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2011年11月

暗渠ハンター 烏山用水がやってくるみち

烏山川の上流あたりと、
その周辺のことを何回かに分けて書こうと思います。

烏山川は比較的身近な存在であったのと
どうにも綺麗すぎる緑道が整備されていたりしてるので
はじめのころはここであまり取り上げることもなかったのですが、
実は表情豊かな支流がたくさんあること、
流路が複雑で一筋縄ではいかないことなどなど、知れば知るほど
興味がさらに湧いてくる川、でした。
すでに何本かの支流については記事にしていましたが、
今回はその最上流、そしてその周辺の水路・暗渠について
何回かに分けて書こうと思っています。

すでにこの辺りも世田谷の川探検隊の庵魚堂さん、
東京の水 2009 fragmentsのHONDAさん、
善福寺川リバーサイドのリバーサイドさんほかたくさんの方々が書かれており、
読んでいただく皆様に「新発見!」はないかも知れませんが
私的にはとてもエキサイティングな行程だったので
その興奮が少しでもお伝えできれば、と思います。
このシリーズでは、
・水源とされる高源院の池の北を流れる「烏山用水」上流のこと(今回コレ)
・寺町にある乗満寺あたりから確認できる支流のこと
・南烏山4丁目、3本の支流がひとっ所で集まる辺りのこと
・南烏山6丁目、西之谷を通る支流のこと
・「ミッシングリンク」を経て遡れるその上流のこと
・三鷹市北野1丁目を流れ水無川に合流する水路のこと

などを中心に取り上げていく予定です。

まずは今回は高源院の池の北側、「烏山用水」あたりを。
自然河川としての烏山川水源は高源院の弁天池(鴨池)、とされていますが、
ここは玉川上水ともご近所。
江戸時代、1659年。
世田谷の田畑をさらに潤すため、烏山村の農民が幕府に請願し
当時完成したての玉川上水と接続してできたのが烏山「用水」。
下流まもなくで烏山「川」と合流し、豊富(たぶん)な水を
世田谷一帯に供給することになります。
「烏山川レポート」(北瀬正嗣 2004年)によれば、
「1699年(元禄12年)の検地では世田谷区全土で1万石余の大富裕地出現となった」
と書かれています。

その烏山用水、高源院付近では烏山川のほんとに近くを流れています。
ずっとに前烏山川を追って高源院まで辿った時に
未熟な私はこの烏山用水を見逃しており
たいへんな心残りもあったので今回久々にリベンジ。
概ねこの北烏山4丁目の増田屋酒店と玄照寺の間から現れる
暗渠道を上流に辿っていきましょう。
Imgp3877

これが、北烏山4-30でいきなりはしご式開渠に変態します。
こっちは下流方向。
Imgp3892

しかしこの開渠もつかの間。
上流方向、この写真の奥でまた暗渠となります。
Imgp3893

この開渠の垣根越し、すぐ南に見えるのが、烏山川水源の高源院の池。
Imgp3894

池の北のこの流れをさらに辿ります。
この道のこの不自然に広い歩道が暗渠のようです。
Imgp3883

進んでいくと、意外なことにこの歩道暗渠に
左方向から垂直に開渠が合流していました。
うぇい。不意を突かれてかなりびっくり、小島よしおみたいな声を出してしまいました。
(そういえば最近お姿みなくなったな…)
Imgp3884 84

この、手前のハンキョ(金網状で、下の水面が見える半分暗渠で半分開渠なものの総称)の下に手を伸ばし、
歩道暗渠との合流がどうなっているか写真を撮ってみました。
こうなっていた…。
Imgp3887

