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2011年9月

暗渠ハンター 日曜の夕方がよく似合う蛇崩川・世田谷公園支流。でももとは軍事排水?

またまた蛇崩川の支流お話。
「東京時層地図」をじっと見つめていて知った支流です。
よく通る道のすぐ裏側にこんな暗渠があったなんて、最近まで知りませんでした。
これは一度現地で確認をしなければ、と思って行った報告を以下に。

まずは地形からご紹介します。
Photo_2

このように、東西に蛇崩川が蛇行して流れているところに、
北から合流する谷があり、ここが今回の「世田谷公園支流(仮)」です。
いえね、辿れた源流が世田谷公園までだったので、
仮にこの名前で呼ばせていただきます。

ただ、谷とはいっても付近の蛇崩川の支流のように、
これとか、これ
あまり深くはっきりした谷は刻まれていません。
すこし拡大したこちらの地形図をどうぞ。
Photo_5

そしてこの谷の谷頭(というには薄すぎる高低差です)は、
以前ここにあった駒澤練兵場につながっています。
おそらく、そこでの生活排水などがこの薄い谷を伝って
蛇崩川に流れ込んでいたのではないでしょうか。
この付近は明治期から軍の主要施設が集まっていたところ。
東山まで、このへん一帯を占めいていた広大な練兵場の西側
(いまの昭和女子大あたり)は砲兵営があったようですし、
戦後の世田谷公園はしばらく陸上自衛隊衛生学校その他
主要施設がありました。
防衛庁技術研究所、自衛隊中央病院なんかはいまでもありますね。

そんな流れを蛇崩川の合流点から見ていきましょう。

ここね。ここが合流点。
Imgp2236

奥の車止めの向こうが蛇崩川の本流です。

そしてここから世田谷公園に向かって進む川跡がこちら。
Imgp2237

へんにだだっ広くて蛇行する不自然な(自然な?)道。

沿岸の高低差も十分で楽しめます。
Imgp2231

蛇崩交差点から下馬1丁目交差点に抜ける道を越えると、
沿岸の高低差感は弱まり
路地テイストが強くなります。
マンホールも増えてきました。
Imgp2240

ほらほら。
Imgp2242

Imgp2244

Imgp2246_2

横道も暗渠路地テイスト高し。
生活排水路があちこちにあったのでしょうね。
Imgp2245

Imgp2247

谷間の暗渠というのではなく、
あまり高低差のない住宅地の合間を縫って流れる暗渠。
いわゆるどぶ、だったんでしょうね。
まわりの方々の暮らしの香りが漂うような、日曜の夕方がよく似合う暗渠です。

Imgp2249

短いこの川は、写真奥の世田谷公園の敷地に突きあたって消えてしまいます。

ANGLEでいえばこんなポジションでしょうか。
Angle

横軸は、ほとんど暗渠路地や道路同化ですのでこのへん。
縦軸は悩みます。
どこかの用水・上水の一部であった可能性は場所からいって
たいへん低そうです。
かといって湧水があったという情報ももっていないし、
いまの私の推測だと、このへん一帯の生活排水が集まったのではないかと…。
だからちょっとだけ動脈寄りの静脈に位置付けました。
(そうそう、以前holiveさんのご提案により、ひっそりと縦軸の上下を
変えていますのでご注意くださいw)

では、最後に今回の地図をGoogle でどうぞ。

より大きな地図で 蛇崩川を遡る を表示

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暗渠ハンター 館林で咲く蓮と「清流通り」の暗渠の旅

なんか旅行記みたいな地方ネタが続いてしまいますが、
せめて夏のうちに書いておきたかったので。
(すでに夏ではない、というご指摘もあるでしょうがw)

7月終わりに、館林に行ってきました。
もともとは、別の日に群馬県の大泉町・ブラジルタウンに行ったんです。
本場のブラジリアンソウルフード食べたり
ブラジルテイスト溢れるスーパーマーケットで買い物したりしたくて。
都心からはか細い私鉄に乗っていくんですが、
その途中のちいさな駅に貼ってあったポスターがこれ。(注目は真ん中)
Imgp1565

館林 城沼花ハスまつり

どうやらハス満開の沼があって、
そこを船でがしがしっと進んでいきながらハスが見られるらしいんです。
おおーこれは!!と思って写真に撮って、
改めてこっち方面に遠出してでも行かねばなるまい!

