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2012年1月

暗渠ハンター 十条あたりから緩く遡る北耕地川①湧水の崖

北耕地川。
石神井川から板橋区内で別れ、赤羽を通って隅田川に流れ込む川。
稲付川とも言われる、石神井川を分水して江戸時代からこの辺りの農地を潤していた人工の川です。「川の地図辞典」(菅原健二 之潮社刊)によると、水害対策や流下能力増加、下水道普及などの目的で昭和42年に暗渠化工事がスタートした、とのことです。

以前HONDAさんが赤羽から環7まで遡ってこの川をレポートされていましたが、
それを見ていつか行きたいなあと思っていました。

この日は十条に用事があったこともあり、北耕地川の途中から遡ることに。
どこから川に降りていこうかなあって時に手元の地形図を見てときめいてしまったのが、この横から切れ込む鋭い刃のような谷!
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魅力的です!もしかしたらここにも支流があるかもしれないし…という淡い期待を抱き、こっからアプローチすることに決定。

そこは、それはそれは見事な谷地形だったんですが、
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残念ながら川跡らしきものは見られず。

この谷から北耕地川の流路に降りる直前には、「游鯉園の坂」という別な坂と交わるところがありました。
游鯉園とは、この坂下つまり北耕地川にあった川魚料理の料亭の名前だそうです。
北区教育委員会のHPによると、大正から戦前までの営業で、その前の明治期には水車小屋があったとのこと。

この坂下から、北耕地川に少しの間並行するように、南側に短い暗渠路地がありました。
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おお、なんかありそうですね、ちょっと奥まで行ってみましょう!

だんだん細くなってきます。
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もっと細くなってきます。
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左(北耕地川と反対側)は、ものすごい切り立った崖。
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そしてほどなく行き止まりです。
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正面は民家、そして左に階段があり、これを登るとスタートから辿ってきた谷底を囲む尾根に出ることができます。
で、まあ当然この階段を登ったり降りたりして楽しんだんですが、階段を降りて改めて気がついたのは・・・。
この崖際、湧水が流れてたw
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見てくださいこれ。
さっきの突きあたりの個人のお宅の奥から、崖から染み出した湧水が集まってこの流れになっているようです。とてもきれいで、でもそんなに多くの量じゃなくて。これは生活排水ではないようですね。無色無臭のとてもきれいな水でした。
おおーまさかここで湧水がみられるとは!

ああ、もう帰ってもいいかも。北耕地川を見に来たという本来の目的を忘れてしまいそうですw。思わぬ収穫に暫しぼんやり…。

・・・気を取り直して北耕地川の川跡に向かいます。
ちょうどこの記事を書いているときに暗渠仲間の味噌maxさんとお話する機会があって、「次の週末暗渠いきてんだけど、どっかよさげなとこね?」(実際はこの100倍丁寧な言葉遣い)とおっしゃってたので、「やっぱキタコーチじゃね?」(実際はこの15倍くらい丁寧な言葉)とこの北耕地川をお勧めしておきました。
そしたらさっそくこの週末行かれたようで、この湧水はじめとして北耕地川をたっぷり堪能されたようです。レポが楽しみですね。

とうとう北耕地川の谷に降りてきました。
(といってもさっきの暗渠路地からすぐのところなんですがw)
ここから、上流に向かって歩いていくことにします。
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お、この前に見える歩道は、たぶん川跡なんでしょうね。
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そこまでいって下流を振り返ってみると、
今来た道の横にもう一本並行した道があって、二つの道が合流していました。

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古い地図を見てみると北耕地川もこのあたりで二股に分かれています。このあたりの田んぼを潤すために、ところどころで枝分かれして流れていたようです。

で、まだまだ先は長いんですが、今回はここまで。
何回かに短く分けて、お伝えいたしますね。

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暗渠ハンター 小田急線地下化で、だいだらぼっち川が新しくなる!?