どばどばと流れ込んでいるのかと思ったら、
意外と細い管で合流していました。

さあ歩道暗渠に戻って先に進みます。
東八道路にぶつかり、向こう側に続くのは、またはしご式開渠!
Imgp3899

暗渠との境目付近にマンホールがありました。
Imgp3900

よっしゃ、これもカメラで暗渠を覗き込んでみるか。
Imgp3903

おお、これもまた遠慮がちに細い管…。
でも大小の上下管が何を意味するのか大変気になりますね…。

この先は、ゴルフ練習場の敷地になっているので
敷地反対側に回り込んで追跡。
あったあった。無事捕獲。
さっきの開渠部分から三鷹市に入っていたようです。
Imgp3905

もう水は枯れてしまいました。
反対側、上流方向にも続いています。
Imgp3906

道がないのでさらに上流をめざし回り込みます。
ああ、あったあった。小さな橋から下流方向をみたのがこれ。
Imgp3907

回れ右して、上流も短いガードレールに守られて続いています。
Imgp3908

あ、ちょっと底のU字が変わったかたちの水路ですね、
Imgp3910

ささっと続いて、その先に橋跡のようなものも。
Imgp3913

この先は、恵比寿苑という老人ホームの敷地に入ってしまいます。
その敷地内でアクロバティックに90度回転、
下流からこんなふうに開渠で敷地から出てくるのが見えます。
Imgp3915

そのまま北に向かって暗渠道が続きます。
Imgp3916

赤い暗渠道。烏山レッドカーペット。
Imgp3932

セレブ気分も束の間。クランクに進み、人見街道にぶつかるところで
車止めとともに暗渠も消滅、その先の水路を見失います。

Imgp3935

でもこの先の敷地の向こうを確認すべく回り込んでいくと…。
Imgp3937

もう玉川上水にぶつかります。ここは長兵衛橋。
玉川上水における烏山上水の取水口はもうすこし下流の「岩崎橋」が一般に知られていますが、
この付近にもどうやら取水口があった、のだと思います。
公式か非公式(つまり盗水とか…)かはちょっとわからないけど…。

ここで本編は終わるのですが、
どうも気になるところがあったのでもう少し続けます。
ここから先はあくまで妄想…。
さきほど「アクロバティックに水路が90度曲がる」恵比寿苑のところ。
もしこの敷地内で曲がらずにまっすぐ貫通していたなら
出てくる先はこうなっています。
Imgp3918

どうです?この片側歩道、怪しくありませんか?
もしかしてここにも水路があって、
恵比寿苑の敷地内で90度曲がりの水路と合流していたんじゃあないのか?
そんな仮説を抱き、こちらも上流を追ってみました。

おおお!もはや武蔵野名物、唐突に鉄塔。川と関係ないけど。
Imgp3921

よそ見しましたが、さっきの道をずんずん行きます。
怪しい歩道はずいぶん前に消えましたが、
沿道には立派な木が何本も並びます。
Imgp3923
突き当りはやっぱり人見街道。
人見街道の向こうは、小高い丘が続いており、
いってみればここは「緩やかな谷頭」となっています。
Imgp3930
もしかしたらこの辺りから水が湧いていたのではないか?
なんて妄想も十分ありえるのではないでしょうか。
街道の向こうには大きなお寺。真福寺。
Imgp3926

うーん、お寺や神社から湧水、なんてよくあるパターンだからな…。
と、敷地内に水の気配を探します。
しかしどうも見つけられません。

あ、池。でも枯れてるしどう見ても人造w
Imgp3928

しかしさっきの水路(と思しき道)と人見街道の合流点には
こんなおかしな「三角島」もあるし…。
Imgp3925

結論は出さずに、
川だったかもしんない、ということにしておきますか。

次回もこの近辺のお話を。

より大きな地図で 烏山川・高源院あたり を表示

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暗渠ハンター 女子大潜入取材!水窪川シークレットゾーンを探る

なんか品のないタイトルでアレですが…。

池袋の東、美久仁小路に端を発する水窪川。
サンシャイン60が構える台地の下から南大塚を抜け、
豊島が岡御陵の横を掠めて不忍通りを越え
音羽通りとほぼ平行に下って江戸川橋近辺で神田川に合流する川です。
別名音羽川。
以前も取り上げたことがありました

