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暗渠ハンター 十条あたりから緩く遡る北耕地川③なぜか藍染の話と橋跡

環七を越えた北耕地川は稲荷台を抜けていきます。
このあたりはかなり不自然な地形。
それというのも、この付近はかなりな丘になっていて上流→下流に向かって丘になっているんです。あり得ませんよねえ…。しかし古地図を見ても確かにここを通っています。
可能性は二つ。
①北耕地川は人工の用水路なので、もともと高台の丘を切り通してあり今はその谷が埋められている。
②もともと自然に川が流下するような低地だったがあとで全体に川もろとも盛土された。

うーん、そんじゃ①でw
というのも、こんも稲荷台の丘の頂上付近にはこんな場所が残っていたので。
Imgp4404

ある程度稲荷台を上流方向に進んだところにあった、水路跡のような細長い用途不明の土地。(写真は上流から下流方向を振り返ったところ)←ほんとは流路を間違えてしばらく進んで、ようやく本来の流路っぽいところを発見しあわてて撮った一枚w

これがこんな風に丘の上に続いています。
Imgp4407

こんどは下流から上流方向を撮りました。右側が用途不明の土地。←まだあわててるので写真と撮る方向がめちゃくちゃw

ここに、深い谷を切り通して川を流していたんじゃあないかと思うんです。

さらに上流に歩き、帝京高校のグラウンド横を抜けていきます。
支流の合流?と思われるところもいくつか見ることができます。
Imgp4412

西に進み、中山道を越えるあたりがちょっと流路が難しくなります。
普通に道になってるのは中山道まで。越えたところは道になってない…。
ほら、中山道の向こう、写真奥です。
Imgp4420

中山道を渡るとこんな車止めがあり、すぐに突き当たり。
Imgp4421

突き当たりの先はマンションの駐輪場ですね。
Imgp4422

この先はコの字ウォーク。
いくつかの私有地をこえていくと、智清寺というお寺を囲む道路に。ここでやっと北耕地川と再会できます。
Imgp4424

裏路地感が漂ってます。
Imgp4427

そこを抜けると、こんどは日曜寺というお寺の前に。
なんて楽しそうなお寺の名前でしょう。サンデーテンプル。
いやや、正式には光明山愛染院日曜寺。
Imgp4428

御本尊が愛染明王で、愛染が藍染に通ずるところから江戸時代から藍染業者の信仰を集めていたんですって。
なんと、藍染めと言えば川の傍の暗渠サイン!
偶然でしょうがなんか繋がってるみたいでうれしい!

ところで愛染明王は遊女や水商売の方々からの信仰も篤かったそうです…。
昔活躍した愛染恭子さんという女優さんもここから芸名とったのかな…。
さらに話は逸れて愛染恭子さんに絡む思い出がひとつ。
まだ私が純真な高校生の頃です。
なぜか母親と二人で、休日の昼下がりかなんかに茶の間でテレビを見ていたときがあったんですが、突然愛染恭子さんがテレビに映りまして…。そのとき母が私に言った言葉が
「ああーこの人知ってる?ホンバン女優の!」
それになんと私が答えたかは憶えてませんが、赤面してあたふたしたことだけは憶えています。母からそんな言葉がでるとは、
っつかそんな話題オフクロから思春期のもつもつした田舎の高校生に振るなよ、と。
まあきっと母親も試しに、と精一杯頑張って大人の話題振ってみたんだろうなあ、いまから思えば。

話を戻しましょう。日曜寺。
この入口に、立派な橋跡が残っているんです。さっきの写真にも小さく写っているんですが、これ。
Imgp4429

…あんまり立派すぎるし、ちょっとこんな川幅狭かったん?と多少の疑問が残りますが、でもここしっかり流路上なんですよねえ。
暗渠仲間の味噌maxさんもここで取り上げてらしゃいました。

さてこのあと石神井川の分流点まで行きたいところですが、
ここまでで本日は終了。
ちょっと用事があったので、残念だけど十条駅まで引き返すことにしました。

以下はその帰り道に見たオマケ。
途中まで石神井川を通って行ったのですが、
中山道手前で右岸からじゃばじゃばと水が勢いよく合流しているではありませんか。
Imgp4431

なんだなんだ、と思ってその先を見てみると。
池!ツリボリ池です。
Imgp4434

氷川つり掘公園というところで、看板によると
「都営三田線のトンネル内に湧き出した地下水を利用した池で、池を通った水は石神井川に放流してるよん」
とのこと。おおー、地下水かあ。

