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暗渠ハンター 「机上の暗渠より現場の暗渠」九品仏駅南側の暗渠

不意を突かれました。
東急大井町線・九品仏駅近くに、
D&DEPARTMENT PROJECT TOKYO」というお店があって
まあここに家具やらなんやら見に行ったわけです。
結構予定も詰まっていたし、ちょっと諸事情で疲れも溜まっていたので、
もうここピンポイントで行こうと。
近くに九品仏川や谷沢川や尾山台駅の鉄道沿いの暗渠とか逆川とか、
いろいろ盛りだくさんのエリアだけど
それでももうピンポイントにしようと。
ですから店周辺の地形状況や暗渠状況など、
全く調べずに丸腰で向かったわけです。

ところが、駅からお店まで行く途中は
緩やかながらも素晴らしいV字谷があり、
暗渠や川跡の存在を黙示しています。
同行者曰く「ここぜったい近くに暗渠ある」。
下調べもしてないし、かつて九品仏川本流ののことを書いたこともあり
浅知恵を持ってる気でいた私は
「いや、聞いたことないし、ないと思う」。
知識より現場を重視した方がいいよと同行者のありがたい言葉に
(もしかしたらあるかもなあ)
なんて弱気になりながら、
駅前通りからちょっと左に入ってみると、
果たして、というか果たさなくて、
ありましたorz
Imgp2294

いかんいかん。
「ここに暗渠なんかない」と判断(というより思考停止)した私は
一体何を大事にしていたのだろうか、
そんな浅はかな傾向はきっと日常生活や仕事にも表れているはず…。
まだまだ未熟だなあ来年の年頭の誓いはこれがらみのことにしようかなあ
などと学びの機会をこの九品仏駅前で頂戴することとなったわけであります。

九品仏駅から環八につながる駅前通り。
その左側にあるこの暗渠は、
駅前通りの谷につながる崖下にあって、
どうやら北上して自由が丘手前あたりで九品仏川に合流するようです。
(帰宅してよく調べてみると、示山橋さんのページでこちらを取り上げてらっしゃいました)
地形から見ても、なるほど納得。水色矢印がこの崖下の暗渠です。
(google earthさん東京地形図さん、いつもありがとうございます)

Photo

実は目的のお店の帰り道にも、
この東側にある別な流れを見つけまして、
今回はそれをメインにレポートいたします。

まあこっちがわにもありそうだよねえ的なノリで、
帰り道はさっきの崖とは駅前通りをはさんで反対側をぶらっと歩いてみます。

九品仏小学校の横に出て「なんか怪しげな歩道があるなあ」なんて思いながら
歩きます。
(これは来た道を振り返ったところ。奥の左手が九品仏小)
Imgp2300

ちょっと北に向かって、この歩道が途切れたところの道の反対側に、
いきなり出現。
Imgp2297

ああ、こんなところに暗渠があったとは…。
それを私が「きいたことない」からと
疑いもしなかったとは…。
世田谷はほんとに意外なところで暗渠と出会えるところです。
その意味では世田谷を歩くときは決して油断してはいけない。
そう改めて心に刻みましょう。

金網を覗き込んでみると、
それはそれは立派な蓋暗渠が存在しているではありませんか!
Imgp2298

さっそく反対側に回ってみます。
Imgp2302

直線でここに通ってきて、
かくんと直角に左に曲がるようです。
この曲がり角を遠景で眺めるとこう。
Imgp2303

その先は、二ヶ領用水でもよく見られる
「縁石付」蓋暗渠が現れます。
Imgp2304

そしてさらに先でとうとう大技が繰り出されます。
Imgp2306

見事な横断っぷりです。
これには思わず声を上げてしまいました。

横断した先はどこかのお庭の隙間に紛れてしまいます。
Imgp2307

住宅街のブロックを袈裟に斬って進んだ出口がここ。
Imgp2308

ちょっと覗き込んでみると…。
放置されてるんだか活用されてるんだか
判断つきませんw
Imgp2309

このあと車道を渡って反対側の歩道に姿を変えます。
Imgp2310

この歩道を追っていくと、
またさっきのような姿に。
Imgp2314

ちなみに金網に掛けられている赤い札には
「公用地に付、無断使用禁止 世田谷区」
とありました。
水路って言ってくれてもいのに。その方が萌えるのにw
金網の向こうはこれまた風情のある空間が広がっています。
Imgp2315

