暗渠ハンター 代官山ついでに三田用水猿楽口分水へ!
※なんだか、最近PCの調子なのかこのブログシステムの調子なんだかよくわからないですが、表記上の不具合が多くて・・・。文書作成過程で消したり修正したりした文字列や単語がそのまま残ってしまっていたり、明らかに違う変換コードによる変換がいつの間にかされていたりと、「開けてビックリ!」なブログ上の誤字脱字(ここまでくるともうそういう領域は超えてしまっているんですがw)が多くなってしまいました。気づいたそばから修正はしていきますが、みなさまにはお見苦しいところをお見せしてしまっております。まずはお詫び申し上げます。
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玉川上水から分水され、東北沢駅の横を掠めて東大裏を通り、
山手線の恵比寿〜目黒の尾根を走っていく三田用水。
その三田用水ですが、渋谷と恵比寿の間にもまたいくつかの分水がありました。
北から、鉢山口分水、猿楽口分水、火薬庫口分水。
(これより南下したところにある分水、白金村分水については先日書きました)
さて、夏至の一週間ほど前、仕事を終えてから猿楽町に行く用事ができまして。
まだ日も長いので、と19時くらいまでなら取材もできるだろうから、ついでに猿楽口分水にでも寄ってから行くかと。
というわけでまだまだ明るい18時半前後の恵比寿代官山猿楽町、三田用水猿楽分水のレポートです。
そういえばちょうどやはり1年ほど前、暗渠ハンティング超カケダシの頃に、
鉢山口から東に続く分水と、付近の渓谷地形について記事にもさせていただきましたっけ。
(今もたいしたことないけど、読み返すと今に輪をかけてたいしたことないこと言っててかなり恥ずかしいんですが。もちっと頑張れよ自分)
さあそれはそうと。
恵比寿駅方面から分水にアプローチ。本来ならきちんと渋谷川に合流する比丘橋近辺からレポートすべきでしょうが、この後のアポの関係からやむなく山手線より西側あたりからスタートします。
実は恵比寿はひさしぶり。けっこう店も入れ替わってるなあ。
ここはまだ流路ではありませんが、恵比寿から山手線沿いを北に向かうと大きな五叉路にいきつきます。
ここの五叉路には、恵比寿に数店お店をお持つ昼間っから泥酔できる憩いの大衆酒場"たつや"があったのですがを、いつの間にか建物ごとなくなって違うモンができてました。
むー。たつや駅前店も賑わいがあってよかったのですが、この角のたつやはひっそりとした通好みっぽい感じがよかったんだけどなあ。
あーもっと通ってあげればよかった( <ってどっちみちさほど営業利益に貢献はできなかったと思うのですがw)。
さて流路方面に向かいます。
山手線と東急東横線に挟まれた敷地にある渋谷清掃工場の煙突がすぱっと空を分かつように聳えていました。
この道を少し行けば流路に合流。この右側の歩道を通っていたようです。
(残念ながら本日工事中で痕跡をかぎまわれず)
そして私の背中のほうからさらに東に抜けて山手線をくぐり渋谷川に合流します。
さてここから遡っていきましょう。
東横線に向けてナナメに登っていく道がありますが、ここが分水の通り道。
この先で東横線をくぐると、当時を偲ばせる蛇行道となります。
東横線は左側の白い工事フェンスのところ。
数年後に完成する新しい渋谷駅(元東急会館の地下で、副都心線と繋がるようになってます)に通じるよう、地下化を進めています。
じつはこの右側も崖。渋谷までは、上ったり下ったりを繰り返して"渓谷"を形作っています。
これは崖からこの分水に降りてくる階段。
すこし上ると、この道と流路は少し離れてしまいます。
道はゆるく右に曲がっていきますが、流路はこのまま正面の建物の左、東横線との間を伝っていきます。
この通りのまっすぐ前にこれまた聳えるのが、代官山アドレス。
そう、昔の同潤会アパート跡地ですね。
代官山、という地名を私が知ったのは、まだ地方で過ごしていた1970年代。
テレビで桃井かおり主演の"ちょっとマイウェイ"というドラマをやっていたのですが、
この舞台が"代官山" 。代官山の小さなレストランが舞台の、楽しい話でした。
