこの日みたいな極寒の真冬以外)

入口の案内です。
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第1湧水池と第2湧水池。豪華!二か所もだくだくしてるようです!

まずは第2湧水池から。
おお、こんな見事な崖下に!
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こんなきれいな湧水池が!
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この池から、斜面を生かした公園の敷地をこんな素朴な姿で流れていきます。
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素敵です。ああーなんでこんないい所に今まで来なかったんだろう。勿体なかったなあ。
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さてサクサクと歩いて次なる第1湧水池へ。第1ってくらいだから、もっとすごいのがあるのかなあと期待を膨らませその場所へ行ってみます。
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あれ?ここだよね?ここですよね?
崖下の谷頭に、うっすらと窪んだエリアがあるんですが…。
枯れてしまったの?渇水期だからなの?
公園の清掃をされている方がいたのでお話を伺ったところ、
ここ数年はもう湧水が出なくなってしまってるんだよ、とのこと。
ああ、また一つ清井が消えてしまったのか…。

気を取り直して、先に進みましょう。
この湧水は、さらに上流にある水源からの流れの通過点に過ぎません。
これが作戦3。
古地図を見ると、元田園コロシアムの敷地を突っ切って田園調布駅の東へ辿ることができます。
田園コロシアムは現在テニスクラブとなっています。
その敷地に流れが入っていくところは、微妙に窪みが見えます(左がそのテニスクラブ)。おおー。
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さてこのテニスクラブの反対側、おそらくここに抜けるはず。
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ここから住宅地のブロックの中を通って、流れはいったん駅前の通りに出てきます。
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田園調布名物のサンリオのいちごの形のショップ、すでに覆いが掛けられて解体が始まっていました。
諸行無常のひびきあり。
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駅に向かってこの道をいくと駅付近でぐぐっと左に折れますが、
川跡は折れずにまっすぐまた住宅を抜けます。
この道の左手のほう。
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さらに奥には小さな池もあったようです。

その先に回り込んで見ます。
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さっきの川は右(下流)から左(上流)に向かっているはず。

上流をめざし左に曲がると…やっと出会えました。

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歩道となった暗渠。
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新しく舗装されたようなのが残念ですが、
細くてあまり人通りのないこの細い路地にしっかりと残る川跡。
舗装される前に見たかったなあ。
車止めもしっかりあるし。
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あんまりいい雰囲気なんで、振り返ってもうワンショット。
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ほんの50mくらいの区間でおわってしまうところも儚くていいです。
その先はまた道に紛れてしまします。
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そしてそのまま田園調布駅の北で東横線にぶつかり、終了。
この辺が谷の始まりです。
でもさきほどの田園調布せせらぎ公園の湧水のインパクトが強いので、
ここは仮に「多摩川 せせらぎ公園支流」と名付けましょう。

作戦を3つも遂行した割には盛り上がりの少ない散歩でしたが。
最後の暗渠はいい収獲たったかも。

より大きな地図で 田園調布 を表示

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暗渠ハンター 柿の木坂支流の源・芳窪で見つけた小流

今回は芳窪のお話をしようかと。
カケダシの頃に、呑川の上流をなす3つの支流を訪ねたことがありました。
深沢支流駒沢支流、そして柿の木坂支流

柿の木坂支流は緑道となっていて、その先端の芳窪と言われるエリアで終わっています。
緑道をそのまま延長した先には環7と駒沢通りが交差する野沢の交差点があって、
その付近はまさに品川用水の流路だったので、
「ああ、また品川用水からの落ち水があって、それが源流になってるのね」
とそれだけで私の中では「おしまい」にしていました。

それが…。
去年世田谷の川探検隊のオリジナルメンバーでもあるまさぼうさんとお話する機会があって、まさぼうさんに芳窪のお話を少々伺ってみました。
その時
「なんかね、芳窪から、果樹園みたいなところに繋がって消えていく流れがあるんですよね…」
と仰っていたのがとても気になって、その「果樹園みたいなところ」を探しに行ってきたんです。

