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暗渠ハンター 烏山用水がやってくるみち

烏山川の上流あたりと、
その周辺のことを何回かに分けて書こうと思います。

烏山川は比較的身近な存在であったのと
どうにも綺麗すぎる緑道が整備されていたりしてるので
はじめのころはここであまり取り上げることもなかったのですが、
実は表情豊かな支流がたくさんあること、
流路が複雑で一筋縄ではいかないことなどなど、知れば知るほど
興味がさらに湧いてくる川、でした。
すでに何本かの支流については記事にしていましたが、
今回はその最上流、そしてその周辺の水路・暗渠について
何回かに分けて書こうと思っています。

すでにこの辺りも世田谷の川探検隊の庵魚堂さん、
東京の水 2009 fragmentsのHONDAさん、
善福寺川リバーサイドのリバーサイドさんほかたくさんの方々が書かれており、
読んでいただく皆様に「新発見!」はないかも知れませんが
私的にはとてもエキサイティングな行程だったので
その興奮が少しでもお伝えできれば、と思います。
このシリーズでは、
・水源とされる高源院の池の北を流れる「烏山用水」上流のこと(今回コレ)
・寺町にある乗満寺あたりから確認できる支流のこと
・南烏山4丁目、3本の支流がひとっ所で集まる辺りのこと
・南烏山6丁目、西之谷を通る支流のこと
・「ミッシングリンク」を経て遡れるその上流のこと
・三鷹市北野1丁目を流れ水無川に合流する水路のこと

などを中心に取り上げていく予定です。

まずは今回は高源院の池の北側、「烏山用水」あたりを。
自然河川としての烏山川水源は高源院の弁天池(鴨池)、とされていますが、
ここは玉川上水ともご近所。
江戸時代、1659年。
世田谷の田畑をさらに潤すため、烏山村の農民が幕府に請願し
当時完成したての玉川上水と接続してできたのが烏山「用水」。
下流まもなくで烏山「川」と合流し、豊富(たぶん)な水を
世田谷一帯に供給することになります。
「烏山川レポート」(北瀬正嗣 2004年)によれば、
「1699年(元禄12年)の検地では世田谷区全土で1万石余の大富裕地出現となった」
と書かれています。

その烏山用水、高源院付近では烏山川のほんとに近くを流れています。
ずっとに前烏山川を追って高源院まで辿った時に
未熟な私はこの烏山用水を見逃しており
たいへんな心残りもあったので今回久々にリベンジ。
概ねこの北烏山4丁目の増田屋酒店と玄照寺の間から現れる
暗渠道を上流に辿っていきましょう。
Imgp3877

これが、北烏山4-30でいきなりはしご式開渠に変態します。
こっちは下流方向。
Imgp3892

しかしこの開渠もつかの間。
上流方向、この写真の奥でまた暗渠となります。
Imgp3893

この開渠の垣根越し、すぐ南に見えるのが、烏山川水源の高源院の池。
Imgp3894

池の北のこの流れをさらに辿ります。
この道のこの不自然に広い歩道が暗渠のようです。
Imgp3883

進んでいくと、意外なことにこの歩道暗渠に
左方向から垂直に開渠が合流していました。
うぇい。不意を突かれてかなりびっくり、小島よしおみたいな声を出してしまいました。
(そういえば最近お姿みなくなったな…)
Imgp3884 84

この、手前のハンキョ(金網状で、下の水面が見える半分暗渠で半分開渠なものの総称)の下に手を伸ばし、
歩道暗渠との合流がどうなっているか写真を撮ってみました。
こうなっていた…。
Imgp3887

どばどばと流れ込んでいるのかと思ったら、
意外と細い管で合流していました。

さあ歩道暗渠に戻って先に進みます。
東八道路にぶつかり、向こう側に続くのは、またはしご式開渠!
Imgp3899

暗渠との境目付近にマンホールがありました。
Imgp3900

よっしゃ、これもカメラで暗渠を覗き込んでみるか。
Imgp3903

おお、これもまた遠慮がちに細い管…。
でも大小の上下管が何を意味するのか大変気になりますね…。

この先は、ゴルフ練習場の敷地になっているので
敷地反対側に回り込んで追跡。
あったあった。無事捕獲。
さっきの開渠部分から三鷹市に入っていたようです。
Imgp3905