というワケで、わずか2週間の間に群馬県に2回も
日帰り観光に行ってきた、っつわけなんです。

館林駅で降りてバスで件の「城沼」に向かうつもりでしたが、
なんとこの日はもうバスがないとのこと。
(クルマ以外の観光客にもうちょっと優しくしてもいいんじゃないだろうかw)
なので、てくてくと20分以上あるいて城沼まで向かいます。
まあ結果的には途中で思いもかけず蓋暗渠とか見られてよかったんですが。

これは市立第二小学校脇の蓋暗渠。
Imgp1785

この話はまた復路で触れましょう。

で、沼に到着。これが城沼です。
Imgp1827

で、こんな船に乗って沼の蓮を見て回るわけです。
Imgp1788

もう7月終わりともなると蓮の見ごろも終盤なのか、
すっごく空いてました。
20人はゆうに乗れる船に、この時の乗客はたった6人。
まあゆったり見られるからいいかw
舟はこんな風に蓮の合間を抜けて進んでいくのです。
Imgp1799
この写真でおわかりのとおり、
残念ながら蓮はあちこちに咲き誇っているわけではありませんでした。
実はこれ、単に旬が終えたわけではなく、
前の週に関東を襲った台風の影響だとのことです。

知りませんでしたが、蓮の葉っぱは
「裏側に水が付く」のを極端に嫌うそうです。
形がよく似た睡蓮の葉っぱ水にぷかぷか浮いているのに、これは意外な事実でした。
(たいていの草花はそうなのかもしれませんが)蓮の葉っぱの裏が水に浸ってしまうと、呼吸ができなくなり枯れてしまうのだそうです。
この沼が台風で増水したときに、
蓮の葉っぱもその泥水につかり
水が引いた今もあちこちで泥まみれになったままたくさんの蓮が枯れてしまっています。
Imgp1807

…泥の中であんなに立派な蓮根を持っているというのに、
葉っぱは泥にデリケート。
何かを示唆しているようでもありますね。
示唆していない気もしますね。

そういう状態ではありましたが、
まあ満開とは言わずともあちこちで船から見上げるように眺める蓮は
やはり趣があるものです。
Imgp1794

それと、この時のワタシ的大発見!
蓮って、茎の断面まで「レンコン」の形してるー!!!!
Imgp1798
どうですかみなさん、これご存知でしたか!?

枯れてしまった蓮が多かったのですが、
まあそれでも「城沼花ハスまつり」の期間中でもありますから、
近くのレストハウスでは「蓮パスタ」(お皿の上に蓮葉が敷いてある)
Imgp1822
や「花ハス御膳」
Imgp1825

Imgp1823
なんかも食えちゃうわけです。
美味かったです、とても。

まあそこそ満足して、また遠い駅までの道のりを歩きます。
土地勘がないので行きはひたすら「解りやすい道」を歩きましたが、
だいたいの方向感覚が得られた帰り道は
あえて裏通りを歩いてみることにしました。

館林は一部に古い町並みもあって、
なかなか味があり、
こんなお屋敷もしっかり保存されています。
Imgp1832
これは「鷹匠町武家屋敷」。
どうやらこの屋敷から暗渠が通っているようでした。
Imgp1833

さらにその先をてくてく歩いていくと、
江戸時代ではないですがこんな家も。
Imgp1836
そもそも館林って歴史のある街ですからねえ…。
まあ歩いてみるもんだね、なんて思いながら
この家の前を通過しようとしたとき、
衝撃の風景が!!!

この道から「渓谷」が始まり、
そこにはしご式開渠が横たわっていたのです!
見よこのサビ錆ガードレールのあちら側を!!!
Imgp1837
おおーなんだこりゃー!

