暗渠ハンター まだまだ知りたい妙正寺川・桜ヶ池支流と付近の水源
前回のおわりに「次回は鷺ノ宮付近の支流を」なんて書いていましたが、
思いっきり予定変更しますw
大和3丁目支流よりずっと下流の、桜ヶ池支流のお話。
ここは、「中野区担当」の味噌maxさんや、
リバーサイドさんもかつて取り上げてらしたところ。
私もここに、行ってまいりました!
スタートは「桜が池通り」にある東光寺別院・桜ヶ池不動尊です。
ちなみに、その桜が池通りはこんなにも谷が実感できる素敵ストリート。
概ね北方向を望んでいますが、この坂道の下に
桜ヶ池不動尊があります。
桜ヶ池そばにはちょっとした説明板が置かれており、それによると
・昔々桜ヶ池には豊かに清水が湧き出ており、大椿の木の元にお不動様の祠があったよ。
・だから村の人はこの湧水を「不動様の清水」と読んだり、不動様を「桜ヶ池の不動様」と呼んだりして崇められていたよ。
・昭和7年にこの一帯の耕地整理組合ができた。ここいらへんの田んぼは、妙正寺川四村橋下流の堰からの導水、東光寺の湧水、柳の井戸、桜ヶ池の湧水とをあわせて潤していたんだけど、一帯の耕地の整理が始まったよ。
・とうとう昭和29年に耕地整理が完成したよ。そのときこの不動様の永代護持を、東光寺にお任せしたよ。
とのことでした(S62年4月)。
特に収穫だったのはこの桜ヶ池の他に、
堰・東光寺・柳の井戸といった湧水・導水ポイントがあったということですねー。
(これらについてはあとでまた触れます)
さて桜ヶ池です。
祠の後ろ、向かって左の方は「ミニ谷頭」的にちょっとした段差があります。
その段差の手前には、龍の吐水口。
ここから出た水が先ほどの桜ヶ池につながっています。
湧水、というよりやっぱし組み上げなんだろうな…。
ここから妙正寺方面に伸びる緩い下りを辿っていきましょう。
と、その前に。
池から2ブロック離れたところに杉並第5中学校があるのですが、
そこの西の端っこがたぶん暗渠。
道自体の高低差もあまりないし、とてつもなくまっすぐだし、
これはおそらく用水路の跡なんでしょうね。
右側が学校側。左側は一段高くなっていて、
左ワンブロック向こうに先ほどの桜ヶ池があります。
地形から言って、
桜ヶ池を出た水はこの左のブロックの真ん中へんを貫通して
この用水路に注いでいたのではなかろうか、
と思っています。
この用水路から、暗渠暗渠した「桜ヶ池支流」の間には、
広大な団地の敷地が。都営上高田四丁目団地です。
きっと昔はここに田んぼが広がっていたのでしょう。
はっきり残っている桜ヶ池支流暗渠までの間、
桜ヶ池からの水は網の目のように
この敷地を這っていたのではないでしょうか。
団地の敷地の南端はやはり崖になっていて、
桜ヶ池からこの団地一帯は大きな大きな谷頭に包まれているのが
わかります。
その南の崖下から、はっきりした暗渠を見つけることができました。
下流の行く手を板っ切れが阻んでいます。
板っ切れの向こう側は…。
土に埋められていますね。
土の先には何が…?ということで思いっきり望遠。
適当っぽくコンクリ蓋が被せられています。
この先をコの字ウォークで確認しに行きましょう。
暗渠はこんな建物の前を左右に通っています。
おおー、森深いわけでもないんですが、
なぜかとても「ジャングル感」の漂うところです。
がれきなのか?それともこれが蓋wなのか?
新しいタイプの蓋出現なのか?