オマケもういっちょ。
石神井川近くにあった井戸。
なんか洗い場の形とか色とか、背景の青いトタンとか絶妙。
Imgp4435

より大きな地図で 杉並以北でまとめてみよう を表示

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2056 ・・・石神井川水系」カテゴリの記事

コメント

あぁっっ!
智清寺スルー‥‥‥

ところで。
姥が橋南側の高台は、長年の疑問でした。

母と赤羽へ向けて谷底の道を走りながら
「この道は、むかし川だったんだよ。と言うか、今も流れてる。ホラ、下から音がするでしょ?」
と言われ、マンホールから聞こえてくる音に耳を澄ました当時の私は小学校低学年。
同時に暗渠と言う単語も知りましたが、暗渠に目覚めるには早すぎでした。
それでも「じゃぁこの川の水は、どこから流れてくるんだろう?」と幼ながらに思ったのです。

姥が橋交差点の南は既に現在と同じ様子だったので、続きというか上流はソコなんだろうとは思ったのですが、見える湧水があるワケでもなく、その向こうは緩やかに登ったあとストンと落ちている。あれだけザーザー言ってる水が湧いてるハズが無いよなぁ‥‥と。

で、その謎の真相を知ったのは大学生になってから。江古田界隈のクネクネ細道(石神井川の支流)を走って暗渠に目覚め、「近所にも暗渠が無いものか」と、ちょっと調べたら衝撃の事実。きっと法面が斜めだったんでしょうね‥‥。で、暗渠にどっぷり。

さて、
lotusさんの辿った方向的で見て、用水がカクっと左折する箇所(私はその突き当りの保育園出身w)のもう少し先、中山道の旧道と新道の隙間で、左方向に悪水吐きと思しき路地がありますね。ひょっとしてあの井戸もそのあたりで撮ったのかなぁ‥‥なんて。
http://link.maps.goo.ne.jp/map.php?MAP=E139.42.39.908N35.45.16.785&ZM=11
悪水吐きと言えば、氷川釣り堀の少し上流で千川上水からも落ちてきてますね。

日曜寺の橋から推定できる川幅を疑問に思われたようですが、たぶんあのまんまの川幅です。
実はすぐ隣の智清寺にも橋跡があって、そちらはむしろ細いくらいの幅を想像させますし。
根村用水の水を取り合って、板橋村と十条村が争ったほどだそうですし。
※この話は知清寺だったかの立て看板に書いてあったハズ!

姥が橋の交差点から階段で降りた先の道幅もあんなもん。
だいぶ上流方向に離れますが、東新町(石神井川・環七交点の、そのもう少し上流)の安養院で当時のまま(かどうかはちょっと微妙ですが)の水路が見れます。その幅とも同じくらいです。
当時の農業用水(あげ堀の類)はあのくらいの幅が多い気もしますし。


既にお察しかと思いますが、その氷川釣り堀公園、石神井川の旧流路を利用してます。
もう死ぬほど蛇行してたので、同様に蛇行跡が公園になっている場所が何か所もあります。
↑のgoo地図でS38にすると三日月湖のようなものまで写ってますが、今は住宅が建ってます。超近所。

投稿: Holive | 2012年2月13日 (月) 22時20分

智清寺orz
orz 中用水遺構石橋…orz
http://www.city.itabashi.tokyo.jp/c_kurashi/018/018735.html
次にめぐるかたはぜひここはスルーしないようにしていただきたいですw

そうかあ稲荷台あたりはHolive さんの暗渠の原体験だったんですね。
いいお話です、これ。
井戸の場所は、大当たり!です。その路地の奥(石神井川に出るところ)にまさにありました!

>氷川釣り堀の少し上流
ここは、実は辿らなかったので知りませんでした。

>日曜寺の橋から推定できる川幅(中略)たぶんあのまんまの川幅です。
なるほど。あの遺構もフェイクではなさそうなんですね!
よく残してくれたものです。
それにしても智清寺…orz

>もう死ぬほど蛇行
さっそくgooチェックしました。うわー。見ごたえありますねー。
改めて今の地図見てもぐにゃってた痕跡が見えてますます楽しくなります!

