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2011年4月

暗渠ハンター 目黒川三菱支流(仮)の蓋暗渠

「ぶらり品川用水のたび」の連載中ですが、
ごめんなさい、一回だけ別のトピック挿入させてください。
いえ、先日偶然見つけた蓋暗渠があったもんだから、
どうしてもそれを早くご紹介したくて。

場所は、目黒川の上流。
246(つまり池尻大橋駅あたり)と交わって以南の目黒川は
深ーいコンクリート護岸の開渠になりますが、
246より上流は暗渠。
その上を落合水再生センターから流れてくる水を使って
小さなせせらぎが作られています。
246からすぐ上流のあたりは、
特に地域の方が力を入れているらしく、春ともなれば
せせらぎの周りにはたくさんの種類の花に彩られ、
凄まじく美しい庭のようになります。
…いちいち植物の名前を書いてくださるプレートもあって、
これは大変勉強になります。

これまでこの道を通るときは、
たいていこのせせらぎや花やプレートや
カモやザリガニに目が行ってしまっていました。
つまり見るとこ満載なわけです、この区間は。

なのでなのかどうかわからんですが、
今まで目に入らなかったけど
246のすぐ北側に
しっかり支流蓋暗渠が残っていたのを見つけた時の
驚き(やっぱり蓋暗渠はうれしい、しかもこんなところで!)
や哀しみ(何度も何度もこの川沿い通ってるのに気付かないというボンクラ!)
といったらもうアナタ!

というわけで早速ご紹介を。
この日は、
一人缶ビールの飲みながら目黒川の葉桜を
鑑賞しておりました。
いやー桜の頃って目黒川は笑っちゃうくらい混雑してるでしょ、
中目黒あたりはお店がたくさんできちゃったから桜のあとでも
結構人通りが多くてアレなんですけどね。
そでも、目黒川も山手通りを越えて北側にいくと、
かなり落ち着くんですよね。
川沿いには小さなベンチもあるし…。
ほらこんな景色が静かに楽しめます。
Imgp0177

しばし葉桜酒を楽しんだ後、
さらに上流をめざし246を越え
目黒川を北に2~300m進むと、左に突然現れる小道と段差。
この段差上の敷地は、三菱電機系の事務所や寮などが
まとまって入っている「三菱領土」となっています。
Imgp0178

むむ・・。これはなんかあるかも。
入っていきましょう。
Imgp0180

確かに支流ぽいけどね、
まあこういうのは川に向かってよくある道でもあるよね、
決め手にかけるよね、なんて思いながら進むと…。

キタ…。

Imgp0181

いきなり始まる蓋暗渠。
住所は池尻3丁目の10。
まったく予想外の展開に小躍り。

もっと近づいてみましょう!
Imgp0183

どうもこの素材は、もう少し上流(北沢川)の、
溝が谷からきて淡島湯の横を通る蓋暗渠と同じ素材のようです。

ゆるく曲がって奥に続きます。
この曲がり感とか、そもそも蓋暗渠とか、
蓋パラダイスの杉並区あたりや
世田谷区の西部あたりでは全く珍しくないいでしょうけど
世田谷区のこの辺、目黒区との境のあたりでは
大変貴重です。
Imgp0184

カオスな低い護岸も見ごたえがあります。
Imgp0186

こっちはU字溝が突き出ていたり。
Imgp0185

蓋暗渠は短い区間で終わり、
このカオス護岸の途中から
コンクリで塗られていました。

そしてすぐに車道とぶつかります。
車道から振り返ってみましょう。
Imgp0188

いやー、短いけどいい蓋暗渠でしたー。
なんか、蓋をとればそこに暗渠が、流れが…
って思うと
すごく川跡を生々しく感じてしまうんですよねー。
そこが蓋暗渠のいいところなのかも。

さてこの先上流は?
南のほうに尾根道があるので、
おそらくそこからまたはそこまでの中腹から
流が出ていたのでしょう。
車道の向こうには、ちょっと怪しい敷地が残っていましたが、
立ち入りできず。
Imgp0189

奥のほう、アップで。
Imgp0190

隣接の敷地から取って、ここは仮に
目黒川三菱支流
と名付けることにします。

付近には路地がたくさんあります。
きっと水路もたくさんあったはず。
目黒川とのつながりはわかりませんでしたが、
こんな道が結構ありますね。
Imgp0192

より大きな地図で 三宿付近の支流集 を表示

以上、臨時の蓋暗渠紹介コーナーでした。
次回はまた、「ぶらり品川用水のたび」をお送りします!!!

