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2011年10月

暗渠ハンター 小石川の「おあな」と南大塚の「藤橋」

朝から文京区春日で用事があって、それが思いのほか早く片付いたので、
ちょっと30分程度散歩して行こうかなあと小石川3丁目あたりをぶらっとしてきました。
この辺は東大下水や小石川やなんかもあってなかなかの贅沢エリアですが、
実はこんにゃくえんま前から西の一帯はメジャーな川もないし
殆ど行ったことがなかったし。
まあどんなことになっとるのかなあ、と。

歩きはじめてすぐに出会ったのがこの「2連井戸」。
しかも2つとも現役っぽいです。
Imgp3126

向きを変えてどうぞ。

Imgp3129 

暗渠や路地裏を歩くと結構井戸があるもんですが、
でもこんな「2連」は初めて出会いました。
この界隈は正しい路地が発達して(遺されていて?)いて
ちょっといい雰囲気です。
Imgp3130

路地を抜けゆるい坂を北の方、
だいたい播磨坂の方面に向かって歩きます。
しかしこのあたりはほとんど暗渠や排水路などは
見ることができませんでした。
気がつけば結構な高台に来ている模様。
道端の小さな公園から、
東に通る小石川の谷を望みます。
Imgp3133

ジグザグに(というか適当に)歩いて
いつの間にか播磨坂方向というよりも西の春日通り方向へ。

春日通りの尾根のあたりまでもうすぐかな、という地点に
ものすごい巨木。
Imgp3136

あとでご紹介する沢蔵司稲荷のキツネが宿る、椋の木だそうです。
うん、とても堂々として、風格のある木でした。

これがあるのが善光寺坂。
坂の麓、下のほうに善光寺というお寺さんがあるからでしょう。

この椋から下っていこうと歩き出すと…。
左手にあるのが沢蔵司稲荷(たくぞうすいなり)です。
Imgp3148

詳しくは公式HPでご覧いただきたいのですが、
なんでも「沢蔵司」さんというたいへん優秀なお坊さん
(浄土宗の奥義を3年でマスターしたくらい)にちなんだ由緒あるお稲荷さんだとのこと。
でもこの沢蔵司さんは本当は優秀な狐の化身だった、とのことです。

まあ寺社仏閣をテーマにするブログではないのでw
このへんは軽くさわるだけにします。
そういう姿勢ですから、まあそんなにこのお稲荷さんに期待はしていなかったのです。
もちろん境内に入るときは軽く会釈をし、失礼の無いよう例は尽くしますが。
高台だし、池や湧水なんかがあるといいなー的な。

そんな態度の不埒な私の目に飛び込んできたのは、これ。
大きなまんなかのお社の右に、石碑の案内板があったのです。
Imgp3137

え?「おあな」?さらに「霊窟」…。

さあここで期待と若干の不安が入り混じります。
「おあな」とはきっと「お穴」であろう。
ってことは洞窟?水湧いてないかな?
洞窟でなくても窪地っていう可能性もあるよな。水湧いてないかな?
そんな期待。
でも人っ気ないし、「右が参道」って書かれてても、
その先はかなり狭くて鬱蒼としています。
秋だというのに・都会の真ん中だというのに暗くて深い森の中に入っていくようです。
それに「霊窟」という文字の映像がどうも頭の中で
エコーを伴って怪しく鳴り響くかのようですw

夜中だったらもっと躊躇したでしょうが、まあ昼間だし。
行ってみることにしました。

石畳の狭い参道を降りていきます。
Imgp3138

ここだけものすごい窪地。
小さいながらも一級スリバチ地形(四方を覆われた文字通りの完璧擂鉢地形)です。

しかも蚊がたくさんいますw10月も終わりというのに…。
「おあな」は全体にたくさんの鳥居が掛けられ、
周辺には石仏やらなんやらありとあらゆるものがお祀りされている、
そういう雰囲気でした。
ある種「ワンダージャパン」を地で行くようなスポットです。

ここがメインのお社なのかな。
Imgp3139

おおおー!!!お社の脇には、すでに枯れてしまったと思われる池跡、です。
Imgp3140

振り返ると、逆サイにもう一つ池跡。
Imgp3141

なんと!
スリバチ底には二つも池跡が確認できました。
季節によってはここが水で満たされることもあるのでしょうか?

ちょっとここの独特な雰囲気に怯みながらも、
池があった場合の水の逃げ道を見渡してみますが…。
どうも見当たりません。
これだけの窪地ですから、
大雨が降った時もきっと水は溜まってしまうだろうし、
どこかに捌け口があるんでしょうが…。

この参道はこのメインのお社からさらに続いていて、
スリバチの向こう側にこのまま上ることができます。
途中まで上って振り返ります。
Imgp3142

反対側のスリバチの淵まで上がりました。
ちょっとできるだけスリバチ全景を写したいな…。
Imgp3143

この淵を通って石碑のあった入り口に戻ることができます。
その途中にあったのがこれ。
Imgp3144

スリバチの淵を水路が巡らされています。
なるほど、底にたまる前に淵の部分から水を回してスリバチ外に
排水する仕組みを取っているようですね…。

あ、ちなみにここ、オンラインでも参拝ができるようです
ご興味あるかたはぜひ。

さて石碑に戻ってもういちど入り口を眺めていると…。
うん…?
Imgp3145

石碑の後ろに、なぜか橋の親柱が!!
なぜこんなところに?
よく観ると「ふじばし」とひらがなで書いてあります?
こんなところで橋の遺構と出会うとは!

