暗渠ハンター 川崎の高山団地へ①プロローグ
なんか地形がおもしろそうなのと、
どこかそこはかとなく親しみがある地名だったので前から気になっていたところ。
川崎市宮前区の「高山地区」。
まずは地形図をご覧ください。
(楕円のマルのところは次回以降でご紹介します)
町名では「平」というのですが昔の字名が高山というらしい。
まさに名の通り高い山なのですが、
このあたりは多摩区と隣り合ってたくさんの尾根や谷戸があるところです。
しかしいまは「高山団地」という昭和の香りが充満する団地のの名前や
自治会の名前に「高山」がのこるだけになっています。
いつか行こう!とおもってはいたのですが、
何しろアクセスが悪い・・・。
田園都市線で梶が谷とか溝の口とか行って、
1日に数本のバスに乗って(多少誇張してます)・・・みたいなところなんです。
そんで、たまたま先日ちょっとだけレンタカーを借りる用事があったので、
そのついでに「よし!今日がチャンス!!」とばかりに行ってまいりました。
電車とバスではそんな難儀なアクセスですが、
クルマだと気が抜けるほどあっさり到着。
登戸・向ヶ丘遊園あたりから生田緑地を南に降りたら
もうそこが平。
高山地区は、生田緑地の南斜面、ってことなります(これも多少の誇張あり)。
高山団地に行くには、
ここから改めて違う道を通って生田緑地(や向ヶ丘遊園)方面の斜面を登ります。
以前行った別の高山地区(三鷹市の牟礼分水のあたり)とはえらい違いです。
この山の上にある大規模な団地が高山団地です。
もうこのレトロさ・周囲と隔絶された時間止まった感からして、
きっと団地マニアの方にはちょっとした名所になっているかも知れません。
この石畳の上で、
大きな「昭和風鍋」(あの、山形の芋煮会とかで使うようなやつ)を抱えて歩く
幼稚園児くらいの女の子とすれ違いました。
なんか懐かしい風景だらけ。
補修中の棟もあちこちに。棟に書かれている数字からいうと、
20棟以上の大規模団地、なんですね。
あれ。ガスのメーターもなんかヘン。こんなところに取り付けられてるのね。
ほんとに山の上なので、
このスーパーは団地のみなさんに重宝されているようです。
なんでも売ってるし、クリーニングも受け付けてるし、
地域のコミュニティスペースみたいなイートインスペースもあります。
っつか、だれかんちのリビングみたいな一角なんですが。(下の写真の奥)
おお!瓶コーラの自販機もある!!!
なんかボウリング場以外では久々に見た気がするー。
ふー、高山団地で興奮してなんのブログかよくわからなくなってまいりましたが、
以下はちゃんと暗渠をご紹介します。
まあ今日は前置きとして短いのをひとつ、
地形図にあったように
次回・次々回でこの高山のふもとのやつと、
「なんとアソコから来てんのかよこの流れ!」的なやつをご紹介していきますね。
さてこの幻のプラトーである高山団地を降りていきますと・・・。
なんだこの看板。
夜の、とかの限定ナシかよw のかなり強引な注意書きですなー。
しかも標語的に字数が落ち着かないしw
なんかの歌の文句のようです。
ひーとりぃあーるーきぃはー やーめーよーぅ♪
即興の鼻歌混じりにせまいカーブの坂道を降りて行きます。
あ、またあった。
しかも今度は赤文字混じりw
昼間でもそんなにキケンなんかなーこのへんw
と看板に目が行ってばかりではなく、
ちゃんと暗渠もみつけております。
谷間から住宅を抜けて下ってくる土に埋まった流路。
もうすこし上流をみてみるとこんな。
なんで埋められちゃってるんでしょう・・・。
アスファルトの道を越えて、
こんなふうに下っていきます。
ちょうど平と東生田3丁目の境界あたり。
さて、さらに下ると、平瀬川に寄り添うように
見事な蓋暗渠と開渠をみることができます。
それは、次回で!