ガードレールの端から「谷底」に近づいてみます。
あちら側に行って、さっきの撮影ポイントを振り返ったショットがこれ。
Imgp1839
なんと、函渠がさっきの足元を貫いていました。
そして「森田屋支店」(この店も入ってみたかったが、
店内では大人数の村の寄合的な酒盛りが繰り広げられているようで
とてもハードルが高かったのです)の横にそれは吸い込まれていくようでした。

上流は後にして、まずはこの谷を追ってみましょう。
すこし離れた所から撮影するとこんな具合です。
Imgp1854
函渠の接合地点からいきなり深い谷が刻まれているのが
お解りでしょうか。
ここを流れる水はとても澄んでいて綺麗です。
Imgp1856
また、函渠からは殆ど水が流れてきていませんが、
ここから下流は結構な水量の流れが起こっているようです。
Imgp1857
どうやらここで水が湧いているようです。
そして函渠は、この上流の生活排水をここに流し込むために
後付けで接合された様子ですね。

この先はさらに谷は深くなって、
住宅の間を潜り抜けていきます。
Imgp1841
ああーもうここから先は追えない…。
Imgp1845
この先に回り込んで下流を確認できるところを探してみます。

住宅の間からさらに個人宅の敷地を通って
ここに出るようです。
Imgp1847

おっと。
気づけばここは、さっきの武家屋敷から始まっていた暗渠です。
ほほーここにつながっていたか!
さらにこの先は、行きがけに見た市立第二小学校脇の蓋暗渠につながっておりました。
そうかそうかそいうことか。
地図が頭の中でつながる悦び!

さてさて、またさっきの谷頭に戻って、上流探しにチャレンジ。
しよとしましたが、「森田屋支店」のその奥は
さらなる谷頭どころか水路跡さえもはっきりしません;;;。
これが森田屋支店の裏側なんですが、
全く手掛かりなし。
Imgp1851

だめだこりゃ、と諦めてもう一度谷頭に戻り、
駅に向かって歩き出したところに、
こんなサイン発見。
Imgp1860
「清流通り」。
うわーこの通りはそういう素敵な名前がついていたんだ。

まあ確証はないですが、やっぱりはじめのガードレール下からは、昔から綺麗な水が湧いていたのかもしれません。
その清らな流れにちなんでのこの命名なのでしょうね。

さてまた駅目指して歩き始めます。
町並みは、こんな建物(旧二行地見番・昭和13年)
Imgp1863

とか、こんな建物(昭和30年代?)
Imgp1862
とか、こんな商業施設(昭和40年代?)
Imgp1866
なんかが混在してて、ちょっと目くるめくような感覚。

きょろきょろして歩いていると、
こんどは割と正統派の暗渠路地を見つけました。
Imgp1867
入ってみましょう。
Imgp1869
細いですが、
どうやら立派に通り道として機能しているっぽいです。
雑草もあまり生えておらず、
所々にこれに面したおうちの出入り口があるし。

程なく、急に開けた場所に出ます。
青梅天満宮でした。
Imgp1871

この暗渠は、青梅天満宮の参道と垂直に交わっていますが、
その交点がここ。
Imgp1872
参道にかかる小さな橋跡ですね。
いいもの見つけました。
同じ橋を参道の上から、入り口に向かって眺むるの図。
Imgp1877

この辺の風景もすごいです。
おそらくアパート?おそらく現役。
古今入り混じった廃墟感のある街。館林。
Imgp1876

さらに駅に近いところにも、突然現れる谷に開渠。
(美容室キャノンの看板手前がそれ)
Imgp1888
覗き込んだところ。
Imgp1887 

先ほどからの暗渠は全て南に向かって流れ、
市内を通過して城沼に至る鶴生田(つるうた)川に向かっているようです。

この街並みの付近には、今回あえてご紹介しませんでしたが
竜の井
青竜神社
などの湧水ポイントもいくつか。
ん?青竜?? せいりゅう→清流?
考えすぎかw?

