暗渠ハンター 女子大潜入取材!水窪川シークレットゾーンを探る
なんか品のないタイトルでアレですが…。
池袋の東、美久仁小路に端を発する水窪川。
サンシャイン60が構える台地の下から南大塚を抜け、
豊島が岡御陵の横を掠めて不忍通りを越え
音羽通りとほぼ平行に下って江戸川橋近辺で神田川に合流する川です。
別名音羽川。
(以前も取り上げたことがありました)
この水窪川、当然ですが暗渠化され
ほぼ全流域の上を辿ることができるのですが、
東青柳町・不忍通りを越えたところで
私邸に入ってしまう箇所があります。
まあ言ってみれば「水窪川シークレットゾーン」。
ここはお茶の水女子大の台地の崖下となっている所。
一方、お茶の水女子大。
明治8年(1875年)に湯島1丁目で
東京女子師範学校として開校しましたが、
昭和7年(1932年)に現在の地に移転。
ここは江戸時代は磐城平藩安藤家下屋敷があり、
明治は陸軍の弾薬倉庫、兵器支廠があったところだそうです。
ところで軍事系に興味関心のない方にとっては「廠」って
なんだかよくわからないと思いますが…。
かくいう私もつい最近まで読み方さえわかりませんでしたw
「廠(しょう)」。
大辞泉によると、
「仕切りのない、だだっ広い建物」だそうです。
特に陸軍では軍事関連の工場のことを「○○廠」と呼んでいたようです。
かつて水窪川シークレットゾーンを歩いた時に、
目の前にそびえるこの高台・お茶大の崖上から
この隠れた池を見渡してみたいものだと思っておりました。
しかしセキュリティの厳しい女子大ですからねぇ…。
しかし!お茶大にだって学祭がある!
その学祭のタイミングで堂々と正面から潜入し
この崖上から水窪川シークレットゾーンを見下ろしたるでぇ!!!
と野望を抱えて幾星霜。時には野望を忘れたりもしてましたが。
ってことで前置きが長くなりましたが、
2011年の11月12・13日とお茶大の学祭、「徽音祭(ぎんいんさい)」
に崖目当てで行ってまいりました!
ですが、模擬店などのにぎわいそっちのけで人気のない崖際に向かいます。
(あ、アサメシ食べてこなかったので豚汁200円の一杯だけは買い食いいたしましたw)
(google earthさん 東京地形図さん、いつもありがとうございます)
そこは水窪川シークレットゾーンをまさに見下ろすことができる高台。
だいたい校舎は正門近く、つまり敷地の右下から左下までに集中していて、
上半分の崖際は殆ど運動場です。
つまり目標視点の崖際は運動場のむこうに位置しています。
この写真の右に広がるのが運動場。
正面の高層ビルは、音羽通りに建つ講談社でしょう。
運動場のヘリに行けば崖下が見えると思い込んでいましたが、
現場に到達するのは予想以上に難航しました。
ここが運動場のヘリ。
このネットの向こうには
ふだん誰も入り込まないような「原野」みたいなのがあって、
この原野の草っぱらを掻き分けないと崖上につけません;;;。
下の写真が原野入口…。
そして水窪川シークレットゾーンは…。
見えました!
※崖下を眺めた、とはいえやはり人様の敷地内を覗き込んでのことなので、
池の写真は控えますね。
こういう見解もありますし(これはとってもうなずけます)。
どうもふだん暗渠写真を探っていると、
つい「人の敷地内に隠れたところ」まで
うっかり写真など撮ってしまいがちです。
しかし改めて、間違いを起こさないよう気をつけないと、と自分に言い聞かせました。
というわけで写真でなく拙い筆力で全力描写w。
それは、鬱蒼とした御庭の中にある、
ある種神秘的な池でした。
鬱蒼、といっても何本も木や草が生い茂っているわけではなく、
数本の大木が庭をすっぽりドームのように覆っている感じです。
よく手入れされているのか、地面はすっきりとしていて片隅にはお稲荷様も祀られています。
そして静寂。
水の透明度まではわかりませんでしたが、かなりの広さがある池の水面はいつもこの庭の景色を鏡のように映しているんじゃないかと思います。
よく見えませんがおそらく敷地の外だと思うのですが、この崖下と敷地の間を
池から繋がる水路(つまり水窪川の続き)が流れ、
その先で公共道路の暗渠へと変わっていくようです。
その姿が崖上の文字通り「草葉の陰から」垣間見ることができます。
しかしこれほどの河川の本流が、
「一旦個人宅の敷地に入り、しかも池を作っている」
ってちょっと珍しいのでは?