もう水は枯れてしまいました。
反対側、上流方向にも続いています。
Imgp3906

道がないのでさらに上流をめざし回り込みます。
ああ、あったあった。小さな橋から下流方向をみたのがこれ。
Imgp3907

回れ右して、上流も短いガードレールに守られて続いています。
Imgp3908

あ、ちょっと底のU字が変わったかたちの水路ですね、
Imgp3910

ささっと続いて、その先に橋跡のようなものも。
Imgp3913

この先は、恵比寿苑という老人ホームの敷地に入ってしまいます。
その敷地内でアクロバティックに90度回転、
下流からこんなふうに開渠で敷地から出てくるのが見えます。
Imgp3915

そのまま北に向かって暗渠道が続きます。
Imgp3916

赤い暗渠道。烏山レッドカーペット。
Imgp3932

セレブ気分も束の間。クランクに進み、人見街道にぶつかるところで
車止めとともに暗渠も消滅、その先の水路を見失います。

Imgp3935

でもこの先の敷地の向こうを確認すべく回り込んでいくと…。
Imgp3937

もう玉川上水にぶつかります。ここは長兵衛橋。
玉川上水における烏山上水の取水口はもうすこし下流の「岩崎橋」が一般に知られていますが、
この付近にもどうやら取水口があった、のだと思います。
公式か非公式(つまり盗水とか…)かはちょっとわからないけど…。

ここで本編は終わるのですが、
どうも気になるところがあったのでもう少し続けます。
ここから先はあくまで妄想…。
さきほど「アクロバティックに水路が90度曲がる」恵比寿苑のところ。
もしこの敷地内で曲がらずにまっすぐ貫通していたなら
出てくる先はこうなっています。
Imgp3918

どうです?この片側歩道、怪しくありませんか?
もしかしてここにも水路があって、
恵比寿苑の敷地内で90度曲がりの水路と合流していたんじゃあないのか?
そんな仮説を抱き、こちらも上流を追ってみました。

おおお!もはや武蔵野名物、唐突に鉄塔。川と関係ないけど。
Imgp3921

よそ見しましたが、さっきの道をずんずん行きます。
怪しい歩道はずいぶん前に消えましたが、
沿道には立派な木が何本も並びます。
Imgp3923
突き当りはやっぱり人見街道。
人見街道の向こうは、小高い丘が続いており、
いってみればここは「緩やかな谷頭」となっています。
Imgp3930
もしかしたらこの辺りから水が湧いていたのではないか?
なんて妄想も十分ありえるのではないでしょうか。
街道の向こうには大きなお寺。真福寺。
Imgp3926

うーん、お寺や神社から湧水、なんてよくあるパターンだからな…。
と、敷地内に水の気配を探します。
しかしどうも見つけられません。

あ、池。でも枯れてるしどう見ても人造w
Imgp3928

しかしさっきの水路(と思しき道)と人見街道の合流点には
こんなおかしな「三角島」もあるし…。
Imgp3925

結論は出さずに、
川だったかもしんない、ということにしておきますか。

次回もこの近辺のお話を。

より大きな地図で 烏山川・高源院あたり を表示

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2021 ・・・目黒川水系」カテゴリの記事

コメント

老人ホームのところで合流する西からの流れ、送電線のあたりまではあってます。
その先は実は、とある暗渠へ。。。
ちなみに老人ホームのところは20年くらい前までは畑地で、合流点手前は西からの
流れも開渠が残ってました。

投稿: HONDA | 2011年11月29日 (火) 00時25分

HONDAさん
おおー!貴重な情報ありがとうございます!!
半分くらいあってってよかったw
さすがHONDAさん、牟礼にも滅法お詳しいんですよね。このシリーズでは何か所も妄想入れてますんで、ぜひツッコミお願いいたします!
そっか送電線あたりまでは開渠が…。ということは、まさか西に進んで牟礼用水や水無川と繋がっていた、とか…ですか?