帰ってからざっくり調べてみると、
どうやら小石川(谷端川)の南大塚あたりに架かっていた「藤橋」の遺構のようです。

こちらの住職さんのブログにも、「ふじばし」関連のエントリーがありました。
(いちばん下のほう)

ここでは「経緯はわからぬが」としていますが、
大塚からこの辺りを担当した火消の「六番組」に関係がありそうと書かれています。

また、別のブログ「東京23区辞典」さんでは
大塚の「権太夫稲荷」の項目で、
(引用自由、とあったので感謝を込めつつ引用させていただきます)

南大塚1丁目60番、
大塚三業地の方へ行く道の山手線土手際に建っており、
地元商店街の人々に信仰されているお稲荷さんだ。
権太夫さんが誰かは判らないが、
権太夫稲荷は京都伏見稲荷にあり、商売繁盛の神様だという。
三業地の人々が勧請したのだろう。
ここは昔谷端川が流れていて大塚駅一帯は
低湿地で幾つもの湧水があった。
幕末の地図を見ると駅の北口側に藤橋という橋があり、
その際に小さな稲荷社がある。
これを線路敷設のために盛土した時に
現在地に動かしたのだろう。
江戸時代は殺風景なところだった。
最近の住宅地図に記載はないし、検索でも引っ掛からないので、移したのかもしれない。


と記述されています。
まさに、住職さんが書かれていることと一致…。
もしかしたらこの権太夫稲荷をこちらに合祀して、
その「形見」のようなものの一つとして藤橋の親柱も持ってきたのかも知れませんね…。

いまでも、小石川の流れで二つの空間が繋がれている。そんな気持ちになります。

沢蔵司稲荷を出て、坂を下って帰路につきます。
坂の途中にはこんなシンプルな聖地も。二次元か。
Imgp3150

妖しくもかわいらしい。

「おあな」が何者だかとても気になったし、
まだちょっとだけ時間があったので、
菊坂に向かって真砂町の図書館に向かってみました。
炭団坂を上る途中でみつけた崖を上下に這う土管。

Imgp3165
いつかろっちさんが、馬込の楓谷でレポートされていたもの
(「飛び出しすぎるマンホール」)と似てますね。

さあ、この坂登れば図書館!と勇んで入り口に立ちましたが、
月曜日は休館日でした…。
多いんですよね、月曜休館日の図書館って。

より大きな地図で 不忍池付近 を表示

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暗渠ハンター 蛇崩川・ある支流のうつろいといくつかの弁財天

いくつか、蛇崩川の中流・下馬近辺の「湧水地点」を調べて
わかったことがあるので今日はそのお話をしようと思います。

先日「とりちゅう」(都立中央図書館)で
見つけた資料「下馬史」(高橋信次郎著 S62年)の記述を元に、
周辺を確認したり、考え直してみたり、というだけなんですが…
自分の頭の整理のためにもちょっと書いとこうかと。

この資料の38ページからの数ページに、
下馬にあった4つの「弁財天」についての記述があります。
それを一つずつ見ていきましょう。

弁財天といえば、水(※)。
(※弁財天は元々ヒンズー教のサラスヴァティー(水や豊穣の神)に由来しています)
湧水地や池などによく弁天様が祀られていることはみなさまご存知の通り。
ということは、
これら下馬の弁天様の近くにも水源や水に関わる何かがあったに違いない!
という前提で以下話を進めてまいります。

より大きな地図で 蛇崩川を遡る を表示

1「鶴ヶ窪弁財天」
これは、以前このブログでも「鶴ヶ久保支流」として取り上げたことのある
公園内の池のところですね。今も弁財天があります。
もともとは駒繋神社(蛇崩川の、もうすこし下流にある大きな神社)の末社で、
広い境内があったそうです。
池はいまよりずっと広くて、気に囲まれ鬱蒼としていた、とのこと。
いまの鶴ヶ久保公園なんてすっぽり入っちゃうくらいの大きさだった、
のかもしれませんね…。

さて次からが、この資料ではじめて私が知った弁財天です。

2「大石橋弁財天」
これは、西澄寺内にあるそうです。
西澄寺といえば、前述の鶴ヶ久保支流の記事のとき
オマケみたいにして
「この支流の蛇崩川との合流点に、対岸からも水路があったかも…」
的な無責任発言をしているのですが、
その最上流としてご紹介したのがこの西澄寺でした。

おおー、なんか水源まぐれ当たり!?やっぱ対岸にも水路あったわけー!?
なんて一瞬興奮しましたが、どうもよういうワケではないようですw
もともとここにあったんではなくって、
下馬1-23にあったのをここに祀りなおしたようです。
なんだなんだ、全然違う場所でした(涙)。

駒繋神社のちょっと下流のはす向かい、
東急バス下馬営業所(バスターミナル)の西側のブロックだそうです。
もう蛇崩川本流のすぐそば。
まあ弁天様がいらしても全く不思議でなないロケーションですよね。
ここは昔、蛇崩川の水を「平川」(場所確認できず)や
「砂利場田んぼ」(場所確認できず)にひくための堰があったとしています。