さてさてところで、蓮の実って、食べられるのはご存知でしたでしょうか?
城沼の蓮見船・船着場のお姉さんに、
そう教えられ「食べてみて」と勧めていただきました。
お姉さん何度も曰く「初恋の味」w

あまりそうは思えませんでしたが、別の味として美味しかったです。
でっかい松の実に近い感じかな。
たくさんいただいたので帰りの湘南新宿ラインで
ビールと共に食し、初恋の味の定義について
想いを巡らせてみるのでした。
Imgp1891

より大きな地図で 館林の水路 を表示

あ、それと、久々にANGLEを使ってみましょうかね。

中程でご紹介した、森田屋支店のところから湧きだして渓谷を作り、
第二小脇を通って鶴生田川に合流する川を
「鶴生田川 森田屋支流」と名づけ、そこだけとりあげておさらいしてみました。

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暗渠ハンター 姿川と宝木用水 郷里の川と暗渠の話

郷里のことを記事として書くのは初めて、かと思います。

関東平野のはしっこ、
栃木県のまんなかへんにある、人口2万人足らずのちいさな町。
数年前に他の町と合併して市となり、町としての名前も消えました。
ここに、生まれてから高校3年生まで住んでいたのです。
名産品と言えば干瓢くらい。町の中央部にはこんな施設もあります。
Imgp2266

ファーストフードなんてものは、
山田うどんくらいしかなく、それも最近日帰りで里帰りしたら撤退していました。
あ、そうそう町はずれの街道沿いにマクドナルドは一軒あったっけ。

その昔元旦に町中の家畜市場で行われる「馬市」、
というのは有名だったらしく、
子どもの頃は元旦のNHKニュースで取り上げられているを
何度かみたことがありました。

もともと大した商店街はありませんでしたが、
近隣のSCに圧されそれらもほぼ壊滅。
町興しのためか、
ドイツのある街と古くから姉妹都市関係を結んでいたことから自らを
「グリムの里」と名乗って柄にあわない背伸びをしたおかしな公共施設を
一時作っていましたが、
どちらかというとそのユルさ似合わなさに世間から失笑されたり。

それでもやっぱり私にはたくさんの思い出があり、
私を育んでくれた大事な大事な町なのです。
いまでは、私の周りにいてくれたすべての人たちに、
そして町そのものに感謝の気持ちが溢れるような思いでいます。

そんな町の川事情は、決して豊かではありません。
町はずれに姿川、というちょっとした川が流れているだけで、
街中にはまったく川がないのです。
もう川といえば姿川。それがこの町の川のすべてです。
記憶ではそのほかに、
駅をはさんで2本の細い細いドブ川があったかな、という程度。
何しろ殆ど起伏のない町なのです。

※因みに。平たい土地ですが、小さいころはよく「山」に
クワガタ(地元では鬼虫と呼んでいまいた)を獲りに行きました。
この町では雑木林のことを「山」と呼ぶのです。
この町の「山」には木があるだけで、起伏がありません。
ホンモノの山は、はるか茨城の筑波山や薄く曇って北にそびえる
男体山や那須連山、くらいしか見えません…。
だいたい風景はこんな感じなんです。

Imgp2263

もとい。まあそんな川事情ですから、
暗渠に興味を持ったあとも
「どうせあの町には暗渠も水路もないだろうな」と
積極的に見に行ったりはしませんでした。

ただ、そのドブの一本だけは流路まで明確に憶えていたので、
帰省ついでに駅から実家に向かう途中、
ちょっとだけ遠回りをして観に行ってみたのです。
友達のマチダくん家のすぐ横を流れていた、土の土手の、浅いドブ。
たまにいやな臭いもした憶えのあるドブ。
まだあるといいな、でももう宅地化も進んでいるから
蓋くらいは掛けられてしまっているかもな、なんて思いながら。

ところがかつてのドブは想像をはるかに超える加工度で、
「下谷田遊歩道」という名前の緑道になってしまっていました。
これには驚きました。
Imgp2258
しかも聞いたこともない「下谷田」という名前までついている…。
私の子どもの頃よりさらに前には、この辺りの小字が下谷田、
だったとは実家に帰って親から聞きました。
Imgp2259