うーん…。
おお、こちらはややジャングル感が低くはなるものの、
十分に湿感が高いですね。
南側は相変わらずの崖。
崖上に建つ建物がその高低差を強調します。
すごい圧迫感。
東京スリバチ学会で唱えているスリバチの第一法則を思い出します。
この先もコの字ウォーク。
この先で普通の道に出て暗渠暗渠した暗渠(<もうよくわからなくなってるw)は終わります。
ここがクライマックス、となるわけです。
この先は一般道となり、
おそらくこの道の左側のブロックを貫通して
川筋が通っていきます。
回れ右するとここに。
ちょうど中野区と新宿区の区界です。
ここはつい数週間前に、
「暗渠仲間で夜の上高田支流をちょっと怖いけど歩こう」企画で
歩いたところでした。
そう、つまりこの付近で上高田支流と合流となります。
さてさて。ちょうどお昼時なので、
上高田支流が妙正寺に合流する近くの川沿いの店でランチ。
松葉という中華屋さんでビールと麻婆丼。
写真のもやしは、所謂お通しですが、
「しょうゆと、お好みでマヨネーズをつけてください」という
この素朴な茹でもやしが結構ツボでしたw
あ、麻婆丼も美味かったです。ラーメン味の麻婆丼w
しかし妙正寺川には「まつば」という屋号が多いのか知らん?
味噌maxさんの記事にもあった「マッバ」も、
業態違いながらほんとの読み方は「まつば」だし…w
さあ、終わりに、冒頭の桜ヶ池不動で触れたその他の水源について、
ご紹介しておきます。
まずは四村橋の下流にあったという堰。
場所的にはこのへん。古地図をみると、写真の奥の方、
左岸一帯が池というか沼というか、遊水地のような使われ方をしていた時期が
あるようです。それがつまり、堰によって溜められた水を一時的に逃がしていた
スペースだったのかもしれません。
ほんとに痕跡かどうかわかりませんがw、
今でも堰のような段差は見ることができます。
境内を入るとすぐ左、やはりちょっとした谷頭ポイントに
こんな池が。
残念ながら「柳の井戸」については手掛かりがなく不明。
ちなみに柳の井戸以外の3か所は、偶然でしょうがほぼ一直線上に
並んでいます。まるで「上高田水源ベルト地帯」ですw
それはほぼ崖線(というと大げさだけど)と一致しているので、
このライン上に柳の井戸もあったのでは?と思ってしまいます。
その直線は端から端まで約6~700m。
田んぼを潤す水源だけでこんなに離れているのですから、
やはりかつてはとても広大な田んぼが広がっていました。
そんな前提で、今回の地図をご覧ください。
より大きな地図で 杉並以北でまとめてみよう を表示
そして今回のANGLE記述です。
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この記事へのコメントは終了しました。
コメント
おおおお、ご紹介ありがとうございます。
圧迫感のある崖の上、集合住宅の下に積まれている荷物、
気になってしょうがないのです。あれ、どうやってとり出すのだろうとw
投稿: 味噌max | 2011年10月22日 (土) 15時08分
紹介いただきまして有難うございます。
桜ヶ池支流、行っていらしたんですね。
あの団地、まだ残っているので安心しました。
以前、行ったときは工事車輌が出入りしていて
風前の灯火かと思ったのですが・・・
投稿: リバーサイド | 2011年10月22日 (土) 21時56分
ジャングル(固有名詞化)のベニヤ板蓋?応急処置でしょうかね?
荒れ果て感が、余計キュリオシティをそそられてしまいます。
投稿: 谷戸ラブ | 2011年10月24日 (月) 09時55分
>味噌maxさん
あの荷物ねえ…。なにか熟成させてるんじゃないでしょうかw?あるいは不思議なキノコが採れる菌床とか…w
>リバーサイドさん
夜の上高田支流肝試しハイキングのとき、合流点でリバーサイドさんが
「ああここで桜ヶ池支流と…」と仰っていたのが気になっていました。
まだ私行ったことなかったので、あのぼそっとおっしゃった一言が今回の直接の動機でありますw ありがとうございました!
>谷戸ラブさん
そうなんです、このテキトーさはちょっと川崎市の暗渠に通じるものがありました。
あ、あと小沢川の蛇窪も…。そういえば結構中野区の暗渠ってテキトーというか、ワイルドなところを残しつつ暗渠化するのに長けているのかも。
投稿: lotus62 | 2011年10月24日 (月) 14時22分