3「清水丸弁財天」
さてこちらは、下馬6-36の個人宅内だそうです。
お。ここは。
やはり以前「下馬西支流のさらに支流」で記事にしたところ
どうもその途中、8枚目の写真の路地暗渠の横にあった模様。
そしてこの下流部を「笹丸田んぼ」といっていたようです。
笹丸という地名は
大田区の洗足池の南西・中原街道を挟んだあたりにもありますが、
これとは別ですね。

4「姥ヶ谷弁財天」
そして今回最も私が注目したのはこの弁天様です。
現在位置は下馬1-47-17のやはり個人宅内にあり、ここは
以前記事にした「世田谷公園支流」の途中に位置します。
この記事の最後の写真近辺が「下馬1-47-17」。
(画像再掲)

Imgp2249_2

明治・大正時代の地図によると、
この世田谷公園支流一帯は「姥ヶ谷」と呼ばれていました。

この記事を書いた時は、
「さしたる水源情報も持っていないし、
谷頭がかつての軍事施設につながってるので、
これはこの施設の排水を流していたのではないか」

と仮説ながら結論付けていました。

さてこの「下馬史」にある「姥ヶ谷弁財天」の項目では
以下のように書かれています。

…姥ヶ谷田んぼの水源として小さな池があった。そしてその池のほとりに
大きな犬黄楊(いぬつげ)の木と共に小さな祠があった。
池にはドジョウが多く住み、このドジョウを獲った者は必ず熱が出たとのこと。
練兵場(lotus注:駒澤練兵場のこと)ができてから湧水が少なくなり、
黄楊もたちまち枯れて弁天様もいつの間にか消えた。
昭和の初めにその話を聞いた土地の所有者が
自身の屋敷内に建立したのが現在の弁天様。…

ということです。
現在の祠の位置が湧水地点ではないようですが、
「姥ヶ谷」の谷にあったことはその名から言って間違いなさそうです。
ちなみに現在の祠は、「姥ヶ谷」谷頭からやや谷を下ったあたりにあります。

では、この「世田谷公園支流」についてもう一度整理してみましょう。
・「姥ヶ谷」の谷を流れるのがこの支流。
・もともとこの「姥ヶ谷」は、谷の中にある湧水による池が作ったものののようです。
・しかし明治期、谷頭のすぐ上での練兵場造成のための整地に伴って湧水が枯れ
池も消滅。
・この湧水ポイントは今は特定できないが、文脈上少なくとも練兵場の中ではない。
「姥ヶ谷」と名に冠されているため、練兵場のさらに北でもない。
「姥ヶ谷の田んぼを潤す」というからには限りなくこの谷の上流にあるはずであり、
まさに練兵場のすぐ南にある現在の谷頭あたりなのではないか?

さらに、練兵場ができてこの湧水が枯れた後・昭和30年代の地図上にも
はっきりと水路が描かれているので、
この川は湧水がなくなったあとも暗渠化されるまで、
「練兵場(および周辺住宅)の排水路」として「変態」し生き残っていたわけです。
もともとは湧水が作った「生きた川」。
それが土地の開発と共に「造られた川・生かされた川」に変わる…。

私は土地開発何でもかんでも反対!という立場は取りません。
基本的には、
「人による土地開発も、とても大きな意味では『自然の流れ』である」
と私は考えています。
とはいえ、やはりこの小さな川の歴史を垣間見ると
なにか心にちいさな引っ掛りを感じるのは確かなのです。

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暗渠ハンター まだまだ知りたい妙正寺川・桜ヶ池支流と付近の水源

前回のおわりに「次回は鷺ノ宮付近の支流を」なんて書いていましたが、
思いっきり予定変更しますw

大和3丁目支流よりずっと下流の、桜ヶ池支流のお話。
ここは、「中野区担当」の味噌maxさんや、
リバーサイドさんもかつて取り上げてらしたところ。
私もここに、行ってまいりました!

スタートは「桜が池通り」にある東光寺別院・桜ヶ池不動尊です。
ちなみに、その桜が池通りはこんなにも谷が実感できる素敵ストリート。
Imgp2986

概ね北方向を望んでいますが、この坂道の下に
桜ヶ池不動尊があります。
Imgp2987

この境内にあるのが、桜ヶ池。
Imgp2992

桜ヶ池そばにはちょっとした説明板が置かれており、それによると
・昔々桜ヶ池には豊かに清水が湧き出ており、大椿の木の元にお不動様の祠があったよ。
・だから村の人はこの湧水を「不動様の清水」と読んだり、不動様を「桜ヶ池の不動様」と呼んだりして崇められていたよ。
・昭和7年にこの一帯の耕地整理組合ができた。ここいらへんの田んぼは、妙正寺川四村橋下流の堰からの導水、東光寺の湧水、柳の井戸、桜ヶ池の湧水とをあわせて潤していたんだけど、一帯の耕地の整理が始まったよ。
・とうとう昭和29年に耕地整理が完成したよ。そのときこの不動様の永代護持を、東光寺にお任せしたよ。

とのことでした(S62年4月)。
特に収穫だったのはこの桜ヶ池の他に、
堰・東光寺・柳の井戸といった湧水・導水ポイントがあったということですねー。
(これらについてはあとでまた触れます)