回り込んで先を急ぎます。
下の写真の、正面のブロック塀の手前を左右に続いていました。
さっきの続きが左からきて、右へと進んでいきます。
ブロック塀に近づき、右の方を眺めてみます。
Imgp2317

実は左の方も写真を撮ったのですが、
この角にあるお宅のおっちゃんが
白ブリーフ一枚でうろうろしている姿が
ばっちり写り込んでしまっていたのでカットw
おっちゃん、すみませんでした。
おっちゃんの裸を見てしまったので、
こちらが怪しまれないようにとそれだけのために先回りして
おっちゃんにお話をちょっとだけ伺いました。
はい、たしかにここには以前水が流れていたそうですw

コの字ウォークで先を見に行きます。
あったあった。
Imgp2319

奥の金網から出てきてこの歩道を伝っているようです。
念のため金網の向こうを覗き込みます。
Imgp2321

もうおっちゃんはいないようですw

あとはまっすぐ大井町線まで、
続くのか???
Imgp2322

実はここがはっきりしません。
大井町線軌道のすぐ横には、
目黒通り陸橋から続く(そして逆川につながる)
暗渠
が通っています。

そこにまっすぐ落ちている可能性もある。
もう一方で、尾山台中学校はすぐ西にあります。
尾山台中といえば、蓋暗渠に(半分)囲まれた中学校として
暗渠界では名高い(と思うw)場所ではないですか。
こっちにつながってる可能性も、
きっとあります。両者は殆ど高低差がありませんし…。
ちなみに尾山台中を囲む蓋暗渠はこれ。
Imgp2325

Imgp2326

1年前の写真から発掘したやつもどうぞ。
Imgp0204

Imgp0205

うーん、結論は出ません。
しかしいずれにしてもこの暗渠は、
九品仏川でなくて逆川を経て谷沢川となり多摩川に合流する流れのようです。

そんなふうに半悩で
(注:半分悩んでるふりしてるけどほんとうはあんまり悩んでいないこと)
尾山台駅に近づくと、
自分的に新たな発見。
先ほどリンクさせた過去の拙ブログで、
この付近の大井町線北側の蓋暗渠を書きましたが、
実は線路を挟んで南側にも同じような蓋暗渠があったこと。
Imgp2330

へぇー!という感じでした。

さて、尾山台駅前はどうも地域のお祭らしいです。
地元商店街の方による屋台と、
特設ステージでの住民の方のパフォーマンスで賑やか!
せっかくですから、路上でビールとホタテ串を頂いて、
帰路に就くことにしました。
Imgp2333_2

今回の周辺地図です。

より大きな地図で 九品仏川を遡る を表示

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2051 ・・・多摩川水系」カテゴリの記事

コメント

尾山台中学校の暗渠、先日歩いてきました。
(今週末か来週ぐらいに記事にしようとしていたところです)

かつてはこの中学校の水路が、
大井町線北側の一直線の遊歩道を経て九品仏川につながっていたのでは
ないかと推察しています。(別に証拠があるわけではないですが)
そして大井町線沿いの逆川につながる水路は、
後年、排水路として作られたのではないかと・・・

話は変わりますが、GoogleMap、調子が悪いですね。
IEではうまく表示できませんが、FirefoxやGoogleChromeでは問題ないようです。
まさかGoogleの陰謀?


投稿: リバーサイド | 2011年10月 3日 (月) 23時24分

縁石付きコンクリ蓋暗渠+道路横断はまさに大技!
この組み合わせはほかでは見たことがありません。
貴重品ですね。

投稿: 猫またぎ | 2011年10月 5日 (水) 09時24分

>リバーサイドさん
あ、中学校行かれましたか!
ご推察含め、記事を楽しみにしております。
IEだけなんですね…。陰謀w
無料で便利だとつい頼りっきりになってしまいますが、「もしこのサービスがダメになったら」という
リスクヘッジも自分でちゃんと考えとかなきゃ、という教訓になりましたw

>猫またぎさん
そういっていただけると嬉しいです。
大技と思っても見る人にとっては「???」ってこともかなりありますしねw

投稿: lotus62 | 2011年10月 5日 (水) 13時19分

ふわふわ。この地域は、地形と下水道の流し方と川の流れがあまり一致しないみたいです。

地形の高低でいえば、大体、現・目黒通りと等々力通りの交差点を境にして、西側は谷沢川、東側は九品仏川の流域になっています。ところが、下水道の流し方は、大体、大井町線尾山台駅ホーム東端を境にして、西側は谷沢川、東側は九品仏川つまり呑川へ流しているようです。ですから、尾山台地区は、地形的には九品仏川流域なのに下水道の排水は谷沢川系という、不思議な感じになっています。