投稿: lotus62 | 2011年11月29日 (火) 09時23分

こんにちは。
人見街道にぶつかって消える水路、面白いですよね。
ただ玉川上水は公的な水道ですから、あちこちで勝手な分水はできなかったのではないかと思います。
(幡ヶ谷の有名なやつは見事に成功したことになっていますが、これは新水路ができた後に旧水路の水を盗んだものです。新水路で生活が逼迫したという大義名分がある(笑) 他に記録が多く残っているのは品川用水ですが、これは基本的に村vs村の闘いになっています)

で、それに加えて下流のルートが用水にしては河床が低いのも気になるところです。
高源院の池をかすめてもっと下流で烏山川に合流していたらしいのも、河床の低さを裏付けています。(ってか見た目でも池より低いですよね、確か)
つまり西のほうから悪水路が何本か来ていたということではないでしょうか。

老人ホームのところが畑だったのは、私も覚えがあります。
定点観測っぽい写真を撮りましたが、所在が不明です(笑)

投稿: 庵魚堂 | 2011年11月29日 (火) 19時19分

この辺りを歩いたときは、まだ暗渠初心者で(今もか(笑))
ただ単に烏山川を追ってみただけでした。
(まだ暗渠仲間の皆さんとお知り合いになる前の頃です。)

老人ホームから西への流れもあったのですね。
引越して、この辺りも近くなったので再訪してみたいですね。

そういえば、この付近で、はしご式開渠の中に入り込んだっけ(笑)

投稿: リバーサイド | 2011年11月29日 (火) 21時27分

現地を見てないので、ただの一般的知識の紹介ですが(笑)。

戦前の地図をみると、高源院の「池」あたりが水田地帯の最上流部になっているので、ここがはっきりした湧水点かどうかによって、変わってくるかもしれません。もし湧水がない、もしくはあってもあまり水量がなかったとしたら、水田に水を供給するすごく小さな川が一~数本あったはずですから、その流路が現在では暗渠になっているのかも。

「谷頭に水田あれば湧水あり」とつい最近まで思い込んでいたのですが(^^;;;、関東地方の丘陵地帯には、はっきりした湧水がない谷頭でも水田になることがあるそうです。周囲の斜面からじわじわと滲み出てくる水(「絞り水」というそうです)が窪地にあつまって、そこが谷頭になって水田としても使われるのだとか。

地図の上では、高源院の池は戦前にはなく、戦後になって出現し、1980年代に消えて90年代にまた現れるので、湧水があるとしてもそれほど水量が多くないのかもしれません。

投稿: sumizome_sakura | 2011年11月30日 (水) 01時13分

■庵魚堂さん
>あちこちで勝手な分水はできなかったのではないかと思います
そうですよねえ…。桶に汲んで持って帰る、というのならともかく水路繋がってるって、バレバレですものねえ…。
>下流のルートが用水にしては河床が低い
これはご指摘頂くまで気がつきませんでした(<出た、持ち前のフシアナ)。そう考えるとなるほど、人見街道と方向を同じくして西からというのはとてもよくわかります。
老人ホーム敷地のことは、HONDAさんのご指摘もありgooの古地図で確認してみました。確かに畑ですね。この様変わりも最近のことなんですね…所在不明という写真が惜しまれますw

■リバーサイドさん
このあたり歩くと、時間が足りなくなりますね。
開渠の中に入り込むというのもかなりの勇気のいる行動w ボランティアとしてお掃除でもされてきたのでしょうかww

■sumizome_sakuraさん
webで見て回る限り、「東京の名湧水57選」にえらばれていたりなどこの鴨池の湧水はそれなりに名の通ったもののようです…。現在はともかく、過去の湧水量はそれなりにあったのかもしれません。今もかなり大きな面積の池ですし、池が小さくなった痕跡もあまり無いようでした。庵魚堂さんの書かれた西方からの「悪水路」であったのかもしれませんね…。
http://www.kankyo.metro.tokyo.jp/water/conservation/spring_water/tokyo/place_10.html

うーん、高源院がここにできたのは昭和14年、一度水が枯れたのかな…それとも「省略」されたのかな…。毎年渡り鳥も飛来するという結構堂々とした池なので、枯れていたとそしたら鳥さんたちにとっては災難だったでしょうね…。はぐれ鳥一家、みたいなのが烏山近辺にうようよw

ところで「絞り水」という言葉は新鮮でした。確かに都内の川の水源地を見ても「じわじわ系」のところは結構ありますよね。それをそう呼ぶんですね。これ、憶えておきます!ありがとうございます!!