この水窪川、当然ですが暗渠化され
ほぼ全流域の上を辿ることができるのですが、
東青柳町・不忍通りを越えたところで
私邸に入ってしまう箇所があります。
まあ言ってみれば「水窪川シークレットゾーン」。
ここはお茶の水女子大の台地の崖下となっている所。

一方、お茶の水女子大。
明治8年(1875年)に湯島1丁目で
東京女子師範学校として開校しましたが、
昭和7年(1932年)に現在の地に移転。
ここは江戸時代は磐城平藩安藤家下屋敷があり、
明治は陸軍の弾薬倉庫、兵器支廠があったところだそうです。
ところで軍事系に興味関心のない方にとっては「廠」って
なんだかよくわからないと思いますが…。
かくいう私もつい最近まで読み方さえわかりませんでしたw
「廠(しょう)」。
大辞泉によると、
「仕切りのない、だだっ広い建物」だそうです。
特に陸軍では軍事関連の工場のことを「○○廠」と呼んでいたようです。

かつて水窪川シークレットゾーンを歩いた時に、
目の前にそびえるこの高台・お茶大の崖上から
この隠れた池を見渡してみたいものだと思っておりました。
しかしセキュリティの厳しい女子大ですからねぇ…。

しかし!お茶大にだって学祭がある!
その学祭のタイミングで堂々と正面から潜入し
この崖上から水窪川シークレットゾーンを見下ろしたるでぇ!!!
と野望を抱えて幾星霜。時には野望を忘れたりもしてましたが。

ってことで前置きが長くなりましたが、
2011年の11月12・13日とお茶大の学祭、「徽音祭(ぎんいんさい)」
に崖目当てで行ってまいりました!

入り口。
Imgp3761

学内はたいそうな人出です。
Imgp3795

ですが、模擬店などのにぎわいそっちのけで人気のない崖際に向かいます。
(あ、アサメシ食べてこなかったので豚汁200円の一杯だけは買い食いいたしましたw)

お茶大の敷地はこんな具合です。
Photo

(google earthさん 東京地形図さん、いつもありがとうございます)

そこは水窪川シークレットゾーンをまさに見下ろすことができる高台。
だいたい校舎は正門近く、つまり敷地の右下から左下までに集中していて、
上半分の崖際は殆ど運動場です。
つまり目標視点の崖際は運動場のむこうに位置しています。

この写真の右に広がるのが運動場。

Imgp3762

正面の高層ビルは、音羽通りに建つ講談社でしょう。

運動場のヘリに行けば崖下が見えると思い込んでいましたが、
現場に到達するのは予想以上に難航しました。
ここが運動場のヘリ。
Imgp3767

このネットの向こうには
ふだん誰も入り込まないような「原野」みたいなのがあって、
この原野の草っぱらを掻き分けないと崖上につけません;;;。
下の写真が原野入口…。
Imgp3785

ここを踏破し、やっと崖上に。
崖はこんなふうになってます。
Imgp3776

そして水窪川シークレットゾーンは…。
見えました!
※崖下を眺めた、とはいえやはり人様の敷地内を覗き込んでのことなので、
池の写真は控えますね。

こういう見解もありますし(これはとってもうなずけます)。
どうもふだん暗渠写真を探っていると、
つい「人の敷地内に隠れたところ」まで
うっかり写真など撮ってしまいがちです。
しかし改めて、間違いを起こさないよう気をつけないと、と自分に言い聞かせました。

というわけで写真でなく拙い筆力で全力描写w。

それは、鬱蒼とした御庭の中にある、
ある種神秘的な池でした。
鬱蒼、といっても何本も木や草が生い茂っているわけではなく、
数本の大木が庭をすっぽりドームのように覆っている感じです。
よく手入れされているのか、地面はすっきりとしていて片隅にはお稲荷様も祀られています。
そして静寂。
水の透明度まではわかりませんでしたが、かなりの広さがある池の水面はいつもこの庭の景色を鏡のように映しているんじゃないかと思います。