(あーDVDでてるんだぁ。見たいなあ久しぶりに)
代官山○丁目、とかよく台詞に出てきていて、架空の名前かと思って当時かの地東京の地図を調べてみたら、あったわけです。 (ただし○丁目というのはありませんでしたが)
犬塚弘さん(クレイジーキャッツのね)扮する姉婿さんは、代官山駅の駅員さんでした。
それがいまはこんなんなってるとは・・・( と、あまりにも個人的でわかりづらい感慨にふける)。
代官山アドレスの手前に、橋の遺構が残っています。
これは暗渠ミュージシャン(?)加瀬さんのサイトやブログにもたびたび取り上げられていたはず。
このまんなかへんに見えるのがそれ。
もっと近づいてみましょうね。
新坂橋。
よく残っていたものです。
感謝。
しかしご覧の通りすぐ横は工事中。先に書いたとおり、東横線の地下化工事がまさにこの真下を通っているようです。
この橋、いつまで見ることができるでしょうか。
この橋の上流を、背伸びをして撮って見ました。
流路上は、建築資材が収められているような物置小屋が並んでいます。
その先に駐車場スペースがあったので、また東横線沿いの流路を覗き込みます。
すこし上流では、また道と流路が重なります。
たぶんここから。この石垣の左をぐるっと入って流路は下流に流れていくようです。
ここから前、つまり上流を向くとこんな風景。
左の階段上に代官山駅。
いろいろな資料によると、
じつはこの辺から流路は代官山アドレス、つまり旧同潤会アパートの敷地を流れるようです。
確かに地形図でもそこが低く谷になっています。
当然、もうその谷は消滅していますが・・・。
なのでこのあとはこの道沿いを歩きましょう。
道は代官山駅横から急激に右にカーブしていきます。
しかしこの道自体も、このカープといい谷っぷりといい、
「ここが流路だったんだよ」と言われても納得してしまいそうな格好になってます。
(実際私も先日までここが流路と疑わなかったw)
ほら、この大谷石の断崖から例の如く下に向かって排水装置が伸びているところとか。
にょっきり。
そしてこの道は並木橋から来る通りと信号で交差して、さらに猿楽町の奥(写真正面)へと行くのですが・・・。
やはりここも、流路と思わせるようなカーブが描かれています。
これをすぐに左に曲がります。ここで同潤会を抜けてきた(たぶんほんとうの)流路が東から合流します。
これが猿楽町20あたり。
このあとはこのまま旧山手通りへまっすぐに。
旧山手通り付近から下流をを振り返ったのがこの写真。
異常に広い歩道(右側)が元の流路である、と想像に難くないですね。
※この記事を書いている途中で、梶山公子さん著の「あるく渋谷川入門」という本を買って読んだのですが、そこにちょうどこの道と思われる記述がありました。昭和20年代のここにはまさに流路があり、そこに笹舟を浮かべて遊んだ、という方のお話です。うーん、すごい変わりようですね。
この流路の谷めがけて周辺からも流路と思しき道もいくつか。
さあ、旧山手通りを渡ればそこがヒルサイドテラス。
その中に猿楽塚があります。
ここから三田用水が分水されていたようです。
猿楽塚は古墳時代にできた二つの円墳だったそうです。
その一つが残され、猿楽神社となっています。
もちろん猿楽町という名の由来もここから。
詳しい説明が書かれてある表示板が建てられていました。
付近には他にもいくつか見どころが。
こちらはちょっと離れたところにある公園。猿楽古代住居跡公園です。
もうそのまんまの、弥生時代の住居跡がある公園。
そして猿楽小学校の横には、こんなY字路も。
左に蛇行した道が別れ、数十メートルさきでまた合流します。
蛇行する川跡と、あとからまっすぐに作った道路、と思われます。
蛇行道にはちょっとした"すばる座状マンホール”も!
さて。
今回の地図はこちらです。
青が辿ってきた道。
これプラス、太い紫色の線が猿楽口分水跡です。
緑の太い線は、三田用水のおおまかな流路です。
そしてオレンジ色のは、以前書いた記事で取り上げた、鉢山口分水です。
より大きな地図で 三田用水猿楽分水 を表示
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