さて桜ヶ池です。
祠の後ろ、向かって左の方は「ミニ谷頭」的にちょっとした段差があります。
その段差の手前には、龍の吐水口。
Imgp2989

ここから出た水が先ほどの桜ヶ池につながっています。
湧水、というよりやっぱし組み上げなんだろうな…。

ここから妙正寺方面に伸びる緩い下りを辿っていきましょう。
と、その前に。
池から2ブロック離れたところに杉並第5中学校があるのですが、
そこの西の端っこがたぶん暗渠。
Imgp2997

道自体の高低差もあまりないし、とてつもなくまっすぐだし、
これはおそらく用水路の跡なんでしょうね。
右側が学校側。左側は一段高くなっていて、
左ワンブロック向こうに先ほどの桜ヶ池があります。
地形から言って、
桜ヶ池を出た水はこの左のブロックの真ん中へんを貫通して
この用水路に注いでいたのではなかろうか、
と思っています。

この用水路から、暗渠暗渠した「桜ヶ池支流」の間には、
広大な団地の敷地が。都営上高田四丁目団地です。
きっと昔はここに田んぼが広がっていたのでしょう。
はっきり残っている桜ヶ池支流暗渠までの間、
桜ヶ池からの水は網の目のように
この敷地を這っていたのではないでしょうか。
Imgp3007

団地の敷地の南端はやはり崖になっていて、
桜ヶ池からこの団地一帯は大きな大きな谷頭に包まれているのが
わかります。
Imgp3004

谷底から崖を見上げるとこんなに大きな落差。
Imgp3011

その南の崖下から、はっきりした暗渠を見つけることができました。
Imgp3008

下流の行く手を板っ切れが阻んでいます。
板っ切れの向こう側は…。
Imgp3009

土に埋められていますね。
土の先には何が…?ということで思いっきり望遠。
Imgp3010

適当っぽくコンクリ蓋が被せられています。

この先をコの字ウォークで確認しに行きましょう。
暗渠はこんな建物の前を左右に通っています。
Imgp3014

建物の前まで行って、さきほどの上流方向を見てみましょう。
Imgp3015

おおー、森深いわけでもないんですが、
なぜかとても「ジャングル感」の漂うところです。

さらにその先は。
Imgp3016

がれきなのか?それともこれが蓋wなのか?
新しいタイプの蓋出現なのか?

うーん…。

気を取り直して下流方向です。
Imgp3018

おお、こちらはややジャングル感が低くはなるものの、
十分に湿感が高いですね。

さらにその先には鉄板蓋も観ることができます。
Imgp3019

南側は相変わらずの崖。
崖上に建つ建物がその高低差を強調します。
Imgp3020

すごい圧迫感。
東京スリバチ学会で唱えているスリバチの第一法則を思い出します。

この先もコの字ウォーク。
この先で普通の道に出て暗渠暗渠した暗渠(<もうよくわからなくなってるw)は終わります。

おわりはこんなあっけないやりかたで。
Imgp3023

念のためこの板っ切れの向こうも覗いてみましょう。
Imgp3022

ここがクライマックス、となるわけです。

この先は一般道となり、
おそらくこの道の左側のブロックを貫通して
川筋が通っていきます。
Imgp3024

ブロックの中でもちょっと低くなっているこの辺を通って、
Imgp3026

回れ右するとここに。
ちょうど中野区と新宿区の区界です。
ここはつい数週間前に、
「暗渠仲間で夜の上高田支流をちょっと怖いけど歩こう」企画で
歩いたところでした。
そう、つまりこの付近で上高田支流と合流となります。
Imgp3027

さてさて。ちょうどお昼時なので、
上高田支流が妙正寺に合流する近くの川沿いの店でランチ。
松葉という中華屋さんでビールと麻婆丼。
Imgp3034

写真のもやしは、所謂お通しですが、
「しょうゆと、お好みでマヨネーズをつけてください」という
この素朴な茹でもやしが結構ツボでしたw
あ、麻婆丼も美味かったです。ラーメン味の麻婆丼w

しかし妙正寺川には「まつば」という屋号が多いのか知らん?
味噌maxさんの記事にもあった「マッバ」も、
業態違いながらほんとの読み方は「まつば」だし…w

さあ、終わりに、冒頭の桜ヶ池不動で触れたその他の水源について、
ご紹介しておきます。

まずは四村橋の下流にあったという堰。
場所的にはこのへん。古地図をみると、写真の奥の方、
左岸一帯が池というか沼というか、遊水地のような使われ方をしていた時期が
あるようです。それがつまり、堰によって溜められた水を一時的に逃がしていた
スペースだったのかもしれません。
Imgp3043

ほんとに痕跡かどうかわかりませんがw、
今でも堰のような段差は見ることができます。
Imgp3044

そして東光寺。
Imgp3047

境内を入るとすぐ左、やはりちょっとした谷頭ポイントに
こんな池が。
Imgp3049

残念ながら「柳の井戸」については手掛かりがなく不明。

ちなみに柳の井戸以外の3か所は、偶然でしょうがほぼ一直線上に
並んでいます。まるで「上高田水源ベルト地帯」ですw
それはほぼ崖線(というと大げさだけど)と一致しているので、
このライン上に柳の井戸もあったのでは?と思ってしまいます。
その直線は端から端まで約6~700m。
田んぼを潤す水源だけでこんなに離れているのですから、
やはりかつてはとても広大な田んぼが広がっていました。

