« 暗渠ハンター 谷戸川のこと③かつて背中合わせに流れてた川 | トップページ | 暗渠ハンター 不入斗新井宿村用水・平和島あたりで暗渠とボートレース場と昼ビール »

暗渠ハンター 不入斗に残る澤田橋の親柱

不入斗。
つい2年ほど前まではこれ、読めませんでした。
不入斗新井宿村用水、この存在を知って初めて、
「いりやまず」と知りました。
試しにPCで いりやまず で変換すると、
いとも簡単に出てきます。

大田区にあった旧地名がこの不入斗。
1889年以前には不入斗村という村があり、
その後入新井村不入斗、という大字が残り、
1932年の大森区の時にはすでに入新井1~6丁目と
改名されているようです。
そして現在の大森北1~6丁目と大森本町1丁目がその
不入斗。(参考web「wikipedia)

しかしこの字の意味は何なんでしょうね。
こんなサイトがありました。
歴史地名ジャーナル」さん。
いくつかの全国の「不入斗」地名とその由来が書かれています。
その他のwebをみてみても、
どうやら年貢が免ぜられてるところ、といったような意味が
あるようです。
だとしたらなんでここが?この大森近辺が?
という疑問は残るのですが、これはおいおい調べてみることにします。

駅でいえば京急線・大森海岸、平和島あたり。
大森海岸といえば、元の三業地。
最近読んだ「東京花街・粋な街」(上村敏彦)によると、
この花街は昭和初期にできた、
いわゆる伝統的な浅草や神田や新橋なんかとはちがった、
「新興」の花街です。
そのためか、終戦直後はRAA(特殊慰安施設協会)が置かれ、
哀しい歴史にも彩られてしまいました。

そんな土地に残るのが不入斗新井宿村用水です。
このあと断続的にその暗渠をご紹介しますが、
今回は環七に堂々と残る澤田橋の親柱を。
大森北6丁目と、大森西2丁目の境目。

ただし、東のほうからじゅわーっと網の目のように
こちらにやってくる六郷用水北堀と、不入斗新井宿村用水と
かなり境目のあたりに位置しているので
実際にかかっていた水路がどちらなのか、
は怪しいところです。(調査不足ですみません;;;)

環七を挟んであっちがわとこっち側に、合計4本が健在。
Imgp0631

Imgp0630

Imgp0629

沢田という交差点のすぐそば。

|

« 暗渠ハンター 谷戸川のこと③かつて背中合わせに流れてた川 | トップページ | 暗渠ハンター 不入斗新井宿村用水・平和島あたりで暗渠とボートレース場と昼ビール »

2060 ・・・用水・上水など水路系」カテゴリの記事

コメント

いやー、すごいですね。
いいですね。橋跡。
「撤去が面倒だから残ってる」みたいな感じがいいですね。
下町の橋跡めぐり、みたいなことも1回やってみたいな。

投稿: 猫またぎ | 2011年7月15日 (金) 18時13分

猫またぎさん、いつぞやの「私の暗渠の萌えポイントベスト4」に
橋跡をランクされてましたものねw
ここはかなり威風堂々と町の歴史を誇るように残ってました。
見てる方もなんか背筋が伸びるような風景でしたよ。

投稿: lotus62 | 2011年7月15日 (金) 18時21分

こんにちは!

近所の記事でしたので、思わずコメントしてしまいました。
不入斗を読める人は少ないんですが、今でも商店の屋号などに残っています。
たしか、千葉県姉ヶ崎の海側にも、不入斗と呼ばれる所があったようですね。
澤田橋のあたりを通るたびに、昔の川の流れを想像していました。
このあたりは、運河を埋めた跡も沢山あるんですよ。
オリンピックで首都高を作るまで、海苔の漁場でしたから、
家の近くまで、海苔船を引きこむための運河でした。
そういえば私が小学生だった昔、大森海岸の三業地の入り口に、
アーチ形の大きな看板がかかっていましたね。
たしか、「大井三行地入り口」とかなんとか。
その「三行地」という言葉が分からなくて、
バスの中で母に「三行って何?」と大きな声できいて叱られたのを思い出しました。
これからも、興味深い記事を楽しみにしております。

投稿: Unit fun | 2011年7月17日 (日) 17時47分

追伸:字を打ち間違えてしまいました。
「三業地」ですよね。
失礼しましたcoldsweats01sweat01dash

投稿: Unit fun | 2011年7月17日 (日) 22時55分

Unit fun さん
はじめまして。コメントどうもありがとうございます!
すごい!昔のリアルなお話を教えていただけるのがとてもうれしいです。
こんなある種「後追い記事」ばかり書いているので、当時のお話はとても貴重でありがたいです。
今でも大田区の資料などあさると「海苔」のことがたくさん出てきますが、
ほんのちょっと前のことだったんですよね。
三業地という記述もあちこちで見かけはするものの、
当時のみなさんがどんな風にその言葉を使っていたか、
どんなニュアンス・背景が込められているのかはもはや後追いでは知ることができません。
そういう意味でとてもリアルなエピソードですね。
たいへん興味深いです。
どうぞ今後とも、お気軽にコメントをお寄せいただけるとありがたいです。

投稿: lotus62 | 2011年7月19日 (火) 09時30分

世田谷の川探検隊さんのサイトを改めて拝見していたら、この澤田橋、載ってましたね。
勝手にアドレスを引用させていただくと、
http://tanken.life.coocan.jp/setagaya/takishitabashi.html

六郷用水北堀の方の橋だそうです。

投稿: 猫またぎ | 2011年8月 1日 (月) 18時53分

ほんとだ、六郷用水北堀のところに記事にありました!
そっかこちらは北堀にかかっていたんだ…。
さすが大先輩、ほんとにいろいろご存知ですよねえ。

投稿: lotus62 | 2011年8月 2日 (火) 09時52分

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.f.cocolog-nifty.com/t/trackback/156279/40537090

この記事へのトラックバック一覧です: 暗渠ハンター 不入斗に残る澤田橋の親柱:

« 暗渠ハンター 谷戸川のこと③かつて背中合わせに流れてた川 | トップページ | 暗渠ハンター 不入斗新井宿村用水・平和島あたりで暗渠とボートレース場と昼ビール »