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暗渠ハンター 烏山川・西谷に延びる支流とその先のミッシングリンク

さてこんどは、前回の出井天然水の一本西の支流をご紹介します。

この支流、何と呼ぼうかなと現地で考えたのですが、
支流の中程で「西之谷保育園」のすぐ横を掠めているので
西之谷支流、とでも呼んでおくかと思っておりました。
ですが帰ってググってみたら
やっぱりこれまた庵魚堂さんが「西谷(にしのたにや)支流」として
紹介されていたのでここでもその呼び名を使わせていただこうと思いますw。

※上記「(にしのたにや)」という表記に関しては、今回庵魚堂さんからいただいたコメントをご参照ください(照笑)。

前回の甲州街道沿いのガソリンスタンドあたりから、
西に向かってこんな怪しい造りの歩道が延びています。
Imgp4023

二重のガードレール。
たぶん歩道の右側に水路があったんでしょうねぇ。

その先をちょっと進むとこんな暗渠の入口が現れます。
Imgp4021

金網で塞がっていて通れないので、上流に向かって回り込みます。

あったあった。ちょっと遡ったこの地点に出ます。
Imgp4010

出口は金網で塞がれているけど、
その横から暗渠スペースに入っていく事ができます。
Imgp4011

たまたまこの横にお住まいの方が外にいらしたので、ちょっとお話を聞きました。
昔確かに水路だったけど、いつごろ暗渠になったかは憶えてないねえ…。
とのこと。
その後のいくつかのお話から察するに、
どうも東京オリンピックあたりかもしくは昭和40年代あたりまでは開渠だった模様。
じっくり覗き込んでみましょう。

Imgp4012_2
ここも深い味わいの暗渠ですね。
出入り口を塞がれて、基本的に人が通らない暗渠。
苔に一面覆われていて独特の美しさがあって、
もはや「川の跡としての暗渠」や
「路地としての暗渠」なんかを通りこして
まるで「純粋に、暗渠としてだけ存在する純粋なスペース」のようです。

ではさらに上流に向かいましょう。
ここから数枚は、
「上流に進んでは、振り返って下流方向を撮る」方式で。

暗渠端には七輪的な何かが。
蓋がしてありますが、火鉢のように何かを燃やす用途で
活用されている模様。
Imgp4008

途中は公園や西之谷保育園と同化するように
きちんと整備された緑道になります。
Imgp4005

この道の突き当りで、
流れはもう一本別な支流に別れて下っていくようです。
こんな水路ですが、
これはすぐに南下して甲州街道にぶつかってしまうので
写真は一枚だけ。
Imgp3988

さっきの流れに戻って上流を追いかけましょう。
上流から振り返って下流を眺む。人工的に、まっすぐ延びる。
Imgp4002

この先、何か所かくかくと直角旋回して上流に進んでいくことになります。
曲がり終わったあとでやはりここも下流方向を見て写真を撮りました。
Imgp4001

この前後も直角曲がりかどは続きますが、
どうやらこの上の写真の曲がり角では
左から来た別の流れが合流しているようです。

あとでご紹介しますが、
この曲がり角の左側、裏にまわってこの暗渠を眺めると、
こうなります。
便宜上この地点を(A地点)としておきましょう。
Imgp4015

ではさっきの元々の流れに戻って辿ります。
その他の直角旋回。
曲がり終えてから下流方向を撮りました。
Imgp3999

何度かこのあたりを往復したので、
実はどの角の写真が上流だったのかよくわからなくなってしまいましたww

何度かカクっとしながら住宅の間を縫う暗渠路地は
昭和大烏山病院の裏手に出て終わりとなります。
Imgp3996

これまた下流方向を見ているので、
右手の敷地が烏山病院。

そしてこの暗渠路地の終点がここです。
Imgp3995

さて、今回はこの先が難しい、というか歯切れがいつにもまして悪くなる・・・w

まずは、さっきの(A地点)の写真をもういちど。
Imgp4015

ここにつながる上流をさぐってみましょう。
(A地点)からどんどん後ずさりするとこんなふうになってます。
奥が(A地点)ですね。
Imgp4013

この先は、と上流を見ると…
Imgp4014

低木が植えられているひとつの住宅ブロックに、
なんとなくの川筋?