そんな前提で、今回の地図をご覧ください。

より大きな地図で 杉並以北でまとめてみよう を表示

そして今回のANGLE記述です。

Photo

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暗渠ハンター もっと知りたい妙正寺川。蓮華寺支流と大和3丁目支流

妙正寺川については断片的にしか知らなくって、ほとんど土地勘というものがありません。
でももうちょっとこの辺りにも詳しくなりたいな、ということで行ってみました妙正寺川。

とはいえ計画があったわけではなく、あえて
事前調査ナシ行き当たりばったり丸腰で体当たりしてみようかと。
こういう時は「暗渠のための開渠さんぽ」方式(by namaさん)ですね。
大和町というあたりの川べりを歩いていると、果たしてこんな合流口が見えてきました。
下谷橋のたもとです。

Imgp2795

よっしゃ、早速ここから暗渠を見つけに脇道に入っていきましょう!
すぐ横には大和小学校。
Imgp2798

単にプールの排水にでも使っていた合流口なのかなあ、
と少々期待がしぼんでしまいますが…。
学校の裏手に回ってみると、歩道に擬態した水路跡、
らしきものが現れます。
(ここで小さくガッツポーズ)
Imgp2799

進んでいくと、緩い上り坂に暗渠らしい道が見えてきました。
Imgp2801

綺麗に蛇行してるし。
Imgp2804

これは護岸の一部でしょう。
Imgp2805

あー、いいかんじに苔むす大谷石。
Imgp2807

と、この道を登りきったところに車止め登場。
待ってました、暗渠の証し!
Imgp2808

さてその先ですが、柵に阻まれたワイルドな水路跡になっているのです。
Imgp2809

柵の向こうはいちおう舗装はされているものの…。
Imgp2810

もともと通行できたのかもしれません。
なぜ塞いじゃったんだろう。

手持ち地図を見ると、この道の右側は蓮華寺というお寺の敷地になっています。
よし。回り込んでみよう。

蓮華寺の裏口のようなところに辿りつき、
中を(合法的に)覗き込むと、果たして池がありました!
しかもすごい立派な池。
ちょうど地形も谷頭でいかにも湧水、もういかにも支流水源。

もっとよく見てみたい、と思って正面入り口を探し、
お寺の方にお断りして池を間近から見せていただきました。
Imgp2814
広くて、うっそうとした草木に囲まれていて、
余りに絵になりすぎている池でちょっと虚を突かれたかんじ。
こんなところ(早稲田通りのわりと近く)にこんな池があったなんて!
ちょっとだけお寺の奥様にお話を伺いまいた。
「昔はこの池で水が湧いていたんだけど、もう湧水は枯れてしまった」
「今は周辺から集まってくる水がこの池に溜まっている」

んだとのこと。

ってことはこの付近にいくつかの湧水ポイントがあるんだろうか…?
と期待を込めて周辺を歩き回ってみましたが、さしたる成果はありませんでした。

ただし、
早稲田通り(この辺りの尾根筋にあたります)から
この池に向かってこんな道を見つけました。
Imgp2817

Imgp2818

Imgp2819

たぶん池につながる水路に間違いはないと思いますが、
※2011.11.7追記:いや、「間違いない」は言いすぎでした(苦笑)。あるかたからコメント頂いて、ここは以前あった銭湯「鶴の湯」への入口路地だったようです。
…であればこの路地は、銭湯排水のための私設排水管が通っている可能性が高いでしょうが、それを「水路」や「暗渠」というにはちょっと我田引水すぎますね…はい。早稲田通りに水源があればまた話は別ですが、たぶんない、と思いますし;;;

早稲田通りに水源を求めるのはちょっと苦しいですね。
たぶんこれは、宅地化に伴って本来の水源より上へ上へと
水路が延びていく現象(=水路の「上流拡張現象」、とでも呼びますか)
によるものだと思います。

この上流拡張現象については模式図をどうぞ。
Photo_2

この現象は都内でも結構各地に見られ、東京はほんとに急に・爆発的に拡大した都市なんだということをあらわす一つの証拠なんでしょうね。

さてここまで書いてきましたが
じつはこの蓮華寺の池やそれに続く流れを見つけたときは、すごく興奮したんです。
ここにこんなものがあるなんて聞いたことがなかったから。
でも、家に帰ってみてみたらもうすでに今年の春には
「東京の水2009 fragments」でHONDAさんが書かれておりました
ってかこの記事自分も読んでるじゃんorz。思い出しましたw
ここでHONDAさんはこの流れを「蓮華寺支流」と名付けられています。
この記事の一つ前に、隣にある「大和町3丁目支流」についても書かれていますね。

さすが!ってか忘れてる私はどんだけ…。

気を取り直して、この蓮華寺支流をANGLEで記述しておきましょう。

Angle

はい、この蓮華寺支流の東隣にもうひとつ谷があったので、
私も(このときはとても興奮しながら)川跡を探して歩いてまいりました。
こちらは軽くご紹介しますね。

この谷底を貫くように、大和町3丁目支流が流れています(した)。
どうも上流は、3丁目25を通るものと、
3丁目28を通るものと2本あるようです。
(記事末の地図参照)