人工の用水では想像に難くないのですが寡聞にして他の例が思いつかず…。
こうなった経緯も調べてみたいところです。
というわけで本日のお茶大潜入の目的は無事完遂。
普段は入れない異文化空間なので、
ちょっと学祭の賑やかなところも覗いていこうかな、
と校舎が集まる下(南)半分のほうに向かいます。
お茶大敷地は台地上にありますが、その台地の上でも
結構起伏があるのがわかります。
校舎は運動場から一段高い更なる崖上に建っています。
…なんてことを考えながら校舎に近づいて行ったのですが、
この校舎の崖下にも面白いものがありました。
崖下を左から右に通っている学内水路。
まあこれだけなら普通に排水設備なのでしょうが、
この上流でけっこうな味わいのある暗渠蓋を見ることができます。
上流を辿ると上のような状態。
先ほどの近代的な網目の蓋(<半渠と呼びたしw)ではなく、
ここだけ鉄板蓋に変わり、その奥の水路は柵に囲まれてしまいます。
手前の蓋は普通に1ピースなのですが、
奥のは3ピース分が一体成型になってるのです。
ここ以外でもこの水路には
この一体成型蓋がランダムに使われています。
これが味わい深くておもしろす。他では見たことがありません。
実はこの左側の建物はプール。
プールの排水路だったのですね。
この日はハードスケジュール。
普段見ることができない浅草寺伝法院の池が公開中、と聞いて
このあと浅草に向かいました。
伝法院池のお話は、またこんど。
2011年12/5まで、300円かかりますが見られますよ!
| 固定リンク
「2055 ・・・神田川水系」カテゴリの記事
- 暗渠ハンター 「ハルさんの休日」に出演しました。ヘンタイ役で。(2017.04.27)
- 暗渠ハンター 仙川なかほどみぎひだり(2016.01.18)
- 暗渠ハンター 暗タクはじめました。(2015.12.23)
- 暗渠ハンター 西荻の南北の車止めを比べる展示、でした。(2015.11.30)
- 暗渠ハンター 阿佐ヶ谷の蓋を愛でる展示、でした。(2015.11.23)
この記事へのコメントは終了しました。
コメント
いやあ別に、タイトルに釣られたわけではないのですが(^^;;;
水窪川はいい川ですよねえ。大塚の谷底も音羽の崖下も大好きです。夜歩くとまた別の風情があります。闇に柔らかく包まれる感じで。旧くから人が住んできた土地ならではの匂いがします。
シークレットゾーンには気づきませんでした。いったん川跡を見失ったのはそのせいだったのか。
>「一旦個人宅の敷地に入り、しかも池を作っている」
えっと、「個人宅」といえるかどうかはアレですが、たぶん、旧水戸藩下屋敷=後楽園がそうです。というか、水窪川シークレットゾーンはミニミニ後楽園なのでは!(笑)。地域的にも近いですし、地形的にも同じ台地の南縁ですし。
投稿: sumizome_sakura | 2011年11月20日 (日) 17時40分
傾向変わったのでしょうか?・・・と背徳的なタイトルに妙にドキドキしつつ。
こちらの池、いつも住宅地図で気に留めていました。
ブーメラン型の池は健在でしたか。
便乗して申し訳ありませんが、↑sumizome_sakuraさんの「旧くから人が住んで来た土地の匂い」
同意することしきりです。
学校門前の剥製屋さんも好きです。
投稿: 谷戸ラブ | 2011年11月21日 (月) 09時15分
>sumizome_sakuraさん
水窪川、崖底なのでまるでチューブの中を歩いていくような感覚ですね、不思議なところにつながっていそうで私も大好きです。
「ミニミニ後楽園」、この捉え方すごく面白いですねww それを独り占めできるんだからやっぱこのシークレットゾーンのお宅、かなりうらやましすw
>谷戸ラブさん
今回はタイトルに一番チカラ入れましたw
そうか、ブーメラン型!実は鬱蒼とした木に遮られて全体の形が見えなかったんです…。
剥製屋さん…?もしかして学校門前の、(キメラ式、というかモザイク式というかツギハギ式というかの)看板建築物件でしょうかw 形に目を奪われて、何屋さんが入ってるのか憶えていませんww
(それにしても…やっぱりこういうタイトルの方が喜ばれるのかな…w)
投稿: lotus62 | 2011年11月21日 (月) 12時26分