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暗渠ハンター ぶらり品川用水のたび①星薬科大横の水路と戸越銀座

さて前回まで三田用水を扱ってたので、
その流れでしばらく品川用水をやってみようかなと。

実は品川用水はとびとびでいくつか行ってるんですが、
今回は武蔵小山あたりから、
大崎あたりで目黒川に合流するところまで、数回に分けてご紹介します。

そもそも三鷹あたりから玉川上水の分水として流れ来、
千歳烏山から千歳船橋、農大の横をすり抜けて
桜新町を通り、学芸大から武蔵小山への流れくるこの用水は、
武蔵小山駅を過ぎたあたりで大きく二つに分かれて流れます。
ひとつが平塚橋をとおって戸越公園方面へ、
そしてもう一つは百反道路を通って大崎で目黒川へ。
今回は後者のルートを行き、
周辺の分水や湧水などもご紹介していきます。

また、途中では思わぬところでこの分岐がまた再合流していたり、
なんて場所もレポートしていきます。

しかしまあ今この導入文を書いてて改めて思いましたが、
ずいぶんダイナミックなところを流れてくる用水なんですね、
品川用水は。

水を遠くまで運ぶために人工的に尾根を利用して通した用水・上水。
そして尾根の間にできる谷戸に端を発し、
低いところに向かって谷を削りながら流れていく自然河川。
よくこの二つは動脈と静脈みたいにたとえられる密接な関係。

品川用水の流路でも、そのすぐそばから流れ出る川がたくさんあります。
水無川(中川)、丸子川谷沢川烏山川蛇崩川
呑川の深沢支流柿の木坂支流羅漢寺川
桐ケ谷川(仮称)、などなど。

これら水源に用水からの落ち水があったかどうかは
改めて検証が必要ですが、
地形から言ってもやはりどこかでなにがしかの「流入」があっても
不思議ではないと考えます。

…真偽のほどは後々の検証に譲るとしても、
こんな城南・城東の主要河川の間を縫うようにして流れていること自体
ある種の感動を覚えてしまいます。
じーん。

そういえば初めて「川(用水)と銭湯の位置関係」を
プロットしたのも
品川用水だったなあ。

・・・・・・・・・・

前置きが長くなってしまいました。
そんでは、今回のスタートはここ。
以前桐ケ谷川の時にもご紹介した、
武蔵小山駅南にある分岐点、
朝日地蔵前にあるマンション「ハイム・ジゾー」wから。

Imgp7946

こっからまっすぐ自転車で荏原方面に抜けるつもりでした。
ところが…。
途中ですれ違った見ず知らずの自転車の人のポケットから、
ぱたん、っと大きな音を立ててケータイが落ちるのを
見てしまったんです。
怖いですねえ、
その人、イヤホンで音楽聴きながら自転車に乗っているもんだから
そんな自分の音にも気が付かず…。
それに片耳だけならいざ知らず、
自転車で両耳ふさいで運転ってやっぱ危ないと思う…。
自転車って身軽だけどそのぶん無防備ですからねー。

で、そんな状況をほっとくわけにもいかず、
すれ違った後Uターン、落ちてるケータイ拾って、
結構なスピードで反対方向に走り去る持ち主の自転車を追いかけました。
もー。世話が焼けるw
持ち主は脇の路地に入っていきます。
大声を出しても無駄だろうから、
私は必死に立ちこぎで追いつくしかない。

ひーこらしながらやっと追いつき、息も絶え絶えに
「これ落としましたよ」と声をかけたら、
(だれやねんこいつ!)的な顔から一瞬にして
(あらま!ほんとだこりゃびっくり!)的な顔に変わり
ひとことお礼のことばをいただきました。

ふう、ひと仕事でしたな。
でももうちょっと感激してくれてもいいだろうになあ
などと自己中心的な感想が湧いてくるのを
理性でおさえつつまわりをよく見ると、
「これ暗渠じゃね?」的な光景が広がっているではありませんか!
おわ、むしろこっちが感謝でしたね。
Imgp7949