よく見えませんがおそらく敷地の外だと思うのですが、この崖下と敷地の間を
池から繋がる水路(つまり水窪川の続き)が流れ、
その先で公共道路の暗渠へと変わっていくようです。
その姿が崖上の文字通り「草葉の陰から」垣間見ることができます。

しかしこれほどの河川の本流が、
「一旦個人宅の敷地に入り、しかも池を作っている」
ってちょっと珍しいのでは?
人工の用水では想像に難くないのですが寡聞にして他の例が思いつかず…。
こうなった経緯も調べてみたいところです。

というわけで本日のお茶大潜入の目的は無事完遂。

普段は入れない異文化空間なので、
ちょっと学祭の賑やかなところも覗いていこうかな、
と校舎が集まる下(南)半分のほうに向かいます。
Imgp3768

お茶大敷地は台地上にありますが、その台地の上でも
結構起伏があるのがわかります。
校舎は運動場から一段高い更なる崖上に建っています。

…なんてことを考えながら校舎に近づいて行ったのですが、
この校舎の崖下にも面白いものがありました。
崖下を左から右に通っている学内水路。
Imgp3787

まあこれだけなら普通に排水設備なのでしょうが、
この上流でけっこうな味わいのある暗渠蓋を見ることができます。

Imgp3788

上流を辿ると上のような状態。
先ほどの近代的な網目の蓋(<半渠と呼びたしw)ではなく、
ここだけ鉄板蓋に変わり、その奥の水路は柵に囲まれてしまいます。

その柵に囲まれたところの蓋がこれ。古そうですね。
Imgp3789

手前の蓋は普通に1ピースなのですが、
奥のは3ピース分が一体成型になってるのです。
ここ以外でもこの水路には
この一体成型蓋がランダムに使われています。
これが味わい深くておもしろす。他では見たことがありません。

実はこの左側の建物はプール。
プールの排水路だったのですね。

この日はハードスケジュール。
普段見ることができない浅草寺伝法院の池が公開中、と聞いて
このあと浅草に向かいました。

伝法院池のお話は、またこんど。
2011年12/5まで、300円かかりますが見られますよ!

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暗渠ハンター スリバチフィールドワークと渋谷~神泉間の鉄橋

10月の終わりに、
東京スリバチ学会さんのフィールドワークに参加してきました(午前中の1.5時間だけだけど)。
いえね、午後は知人の結婚披露宴があるものだから、
せめて午前中だけでもと思って向かったわけです。

この日のフィールドワークは
小田急線・代々木八幡駅集合
→河骨川から宇田川に抜けて、
→富ヶ谷NTT裏のスリバチを堪能
→東急本店の方から鍋島松濤公園のスリバチ池で小休止し、
→円山町ラブホ街の手前から神泉谷を下って登ってまた下り
→神泉谷の谷底、神泉駅前でお昼休憩

          ってところで途中抜けさせていただきました。

ご一行はそのあと
→渋谷の鶯谷
→いもり川の谷
→金王八幡のあたりの黒鍬谷

と踏破されたそうです。

今回はこの行程の中の、
お供させて頂いた短い間のことをちらっとご紹介します。

まずはここ。
スタートして間もなくの、宇田川に合流する付近の河骨川。
Imgp3239

暗渠の右に見えるエアコンの室外機。
この下に…。
Imgp3240

初めて気がつきましたが、
なんだかドボク系の構造物が…。
橋の遺構の一部なのか、
全然そうでもないのか…。わかりませんでしたw

井の頭通りを渡って(あえて横断歩道でなく歩道橋を渡るw)、
富ヶ谷のNTT裏の谷底に向かいます。
谷底から山手通りに一気に上る階段を上がって、
スリバチの縁から谷底を眺む。
Imgp3255