北沢川の下流に下北沢方面から合流する支流がいくつかありますが、
今回は下北沢西支流、通称だいだらぼっち川を取り上げます。
HONDAさんも「東京の水」で環7の窪み含めて「だいだら坊の足跡」のことを書かれていました
そう、ここは世田谷区でも「だいだら坊伝説」と結びついた歴史民俗学上重要な川の一つです。
(世田谷区におけるだいだら坊伝説の重要性は、世田谷区中央図書館内ビデオライブラリのこれ関連充実度が証明しているのではないでしょうかw)

ですが今回はその民俗学的要素はざっくり削ってのご紹介w

そんじゃ、さっそく現地に。
井の頭線の北側を通って新代田方面から下北沢方面に向かうと、深い谷に一度おりてまた登らなければなりません。
その谷がまさにこの下北沢西支流・だいだらぼっち川。

新代田駅の近く・羽根木1丁目にかつて住んでいたことがあるんですが、当時はいつも新代田駅を使わずにこの谷を下って登って下北沢駅を使っていました。
もちろんここが川だったとは全く知らずに。
関東平野の端っこの起伏がないところで育って、東京に出てきて初めて住んだのがここだったので、この適度に激しいアップダウンが物珍しかったのかも知れません。
重い荷物をもっている時でも、へーこらいいながらも新代田駅を使わずに基本的にこの道を通っていました。好きだったんでしょうね、この地形が。

というわけで、だいだらぼっち川の水源からでなく、途中から当時のコースで谷にアプローチ。
新代田から下ってきた谷底がここです。
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写真の「止まれ」の標識のところを左右に横切るのが川跡。
この「止まれ」を右に折れて下流に向かいましょう。これがだいだらぼっち川。
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お。連続麻雀牌型マンホールもありますね。

この上流ですが、「下北澤通史」(昭和61年 佐藤敏夫)によると、
水源に近い蓮見氏(代田6-27)の証言として以下のような内容が書かれています。

・代田6-18と6-16(このあたり縄文遺跡)の間は窪地でこのへんから水が染み出しているらしく云々・・・。(lotus注:ここが水源の一つ、なんでしょうね)
・守山小学校(代田6-21)の東側に細長い池があり、長さは十間くらい。子どもが始終そこで遊んでいた。(lotus注:水源のすぐ下流のところです)
・戦後地主がそこを分譲するというので、馬車が石炭がらを運んできて周辺を埋めていた。
・代田6-27と6-8の間に幅二尺くらいの浅瀬が流れていた。川に沿って田や畠が続いていた。夕立などがあると川沿い一帯が水浸しになった。
(lotus注:これがちょうど、この写真のあたりですね)

下流に進み井の頭線に近づくと道は二股に分かれます。
右が流路。
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この先の井の頭線との交差がこの川のハイライトでしょう。
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開渠、一瞬開渠です。すこしだけ水が流れていました。
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そして踏切を越えて反対側も見てみましょう。よいしょよいしょ。
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こちらも開渠。
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反対側よりもたくさんの量の水が流れています。
それは、ここで直角に交わっているこの「支流」のせい。
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井の頭線に沿って開渠の側溝が新代田駅方面からやってきます。それも結構な量の水を湛えて。
HONDAさんも先の記事で触れられていまいたが、結構きれいな水なので駅のほうにどこか湧水でもあるのかも知れません…。

その先はもうどう見ても川になんか見えない住宅地となります。
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ここらへんは周りから比べてぐっと低い地帯。
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上の写真は世田谷代田方面。
一段がくんと下がっていることがわかると思います。
小田急線横に以前たしかエグザス、だったでしょうかフィットネスクラブがあったのですが、そのあたり近辺に水がたまって池となっていた頃もあったようです。

そしてだいだらぼっち川は小田急線の下を抜けて南下。
その先は代沢5-33と35の間を抜けて行きます。
ここでまた先ほどの「下北澤通史」(昭和61年 佐藤敏夫)から意訳引用します。
<著者の佐藤敏夫さん、一発変換しようとすると「砂糖と塩」になっちゃうんだよなあ…w>

代沢5-28の燃料店主さんのお話として、
・代沢5-36あたりは戦前、少年がなんとか飛び越せたくらいの幅、1.5m程度で平時の水深は30cmくらい。しかし岸から水面まではもっと深く、10段の木の階段下るほどの深さだった。階段の下は洗い場に使われていた。

