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暗渠ハンター 開渠は続くよどこまでも!! 呑川・奥沢支流

前回、この地形図の下の「呑川 東玉川支流」をご紹介しましたが、
今回はこの上の「奥沢支流の谷」を。
いつもながらgoogle earthさん&「東京地形地図」さん、
どうもありがとうございます。

Photo

さて、東玉川支流を登り切ってまた呑川に戻り上流を行くと、
またまた大きめの合流口が見えました。
Imgp8340

やはりここから西の方面に行く支流の谷の始まりです。
前後してしまいまいたが、
この谷を縫う川、ここから奥沢付近まで遡ることになるので、
この支流を「呑川 奥沢支流」と呼ぶことにします。

合流口を素直にトレースして遡っていこうとすると、
こんな道になります。
Imgp8342

うーん、これでいいのか若干の不安が残りますね・・・。

でも大丈夫。
ほら、歩道が暗渠っぽくなってきました。
Imgp8344

ちょっと行くと奥沢公園。
Imgp8346

まっすぐの暗渠っぽい部分がここで消えますが、
たぶんここは右折でしょう。もうカンだけどw

たぶんこの道でよさげです。
あ、足元には「おしくらマンホール」が!

Imgp8348
なんか保護色みたいに道路に馴染んでいますが、
これは互いの外郭が交わっている「真性」ではないですか!!!
奥沢1-19-15にありました。

こんな暗渠道が続き、奥沢中学校の横を通り
突き当りをかくんと左に曲がります。
Imgp8350

ずんずん進んでいくと、奥沢1-30の角から左前に見えてくるのは・・・
Imgp8354

じゃーん!!!!
金網フェンスに囲まれた、蓋暗渠!!!!!
これまでの道から90度左にひん曲がります。
Imgp8355

これだけでもびっくりしたのですが、
この先10数m先でまた90度、こんどは右に曲がるのです。
それがなんと…開渠だー!!!
Imgp8356

このまっすぐっぷり!見事すぎます。
どこまでも永遠に続いていくかのようです。
マジしばらく見とれました・・・。
こんなところにこんな立派な開渠があったなんて!!!
ああーありがたいありがたい。自由が丘なんてもうすぐそこですよ、
そんなところによく残っていたもんだ;;;。

さきの蓋暗渠はこの写真の右のやつ。
Imgp8357

これが私の足元でかくんと曲がって見事な
直線はしご式開渠となっているわけです。
このまっすぐっぷりもすごいなあ。
住民のみなさん毎日こんなの見てるんだなあ。
かなーりうらやましいです。

このはしご式開渠は、奥沢3-22までまっすぐ続きます。
ここが開渠終点。
Imgp8363

この先は、微妙に蓋がされているんだか
あいてるんだかというマージナルな感じになります。
でもやっぱりまっすぐな「開渠感」は続きます。
なんか、川跡感が露わではないですか。
Imgp8365

その先、3-20と24の間で残念ながらこの「まっすぐ感」は終わります。
さっきの続きの3-20の方面はこれ。
Imgp8367

そしてその反対側3-24は、こう。
Imgp8368

これをまたまっすぐ追いかけていきますと。
Imgp8370

自由が丘~奥沢~雪が谷大塚を結ぶ自由通りにぶち当たります。
正面は行き止まり。城南信用金庫の敷地に入ってしまいます。
その入り口はこんなふうになっています。
Imgp8372

集金から帰ったと思しき銀行員さんがいらしたので、
「ここ、入ってもいいですか?」と尋ねてみましたが、
「いや、私にはなんとも・・・」というお答えだったので
すっぱりあきらめました。
数時間前に雷王さん(数回前の「立会川プリンセス支流」参照)から頂いた金言を胸に、節度を持って・・・w
(いえいえ、普段でもちゃんと節度は持ってますからねww)

と、ここで今来た道を振り返ると、
なんと対面には「テント工場」が!!!
Imgp8371

俊六さんがおっしゃっていた、
「暗渠沿いにはテント工場が多い」説を裏付けるものなのか!!??
さてさて、城南信用金庫の裏手にまわって見ましたが、
あいにく流路は見当たりません。
(この日は流路上にクルマが停まっていたのでわかりませんでしたが、
後日Google ストリートビューでみたら延長線上に流路跡あり)