荏原2丁目5のあたり。
Imgp7948

どうも短い用水路または生活排水の跡のようでした。
Imgp7952_2

並行して3本くらいあって、ちょっとした
(ある意味)にぎやかさのある暗渠銀座的たたずまい。
…まあこれをして「にぎやか」とは、
暗渠マニアくらいしか言わないと思うけど。

こりゃ予定外の収穫です。

予定外の収穫はもうひとつありました。
以下は、はやばやと載せる今回シリーズの行程。

より大きな地図で 品川用水・朝日地蔵から を表示

メインでたどろうと思っていたのは、
左から右にほぼ地図上水平に流れる
品川用水なのですが、
実は星薬科大学の北のはじから始まる
へんな形の水路を発見。
それがこれです。
Imgp7953

Imgp7954

星薬科大の塀に沿って車道より1mほど高いところに
「歩道」が。
よくみりゃこの歩道、蓋がされている水路であると気づきます。
歩道はしばらく続いたあとは車道と同じ高さになりますが、

Imgp7959

ある地点で唐突に終わってしまします。

Imgp7960

このときは予習不足で
???なんじゃこれ???
という感じだったのですが、
帰ってから「関東中世水田の研究」(日本経済評論社 高島緑雄 著)という資料を
ひもといてみると、
ここも分水が通っていたらしいです。
そればかりか、
朝日地蔵のところで一旦別れたもう一本の品川用水の分水と合わせて
真ん中へんでくっついていたらしいんです。
そしてそのくっついてるところ、
上の地図では「荏原保健センター」のあたりが
池になっていた!とあります。

現在の中原街道のすぐ北側に旧中原街道が走っているんですが、
この古道をよく見るとちょうど「荏原保健センター」あたりで
曲がっています。
これがその池を迂回した跡!なんとー!!

さらにあろうことか…。
この池が水源となり、中原街道を挟んで向こうにまっすぐに続く
戸越銀座の谷を刻んだらしいのです!
(尤も戸越銀座の谷は今はまっすぐですが、
昔はもうちょっとよたって流れていて、
商店街を整備する時に今みたいにまっすぐに道を通したとのこと)
おおお。

そうだったのかー。
戸越銀座を取り上げた時の記事末尾に追記しておきましたが、
この資料に行きあたったときは
ほんと感動しましたー。

あ、結構文字数いっちゃったんで、
今日はこのくらいで。
次回もお楽しみに!

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暗渠ハンター 三田用水・川沿い観光

前回までは、白金台からくる三田用水が
三田に通じるために高輪台(旧・猿町)でぐぐっとカーブをする、
その高輪台から南に延びる谷を「猿町川」と名付け
それを追ってきました。

今回はせっかくですから(<何がせっかくやねん)、
三田用水の水路跡の風景を西に東にご紹介していきましょう。
あんまし暗渠っぽい写真はないですからね、がっかりしないでくださいね。

まずは高輪台からいったん東のほうに進み、
高輪プリンスの手前を北に曲がります。
この尾根道。
少々行くと右岸に高輪消防署二本榎出張所のレトロな建物。
Imgp8768

昭和8年の落成ですって。78歳ですねー。
3階建ですが、ここは結構な尾根道の高台にあるので、
昔は海がよく見えたそうです。

その裏手には銭湯がありました。
高輪浴場。
Imgp8769

なんか奥のボイラにつながるところは
すごくがさつでいい雰囲気です。
Imgp8772

北に進みます。

なんかものすごいコントラストの中華料理店。
Imgp8777

なんか上の緑と下の橙が
夜になると「陰陽図」みたいにゆるく回転して、
自家発電でもできるんじゃないだろうかと思うくらいすごい。

そしてこれは…
元竜宮城w?
Imgp8778

その近くには生活排水路の跡でしょうかね。
Imgp8779

そして「とらや」。
wikiってみたらあの「とらや」とは全然別なんですって。
懐中汁粉が有名らしいです。
しかしこんな建物だとなんだか餡子、うまそーですよねw
Imgp8781

尾根から東京湾方面にはいくつも下り階段。
Imgp8783 尾根の東、崖下には国道1号線が走ります。
いつかnamaさんがレポートされていた
「港区オフィス街湧水群」
の後半は、
まさにこの三田用水の尾根の東に現れる湧水ですね。

