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暗渠ハンター 魚三酒場が開くまで暗渠

以前も暗渠ハンターシリーズではないカテゴリーで書いたことのある
門前仲町の魚三酒場 富岡店。
やっぱここには明るいうちから行くに限るわけです。
開店が16時ですからね。

ちょうど3年ぶりにくらいに「よし行くか!」ってことになりまして、
向かったわけです。
3年前と違うところは、暗渠に目覚めているかどうか。
前回はもうまっすぐ魚三に向かったわけですが、
今回は違います。近くに何本か堀があったはずなので、
そこを見て、そんで開店前の魚三に並ぶ、という
極楽スケジュールで臨んだのです。

早めに門前仲町について、最初に向かったのは富岡八幡宮。
この周囲には、八幡堀(別名・数矢堀)が張り巡らされていました。
「江東区の川(堀)・道・乗り物の変遷と人々」江東区教育委員会(H22年12月)
によると八幡堀とは、
油堀の支川として富岡八幡宮と永代寺を囲む堀で、
開削は寛永11年(1698)とのこと。
…でもなあ、寛永11年って1634年だからなあ…1698年だと元禄11年なんですよね…
どっちなんだろ。後述の「油堀川」の開削年を考慮すると、
たぶん元禄11年(1698)だと思います…
三十三間堂が八幡宮の東側に再建され、
その時の境界線の意味も含めて掘られたそうです。
さらにその後堀自体は昭和49年(1974)に埋め立てられてしまっています。

ふむふむ。
まずは八幡宮の正面あたりで堀跡を探してみます。
今回も手掛かりは東京時層地図。
あいかわらず3Gで接続できない&wifiも加入していない端末なので、
現代地図と見比べることができません。
(だけどこれがまた、答えがすぐにわからないパズルっぽくっていいw)
参道と垂直に堀が横切っているはずなのですが、
その交点が参道の奥なのか、
それとも参道の途中なのかも判別不能…。

観察を繰り返し、
おそらく、八幡宮の参道の真ん中へんを
堀が横切っていたのではないか、
と推察するに至りました。
参道の脇には、こんな構造物があり、
Imgp1671

Imgp1673

参道をはさんでちょうど反対側は
こんなふうになっていました。
Imgp1669

ここを、堀が通っていたのではないかと。

二つ前の写真から堀の続きを追いかけてみることにします。
その先は、ちょっと道に紛れてわかりづらくなります。
Imgp1675

この道を突き当たるとマンションの敷地になりますが、
そのマンションの中程でどうやら左に曲がって北上、
そしてここに到達します。
Imgp1684

八幡堀の跡が緑道になっているのです。

その緑道の半ばにかかっているのが
「八幡橋(もとの名は禅正橋)」です。
Imgp1686
この橋は、国の重要文化財。
もともと、明治11年(1878)東京府の依頼で
工部省赤羽製作所が作って、
最初は京橋区楓川に架けられました。
で、大正2年(1913)市区改正により新しい禅定橋が架けられたので、
こっちは元禅定橋と改称されたそうです。
しかし震災後の帝都復興計画によって廃橋。
そのあと昭和4年(1929)現在地に移され、
この名前になったとのことです。
紆余曲折の橋。
八幡堀の元水面から、
橋裏を眺めまわしてみます。
Imgp1692

以外と単純な構造のようですが、
それが却って美しい。

なぜかこの橋の下一帯は猫だまりにもなっていました。
Imgp1687
しかもほとんどがすりすり猫です。
Imgp1688
完全無抵抗主義で、なでり放題。
猫不足を充電できます。

さらにその先には、緑道横に「旧新田(にった)橋」という
橋もお役目を終えて展示(?)されていました。
Imgp1696

大横川にかつ架かっていた橋でm
「木場の赤ひげ先生」と慕われた新田さんというお医者さんが、
不慮の事故で亡くなった奥さんの慰霊の意をこめて、
近所の皆さんと協力して昭和7年にい架けた、という橋だそうです。