3丁目25を通る流れはこちら。
この写真の真ん中に、赤い消火器みたいのが見えます。
Imgp2832
そこだけ土地が窪んで、左右に浅い谷が走っています。
その消火器のところまで行って、右方向をみるとこれ。
Imgp2833
ここが確認できる最も上流の川跡でした。
この川跡をブロックの反対側(下流方向)に回り込んで確認します。
こうなってました。あ、ここにも赤い消火器がありますねw
Imgp2830

もっと近づいてみましょう。
Imgp2831
奥に小さく見える赤いのが、さっきの道の消火器でしょうね。

そしてもう一本、3丁目28へ上がっていくのがこちら。
Imgp2826
左には小さな階段。
この低い台地を避けて回り込むように、写真真ん中から右奥へと
水路が続いていました。

これら2本が3丁目26のブロック内で合流し、
おそらくこの道を通って妙正寺川に注いでいるものと思われます。
Imgp2841

途中小さなクランクみたいなのを経ておそらくこの道。
Imgp2842

延長線を辿っていくと、妙正寺川にこんな合流口が
口を拡げておりました。
Imgp2845

まだまだ妙正寺川でのハンティングは続きます。
たぶん次回は鷺ノ宮あたりで見つけたヤツを!

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暗渠ハンター 菅刈橋の先、品川用水の悪水溝。

ずっと前に書いた、小田急線・千歳船橋駅近くにある「菅刈橋」。
もういちどこの付近を通る機会があったので、
前回紹介できなかった(というか途中であきらめてた)
「さらに上流」をちらと探しに行ってみました。

まあ結論から言うと
「上流を遡ってみたら品川用水まで達していた」わけなんですが、
興奮して家に帰って検索してみたらもうすでに
庵魚堂さんの「世田谷の川探検隊
でしっかり紹介されていましたw
さすがです。

後追い記事ということになりますが、
私自身も行ってきたぞーということで、今日はその記事を
ちょっとだけ書きます。

菅刈橋支流、と勝手に名付けたこの川。
説明板のある地点から川跡らしい風情が始まっていますが、
Imgp9254

(菅刈橋の説明板は暗渠道の右側にあります)

さて上流は…?
ってことで振り返ってみますと。
Imgp9255

この奥につながってるんだろうなと思ってたのは前回も同様。
ちょっと遡ってみます。

浅い谷のようになった底をこの道(?)というか
スキマ(?)が通っています。
Imgp9249

このスキマ道(<と呼ぶことにしよう)も
すぐに家の敷地に突き当たってしまいますが、
どうも地形的にはこの敷地の奥へと繋がっている模様。
コの字ウォークでその先を見に行きます。

おっと。
コの字ウォークの途中に出会った銭湯。
四季の湯 世田谷温泉。
Imgp9250

ちょうどこの裏が浅い谷。
ここの排水もかつては裏の谷から菅刈橋まで
じゃばじゃば流れていったんだろうなあ、と想像。

コの字ウォークで回り込んでみたものの、
もう浅い谷も殆ど高低差をなくしています。
ですが。
延長線上にはこんな道。
ここで間違いないでしょう。
Imgp9251

さっそく入って奥に進んでみると…。
なんと、
千歳船橋駅の西から東京農大の横を通っていく
品川用水の流路にぶち当たりました。
Imgp9252

品川用水は世田谷通りに向かってここを進んでいくのです。
Imgp9253

そうか、かつては品川用水の落ち水がこの菅刈橋支流を通って
烏山川へと流れていたんですね。

ここでちょっと地形を確認しましょう。
(google earthさん、東京地形地図さん、いつもありがとうございます)
Photo

菅刈橋付近はちょっとした谷になっていますが、
品川用水から菅刈橋の間は少々窪んでいるものの、
それほどはっきりした谷が刻まれていません。

そうそう、菅刈橋の説明板には、
この橋は「悪水溝」に架かってた、と書いてありましたからね。
まあここでいう悪水は、汚水ではなくて「余った水」ということでしょう。
それを品川用水から流していた、と。
要するに人工の後付けの流れだったのですね。

…しかし、品川用水の周辺は田んぼだらけだったはずだし、
「水が余る」なんてことあるのかな。大雨や梅雨のときにだけ余るのかな。
どうも想像力が足らなくて、
「余り水(悪水)が」ここから流れて菅刈橋を通っていく」という図を
なかなか思い浮かべることができません…。
どんなときに、どんな風に流れを作っていたのかな…。

より大きな地図で 烏山川菅刈橋支流とその周辺 を表示

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暗渠ハンター 世田谷区中央図書館の圧巻ビデオライブラリ

今日はちょっとしたミニ情報。
写真ナシ、でいきます。

世田谷区の中央図書館、ってご存知でしょうか。
弦巻にあって、電車だと世田谷線上町、田園都市線桜新町から
結構歩かねばなりませんが、
図書館のはす向かいに東急バス弦巻営業所があるので
(しかもこの営業所も蛇崩川の流路!)
バスなら渋谷から一本で行くことができます。

そこの2階はとても広い郷土資料コーナーが作られています。
オリジナルの資料も作っていて、
私もカケダシのころ、
ここで北沢川、品川用水、烏山川など区内の水路にまつわる資料を
分けて頂いたものです。

そんな資料コーナーもあるし、圧巻は世田谷区全土のパノラマ
っつかジオラマっつかですね。
おそらく5m四方くらいはあるかな。
それがフロアの真ん中にでーんと鎮座しているわけです。

ただし今回ここで取り上げたいのはですね、それではなくて。
ジオラマを取り巻くように、
たくさんのTVモニタが置いてありまして、なんと
世田谷区制作のビデオライブラリを自由に閲覧することができるんですね。
世田谷の歴史や自然、区内小中学校にまつわるビデオなどなど
それはそれは夥しい量のライブラリがあるのです。
もちろん川や水関係も!!