さてこんどはもう一度高輪台にもどって、
三田用水を上流方向にすこし辿ってみましょう。
高輪台の交差点から、
この道を入って行きます。
Imgp8047

おお、さっそく暗渠サインの洗濯屋さんが登場。
Imgp8058

三田用水流路脇にある、今里地蔵さま。
Imgp8061

もう暗渠マニアにとってはかなりの有名処かも。
そのくせ私は去年の年末に
ようやく現地に行くことができましたが;;;

そうそう、実はこのあたりに昔「般若苑」という、
結婚式場がありましたっけ。
(正確には「料亭」、だそうです;;;)
由緒あるところだったんですね。
私も一度だけ、2004年だったかな、中に入ったことがありました。
後輩の結婚式で。
こんなところにこんな広くて美しい庭園があるなんて
全然知らなかったので、驚きました
起伏豊かな広い芝生の中に何棟かの
建物も古い平屋で、すごく素敵な場所でした。
いつかまた来てみたいなあと思っていたのですが、
もう取り壊され、
こんな姿になっておりました。
Imgp8065

マンション建設ちう。
扉の隙間から覗いてみても、もはやあの頃の
優美な姿はありません。
Imgp8066

さてちょっと今里地蔵さんのところまでまた戻って、
三田用水に沿って上流に行ってみましょう。

これは見事な遺構です。
よくぞ残してくれた。
以前namaさんが「きょうだい暗渠さんぽ」で書いてたとこですね。
Imgp8068_2

そしてどうにも忌々しい落書きをされてしまった今里橋を過ぎていきます。
Imgp8075

さてここからはすとーんと割愛し、
淡島通りから駒場東大前裏あたりをご紹介しておしまいにしましょう。

青葉台を抜け、246からさらに北上すると
淡島通りと交差します。淡島通りから上流方面を見るとこれ。
Imgp8091

道が二つありますが、
「三田用水はそのどちらでもなく、
この真ん中に立っている家の下」という説を
どこかで見たことがあったような…。
2011.4.25追記:この説は「世田谷の川探検隊」さまより。

しかし下水道台帳を見ると、
(あくまで現代の下水道は)この家の右側を通っていきます。

そしていつしか東大横の山手通りに。
数年前の工事でずいぶん取り壊されましたが、
かろうじて水路が残っています。
Imgp8671

Imgp8672

さて、「三田用水観光」はこれにておしまい。

最後に、「紹介して混雑するとやだから」
というちっちゃい理由で今まで黙ってた
(<たいした影響力ないくせにw)
とっておきのラーメン屋さんをご紹介します。
東大裏の小さなお店、「ラーメンY手」。
Imgp8674

ここは本当にうまい。
私のラーメン味原器です。
ほとんどラーメンに興味がなかった10年前、
ここのしょうゆ味を食べて
「こんなにうまいのか、ラーメンって!!!」と
開眼させてくれました。
特に麺を固めで注文すると、その凄さがわかります。
まるでペペロンチーノを食べてる感覚で、
もうしばらく通いました。

残念ながら2005年ころかな、
「材料が入手できなくなった」とのことで、
このしょうゆ味は一旦メニューから外れましたが、
今は当時とは少々ちがった出汁でしょうゆ味が復活しています。
(これでもじゅうぶんうまいっす)

これだけうまいのに、
うれしいことになぜかあまりマスコミに取り上げられていません。
…みんなここだけは誰にも知られずに
自分だけのものにしておきたいんじゃないだろうか、
なんて勘ぐってしまいます。
近所に住む堺正章さんや、SMAPのN居さんなんかも
よく見かけた、と2ちゃんで読んだことがありますw
そうそう、最近は本郷にも支店?ができました。

ちなみに近くにはまた別の味わいでうまい「砦ラーメン」があります。
実はこのへんってラーメンレベル相当高いんではないか、
と常々思っております。

より大きな地図で 猿町川と三田用水後半 を表示

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暗渠ハンター 三田用水の果て・猿町川(仮)③川のはじまりと三田用水

シリーズ最後の回は、
追いかけてきた猿町川(仮)を外れて
島津山の反対側にある池跡をさがしに行き、
そんで「三田用水のヘアピンカーブ」の南側にある
猿町川の谷頭付近に戻る、という行程となります。