その向こうに回り込むと、もうこのような行きどまりの路地しか
それらしいところが確認できません。
(これも下流をみたところ)
Imgp4016

ここで上流を見失いました。
ちなみにここから上流方向を見るとこうなってます。
Imgp4020

うーん。もはやこれまで。

で、関連が全く分かりませんでしたが
この路地の横にはたぶん私設の?お稲荷さん。
Imgp4019

ちょっと富士塚ちっく。きれいに、大切に祀られているようです。

さーてまた烏山病院の裏まで戻ります。
ここも写真をもういちど。
Imgp3995

本来ならここでも「もう上流を見失いました…」という
情けないコメントで〆るところですが…。

次回でご紹介しますが、
このもちょっと北のほうにも実に見事な暗渠があるのです。
そこと、ここ(病院裏暗渠)は繋がってるんじゃないか?
そんな妄想を抱いてしまってるのです。
どうも今回の私の烏山シリーズは妄想だらけですw

いまはまだそのミッシングリンクを埋められていないのですが、
まわりを歩きまわるときっと、このへんなんじゃないかなあ。
土地の起伏はほとんどなく、
またもちろん明確な川跡もないんですが、
この「不必要な感じで広い道・歩道がとってつけられたように付けられてある道」
というだけの理由ですが・・・w
Imgp3993

おそろしく人工的な道ですが、水路だとすれば、
・自然河川ではなく「用水路」であったろうこと、
・宅地化されるときにさらに区画に合わせて付け替えられたであろうこと
を考えるとあり得なくはないかと…。

実はこの道は
元品川用水の水路と直角にぶち当たります。

では、ここで「ミッシングリンク」と勝手に呼んでいる水路たちと
品川用水の関係はどうなる…?

次回取り上げるすぐ北の方の水路との関係を妄想する前に、
まず歴史的なところを整理しておきます。
(参考文献:「品川用水『溜池から用水へ』」品川区教育委員会 / 「烏山川レポート」北瀬正嗣)

① 1659年 烏山用水できる
(つまりこのエリアで水田耕作がより盛んになる)
(品川用水の原型である戸越用水もこの頃できる・・・と巷ではよくこう書かれていますが、上記の参考文献「品川用水…」はこの存在自体に否定的です)

10年後、
② 1669年 品川用水できる。
(つまり今回水路と次回上流水路の間が分断される)

その280年後、
③ 1948年 品川用水の利権が三鷹市に移る。
(つまりやっと品川用水の水がこの流域で使えるようになる)

そして、
④ 近年 品川用水廃止、用水路が埋められる。

これを踏まえると、
可能性として以下のようなストーリーが考えられます。

A説:
そもそも①で盛んに水路が張り巡らされる以前から、
つまり烏山一帯の水田耕作黎明期から
このミッシングリンクがつながっていて付近を潤していた。
その後①の戸越用水や②によって水路は分断されたが、
それぞれの周囲に張り巡らされたたくさんの水路と接続していたため、
分断されたとはいえ両水路はしっかり残った。
時を経て③のあとは、分断されていた上流下流の水路とも品川用水と接続され、
相互に豊かな水を湛えて④まで残った。

A’説:
・・・基本的にAといっしょだが、
「その後①の戸越用水や②によって水路は分断された」
ではなく、分断されずに掛け樋などで交差され、
この水路と品川用水は常に「共存」していた。

B説:
①以前にも②の時代にもミッシングリンクなどなく
品川用水を隔てて流れる別々の水路だった。
③になって初めて、「近くにせっかく品川用水があるんだから」と
それぞれに品川用水に接続し水を得た。
その時たまたま接続点が近かったので、双方がつながっているように
見えるだけ。
(もしくはそもそも接続点は近くにないよ、という可能性もありかw)

大筋この二つでしょうか。
いずれにしても、史料から察すると②から③の間の時代は
相当盗水には厳しかったようで、
以前コメントでsumizome_sakuraさんからご教示いただいた
「絞り水」(!)というテクニックを故意に用いても
この時代での品川用水からの利水はかなり難しかったのではないかと思うのです。