で、川の流れ方はさらにややこしく。
満願寺がある谷、いわゆる満願寺支流がもともと九品仏川の源流だったのは地形的にみてまちがいないと思います。ところが、時層地図の明治初めをみると、谷は「水田」なのですが、谷の出口、すなわち目黒通りと等々力通りの交差点の北側一帯は「畑」になっていて、現目黒通りの原型にあたる等々力へ降りていく道は、その「畑」の部分を通っています。どうも、明治初めにはすでに満願寺谷支流は九品仏川から切り離されて、孤立していたようですね。

投稿: sumizome_sakura | 2011年10月 7日 (金) 01時34分

>sumizome_sakuraさま
はーそうだったんですか!下水道の流れが別なんですね。
それは面白いです。下水道の流下方向に着目されたとはすばらしいです!!
太古にあった「川の争奪戦」wも考え合わせると、このエリアはほんとに複雑に絡み合ったパズルみたいですよね。

そうそう、満願寺支流の「目黒通りにぶつかった後の行方」については、大先輩・庵魚堂さんのサイトにみなさまの投稿と共に語られており、そこで腑に落ちる説を読ませて頂いたことがあります。こちらもなるほどねぇ!な記事なのでぜひご紹介させてください。
<「ようやくわかった満願寺支流」庵魚堂日乗>より http://tanken.life.coocan.jp/weblog2/?p=2842

投稿: lotus62 | 2011年10月 7日 (金) 09時51分

はい、庵魚堂さんのページにある暗渠は地番でいうと、等々力4-5と4-4の間にあるのですが、下水道局の台帳をみるかぎり、下水道は南から北へ、つまり大井町線路沿いから等々力通りへ流れ、さらに等々力通りを東から西へ、すなわち目黒通りの高架下を九品仏から等々力の方へ流れているのです。といっても、台帳を見始めたのは最近なので、単純な見間違いをしている可能性は十分ありますが‥‥(^^;;;)。

ですので、最初は、1)明治以前の九品仏川は満願寺の谷から等々力4-5と4-4の間を南下し等々力2-26付近で東向きに転じていたが、2)明治~現在までのどこかの時点(たとえば目黒通りの高架ができた時点など)で分断され、3)下水道の整備によってより近い谷沢川に流すようにした、と考えていました。ですが、もし1)2)が正しいとすると、明治初めの地図で谷の出口の一帯、現在の目黒通り高架と等々力通りの交差地点付近が「畑」なのは不自然なのです。「川」が記載されていないだけならば記載漏れですむのですが、「畑」と「水田」を間違えるとは考えにくいですし、それ以降の地図をみても、ずっと満願寺の谷と等々力2-26から東側一帯は「水田」ですが、その間は「水田」ではありません。

もちろん、ある程度以上時間を遡れば、九品仏川が満願寺の谷から等々力4-5と4-4の間を南下し等々力2-26付近で東向きに転じていた、のはたしかだと思います。ですが、それがいつの時点までそうだったかについては、慎重に考えた方がよさそうだ、と今のところ考えています。
例えば、玉川神社・満願寺以南の目黒通り高架部は戦後にできた全くの新道で、江戸時代からの古道は今も満願寺の前を通って等々力駅北へ伸びています。この道の走り方も江戸時代にはすでに満願寺谷が孤立していたと考えれば自然ですし、また目黒通り高架部も元水田をさけて地盤のよいところに造ったことになり、合理的です。

ただ、そう考えると今度はいつ分断がおきたのかが謎になり。。。。本当にとほほな状態です。

投稿: sumizome_sakura | 2011年10月 9日 (日) 02時47分

sumizome_sakuraさん
下水道台帳しっかり確認しました。確かにおっしゃる通りの流れで、かなり違和感を抱く水流ですね。
これに関しては、仮説ですが以下のような考えでいます。
・大井町線を軸にしたこの一帯には大きな高低差がないので、本来の自然流下方向にはこだわらず、下水管埋設の時に任意に傾斜をつけて「人工流下」にし、近いほうの川に排水路を求めた。その結果、下水道がこんな流れ方になった。

それと、確かに東京時層地図を見るとご指摘のエリアは畑、ですね。満願寺からの流れが九品仏川側に行こうが逆川側に行こうが、このエリアは水路があったはずですよね。一体なんの畑だったのか…。こんなに水利の良い(であろう)所にまで作った畑とは?