とのこと。水深はさほどでもないけど、堤から水面までがぐっと深く掘り下げられていたようです。今回写真はないですが、今でもこのエリアは細く蛇行しちょっとした暗渠路地風になっています。このへんに昔「三福林」っていう安くて旨い定食屋さんがあったんだけどなあ、ずいぶん前になくなっちゃいました。私的に下北で安メシといえばここか一番街蜂屋だったんですがね…。はぁー。

で、その先は茶沢通りを越えて森厳寺川に合流し北沢川本流へと向かっていきます。

話は戻って、小田急線を越える前のところ。
かつてあったフィットネスクラブも今(ってかちょっとまえの2011年11月時点)は取り壊して工事中でした。井の頭線下北沢駅方面から大きく眺めてみましょう。
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この写真でも、右手一帯が大きく窪んでいるのがわかりますね。

近くに寄ってなんの工事何だろうなあと表示に目をやると…。
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そうか、小田急線が今複々線化に伴って地下化を進めていますが、さらにそれに伴ってここの元あった下水管(たぶん、だいだらぼっち川の流路を暗渠化して利用した自然流化式のものでしょう)を一段低く通しなおす工事のようです。
だいだらぼっち川が、暗渠化されて以来の大きなリニューアルを迎えている、というわけですね。
(しかも図からするとサイフォン式で小田急線をくぐるようですね。工事後はここに連続麻雀牌型マンホールが姿を現すかもしれませんね)

それにしても完了は平成26年かあ…長いわw

では、今回の下北沢西支流 だいだらぼっち川、ANGLEでどうぞ。

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そして地図。

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暗渠ハンター 龍のおなかみたいなコンクリ蓋暗渠を鑑賞しようシリーズ③神通橋そばやその他の蓋の巻

善福寺川の支流で見た「まるで龍のおなかみたいな」コンクリ蓋暗渠を辰年にあやかって鑑賞するシリーズの3回目です。

前回よかさらに下流に下ってまずは神通橋付近。荻窪1丁目の東の端っこです。
こんな合流口があったので、
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何かあるよなあ、と横道に目をやってみます。
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うーん、タイル敷きにアスファルトか…。
でもなんかその先のほう、右端になにか異物感がしませんか?
近づくと…。
一枚だけ残ってるコンクリ蓋。
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あ、少し離れてその先にも続いています。
ほらほら。
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奥まで続いて、道にあわせてその先右にカーブしていきます。
ほらほらほら。Imgp4994

これはこれは。杉並名物の「美しくカーブを描くコンクリ蓋暗渠」がここにも!
やっぱ美暗渠の宝庫や、杉並。

さらに奥に。
右から来る道は車止めでがっちりガード!
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もしかしてこの車止めはまたまた杉並名物「金太郎暗渠」では!?
と期待を込めて表を見てみると。
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残念。地元オリジナルになってますね。
それにしても今ひとつ何を訴求し何を期待するのかわからん文言ですw

先に進んでみましょう。
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続きますね、けっこう。
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と思ったら唐突に終わります。終点にはまた車止め。
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表に廻ると、やっと会えましたね金太郎。
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そういえばワタクシごとで恐縮ですが、先日「友人から金太郎と呼ばれていたことがある」という美容師さんに髪を切ってもらいました。

この先には左手に小さな崖、右手はその崖に囲まれるように団地が建っています。おそらくこの崖下の土地も水が集まる小さな谷戸、だったのかもしれません。
団地の敷地内には防災井戸が残っていました。
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さて次は思いっきり下流に移動、大宮1丁目です。
杉並区の郷土資料館すぐそば。
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突きあたりはもう善福寺川です。
もうちょっと近づいて鑑賞してみましょう。
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まっすぐなこともあって、とてもきっちり作られた蓋暗渠ですね。
やっぱ川崎と仕事が違うなw
傍らの雑草でさえ「計画的に植えられた芝」みたいです。