投稿: lotus62 | 2012年2月14日 (火) 09時58分

先程はフォロー許可ありがとうございましたm(_ _)m
相当な距離を歩かれたのですね。最後の写真の井戸場、というか井戸端の一角、とても風情があります。
lotusさんmamaのエピソード、何か微笑ましいです。ピュアな学生さんだったのですね。
うちのマミーは、TVでハレンチな兆候を感じるや否や、バスタオルを広げてTVの前に立ちはだかってた
記憶があります。

投稿: 谷戸ラブ | 2012年2月14日 (火) 15時22分

>谷戸ラブさん
こちらこそ、見つけていただいてありがとうございます!
過剰なまでにお子様の環境にお気を使われていたんですね、お母様w
バスタオルをお茶の間に用意されてまでww

投稿: lotus62 | 2012年2月14日 (火) 21時02分

中用水が稲荷台の尾根を乗り越えるところは、皆さんご推察のとおり、深い切り通しです。この部分の昔の写真を
書物で見たことがあるのですが、何の本だか忘れました。貴重な写真で、図書館に探しに行こうとおもってます。

投稿: かわ探しや | 2012年2月17日 (金) 15時27分

かわ探しやさん
おおー貴重な情報ありがとうございます!写真にあるんですね、深い切りとおしが!!
護岸の様子とか柵の有無とか、ますます気になりますね!

投稿: lotus62 | 2012年2月19日 (日) 16時33分

本日図書館で探しましたが見つかりませんでした。またいつか探します。記憶によれば深さ7mくらいの(写真からの推定です)素堀で何も護岸はありません。草ぼうぼうで木の枝が覆いかぶさっていました。そのときは現地調査をする前だったので、この川はずーとそのような状態だと思っていましたが歩いてみると他の部分にそのような深い場所は無いので明らかに「切通し」のばしょです。

投稿: かわ探しや | 2012年2月19日 (日) 18時54分

すごいすごい!!!7m!!
大峡谷ですね!
私も、機会あらば探してみます!

投稿: lotus62 | 2012年2月19日 (日) 21時49分

ご無沙汰してます。本日図書館再度アタックで見つけました。「切り通しの写真」
 但し「切通し」とはどこにも書いてなくて、私の想像です。写真のコピー差し上げようと思い方法思案中です。
出典は板橋区教育委員会発行(昭和63年)「いたばしの文化財」第2集です。

投稿: かわ探しや | 2012年7月 8日 (日) 12時30分

わたしにメールくだされば折り返し写真おくります。ぜひごらんください。

投稿: かわ探しや | 2012年7月 8日 (日) 19時19分

かわ探しやさん、どうもご連絡ありがとうございました!
みなさまにご報告させていただきますと、無事に写真を拝見させていただきました、図版の転記はできませんが、板橋区稲荷台のところなのでしょう、小山を切り通して作られたような(実際切り通したのかも知れない)谷と底の流れがばっちり写り込んでいます。確かにこれは上から見たら、オトナでも怖いレベル!すごい。
それと、この写真が載っている「いたばしの文化財 第Ⅱ集」板橋区教育委員会 のP13も拝見させていただきました。
こちらは、中用水(北耕地川)の遺構である、智清寺の石橋について。(私がスルーしてしまったやつ)
石橋の写真と共に、水を巡る板橋宿と付近7か村との対立と、その果てに明治7年に起こったお寺立てこもりにらみ合い事件について書かれていました。
かわ探しやさん、どうもありがとうございましたー!!!

投稿: lotus62 | 2012年7月 9日 (月) 13時57分

昔の川または川跡は国有地もしくはなんらかの公有地になっています。ですから使い道の決まらないところは昔のままです
稲荷台の切り通し跡はまさにそのままです。ところであの写真の場所はどこらへんでしょうかね。橋の立派さからして今の地図で対応箇所が無いですね。旧の姥が橋でしょうか。

投稿: かわ探しや | 2012年7月11日 (水) 14時48分

かわ探しやさん
貴重な資料、どうもありがとうございました!
うーん、どこなんでしょうね、確かに立派な橋のようなので、(昔の)幹線道路なのかもしれませんね…。
掲載されているページからいうと智清寺のそばかと思ってしまいそうですが、さすがのこの川幅はここではありえないでしょうし…。意表を突いて稲荷台でなく中山道あたり、なんてないですかねww

投稿: lotus62 | 2012年7月11日 (水) 18時36分

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