前回は、島津山の台地に登りつつ
そこから猿町川の谷を眺めましたが、
いったん猿町川から離れて島津山の反対側をうろつくことにします。
もうこの谷に沿った道がないのと、
じつはその島津山の反対側(西側)には、
明治期の地図を見ると小さな池が描かれていたから。
もちろん現代の地図からは消えています。

前回の最後の写真の地点から、
寿昌寺というお寺さんの裏道を抜けて
山の反対側に抜けることができます。

こんな細い道をくねくね行くんですが、
ここって結構味のある道です。
Imgp9163

…ん?確証はないですが、
このガードレールに守られた向こう側には
水路っぽい跡がありますね…。

突き当りの角を曲がるとこんな。
Imgp9164

うん、そもそもここ車も通れないくらいに狭いのに、
このガードレールはあり得ないでしょうw
ということで、元水路ってことで。

その先は一旦水路跡が途切れますが、
島津山の「分水嶺」を越えたあたりで
こんな路地が続きます。
Imgp9167

すごい美しいカーブ!
下水道台帳を見てもこのあたりは
地下合流管が配されていないので、
近くの大きな道の下の下水道管までの
「つなぎ」としてこれらが機能しているのかもしれません。
とすれば、これってもともとU字溝かなんかの上を
コンクリで塗り固めたり蓋をしただけの
簡易合流管暗渠、なんでしょうね。
Imgp9168

この寿昌寺、そしてこの南の突端に広がる
清泉女子大は、ほぼ島津山のてっぺんにあります。
清泉女子大の裏にある長い階段を下りて
山の中腹に向かいます。
Imgp9172

すごい落差の大きい、長い階段でした。
池跡は、どちらかというとこの山の中腹に
位置していたようです。
しかしなかなか池跡がわからずに、
結局一番下の窪地にまで来てしまいました。
Imgp9176

でもここはここで、川跡のようです。
そう、以前レポしたこれの
上から2番目の大きな写真。このトンネルの先が
この道です。
確かに古い地図を見ると、流れが描かれてあります。
おおー、一年越しで脳内地図がつながったっす。
ちょっと気持ちいいw

中腹まで戻ってもう一度池跡を探します。

持っている資料からは、
どうもこのあたり。
Imgp9182

ですが痕跡はもはや全くありません。
この、道路縁石の苔だけが
「いまだ地下から萌え上がってくる湿気」を
暗示しています。

遠くから池跡っぽいあたりを見ると、
たしかに凹んでるんだよなー。
それにしても、山の裾野に池、なら話はわかりやすいですが
どうしてここは山の「中腹」にあるのでしょうね。
中腹から湧いた水を湛えていたのか、
島津屋敷の庭の池として造られたのか…
まあいずれにしても今回は、時間と能力の関係で
突き詰めることはしませんがw

どうも期待よかはるかに低いレベルの探索に終わってしまいました。
気を取り直して、
本筋である猿町川の谷頭付近を見に行きましょう。

猿町川の谷は、あとはここから見下ろすことができます。
Imgp9187

かなりわかりづらい写真ですが、
この左から右に猿町川の谷が形成されています。
ここは実は本立寺というお寺さんの
墓地からの眺め。
写真にはほんとは卒塔婆が写りこんでいたのですが、
無断で掲載は失礼かと思いトリミングしたら、
上のようなちょっとヘンな縦横比になってしまいました。

あちこちから谷をのぞいてみましたが、
なかなか写真ではうまく伝えられないけど
相当な深い谷が刻まれています。
Imgp9190

ここから、谷頭を越えて高台ととなる
国道一号線まではもう100mあるかないかです。
そう、もう一号線からすぐにずどんと谷になる感じ。

その谷頭にあたるのが、
この袖ヶ崎神社近辺。裏は見えませんが
断崖みたいになっているはず。
Imgp9194

こじんまりとした境内に手水がありましたが、
まさかこれ湧水ではないよね…w?
Imgp9195

でも地形的にはこの辺から水が湧いていたんでしょうなあ。

では一方で、三田用水との関係はどうか。

明治初期の古地図で見ると
この猿町川の谷頭と三田用水のヘアピン突端部分との間には
三角形の池が見えます。便宜上「三角池」と呼びましょう。
とても人工的な形でもあり、
おそらくこれは三田用水の落ち水を溜めておくための池だったのではないでしょうか。
そして、この池のさらに先で猿町川と合流していたと思います。