ここは何度も来てるんだけど、
これまでブログで扱ったことはなかったんだなあと
今になって気づきました。

この谷筋、もともとは山手通りの向こうまで続いているのですが、
おそらく山手通りを作った時に谷の途中を盛土してぶった切ったため
こうして超二級スリバチ(三方を崖に囲まれている)として存在しているようです。

ここで、ふだんからよくコメントを頂きたくさんの重要な示唆を日頃からいただいている墨染桜さんや
階段専門家の松本さんらと合流。

再び谷に降り、谷底に這う川跡を眺めます。通称、宇田川富ヶ谷支流。
Imgp3263

そしてこの日の謎。
神山町28-5にはこんな道があるんですが…
Imgp3271

この道の半分の構造が川跡のようでもあり。
しかし全体が窪んでいるので、
川だったとしても水の逃げ道がないんです。
でもでも、このずらっと並んだ自転車やバイクが示す通り、
通行量はたぶん著しく少なく、
ほぼ「円滑な交通のための道」(つまり本来の「道」)ではなさそうです。
んー何に使ってたんだろう…。わからない…。

そして鍋島公園の池。
Imgp3293

湧水池と言われていますが、
山手通りを流れていた三田用水からの落ち水も神谷町方面から来ていたようです。
その接続点はこの池の北の奥。
Imgp3294

そして神泉駅前に。
Imgp3306

いつか神泉谷の流れは記事にしたことがありました

駅前ではスリバチ学会会長が、線路とそれにつながる小さなヘタ地を指し
「ここに流れてたんですよね」とぼそっと一言。
…わあ本当だここに目をやったことがなかったけど、
はっきり神泉谷からの流路が線路の下に残っていました!
Imgp3307

これは鉄橋です、鉄橋。井の頭線の渋谷駅と神泉駅の間に、鉄橋ですよ!!
あー今まで気がつかなかった…。

この上流も、下流もしっかり辿っていたのに、
この井の頭線を跨ぐポイントを確認してみようとついぞ思わなかった
我が不見識・フシアナかげんを恥じる思いでございます;;;;。

家に帰って調べてみたら、
ずいぶんまえに
HONDAさんも「東京の水2005」で
書かれている
ではありませんか。
うわーこれも読んでたはずなのにすっかり記憶から抜け落ちていました。
再び我がウスラバカ加減を恥じることとなりました。
まったく知恵や知識が身につかないなあ…。

振り返った南側には、こんな
「私暗渠の上に置かれてます」と主張するような
建物と細道があったというのに。
Imgp3308

いやー、これを確認できただけでも十分今日のフィールドワークの価値ありです。
スリバチ学会会長と、フィールドワークでご一緒だった皆様に感謝。

そうそう、この日はたくさんマイ地図に暗渠の書き込みをされていた
暗渠好きの方もいらっしゃったなあ…。
ろくにご挨拶できませんでしたが、もしこの記事お読みになられましたらぜひひとことふたことでもお言葉いただけるとありがたいですw

ここで途中抜けし、同じタイミングで抜けた看板建築専門家の山崎さんと
渋谷の爆発的な量を誇るステーキ屋さん某でおひるごはん。
夕方から披露宴でのおよばれを控えているのであまり量は食べないつもりでいましたが、
デフォの量が半端ないので食後にちょっと後悔したりしてみましたw

より大きな地図で 20111029スリバチFW を表示

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暗渠ハンター 街に埋もれる妙正寺川・鷺ノ宮駅北支流(仮)を追う

鷺ノ宮駅近辺の続編です。
鷺ノ宮駅の北側に、住宅区画に埋もれた水路を偶然見つけました。
地図でいうと、これこれ。緑の線。

より大きな地図で 杉並以北でまとめてみよう を表示

地形図でも見てみましょう。こちらは水色の線。
(google earthさん、東京地形図さんいつもありがとうございます)