このシリーズ最後は、善福寺川からはちょっと離れちゃうんですけどね、ちょっと自分的に珍しいもの見つけたな、と思ったものを。
西荻窪から大きく蛇行してくる松庵川という善福寺川の支流がありますが、この川は、前回ご紹介した荻窪公園や中道寺のあたりで善福寺川に合流します。この松庵川の合流付近もそれはそれはたくさんのコンクリ蓋があって楽しい地域。namaさんの記事をご覧ください。
松庵川本流の北からも一本小さな支流が来て、これが中道寺の南で合流していますが、この北の小さな支流は環八の東までしか追えない、と勝手に思っていました。でも、環八を越えた西側に、ほんの短いコンクリ蓋暗渠が残っていました。
それがこれ。南荻窪1-6です。環八の傍らから始まります。唐突に。
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奥から環八側をみるとこんな景色。
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ふつうの下水の蓋が、途中からコンクリ幅狭の蓋暗渠になっていますね。
残念ながらこの短い区間しか追うことができませんでした。
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行き止まり。

この日は「杉並区史跡散歩地図」をもっていなかったので家に帰ってみてみると、この短い暗渠もしっかり載っていましたw
でも松庵川暗渠の表記とはずいぶん離れたところにぽつんと短く載ってるので全然気づきませんでしたー。

というわけで、新春コンクリ暗渠鑑賞シリーズは今回でおしまい。
辰年に(強引に)あやかってたっぷり龍のおなかみたいなやつをご紹介して参りました。

来年の今頃は、巳年にあやかって「蛇のおなかみたいなコンクリ蓋暗渠」特集をしてる、かもしれませんw

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暗渠ハンター 龍のおなかみたいなコンクリ蓋暗渠を鑑賞しようシリーズ②春日橋や忍川橋あたり

さて善福寺川の支流で見た「まるで龍のおなかみたいな」(<こじつけ)コンクリ蓋暗渠を辰年にあやかって鑑賞するシリーズの2回目です。

前回からちょっと下流に下り、今回は春日橋あたり。
杉並区史跡散歩地図(主な暗渠が載っている)を見ていたらけっこうこの橋の周辺に暗渠マークが載っていたので、どれどれちょっくら見てみっかと出かけてみました。

ここが春日橋。
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杉並区史跡散歩地図ではこの道も暗渠のようですが、
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すでに全く痕跡はありません。
ここも同じ。
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こりゃ参ったなと諦めかけて付近をじろじろ眺めると…。
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あったw
杉並区史跡散歩地図に載っている暗渠に繋がる支流暗渠が、ほんの短い間コンクリ蓋暗渠で残っていました。
右側は私邸玄関へのアプローチ。まんなかの蓋暗渠はまるでそれに擬態しているかのように馴染んでしまっています。
ここは荻窪4-11。
この蓋暗渠はご覧の通り左の駐車場との間で植木を置かれて、その先はこんなふうに家と家との境界を塗って奥へと続きますが、その先(このブロックの反対側)では消えてしまします。

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春日橋のひとつ上流には忍川下橋、忍川橋、忍川上橋という橋が続きますが、冒頭から追ってきた暗渠はこれらの橋の左岸ちょい奥を川と同じようなカーブで道なりに続いているようです。
ここも暗渠らしいんですが、わずかに広い歩道に多少の暗渠指数を感じることができるくらい。ほぼ痕跡はありません。
写真右手は荻窪高校です。
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ふーんここも写真映えしないなーなんて気を抜いて歩いていると…。
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あれ?荻窪5-7、荻窪高校のすぐ横に、またまたこの暗渠につながる短いコンクリ蓋暗渠がありました。ありましたっていうより、いましたって方が適切な感じ。小動物を見つけたような気持ちです。よーしよしかわいいねえw 少々アップで。
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奥はもうすでにプライベート感が充満しており、これ以上入るの無理。
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思いがけない収穫だったのでそれでも十分満足です。