いずれにしても、もう一度、太古の河川争奪あたりの資料から見返してみます。ここは謎めいていて楽しすぎますw
そうそう、そんなことを考えていたら、今朝リバーサイドさんのブログにこんな記事が挙げられていて
http://pub.ne.jp/sktk4a/?entry_id=3937834
ここでのリンク先にこんなものが!
http://www.oyamadai.com/html/konjyaku21.html
これはなかなか重要な手掛かりかもしれませんねw
(リバーサイドさん、どうもありがとうございます。)

投稿: lotus62 | 2011年10月11日 (火) 13時05分

>ここは謎めいていて楽しすぎますw

はい(^o^)。ついついはまってしまい、延々コメントをつけてすみません。
リバーサイドさんのも拝見させていただきました。水路のつけ方と耕地整理事業が関係しているだろう、というのは庵魚堂さんもご指摘だったと思いますが、私もそう思います。

暗渠の排水方向自体は、実はそれほど不思議なことではなく、等々力通りの尾山台駅北側付近から西側を見ると、すぐに謎が解けます。lotusさんの地形地図でもわかるように、尾山台駅北側は九品仏川の川筋ではなく、河岸段丘にあたります。そのため、ここから西側の等々力通りは、若干の凸凹はありますが、だんだん下り坂になっています。大井町線線路沿いでは、等々力通りほど明瞭な高低差が見て取れませんが、おそらく、同じような傾斜ではないでしょうか。
ですので、等々力通りやそれに平行する大井町線線路沿いに水路をつけると、尾山台駅以西は西側、すなわち等々力渓谷の方へ自然流下します。大井町線と玉川一円耕地整理事業による道路の方向と九品仏川の本来の流れの方向とがずれていることによるものです。

あと、九品仏川の本来の川筋ですが、付近の高低を確認すると、等々力2-26は線路南側にある元河岸段丘の端でした。満願寺谷からの流れは、もともと等々力4-4と4-5の例の暗渠あたりで九品仏川に合流し、南から南東へ向きを変えていた、と考えた方がよさそうです。ですので、例の暗渠や線路南側・北側の暗渠は九品仏川のもともとの川筋の一番底にあたる場所で、九品仏川の痕跡だろう、という庵魚堂さんの推測通りになります。
現在では、逆方向に水が流れているわけですが、それは上で述べたように大井町線や道路の方向のずれによるものだと思われます。

>満願寺からの流れが九品仏川側に行こうが逆川側に行こうが、このエリアは水路があったはずですよね。

はい。満願寺谷は水田で、水田は、赤米(チャンパ米)のような湿田用の稲でないかぎり、水を落とさなければなりません。ですから、灌漑用の水路だけでなく、排水用の水路が必ずあったはずです。
決定的な手がかりはないのでたんなる推測になるのですが、これについては、リバーサイドさんのコメントにあった考え方でよいのではないか、と今のところ考えています。
満願寺の敷地の西側には南北に走る道があり、その下は暗渠で南へ流れています。路上でも音が聞こえるくらいの水量があります。これが自然か人工かはわかりませんが、満願寺谷の水田の水はこの水路へ排水されて、逆川に流れ込み、谷沢川へ入っていたのではないでしょうか。
その場合、満願寺谷は旧九品仏川につづいていた谷なので、谷の水田から逆川までの、少なくともどこか一部は人工的に掘られた排水路になります。もし、そういう排水路があったとすれば、谷の出口が畑になっていることも不自然ではなくなります。

逆川自体は、現在の地形でも、また明治初めの地図を見ても、満願寺谷や大井町線付近の九品仏川川跡地帯に比べて、川底が一段深い感じなので、谷沢川の河川争奪がおきた後にできた自然河川だと思います(ですので、九品仏川の川跡ではないようです)。で、川底が深い分、人工的な排水路の落とし先にはちょうどよかったのではないでしょうか。

満願寺谷の分断に関しては何も手がかりがないのですが、満願寺は戦国時代の天文年間に、兎々呂城(現在の園芸高校)から移転してきたと伝えられています。ですので、このときに谷の出口をふさいで排水路をほり、水田として開発したのかもしれません。江戸時代より前は、こういう小さな谷の水田開発がさかんだったので。