Photo 地形

妙正寺川の氾濫原に鷺ノ宮駅がすっぽり包まれています。
川の北を囲む台地の下を、川とほぼ同じような半円状のカーブを描いて
水路が存在していました。
(まんなかへんからショートカットする水路もありました)
これは前回掲載した古い地図にも載っています。
「中野区民俗調査第1次報告 鷺宮」(H9年中野区立歴史民俗資料館)より 
S16年日本統制地図株式会社の地図

1_4 

ただし、年代によってはこの半円の下(南)のほうは、
地図に書かれていないこともあったようです。

下は同資料に記載のS12年大日本帝国陸地測量部による地図です。
ここでは円弧上に南に延びる川筋がなくなって、
ショートカット水路だけが描かれています。
2_2

しかしさらに古い明治30年の地図には
やっぱり南の円弧部分は水路として描かれているので、
経年変化をまとめると
明治30年→アリ
昭和12年→ナシ
昭和16年→アリ

となります。
たぶんこのS12年地図では単に「点線部分の川筋は省略」しただけなのでしょう。

まあもちろん実際に水路があったかどうかということと
きちんと地図に描かれているかどうかは別問題ですが。

これらひっくるめて、ここでは
妙正寺川「鷺ノ宮駅北支流」と仮に呼ぶことにします。

ささ、地図をあたるのはこれくらいにして、
現地の様子を見ていきましょうか。
上流は、駅前の住宅地の間にまさに埋もれていました。

駅前、妙正寺川の反対側つまり北側ですが、
川と台地の間の氾濫原と思われるところに、
何か川の痕跡でもないかねときょろきょろしてたところ…。
あの駐車場スペースの裏側が、
「なんか空いてる」かんじがするー。
Imgp2887

ちょっと行ってみましょう。

果たして。こんな細長スペースが、
鷺宮4-3のブロックを東西に貫通する形で伸びていました。
Imgp2886

この写真は、上流方向です。
さっそく下流方面に回り込んでみます。
Imgp3317

おお、車止め!
というか人間の進入さえ拒んでいますね。
もっとこのブロックをウロウロして、
貫通している川跡を探ってみます。
先ほどのコイン駐車場と反対向きに普通の駐車場があったのですが、
そこからも流路が見えました。
Imgp2891

Imgp2892

未舗装の暗渠。
下水道台帳によればこの鷺宮4-3のブロックを貫通する下水道はないので、
正確には暗渠ではありませんが、
時を越えてここに水が流れていたことを考えると、
私にとっては立派な「暗渠」です。

残念ながらこのブロックから上流につながる暗渠は
確認できませんでした。

では下流はどうか。
鷺宮4-3から中杉通りを東に越えて探りを入れてみます。
通りを越える手前で一瞬痕跡を絶ちますが、
道の向こうに続くのがこれ。
Imgp3319