ちなみに三田用水のヘアピン部分が高輪台の交差点です。
三田用水は北の白金台方面からここへきて、
東のパシフィックホテル方面に大きく流れを変えていきますが、
北→南へと流れてもいたであろう痕跡はわずかに残っています。
これは、その高輪台交差点の写真。

Imgp8055

背が北。北から流れくる三田用水流路上で
南に向かって撮った景色です。

三田用水は真ん中の高層ビルの左をすり抜けて
品川方面へ続いていきますが、
この高層ビルの右側は…
こうなっています。
Imgp8048

おお、これぞ間違いなく水路跡!?
10数mでこの水路は民家に突き当たってしましますが、
その近辺を探ると、この急階段があって、
Imgp8053

その先すぐが件の三角池となります。
それがこのあたりです。
Imgp9196

凹んでます。とても。

実はこのあたり、会社の顧客の事務所があるので
6年前はずいーぶん通ったのですが、
まさかこんな楽しい場所だったとはつゆしらず…。

そうそう、楽しい場所といえば、
流路とは若干離れてしまいますが付近には
物流博物館」というとても楽しい場所もあります。
特に地下のジオラマと資料映像はすごい!
鉄の方だけでなく、港湾萌えの方!!
一日楽しめると思いますよーw

より大きな地図で 猿町川と三田用水後半 を表示

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暗渠ハンター 三田用水の果て・猿町川(仮)②城南五山のこと

前回の続きです。

この下池の裏からさらに谷を登ります。
Imgp9140

古地図では、この道からさらに西にある窪みに流れが変わるのですが、
そこには今は道がなく、遡れません。

それに、ちょっと面白そうなのですこしこの道を北上してみます。

この道には、品川方面の台地に上がるほうにいくつもの
個性的な階段があります。

これとか。
Imgp9145

こんなのも。
Imgp9146

これをちょっと上がってみましょう。
Imgp9147_2

古い雑な石で造られた階段。
味がありますね。
Imgp9149

なんか、歩いていると
古い童謡が聞えてきそうな感じの。

このあたりにはこんな階段が数本あるのですが、
これらのうちのひとつは松本泰生さんの「東京の階段」にも
取り上げられていました。

付近の掲示板を見ると、
どうやらこのへんは「袖が崎」と呼ばれた地名らしいです。
確かに地形図をみると、
いわゆる「サッ」。岬の形をしています。

さてここから猿町川の谷を、隣の台地、山から見下ろしてみましょう。
猿町横、西側には旧島津家のお屋敷・島津山があるのです。

ちょっと横道にそれますが、
この品川近辺には昔から「城南五山
と呼ばれる5つの山があります。

ひとつは五反田駅から近いところにある、
池田山(池田山公園でおなじみ)。
そしてその山手線際の花房山
そして、今日際をたどってきた御殿山。
さらに北品川のあたりにある八つ山。
そんで最後が、これらのまんなかへんに位置する島津山です。

1

ちょっとここで話題が逸れますが…。
上の「城南五山」。
ご覧のとおり池田山・花房山・御殿山・島津山は現地が特定でき
その山っぷりを確認できるのですが、
八つ山だけはそうはいきません。
江戸時代の東京湾埋め立てで
そのほとんどが削られてしまったからです。
ググってみても、山の現物が確認できないために
「あのへんです」「そのへんだろう」「ここですがな」と
いくつか説が入り乱れているようで、
私もどれを採用していいのか迷いました。
品川駅の南の、山手線に架かる2本の跨線橋は
「八つ山橋」「新八つ山橋」という名前ですし、
山手線に沿って五反田方面に抜ける通称ソニー通りには
八つ山の坂という名前の坂もあります。
でもこの坂なんて、モロ御殿山じゃん、という気もしますし…。

そこで、IVM法(invisible to vissible mapping)©lotus62 2011
という手法を使ってlotus説を作ってみましょう。

まあグーグルマップで、「八つ山」という名前がつく
公共施設・商業施設をプロットしてみて、
あぶりだしみたいにしてみるということなんですがw

大きな地図で見る

まあこれを見ると、今の北品川駅付近からその東北方面一帯、
というあたりなのでしょう。
(五反田方面に一か所商業施設がありますが、これは
「八つ山通り店」という道路名を冠したものなので除外します)
こう考えると、もしかしたら
「八つ山の坂」「八つ山橋」「新八つ山橋」という名前たちは、
八つ山に通じる坂とか橋、
という意味でつけられたものなのかもしれません。