首都高の下に突き当たって、短い緑道は終わります。
Imgp1699

さて実はこの首都高下にも八幡堀に繋がっていた堀がありました。
それが油堀川。前出の資料からかいつまんでご紹介すると、
油堀川は墨田区東岸沿い、下之橋から木場に至る運河です。
現在の佐賀町、福住町の両岸には特に油問屋が多く、
緑橋の南西には油商人会所もあったので、
油堀河岸とか油堀と称されたそうです。
開削は元禄12年(1699)で、
かかっていた橋は下之橋、千鳥橋、富岡橋、永居橋。
それから資料にはなかったですが和倉橋という橋も。
川は1970年半ばまで残っていましたが、
残念ながら1974年埋め立てられてしまったとのこと。
1980年にはその上に首都高9号線が開通しています。
堀を、首都高が蓋してるような恰好になっているわけですね。
油堀川の水面から橋裏を眺めます。
Imgp1700
うーん、なんか歴史を知ると、
どこか厳かというか、少々哀しい感じさえしてしまいます。
この東西に流れる川を西(門前仲町駅方面)に辿っていく前に
ちょっと寄り道。

どうも八幡堀が油堀川に合流する反対側にも、
別の堀があったようです。
それが武田堀。
Imgp1703
写真を奥に進んでいく堀で、いまは細長い公園になってます。
東京時層地図で確認すると、
戦前にはこの堀の先に養魚場があったようです。
っつか、この辺りから東にかけてはまさに「木場」で、
昭和30年代の地図でも堀や貯木池だらけです。
いまではすっかり埋め立てられていますが。

油堀川に戻って、再び水面から首都高の橋裏を眺めて歩きます。
Imgp1707

西に向かうと、和倉橋の親柱。

Imgp1708
この辺りの旧地名は「深川和倉町」。橋は昭和4年に架けられたそうです。
それ以前は「わくらの渡し」という渡し船が通っていたんですって。

油堀川につながる小さな暗渠。
アブアブ赤札堂の裏側に一本ありました。
Imgp1713

その先、清澄通りに掛かっていたのが富岡橋。
Imgp1729
この先まで遡ってみたいところですが、魚三の開店もあるので;;;
引き返してはじめの八幡堀をもうすこし巡ります。
深川公園のなかを突っ切るように八幡堀は通っていたのですね。
Imgp1718

そしてこうまっすぐ行って、富岡八幡宮、
今回のスタート地点へと繋がって行きます。
Imgp1724

ってことでもう15時半。
魚三酒場開店待ちの行列に加わります。
すでに70人は並んでました。
入れるかなーと心配でしたが3階まであるので余裕余裕。
明るいうちから、おいしい魚とビールと酒で乾杯。
うまかった。
あ、写真があんまりうまく撮れなかったのですが、
奥は鰻でございます。
Imgp1728

今回も比較的短く単純なエリアだったので、
ANGLEの分析はナシでいきます。
行程はこちら。

より大きな地図で 油堀川と八幡堀 を表示

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コメント

八幡橋の猫溜り!
以前門前仲町に行った時、富岡八幡宮までは行ったのですが八幡堀まで気が付きませんでした。
そんなところに猫溜りがあったとは…
(水路の話じゃないのかよ!)
今度行ってみます。情報ありがとうございます。
ところで…深川不動尊の参道でウサギが散歩してませんでした?
http://8.pro.tok2.com/~kumax/neko/index.php?e=468

いつもながら暗渠と関係ないコメントですみません。

投稿: ろっち | 2011年9月 6日 (火) 00時28分

>ろっちさん
(暗渠がらみでなくとも大歓迎です♪)
橋の下付近、5匹くらいはいたような…。みんな眠そうでしたがw
なんだかみんな人懐っこくって土地柄を強く感じました。
ウサギの散歩w 柴犬とウサギと猫ですごいことになってたんですね、深川不動尊w
残念ながらお見かけはしませんでしたw

投稿: lotus62 | 2011年9月 6日 (火) 12時31分

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