結局これらの橋の近くでのあからさまな暗渠の捕獲は以上。

杉並区史跡散歩地図には反対側にも暗渠の記載があったので、念のため右岸近辺もうろうろしてみましたが、やはりもう道路と同化してしまって暗渠の判別がつきません。

荻窪公園まで来ました。
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冊子「杉並の川と橋」によると、この荻窪公園もかつての湧水池だったとのこと。
今はそれをモチーフにしたのかどうかよくわからないモニュメントっぽいものが残っています。
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さて今日はこのくらいで帰るかね、と思って荻窪公園を後にしたのですが、
ほんの少し離れたところにこれまた思わぬ収穫が。

おいおい、なんか道にはみ出てきてるよ…
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これは小さな橋跡、その奥にはコンクリ蓋暗渠が続いていました。
荻窪2-8あたりです。ほら、見てください!!

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よーしちょっと奥に入ってみましょう。
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これはけっこう長く続いていますね。
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お、奥でなんかと合流してるっぽい…。
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あーこれは前に来たことがある松庵川の下流に合流する水路でした!
namaさんのこの記事の最後の方の暗渠です。
なるほど、ここか!
っつことで第2回の龍腹コンクリ蓋暗渠鑑賞会は以上。
次回はこのシリーズの一応の最終回、第3回です、

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暗渠ハンター 龍のおなかみたいなコンクリ蓋暗渠を鑑賞しようシリーズ①上荻3丁目の物憂げな3本の暗渠

秋口から年末にかけていろいろ書きたい記事がたまってるんですが、やっぱなんとなく新しい(いまだテンションを維持してられる)暗渠をすぐにでも記事にしたくなっちゃうんですよねえ。
…ということで、今回はこの年末年始にちょろちょろっと廻った、善福寺川の支流の蓋暗渠いくつかを、鑑賞メインで行ってみたいと思います。

やっぱ杉並すごいです、コンクリ蓋暗渠天国。
善福寺川をすらーっと散歩しただけで、ここに注ぎ込む支流のコンクリ蓋暗渠をたっくさん目にすることができます。
そこで今回から2~3回は
「2012辰年記念・(龍のおなかみたいに見えなくもない)コンクリ蓋暗渠を愛でるシリーズ」
としてご紹介させていただくことにします。

本日の初回は上荻エリアを。
青梅街道と環八が交差する四面道、この西に八丁という交差点がありますが、ここから南に下った上荻3丁目には、3本の善福寺川支流暗渠があります。3丁目で3本。憶えやすいですね。試験に出そうです。
これらはすべて青梅街道の尾根筋から一直線の軌道を描いて善福寺川の作る谷に突入しています。おそらく近辺の宅地造成の時代にもともとの用水路・排水路をぴしっと付け替えたものなのでしょう。手元の「東京時層地図」では昭和30年代前半にその水路が記されています。
では3本のうちの一番西、つまり善福寺川上流から順にいってみましょう。まず1本目。上荻3-27あたりから南下する暗渠。

緩い斜面の途中、ここからいきなりはじまります。おそらく近辺の地主さん所有の駐車場の横。
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赤い鉄柱とまっすぐ伸びるコンクリ蓋暗渠の直線構成がなぜかロシア構成主義みたいに美しいところです。<かなりツボw

その先は、塀にサンドイッチされます。
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世田谷の暗渠ではこんなふうな「まわりからそっぽを向かれる孤高の暗渠」が結構ありますが、ここもそうですね。
だれからもありがたがられない・だれからも歓迎されない川、というよりそれはドブ。
この寂寥感に私の体のどこかが共鳴するようです。

ちいさな橋跡を残してクルマの通る道と交差。
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残念ながらその先はコンクリ蓋は消え、アスファルト路地に。
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その先はすぐに善福寺川と合流。
合流口は(写真ではよく見えませんが)すでに塞がれてしまっているようでした。
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そして東にちょとずれて、2本目。
上荻3-25、頌栄保育園あたりからみられるコンクリ蓋暗渠です。
保育園脇からいきなり始まります。
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ちいさな橋跡。
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これまた周囲に背を向けられて、寂寥感が溢れてきます。
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誰のために何を守っているのかよくわからない、コンクリ蓋暗渠の上の赤いパイロン。
おつかれさま。
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ちょっと荒れた感じもいいですね。
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ここも放ってかれてる感満載。
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そして善福寺川に合流。
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ここは辛うじて合流口が残っている?のかな?
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三連発の最後は、合流口から辿っていきます。
ここも埋められてはいますが、
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川沿いの車止めが暗渠の在処を知らせてくれます。
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川に近い一区間はアスファルトで埋められています。
が、この手前の石階段の半端な埋まり具合がいい。
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ワンブロック向うからはいよいよストロングタイプのコンクリ蓋が登場します。
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写真の手前のほうでコンクリの幅が切り替わっているのも見どころですね。