以上、IVM法 ©lotus62 2011による失われた「八つ山」考でした。

これら5つの山、もともと名園を誇る大名屋敷で、
昔からのステータスの残る山、だそうです。

現在はこの島津山も、主には清泉女子大その他寺社仏閣や
多数の高級住宅地となっています。

さ、島津山にちょいと登って猿町川の谷を眺めてみると…

Imgp9158

この下が猿町川の谷。向こうが上流方向です。

そして下流方向はこちら。
Imgp9160

はるか向こうは目黒川…のはず。

実は事前に古地図を見ていたのですが、
この島津山の反対側には昔池があった模様です。
猿町川の流路を離れて(ってかあとはしばらく道がなくて
この谷を追えないので)、
その池の跡を見に行くことにしましょう。

次回最終回は、その寄り道の池から
三田用水のヘアピン部分までをご紹介します。

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暗渠ハンター 三田用水の果て・猿町川(仮)①小関通りから下池まで

三田用水。
ご存知、玉川上水・笹塚の南から分水し、
東北沢、東大駒場裏、西郷山公園、
槍が崎、目黒区三田、上大崎の尾根、そして高輪台を通り
さらにそこから最後にはヘアピンのように北上し
泉岳寺や芝を通って古川に抜ける「都市型」用水。
この、最後のヘアピンカーブの南には、
おそらくの三田用水からの落ち水も混ざっているであろう
と思われる(と勝手に思っている)流れがあります。

高輪台、古くは「猿町」と呼ばれたあたりから
南には、がくんと落差の大きい谷が伸びています。
ここに端を発し、やはり古くは「下池」と呼ばれた集落を通って
目黒川の内側を並行して走る小関通りに交差し、
そして目黒川に合流する。
今回は、これを仮に「猿町川」と呼び、
その暗渠を下流からたどってみることにします。
おおまかな地形はこちら。

1_2

まずはここ。
小関通りを居木橋から五反田方面に歩いていくと、
ほどなく左右に車止めが現れます。
左はこれ。
Imgp8000

このすぐ先で目黒川に合流します。
そして右がこれ。
クリーニング屋さん(!)の横にも暗渠が。
Imgp9114

これがこれから追いかける猿町川。
さあ、進んでいきましょう。
数十mいくといきなり90度左に曲がります。
曲がった先を見たのがこれ。
Imgp9115

「この先通り抜け困難」の看板が
密かな期待と喜びを盛り上げてくれますw

振り返るとこんな。
Imgp9116

さっきのクリーニング屋さん横の暗渠を
しっかりと車止めがガードしています。

お、足元には
真性の「おしくらマンホール」(北品川5-9-42)が!
Imgp9117

枠が老朽化して分かりずらいですが、
しっかり互いの輪郭を侵食しています。

遡っていくと、道の右手に過剰に守られた赤いアスファルト歩道。
これが猿町川の暗渠のようです。
Imgp9119

やがて右手には、御殿山小学校の敷地が。
切り立った護岸の上が小学校です。
Imgp9121

しかしかっこいい名前の小学校だなあ。
ここで、お子さんが目黒区油面(あぶらめん)小学校に通う
先輩の言葉を思い出しました。
「隣の鷹番小とかは『タカショウ』とか略称でかっこいいんだけど、
ウチは運動会の応援合戦とかで『アブラショー、ファイトー!』とか
いうんだぜぇ」
まあ、油小だって由緒ある名前なんですし、全然OKでしょ!
※油面という地名の由来は、この地でアブラナがたくさん採れたので、
江戸時代は年貢を米でなくて菜種油で免除してもらったことから、
との先輩の言。

猿町川は、この御殿山小学校の敷地の間を抜けていきます。
分断された小学校は、こんなふうに歩道橋で結ばれている…
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そういえば、以前ご紹介した「桐ケ谷川の後地小」もこんな歩道橋があったし、
ただいま記事準備中の第一日野小学校もこんな
「川をまたぐ歩道橋」で敷地を結ばれていたですね。
品川区の得意技なのかもしれませんね、
「川で区切られた敷地を歩道橋でつなぐ」のって。

お。小学校の敷地にはビオトープ。
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これはあんまり川とは関係ないのかな…。