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コメント
高山団地は、案内板からしてキテる感じしますね。
私も最近川崎づいていますので、一度見学しておこうかと思います。
ところで、地図を見ると、高山団地の東側にも平瀬川に流れ込む開渠があるようですが、そちらは行ってみられたのでしょうか。
投稿: 猫またぎ | 2010年11月24日 (水) 19時25分
冒頭の地形図、上のほうの池が気になられた方々、
あれは自然の湧水とかで出来たものではありません。
ウチの親父が学生時代、バイトで掘りました。
投稿: えいはち | 2010年11月24日 (水) 22時26分
猫またぎさん
おお!いまあちこちで「川崎が流行ってる」かんじ?ww
ですかね。
東側の開渠、たぶん次々回でご紹介するやつかな・・・。
結構な開渠が2本並走しておりました。
神木交差点あたりから五所塚というところを登っていくヤツです。(・・・違ってたらごめんなさい)
えいはちさん
のわんと!次々回ではこの池からの流れを取り上げる予定で原稿書きましたw!(<そこが、開渠なんです)
あの池はえいはちさんのお父様の作品だったとは!!!
フェンスの外側から遠巻きに見えて、てっきりこのへんの湧水を集めた溜池みたいなのかなと思っていましたが・・・。
ってことは向ヶ丘遊園の造成時にその施設のひとつとして作った、というワケなんですね。 原稿に訂正入れときますw貴重な情報どうもありがとうございました!!!
投稿: lotus62 | 2010年11月25日 (木) 11時40分
えいはちさんのお父様の作品!!
たしか、えいはちさんが以前向ケ丘遊園の記事書かれた時、言及されてましたっけ。
良く考えてみるとすんごいコトですねーw
投稿: nama | 2010年11月26日 (金) 18時12分
これこれ、そこのお二人さん。
「作品」なんてコトバ使うと、造園技師みたいになっちゃうでしょ。
単なる土方(放送禁止、ピーッ)の学生バイトですからね。
向ヶ丘遊園調べてみたら昭和2年開業なんですね。
親父まだ生まれてないじゃん…。
さらに調べてみたら、こんなページが。
http://www.geocities.jp/uramashu/nenpyo.htm
池の完成は昭和30年と書いてあります。
親父、もう学生じゃないじゃん…。
???
今度、詳しく訊いてみます。
投稿: えいはち | 2010年11月26日 (金) 23時10分
みなさま、お返事遅れて申し訳ありません;;;;
namaさん
・・・なんか、不思議な縁というか、世間は狭いなというかw
びっくりしましたねー。
えいはちさん
いえいえ作品には違いありませんよ!
学生さんだったかどうかは微妙ですがw
ぜひ追求されて親子のさらなるご親睦にお役立ていただけると嬉しいですw
投稿: lotus62 | 2010年11月30日 (火) 09時32分
電話して確認しました。
親父が携わったのはホントに地面を掘るところからだったようです。
重機もない時代だし、その後の造成とか考えると、
完成まで2、3年かかってもおかしくはないでしょう。
高校の夏休み、20日間くらい働いたということです。
親父は早くに父を亡くし、弟、妹の面倒もみなければならなかったんですよ。
うーん、そんなモーレツDNA、僕にはまったく受け継がれてません。
投稿: えいはち | 2010年12月 1日 (水) 22時36分
えいはちさん、わざわざご確認ありがとうございました。
昭和の時代に様々なご苦労を背負ってスコップ(or鶴嘴)をふるっておられたお父様に、改めて敬意を表します。
やっぱりここは、「えいはち父支流(敬称略)」と呼ばせていただきます!
投稿: | 2010年12月 2日 (木) 09時06分
へー、すごいい!
かんどー的!
暗渠は単なる排水溝と思っていました。
つまり、「どぶ川」と。
小川や田んぼの用水路だったのかもとおもうと、
へー、そうかー、
人の歴史を感じます。
投稿: いっちゃん | 2019年6月10日 (月) 18時14分
いっちゃんさま
コメントどうもありがとうございます。古い記事でメンテもいまひとつですが、こんなところにお越しくださいまして感謝です。
まあある時期にはどぶになっちゃうのですが、それまでは清流だったところも多いと思います。
宣伝になってしまうのですが、よろしければ拙著『暗渠マニアック!』(柏書房)などもお手に取っていただけますと、なおお愉しみ頂けるのではないかと存じます。
https://www.amazon.co.jp/%E6%9A%97%E6%B8%A0%E3%83%9E%E3%83%8B%E3%82%A2%E3%83%83%E3%82%AF-%E5%90%89%E6%9D%91-%E7%94%9F/dp/4760146091
また、こちらのブログは手狭になったため新たな場所に引っ越しました。
細々としたブログですが、よろしかったらまたおいでくださいませ。
どうぞ今後ともよろしくお願いいたします。
投稿: lotus62 | 2019年6月10日 (月) 18時57分