それにしてもこの「自己紹介付の車止め」が、
なんか愚直な感じでいいw
Imgp2256

平らな町ですが、確かにこの辺はちょっとだけ窪んでいて、
水も集まる(集まった)よなあ、と微地形に納得。
Imgp2260

こうなると気になるのが、このドブは
どこからきて、どこへ行くのか…。
遊歩道自体は全長500mくらいだから、
すぐに端っこに行けます。
まずは北の端っこ。
Imgp2257
しかしこの先にはドブが続いていた記憶もないし、
実際流れは消えています。

そして南の端っこ。
Imgp2261
大通り(<この町にしては)に遮られて先の流路は見当たりませんが、
小さいころの記憶ではこの先は
平地が小さく抉られるような地形になっていて、
よく自転車で「命がけ」に下って遊んだ場所。
そこに流れんで行くんだろうなと想像します。

実家に帰ってからの両親への取材(母親はこの町生まれでこの町育ち)では、
・このドブは昔は農業用水。
・町のはずれを流れる姿川から町の北を通ってこの辺まで水を引いていた。
(ざっと見積もるとここまで3~4キロくらい)
(すなわちやはり北が上流、南が下流)
・この遊歩道の下流も、町の南を通ってまた姿川に繋がっていた。

とのこと。
冒頭でも触れた通り、この町の代表的な産業は
「かんぴょうの生産と加工」なのですが、
その他はやはり田んぼが多く、
また特徴的なところでは「桐畑」(桐を植えて育てる林)も多かったそうです。
なんと私の育った家も昔は桐畑だったそう。
そういえばある時期まで一本、庭に桐の木が残っていました。
しかし桐の「畑」ってなんかスケールでかいっつか
なんか概念として間違ってね?っつかw

今回は話が横にそれがちですが、ドブの話に戻ります。
つまりこのドブはかつて
「姿川に発し姿川に還る」農業用水、だったわけですが、
姿川についてもう少々お話します。

この町を通っている姿川は典型的な「中流」の川で、
川幅5mくらいの広くて浅い状態です。
上流のようにでかい岩もないし下流のように広い広い砂州もありません。
特徴も少ない川ですが、まあ小さいころは恰好の遊び場でした。
皆で自転車で出かけて行っては
どじょうやザリガニを獲ったり
パン屋で昼ごはんのパンを買って食べながら
釣りの真似事をしたり(<でも一回も釣れたことなかった)。

中学の頃は部活のランニングで土手を走ったっけな。

この姿川についても、今回初めてググったりして調べてみたわけなんです。
上流を辿るとかの有名な大谷石採石場のすぐそばを通っていることは、
うすうす知っていました。
大谷採石場のことは以前namaさんが書かれてましたね
で、さらにその上流の宇都宮のはずれか今市か日光あたりの山が水源になってて、
つつーっと流れてくるんだろうな程度の認識だったのですが、
いやいやこれが結構面白そうなんです。

まずは水源。
宇都宮と日光の境にある鞍掛山という山が水源だそうです。
これ、さすが関東平野だけあって標高は492.4m。低い!
ここにある鞍掛神社の滝が源流部があるらしいんですが、
これもしかしたらハイキング感覚で登れちゃって
水源まで見られちゃうんじゃないかな、と。
幼いころから慣れ親しんだ川の水源。
なんか見てみたい気になってるんですけど!