とは言いつつも…。
一時的な悪水吐口、としてなら②の時代でも「繋がっていた」と可能性もありますよね…。
実はでも、私自身この悪水吐口というもののイメージがあまり具体的に湧かないのです、
情けないことに…。いったいそれは、どんな大きさと形をしていて、
どんなふうにどのくらいの水を吐いていたんだろう…。  わからないから引き続き宿題にします。
だから今回は「悪水吐口」からの流れは無視して書いています。

A、Bいずれの説であっても、
もし次回取り上げる水路が今回の水路に(または品川用水に)
繋がっているとすれば、それは、
この道の突き当りにある国際石油開発技術研究所の
大きな敷地の中を通って、
さらに西の世田谷泉高校のあたりを掠めて流れていたのではないか、
と妄想しているわけなのです。

(妄想へのダメ出し、歓迎いたしますw!)

では次回はこのミッシングリンクを越えたところにある上流の暗渠を。

より大きな地図で 烏山川・高源院あたり を表示

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コメント

> やっぱりこれまた庵魚堂さんが「西谷(にしのたに)支流」として
> 紹介されていたのでここでもその呼び名を使わせていただこうと思いますw。

いーえ、「西谷(にしのや)支流」って載せています(笑)
すっかり忘れていましたがこの名称は、先達・三田義春の命名です。

戸越上水の存在に否定的という資料、私は未見なのですが、単に庭園の泉池用にはるばる水路をひいたというあたりは確かに疑ってみる価値はあると思います。
実はずっと小規模だったのを後世にかなり拡張してきたとか、そもそも品川用水として再利用する際にその「由来」を後付けしたとかの可能性もないではないと思います。
もっとも戸越に屋敷を持っていた細川氏というのはウルトラ級の名家ですから、それくらいの贅沢は当たり前だったのかもしれませんが、どうなんでしょう。
いずれにしても地形と文献と、両方を見た上でしっかりした研究が必要だと思います。

A説・A'説についてですが、このあたりの地形をよく思い出せない状態で書きますが、品川用水が既存の水路を分断(または横断)というケースはあまりないか、もしあったとしても分断された両方の痕跡が残っているというのはちと考えにくい気がします。
※ ハケ下につくられた六郷用水などは既存の河川を分断しまくっていますが、そうして水量を稼ぐという(原始的な)設計ですから趣がだいぶ異なります。また品川用水が粕谷の水無川を築堤で横断していた例がありますが、単純に分断したら上流側の水は行き場がなくなって溢れます。つまり築堤を造れるだけの高低差があってはじめて横断できたことになります。
ではB説に賛成するかというとそうでもありませんで‥‥(笑)
自然由来のはっきりした谷筋は別として、品川用水周辺の小さな水路の痕跡は、多くが明治期以降に造られたものではないかと考えています。農業用の水路というのはさかんに引きなおされ離散集合を繰り返していますので、品川用水の現役時代のものがそのまま残っているというのはあまりないのではないかと思います。
すみません。ロマンぶち壊し野郎で。

投稿: 庵魚堂 | 2011年12月 8日 (木) 17時34分

庵魚堂さん
まずは「にしのや」。すみませんでした;;;早速追記いたしました!
A・B説へのご意見、どうもありがとうございます!
>すみません。ロマンぶち壊し野郎で。
あはは、全然そんなことないですよ、むしろいろいろ書いていただいて、さらにロマン膨満状態ですw 数年前孤独に暗渠ブログを始めた時から、皆さんとこんなふうにああだこうだと意見交換ができるのを夢見ていましたからw

私もA説は書いておきながら「たぶんこのケースはないよな」とは思っていました。
で、B説で推したかったんですが…(笑)。
でもまずは庵魚堂さんのご意見、手持ちの資料も見直しつつもっと噛み砕いて暖めてみますね!
どうもありがとうございましたー。

投稿: lotus62 | 2011年12月 8日 (木) 18時03分

Σ(@o@ 対応早っ! ありがとうございます。

投稿: 庵魚堂 | 2011年12月 8日 (木) 18時12分

スピードはあるけど、不正確w ずーっと治りませんね;;;
どうもすみませんでした!

投稿: lotus62 | 2011年12月 9日 (金) 13時21分

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