コンクリ蓋の両脇の適度な天然っぽさも味わい深いです。
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そして上荻3-2のはしっこまでで、短く終了。
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以上、コンクリ蓋をたっぷり鑑賞するシリーズの第1回は物憂げな上荻の3本の暗渠でした。

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暗渠ハンター 玉名川に流れ込む樹木谷の池を見た。

玉名川のことを。

以前カケダシのころ、八芳園から追ってみたことがありますが、これはあまりにもテキトー過ぎました。

その後2年以上月日が流れましたが、その間に八芳園の南にある明治学院大学のさらに南、白金台2丁目・玉名川の主水源となっていた玉名池の跡を「スリバチ・フライデーズ(スリバチ学会のサブユニット的存在で、金曜が休日の方々中心のフィールドワーク・グループ)」の方々にご一緒させていただいて探索したりもしてみました。
(だからといって最初の記事に訂正やら追加やらしていないところが非常にユルいんですが・・w)
その他、梶山公子さんの書かれた「歩く渋谷川入門」を読んだりなどしていつかさらに玉名川についての見識を深めるべくフィールドワークの機会を伺っていたところ、たまたまこの近くに用事もできたので、勇んで現地にGO!

ただし限られた時間しかなかったので、的を絞って明学キャンパスの桜田通りを挟んだ反対側、高輪1丁目を水源とし清正公前交差点付近で本流にあわさる支流をターゲットにしました。
このあたりは大変地形的にも面白いですね。
高輪台交差点からヘアピンカーブを描いて三田用水は北上してきますが、もちろんその道は尾根筋。そこから西に向かって急斜面が続くのがこのあたりの特徴です。
素敵。

「もしかしたら何箇所か水源があるかもなあ」と思って、敢えてあらかじめ水源を特定せずに出かけたので、
これは!?と思う崖を見つけては降りてみたり登ったりしてみました。
少々革靴ではきつかったけどw

そんで、のっけから話題がずれますが、高輪台駅から現地に向かう途中であったとても気になるとんかつ屋さん。仙成屋さんというらしい。
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このへんのサイドメニューが大変イカしてます。
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いつか来てみることにします!

さて本来の目的に戻ります。
三田用水から西の崖には、黄梅院、円眞寺など境内から谷底へとアプローチしてみましたが、スリバチ地形こそ楽しめるものの水源とおぼしきものは見当たりません。
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どっかもっとないもんかね決定的なところは…。
と物欲しげに歩いていると、はたして!
高輪1-26にこんな路地を発見!期待が高まります!この細さ。
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奥は方形の石畳。
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その先はジェットコースターと見紛うような旧落下階段。
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脇道もこんな塩梅でさあ。
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階段からの着地点がマンホール、ってちょっといいなあ。
しかも古い枠付きのマンホールだし。
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しかし。このあたりの斜面&谷底は墓地ばかりです。
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墓地からさらに低地に抜ける路地は結構暗渠指数高めの見てくれなんですが…。
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水源とはいわないまでも、尾根から何らかの排水路はあったのかもしれませんね。
ちなみにこの辺りは古くは「樹木谷」と呼ばれていたところ。
これら斜面一面に木が生い茂っていたのでしょうね。
そうなるともう立派な「山」ですね。

このへんをさんざうろうろしてたどりついたのが正満寺というお寺。
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リンク先のホームページも立派なんですが、この中の見出しに「住職の趣味」ってのがあって、なんだなんだと期待を膨らませてクリックすると
「アクセス権ないよ、アナタ」的に拒否られてしまう、という罠ありw