さらに道の反対側にもそれと思しきものが見当たらなかったので、
付近探索。
一つとなりのブロックにあったのは、
松の湯という銭湯。
Imgp8374

うん、この前の道が流路だったのかもしれないなあ・・・。
じつはこの日辿れたのはこのあたりまででした。
まあ地形図であとから見ても、このへんが限界でしょう・・・。

ちなみにこの付近にあった、道端の堂々とした井戸。
Imgp8376

井戸に手を振られながら(というふうに見えたw)、
もと来た道を戻ってはしご式開渠を再び鑑賞し、
呑川に戻ります。

さて、後日手元の資料をあたってみました。
「関東中世水田の研究」(高島緑雄)という冊子によると、
・1877年の地図ではこのあたりに「下沼部村溜井」というのがあって、
それが奥沢を経由して呑川に向かっている。
・この溜井は目蒲線田園調布駅の
北150mあたりの線路敷き下に埋没している

としています。谷の存在と経路からいって、
ここで言っている呑川に向かう水路は、おそらく今日のこれ、
だと思われます。
しかしこの溜井の存在がどうにも????ですね・・・。
確かに田園調布の北に窪みはあるんですが、
これ呑川につながるにはひとつ尾根を越えなきゃなりませんよねえ・・・。
この資料、すっごく読み応えあっていい資料なんですが、
ということでちょっとここだけは私が読み違えかもしれませんが
腑に落ちずにおります・・・。

また、この支流の関連webをググってみたら、
やっぱり庵魚堂さんが世田谷の川探検隊にて、
詳しく触れられておりました。
私が追った上流に加えて実はもう一本、
この支流の上流の流れがあったそうです…。
わかんなかった…w。

より大きな地図で 呑川奥沢支流 を表示

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2042 ・・・呑川水系(それ以外)」カテゴリの記事

コメント

世田谷の川探検隊の奥沢支流のページ、ちっとも詳しくありません。初出のままほとんど更新しておらず、恐縮至極です。
奥沢界隈は一昨年、日参して絨毯探査をしました。信用金庫近くの民家の裏に開渠が残っていました。

田園調布の北にある窪みの件ですが、奥沢経由で呑川へというのは明らかな誤り。多摩川(の流路跡である谷)に落ちていきます。
一部流路も残っています。

投稿: 庵魚堂 | 2011年1月19日 (水) 18時03分

駅と銭湯の至近に古いテント工場。気にならずにいられない立地ですねー。。
テント製造業の製品は、新しいものではコインパーキングの料金箱の屋根、定番なところでは、運動会の休憩場所ですが、個人商店の軒先にはよく、カラフルなシマシマのテント式軒先がありますよね。あれも作っているのだと考えると、テント製造業は一種の染色業だとも考えられ、染色業はノリや染料を洗い流すために多量の水を使っていた、ていう仮説はどうでしょうか。

投稿: 俊六 | 2011年1月19日 (水) 18時38分

■庵魚堂さん
ローラー作戦、ですね。開渠があったんですか!
と、いま必死にストリートビューで卓上絨毯してみましたw
もしかして4丁目29のブロックを東西に横切っているやつ、でしょうか?
金網にさえぎられた細ーい隙間が確認できます(が、開渠かどうかこれでは判別がつきませんがw)
田園調布北の窪みも、やっぱり地形からして西に流れますよねえ?
しかしながら流路が残っているとは驚きです。
やはりこの確認かねて、このエリアにはリベンジが必要ですね・・・。貴重な情報どうもありがとうございました。

■俊六さん
>テント製造業は一種の染色業だとも考えられ
なるほどー!その仮説アリだと思います。一度テント工場に見学に行きたいところですねー!
私は「和傘を作る工程は水糊とか釉薬とかで上下水が不可欠だった」という前提仮説があって、
→「江戸時代の傘張り浪人家が時と共にテント工場と変化した」仮説を持っていましたが、
俊六さんの仮説の前ではまるで「風が吹けば桶屋が儲かる」的としか思えなくなってきましたw

投稿: lotus62 | 2011年1月19日 (水) 19時33分

この支流は、奥沢の駅前から谷状にへこんでいるのが良いのですよね。

テント会社には気づきませんでしたね。
アンテナ張ってないとなかなか気がつかないですね。

投稿: 猫またぎ | 2011年1月21日 (金) 10時15分

そうそう、地形図では地味な起伏なのですが、
やっぱ拡大してみたりするとはっきりしてるし、また現地に行って体感すると
おおーこれかー!なんて感激しますよね。

私も俊六さんに「テント屋説」をきかせていただくまでは全然スルーしていたと思いますw

投稿: lotus62 | 2011年1月24日 (月) 10時12分

こんにちは

目黒や世田谷などの暗渠を最近追い始めました。
こちらを参考にさせていただいております。
こちらの支流の上の城南信用金庫の脇あたりに現在は無くなっていますが弁天池と言うのがあったそうです。