間違いないでしょう。
少し先に進むと細長の狭セマ公園。
この公園の下には非常時用の水槽が仕込まれているようです。
Imgp3320

再び下水道台帳では、この道は下水道が通っており
川跡が下水道に転用されている様子。

公園のさらに東には、このように延びる一筋の道が。
Imgp3321

さすがにこの先は終えませんので
またまたコの字ウォークで先を見ます。

川跡はこの駐車場の奥を右から左に流れていたようです。
Imgp3322

その先も痕跡は露わにはなりませんが、
このように土地の境界が引かれており、
かつての川を想像することができます。
Imgp3324

Imgp3325

流路の先には、
深く地下を抉った造りの建物も。
これも暗渠指数高し。
Imgp3326

この先はこのようなところに出ます。
Imgp3328

流路は左からやってきます。
道路の左半分の不自然な舗装のされ方に注目。
おそらくここを川が流れていたのでしょう。

この写真を撮った地点から回れ右すると、
もう目の前が西武新宿線です。
線路までの短い区間、こんな暗渠路地が続きます。
Imgp3327

奥に進むと、線路端で左に90度ターン。
Imgp3330

ところでこの道の右の雑草の並び方ったら。
ここにに水路があったよーと
ひっそりと教えてくれているかのようですね。

90度曲がった先は、歩道橋。
線路の向こう、南側に繋がる通路を確保する歩道橋です。
南側とはすなわち妙正寺川本流の方向です。
Imgp3329

では、この歩道橋の反対側に移動してみましょう。

反対側はこれ。
Imgp3334

線路に分断され、線路内スペースには痕跡は見当たりませんが、
この歩道橋下のスペースは川の存在を物語っていそうです。
Imgp3335

ちょっと決め手に欠けるけど、
古い地図を辿るとここにやってきます。

この先はますます道に溶け込んでわからなくなります。
Imgp3341

冒頭古地図を交えながらご紹介した「ショートカット」は
この先を右に曲がったところ。
今回はショットカットせず大回りフルコースで妙正寺川を目指します。

途中、ところどころで暗渠指数が跳ね上がります。
こんな不自然な道も。
…電柱が道の中央に寄りすぎてますね。
Imgp3343

冒頭の古地図の、川跡点線部分を追います。
ここはちょっともう埋もれすぎていてわかりませんね。
Imgp3344

もうすぐフィニッシュ。
左に台地が迫ってきました。
右には
突然復活する歩道もあるし、多少蛇行がきつくなってきます。
Imgp3345

この先、オリーブ色の欄干のオリーブ橋(奥の橋)で妙正寺川に。
ちょっと離れたところに合流口も見えます。
Imgp3347

さてオリーブ橋とは些か唐突ですが、
小豆島出身の作家の壺井栄さんは
「二十四の瞳」をこの鷺ノ宮で執筆されたそうです。
その縁で小豆島にある小学校とこの近くにある若宮小学校が姉妹校になり、
瀬戸内海にちなむ名前が付けられた、とのこと。
なるほど。
…しかしなんで兄弟校っていわずに姉妹校っていうんだろう。
姉妹都市も然り…。
なんて疑問を持つ方は多いようで、結構ネットにも諸説ありました。
(兄弟都市、ってのもあるようです)
これはあえてリンクは張らずにおこうっと。

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暗渠ハンター 鷺ノ宮エキチカ湧水とかつての水田のこと

なんとなく妙正寺川系の記事が増えてきた昨今。
今回は鷺ノ宮近辺のお話を。

妙正寺川は大きく南北に蛇行しながらも主に
中野区を東西に流れる川です。
地図で流路を俯瞰すると
なんかオシロスコープの画面みたいですね。

2

その蛇行が最も大きく北に振れるピーキーなところに位置するのが、
西武新宿線・鷺ノ宮駅。

西武新宿線には駅を降りてすぐに開渠の川、ってロケーションが
いくつかあります。下落合、中井、沼袋、そして鷺ノ宮。
これまで妙正寺川にも西武新宿線にもなじみがなかったので、
ここ最近です、これらの駅前風景を
ちゃんと頭の中で想起できるようになったのはw

ちょっと長くなるので、鷺ノ宮近辺のお話は2回に分けようかと。
鷺ノ宮の駅すぐ北側に、寿司ネタで言えば中トロくらいの物件があるのですが、
それは次回に回すとして今回はその周辺物件を。

鷺ノ宮駅からちょっと南、下流に下ったところにある下鷺橋。
Imgp2862

ご覧のように右岸の橋の下にぽっかり合流口があったので、
この先を辿ってみましょう。暗渠があるかもしれません。

※家に帰ってwikiってみたら、なんとこの橋付近の川底から湧水が見られるとのことでした。
「下鷺橋 - 「都営鷺宮第七住宅脇橋の湧水」がある。橋の下のコンクリートの川底に埋め込まれたパイプから水が湧き出している」  ウィキペディア「妙正寺川」より