ここは、入口こそ国道1号線に面しているものの背後は厳しい崖になっています。
その崖下の窪みに墓地があるのですが、その一角に大きな池がありました。
これが玉名川のもうひとつの水源に間違いないでしょう。
(うっかり「写真を載せていいかどうか」の許可は尋ねていなかったので、掲載は差し控えますね、残念ですが… ご要望があれば個別にご覧いただけますがw)
たっぷり水量があって、池の真ん中にはごぼごぼと水が出ているようにみえます。
…でもあんまりにも立派なごぼごぼなので、たぶんフェイクだと思われ。

さあこの池からどんなふうに流れ出していくのでしょうか。
外から敷地の周りをたどっていると、道路脇の衝立みたいな物体の裏に
暗渠テイストの道がありました。
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この奥の塀の向こうはまちがいなく正満寺の池の端です。
奥に進んでみましょう。
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この塀の向こう、水源。池。正満寺!
(興奮すると、助詞が邪魔になるものなのですねw)
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さきほどの暗渠道の入り口に戻ってみます。
暗渠道から正面に続く道はこんな具合になってます。
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この無駄っぽさが川跡らしさを盛り上げますね。
この道を下流方面に歩いていきます。
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お、なんか途中盛り上がってるけど橋跡でもあったんか?
右側の住宅も護岸的なものや川面に降りるのに使ったのかもしれない階段がいくつか見られます。

そしてその先。
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ここからは、大規模マンションが数件ならび、おそらく盛土や緑地スペース造成など繰り返され意図的に地形が変えられているようです。
しかしながら現状から察するに、流路はここから左に曲がり緑地スペースから源昌寺という寺の横または中を通って国道一号線に出るのではないかと思います。
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国道一号線の流路上には、向かいの丘から来た排水溝と思われる暗渠も。
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そして国道1号線。もうすぐそこが、八芳園の池から出てくる玉名川本流との合流地点、清正公の交差点です。
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清正公交差点手前には、こんな土地も。
左が国道、右は崖です。
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奥の建物裏に入っていくとこんな風景が。
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ここが流路だったのかも知れませんね。
それにしても崖面は見事な斜めレンガ積み。
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それと、ちょうど本流と合流するあたりによくわからないけど気になる物件がありました。
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上の写真のまんなか(歩道と車道の境)にある細長くて上に出っ張った排気口みたいなやつ。
近寄ってみると、上部が網状で底の方が覗けます。
共同坑のようですが、水もありますね…。
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溜まっているだけなのかそれとも流れているのかはわかりません。
んー、川跡と何か関係があるんだろうか。
わかりません。これは今のところ謎のままにしておくことにします。

そして流路は、本流とついに合流し国道1号線東の低い脇道に。
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住所では高輪1丁目。
盛土された国道一号線と、高松小学校の丘とに挟まれたエリアがここ。低層住宅が集まる、なんかいい雰囲気の一角です。
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井戸も健在。
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お、これは「東京の水2005」でHONDAさんも書かれていましたね
たぶん玉名川はこの辺りを通っていたのでしょうが、明確な流路はわかりません。
ただHONDAさんもリンク先のシリーズで書かれているように、水が豊富であちこちに水路があったのかも知れませんね。

ここを抜けたところ、盛土の国道1号線の下には連続麻雀牌マンホール。
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うーん、水コン協の方には「これは下水道の交差してるところ」と教わったんだけど、下水道台帳を見ても交差の痕跡はないなあ…。
やっぱりちがってるんだろうか…。

そして玉名川は再び国道一号線の西に渡っていきます。
この先まっすぐ。
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写真では左側が崖。崖上は都の白金職員住宅。
この崖下を縫うように古川に向かっていきます。
この歩道がきっと水路跡でしょうね。
まるでひよこのかくれんぼですなw
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このあとは一部ちょっとだけこの道を外れ、また戻ってあとは古川まで一直線。