それと先の大谷採石場に絡む話なんですが、
随分昔から、ここから切り出した大谷石は姿川を使って舟運で運ばれていた模様。
姿川流域の古墳の石室の多くには大谷石が使われている、という事実から
そう推測できるそうです。なんかすごいですね。
古墳の材料のネットワークに使われていたんだ、姿川!
なんか見直したぞw

それともう一つの興味ポイントは、「宝木用水」。
同じような場所を水源として、宇都宮市街へと流れていく田川、
という川があるのですが、ここから取水し
後は姿川に合流する用水路がありました。
つまり田川と姿川に挟まれた土地の農業を一手にバックアップしていた用水路。
こちらの「宝木用水を歩いてみよう」というサイトがまずはわかりやすいので
リンクさせていただきます。
掘削にあたってはなんと二宮尊徳が手掛けたんだって。
二宮さんって本を読みながら歩き大人になってからは、
農業復興政策を指導してらしたんですね
これもちょっと巡ってみたいですねー。
特に取水口と姿川への合流口とか見てみたくなりました。

ちなみに県内トップクラスの女子進学校に宇都宮女子高、
というのがあるんですが、ここの入口に架かる橋がその名も「操橋」。
(詳しい情報はこのリンク先「栃木県の土木遺産」をどうぞ)
これは宇都宮周辺の高校生男子の間では結構有名な話。
なんとその操橋が架けられているのが、この宝木用水だったことが
今回判明!え?だからどうだ?はい。それだけです。

今日は単なる前フリみたいになっちゃいましたが、
いずれまた姿川のお話を書いてみたいと思います。

より大きな地図で 石橋町の暗渠 を表示

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暗渠ハンター 魚三酒場が開くまで暗渠

以前も暗渠ハンターシリーズではないカテゴリーで書いたことのある
門前仲町の魚三酒場 富岡店。
やっぱここには明るいうちから行くに限るわけです。
開店が16時ですからね。

ちょうど3年ぶりにくらいに「よし行くか!」ってことになりまして、
向かったわけです。
3年前と違うところは、暗渠に目覚めているかどうか。
前回はもうまっすぐ魚三に向かったわけですが、
今回は違います。近くに何本か堀があったはずなので、
そこを見て、そんで開店前の魚三に並ぶ、という
極楽スケジュールで臨んだのです。

早めに門前仲町について、最初に向かったのは富岡八幡宮。
この周囲には、八幡堀(別名・数矢堀)が張り巡らされていました。
「江東区の川(堀)・道・乗り物の変遷と人々」江東区教育委員会(H22年12月)
によると八幡堀とは、
油堀の支川として富岡八幡宮と永代寺を囲む堀で、
開削は寛永11年(1698)とのこと。
…でもなあ、寛永11年って1634年だからなあ…1698年だと元禄11年なんですよね…
どっちなんだろ。後述の「油堀川」の開削年を考慮すると、
たぶん元禄11年(1698)だと思います…
三十三間堂が八幡宮の東側に再建され、
その時の境界線の意味も含めて掘られたそうです。
さらにその後堀自体は昭和49年(1974)に埋め立てられてしまっています。

ふむふむ。
まずは八幡宮の正面あたりで堀跡を探してみます。
今回も手掛かりは東京時層地図。
あいかわらず3Gで接続できない&wifiも加入していない端末なので、
現代地図と見比べることができません。
(だけどこれがまた、答えがすぐにわからないパズルっぽくっていいw)
参道と垂直に堀が横切っているはずなのですが、
その交点が参道の奥なのか、
それとも参道の途中なのかも判別不能…。

観察を繰り返し、
おそらく、八幡宮の参道の真ん中へんを
堀が横切っていたのではないか、
と推察するに至りました。
参道の脇には、こんな構造物があり、
Imgp1671

Imgp1673

参道をはさんでちょうど反対側は
こんなふうになっていました。
Imgp1669

ここを、堀が通っていたのではないかと。

二つ前の写真から堀の続きを追いかけてみることにします。
その先は、ちょっと道に紛れてわかりづらくなります。
Imgp1675

この道を突き当たるとマンションの敷地になりますが、
そのマンションの中程でどうやら左に曲がって北上、
そしてここに到達します。
Imgp1684

八幡堀の跡が緑道になっているのです。

その緑道の半ばにかかっているのが
「八幡橋(もとの名は禅正橋)」です。
Imgp1686
この橋は、国の重要文化財。
もともと、明治11年(1878)東京府の依頼で
工部省赤羽製作所が作って、
最初は京橋区楓川に架けられました。
で、大正2年(1913)市区改正により新しい禅定橋が架けられたので、
こっちは元禅定橋と改称されたそうです。
しかし震災後の帝都復興計画によって廃橋。
そのあと昭和4年(1929)現在地に移され、
この名前になったとのことです。
紆余曲折の橋。
八幡堀の元水面から、
橋裏を眺めまわしてみます。
Imgp1692