「いつかまとめて観にきてやるぜい」とかねがね思っていたのですが、
先日(といっても夏の盛りに)やっと「ビデオ視聴」のためだけに
出かけていきました。

川や用水、湧水関係を選りすぐって
合計15本の郷土ビデオを観まくってきました。
以下その主要タイトルをご紹介します。

□ 「川の様子とうつりかわり」
□ 「用水の様子とうつりかわり」
□ 「世田谷区の川①野川・呑川・谷沢川」

★これはある意味インパクトありました。
先の2つはいわゆる「行政が作った広報ビデオ」の体をなしているんですが、
なぜかこれだけはホームビデオで撮影した「ふつうの散歩の記録」みたいw
だって手ブレもすごくて、ナレーションもなくって
延々川散歩の景色を撮ってるだけ、
おまけに撮影者の私語まで聞こえてくるんですからw
これは違う意味で面白かったです。

□ 「世田谷区の川②北沢川」
□ 「緑と水のある町づくり」
□ 「小泉次太夫と次太夫公園」
□ 「崖に見られる昔の世田谷」

★これに取り上げられてる喜多見氷川神社の「鬼問答」という行事が
興味深かったですね。
なんかね、すっごくまとめて言うと「鬼がスルメをもらって喜んだ」ことを
再現する行事なんですね。
それと、喜多見の知行院のところを通っている「いかだ道」のこと。
かつては奥多摩で木材を切って筏にして江戸に運び、
運んだ人達はその木材をうっぱらって奥多摩に帰るわけなんですが、
そのとき通った川にほど近い道をいかだ道、と呼ぶそうです。
その街道の跡が喜多見に残っているとのこと。
川跡とは違いますが、川に縁のあるかつてのネットワークですからね。
また一枚東京をPeelingしたような気持ちになりました。

□ 「境界めぐり」
★区堺、町堺といえば暗渠!川跡!と期待して観たのですが、
そういう内容ではありませんでしたw

□ 「地層と湧水」
★東京パミスのことや、上野毛の湧水でワサビを栽培してらっしゃる方の紹介がおもしろかったですねえ。

□ 「崖の自然と湧水」
□ 「ダイダラボッチゆかりの地 代田」
□ 「ダイダラボッチ」
★ダイダラボッチ関連を二つ観ました。
代田守山小学校あたりのダイダラボッチ川のことが出てくるかと思ったのですが、
むしろダイダラボッチ伝説の方にフォーカス。
どっちかはひたすら人形劇だったですw

□ 「地下施設」
□ 「世田谷の水と緑」
★なんか、喜多見はとても水の豊富なところで(国分寺崖線の麓、ですからねえ)、
昔は各家に湧水があったとのエピソードが。これすごい!
それと、上町の代官屋敷(ボロ市の中心地ですね)の池は湧水だった、
と言っていたのがちょっとした新ネタでした。

さすがにこれだけ見ると、ちょっと疲れましたw
でもなかなかいい時間でした。
世田谷区さん、どうもお世話になりました!

ちなみにこの中央図書館の開館時間は、
●火曜日から日曜日  午前10時から午後7時
●月曜日、祝・休日、12月28日及び1月4日 午前10時から午後5時
で、その他毎月最終木曜日や年末年始は整理のため休館となる模様。
さらに、この2階郷土資料のコーナーは、
4時だったか5時だったかで閉まってしまうのでご注意ください

あ、ちなみに。
付近・弦巻三丁目の路上でに「おしくらマンホールもどき」も発見。

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暗渠ハンター 「机上の暗渠より現場の暗渠」九品仏駅南側の暗渠

不意を突かれました。
東急大井町線・九品仏駅近くに、
D&DEPARTMENT PROJECT TOKYO」というお店があって
まあここに家具やらなんやら見に行ったわけです。
結構予定も詰まっていたし、ちょっと諸事情で疲れも溜まっていたので、
もうここピンポイントで行こうと。
近くに九品仏川や谷沢川や尾山台駅の鉄道沿いの暗渠とか逆川とか、
いろいろ盛りだくさんのエリアだけど
それでももうピンポイントにしようと。
ですから店周辺の地形状況や暗渠状況など、
全く調べずに丸腰で向かったわけです。

ところが、駅からお店まで行く途中は
緩やかながらも素晴らしいV字谷があり、
暗渠や川跡の存在を黙示しています。
同行者曰く「ここぜったい近くに暗渠ある」。
下調べもしてないし、かつて九品仏川本流ののことを書いたこともあり
浅知恵を持ってる気でいた私は
「いや、聞いたことないし、ないと思う」。
知識より現場を重視した方がいいよと同行者のありがたい言葉に
(もしかしたらあるかもなあ)
なんて弱気になりながら、
駅前通りからちょっと左に入ってみると、
果たして、というか果たさなくて、
ありましたorz
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いかんいかん。
「ここに暗渠なんかない」と判断(というより思考停止)した私は
一体何を大事にしていたのだろうか、
そんな浅はかな傾向はきっと日常生活や仕事にも表れているはず…。
まだまだ未熟だなあ来年の年頭の誓いはこれがらみのことにしようかなあ
などと学びの機会をこの九品仏駅前で頂戴することとなったわけであります。