私は見落としましたが、さきほどのHONDAさんによるとこの道からちょっとだけ離れるところ・立行寺の付近で橋の遺構が見られる、とのことでした。

さてあとは一気に下って古川との合流口。
Imgp3632

そして古川にかかる首都高速の、美しい橋裏を見上げてみましょう。
Imgp3633

…そういえば最近橋裏特集やってないなあ…。
それに、以前は橋裏とあらばぱしぱし写真を撮っていたのですが、ここ最近は
「かつての川の上に架かる橋の、橋裏」か
「単なる高架橋だけどよっぽどかっこいい橋裏」しか撮らないようになってきてしまいましたw。

それでは、久々に暗渠ANGLEを。
細い線は玉名川本流、
太い緑色の線は今回のメインである樹木谷からの支流です。

Angle_2

そして地図。

より大きな地図で 般若苑から三田用水、玉名川 を表示

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暗渠ハンター ついに解明!?白汚さんに教わったおしくらマンホール&大径マンホールのなぞ

あけましておめでとうございます。
毎度ご覧いただきまして、まことにまことにありがとうございます。
本年もどうぞよろしくごひいきに。

で、2012年、新年一発目の記事は「おしくらマンホール」のことを。

まずは去年の暮れの収穫を2物件ほど。
一つ目はこちら。
豊島区大塚5-15-10。
たまたまですが、知人の家のすぐ近くでした。そして
水窪川のすぐ近く。
めずらしい大小のコンビネーション真性おしくらマンホールです。

51510

夜に、しかもケータイで撮ったのでかなり真っ暗、
それを無理やり補正したので、なんだか却ってゲージツ度がましてしまったよな気も。

そしてこちら。
北新宿1-1の物件。
オーソドックスな物件ですね。
蟹川の、山手線を越えて水源だった西新宿に向かうあたりに近いといえば近いところ。

Imgp4940

このおしくらマンホール、かねてからなんでこんなくっついてんだろうなあ、
無計画に下水作ってたらたまたまこんな風に並んじゃったのかなあ、
なんてとずっと思っていたのですが、
先日下水道写真家の白汚零さんに お会いすることがあったので、
もしや真意をご存じでは?とお話を伺ってみました。

白汚さんは何冊も写真集を出されていますが、
09年から毎年東京都下水道局カレンダーの写真を担当されています。もちろん今年のも。
その素晴らしい下水道写真の中には、大きな下水道を幻想的に流れていく水の様子、
もありますし、大きな地下深くの下水道設備がモチーフになっているものもあったりします。

さて白汚さんが教えて下さったお話。
このおしくらマンホールについては、「たぶん…」という推測入りではありますが、
片方が人が入っていくための孔、もう片方は送風装置で空気を送り込むための孔、など、その地下では大がかりなメンテナンスが必要な場所なのであろう、とのこと。
つまりこの下には通常よりも大がかりな下水道設備がある可能性が高いとのことでした。
へええー!
おしくらマンホールの下で、
白汚さんが撮られているような巨大設備が静かにメンテナンスを待っているんだー、
なんて考えただけでわくわくしますね。

調子に乗って「大径マンホール」が出現する理由についてもお話を伺いました。
以前水コン協の方に伺ったときより詳細に中の様子が掴めたような気がします。

どうやら大径マンホール下は、通常のマンホールに比べてとても深い(地下5mとかもっととか)作りになっていると思われます。
通常、あんまり深い地下設備では、
作業の人が万が一足を滑らせてしまった場合でも一気に底まで落ちてしまわないよう、
危険防止のためにいくつかの「階」を設けているそうです。
さらに、その階に下りる梯子は互い違い(下図みたいに)に付けられるとのこと。

Photo_2

つまり、工事の段階では地下の設備の直径に合わせた大径の穴
を開けておいて、工事が終えたらその穴の大不分は埋め、
降り口として小さなマンホールだけ付けておく、
ということなんですって。その大径の名残があんな形で残っている、というワケ。

なるほどー。おしくらマンホールだけでなく、
大径マンホールも地下要塞(<じゃないって地下設備だってw)への
入り口なんですねー!

ますます探すのが楽しくなってきました。

ではでは、本年もどうぞよろしくお願いいたします!

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