うひゃー、気がつかなかった;;;、ってか水面は殆ど見ませんでしたよ;;;。

こちらのデータ「神田川の現状と課題」(神田川再生構想検討会)では
湧水量は
「都営鷺宮第7住宅脇橋湧水量 0.002m3/s」
となっています
善福寺池揚水量の「0.023m3/s」と比べればごくわずかではありますが、
妙正寺池揚水量では「0.002m3/s」と同数値。立派なもんではないですか。

味噌maxさんのご協力で、11/2に「0.002m3=2リットル」と理解できましたw
いやいや、けっこうな量ですわね。
同日に現場に訪れた味噌maxさんから、こんこんと湧き出る写真を見せて頂きました。
どうもありがとうございました。
どうやら湧水口はこの写真の合流口のすぐ下、
写真ではちょうど手前の手すりに隠れしまっているところでしたw

えーい、またいつかこの湧水を見に行くことにします…。

で、気を取り直してこの先を。
下鷺橋からこの合流口を辿るかたちで暗渠探しです。
橋の近くには小規模の連続麻雀牌マンホールが。
Imgp2864

暗渠・下水道が交差しているしるしですね。

右岸から台地に続く道。
Imgp2867

どうもこの左側の片側歩道が暗渠に見えて仕方がありません。
歩道の、フェンスの向こう側は大規模な工事中。
都営アパートなどの集合住宅がごそっとまとまって建っています。

お、その反対側に車止めがありました。
Imgp2868

辿ってみます。
Imgp2878

まっすぐに続く路地、これはおそらく用水路の跡です。

この辺り、古い地図をみると妙正寺川を中心に
3本の「川」が流れていたようです。
もちろんそれらの周りは、一面の田んぼでした。
下の地図は鷺ノ宮駅と妙正寺川を中心とした戦前の地図。
青い丸がこれら写真の付近です。

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「中野区民俗調査第1次報告 鷺宮」(H9年中野区立歴史民俗資料館)より 
S16年日本統制地図株式会社の地図

青い丸の中、真ん中が今の妙正寺川本流、
この用水路跡は左側の川の流路だったのではないかと思います。
そしてこの一面の田んぼの跡地は、
今はたくさんの団地が建てられているわけです。

ちなみに、前出の資料「中野区民俗調査第1次報告 鷺宮」には農家の方がいかにして
その稼業をやめていったか、ということがインタビュー形式で書かれています。

<昭和2年西武線が開通した時に川の流れが変わり、人通りも多くなってしまったので水田耕作をやめた。所有する地所のうち、高い一山を残してその土をトロッコで田まで運び田を埋めた。今ではそこは駅前の商店街になっている>

<水田は昭和33年都営住宅に売った。この頃になると下水が流れてきたり川の水も汚れてきたりして、周囲の農家も水田耕作を「やる気がなくなってしまった」のである。稲を作るにあたっては共同で行う水引きの作業は欠かせない。皆がやる気を失ってしまったため、水引きもできなくなり田を手放したのである。一軒の農家だけで田を作り続けていくことはできなかった>

かつての一面の水田は、こんな経緯で今に至っているそうです。
どこもそうなのかもしれませんが
昭和初期の鉄道開設、そして高度成長期の急激な宅地化、
といったインパクトが鷺ノ宮を変えました。

暗渠然とした道は、宅地・団地の敷地の合間を抜ける蛇行道へと変わります。
Imgp2881

Imgp2883

さて、
先ほど車止めのところを曲がってこの用水路を追いましたが、
曲がらずまっすぐ行けば中杉通りの尾根道にぶつかります。
尾根からの水路(おそらく付近の生活排水だと思います)も、
わずかながら残っていました。
これは中杉通りから伝わって一本奥のブロックまで延びる水路跡。
Imgp2875

中杉通り方面に向かって撮影しました。
撮影地点の背後、この下流はすでに住宅に紛れてしまっています。

では次回はいよいよ「中トロ」のお話を。


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