まあまずは何はともあれ柿の木坂支流に到着。
これからここに桜や花梨が咲いたりするんでしょうが、この時はまだ冬の真っ盛り。
(冬も「真っ盛り」っていうんだろうかw)
ちょいとさびしい感じですね。
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詳しく「果樹園みたいなの」の位置も伺わずにいたので、
とにかくここいらへんを歩き回るしかありません。
川筋でなく、ここに続く谷を攻めてみると、
結構思わぬ収穫もあるものです。
崖の中腹に横たわる排水溝とか。
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やはり崖の中腹の駐車場に残る井戸とか。
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こんな地価が高そうな所なのにぽっかり空いた空き地とか。
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ここは、日本大学生物資源科学部の土地だそうです。

おお、これまた環七から柿の木坂支流に下る崖の中腹、支流方向に向かっていく道に車止めがありました。

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もしかしたらここにも小流があったのかも知れません。
と思って反対方向(つまり崖上である環七方面)をふと見ると…。
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果樹園みたいなところです。
冬で木の枝がかなりさびしい感じですが、もしかしたらほんとに果樹園なのかも知れません。これか!?探していたものは!!

しかも、この正面の門だか小屋だかみたいなのところの足元はちょっと窪んでいて、なおかつ橋のような構造物が見えます。
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これだ!これに違いありません。
あとで調べたらここは「根岸グリーンガーデン」という、目黒区で2か所しかないぶどう狩りができる果樹園ということでした。
まさぼうさん、見つけましたよ!!

さっそく果樹園の反対側、上流に回ってみます。
果樹園の上は駐車場になっていました。

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駐車場の奥に少し低くなって果樹園が見えます。

さて上流はどうなっているかな、と回れ右。
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ありました!小さな川跡が金網の向こうに延びています。
…うう。うれしい…。すごくうれしいです。
金網の向こうはこんなふうに、暗渠がひっそりと誰からも相手にされずに続いていました。
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コの字ウォークで先回り。
あ、ここだ、ここです。
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ちょっと奥に入ってみましょう。
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こんなふうにさっきの場所から繋がっています。
ここから振り返って上流をみればこんな。
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この荒び加減もたまらなくツボに入ります。
これは細いながらも、いや細さゆえの味わいがある暗渠です。
呑川上流の3本では、支流の支流のバリエーションが豊富な深沢支流がダントツで好きでしたが、ここを見つけて柿の木坂支流の好感度が一気に上がってしまいました。
そのまんまですが、便宜上「呑川柿の木坂支流の芳窪果樹園支流」と呼ぶことにします。

しかし芳窪果樹園支流の川跡が見られるのもここまで。
あとは痕跡見当たらず。

芳窪果樹園支流の延長線上には、東京電力の変電設備がありました。
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もしかしたら、ここも川と関係があるかもしれません。
ジュクジュクした湿地で、ちょっと利用に困っていた土地なのかも。前々回の記事で「水気の多い土地は電気が逃しやすい」とも学んだので、それに関係があるのかも。
それにしてもこの電力設備は資材置き場にもなっているようで、こんな工場のタービンみたいな大型部品もちょっと惹かれてしまいますw
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隣にはクリーニング屋さんもあるし。
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もうここは環七沿いです。この尾根を越えるわけもないでしょうから、芳窪果樹園支流に上流が続いていたとしてもここが限度ですね。
(因みに環七の東側には、蛇崩川の支流の出発点・鶴が久保があります)

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さあて、無事に目的のものが見つかったので、あとは適当に野沢交差点方面に向かおうかな、と歩き出します。

これは、柿の木坂支流緑道の終わりから野沢交差点に向かう道。確かにここも暗渠なんでしょうね。
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たまたまこの記事の準備中に、リバーサイドさんもここの記事をアップされていました。
ここの3枚目の写真の地点です。

せっかくだからともう少しあたりをウロウロしていたら、上馬3-10-12あたりでこんなものを見つけました。
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この、道路の盛り上がり具合…そして左の看板みたいなものの足元には…橋跡?
近寄ってみましょう。
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これ。
なんとも判別がつきづらいです。
まあ橋跡だと思っておくかw
なにせここは芳窪。一帯水の豊富なエリアだったのでしょうし。

まさぼうさん、情報どうもありがとうございました。

より大きな地図で 呑川③柿の木坂支流 を表示

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