世田谷 玉川村名所物語 奥沢の弁天池
http://marukokawa.exblog.jp/6867952/
こちらが元水源かもしれませんね。

投稿: くまちゃん | 2011年4月28日 (木) 23時56分

くまちゃんさん、コメントありがとうございます!
どうぞこれからもよろしくお願いいたします。
弁天池情報、どうもありがとうございました。
これは全然知りませんでした、すごくありがたいです。
これを参考にさせていただいて「奥沢」「弁天池」でググってみました。
なるほどーこれは水源間違いなさそうですね!!!
おかげさまで霧が晴れたような気持ちです!

投稿: lotus62 | 2011年4月30日 (土) 08時19分

初めまして、こんにちは。
小さい頃から何となく暗渠(当時は暗渠という言葉は知りませんでしたが)的なものに惹かれると思ってましたが、きょうこのサイトをはじめて訪れて「自分は暗渠が好きなんだ!」ということを確信しました。
興奮しながら記事を拝見しています。

この「呑川・奥沢支流」の記事の始めにある合流口近くに住んでいますが、合流口から公園までの道が開渠だった頃の写真を、最近母親に見せてもらいました。
しかしこの暗渠をさかのぼると今でも開渠になっているところがあるんですね。
全く知りませんでした。
週末休みは早速歩いて見に行ってきます。

投稿: あきたろう | 2016年8月12日 (金) 17時23分

あきたろうさん。
コメントありがとうございます。
そんなあきたろうさんの覚醒にお付き合いできたこと、とても光栄に思います。
昔の写真もお持ちとのこと、羨ましい限りです。
お住いの辺りは、思わぬ場所に開渠や蓋暗渠がかおをだす、とても興味深いエリアです。これまた羨ましい限りなのですが、ぜひそこであきたろうさんの素敵な暗渠ライフを開花して頂ければと思います!
どうぞ今後ともよろしくお願いいたします。

投稿: lotus62 | 2016年8月14日 (日) 22時44分

はじめまして。

川は
城南信用金庫の敷地内から
直角に「南」に伸びており(一部暗渠ではなく川が露呈)
奥沢3丁目30番地内を
奥沢銀座商店街と並行して
南進して途中で完全に建物の下に潜り消えてしまいます。(マンション・プラウド奥沢で消えてる)
30年前で水量は雨の時以外、殆ど流れてませんでした。
また
水源地は、よくわかりませんでした。
少なくとも「旧弁天池」が水源ではありません。
旧弁天池は、信用金庫の北の「入船寿司」のそばに有った池(とっくに埋め立てられて存在しない)なので。
多分、川は奥沢3丁目13番地以南に由来すると思われます。

奥沢のこの辺は地下を掘ると
すぐに地下水が湧いて来ます。
ポンプで何日か放水しないといけない場所(工事泣かせ)なので
昔から、「水を逃がすため」か
「農業用水路がそのまま生き残った物」かもしれません。
また、下水道では有りませんでした。
(水量が少ないので汚い川でしたがw)

私がなぜ詳しいかというと
家の敷地内に暗渠があったからです。

懐かしいのでコメントしてしまいました。
お節介申し訳ありませんでした。
m(_ _)m

投稿: 奥沢小学校卒業 | 2019年6月10日 (月) 13時46分

奥沢小学校卒業さま
コメント頂きましてどうもありがとうございました。
古い記事で、メンテもしてなくて申し訳ありません。こんなところに貴重な情報をお寄せいただき、感謝申し上げます。
その後何度か現地に行き、南への流れはなんとか確認はできました。
しかし雨後の当時の様子など、地元の方でしかわかりえないたいへん貴重な証言・・・。どうもありがとうございます!
こちらのブログは引っ越しまして、最近はこちらで細々と書いております。
http://lotus62ankyo.blog.jp/
よろしければ、こちらでもお付き合いくださいませ。
今後ともよろしくお願いいたします。

投稿: lotus62 | 2019年6月10日 (月) 18時52分

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