川はソニーの敷地をすこしかすめて
北上します。
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そして山手通りをすぎたところが、
旧名「下池」。
その名前から、ほんとうに池があったのかと
ずいぶん調べましたが、
池の確証得られず。
ですがこのガソリンスタンドあたりは
周りから比べると低くなっていて、
ほんとうに池があったのではないかと思わせられます。
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では、この下池からさらに上流、高輪台までは次回で。

より大きな地図で 猿町川と三田用水後半 を表示

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暗渠ハンター 夢か幻か!?超レア物件「3連おしくらマンホール」

以前出井川については何度かレポートさせていただきました。
出井川きまぐれ漂流①アボカド公園と「前野町の支流」
出井川きまぐれ漂流②ちょっとだけスリバチハンター
出井川きまぐれ漂流③どうにもならない広い道暗渠
で、この出井川シリーズ初回でいただいたコメントで、
見次公園の近くに「さやの湯」というよさげなお風呂がある、
とえいはちさんから教えていただきました

なんやかやで疲れもどっぷり溜まってきたし、
たまにはふやけるほど風呂にでも浸かるか!
ってんで、ちょっと微妙な距離ではありましたが行ってきました!

最寄の駅は志村坂上なんですが、本蓮沼から歩いて
出井川沿いを西に歩きます。
しかしいつまでたっても「西に向かって下流へ」っつのは、
世田谷や目黒杉並の川をメインに相手にしてきた私には
軽く異和感がw

出井川上流は、南には常盤台あたりにつながる台地、
北には中山道の尾根の台地に挟まれる谷地形。
その谷の上つまり川の上を
高架で首都高速5号線が突き抜けています。

見次公園まであと少し、というところに、
北の大地から降りてくる細い細い暗渠がありました。
おおーなんかマンホールが見事に並んでる!
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ここは入ってみないといかんなーw

で、ビルとビルの奥へと入ってみますと…
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うわぁ!!!マンホールが3連で!

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もしかして「おしくら状」
(互いの外径を押しつぶしている崩壊状態)
だったらすごいことです。
私の暗渠探索生活そんな物件はかつてなかったし…
(っつてもまだたいして年月重ねてないけど)
さっそくそばに寄って判定を…
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すげえ。
見事に「おしくら状」になっています。
初めて見つけました、
珍種「3連おしくらマンホール」!
これはすごい!
前野町3-47-1。
前野という町名を見るたび
「井沢ー!」とか「サンチェー!!」とか
段ボール詰めの田中とか思い出してたんですが
(<稲中卓球部)、
これから私にとっての「前野町」は
稲中イメージ<おしくら珍種がある聖地
と大きな変化を遂げることでしょう。

興奮を抑えつつ、
少し先の見次公園の池まで進みます。
先日のレポートのときは気づきませんでしたが、
見次公園の池も中仙道側の台地の谷頭付近からは
多くの湧水ポイントがある模様。
フェンスに囲まれて物々しい雰囲気ではありますが、
最上流部分が確認できます。
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ただし、このあたりからの井戸水の水も
一緒になっての水源のようです。

谷頭から見渡す見次公園の池。
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きれいですね。

さてこのあとはそそくさと「さやの湯」でゆっくり。
風呂に入ってはお休みどころでサケ飲んで、
また入っては一杯、
と繰り返し、しばしリラックス。
標準の銭湯料金より高いので、
たくさんの種類のお風呂があります。
露天風呂は源泉かけ流し、とあるし、
その奥の薬草のミストサウナみたいなのも
すごく気持ちよかった…。

あ、えと、3連おしくらでずいぶん霞んでしまいましたが、
これを見つける前に出会った
「おしくらマンホールもどき」もご紹介しておきます。
3連物件の対岸のその名も「泉町」は物件豊富。

まずは泉町13のおしくらもどき。
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そして泉町19の。
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最後は泉町40。
特にこれは惜しいですね。
しかも
「半分舗装・半分未舗装&石畳バック」という
絶妙のロケーションだっただけに惜しい!
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前回レポートの出井川周辺地図に、
3連おしくらの位置を埋め込んだものがこちら。

より大きな地図で 出井川周辺 を表示

なお、これをきっかけ「おしくらマンホール」に
興味を持たれた方がいらっしゃれば(いないかw)
こちらの写真館もぜひどうぞw

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