以外と単純な構造のようですが、
それが却って美しい。

なぜかこの橋の下一帯は猫だまりにもなっていました。
Imgp1687
しかもほとんどがすりすり猫です。
Imgp1688
完全無抵抗主義で、なでり放題。
猫不足を充電できます。

さらにその先には、緑道横に「旧新田(にった)橋」という
橋もお役目を終えて展示(?)されていました。
Imgp1696

大横川にかつ架かっていた橋でm
「木場の赤ひげ先生」と慕われた新田さんというお医者さんが、
不慮の事故で亡くなった奥さんの慰霊の意をこめて、
近所の皆さんと協力して昭和7年にい架けた、という橋だそうです。

首都高の下に突き当たって、短い緑道は終わります。
Imgp1699

さて実はこの首都高下にも八幡堀に繋がっていた堀がありました。
それが油堀川。前出の資料からかいつまんでご紹介すると、
油堀川は墨田区東岸沿い、下之橋から木場に至る運河です。
現在の佐賀町、福住町の両岸には特に油問屋が多く、
緑橋の南西には油商人会所もあったので、
油堀河岸とか油堀と称されたそうです。
開削は元禄12年(1699)で、
かかっていた橋は下之橋、千鳥橋、富岡橋、永居橋。
それから資料にはなかったですが和倉橋という橋も。
川は1970年半ばまで残っていましたが、
残念ながら1974年埋め立てられてしまったとのこと。
1980年にはその上に首都高9号線が開通しています。
堀を、首都高が蓋してるような恰好になっているわけですね。
油堀川の水面から橋裏を眺めます。
Imgp1700
うーん、なんか歴史を知ると、
どこか厳かというか、少々哀しい感じさえしてしまいます。
この東西に流れる川を西(門前仲町駅方面)に辿っていく前に
ちょっと寄り道。

どうも八幡堀が油堀川に合流する反対側にも、
別の堀があったようです。
それが武田堀。
Imgp1703
写真を奥に進んでいく堀で、いまは細長い公園になってます。
東京時層地図で確認すると、
戦前にはこの堀の先に養魚場があったようです。
っつか、この辺りから東にかけてはまさに「木場」で、
昭和30年代の地図でも堀や貯木池だらけです。
いまではすっかり埋め立てられていますが。

油堀川に戻って、再び水面から首都高の橋裏を眺めて歩きます。
Imgp1707

西に向かうと、和倉橋の親柱。

Imgp1708
この辺りの旧地名は「深川和倉町」。橋は昭和4年に架けられたそうです。
それ以前は「わくらの渡し」という渡し船が通っていたんですって。

油堀川につながる小さな暗渠。
アブアブ赤札堂の裏側に一本ありました。
Imgp1713

その先、清澄通りに掛かっていたのが富岡橋。
Imgp1729
この先まで遡ってみたいところですが、魚三の開店もあるので;;;
引き返してはじめの八幡堀をもうすこし巡ります。
深川公園のなかを突っ切るように八幡堀は通っていたのですね。
Imgp1718

そしてこうまっすぐ行って、富岡八幡宮、
今回のスタート地点へと繋がって行きます。
Imgp1724

ってことでもう15時半。
魚三酒場開店待ちの行列に加わります。
すでに70人は並んでました。
入れるかなーと心配でしたが3階まであるので余裕余裕。
明るいうちから、おいしい魚とビールと酒で乾杯。
うまかった。
あ、写真があんまりうまく撮れなかったのですが、
奥は鰻でございます。
Imgp1728

今回も比較的短く単純なエリアだったので、
ANGLEの分析はナシでいきます。
行程はこちら。

より大きな地図で 油堀川と八幡堀 を表示

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