投稿: lotus62 | 2011年11月30日 (水) 12時28分

はい、「絞り水」は私も新鮮でした。詳しい方には笑われそうですが(^^;;;

鴨池以北の川筋に関しては、米軍極東地図局が1945年に作成した地図も参考になるかもしれません。
http://www.lib.utexas.edu/maps/ams/japan_city_plans/
のSetagayaです。
ご参考までに。

投稿: sumizome_sakura | 2011年12月 2日 (金) 02時10分

sumizome_sakuraさん
米軍極東地図局、これなんだかすごいかっこいいですよねー。水がすごく見やすいし。
地図にもデザインってあるんだなーとこれ見て初めて思いました。
できれば東京近辺は全部カラーでプリントして手元に持っておきたいです…。
鴨池近辺も、参考にさせていただきます!

投稿: lotus62 | 2011年12月 2日 (金) 09時50分

北烏山一帯は宙水があって地下水位が浅く、少し掘ると水がでるような場所だといいます。
高源院の池も、もともと地下水位に達した窪地となっていて水が湧いていたようですが、
池が現在の広さになったのは寺が移って来たときのようです。
大雑把にいえば、巨大な口径をもつ井戸を掘ったようなものだと思えばよいかと。
水は今でも湧き水ですし、その水位は降水量に左右されて上下する地下水位に
連動しているようです。

投稿: HONDA | 2011年12月 3日 (土) 12時46分

HONDAさん
高源院が移転してきたころというと昭和14年ですね。なるほど…。
それにしても「巨大な口径をもつ井戸」この比喩っておもしろいなあ。
どっかから流れ込んだ水でできる池ではなくて、窪地からぐじゅぐじゅっと水が浸みだして溜まった池。
sumizome_sakuraが教えてくださった「絞り水」のイメージにも重なりますね。
みなさまのおかげで、
なんか今回は私自身の池や地下水・湧水に関する想像力がぐんと広がったような気がしますw
みなさま、どうもありがとうございます!

投稿: lotus62 | 2011年12月 5日 (月) 09時07分

はじめまして。牟礼界隈に生まれ育ち50年の者です。懐かしさとともに興味深く読ませていただきました。
水源、湧水について寺町、牟礼で思い出したのは、⑴北烏山4丁目14墓地横に釣り堀があった⑵北烏山5丁目8−18 烏山寺町コートは昔は池だった⑶三鷹市牟礼1丁目4用水路南の畑は釣り堀だった⑷三鷹市牟礼1丁目19人見街道沿いに大きな金魚の養殖場があった。脇にテニスコートくらいの地面を数メートル掘り込んだ底は湧き出た水で沼地のようだった
特に⑴は今は農家さんの更地ですが水を組み上げる手動ポンプがあります。乗満寺横の水路の始まりは判然としませんが、そのすぐ東西が⑴と⑵なので、水の出やすい土地だったのを裏付けます。⑶と⑷も自然な湧水ではないと思いますが、この界隈の水に関わる記憶としてお伝えさせて頂きました。そういえば牟礼の生家にも井戸がありました。

投稿: sk | 2019年2月18日 (月) 09時48分

skさま
お返事が大変遅くなってしまい、申し訳ありませんでした。
こちらのブログはしばらく前にここhttp://lotus62ankyo.blog.jp/ に引越してしまいまして目が行き届かず、
せっかく貴重な情報を頂戴したにも関わらずのご無礼、どうぞご容赦くださいませ。
それにしても、skさまならではの在りし日の地元情報、とてもありがたいです。
あちこと水に縁が深い場所だったのだな、と改めて感じ入りました。
skさまの大事なご記憶、しかと共有させていただきました!
どうぞ今後とも新たなブログ、そして『暗渠マニアック!』(柏書房)をどうぞよろしくお願いいたします。

投稿: lotus62 | 2019年4月26日 (金) 20時13分

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