九品仏駅から環八につながる駅前通り。
その左側にあるこの暗渠は、
駅前通りの谷につながる崖下にあって、
どうやら北上して自由が丘手前あたりで九品仏川に合流するようです。
(帰宅してよく調べてみると、示山橋さんのページでこちらを取り上げてらっしゃいました)
地形から見ても、なるほど納得。水色矢印がこの崖下の暗渠です。
(google earthさん東京地形図さん、いつもありがとうございます)

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実は目的のお店の帰り道にも、
この東側にある別な流れを見つけまして、
今回はそれをメインにレポートいたします。

まあこっちがわにもありそうだよねえ的なノリで、
帰り道はさっきの崖とは駅前通りをはさんで反対側をぶらっと歩いてみます。

九品仏小学校の横に出て「なんか怪しげな歩道があるなあ」なんて思いながら
歩きます。
(これは来た道を振り返ったところ。奥の左手が九品仏小)
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ちょっと北に向かって、この歩道が途切れたところの道の反対側に、
いきなり出現。
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ああ、こんなところに暗渠があったとは…。
それを私が「きいたことない」からと
疑いもしなかったとは…。
世田谷はほんとに意外なところで暗渠と出会えるところです。
その意味では世田谷を歩くときは決して油断してはいけない。
そう改めて心に刻みましょう。

金網を覗き込んでみると、
それはそれは立派な蓋暗渠が存在しているではありませんか!
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さっそく反対側に回ってみます。
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直線でここに通ってきて、
かくんと直角に左に曲がるようです。
この曲がり角を遠景で眺めるとこう。
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その先は、二ヶ領用水でもよく見られる
「縁石付」蓋暗渠が現れます。
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そしてさらに先でとうとう大技が繰り出されます。
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見事な横断っぷりです。
これには思わず声を上げてしまいました。

横断した先はどこかのお庭の隙間に紛れてしまいます。
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住宅街のブロックを袈裟に斬って進んだ出口がここ。
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ちょっと覗き込んでみると…。
放置されてるんだか活用されてるんだか
判断つきませんw
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このあと車道を渡って反対側の歩道に姿を変えます。
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この歩道を追っていくと、
またさっきのような姿に。
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ちなみに金網に掛けられている赤い札には
「公用地に付、無断使用禁止 世田谷区」
とありました。
水路って言ってくれてもいのに。その方が萌えるのにw
金網の向こうはこれまた風情のある空間が広がっています。
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回り込んで先を急ぎます。
下の写真の、正面のブロック塀の手前を左右に続いていました。
さっきの続きが左からきて、右へと進んでいきます。
ブロック塀に近づき、右の方を眺めてみます。
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実は左の方も写真を撮ったのですが、
この角にあるお宅のおっちゃんが
白ブリーフ一枚でうろうろしている姿が
ばっちり写り込んでしまっていたのでカットw
おっちゃん、すみませんでした。
おっちゃんの裸を見てしまったので、
こちらが怪しまれないようにとそれだけのために先回りして
おっちゃんにお話をちょっとだけ伺いました。
はい、たしかにここには以前水が流れていたそうですw

コの字ウォークで先を見に行きます。
あったあった。
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奥の金網から出てきてこの歩道を伝っているようです。
念のため金網の向こうを覗き込みます。
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もうおっちゃんはいないようですw

あとはまっすぐ大井町線まで、
続くのか???
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実はここがはっきりしません。
大井町線軌道のすぐ横には、
目黒通り陸橋から続く(そして逆川につながる)
暗渠
が通っています。

そこにまっすぐ落ちている可能性もある。
もう一方で、尾山台中学校はすぐ西にあります。
尾山台中といえば、蓋暗渠に(半分)囲まれた中学校として
暗渠界では名高い(と思うw)場所ではないですか。
こっちにつながってる可能性も、
きっとあります。両者は殆ど高低差がありませんし…。
ちなみに尾山台中を囲む蓋暗渠はこれ。
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1年前の写真から発掘したやつもどうぞ。
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うーん、結論は出ません。
しかしいずれにしてもこの暗渠は、
九品仏川でなくて逆川を経て谷沢川となり多摩川に合流する流れのようです。

そんなふうに半悩で
(注:半分悩んでるふりしてるけどほんとうはあんまり悩んでいないこと)
尾山台駅に近づくと、
自分的に新たな発見。
先ほどリンクさせた過去の拙ブログで、
この付近の大井町線北側の蓋暗渠を書きましたが、
実は線路を挟んで南側にも同じような蓋暗渠があったこと。
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へぇー!という感じでした。

さて、尾山台駅前はどうも地域のお祭らしいです。
地元商店街の方による屋台と、
特設ステージでの住民の方のパフォーマンスで賑やか!
せっかくですから、路上でビールとホタテ串を頂いて、
帰路に就くことにしました。
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今回の周辺地図です。

より大きな地図で 九品仏川を遡る を表示

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