まあ、どのみち、全ては「今のところの」推測にすぎませんが(^^;;;。
この一帯は、昔々の谷沢川の河川争奪にはじまって、昭和初めの大井町線敷設と耕地整理事業にいたるまでの、いくたびかの変遷が積み重なって、川が途中で消えたり、暗渠が逆方向に流れているといった謎めいた場所になっているみたいです。
その意味で、peelingには格好のフィールドかもしれません(笑)

投稿: sumizome_sakura | 2011年10月14日 (金) 20時02分

>sumizome_sakura さん
んー、面白い面白い!!! 記事の内容より百倍面白いです!!!
すごく深いコメント、ほんとにありがとうございます!(ほんと、菓子折り持ってお礼に上がりたい気持ちですw)
特にここ↓、興奮します!
>その場合、満願寺谷は旧九品仏川につづいていた谷なので、
>谷の水田から逆川までの、少なくともどこか一部は人工的に掘られた排水路になります。
>もし、そういう排水路があったとすれば、谷の出口が畑になっていることも不自然ではなくなります。
そうかそうか、なるほど!
河岸段丘のお話なども、半端なくお詳しいですね、ちょっと考えが至りませんでした!
興奮して一気に読ませていただきました。これからもう数回読み返して、いただいたお考えをじっくり噛み砕いてみますねー。

投稿: lotus62 | 2011年10月14日 (金) 20時36分

ここ、先日見てきたんですが、そのあとgoo地図で調べていると、昭和38年の航空写真では、大井町線を渡っているように見えるんですよね。
道路の東側を開渠で!
いや、何かの影かも知れませんけど・・・。

投稿: 猫またぎ | 2012年1月24日 (火) 22時11分

猫またぎさん、どうもありがとうございます。
…っと私もその地図見てみたんですが、どうもうまく場所が特定できずにいます…。
線路の両側で、このへん一帯の水路がつながっていたのかもしれませんね。

それにしてもこの辺はひもとき甲斐の大きなところですね。
この近辺の土地の歴史については、以前コメントを頂いたsumizome_sakuraさんから、
その後さらに発展させて考えられた仮説を直接(&ツイッターで)伺いました。これがものすごく説得力あるものなんです。 <sumizome_sakuraさん、ぜひどこかで発表してください!!w

sumizome_sakuraはここ(http://www.city.setagaya.tokyo.jp/030/d00036970.html)で展示されていた江戸時代の古地図と、近辺地形などをキーにして説明されているんですが、ぜひ猫またぎさんにもご紹介したいですーw

投稿: lotus62 | 2012年1月26日 (木) 10時48分

こんにちは。
「目黒の近代史を古老にきく(目黒区守屋教育会館 編、昭和57年/1982年)」という本のp90~93に、九品仏川の源流についての記述があります(目黒区の図書館で借りた本です)。
本のタイトルどおり、古老に昔話を聞くという内容なので100%真実かは不明ですが、(たぶん)明治・大正の頃に実際に当時の九品仏川を見た方の証言ですから参考になるのではないかと思います。
著作権的にOKか不明ですので、要点だけ引用します。

九品仏川の源流は東横学園の裏の湿地帯(旧地名は玉川・等々力村・北山谷)。
尾山台駅の北側を東に流れて、浄真寺の西を北上、寺の裏側を流れていた。
尾山台の南と北には、逆方向の2つの川が流れており、
南側は東から西に流れる(今の)逆川で谷沢川に流れ込む、
北側は西から東に流れる、九品仏川につながる流れで、これも昔は逆川と呼んだ。

岡田衛さんという方の話で、この方は目黒・碑衾あたりの地主/議員/耕地整理組合長などをなさった方のようですので、内容の信憑性はあると思います。

上のsumizomeさんのコメントにある、満願寺支流=>九品仏川の流れの方向は一致しますが、時期は合わないようです。
参考になれば幸いです。

投稿: yenki | 2013年1月 5日 (土) 13時22分

yenkiさん、コメントありがとうございました!
いいお話です、感謝です!尾山台の南北で流れの方向が違っていたとは…。
「逆川」という名前も、いろんな意味があったのですね…。これは驚きました。
この一帯は確かに時代とともに変化に富んでいたようで、ある時期のことがわかったと思っても時系列で整理しないと全容をつかめませんね…。たいへ勉強になりました。
「目黒の近代史を古老にきく(目黒区守屋教育会館 編、昭和57年/1982年)」、これもちょっとあたってみることにします。
どうぞ今後ともよろしくお願いいたします!

投稿: lotus62 | 2013年1月 6日 (日) 11時21分

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