水窪川、人気高いですね。
私もかなり上位に来る好きな暗渠です。
一度、ここを通りかかった時は、アイドル風な女の子の写真撮影をやってましたよ。
雰囲気があるのでしょうね。
今回はタイトルも怪しげですが、人けのない学園祭中の女子大で崖脇をさまよっている時点で怪しすぎますよねw
まあ、この世界に住む我々の宿命でしょうか。
投稿: 猫またぎ | 2011年11月21日 (月) 16時25分
>猫またぎさん
なるほど、コスプレ撮影とかも人気がありそうな川跡ですね、ある意味w
崖上はほんとに学祭の喧騒とは無縁の世界でした。
怪しく見られないしぐさ・表情・服装研究、というのも我々が試行錯誤していかねばならないテーマの一つといえましょうw
投稿: lotus62 | 2011年11月21日 (月) 19時17分
はじめまして。
以前、「池のある御宅」の近くに旦那の実家がありました。
義母は、お庭や池を見せていただいた事があるそうです。
江戸切絵図にも描かれていました。
投稿: laniko | 2011年11月22日 (火) 00時17分
lanikoさん
はじめまして。コメントいただきましてどうもありがとうございます。
なんと!ご近所ゆかりの方でらっしゃいますか!!!
ごらんになったお義母様は、どんなご感想をお持ちになったのかたいへんたいへん気になるところです。
そうですよね、きっと元は大名屋敷の庭園の一部でしたでしょうから切絵図にも。
由緒あるお宅だったのでしょうね。でもその代り、お手入れなどでの維持も相当大変なのでしょうね…。
貴重な情報を、どうもありがとうございます。
どうぞまたお気軽にコメントをお寄せくださいませ!
投稿: lotus62 | 2011年11月22日 (火) 09時08分
スミマセン・・・切絵図には載ってないみたいです。
何か別の地図と勘違いしていた様です。
投稿: laniko | 2011年11月23日 (水) 21時29分
>lanikoさん
あ、載ってはいませんでしたか…。
ご確認・訂正いただきどうもありがとうございます。
もし載っている地図が見つかりましたら、ぜひ教えてくださいね!
投稿: lotus62 | 2011年11月24日 (木) 10時48分
はじめまして。大変興味深く読ませてもらいました。実家は水窪川の暗渠を見下ろす崖地(音羽2丁目)に立っているのですが,擁壁がいつ頃作られたのかを調べています。恐らく暗渠化と同時期なのではないかと考えているのですが・・・ ご存じでしたら暗渠化はいつ頃だったかお教えいただけませんか?
投稿: 次男坊 | 2011年11月30日 (水) 14時43分
>次男坊さん
はじめまして。ご来訪感謝いたします。
暗渠化の時期は、私は過去の記事で「昭和初期」としています。がしかし、この時どこの資料を参照したのかが書いてありません(<すみません、家に帰ればわかると思うのですが…)。
wikiでは、双子の川と言われる弦巻川の暗渠化が昭和7年とあるので、おそらく水窪川も同時期という想像はできます。
また私がよく拝見している「マンホール・下水・暗渠 ~rzekaの都市観察」さんというブログ http://rzeka.blog88.fc2.com/blog-entry-143.html にも「仮説」(というより決定的な証拠!?)が載せられているのでご参照されては如何でしょう?…私はまだ「マンホール・下水・暗渠 ~rzekaの都市観察」さんにご挨拶もさせて頂いていないので、失礼かと思い内容の転記は控えさせていただきますね…
このカミソリ擁壁のご研究とは、興味深いですね。解明の暁には、どうぞ私にも教えてください!
今後ともよろしくお願いいたします。
投稿: lotus62 | 2011年11月30日 (水) 16時17分
早速のご回答をありがとうございます。rzekaさんのブログも参照させていただきました。
マンホールに1932年とあることからも,昭和7年の線が濃厚ですね。
崖上は,旧陸軍の兵器庫だったそうで,擁壁は陸軍工兵部隊が作ったものと思っていましたが,弦巻川と同時の工事なら,普通の公共工事の可能性も否定できませんね。もうちょっと掘り下げてみたいと思います。
投稿: 次男坊 | 2011年11月30日 (水) 17時21分